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内容 |
出典/参考資料 |
関連映像 |
西本願寺別院(東一番丁) |
東一番丁に落成/元常盤町へ移転 |
1883年(M16)~1954年(S29) |
<Wikipedia「本願寺仙台別院」より>
・ 戦前期は、仙台陸軍病院に近いこともあり、仙台の陸軍第二師団の殉職者のうち無援仏を慰霊する役割も担った
・ 1933年(S8)、近くに三越が開店、本堂は東一番丁から参道を通って奥まった場所にあったため、東一番丁に面する参道両側の土地は、庶民に貸し出して商売をさせた
・ 戦後、仙台市が戦災復興事業によって中心市街地から寺院や墓地を移転させる方針を採ったため元常盤町(のちの支倉町)へ移転した(Wikipedia「本願寺仙台別院」では、昭和29年移転)
<主に、「本願寺仙台別院」HPより>
* 1877年(M10)、仙台・南町に、本願寺東京事務所宮城支局設置、6県下の事務取扱を行う / 同時に、東一番丁に本堂新築開始
* 1878年(M11)、仙台説教所設立、宮城小学校を設置
* 1880年(M13)、仙台説教所を別院とする
* 1883年(M16)、仙台区東一番丁に仮本堂落成
* 1910年(M43)、洋風の本堂が落成
* 1929年(S4)、無優樹幼稚園開園(S12に、あそか幼稚園と改称)
* 1938年(S13)、戦没者追悼法要(日中戦争)
* 1945年(S20)7月、仙台空襲により本堂など焼失、幼稚園休園
* 1947年(S22)、仮本堂新築落成
* 1950年(S25)、元常盤町(現・仙台市青葉区支倉町)を移転復興の地と定め、仮本堂庫裡を新築
* 1954年(S29)、元常盤町へ移転
* 1956年(S31)、幼稚園舎を新築、「あそか幼稚園」再開
* 1959年(S34)、新本堂新築落成
* 2011年(H23)、東日本大震災で、本堂など被災、幼稚園閉園
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「本願寺仙台別院」HP/Wikipedia「本願寺仙台別院」 (出典: 「本願寺仙台別院 沿革」)/参考「東一番丁物語」(柴田量平著)P205~206によれば、最初の本堂落成は、M15年/「番丁詳伝」P64
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西本願寺別院(東一番丁)の位置は、98-122/西本願寺がつくり商店を入居させた長屋は、47-06
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歩行者天国(東一番丁) |
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1970年(S45)/1972年(S47)/1977年(S52)/1979年(S54) |
* 1970年(S45)10月10日から、東一番丁通り、土・日・祝日の歩行者天国始まる
* 1972年(S47)、歩行者天国を全面実施
* 1977年(S52)12月3日~25日、全面歩行者天国(午後0時~6時)
* 1979年(S54)、東一番丁通りが歩行者専用道路となる
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「東一番丁連合会 創立五十周年」記念誌P9/「仙台市史 年表」P127、P128、P131/「仙台あのころこのころ八十八年」P256
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22-58
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東一番丁百年祭大仮装行列 |
開催 |
1966年(S41) |
* 1966年(S41)7月15日~17日、開催
・ 武家の町だった東一番丁が、明治維新後に商業の町として一歩を踏み出して一世紀になるのを記念して開催された
・ またS41年は、藩祖政宗公生誕(永禄10年=1567年)から400年目にあたる
・ 大仮装行列は、東一番丁の商店主たちが藩政時代から現代までの歴史を、仮装で表した
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東一番丁創立五十周年」P9の「連合会の歴史」欄/東一番丁の粟村寅之助氏談/「市民の戦後史」P185/「重訂 宮城県郷土史年表」P626
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47-01、47-02、47-03、47-04、47-05
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東一番丁大火(一番丁大火) |
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1933年(S8) |
* 1933年(S8)3月20日早暁、東一番丁の活動写真館仙集館付近より出火し52戸を焼く
* 仙集館→白崎写真館へ延焼→飛び火して、新国町界隈→国分町へ(51戸焼失、罹災戸数35)
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「重訂 宮城県郷土史年表」P434/「番丁詳伝」P131
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キリンビアホール(東一番丁) |
竣工 |
1935年(S10) |
* 1931年(S6)、東一番丁にキリンビアホール開店(「仙台市史 特別編4 市民生活」P80)
* 1935年(S10)、キリンビール(1階がキリンビアホール)建設 / 場所は東一番丁・日の出横丁南西角で、昭和8年の東一番丁大火の跡地
【「番丁詳伝」P131】東一番丁大火で焼失した仙集館跡は、昭和10年に金港商会が石造りのビルを建設、1階はキリンビアホールとして、また人々を集めることになった。
【「番丁詳伝」P164~165】キリンビール・ビルは昭和10年建造、鉄筋コンクリート造、地上3階、地下1階、843平方メートル、1階がビアホールで風格ある外観ながら番街の代表的な建物の1つであった。仙台空襲(昭和20年7月)では焼け残り、道路拡張のため曳行工事(昼夜通し見物人の人垣)が行われ、昭和27年9月に地下室ごと移転完了
* 1974年(S49)、閉店(「仙台市史 特別編4 市民生活」P80)
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「仙台市史 特別編4 市民生活」P80/「番丁詳伝」P131、P164~165
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20-35、53-71、49-05、22-58/戦後は、「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P13の左端
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街灯(東一番丁北部) |
戦前 5灯型 |
1928年(S3)~1945年(S20) |
東一番丁通り北部(立町角以北)の街灯
戦前>
* 1928年(S3)、東北産業博開催にあわせ新たに設置 / 通称「スズラン灯」(1基5灯型、電球の傘が筒型)
・ 写真 22-51 (三越付近)、 99-052 (栄亭付近)、 99-037 (富士屋洋品店付近)など
* 1942年(S17)8月、東一番丁の街灯(スズラン灯約200本、約7万貫)も「愛国回収」と称して供出
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「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)P26
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61-16、22-51、53-34、53-13、53-23、99-041、99-052
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街灯(東一番丁南部) |
戦前 4灯型 |
設置年不詳~1945年(S20)
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東一番丁南部(旧大通り地区=大町通角~南町通角の間)の街灯
戦前>
* 設置年不詳(ただし、S7年の絵葉書(20-37 藤崎西館完成記念)では、1基4灯型の街灯が写る)
・ 同じ東一番丁のスズラン灯でも、中央通(大町通)角を境に街灯の形が違った
・ 大町角以南の通称「大通り」は統一され、4灯タイプ(上1、下3)で、「わかもと」の遠景の宣伝看板がついていた
* 1942年(S17)8月、東一番丁の街灯(スズラン灯約200本、約7万貫)も「愛国回収」と称して供出
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「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)P26
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20-37、20-45、22-55、53-38、22-59、夜景は99-019、52-01
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街灯(東一番丁中央部) |
戦前 5灯型 |
1928年(S3)~1945年(S20) |
東一番丁中央部(立町通角~大町通角の間)の街灯
戦前>
* 1928年(S3)、東北産業博開催にあわせ新たに設置
・ 東一番丁通り中央部(立町通角~大町通角の間)の「スズラン灯」は1基5灯型(電球が球形と釣鐘型がある)
* 1942年(S17)8月、東一番丁の街灯(スズラン灯約200本、約7万貫)も「愛国回収」と称して供出
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「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)P26
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99-018、61-11、11-03、/傘が釣鐘型は、20-25、99-037
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街灯(東一番丁中央部) |
戦後 3灯型 |
1947年(S22)~1954年(S29) |
戦後>
* 1947年(S22)、街灯が復活(1基3灯型)
・ 戦前に「番街」の名物でもあったスズラン灯に似せて、戦後は1基3灯型(三灯銀白色柱)を取りつけた
・ 同じスズラン灯型であったが、広瀬通角(立町通)以北と、広瀬通り角~大町通角間では、デザインに違いがあり、街の特色を出す試みがなされている
* 1954年(S29)、アーケード設置のため撤去
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「仙台年表」P217(河北新報 S29.7.28)/「番丁詳伝」P166
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16-41、16-43、18-12
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街灯(東一番丁南部 |
戦後 3灯型 |
1947年(S22)?~1954年(S29) |
戦後>
* 1947年(S22)?、街灯が復活(1基3灯型)
* 1954年(S29)、アーケード設置のため撤去
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「仙台年表」P217(河北新報 S29.7.28)
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16-42、98-013、55-04、55-03、20-01-01、18-34、18-04、18-08
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街灯(東一番丁北部 |
戦後 3灯型 |
1947年(S22)~1954年(S29) |
戦後>
* 1947年(S22)、戦後のスズラン灯建つ(「仙台年表」P217)
・ 戦前に「番街」の名物であったスズラン灯に似せて、戦後は1基3灯型(三灯銀白色柱)
・ 同じスズラン灯の形であったが、立町通(広瀬通)角以北と、立町通(広瀬通り)角~大町通(中央通)角では、デザインに違いがあり、街の特色を出す試みがなされている
* 1954年(S29)にアーケード設置のため撤去
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「番丁詳伝」P166/「仙台年表」P217(河北新報 S29.7.28)
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16-38、16-39、16-40、18-16
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街灯(東一番丁・南町通角以南) |
戦前 5灯型 |
設置年不詳~1945年(S20) |
戦前>
* 設置年不詳
・ 1基5灯のスズラン灯は東一番丁(立町角以北)のとよく似ているが、上部アームのデザインが異なる
* 仙台空襲(S20年7月)で焼失
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53-89
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一番町(旧・東一番丁)中央部 |
一番町一番街商店街「ぶらんど~む一番町」<概要> |
平成20年時点 |
広瀬通り角と中央通り角の間、一番町三丁目にあるアーケード街
1993年(H5)、高さ19.5mの高層アーケードに建て替えられた / この新アーケードは、旧車道部の上を覆う中央ドーム部が5階建て程度、両脇の旧歩道部の上が4階建て程度の高さになっており、ミラノのヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアを模した
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Wikipedia「一番町」(仙台市)(2020年6月)より抜粋
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一番町(旧・東一番丁)北部 |
一番町四丁目買物公園<概要> |
平成20年時点 |
定禅寺通角~広瀬通角間の商店街(アーケード街)
道の両脇にのみアーケードがかかり、晴れた日には太陽光が直に差し込み、青空を望める明るい雰囲気となる / 降雨時の開口部からの横雨の入りを少なくするため、アーケードの高さは「1階分+看板分」程度の高さになっており、一番町の他のアーケード街と比べると低い / この街区と交差する定禅寺通の西洋風煉瓦造りの中央緑地帯の雰囲気にあわせ、旧車道部の舗装は石畳、旧歩道部は煉瓦風カラー舗装となっている
冬季には、旧車道の開口部に豆電球のイルミネーション装飾をいくつも渡し、日没後は北欧の街路のような雰囲気となる / 1982年(S57)から2003年(H15)7月まで、「水時計」と呼ばれる落水で動くからくり時計が街区の南東端に設置されていた
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Wikipedia「一番町」(仙台市)(2020年6月)より要約
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一番町(旧・東一番丁)中央部 |
一番町一番街商店街「ぶらんど~む一番町」<商店街組織> |
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大町角(中央通り角)以北の東一番丁は、戦前から「東一振興会」の名称が使われていたことが、[写真 49-04 で確認できる / S29、「東一振興会」を「東一一番街」に改称 (ただし、写真 77-02 (S31)ではまだ「東一振興会」の字が確認できる) / S45.7.27、一番町一番街商店街振興組合設立
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「東一番丁連合会創立五十周年」(平成10年発行)のP8~9
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一番町(旧・東一番丁)南部 |
サンモール一番町商店街<概要> |
概要(平成20年頃) |
中央通り角から南町通角の間のアーケード街 / 一番町二丁目、および三丁目の一部に跨る
現在のアーケードは1986年(S61年)に設置された高さ13.7mのもので、当時は日本で最も高さのあるアーケードであった / 天井付近に仕掛け時計が設置されており、時間になると人形が動く / 「文化横丁」や「壱弐参(いろは)横丁」などの横丁がある
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Wikipedia「一番町」(仙台市)(2020年6月)より抜粋
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一番町(旧・東一番丁)全域 |
総説 |
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一番町は南から北へ、1~4丁目まであるが、商店街としての一番町は2丁目以北で、3つの商店街で構成されている。 武家の町だった東一番丁が、明治期以降は次第に商店がつらなる繁華街となり、仙台を代表する商店街「東一番丁」となった。 1970年(S45)2月の新住居表示で、「一番町」となる。
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<参照>旧町名と新住居表示実施後の新町名の対比、実施年月日は、仙台市HPの 「旧町字名(地区名)一覧表と旧・新住所対照表(五十音順)」http://www.city.sendai.jp/kosekijumin/kurashi/tetsuzuki/koseki/jisshi/hyoji/ichiran.html
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一番町(旧・東一番丁)全域 |
一番町の年中行事 |
1987年(S62)現在 |
・ 初売り 1月3日
・ どんと祭 1月14日
・ 節分会(4丁目) 2月初旬(豆まき、厄払い)
・ 青葉くじセール 2月~3月
・ 春の売り出し(4丁目) 3月~4月
・ なんじゃもんじゃ広場(4丁目) 5月5日、昭和51年開始(屋台、ゲーム、音楽会やおどり、小イベント15~20種展開)
・ 三社まつり 7月 昭和55年開始(三社まつりは、大町のえびす神社、一番街の和合神社、大通りの野中神社の三社の神輿が一番町と中央通りを渡御 / 前夜祭の土曜は、一番街では夜店を出しうなぎつかみ、大通りはチャリティー・オークヨンとカラオケ大会、おおまちでは音楽祭と大町小町コンテスト)
・ 七夕まつり 8月6~8日
・ 金蛇水神社祭典(4丁目) 8月下旬(神輿渡御、夜店)
・ 体育まつり(一番街) 10月体育の日 S58年開始(体力測定、栄養相談など)
・ 市民まつり(一番街) 11月1日~3日
・ 青葉くじセール 12月
・ 年末チャリティー歳の市(一番街) 12月26~30日
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「番丁詳伝」P198~199
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ひらつか(東一番丁) |
焼失 |
1960年(S35) |
ひらつかは、S35年暮れの火事で焼失 / その後再建
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ひらつか(東一番丁) |
戦後、進駐軍専用店を経営 |
1948年(S23) |
【「番丁詳伝」P152より】
* 1918年(T7)、平塚長蔵氏、塩釜で「ひらつか製菓舗」創設
* 戦時中は、多賀城にある海軍工廠の御用商人として自由に農産物を入手でき、漬物などを大量に生産
* 戦後、仙台・東一番丁(大通り)の一力邸の焼け跡を取得
* 1948年(S23)、敷地内に50m幅の青葉通りが造成しつつあった当時、敷地はヤミ市商人の密集中心地であったが、撤去後、「コックドール」(2階建ての洋風店舗)を建築、開業 / アメリカ進駐軍家族専用の店舗(レストランとフードマーケット)で日本人はオフリミット / 子息の長治氏が英語が話せたことから、進駐軍民生部に日参し、ヤミ市撤去と米軍関係者の利用施設を実現 / 進駐軍専用施設なので原材料の入手に困ることはなかった
・ 1950年(S25)の朝鮮戦争開始により在仙台米軍の大半が引上げ後は、方針を日本人向けに転換した
・ 仙台市高砂に最新技術を取り入れた東北初のオートメーション工場を建設
・ 一番町店舗の改築を行い、和・洋・中の総合レストランビルを完成
・ 平塚製パン、平塚物産、ひらつか、平塚販売等を展開
*****************************************
・ 昭和26年の絵葉書(写真20-01-01)でも、「ひらつか」は表示塔に「ON LIMITS RESTAURANT」とあるように、進駐軍専用のフードマーケット(1階)とレストラン(2階)だった
・ 昭和28年からは、パン・洋菓子販売と日本人むけに喫茶・レストランを経営
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「番丁詳伝」P152/昭和26年発売の絵葉書20-01-01の内容から
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20-01-01、22-07、58-01、58-03
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一番町(旧・東一番丁)北部 |
一番町四丁目買物公園<商店街組織> |
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「北振会」の名称は戦前から使われてぃた / S26.1.1、北振会発足(S28.7、仙台東一北振繁華街協同組合設立認可) / S38.8.9、「仙台東一北振繁華街協同組合」を「仙台東一北振商店街振興組合」に改組 / S54、「仙台東一北振商店街振興組合」が「東一中央会」を吸収(北振会は森徳横丁以北、中央会は森徳横丁~広瀬通り間) / S55.6.16、「東一北振商店街振興組合」を「一番町四丁目商店街振興組合」に改称
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「東一番丁連合会創立五十周年」(平成10年発行)のP8~9
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東一番丁(商店街) |
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→ 項目「一番町(旧・東一番丁)」参照
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一番町(旧・東一番丁)中央部 |
一番町一番街商店街「ぶらんど~む一番町」<年表> |
昭和初期~平成10年 |
S8.1.20、仙集館(活動写真館)付近焼ける / S29.1.14、第1代アーケード完成 (「仙台年表」P229) /S45、歩行者天国(土日)スタート / S47、歩行者天国(全面実施)/S47、一番街アーケード改築 / S50.5.2、ジャスコ開店(一番街) / S54.9.1、「一番街買物公園」完成、街路樹・ストリートファニチャーを設置 / S59.11.1、ジャスコがフォーラムに業態変更(テナント大幅入替え)し開店 / H5.7.14、一番街アーケード完成(H4に着手)
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「東一番丁連合会創立五十周年」(平成10年発行)のP8~9/「仙台市史 年表」P131/「仙台年表」P229/「重訂 宮城県郷土史年表」P571
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20-43、99-016、20-41、20-42、99-018、22-58など写真分類A-02-02(東一中央部)の全写真/「目で見る仙台の歴史」P188(東一中央部夜景)/「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P13(S29、藤崎より北、俯瞰)
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一番町(旧・東一番丁)北部 |
一番町四丁目買物公園<年表> |
昭和初期~平成10年 |
S5、市立病院開院(S14.11.19、改築落成) →S55、清水小路に移転 / S6.1、森徳座焼失(仙台映画大全集) / S8.4.1、三越出店 / S29.7、第1代アーケード完成 /S38.11.1、三越、新館新装開店(地上7階、地下2階、屋上に3階の塔屋あり、S36.9~増改築工事) / S45.12.2、北振会アーケード改築完成(2代目) / S46、中央会アーケード改築完成(2代目) / S57.10.2、四丁目商店街「アーケードのある買物公園」完成(透明なアーケード、噴水式モニュメント、約70本の街路樹) / S58.10.6、記念誌「風雪三十年」完成 / S60.7.13、北の入口に「もみの木」植樹(光のページェントの原点) / S62.3.21、141(イチヨンイチ)が開店 / H4.10.25、三越増改築開店
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「東一番丁連合会創立五十周年」(平成10年発行)のP8~9/「仙台市史 年表」P133/「続・ 宮城県郷土史年表」P151、P152
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61-16、22-53、18-16、99-014など写真分類A-02-01(東一北部)の全写真
/「仙台市史 特別編4 市民生活」P231(昭和初期、東一番丁北部森徳座付近)/「市民の戦後史(仙台市)」P73(S28年頃、東一番丁北部)/「仙台市史 特別編4 市民生活」口絵図37~38(S53年俯瞰、H8年141ビル)
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一番町(旧・東一番丁)全域 |
年表 |
昭和初期~平成10年 |
S3.4.15、東北産業博覧会(55日間開催)にあわせ、東一番丁通りがアスファルト通りになり、街灯(スズラン灯)がつく、ただし、三区域ごとに独自の形 / S4.1.6、市庁舎新築落成 / S6.9.10、県庁舎竣工 / S17.8、東一番丁の街灯(スズラン灯約200本、約7万貫)も「愛国回収」と称して供出 / S20.7.10、仙台空襲で、東一番丁一帯も壊滅的被害 / S20.12、仙台駅前「闇市場」、東一番丁に移転 / S20.12.25、復興歳の市(東一番丁歳の市復活)、出店500軒 / S21.8、東一番丁に戻ったバラック店舗52軒がいっせいに七夕飾りをかかげる / S21.8.15、3夜連続で復興盆踊り大会開催(戦災焼け跡にヤグラを組む、東一が全市に先駆けて開催、毎夜数万人で賑わう) / S21、東一番丁通り(定禅寺通~柳町通り間)幅員15mに拡幅決まる(両側に4.2mの歩道、車道はアスファルト舗装、歩道はコンクリート製1尺角のブロック敷き詰め)/ S22.4.17~4.18、さくらまつり開催(新憲法施行記念の仮装行列) / S22.8.5~8.7、市内各商店街、戦後初の七夕まつり(8.5には昭和天皇仙台巡幸を七夕飾りで歓迎) / S22、戦後のスズラン灯建つ / 東一番丁全町に街路灯設置(広瀬通の南北でデザインに違い) / S28、アーケード設置を前に電柱撤去(南町通り角~定禅寺通り角、838m)/ 東北初のアーケード完成(北部は S29.7、中央部S29.1.14、南部=大通りはS29.12.11) / S29.12.12、アーケード完成祝賀仮装行列 / S34.3.4、青葉通りが全線開通 / S36.5.12、ネオンアーチ完成 / S40.12.8、夢のカラー歩道完成(定禅寺通り~南町通りまで、乳白色の人造大理石にグリーンのアクセサリー) / S41.7.15~7.17、東一番丁誕生百年祭を祝う(藩祖政宗公生誕400年と兼ねて実施) / S42.1.25、定禅寺通り、広瀬通りが全線開通(東一番丁付近完成はS29.4) / S45.2.1、住居表示変更(東一番丁 → 一番町) / S45.10.10~、歩行者天国実施(土日祝、320店) / S47年、歩行者天国を全面実施 / S51.3.31、仙台市電廃止 / S52.12.3~25、全面歩行者天国(午後0時~6時) / S53.6.12、宮城県沖地震 / S54.1.20、東一番丁通りが通行禁煙となる / S54、東一番丁通りが歩行者専用道路となる / S54.7,東一番丁通りカラー煉瓦に化粧 / S61.12、光のページェント始まる / S62.7.15、地下鉄南北線開通(勾当台駅できる)
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各商店街の年表は、「東一番丁連合会創立五十周年」(平成10年発行)のP8~9の「年表」による/「仙台市史 年表」P127、P128、P131、P134/「仙台市史10 年表」P311/「仙台市史 年表」P215/「重訂 宮城県郷土史年表」P571、P626/「続・ 宮城県郷土史年表」P91、P98/電柱撤去は、「番丁詳伝」P166/スズラン灯回収は、「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)P26/街路灯設置は「番丁詳伝」P178/「仙台あのころこのころ八十八年」P250、P256/「市民の戦後史」P185/15m拡幅は、「番丁詳伝」P164、P166
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61-16(S3,スズラン灯がついた東一番丁)、35-14(空襲被害)、53-08 (天皇巡行)、47-05 (東一番丁百年祭)22-58 (歩行者天国)など、写真分類A-02(東一番丁)の全写真/「市民の戦後史(仙台市)」P185(東一番丁百年祭祝う商店街)
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一番町(旧・東一番丁)南部 |
サンモール一番町商店街<商店街組織> |
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S23.4、一番町大通り親和会発足 S57.11.8、「一番町大通り商店街振興組合」設立 / H2.5.28、「一番町大通り商店街振興組合」を「サンモール一番町商店街振興組合」に改称 / H3.8.6、ドイツ・ハンブルグ「ハンブルガーシュトラーゼ」と姉妹商店街提携調印
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「東一番丁連合会創立五十周年」(平成10年発行)のP8~9/「続・ 宮城県郷土史年表」P47、P269
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一番町(旧・東一番丁)全域 |
商店街組織 |
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S23.2.20、東一連合会発足 / H10.11.11、東一連合会、50周年記念式典開催(記念誌発行)
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各商店街の年表は、「東一番丁連合会創立五十周年」(平成10年発行)のP8~9の「年表」による
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一番町(旧・東一番丁)南部 |
サンモール一番町商店街<年表> |
明治期~平成10年 |
M30.2.11、藤崎が東一番丁に進出 / T8.3、南町大火 / 南町大火後の道路改修計画(T9~S2)で、東一番丁では大町角の「藤崎」以南が拡幅され、通称「大通り」となった / T14.12、大映文化シネマがオープン / S23.2.20、東一番丁に昼火事あり、東一中央市場と南松竹映画全焼 / S29.12.2、第1代アーケード完成 /S50.11.20、大通りアーケード改築完成、藤崎以南にクリスタル製シャンデリア点灯 / S52、大通りアーケード改築 / S53、大通り30周年記念行事 / S61.11.29、電動式全蓋(ドーム型)アーケード完成 / H9.11.19、藤崎アネックス開店
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「番丁詳伝」P166/「東一番丁連合会創立五十周年」(平成10年発行)のP8~9/「仙台市史 年表」P115、134、218 / 「重訂 宮城県郷土史年表」P525、P526、P575
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20-45、22-55、22-59、53-117、20-01-01、64-03など写真分類A-02-03(東一南部)の全写真
/ 戦後間もない東一番丁南部は、「目で見る仙台の歴史」P172、「市民の戦後史(仙台市)」P25
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