項目 |
小項目 |
年 |
内容 |
出典/参考資料 |
関連映像 |
国鉄(日本鉄道時代) |
東北本線 |
1887年(M20)~1906年(M39)10月 |
<日本鉄道時代>
* 1887年(M20)12月15日、開業
(当時は私鉄・日本鉄道で、塩釜まで開通)
* 同年12月20日、東京・仙台間の開通式挙行
* 1891年(M24)9月1日、仙台~青森間が開通
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「重訂 宮城県郷土史年表」P278/「仙台市史 年表」P86、P87
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仙台駅(戦前) |
開業 |
1887年(M20) |
* 1887年(M20)12月15日、日本鉄道の上野・仙台・塩釜間開通、あわせて仙台停車場が開業 (現・JR東北本線)
* 同年12月20日、東京・仙台間の開通式を挙行
<開業日、初列車は雪で3時間遅れで仙台着>
「その朝、東北地方の太平洋側は雪、仙台市内も真っ白だった。初列車は午前7時28分、6両編成で上野駅を出発、午後7時半ごろ仙台駅に到着する予定だった。ところが初代の大宮弥平駅長以下地元のお歴々、珍しもの見たさの市民たちが待てど暮らせど、その列車が姿を現さないのである。雪のため、越河(白石市)付近の坂を超えられず、いったん福島駅に逆戻り。そこで上り列車用の機関車を連結して馬力を倍増、あえぎあえぎ仙台駅にすべり込んだ時には、時計はなんと午後10時25分を指していた。つごう15時間かかったことになる。暗いランプが揺れる車内での難行苦行に、記念列車の山県有朋内務大臣らはブスッとした表情で降り立ち、また、歓迎人は景気づけの花火もすっかり打ち尽くしてしまい、寒さにガタガタふるえていたそうである。」(「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P130)
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「重訂 宮城県郷土史年表」P278/「仙台市史 年表」P86/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P130
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98-038
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芭蕉の辻の城櫓風建物 |
4棟の焼失年 |
1890年(M23)~1945年(S20) |
藩政時代以来芭蕉の辻の四隅を占めていた城櫓風の建物(白壁の櫓屋敷)は、明治年間に3棟が焼失、昭和20年の仙台空襲で残りの1棟も失われた
<芭蕉の辻の建物の焼失>
「重訂 宮城県郷土史年表」より
* 1890年(M23)1月14日、南東角(近江屋馬渕善吉商店)焼失
* 1890年(M23)5月25日、北東角(若松屋)焼失
* 1902年(M35)2月3日、南西角(田中時計店)焼失
「仙台市史10 年表」より
* 1890年(M23)1月14日、芭蕉の辻、東南部焼失
* 1890年(M23)5月25日、芭蕉の辻、東北部16棟焼失
* 1902年(M35)2月3日、芭蕉の辻、南西部焼失
<北西角焼失>
* 1945年(S20)7月10日、北西角(安田生命)は仙台空襲で焼失
<参考> 「仙台あのころこのころ八十八年」P21~23の「芭蕉の辻は悲し」(三原良吉)
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「重訂 宮城県郷土史年表」P285、P324/「仙台市史10 年表」P200、P201、/「仙台あのころこのころ八十八年」P238
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98-022
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芭蕉の辻商館 |
建築~焼失 |
1891年(M24)~1900年(M33) |
<芭蕉の辻(北東角)>
* 1890年(M23)5月25日、北東角(若松屋)焼失
* 1891年(M24)9月19日、北東角に「芭蕉の辻商館」完成、落成式(木造2階建外部漆喰塗でドーム屋根の塔)
* 1892年(M25)11月27日、芭蕉の辻勧工場(芭蕉の辻商館)内に、宮城県物産陳列場開設
* 1900年(M33)4月10日、「芭蕉の辻商館」焼失
* 1903年(M36)8月1日、跡地に「七十七銀行本店」が竣工(洋館)、落成披露宴開催
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「重訂 宮城県郷土史年表」P285/「仙台市史 年表」P87、P88/「仙台市史10 年表」P202、P218、P225/「明治の洋風建築~宮城県~」P113/粟野邦夫「芭蕉ノ辻」P3/「目で見る仙台の歴史」P135
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「明治の洋風建築~宮城県~」P113(芭蕉の辻商館)/「目で見る仙台の歴史」P135(芭蕉の辻商館と、同火災図)/「新・目で見る仙台の歴史」P133(火災図)
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郵便局 |
仙台鉄道船舶郵便局 |
1910年(M43) |
木造洋風2階建て
・「重訂 宮城県郷土史年表」P290に
* 1891年(M24)9月、「仙台鉄道郵便電信局」を仙台に設置
* 1910年(M43)4月、「仙台鉄道船舶郵便局」と改称
南町にあった仙台郵便局とは違う(粟野邦夫「芭蕉ノ辻」P28の南町の「郵便局」と建物が違う)(これとは別の場所にあった可能性がある)
【Wikipedia[仙台鉄道郵便局]】 日本の郵便局の種類の一つで、鉄道事業者に郵便車を運行させてこれに職員が乗務し、鉄道沿線の郵便局から継送される郵便物を輸送するとともに、郵便車内で郵便物をあて先地域別に区分する業務を行っていた / 仙台鉄道郵便局はおもに東北地方南部の区間を担当した
* 1910年(M43年)10月、「仙台鉄道船舶郵便局」(一等郵便局)を開局
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「重訂 宮城県郷土史年表」P290 / Wikipedia「仙台鉄道郵便局」
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99-099
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芭蕉の辻の洋館 |
七十七銀行本店 |
1903年(M36)~1929年(S4) |
・1900年(M33)に焼失した「芭蕉の辻商館」(芭蕉の辻・東北角)の跡地に七十七銀行が建設
・ ドイツ・ルネッサンス式純洋風建築で地下室付き2階建て、2本の3階建て塔屋をもつ
<「わしが国さ」第29号(昭和5年12月、仙台協賛会発行)P2掲載、小倉強著「仙台に於ける建築の変遷」(下)>
「明治35年2月起工、36年8月1日竣工。松崎という技師がドイツへ留学し習って帰って建てた。ドイツ風のルネッサンス式を模した純洋風建築。大体は石造りで、一部煉瓦を用い、屋根にはスレートを葺いてある。八角形の尖塔と四角錘の塔が屋根に変化を与え、ベランダあり塔あり、形の変化に苦心しております。特徴は屋根裏に室を有することと地下室があることであります。」
* 1902年(M35)2月、起工
* 1903年(M36)8月1日、竣工
七十七銀行が(旧)大町1丁目から本店を移転
* 1929年(S4)7月10日まで使用
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「重訂 宮城県郷土史年表」P328/「仙台市史 年表」P92/「わしが国さ」第29号(昭和5年12月、仙台協賛会発行)P2掲載の小倉強著「仙台に於ける建築の変遷」(下)
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99-021、99-022、99-024、99-025、53-49、43-27
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銀行(都市銀行) |
不動貯蓄銀行/日本貯蓄銀行/協和銀行 |
1912年(T9)/1945年(S20)/1948年(S23) |
<協和銀行仙台支店>
* 1912年(T1)8月1日、不動貯蓄銀行仙台代理店を南町通り36に開業
* 1945年(S20)5月13日、9大貯蓄銀行合同し、日本貯蓄銀行と改称(「重訂 宮城県郷土史年表」P504 / ただし、同P353では、9大貯蓄銀行合同は、1947年5月15日)
* 1948年(S23)7月15日、日本貯蓄銀行を普通銀行に転換して、協和銀行と改称
* 1953年(S28)12月、仙台支店を東一番丁南通り北西角に新築(仙台ビルヂング)し、東二番丁通りより移転(6階建て、仙台初の本格的な貸事務所ビル / 1階は東二番丁から移転した協和銀行が入居したほか、銀行協会、仙台手形交換所、弁護士事務所、会計士事務所、中央出先会社が入居 / この場所にあった飯田信七商店(小間物、化粧品の卸小売)は、卸町に移る(「番丁詳伝」P210)
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「重訂 宮城県郷土史年表」P353、P504、P528/「仙台市史 年表」P118/「番丁詳伝」P210/「仙台市史 特別編4 市民生活」P194
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東二番丁の協和銀行は、22-25、22-26、南町通移転後の協和銀行36-08 /「仙台市史 特別編4 市民生活」P194(仙台ビルディング)
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秋保電鉄 |
秋保石材軌道開通 |
1914年(T3) |
* 1914年(T3)10月、覗橋~茂庭間開通
* 1914年(T3)12月23日、秋保馬車軌道、長町~湯元(後の秋保温泉)間16キロが開通 / 秋保石(凝灰岩の一種)と旅客の輸送が目的 / 箱型の客車を馬が曳いて走った
・ 停車場は、長町、西多賀、鈎取、太白山、茂庭、北赤石、覗橋
・ 所要時間は1時間半
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「重訂 宮城県郷土史年表」P353/8「仙台年表」P189/「仙台市史 年表」P97 /「仙台きょうはなんの日」P201/「仙台市史 特別編4 市民生活」P198
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22-45 /「思い出のアルバム仙台」(カルダイ社 1980年刊)P51/「目で見る仙台の歴史」P156と「新・目で見る仙台の歴史」P147に「秋保馬車軌道」/同P156(秋保石の運搬)/「仙台市史 特別編4 市民生活」P198
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奈良原式鳳号 |
仙台で飛行を披露 |
1913年(T2) |
* 1913年(T2)11月15~16日、「大正2年、宮城野原に於いて飛行機(奈良原式)はじめて滑走しわずかに地上を離れたる程度なりき これを見物する為、数萬の群衆宮城野原に殺到す」
/「仙台市史 年表」P96には「大正2年9月22日、宮城野原練兵場で飛行大会開催」とあるが、日付が異なるので別の大会か?
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「重訂 宮城県郷土史年表」P356
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99-160、99-161、99-162
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精養軒 |
東一番丁の仙台支店 |
1923年(T12) |
* 1923年(T12)9月、精養軒仙台支店を東一番丁に設置
現在の三越付近にあった西洋料理店「弥生軒」(明治34年開業)の建物を引継ぎ営業 / 東北産業博覧会記念写真帳(昭和3年)掲載の「精養軒」が、「弥生軒」の写真と同じ
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「重訂 宮城県郷土史年表」P390 /「東北産業博覧会記念写真帳」/弥生軒については、「仙台市史 特別編4 市民生活」P84
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62-01/「目で見る仙台の歴史」P143に「弥生軒」
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宮城電鉄 |
国有化以前 |
1925年(T14)~1944年(S19)4月 |
* 1922年(T11)9月9日、宮城電気鉄道株式会社設立
・ 細倉鉱山の亜鉛精錬用電力の余剰分消費のため企画された
* 1925年(T14)6月5日、宮城電気鉄道(私鉄)が仙台~西塩釜間で運行開始、宮城電鉄仙台駅も開業
* 1927年(S2)4月、松島まで開通
* 1928年(S3)11月23日、石巻まで延伸開業(西塩釜~石巻間が開通)、30分おきに1両運転 / 女性車掌のオシボリのサービスもあり、松島観光や海水浴を宣伝した / 昭和恐慌の頃は展望車接続
* 1944年(S19)5月1日、宮城電鉄が国有化され、国有鉄道仙石線となる
<以降は、項目「国鉄(仙石線)」参照>
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「重訂 宮城県郷土史年表」P398/「仙台市史 年表」P101、P103、P104、P113/「新・目で見る仙台の歴史」P147/「仙台市史 特別編4 市民生活」P200
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「目で見る仙台の歴史」P156と「新・目で見る仙台の歴史」P147に、宮城電鉄/「仙台市史 特別編4 市民生活」P200(リーフレット「宮城電鉄沿線案内」)/同P523(戦前期?新田駅のプラットホーム)
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隅櫓 |
国宝指定 |
1931年(S6) |
* 1931年(S6)12月14日、大手門脇の隅櫓が国宝に指定された(大手門、霊屋にある瑞鳳殿、感仙殿とともに)
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「重訂 宮城県郷土史年表」P428
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99-081、65-08、08-02、53-44、73-01/「仙台城(仙台市教育委員会 昭和42年刊)」P249
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火災(地域) |
東一番丁大火 |
1933年(S8) |
<仙集館と東一番丁大火>
* 1933年(S8)3月20日早暁、東一番丁の活動写真館仙集館付近より出火し、52戸を焼く
* 仙集館→白崎写真館へ延焼→飛び火して、新国町界隈→国分町へ(51戸焼失、罹災戸数35)
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「重訂 宮城県郷土史年表」P434/「仙台年表」P232/「番丁詳伝」P131
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東一番丁大火(一番丁大火) |
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1933年(S8) |
* 1933年(S8)3月20日早暁、東一番丁の活動写真館仙集館付近より出火し52戸を焼く
* 仙集館→白崎写真館へ延焼→飛び火して、新国町界隈→国分町へ(51戸焼失、罹災戸数35)
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「重訂 宮城県郷土史年表」P434/「番丁詳伝」P131
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政宗卿騎馬像 |
建立 |
1935年(S10) |
「藩祖政宗公三百年祭」(S10年、没後300年)に先立ち、宮城県青年団員たちが資金を集め青葉山の天守台に建立した (完成した像は東京から仙台までトラクターで運搬)
* 1935年(S10)5月14日、青年団員たちがトラクターに乗せた騎馬像とともに仙台市内を行進し、青葉山天守台まで運んだ
* 同年5月23日、除幕式(三百年祭の行事としてに盛大に行われた) (「仙台城)」P234)
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「重訂 宮城県郷土史年表」P445/「仙台市史 年表」P108/「仙台城(仙台市教育委員会 昭和42年刊)」P234
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青年団による騎馬像運搬は、44-77、44-78、44-79、44-80、44-81、44-95、44-82、44-83 / 像は99-116、53-87、「目で見る仙台の歴史」P159
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霊屋橋(広瀬川) |
コンクリート橋に |
1935年(S10) |
仙台市の失業救済事業で架け替えられた
* 1934年(S9)8月20日、起工式
* 1935年(S10)4月17日、鉄筋コンクリートのアーチ橋が竣工(「仙台年表」では8月)、橋長65.2m、橋幅8m
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「重訂 宮城県郷土史年表」P445/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P410/「仙台市史10 年表」P283、P285/「仙台市史 年表」P107/「仙台年表」P206
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コンクリート橋は、34-29、53-108/「目で見る仙台の歴史」P167/「新・目で見る仙台の歴史」P208/「仙台市史 特別編4 市民生活」口絵図53(H8年)
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仙台市公会堂(戦後) |
落成~取壊し |
1950年(S25)~1971年(S46) |
・ 戦後、音楽、演劇、集会など仙台市民の文化活動はこの公会堂を中心に展開され、各種の文化団体が育っていった
・ 大ホールは1300席、集会室、展示場などもあり、結婚式にも利用された
* 1946年(S21)10月、西公園緑地内(元常盤町)に建設(収容1500人)(「重訂 宮城県郷土史年表」P514)→<編者注>計画ということか?
* 1949年(S24)11月、着工(「仙台市史10 年表」P322)
* 1950年(S25)12月17日、元常盤町(西公園内)に完成、落成式(大ホール2000人収容、展示室、集会室) / 鉄筋鉄骨コンクリート2階建て、913坪 / 仙台市公民館が同公会堂内に移転
・こけら落としは、仙台市能楽協会が寄付した組み立て式能舞台を使って、仙台藩の流派であった喜多流家元一行による演能で、喜多六平太が「羽衣」を舞った
* 1951年(S26)春、アメリカのピアニスト・メニューヒンが外国人演奏家として戦後最初に来仙し演奏
* 1956年(S31)2月2日、ウィーン少年合唱団公演
* 1957年(S32)11月21日、ベルリン交響楽団公演
* 1971年(S46)、取壊し
* 1973年(S48)、跡地に仙台市民会館完成
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「重訂 宮城県郷土史年表」P514、P546/「仙台市史10 年表」P322、P324/「目で見る復興 まちの今昔」P57/「新・目で見る仙台の歴史」P179/「仙台市史 年表」P117/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P202/「目で見る仙台の歴史」P184
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18-07-01、18-07-02/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P274の写真87/「目で見る仙台の歴史」P184(公会堂と、公演したウイーン少年合唱団、ベルリン交響楽団)/「市民の戦後史(仙台市)」P68(公会堂)/「新・目で見る仙台の歴史」P179(公会堂)/「仙台市史 特別編4 市民生活」P267
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日乃出映画劇場 |
改築開場 |
1950年(S25) |
* 1950年(S25)12月、映画館ビルとして改築され、日乃出地下映画劇場を併設(東五番丁26)
* 1950年(S25)12月、日乃出劇場(三和興業、700席)を東五番丁17に開設
/ この月はこのほかに、文化劇場再開(東一番丁、松竹、943席)、仙都劇場(東三番丁、大映、888席)と銀映画劇場(旅籠町、200席)もオープンした
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「重訂 宮城県郷土史年表」P546
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22-18
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映画館(戦後) |
仙都劇場 |
1950年(S25) |
* 1950年(S25)12月25日、仙都劇場開館
場所は、青葉通りの東三番丁交差点の東北角(東三番丁40)
開館は、戦後新設された青葉通りが貫通した年
「仙台映画大全集」の記述 →「大映封切館で、1階~2階までスロープ状に888席あり、ゆったりとしていた」
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「重訂 宮城県郷土史年表」P546/「仙台映画大全集」
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53-83(夜景)/「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P23(S33)
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駐留軍(米軍) |
川内、苦竹両キャンプ返還 |
1957年(S32) |
* 1957年(S32)11月13日、川内と苦竹の両キャンプの土地が返還され、進駐軍、駐留軍時代の県内米軍基地は返還完了
* 1957年(S32)11月13日、二の丸跡、米軍より返還(「仙台城」P236) / 同日に川内返還式(「目で見る仙台の歴史」P195)
・川内キャンプ跡は、東北大学と開拓者と仙台市有に分けられ、苦竹キャンプ跡は、自衛隊に3分の2、残り3分の1は工場用地とされた
<その後の、在日米軍施設>
* 1976年(S51)10月30日、在日米軍司令部が、仙台市国見通信所施設返還を通知
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「重訂 宮城県郷土史年表」P557、P586/「仙台市史 年表」P120/「続・ 宮城県郷土史年表」P60/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P801/「仙台城(仙台市教育委員会 昭和42年刊)」P236
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「目で見る仙台の歴史」P195(川内キャンプ返還式で日章旗掲揚)
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国鉄(東北本線) 4 |
電化 |
1961年(S36)/1965年(S40)/1968年(S43) |
* 1956年(S32)8月3日、上野~仙台間の電化起工式
* 1958年(S33)4月14日、上野~宇都宮間の電化完成
* 1961年(S36)3月1日、上野~仙台間の電化完成(S31年8月起工)
(菅家年表では、1961年(S36)5月1日東京~仙台間電化され特急電車が走る)
* 1965年(S40)10月1日、仙台~盛岡間の電化完成
* 1967年(S42)10月1日、東北本線、岩沼~福島駅間が複線電化して開通 / 同日に、東北本線特急の東京駅乗り入れも実現
* 1968年(S43)10月1日、青森まで東北本線全線電化完成
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「重訂 宮城県郷土史年表」P582、P588、P599、P621、P635、P643/「仙台市史 年表」P121、P124/「仙台駅前商店街振興組合の歩み」(年表)/菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P55、P62
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政宗卿騎馬像 |
戦後の復元 |
1964年(S39) |
* 1953年(S38)5月31日、仙台市観光協会が、政宗公騎馬像の復元を決める
* 1964年(S39)10月9日、復元騎馬像除幕式
・ 仙台観光協会が1700万円をもって政宗公の旧銅像を鋳型(元の原型)により再鋳造し、旧位置(青葉城本丸)に再建して除幕式を挙行
・ 市役所内に再建委員会が設けられ、島野市長が委員長となって広く募金 / 原型は、製作者小室翠雲の郷里柴田町船岡に保存されていた(「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P185)
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「重訂 宮城県郷土史年表」P608、P616/「仙台市史 年表」P123/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P185
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「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P185の写真51と、「市民の戦後史(仙台市)」P158に「復元なった騎馬像」/「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P85(S39)
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青葉神社 |
認可/本殿完成、鎮座祭 |
1874年(M7) |
* 1973年(M6)、藩祖政宗公の霊を敬うため旧家臣が中心になり願い出て、M7年1月認可、M7年6月25日に県社となる
* 1874年(M7)11月11日、本殿拝殿などが完成、11月16日に鎮座祭
* 1927年(S2)、社殿新築完成
* 1935年(S10)、政宗公三百年祭が盛大に行われた
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「青葉神社」HP/「宮城県百科事典」P5~6/「仙台市史 年表」P80、P81/「目で見る仙台の歴史」P166
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99-132、99-133/「目で見る仙台の歴史」P166/「いつか見た街・人・暮らし」P26(大正14年5月24日青葉神社祭典)/「目で見る仙台の歴史」P109と「新・目で見る仙台の歴史」P132に「明治15年の青葉神社大祭典神幸式之図」
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自動車など各種車両台数 |
自動車と人力車(全国)大正・昭和の台数 |
T1、T4、S3 |
<「生活の変わりようをみる昭和の年表」P9>
・ 全国の自動車台数
1922年(T1)、760台
1928年(S3)、6万台
・ 全国の人力車
1922年(T1)、12万7千台
1928年(S3)、 6万2千台
<「日録20世紀 1915年」P35>
・ 全国の自転車
1915年(T4)年末、62万台、
・ 全国の人力車
1915年(T4)年末、12万台
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【菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P9/「日録20世紀 1915年」P35
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商店など |
仙台会館 |
1931年(S6) |
* 1931年(S6)、仙台会館、旧・大町五丁目20で創業 / 洋食・カフェー
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あきんどの町-おおまちに至るまでの四百年」P107
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20-49
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三原時計店 |
大町の店、取壊し |
1927年(S2) |
* 1927年(S2)、大町の店(時計塔のある土蔵造)を取り壊し、その跡にハイカラな時計塔のある店を新築
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あきんどの町-おおまちに至るまでの四〇〇年-」P217/「古写真にみる仙台の建築」P43
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宮城県物産陳列場/商品陳列所 /商工奨励館 |
(2)宮城県商品陳列所 |
1921年(T10)~1935年(S10) |
<名称の変更年>
* 1921年(T10)11月11日、宮城県物産陳列場を宮城県商品陳列所に改称
(編者注: 以下のハの改称年は間違い)
・イ →「物産陳列場をT10年11月に商品陳列所と改称、発明部と図案部を設置」
・ロ → 「T10年11月に宮城県商品陳列所と改称」
・ハ → 「T14年11月に商品陳列所に改称」
・ホP100 → 「T10年11月11日、宮城県物産陳列場、宮城県商品陳列所に改称」
<建物の改築年><工業試験場併設年>
* 1923年(T12)か1924年(T13)、商品陳列所の建物を改築
* 1924年(T13)か1925年(T14)、宮城県工業試験場を併設
・イ → 「建物はT11年改築開始し、構内に「県工業試験場」併設しT13年落成」
・ニ → 「T12年建築、宮城県物産陳列所、木造2階建」
(編者注:商品陳列所の間違いと思われる)
・ホP103 → 「T14年8月8日、宮城県商品陳列所に設置された宮城県工業試験場の落成披露式」
<位置図>
「写真98-055」(県庁構内と付近の建物配置図 昭和6年)
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イ、「宮城県商工奨励館年報 昭和10年度」
ロ、「重訂 宮城県郷土史年表」P382
ハ、七十七銀行「七十七年史」の年表(渋沢社史データベースで確認可)
ニ、「古写真に見る仙台の建築」のP42
ホ、「仙台市史 年表」P100、P103
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・「目で見る仙台の歴史」P139に、「県内初の自動車の背景に物産陳列所(明治末期)」
・改築後の建物は、
(1) 写真22-36
(2)「宮城県の百年」P36に、「宮城県図書館」と「改築後の物産陳列場」の写真
(3)「古写真に見る仙台の建築(東北大学建築学報第34号)」P42
(4)「宮城県商品陳列所年報 昭和3年度」
(5)「市民の戦後史(仙台市)」P20
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宮城県物産陳列場/商品陳列所 /商工奨励館 |
(1)宮城県物産陳列場 |
1901年(M34)~1921(T10) |
<開設年>
* 1901年(M34)11月7日、宮城県物産陳列場が開場
・ イ →「物産陳列場は、M34年11月7日開場式、陸軍東北大演習御統監のため明治天皇来仙にあわせた」
・ ロ →「宮城県物産陳列場はM34年建設」
・ ハ →「M34年11月7日設置」
・ ホP91 →「M34年11月7日、宮城県物産陳列場、県庁南隣に新築開場」
<参考>
「近代日本〈陳列所〉研究」
(三宅拓也 著 思文閣出版 2015.2)(国立国会図書館蔵)には、
・ M25年~31年3月に芭蕉の辻商館3階におかれた「物産陳列場」
・ 勾当台の「物産陳列場」「商品陳列所」につき記述
(原典は仙台市史)
・ 各写真と「商品陳列所の平面図」あり
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イ、「宮城県商工奨励館年報 昭和10年度」/ロ、「重訂 宮城県郷土史年表」P323 /ハ、七十七銀行「七十七年史」の年表(渋沢社史データベースで確認可)/ホ「仙台市史 年表」P91/「近代日本〈陳列所〉研究」 (三宅拓也 著 思文閣出版 2015.2)
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改築前の「物産陳列場」は、99-090/ 「東宮行啓記念宮城県写真帖」1908年にもある
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宮城県物産陳列場/商品陳列所 /商工奨励館 |
(3)宮城県商工奨励館 |
1935年(S10)~1941年(S16) |
<名称変更年>
* 1935年(S10)2月8日、宮城県商品陳列所を宮城県商工奨励館と改称(出典:「宮城県商工奨励館年報 昭和10年度」)
・イ →「昭和10年2月8日、宮城県商工奨励館と改称」
・その他の資料から
1) 宮城県商品陳列所があった位置に、昭和11年地図では「商工奨励館」がある
2)仙台市大観(東北産業協会 昭和10年4月印刷、5月発行)P5の市内官公衛一覧には「宮城県商品陳列所」
3)「仙台の産業と観光」(仙台市役所、昭和11年刊)P87の官公署其他の表に、宮城県商工奨励館(勾当台通)があり、商品陳列所がない
* 1941年(S16)2月、商工奨励館、物産陳列を廃止(「仙台市史10 年表」P300)
* 1944年(S19)12月10日、旧商工奨励館と日本発送電東北支店などが全焼(「仙台市史10 年表」P308)
<建物は>
・ 宮城県商品陳列所の建物を引継ぐ
「躍進宮城第3輯(昭和12年、産業時報社)(国会図書館蔵)の記述「宮城県産業奨励館は県産品、発明品、参考品を多数陳列し、毎年観覧者12~13万人、東京、大阪に販売斡旋所を設置」 (編者注:商工奨励館の間違いと思われる)
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イ、「宮城県商工奨励館年報昭和10年度」(国会図書館蔵)/「躍進宮城第3輯(昭和12年、産業時報社)」(国会図書館蔵)/昭和11年の「仙台市地図」/「仙台市大観」P5/「仙台の産業と観光」P87/「仙台市史10 年表」P300、P308
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ユニオンビール |
発売開始 |
1922年(T11) |
* 1922年(T11)4月3日、日本麦酒鉱泉が発売開始
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キリンHP「日本のビール歴史年表」
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ユニオンビール看板が、53-67、99-026、44-10、99-003に写る
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軍都・仙台 |
第二師団御用達の店(軍関係者、兵士がよく利用した店を含む) |
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<調査中 資料未完成>
<昭和3年刊「東北産業博覧会写真帳」掲載写真に「陸軍御用達」の記載ある店>
・ パリーヤ洋服店(元寺小路101) 看板に「第二師団、偕行社指定」/軍服
・ 高新もちや(南町) 創業1869年(M2)、第二師団各隊御用、宮城師範学校御用 / 「番丁詳伝」P97では、「東一番丁2丁目、創業は奥州街道に沿う南町で明治2年、片平丁に仙台第二高等学校が開校し、さらに仙台に多くの兵舎が建てられてからは多くの若い人たちが名物のお汁粉を求めての門前市をなし「軍隊餅屋」の名でしられており、昔のあんもちの味を続けている。」
・ 日進堂(南町、和洋菓子、パン製造) 陸軍、鉄道局、逓信局、東北大学各学校諸官衙御用達
・ 須賀川酒造仙台支店(荒町26) 陸軍御用
<「番丁詳伝」などから>
・ 大町(通り)は、川内に兵舎が多く並んでときには、兵隊さんの往来で賑わい、除隊記念品を販売する店も目を惹いた(「番丁詳伝」P81)
・ 製麺製造所 日進堂本店(名掛丁)、日進堂増設販売所(新伝馬町)
・ 大平商店(大町2丁目) 酒味噌醤油飴たばこ小間物
・ 大武写真館(東一番丁) 1903年(M36)開業、日露戦争の頃第二師団御用写真館の指定をうけ軍人の来客多く門前市をなす状況(「番丁詳伝」P31)
・ 村上屋餅店(戦前は柳町の大日横丁) 1877年(M10)、創業 / 兵隊さんに人気の店、学生たちの集まりや送別会などでもよく使われた / 大日様をお詣りしての帰りには、必ずお土産にするのが習いという郷土名物おはぎやダンゴが人気 / その後、北目町に移転した
・ やぶや本店(大町2丁目、蕎麦屋)「1890年(M23)に、大町2丁目に移る / 川内の兵舎から外出する兵隊も多く利用した」(「番丁詳伝」P37)
・ 大久そば(東一番丁)「東京風のそばで、旧制仙台二高生や軍人などなじみ客で賑わい、また七夕まつりの日などは客止めをするほど人気の店だった。」(仙台老舗百店史)
・ ブラザー軒(洋食)「特に第二師団関係者が多く利用した」(「番丁詳伝」P36)
・ 武田洋服店 明治初期、大町1丁目で軍の御用商人として、軍服、生地の卸業/M43年、新伝馬町へ/S10年、大町5丁目へ、既製服専門店(「おおまち」P209)
・ 東京屋カバン店 T9年、東一番丁北部で開業/S6年、新伝馬町70に移転(軍隊行李や軍用靴を第二師団や連隊に納入)/S20、戦災で山本丁21へ/S22、大町5丁目へ出店(「おおまち」P210)
・ 横山輪業商会 大正9年創業 / 北海道・東北を販路として東北唯一、全国でも五指に数えられる営業 / 戦前は軍御用となった(「番丁詳伝」P209)
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・「仙台市史 特別編4 市民生活」P46の図45(仙台市商工業連合会広告)
・「仙台市史 特別編4 市民生活」P47の図46(広告団扇)/「番丁詳伝」P31、P37、P81、P97、P209/「あきんどの町-おおまちに至るまでの四〇〇年-」P209~210
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18-35(村上屋餅店)/61-14 (だい久そば店)/61-19(やぶや本店)/61-21(高新餅屋)/ 62-14(ブラザー軒、軍人客と仲居さんたち)/61-22(日進堂)
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七十七銀行 |
本店の変遷 |
1878年(M11)~ |
1) 1878年(M11)、第七十七国立銀行、(旧)大町一丁目で創業
2) 1903年(M36)8月11日、芭蕉の辻東北角
(ドイツ・ルネッサンス式純洋風建築)
3) 1929年(S4)8月11日、芭蕉の辻西南角から南へ2軒目(大町4丁目75、旧宮城商業銀行跡)へ移転
・1945年(S20)7月10日、仙台空襲で被害
・1947年(S22)11月26日、修理及び増築工事進行し第一新館落成
・1950年(S25)3月7日、第二新館落成
・1954年(S29)1月18日、第三新館落成
4) 1958年(S33)10月13日、東二番丁通・広瀬通東北角に新築移転 / S33年10月13日、芭蕉の辻支店を新設開業
5) 1977年(S52)9月、東二番丁通・青葉通東南角へ新築移転
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七十七銀行HP/「仙台市史10 年表」P273/「仙台市史 年表」P120、P131/「重訂 宮城県郷土史年表」P328、P416、P522、P589
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2)は、99-021、99-022/「仙台市史 特別編4 市民生活」P138/「目で見る仙台の歴史」P135に、「芭蕉の辻角の本店内部執務風景」
3)は、99-028(左端のビル)
4)東二番丁通・広瀬通東北角の本店は、「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P737、「目で見る仙台の歴史」P193、「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P33(昭和30年代初め頃)、同P87(S41)
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三原時計店 |
空襲で焼失 |
1945年(S20) |
* 1945年7月10日、仙台空襲で、大町の店舗を焼失
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三原本店HP
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三原時計店 |
国分町で創業 |
1887年(M20) |
<国分町の建物>
* 1887年(M20)3月、仙台市国分町(肴町角)に創業開店(三原本店HP)、戦後の徳陽シティー銀行の場所
* 1887年(M20)、三原時計店が国分町で時計塔付の建物を建設し開業(M22年開業説もある)(「目で見る仙台の歴史」P118では、明治18年)
* 1889年(M22)、国分町に時計塔のある洋風建築を建設(「古写真にみる仙台の建築」P43)
* (M29年に三原時計店が大町に移転後、建物は大正信託、第八銀行が使用した)
* 時計塔の文字盤には、1915年(T4)にはすでに針が無く、模様が描かれている
* 1921年(T10)、国分町の旧三原時計店の建物は取り壊された(「古写真にみる仙台の建築」P43)
<編者注> 「あきんどの町-おおまちに至るまでの四〇〇年-」P217や「仙台老舗百店史の三原本店」の記述では、1896年(M29)に大町へ移転と記載されているが、「仙臺市名家及實業家一覧圖」(明治34年地図)では、地図上も同裏面の実業家一覧表でも、三原時計店はまだ「国分町肴町角」となっている
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三原本店HP/「あきんどの町-おおまちに至るまでの四〇〇年-」P217/「仙台老舗百店史」P208、P217/「古写真にみる仙台の建築」P43
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77-21、44-19、99-022 /「仙臺市名家及實業家一覧圖」(明治34年地図)に当時の三原時計店(国分町五丁目)の写真あり
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三原時計店 |
(旧)大町5丁目へ移転 |
1896年(M29) |
<三原本店HP>
* 1896年(M29)3月28日、(旧)大町5丁目(現在一番町3丁目)に移転、建物もこの年に設置
<「あきんどの町-おおまちに至るまでの四〇〇年-」P218>
「初代三原庄太が米沢から仙台へ進出、M20国分町・肴町角に時計店開業。1896年(M29)に仙台駅寄りの人の流れや商店街の移り変わりを見越して、大町五丁目に移転。 1903年(M36)に土蔵の店舗の上に(国分町時代と同じく)時計塔をおいたが、1927年(S2)に取り壊し、さらにハイカラな時計塔ある店舗を新築したが、1945年(S20)の仙台空襲で焼失した」
<「仙台老舗百店史」P208、P217>
「時計の三原本店はM20年、山形県米沢から、国分町肴町角に進出開業、M29年3月28日に大町五丁目に移転した/ どちらでもそっくりの時計塔を造っている」
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三原本店HP/「あきんどの町-おおまちに至るまでの四〇〇年-」P217/「仙台老舗百店史」P208、P217/「古写真にみる仙台の建築」P43
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43-25、22-57
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三原時計店 |
大町の店、時計塔設置 |
1903年(M36) |
* 1903年(M36)、大町の店に時計台をあげる(三原本店HPの掲載写真記載メモ)
* 1903年(M36)、大町の店に時計塔設置(「古写真にみる仙台の建築」P43/「あきんどの町-おおまちに至るまでの四〇〇年-」P217)
* 1905年(M38)3月、店舗屋上に4面塔時計台を設置(三原本店HPの年表)<編者注>写真記載メモと設置年が違う
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三原本店HP/「東北大資料」P43/「あきんどの町-おおまちに至るまでの四〇〇年-」P217/「古写真にみる仙台の建築」P43
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「いつか見た街・人・暮らし」P36(三原時計店内部、大正4年)
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三原時計店 |
戦後 |
1846年(S21)~ |
* 1846年(S21)6月、新築開店
* 1953年(S28)2月、株式会社三原本店と称し法人組織に
* 1968年(S43)12月、(旧)大町5丁目内で移転(現・一番町3丁目2-23に移転)、地下1階地上3階
* 1978年(S53)、増築
* 1987年(S63)3月、創業100周年
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三原本店HP/あきんどの町-おおまちに至るまでの四〇〇年-」P217
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仙台国際センター |
開館 |
1991年(H3) |
<仙台国際センターHPより要約>
・ 仙台国際センターは「会議棟」「展示棟」で構成され、一体利用することで6,000人規模の大規模催事が開催可能 / 外観は、仙台城跡・脇櫓の近くという立地条件から城のイメージを現代風にアレンジ、各会議室内の天井も青葉山の山並みや仙台湾のさざ波などがイメージされている / 無柱の展示室(3000㎡)、1,000名収容の大ホールや展示・レセプションホール、大・中・小会議室、市民が自由に出入りできるフリースペースがある / 北側の「せんだい青葉山交流広場」は、イベント会場や駐車場として利用可能(約19,000㎡)
* 1991年(H3)9月、仙台国際センターが開館(川内の青葉山公園内に)(3月に会議棟完成)
* 2015年(H27)、展示棟が完成
* 2015年(H27)12月、仙台市営地下鉄東西線「国際センター駅」開業
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仙台国際センターHP「施設ガイド」
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隅櫓 |
空襲で焼失 |
1945年(S20) |
* 1945年(S20)7月10日、仙台空襲で大手門と共に焼失
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仙台市HP
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名誉市民 |
仙台市 |
1949年(S24)~ |
* 1949年(S24)5月2日、本多光太郎、志賀潔、土井林吉(晩翠)
* 1956年(S31)7月16日、熊谷岱蔵、槇有恒
* 1959年(S34)6月10日、村上武次郎、阿部次郎、増本量、野副鉄男
* 1961年(S36)6月10日、内ケ崎贇五郎
* 1964年(S39)6月10日、一力次郎、黒川利雄、
* 1969年(S44)6月10日、千嘉代子
以上の諸氏の経歴詳細は、「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P230~244
* 1977年(S52)6月10日、菊池養之輔、加藤多喜雄
* 1984年(S59)6月10日、西沢潤一
* 1989年(H1)6月10日、石田名香雄
* 1996年(H8)7月1日、杉村惇、加藤陸奥雄
* 2004年(H16)7月5日、小田滋、一力一夫
* 2016年(H28)7月7日、岩崎俊一
~以上、2016年現在~
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仙台市HP(仙台市名誉市民一覧)/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P230~244/「仙台年表」P219/「仙台市史10 年表」P321/「重訂 宮城県郷土史年表」P534、P582、P592、P600、P614、P649/「続・ 宮城県郷土史年表」P69、P177
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「目で見る仙台の歴史」P174(昭和24年、第1回推戴の、志賀、土井、本多各氏)/同P187(第2回推戴の熊谷岱蔵博士)/同P197(第3回推戴の村上、増本、野副、阿部各氏)/「市民の戦後史(仙台市)」P135(第4回推挙の内ケ崎贇五郎氏)/同P155(第5回推挙の一力次郎、黒川利雄両氏)
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ひとにやさしいまちづくり条例 |
制定 |
1996年(H8) |
* 1996年(H8)6月、仙台市が、「ひとにやさしいまちづくり条例」制定
・ 「公益的施設」(社会福祉施設、官公庁の施設、医療施設、宿泊施設、理容、飲食店、体育館、映画館等)は、工事の際、施行規則に定める整備基準に適合させる
・ 「指定施設」(公益的施設のうち特に福祉整備が必要となる施設)では、建築等の際に事前届出が必要
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仙台市HP「ひとにやさしいまちづくり条例」
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震災遺構 |
公開 |
2017年(H29) |
* 2017年(H29)、東日本大震災の震災遺構として、仙台市立荒浜小学校公開
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仙台市HP「仙台市のあゆみ」
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文化財指定(平成年間) |
国宝、史跡、ユネスコ記憶遺産、日本遺産 |
平成年間 |
* 2001年(H13)、「慶長遣欧使節関係資料」、国宝指定
* 2003年(H15)、「仙台城跡」、国史跡指定、
* 2006年(H18)、「仙台郡山官衙遺跡群」、国史跡指定
* 2012年(H24)、 国宝「慶長遣欧使節関係資料」がユネスコ記憶遺産登録
* 2016年(H28)、「政宗が育んだ“伊達”な文化」が、日本遺産認定
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仙台市HP「仙台市のあゆみ」
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仙台市の特徴ある条例・宣言・憲章・事業 |
防災都市宣言 |
1979年(S54) |
* 1979年(S54)、防災都市宣言(前年1978年(S53)6月12日に、宮城県沖地震)
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仙台市HP「仙台市のあゆみ」
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東北絆まつり |
第1回 |
2017年(H29) |
* 2017年(H29)、東北絆まつり(第1回)を仙台で開催
東北六魂祭開催地が6年間(2011~2016年)で各県を一巡したあと、その後継のまつりとして2017年から開催 / 2020年(R2)は5月に山形で開催予定だったが、新型コロナウィルスの影響で、延期となる
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仙台市HP「仙台市のあゆみ」
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音楽コンクール |
仙台国際音楽コンクール |
2001年(H13) |
* 2001年(H13)、第1回仙台国際音楽コンクール、開催
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仙台市HP「仙台市のあゆみ」
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スポーツ大会 |
ねんりんピック |
2012年(H24) |
* 2012年(H24)、年輪ピック宮城・仙台2012、開催
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仙台市HP「仙台市のあゆみ」
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スポーツ大会 |
仙台カップ・国際ユースサッカー大会 |
2003年(H15) |
* 2003年(H15)、第1回仙台カップ・国際ユースサッカー大会、開催 / 2010年(第8回大会)まで開催、2011年大会は東日本大震災の影響で開催が中止、以後も休止状態 / 会場は「仙台スタジアム」(2006年から会場名が「ユアテックスタジアム仙台」) /
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仙台市HP「仙台市のあゆみ」/Wikipedia「仙台カップ・国際ユースサッカー大会」(2020年4月)
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仙台市営地下鉄 |
東西線開業 |
2015年(H27) |
八木山動物公園駅~ 荒井駅間、計13.9km
* 2005年(H17)4月25、地下鉄東西線工事施行が許可
* 2007年(H19)11月、本体工事着工
* 2015年(H27)12月6日、開業
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仙台市HP「仙台市のあゆみ」/Wikipedia「仙台市地下鉄」
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仙台空港アクセス鉄道 |
開業 |
2007年(H19) |
* 2007年(H19)3月18日、仙台空港アクセス線 (通称、仙台空港アクセス鉄道)、開業
JR仙台駅と仙台空港とを最短17分で結ぶ鉄道路線で、次の2路線から構成される
・ 仙台駅~名取駅は、JR東日本東北本線
・ 名取駅~仙台空港駅は、仙台空港鉄道仙台空港線
JR東日本と仙台空港鉄道が、仙台駅~仙台空港間で相互乗り入れ
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仙台市HP「仙台市のあゆみ」/Wikipedia「仙台空港アクセス線」(2020年8月)
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