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国分町通り ~芭蕉の辻から北方向を俯瞰~ (明治40年前後)
国分町通り ~芭蕉の辻から北方向を俯瞰~ (明治40年前後)

分類項目 国分町 
タイトル 国分町通り ~芭蕉の辻から北方向を俯瞰~ (明治40年前後) 
写真番号 44-19 
場所 仙台市国分町
映像内容 絵葉書「仙臺 仙臺市街(中央)の全景」より複写 / 時計塔があるのは元三原本店(時計店、明治20年建設、時計店が明治29年に大町五丁目に移転後は、大正信託、のちに第八銀行が使用した)
/ 写真 77-21 (撮影:明治36~38年の間)とほぼ同じだが、違いは、(1)右手前の屋根左に「仁丹の看板」ができた / (2)時計塔の5軒先が黒く見える壁から白壁になった / (3)そこから道をへだてて右側の白壁の建物みえなくなった) / 電話柱の腕木本数が15本で、写真 77-21 より1本多い 以上から撮影は、77-21より後の時期になる 
/【粟野邦夫「芭蕉ノ辻」P20】 →「この大礼服でデザインされた「仁丹マーク」は、日露戦争翌年の明治38年2月11日に発表された」
撮影年代 1905年(M38)2月~1909年(M42)7月の間 
撮影年代判定根拠 ①仁丹は、1905年(明治38年)2月に「懐中薬」として発売された
②同じ絵葉書がhttp://www.kodokei.com/ot_029_7.html では、「明治42年8月8日消印あり」と記載されている
関連情報/参考文献 <三原本店>
 【「仙台老舗百店史」P208】  時計の三原本店は明治20年、山形県米沢から、国分町肴町角に進出開業、明治29年3月28日に大町五丁目に移転した
/ 元三原時計店の時計塔は大正4年消印ある絵葉書では、文字板に針はなく越後屋菓子店の?商号らしきものが描かれている http://www.kodokei.com/ot_029_7.html
 
この写真(44-19)と、 44-1744-2044-2144-2244-2344-24 の7枚は同じ組(セット)の絵葉書なので、撮影年が同じ時期(明治38年8月~42年7月の間)
備考  
カラー/モノクロ モノクロ 
分類内の通し番号
画像ファイル名 sendai2058 
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