項目 | 小項目 | 年 | 内容 | 出典/参考資料 | 関連映像 |
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スパイクタイヤ対策条例 | 施行 | 1986年(S61) |
* 1985年(S60)12月5日(18日?)、宮城県議会は、脱スパイク条例(スパイクタイヤ対策条例)可決(4月~12月は全面禁止、12月~3月は使用規制) * 1986年(S61)4月1日、宮城県脱スパイク条例施行 / 仙台市動物園など24施設で、脱スパイク無視車駐車禁止作戦 |
菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P79/「続・ 宮城県郷土史年表」P198、P204 | 「仙台市史 特別編4 市民生活」P544(S58年ころ、スパイクタイヤのピン抜き作業) |
スパイクタイヤ粉塵公害 | 脱スパイクタイヤ推進 | 1981年(S56)~1986年(S61) |
* 1981年(S56)1月27日、「河北新報」への投書が発端 * 1982年(S57)、仙台弁護士会、道路粉塵問題小委員会が検討開始 * 1982年(S57)10月、仙台市消費者協会、粉塵公害追放運動展開 / 仙台など各都市でスパイクタイヤ自粛運動 * 1982年(S57)11月2日、仙台市宮町商店街は、粉塵公害スパイクタイヤ自粛決議 ・ 中江商工振和会、仙台ゴミ追放婦人ロビー、環境運動団体などが脱スパイク運動 * 1982年(S57)11月22日、多賀城市はスパイクタイヤ使用自粛指示 * 1983年(S58)6月13日、仙台市、スパイクタイヤ対策本部を発足 * 1983年(S58)9月11日、宮城県がスパイクタイヤ対策本部発足 * 1983年(S58)11月18日、仙台市交通局、全車スパイクタイヤ廃止で労使双方合意 * 1983年(S58)12月、市民による「脱スパイクタイヤ推進モデル地区」で折立地区を指定(ピン抜きや積雪時の門前雪かき) * 1984年(S59)1月20日、仙台市が、粉塵汚染で緊急事態宣言 * 1984年(S59)3月16日、名取市でタイヤのピン抜き所開設 * 1985年(S60)ころ、仙台市民によるスパイクタイヤのピン抜き活動が盛んになる * 1985年(S60)8月22日、仙台タクシー協会、スパイクタイヤ全廃方針たてる * 1985年(S60)10月、高橋栄(八木山本町)が、無公害スパイクピン実用化 * 1985年(S60)12月5日、宮城県議会は、脱スパイク条例(スパイクタイヤ対策条例)可決(4月~12月は全面禁止、12月~3月は使用規制) * 1986年(S61)4月1日、宮城県脱スパイク条例施行 / 仙台市動物園など24施設で、脱スパイク無視車駐車禁止作戦 * 1988年(S63)6月2日、スパイクタイヤ、1990年12月までに製造を中止 |
「仙台市史 特別編4 市民生活」P543~544/「NHK仙台放送局60年のあゆみ」P58/「仙台市史 年表」P133、P134/「続・ 宮城県郷土史年表」P152、P153、P166、P168、P172、P174、P194、P196、P197、P198、P204/菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P84 |
「仙台市史 特別編4 市民生活」P544(S58年ころ、スパイクタイヤのピン抜き作業) |
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