分類項目 | 東一番丁(南部) |
タイトル | 東一番丁(南町通り以南) |
写真番号 | 53-89 |
場所 | 仙台市東一番丁一丁目 |
映像内容 | 奥が北方向 / 左のビルは「日本生命館」(写真 53-91 の左端のビルと同じ) / そこで東一番丁通と南町通りが交差 / そこから先(奥)が東一番丁「大通り」 / 左手前玄関に「クラブ化粧品仙台出張所」の表示 / 「大通り」の入口左角は多田商店(福助足袋マークが見える)、 同右角は食堂「太陽会館」(写真 99-019 の右の建物) か? / 5灯のスズラン灯は東一番丁(北部)のとよく似ているが、上部アームのデザインが異なる |
撮影年代 | 1933年(S8)~1943年(S18)の間 |
撮影年代判定根拠 | ①中央にうつる電柱が金属製(S8年1月の多門師団凱旋時=写真 65-01 では南町通りの電柱は木製だった) / ②服装から(太平洋戦争後半期の服装はもっと戦時色濃厚) |
関連情報/参考文献 | 多田商店は、分類A-05-06の写真 73-03 の右端にも写る / 日本生命館=東一番丁と南町通り交差点の南西角に、昭和3年10月落成。レンガ造りなので仙台空襲でも焼け残った |
備考 | 撮影)森権五郎 <青葉区・鈴石(すずいし)長平さん(大正14年生まれ)の思い出 「戦時中の企業整理」> 「わが家は南町通りで昭和元年~17年までラムネ、サイダーを製造したが、戦中の企業整理でやめざるを得なかった。当時は同業者が県内に25~26軒あった。ラムネは180CC、サイダーは360CCあり、ラムネの方が割安だった。」 * 1942年(S17)5月、企業整備令にともなって、中小商工業からの大量の転業者が、徴用の主な対象となる ・ 転業者は、軍需産業か満蒙開拓や国防的土木作業などにふりむけられた(「仙台市史 続編第2巻」P700) |
カラー/モノクロ | モノクロ |
分類内の通し番号 | 12 |
画像ファイル名 | sendai095 |