項目 | 小項目 | 年 | 内容 | 出典/参考資料 | 関連映像 |
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ツルヤ洋菓子店とカフェ・クレーン | 開店~閉店 | 1912年(M45)~1933年(S8) |
・ 東一番丁通の立町通角と大町通角の間、道の西側に面していた(戦後の靴店「アピアまんぞくや」の辺り) ・ 1階がツルヤ洋菓子店、2階がカフェ・クレーンで西洋料理や喫茶(仙台最初の洋風喫茶店)、夜はイルミネーションが点灯 ・ 洋館造り、設計は東北帝国大学の文部技官中島仙太郎 * 1912年(M45)7月27日、開店(大正に改元の3日前) 大町5丁目の写真機販売業・桜井常吉が東一番丁通りに進出、電飾の輝く洋館2階でカフェ・クレーンを開業(1階のツルヤ洋菓子店は義弟の中林源助にまかせる) * 1933年(S8)3月19日、近くの映画館「仙集館」近くから出火した火事で類焼し、閉店 |
「重訂 宮城県郷土史年表」P352/「仙台はじめて物語」P74~75 /「東一番丁物語」(柴田量平著)P126~129/「あきんどの町-おおまちに至るまでの四〇〇年-」P135/「仙台市史 年表」P96 |
20-19、20-41、22-56、45-02、45-03、99-017 |
ツルヤ洋菓子店とカフェ・クレーン | ツルヤ洋菓子店 | 1912年(M45)~1933年(S8) |
* 1912年(M45)7月27日、開店(1階がツルヤ洋菓子店、2階がカフェ・クレーン) * 1915年(T4)、ツルヤ洋菓子店は、仙台ではじめてシュークリームを販売 * 1933年(S8)3月、付近の映画館「仙集館」から火災で類焼し閉店 【「仙台はじめて物語」P74~75】 ・ 場所は戦後の靴店アピア満足屋のあたり / 開店は、年号が大正に代わる3日前 / 洋館造りは東北帝国大学の文部技官中島仙太郎の設計、夜はイルミネーションが点灯 ・ 「ツルヤ洋菓子店」は、大正4年に仙台で初めてシュークリームを販売したり、ロバに曳かせた赤塗りの箱馬車で、焼きたてのパンや洋菓子を配達するなど、常に評判を呼ぶ店だった。 新製品「仙台豆」の袋入り(20銭)を買うと景品に「仙集館」の二等席の映画券1枚がついた ・ ツルヤ洋菓子店は、カフェクレーンの桜井常吉の妻はるの弟中林源助が経営 【座談会「みやぎの洋菓子60年」P21】 ・「ツルヤ」のベビーシュー(シュークリーム)は有名だった。 トテ馬車と言って、箱馬車でパンを配達して有名でした。大正の頃のことです。 |
「仙台はじめて物語」P74~75/座談会「みやぎの洋菓子60年」P21(掲載誌は不詳)/「重訂 宮城県郷土史年表」P377 | |
ツルヤ洋菓子店とカフェ・クレーン | カフェ・クレーン | 1912年(M45)~1933年(S8) |
* 1912年(M45)7月27日、新式洋菓子コーヒー店カフェ・クレーン開店(一品料理と喫茶) 【「仙台はじめて物語」P74~75】 ・ ツルヤ洋菓子店2階の喫茶「カフェクレーン」は、季節の花を飾った大理石張りのテーブル10余りが並び、天井には扇風機が回り、オルガンもあった ・ コーヒー、紅茶が5銭、特製アイスクリーム10銭、ライスカレー、チキンライス、ハムライスが15銭均一 ・ 12~13歳の女給仕は水色の洋服とエプロン姿 ・ 仙台では、「カフェクレーン」「ブラザー軒」「カルトン食堂」が知識人や学生のたまり場だった |
「仙台はじめて物語」P74~75 | 22-56、45-02、45-03、98-07/「いつか見た街・人・暮らし」P38(T5年、カフェクレーレストラン内部)/「新・目で見る仙台の歴史」P146 |
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