分類項目 | 七夕(戦前) 飾り物(2) |
タイトル | 仙台七夕の飾り物 「雅子さん破談」(大町五丁目) |
写真番号 | 20-49 |
場所 | 仙台市大町 |
映像内容 | 絵葉書「〔仙臺情緒〕 五彩の短冊美しき。七夕祭り 大町五丁目の飾り物[昭和十年八月六日撮影]」を複写 / 場所は大町五丁目 / 人形に「ムソリニ」「エチオピア」「マサコサン」の名札 / 右の建物の庇上の人形2体は、イタリアのムッソリーニがエチオピアに拳骨をくらわせている / その左の人形マサコサン(黒田雅子)は子爵家(黒田広志子爵)の令嬢で、当時話題をよんだエチオピア皇族アベベ・アラヤ(当時の皇帝ハイレ・セラシエ一世の五等親で来日経験がある)との婚約が、エチオピア皇太子との婚約と誤解したムッソリーニの抗議で破談になった。(昭和9年4月) / その後、昭和10年10月3日、イタリヤがエチオピアに侵攻(エチオピア戦争)、翌11年5月9日には、エチオピアを併合した / この飾り物の場所は、不詳(時計店?)(左隣はSENDAIKAIKAN) →関連情報欄参照 |
撮影年代 | 1935年(S10)8月 |
撮影年代判定根拠 | 絵葉書に明記 |
関連情報/参考文献 | 【あきんどの町-おおまちに至るまでの四百年」P107】 →「仙台会館は、住所、大町五丁目20で、昭和6年創業、洋食・カフェー」 / 【「山本七平著「昭和東京ものがたり(一)」 →「イタリアによる結婚話への干渉やエチオピア併合は、当時の日本人の心証を害したという」 / 黒田雅子嬢とエチオピア皇族の婚約報道は「東京日日新聞」(昭和9年1月30日付) / 女性雑誌の特集記事は、黒田雅子「エチオピアへ嫁ぐ私」(「婦人公論」昭和9年3月号) / 「婦人倶楽部」「婦人の友」(いずれも昭和9年3月号)は黒田を囲んだ座談会を掲載した |
備考 | |
カラー/モノクロ | モノクロ |
分類内の通し番号 | 7 |
画像ファイル名 | sendai7032 |