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国分町通り ~芭蕉の辻から北方向を俯瞰~ (明治37年ころ)
国分町通り ~芭蕉の辻から北方向を俯瞰~ (明治37年ころ)

分類項目 国分町 
タイトル 国分町通り ~芭蕉の辻から北方向を俯瞰~ (明治37年ころ) 
写真番号 77-21 
場所 仙台市国分町
映像内容 「おむらさん」(1905年=明治38年に東北学院のシュネーダー院長夫人が出版)に掲載された写真
/ 時計塔があるのは元三原本館(三原時計店、明治20年建設、時計店が明治29年に大町五丁目に移転後は、大正信託、のちに第八銀行が使用した) / そこから左へ入る通りは肴町 / 当時の電話柱(右側)と電柱(左側)が見える / 電話柱の腕木本数が14本(七十七銀行開店時の明治36年8月の15本より少ない) / 右上に、県会議事堂や仙台市役所 98-056 が見えると、「新・目で見る仙台の歴史」P123に記述あり →要確認 / 奥の山並みは七ツ森
撮影年代 1903年(M36)8月~1905年(M38)の間 
撮影年代判定根拠 ①俯瞰写真なので、高さから「七十七銀行本店」(明治36年8月に竣工した洋館 99-021 )からの撮影と思われる
②「おむらさん」出版の1905年(明治38)以前
関連情報/参考文献  【 Wikipedia「電話」のうち項目「日本における電柱(歴史)】 →「この時代の電信電話は真空管の発明以前でもあり、多重通信の技術はほとんど存在せず、1回線につき1本の通信線が必要であった。 そのため1本の電信電話柱に数十本の架線がなされていた」
 【「明治の洋風建築~宮城県~」P114】 明治33年に焼失した「芭蕉の辻商館」(芭蕉の辻・北東角明治24年建築~明治33年4月10日焼失)跡に「七十七銀行」が新築されたのは明治36年
 【「重訂 宮城県郷土史年表」P320】 仙台市内の電話交換開始は明治33年12月28日で、「芭蕉の辻商館」(明治24年建築~明治33年4月10日焼失)よりあと
備考  
カラー/モノクロ モノクロ 
分類内の通し番号
画像ファイル名 sendai2057 
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