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内容 |
出典/参考資料 |
関連映像 |
街灯(旧・大町一、二、三丁目) |
戦前 2灯型 |
1928年(S3)?~1945年(S20) |
戦前> 旧大町1,2,3丁目の街灯は1基2灯型(柱から両側に突き出でたアームに1灯ずつ、アームは道に平行) / 1928年(S3)の東北産業博覧会記念写真帳の「大町一二三丁目全景」に1基2灯型が写る / 仙台空襲(昭和20年7月)で焼失
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東北産業博覧会記念写真帳の「大町一二三丁目全景」
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街灯(旧・大町四丁目) |
戦前 2灯型 |
1928年(S3)?~1945年(S20) |
戦前> 旧・大町4丁目の街灯は1基2灯型(柱の両側に1灯ずつ、アームは道に直角)/ T14年頃の写真 43-25 には街灯はなかった / 仙台空襲(昭和20年7月)で焼失
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53-46、22-52、20-46、20-47
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街灯(旧・大町五丁目) |
戦前(1) 1灯型 |
1928年(S3)?~1935年(S10)頃 |
戦前> 旧・大町五丁目の街灯は、1基1灯型 / 1928年(S3)の東北産業博覧会記念写真帳の「大町四五丁目」に1基1灯型が写る / 昭和7年の絵葉書、昭和10年のスタンプがある絵葉書では1基1灯型
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1928年(S3)の東北産業博覧会記念写真帳の「大町五丁目」、20-47、22-27
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街灯(旧・大町五丁目) |
戦前(2) 3灯型 |
1935年(S10)頃~1945年(S20) |
戦前> 旧・大町五丁目の街灯は、1基1灯型から1基3灯型になった/ 昭和10年か11年の写真では1基3灯型 / 仙台空襲(昭和20年7月)で焼失
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20-51、20-55、53-100、22-52
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街灯(旧・大町五丁目) |
戦後 3灯型 |
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戦後> 旧・大町5丁目の街灯は1基3灯型だが、戦前とは形が違う
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16-44
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街灯(国分町) |
戦前 1灯型 |
1928年(S3)?~1945年(S20) |
1928年(S3)の東北産業博覧会記念写真帳の「国分町」に1基1灯型(柱の上に1灯)が写る(ただし、国分町4~5丁目とそれ以北の国分町では、同じ1灯型でも形が違う)/ 仙台空襲(S20年7月)で焼失
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東北産業博覧会記念写真帳の「国分町4、5丁目」、同「国分町(その2)
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街灯(新伝馬町) |
戦前 2灯型 |
1928年(S3)?~1945年(S20) |
戦前> 1期2灯型(柱から道方向に突き出たアームに2灯) / 1928年(S3)の東北産業博覧会記念写真帳に写る「新伝馬町」に1基2灯型が写る)/ 仙台空襲(S20年7月)で焼失
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東北産業博覧会記念写真帳に写る「新伝馬町]
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街灯(停車場前通り) |
戦前 2灯型 |
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戦前> 1基2灯型(柱の両側に1灯ずつ)
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99-020、44-10、44-09、64-04
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街灯(東一番丁北部) |
戦前 5灯型 |
1928年(S3)~1945年(S20) |
東一番丁通り北部(立町角以北)の街灯
戦前>
* 1928年(S3)、東北産業博開催にあわせ新たに設置 / 通称「スズラン灯」(1基5灯型、電球の傘が筒型)
・ 写真 22-51 (三越付近)、 99-052 (栄亭付近)、 99-037 (富士屋洋品店付近)など
* 1942年(S17)8月、東一番丁の街灯(スズラン灯約200本、約7万貫)も「愛国回収」と称して供出
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「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)P26
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61-16、22-51、53-34、53-13、53-23、99-041、99-052
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街灯(東一番丁北部 |
戦後 3灯型 |
1947年(S22)~1954年(S29) |
戦後>
* 1947年(S22)、戦後のスズラン灯建つ(「仙台年表」P217)
・ 戦前に「番街」の名物であったスズラン灯に似せて、戦後は1基3灯型(三灯銀白色柱)
・ 同じスズラン灯の形であったが、立町通(広瀬通)角以北と、立町通(広瀬通り)角~大町通(中央通)角では、デザインに違いがあり、街の特色を出す試みがなされている
* 1954年(S29)にアーケード設置のため撤去
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「番丁詳伝」P166/「仙台年表」P217(河北新報 S29.7.28)
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16-38、16-39、16-40、18-16
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街灯(東一番丁中央部) |
戦前 5灯型 |
1928年(S3)~1945年(S20) |
東一番丁中央部(立町通角~大町通角の間)の街灯
戦前>
* 1928年(S3)、東北産業博開催にあわせ新たに設置
・ 東一番丁通り中央部(立町通角~大町通角の間)の「スズラン灯」は1基5灯型(電球が球形と釣鐘型がある)
* 1942年(S17)8月、東一番丁の街灯(スズラン灯約200本、約7万貫)も「愛国回収」と称して供出
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「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)P26
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99-018、61-11、11-03、/傘が釣鐘型は、20-25、99-037
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街灯(東一番丁中央部) |
戦後 3灯型 |
1947年(S22)~1954年(S29) |
戦後>
* 1947年(S22)、街灯が復活(1基3灯型)
・ 戦前に「番街」の名物でもあったスズラン灯に似せて、戦後は1基3灯型(三灯銀白色柱)を取りつけた
・ 同じスズラン灯型であったが、広瀬通角(立町通)以北と、広瀬通り角~大町通角間では、デザインに違いがあり、街の特色を出す試みがなされている
* 1954年(S29)、アーケード設置のため撤去
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「仙台年表」P217(河北新報 S29.7.28)/「番丁詳伝」P166
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16-41、16-43、18-12
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街灯(東一番丁南部) |
戦前 4灯型 |
設置年不詳~1945年(S20)
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東一番丁南部(旧大通り地区=大町通角~南町通角の間)の街灯
戦前>
* 設置年不詳(ただし、S7年の絵葉書(20-37 藤崎西館完成記念)では、1基4灯型の街灯が写る)
・ 同じ東一番丁のスズラン灯でも、中央通(大町通)角を境に街灯の形が違った
・ 大町角以南の通称「大通り」は統一され、4灯タイプ(上1、下3)で、「わかもと」の遠景の宣伝看板がついていた
* 1942年(S17)8月、東一番丁の街灯(スズラン灯約200本、約7万貫)も「愛国回収」と称して供出
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「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)P26
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20-37、20-45、22-55、53-38、22-59、夜景は99-019、52-01
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街灯(東一番丁南部 |
戦後 3灯型 |
1947年(S22)?~1954年(S29) |
戦後>
* 1947年(S22)?、街灯が復活(1基3灯型)
* 1954年(S29)、アーケード設置のため撤去
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「仙台年表」P217(河北新報 S29.7.28)
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16-42、98-013、55-04、55-03、20-01-01、18-34、18-04、18-08
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街灯(東一番丁・南町通角以南) |
戦前 5灯型 |
設置年不詳~1945年(S20) |
戦前>
* 設置年不詳
・ 1基5灯のスズラン灯は東一番丁(立町角以北)のとよく似ているが、上部アームのデザインが異なる
* 仙台空襲(S20年7月)で焼失
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53-89
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街灯(芭蕉の辻) |
戦前 1灯型 |
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戦前> 辻の西南角側に洒落た街灯が1本(明治40年代)
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99-022
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街灯(芭蕉の辻) |
戦前 5灯型 |
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戦前> 道の両側に真新しい(白い柱の)街灯が建てられた / 昭和3~4年頃の写真53-49「芭蕉の辻と市電芭蕉の辻線」には写る / 1基5灯型(四方へ4灯、上に1灯)
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53-49
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街灯(芭蕉の辻) |
戦前 |
~1945年(S20) |
戦前> 道両側に街路灯 / 芭蕉の辻の四隅は1基5灯型、その北(国分町方向)は道路の両側に1基4灯型(四方に4灯、上にはなし)、辻の南側は1基2灯型/ 仙台空襲(S20年7月)で焼失
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22-33、20-18、99-026、53-52、99-028、16-01、44-06、99-027
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街灯(南町) |
戦前 1灯型 |
1928年(S3)?~1945年(S20) |
戦前> 1基1灯型(柱の上に1灯) / 1928年(S3)の東北産業博覧会記念写真帳に写る「南町」に1基1灯型が写る/ 仙台空襲(S20年7月)で焼失
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東北産業博覧会記念写真帳に写る「南町」、53-95、44-90-01
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街灯(南町通り) |
戦前 2灯型 |
1928年(S3)?~1945年(S20) |
戦前> 1期2灯型(柱から左右へ2灯、アームが曲線) / 1928年(S3)の東北産業博覧会記念写真帳に写る「南町通り」には1基2灯型が写る)/ 仙台空襲(S20年7月)で焼失
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東北産業博覧会記念写真帳に写る「南町通り」、53-91、43-30
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街灯(南町通り) |
戦後 2灯型 |
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戦後> 柱から左右へ2灯(アームが直線)
/ 昭和26年にはまだ無かった(写真 20-02 、 16-45 )
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18-14、36-08
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街灯(南町通り) |
戦後 1灯型 |
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1959年(S34)~1965年(S40)頃の写真に写る
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201-12、201-13、201-14
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