分類項目 | 東一番丁(北部) |
タイトル | 東一番丁(三越付近 昭和戦前期) |
写真番号 | 47-06 |
場所 | 仙台市東一番丁(北部) |
映像内容 | ビルは「三越」 / その手前は「カフェ金の星」(角ばった白い建物 22-53 ) / 右の長屋は、裏にあった西本願寺が建てた長屋、数軒が借りて営業(店は、手前から京染の松葉屋、千葉髪結い) / 街灯は東一番丁通り(立町角以北)のスズラン灯(1基5灯型、電球傘は筒型) |
撮影年代 | 1933年(S8)~1941年(S16)の間 |
撮影年代判定根拠 | 「関連情報欄」参照 |
関連情報/参考文献 | 三越は、1933年(昭和8)年4月1日開店 / 【錦章堂主人談】 カフェ「金の星」は昭和16年に焼失し、そのあとに印舗の錦章堂が入った(「仙台老舗百店史」P68では、昭和15年) / 敗戦直後に首相になった皇族・東久邇宮稔彦王は、1933年(S8)8月 から11か月間、仙台の第二師団長を務めたが、「師団長の宮様もよく東一番丁の「金の星」にあらわれた。店の入り口に憲兵が立っているとまた来ておられるとうわさされた」(佐々久「近代みやぎの歩み」P81)/ 「夜側近が知らない間にどこかへいなくなることがあり、その時「金の星」にいっていた。多分お気に入りの女性がいたのだろう」と、当時の仙台市民は噂していた。 |
備考 | <青葉区・佐藤耕敏さんの思い出「納骨堂で肝試し」> 「三越裏にあった西本願寺は兵隊さんの慰霊のお寺なので、お墓が無い。(子どもの頃)納骨堂へ肝試しに入ったりした。」 [注]: 「西本願寺は、第二師団の殉職者のうち無縁仏を慰霊する役割も担っていた/明治16年、 仙台区東一番丁に本堂落成。明治43年、 洋風の本堂が落成。昭和20年、 仙台空襲により本堂など焼失。昭和29年、 仙台市元常盤丁(現・仙台市青葉区支倉町)に移転」(出典 【ウィキペディア「本願寺仙台別院」】 )/ <宮城野区・佐藤かず子さん(昭和7年生まれ)「昭和17~19年、英霊帰還の思い出」> 「私は東一番丁に住んでおり、当時東二番丁小学校(国民学校)の生徒で、仙台駅に兵隊さんのお骨が着くときは、生徒が大町通りの藤崎や三原時計店あたりに並んでお出迎えし、その行列は東一番丁に入って、三越隣の西本願寺に安置されました。 |
カラー/モノクロ | モノクロ |
分類内の通し番号 | 4 |
画像ファイル名 | sendai047 |