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年 |
内容 |
出典/参考資料 |
関連映像 |
政宗卿騎馬像 |
戦後の復元 |
1964年(S39) |
* 1953年(S38)5月31日、仙台市観光協会が、政宗公騎馬像の復元を決める
* 1964年(S39)10月9日、復元騎馬像除幕式
・ 仙台観光協会が1700万円をもって政宗公の旧銅像を鋳型(元の原型)により再鋳造し、旧位置(青葉城本丸)に再建して除幕式を挙行
・ 市役所内に再建委員会が設けられ、島野市長が委員長となって広く募金 / 原型は、製作者小室翠雲の郷里柴田町船岡に保存されていた(「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P185)
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「重訂 宮城県郷土史年表」P608、P616/「仙台市史 年表」P123/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P185
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「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P185の写真51と、「市民の戦後史(仙台市)」P158に「復元なった騎馬像」/「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P85(S39)
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国鉄(東北本線) 4 |
電化 |
1961年(S36)/1965年(S40)/1968年(S43) |
* 1956年(S32)8月3日、上野~仙台間の電化起工式
* 1958年(S33)4月14日、上野~宇都宮間の電化完成
* 1961年(S36)3月1日、上野~仙台間の電化完成(S31年8月起工)
(菅家年表では、1961年(S36)5月1日東京~仙台間電化され特急電車が走る)
* 1965年(S40)10月1日、仙台~盛岡間の電化完成
* 1967年(S42)10月1日、東北本線、岩沼~福島駅間が複線電化して開通 / 同日に、東北本線特急の東京駅乗り入れも実現
* 1968年(S43)10月1日、青森まで東北本線全線電化完成
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「重訂 宮城県郷土史年表」P582、P588、P599、P621、P635、P643/「仙台市史 年表」P121、P124/「仙台駅前商店街振興組合の歩み」(年表)/菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P55、P62
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駐留軍(米軍) |
川内、苦竹両キャンプ返還 |
1957年(S32) |
* 1957年(S32)11月13日、川内と苦竹の両キャンプの土地が返還され、進駐軍、駐留軍時代の県内米軍基地は返還完了
* 1957年(S32)11月13日、二の丸跡、米軍より返還(「仙台城」P236) / 同日に川内返還式(「目で見る仙台の歴史」P195)
・川内キャンプ跡は、東北大学と開拓者と仙台市有に分けられ、苦竹キャンプ跡は、自衛隊に3分の2、残り3分の1は工場用地とされた
<その後の、在日米軍施設>
* 1976年(S51)10月30日、在日米軍司令部が、仙台市国見通信所施設返還を通知
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「重訂 宮城県郷土史年表」P557、P586/「仙台市史 年表」P120/「続・ 宮城県郷土史年表」P60/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P801/「仙台城(仙台市教育委員会 昭和42年刊)」P236
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「目で見る仙台の歴史」P195(川内キャンプ返還式で日章旗掲揚)
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映画館(戦後) |
仙都劇場 |
1950年(S25) |
* 1950年(S25)12月25日、仙都劇場開館
場所は、青葉通りの東三番丁交差点の東北角(東三番丁40)
開館は、戦後新設された青葉通りが貫通した年
「仙台映画大全集」の記述 →「大映封切館で、1階~2階までスロープ状に888席あり、ゆったりとしていた」
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「重訂 宮城県郷土史年表」P546/「仙台映画大全集」
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53-83(夜景)/「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P23(S33)
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日乃出映画劇場 |
改築開場 |
1950年(S25) |
* 1950年(S25)12月、映画館ビルとして改築され、日乃出地下映画劇場を併設(東五番丁26)
* 1950年(S25)12月、日乃出劇場(三和興業、700席)を東五番丁17に開設
/ この月はこのほかに、文化劇場再開(東一番丁、松竹、943席)、仙都劇場(東三番丁、大映、888席)と銀映画劇場(旅籠町、200席)もオープンした
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「重訂 宮城県郷土史年表」P546
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22-18
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仙台市公会堂(戦後) |
落成~取壊し |
1950年(S25)~1971年(S46) |
・ 戦後、音楽、演劇、集会など仙台市民の文化活動はこの公会堂を中心に展開され、各種の文化団体が育っていった
・ 大ホールは1300席、集会室、展示場などもあり、結婚式にも利用された
* 1946年(S21)10月、西公園緑地内(元常盤町)に建設(収容1500人)(「重訂 宮城県郷土史年表」P514)→<編者注>計画ということか?
* 1949年(S24)11月、着工(「仙台市史10 年表」P322)
* 1950年(S25)12月17日、元常盤町(西公園内)に完成、落成式(大ホール2000人収容、展示室、集会室) / 鉄筋鉄骨コンクリート2階建て、913坪 / 仙台市公民館が同公会堂内に移転
・こけら落としは、仙台市能楽協会が寄付した組み立て式能舞台を使って、仙台藩の流派であった喜多流家元一行による演能で、喜多六平太が「羽衣」を舞った
* 1951年(S26)春、アメリカのピアニスト・メニューヒンが外国人演奏家として戦後最初に来仙し演奏
* 1956年(S31)2月2日、ウィーン少年合唱団公演
* 1957年(S32)11月21日、ベルリン交響楽団公演
* 1971年(S46)、取壊し
* 1973年(S48)、跡地に仙台市民会館完成
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「重訂 宮城県郷土史年表」P514、P546/「仙台市史10 年表」P322、P324/「目で見る復興 まちの今昔」P57/「新・目で見る仙台の歴史」P179/「仙台市史 年表」P117/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P202/「目で見る仙台の歴史」P184
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18-07-01、18-07-02/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P274の写真87/「目で見る仙台の歴史」P184(公会堂と、公演したウイーン少年合唱団、ベルリン交響楽団)/「市民の戦後史(仙台市)」P68(公会堂)/「新・目で見る仙台の歴史」P179(公会堂)/「仙台市史 特別編4 市民生活」P267
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霊屋橋(広瀬川) |
コンクリート橋に |
1935年(S10) |
仙台市の失業救済事業で架け替えられた
* 1934年(S9)8月20日、起工式
* 1935年(S10)4月17日、鉄筋コンクリートのアーチ橋が竣工(「仙台年表」では8月)、橋長65.2m、橋幅8m
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「重訂 宮城県郷土史年表」P445/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P410/「仙台市史10 年表」P283、P285/「仙台市史 年表」P107/「仙台年表」P206
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コンクリート橋は、34-29、53-108/「目で見る仙台の歴史」P167/「新・目で見る仙台の歴史」P208/「仙台市史 特別編4 市民生活」口絵図53(H8年)
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政宗卿騎馬像 |
建立 |
1935年(S10) |
「藩祖政宗公三百年祭」(S10年、没後300年)に先立ち、宮城県青年団員たちが資金を集め青葉山の天守台に建立した (完成した像は東京から仙台までトラクターで運搬)
* 1935年(S10)5月14日、青年団員たちがトラクターに乗せた騎馬像とともに仙台市内を行進し、青葉山天守台まで運んだ
* 同年5月23日、除幕式(三百年祭の行事としてに盛大に行われた) (「仙台城)」P234)
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「重訂 宮城県郷土史年表」P445/「仙台市史 年表」P108/「仙台城(仙台市教育委員会 昭和42年刊)」P234
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青年団による騎馬像運搬は、44-77、44-78、44-79、44-80、44-81、44-95、44-82、44-83 / 像は99-116、53-87、「目で見る仙台の歴史」P159
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東一番丁大火(一番丁大火) |
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1933年(S8) |
* 1933年(S8)3月20日早暁、東一番丁の活動写真館仙集館付近より出火し52戸を焼く
* 仙集館→白崎写真館へ延焼→飛び火して、新国町界隈→国分町へ(51戸焼失、罹災戸数35)
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「重訂 宮城県郷土史年表」P434/「番丁詳伝」P131
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火災(地域) |
東一番丁大火 |
1933年(S8) |
<仙集館と東一番丁大火>
* 1933年(S8)3月20日早暁、東一番丁の活動写真館仙集館付近より出火し、52戸を焼く
* 仙集館→白崎写真館へ延焼→飛び火して、新国町界隈→国分町へ(51戸焼失、罹災戸数35)
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「重訂 宮城県郷土史年表」P434/「仙台年表」P232/「番丁詳伝」P131
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隅櫓 |
国宝指定 |
1931年(S6) |
* 1931年(S6)12月14日、大手門脇の隅櫓が国宝に指定された(大手門、霊屋にある瑞鳳殿、感仙殿とともに)
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「重訂 宮城県郷土史年表」P428
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99-081、65-08、08-02、53-44、73-01/「仙台城(仙台市教育委員会 昭和42年刊)」P249
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宮城電鉄 |
国有化以前 |
1925年(T14)~1944年(S19)4月 |
* 1922年(T11)9月9日、宮城電気鉄道株式会社設立
・ 細倉鉱山の亜鉛精錬用電力の余剰分消費のため企画された
* 1925年(T14)6月5日、宮城電気鉄道(私鉄)が仙台~西塩釜間で運行開始、宮城電鉄仙台駅も開業
* 1927年(S2)4月、松島まで開通
* 1928年(S3)11月23日、石巻まで延伸開業(西塩釜~石巻間が開通)、30分おきに1両運転 / 女性車掌のオシボリのサービスもあり、松島観光や海水浴を宣伝した / 昭和恐慌の頃は展望車接続
* 1944年(S19)5月1日、宮城電鉄が国有化され、国有鉄道仙石線となる
<以降は、項目「国鉄(仙石線)」参照>
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「重訂 宮城県郷土史年表」P398/「仙台市史 年表」P101、P103、P104、P113/「新・目で見る仙台の歴史」P147/「仙台市史 特別編4 市民生活」P200
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「目で見る仙台の歴史」P156と「新・目で見る仙台の歴史」P147に、宮城電鉄/「仙台市史 特別編4 市民生活」P200(リーフレット「宮城電鉄沿線案内」)/同P523(戦前期?新田駅のプラットホーム)
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精養軒 |
東一番丁の仙台支店 |
1923年(T12) |
* 1923年(T12)9月、精養軒仙台支店を東一番丁に設置
現在の三越付近にあった西洋料理店「弥生軒」(明治34年開業)の建物を引継ぎ営業 / 東北産業博覧会記念写真帳(昭和3年)掲載の「精養軒」が、「弥生軒」の写真と同じ
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「重訂 宮城県郷土史年表」P390 /「東北産業博覧会記念写真帳」/弥生軒については、「仙台市史 特別編4 市民生活」P84
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62-01/「目で見る仙台の歴史」P143に「弥生軒」
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奈良原式鳳号 |
仙台で飛行を披露 |
1913年(T2) |
* 1913年(T2)11月15~16日、「大正2年、宮城野原に於いて飛行機(奈良原式)はじめて滑走しわずかに地上を離れたる程度なりき これを見物する為、数萬の群衆宮城野原に殺到す」
/「仙台市史 年表」P96には「大正2年9月22日、宮城野原練兵場で飛行大会開催」とあるが、日付が異なるので別の大会か?
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「重訂 宮城県郷土史年表」P356
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99-160、99-161、99-162
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秋保電鉄 |
秋保石材軌道開通 |
1914年(T3) |
* 1914年(T3)10月、覗橋~茂庭間開通
* 1914年(T3)12月23日、秋保馬車軌道、長町~湯元(後の秋保温泉)間16キロが開通 / 秋保石(凝灰岩の一種)と旅客の輸送が目的 / 箱型の客車を馬が曳いて走った
・ 停車場は、長町、西多賀、鈎取、太白山、茂庭、北赤石、覗橋
・ 所要時間は1時間半
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「重訂 宮城県郷土史年表」P353/8「仙台年表」P189/「仙台市史 年表」P97 /「仙台きょうはなんの日」P201/「仙台市史 特別編4 市民生活」P198
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22-45 /「思い出のアルバム仙台」(カルダイ社 1980年刊)P51/「目で見る仙台の歴史」P156と「新・目で見る仙台の歴史」P147に「秋保馬車軌道」/同P156(秋保石の運搬)/「仙台市史 特別編4 市民生活」P198
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銀行(都市銀行) |
不動貯蓄銀行/日本貯蓄銀行/協和銀行 |
1912年(T9)/1945年(S20)/1948年(S23) |
<協和銀行仙台支店>
* 1912年(T1)8月1日、不動貯蓄銀行仙台代理店を南町通り36に開業
* 1945年(S20)5月13日、9大貯蓄銀行合同し、日本貯蓄銀行と改称(「重訂 宮城県郷土史年表」P504 / ただし、同P353では、9大貯蓄銀行合同は、1947年5月15日)
* 1948年(S23)7月15日、日本貯蓄銀行を普通銀行に転換して、協和銀行と改称
* 1953年(S28)12月、仙台支店を東一番丁南通り北西角に新築(仙台ビルヂング)し、東二番丁通りより移転(6階建て、仙台初の本格的な貸事務所ビル / 1階は東二番丁から移転した協和銀行が入居したほか、銀行協会、仙台手形交換所、弁護士事務所、会計士事務所、中央出先会社が入居 / この場所にあった飯田信七商店(小間物、化粧品の卸小売)は、卸町に移る(「番丁詳伝」P210)
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「重訂 宮城県郷土史年表」P353、P504、P528/「仙台市史 年表」P118/「番丁詳伝」P210/「仙台市史 特別編4 市民生活」P194
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東二番丁の協和銀行は、22-25、22-26、南町通移転後の協和銀行36-08 /「仙台市史 特別編4 市民生活」P194(仙台ビルディング)
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芭蕉の辻の洋館 |
七十七銀行本店 |
1903年(M36)~1929年(S4) |
・1900年(M33)に焼失した「芭蕉の辻商館」(芭蕉の辻・東北角)の跡地に七十七銀行が建設
・ ドイツ・ルネッサンス式純洋風建築で地下室付き2階建て、2本の3階建て塔屋をもつ
<「わしが国さ」第29号(昭和5年12月、仙台協賛会発行)P2掲載、小倉強著「仙台に於ける建築の変遷」(下)>
「明治35年2月起工、36年8月1日竣工。松崎という技師がドイツへ留学し習って帰って建てた。ドイツ風のルネッサンス式を模した純洋風建築。大体は石造りで、一部煉瓦を用い、屋根にはスレートを葺いてある。八角形の尖塔と四角錘の塔が屋根に変化を与え、ベランダあり塔あり、形の変化に苦心しております。特徴は屋根裏に室を有することと地下室があることであります。」
* 1902年(M35)2月、起工
* 1903年(M36)8月1日、竣工
七十七銀行が(旧)大町1丁目から本店を移転
* 1929年(S4)7月10日まで使用
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「重訂 宮城県郷土史年表」P328/「仙台市史 年表」P92/「わしが国さ」第29号(昭和5年12月、仙台協賛会発行)P2掲載の小倉強著「仙台に於ける建築の変遷」(下)
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99-021、99-022、99-024、99-025、53-49、43-27
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郵便局 |
仙台鉄道船舶郵便局 |
1910年(M43) |
木造洋風2階建て
・「重訂 宮城県郷土史年表」P290に
* 1891年(M24)9月、「仙台鉄道郵便電信局」を仙台に設置
* 1910年(M43)4月、「仙台鉄道船舶郵便局」と改称
南町にあった仙台郵便局とは違う(粟野邦夫「芭蕉ノ辻」P28の南町の「郵便局」と建物が違う)(これとは別の場所にあった可能性がある)
【Wikipedia[仙台鉄道郵便局]】 日本の郵便局の種類の一つで、鉄道事業者に郵便車を運行させてこれに職員が乗務し、鉄道沿線の郵便局から継送される郵便物を輸送するとともに、郵便車内で郵便物をあて先地域別に区分する業務を行っていた / 仙台鉄道郵便局はおもに東北地方南部の区間を担当した
* 1910年(M43年)10月、「仙台鉄道船舶郵便局」(一等郵便局)を開局
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「重訂 宮城県郷土史年表」P290 / Wikipedia「仙台鉄道郵便局」
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99-099
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芭蕉の辻商館 |
建築~焼失 |
1891年(M24)~1900年(M33) |
<芭蕉の辻(北東角)>
* 1890年(M23)5月25日、北東角(若松屋)焼失
* 1891年(M24)9月19日、北東角に「芭蕉の辻商館」完成、落成式(木造2階建外部漆喰塗でドーム屋根の塔)
* 1892年(M25)11月27日、芭蕉の辻勧工場(芭蕉の辻商館)内に、宮城県物産陳列場開設
* 1900年(M33)4月10日、「芭蕉の辻商館」焼失
* 1903年(M36)8月1日、跡地に「七十七銀行本店」が竣工(洋館)、落成披露宴開催
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「重訂 宮城県郷土史年表」P285/「仙台市史 年表」P87、P88/「仙台市史10 年表」P202、P218、P225/「明治の洋風建築~宮城県~」P113/粟野邦夫「芭蕉ノ辻」P3/「目で見る仙台の歴史」P135
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「明治の洋風建築~宮城県~」P113(芭蕉の辻商館)/「目で見る仙台の歴史」P135(芭蕉の辻商館と、同火災図)/「新・目で見る仙台の歴史」P133(火災図)
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芭蕉の辻の城櫓風建物 |
4棟の焼失年 |
1890年(M23)~1945年(S20) |
藩政時代以来芭蕉の辻の四隅を占めていた城櫓風の建物(白壁の櫓屋敷)は、明治年間に3棟が焼失、昭和20年の仙台空襲で残りの1棟も失われた
<芭蕉の辻の建物の焼失>
「重訂 宮城県郷土史年表」より
* 1890年(M23)1月14日、南東角(近江屋馬渕善吉商店)焼失
* 1890年(M23)5月25日、北東角(若松屋)焼失
* 1902年(M35)2月3日、南西角(田中時計店)焼失
「仙台市史10 年表」より
* 1890年(M23)1月14日、芭蕉の辻、東南部焼失
* 1890年(M23)5月25日、芭蕉の辻、東北部16棟焼失
* 1902年(M35)2月3日、芭蕉の辻、南西部焼失
<北西角焼失>
* 1945年(S20)7月10日、北西角(安田生命)は仙台空襲で焼失
<参考> 「仙台あのころこのころ八十八年」P21~23の「芭蕉の辻は悲し」(三原良吉)
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「重訂 宮城県郷土史年表」P285、P324/「仙台市史10 年表」P200、P201、/「仙台あのころこのころ八十八年」P238
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98-022
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仙台駅(戦前) |
開業 |
1887年(M20) |
* 1887年(M20)12月15日、日本鉄道の上野・仙台・塩釜間開通、あわせて仙台停車場が開業 (現・JR東北本線)
* 同年12月20日、東京・仙台間の開通式を挙行
<開業日、初列車は雪で3時間遅れで仙台着>
「その朝、東北地方の太平洋側は雪、仙台市内も真っ白だった。初列車は午前7時28分、6両編成で上野駅を出発、午後7時半ごろ仙台駅に到着する予定だった。ところが初代の大宮弥平駅長以下地元のお歴々、珍しもの見たさの市民たちが待てど暮らせど、その列車が姿を現さないのである。雪のため、越河(白石市)付近の坂を超えられず、いったん福島駅に逆戻り。そこで上り列車用の機関車を連結して馬力を倍増、あえぎあえぎ仙台駅にすべり込んだ時には、時計はなんと午後10時25分を指していた。つごう15時間かかったことになる。暗いランプが揺れる車内での難行苦行に、記念列車の山県有朋内務大臣らはブスッとした表情で降り立ち、また、歓迎人は景気づけの花火もすっかり打ち尽くしてしまい、寒さにガタガタふるえていたそうである。」(「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P130)
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「重訂 宮城県郷土史年表」P278/「仙台市史 年表」P86/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P130
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98-038
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国鉄(日本鉄道時代) |
東北本線 |
1887年(M20)~1906年(M39)10月 |
<日本鉄道時代>
* 1887年(M20)12月15日、開業
(当時は私鉄・日本鉄道で、塩釜まで開通)
* 同年12月20日、東京・仙台間の開通式挙行
* 1891年(M24)9月1日、仙台~青森間が開通
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「重訂 宮城県郷土史年表」P278/「仙台市史 年表」P86、P87
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仙台市公会堂(戦前) |
設置~空襲焼失 |
1909年(M42)~1945年(S20) |
戦前は、桜ケ岡公園(西公園)にあった
* 1909年(M42)、市が公園内にあった木造の割烹・挹翠館(ゆうすいかん)を買収し仙台市公会堂とした
→ 項目「挹翠館」参照
* 1908年(M41)10月27日、仙台市は東宮殿下の御下賜金を記念とし公会堂建設を議決す(御下賜金5百円、市費22万円)(「重訂 宮城県郷土史年表」P341)
* 1909年(M42)2月11日、憲法発布20周年記念として桜ケ岡(公園)に公会堂を建立(「宮城百年」毎日新聞社刊 年表)
* 1916年(T5)9月、洋館の新館(ルネッサンス式、木造2階建)が竣工、挹翠館を公会堂本館、洋館を新館とした / マンサード屋根スレート葺、モルタル塗り
* 1945年(S20)7月10日、仙台空襲で公会堂本館、新館ともに焼失
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「重訂 宮城県郷土史年表」P273、P341、P364/「仙台市史 年表」P97/「宮城百年」毎日新聞社刊 年表/「古写真に見る仙台の建築」P44/「仙台あのころこのころ八十八年」P242
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挹翠館は、98-058、98-059/ 新館(洋館)は、99-092-1、99-093-1、53-94、53-99/「いつか見た街・人・暮らし」P14(公会堂講堂内部が写る、在郷軍人大会、大正13年)/「新・目で見る仙台の歴史」P144(カラー、挹翠館と公会堂新館)
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練兵場 |
宮城野練兵場 |
1878年(M11)頃~1945年(S20) |
* 1878年(M11)、「この年ころ、宮城野原及び講武所跡などに練兵場を、また、台原に射撃場を設く」(「重訂 宮城県郷土史年表」P255~256)
・ 宮城野練兵場(みやぎのれんぺいじょう)は、仙台鎮台(明治21年からは第二師団)の練兵場で、追廻練兵場(おいまわし)とともに、明治年間から昭和20年日本敗戦まで存続
・ 場所は、仙台市街地東方の宮城野原で、学生・生徒の軍事教練や小学生の遠足の場でもあった
<戦後は>
* 戦後(S25)、跡地が県営宮城野原公園総合運動場用地となり、S27までに県営宮城野原蹴球場、県営宮城球場、県営宮城野原陸上競技場、県営宮城野原総合運動場庭球場が順次開設された → 項目「県営宮城野原公園総合運動場」参照
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「重訂 宮城県郷土史年表」P255~256
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99-126、99-160、99-163、69-06/位置図は、 98-111、98-113、98-115
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練兵場 |
講武所練兵場 |
1878年(M11)頃~廃止年不明 |
* 1878年(M11)、「この年ころ、宮城野原及び講武所跡などに練兵場を、また、台原に射撃場を設く」(「重訂 宮城県郷土史年表」P255~256)
・ 講武所練兵場(こうぶしょ)は、仙台鎮台(明治21年からは第二師団)の練兵場
・ 場所は、川内の各兵営と広瀬川を挟んで対岸にあった
<地図では>
・ 「改正仙台市明細全図」(明治22年6月)には、「陸軍省用地」と記載
・ 「仙台市全図」(大正元年)には、「追廻練兵場」とともに「講武所練兵場」の記載あり
用地」と記載
・ 「仙台市全図」(昭和11年)には、「追廻練兵場」は記載あるが、「講武所練兵場」の記載はなし
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「重訂 宮城県郷土史年表」P255~256
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位置図は、98-112
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藩祖政宗公三百年祭 |
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1935年(S10) |
* 1935年(S10)5月20日~26日、仙台藩祖伊達政宗公没後300年にあたり、仙台市を挙げて盛大に「藩祖政宗公三百年祭」が行われた
・ 伊達政宗は、1636年(寛永13)5月24日没
・ これに先立ち、同年5月14日に、宮城県青年団により「政宗卿騎馬像」が青葉山の天守台に建てられ、5月23日に除幕式
<関連行事>
・ 5月、伊達家贓品展覧会(斎藤報恩会館)
・ 5月10日、NHK仙台中央放送局(ラジオ)が、「政宗公300年祭記念放送」(子供の時間、琵琶演奏、座談会「政宗公を語る」)
・ 5月12日、三百年祭記念産業観光博覧会
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「重訂 宮城県郷土史年表」445/「仙台市史10 年表」P285/「仙台城)」P234/「NHK仙台放送局~60年のあゆみ~」P9
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三百年年祭仮装行列は、44-68、44-69、44-70、44-89、44-90、「目で見る仙台の歴史」P159と、「新・目で見る仙台の歴史」P155に「仮装行列」/花電車は、44-84、44-85、44-86、44-87、44-88 /青年団による騎馬像運搬は、44-77、44-78、44-79、44-80、44-81、44-95、44-82、44-83
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バス優先レーン |
実施 |
1971年(S46)~ |
* 1971年(S46)6月1日、北九番丁~県庁前(国道4号線の1.2キロ)でバス優先レーンを実施(「重訂 宮城県郷土史年表」P674)
* 1973年(S48)11月1日、北六番丁~苦竹間の一部で、実施
* 1973年(S48)11月16日、秋保街道のバスレーン試験実施
* 1974年(S49)10月22日、仙台市道鹿ノ又線の広瀬橋南~飯田団地入口、井出長町線の結城広瀬橋病院~河原町交番前間でバス優先レーン実施
* 1975年(S50)8月1日、幸町~鶴ケ谷坂下路線、朝7~9時、バスレーン実施
* 1976年(S51)4月30日、泉市八乙女~仙台市役所間、バスレーン実施
* 1976年(S51)5月14日、坂下~仙台駅間、長町線にバス専用レーン実施
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「重訂 宮城県郷土史年表」P674/「続・ 宮城県郷土史年表」P4、P24、P43、P53、P54
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ビル建設 |
第一生命ビル |
1970年(S45) |
* 1970年(S45)7月、第一生命ビル竣工(仙台市役所の南隣に、鉄骨鉄筋造、地下1階、地上10階、塔屋4階)
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「重訂 宮城県郷土史年表」P663
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(着工してまもない頃)40-07、201-04、201-05
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東北自動車道 |
部分開通/全線開通 |
1973年(S48)/1986年(S61) |
* 1970年(S45)5月20日、東北縦貫自動車道、起工式(蔵王町で)
* 1973年(S48)11月27日、仙台南~白石間、開通
* 1975年(S50)4月1日、仙台南インターチェンジ~岩槻間、開通
* 1975年(S50)11月28日、仙台南~泉インターチェンジ間、開通、同日に仙台宮城インターチェンジ開業
* 1976年(S51)12月9日、泉~古川インターチェンジ間、開通(29キロ)
* 1977年(S52)11月15日、古川~築館間開通(16.1キロ)
* 1978年(S53)12月2日、築館~一関間開通(岩槻~盛岡間全面開通)
* 1982年(S57)3月29日、若柳金成インターチェンジ完成
* 1986年(S61)7月30日、十和田~碇ヶ関間使用開始(浦和~青森間開通)
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「重訂 宮城県郷土史年表」P660/「仙台市史 年表」P129、P130/「続・ 宮城県郷土史年表」P24、P39、P47、P61、P74、P89、P93、P95、P208/菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P72
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「新・目で見る仙台の歴史」P198(東北自動車道上下線、カラー)
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火災(地域) |
東部飲食店街 |
1970年(S45) |
* 1970年(S45)7月10日、アパートなど10棟2500㎡焼失、37世帯94人被災
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「重訂 宮城県郷土史年表」P659
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大学紛争 |
仙台(3) |
1970年(S45)~1976年(S51) |
<1970年(S45)>
・ 3月9日、宮城教育大学、教授会で卒業式中止を決める
・ 3月30日、東北大学、臨時評議員会で、この年の入学式中止決定
・ 6月19日、仙台三高にゲバ装備の高校生十数人乱入、職員室や窓ガラスなどを破壊
<1972年(S47)>
・ 東北大学学費値上げに抗議した全学ストが長時間続き、2年生全体の3分の2にあたる1500名が新旧単位不足で留年
・ 6月12日、学生が東北大学教養部講義棟封鎖
<1976年(S51)>
・ 2月10日、東北大学教養部、紛争のため講義棟破壊
・ 3月25日、東北大学、卒業式で、演壇占拠事件
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「重訂 宮城県郷土史年表」P658/「続・ 宮城県郷土史年表」P11、P50、P52/「仙台市史 特別編4 市民生活」P538
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創価学会会館 |
建設 |
1969年(S44) |
* 1969年(S44)12月5日、創価学会東北文化会館、錦町2丁目に建設(4階建)
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「重訂 宮城県郷土史年表」P655
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国際反戦デー |
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* 1969年(S44)10月21日、東北は7万人参加
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「重訂 宮城県郷土史年表」P653
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大学紛争 |
仙台(2) |
1969年(S44)後半 |
<1969年(S44)後半>
・ 7月1日、宮城教育大学、反代々木系学生が、同大学人文棟を封鎖
・ 7月7日、東北学院大学に機動隊出動し、封鎖中の押川記念館を解除
・ 9月18日、東北大学、教養部無期限スト、大学側は19日より前期試験を無期延期
・ 9月19日、宮城教育大学、反代々木系学生が講義棟封鎖、大学側は19日より前期試験を無期延期
・ 10月10日、「十月十日統一行動日」、仙台においてはじめてデモ隊が乗用車に放火、路上にバリケードを築き街頭闘争、学生9人逮捕
・ 10月16日、東北大学工学部管理棟、全共闘学生が封鎖
・ 10月19日、仙台市で、反代々木系学生宮城県反戦青年委員会のデモ、94人逮捕
・ 10月21日、国際反戦デー、東北は7万人参加、仙台では反代々木系学生74人逮捕
・ 10月29日、東北大文学部、教育学部を全共闘派封鎖
・ 11月14日、東北大学の臨時評議会において封鎖解除のため機動隊導入を決定
・ 11月22日、本川東北大学長、県警察本部に文書で学内封鎖解除のため機動隊導入を要請
・ 11月23日、宮城県警察機動隊、東北大学構内に出動、封鎖されていた教養部理科実験棟など5つの建物全部の封鎖を解除
・ 11月27日、東北大学、法・経・理の3学部授業再開
・ 12月1日、東北大学教養部ロックアウト解除、文学部・教育学部も授業再開
(12月17日、文部省、大学紛争白書を発表、紛争大学合計124校)
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「重訂 宮城県郷土史年表」P650、P652、P653、P654、P655
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「仙台市史 特別編4 市民生活」P539(S44年大学立法反対闘争、学生が大学講義棟を封鎖、
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ニッカウイスキー工場 |
仙台工場 |
1969年(S44) |
* 1969年(S44)5月10日、仙台工場を宮城町新川地内に完成
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「重訂 宮城県郷土史年表」P649
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年中行事(まつり) |
東北三大まつり |
1969年(S44)~ |
* 1969年(S44)5月30日、仙台七夕、秋田竿灯、青森ねぶた、仙台市内でパレードを行う
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「重訂 宮城県郷土史年表」P649
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宮城県立青年の家 |
完成 |
1969年(S44) |
* 1969年(S44)3月1日、泉ヶ岳に完成
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「重訂 宮城県郷土史年表」P647
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盲人専用信号機 |
北六番丁交差点 |
1969年(S44) |
* 1969年(S44)3月4日、北六番丁交差点に設置(全国初)
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「重訂 宮城県郷土史年表」P647
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障害者福祉 |
施設完成など |
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* 1968年(S43)6月16日、宮城県総合福祉センターの合同庁舎を本町1丁目に建設し、業務開始
* 1983年(S58)4月、仙台市幸町の県障害者福祉センター完成
* 1984年(S59)4月28日、仙台市河原町に自閉症児専用施設「南材ホーム」完成
* 1984年(S59)4月、西多賀に仙台市精神薄弱者育成会福祉作業所開設
* 1985年(S60)4月13日、仙台市人来田に、県内初の障害者更生センター完成
* 1988年(S63)3月28日、テクノプラザみやぎ発足(宮城県の委託で「みやぎ障害者ITサポート事業」を実施する第三セクター、2019年に解散)
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「重訂 宮城県郷土史年表」P641/「続・ 宮城県郷土史年表」P161、P176、P190、P241
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郵便番号制度 |
発足 |
1968年(S43) |
* 1968年(S43)7月1日、スタート
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「重訂 宮城県郷土史年表」P641
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宮城県図書館(戦後) |
榴ヶ岡へ移転/泉区へ移転 |
1968年(S43)/1998年(H10) |
<榴ヶ岡へ>
* 1968年(S43)1月17日(18日?)、榴ケ岡に新築移転し開館
<泉区柴山へ>
* 1998年(H10)3月21日、泉区芝山に新築移転し、開館
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「重訂 宮城県郷土史年表」P637/「市民の戦後史(仙台市)」P208
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「市民の戦後史(仙台市)」P208(榴ヶ岡の宮城県図書館外観、閲覧室)
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出稼ぎ者相談所 |
上野駅に開設 |
1967年(S42) |
* 1967年(S42)12月、宮城県は、県出身出稼者並に就職希望者相談所を上野駅前に開設(全国初)
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「重訂 宮城県郷土史年表」P636
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老人福祉 |
老人福祉センター |
1967年(S42) |
* 1967年(S42)7月20日、仙台市老人福祉センター、亀岡に開所
* 2018年9月現在の仙台の老人福祉センターは、8か所(亀岡、台原、小鶴、高砂、沖野、大野田、郡山、泉中央)
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「重訂 宮城県郷土史年表」P633/仙台市HPの「老人福祉センター一覧」(2018年9月現在)
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「市民の戦後史(仙台市)」P197(老人福祉センター外観、和室で将棋盤を囲む老人たち、踊りの練習)
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アメリカシロヒトリ防除 |
防除開始 |
1967年(S42) |
* 1967年(S42)7月2日、防除本部設置し駆除開始(アメリカシロヒトリが、八木山、北山、東仙台など郊外にも広がる)
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「重訂 宮城県郷土史年表」P633
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台原森林公園 |
開園 |
1973年(S48) |
* 1967年(S42)6月21日、明治百年記念として台原森林公園(59ha)開設きまる(全国10カ所に開設する施設のひとつ)
* 1973年(S48)4月、開園
* 1978年(S53)4月22日、公園入口に、舟越保武、高台に佐藤忠良製作の像、除幕
* 1980年(S55)4月1日、野外運動施設(フィールド・アスレチック・コース)完成
* 1987年(S62)11月6日、公園に、岩野勇三作彫刻「牧歌」除幕
* 1990年(H2)9月27日、仙台市科学館が、日本長期信用銀行ビル地下から台原森林公園の中に新築移転し開館
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「重訂 宮城県郷土史年表」P632/「仙台市史 年表」P128/「続・ 宮城県郷土史年表」P80、P110、P232、P268
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「新・目で見る仙台の歴史」P192
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市街地住宅(第1号) |
完成 |
1968年(S43) |
* 1967年(S42)2月26日、仙台市庁舎外記丁分室跡に市街地住宅(11階建)起工式(敷地は仙台市が提供し、建物は住宅公団が建設)
* 1968年(S43)7月、初の市街地構想住宅が外記丁に完成(地下1階、地上11階 / 1~3階には、仙台北保健所と北社会福祉事務所などが移転入居、4階以上は152戸の住宅
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「重訂 宮城県郷土史年表」P630、P641/「市民の戦後史(仙台市)」P215
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「市民の戦後史(仙台市)」P215(市街地住宅のビル)
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ちびっこ広場 |
第1号 |
1966年(S41) |
* 1966年(S41)11月3日、「ちびっこ広場」第1号を北七番丁に完成
民間から提供された敷地に、市が遊具などを貸しつける事業 / 子どもの健全育成、交通事故防止がねらい / S43年度までに108カ所誕生
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「重訂 宮城県郷土史年表」P628/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P251
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「市民の戦後史(仙台市)」P188(S41年11月、ちびっこ広場第1号オープンセレモニー、遊具で遊ぶ子ら)
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青葉山遊歩道 |
完成 |
1966年(S41) |
* 1966年(S41)12月6日、広瀬川沿いの青葉山遊歩道(幅6m、580m)完成
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「重訂 宮城県郷土史年表」P628
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「市民の戦後史(仙台市)」P183
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藩祖政宗公の記念祭 |
伊達政宗公誕生四百年祭 |
1966年(S41) |
* 1966年(S41)4月27日~5月24日、政宗公誕生400年にあわせ、東一番丁百年祭大仮装行列
* 1966年(S41)9月15日、政宗公誕生四百年祭にあたり、伊達名宝展開催(仙台市博物館)
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「重訂 宮城県郷土史年表」P627
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仮装行列は、47-01、47-02、47-03、47-04、47-05
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郵便局 |
仙台東郵便局 |
1966年(S41) |
* 1966年(S41)8月8日、開設
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「重訂 宮城県郷土史年表」P627
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