分類項目 | 東一番丁(南部) |
タイトル | 東一番丁(大町通り角~青葉通り角) 俯瞰 |
写真番号 | 20-01-01 |
場所 | 仙台市東一番丁(大通り) |
映像内容 | 絵葉書「復興の仙台 仙台の中心地最も復興めざましい繁華街東一番丁」を複写 / 青葉通南西角(当時あった大一楽器店ビル)から見た東一番丁藤崎周辺 / 仙台空襲(昭和20年7月)で一面焼け野原になってから6年、この頃には急ごしらえのバラックも建替えられこの辺りでは戦災の傷跡は目立たなくなった / 道路両側には、戦前のように「スズラン灯」(戦後は1基3灯型)が復活、藤崎デパート屋上の展望台(昭和25年2月設置)が人をひきつけた(人影あり) / 画面手前は青葉通りとの交差点になり、右角の店は「森天祐堂」、左へ順にセトモノ店、電気器具店、食堂、岩間靴店、藤崎、大町交差点はさんで大内屋 / 遠くに「三越」(屋上に看板、東一番丁通り北部) / 森天祐堂屋上あたりや大内屋付近の路上には日章旗が掲げられている / 一方で、この界隈にも進駐軍専用の施設があった / 「藤崎」地下には進駐軍専用売店の「EXPORT BAZAAR」(写真 20-01-01 、 55-02-01 )、画面左下の「ひらつか」は(表示塔に「ON LIMITS RESTAURANT」とあるように)進駐軍専用のフードマーケット(1階)とレストラン(2階)だった / 路上中央にはアメリカ軍人の車がみらられ、日本がまだ米軍の「占領下」であった時代が垣間見える |
撮影年代 | 1951年(S26) |
撮影年代判定根拠 | 絵葉書「復興の仙台」8枚組(発行:昭和26年)のうちの1枚 |
関連情報/参考文献 | 【「藤崎170年の歩み」 P256】 昭和24年8月10日、外人専用売り場「エキスポートバザー」開設(26年12月まで) / 絵葉書は、戦後仙台と周辺部に最大で1万5千人いた進駐軍(米軍)関係者もみやげに買ったという 絵葉書提供者・渡邊慎也氏のコメント「青葉通り南西角(当時、大一楽器店ビル)から見た、東一番丁藤崎周辺。道路両側には“すずらん灯”が設置され、盛り場の雰囲気を醸し出している。デパートの展望台の繁盛に見られるとおり、この頃“東一番丁”は、いつも大ぜいの人々を引きつけていた。 右角の「森天祐堂」は今でも(注:1996年現在)健在。藤崎に向け、その間に「セトモノ店」「電気器具店」「洋菓子店(信用堂)」「食堂」「岩間靴店」と続いていた。 左角は「レストランひらつか」で、看板上部のON LIMIT( アメリカ将兵入場可)の表示は誇らしげである。路上中央をアメリカ軍人の車(ビュイックか?)が通り、仙台が“占領下”であったことを示している。」 |
備考 | |
カラー/モノクロ | モノクロ |
分類内の通し番号 | 26 |
画像ファイル名 | sendai110 |