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年 |
内容 |
出典/参考資料 |
関連映像 |
二十人町 |
戦後 |
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・ 戦後、昭和20年9月~31年6月に、近くの歩兵第4連隊兵営跡地に米占領軍が駐留(キャンプ・ファウラー)
・ 市中心部が戦災で壊滅した中で二十人町は戦災被害が比較的少なく、駅に近い下町は仙台では有数の活きた町で夜遅くまで活気にあふれたという
・ 商店数はS10年頃が54店、S30年頃が70店
しかし、
* 1952年(S27)、最寄駅の仙石線東七番丁駅(昭和19年に仙台東口駅と改称)が廃止
* 1956年(S31)6月、米軍キャンプ・ファウラーが返還
* 1956年(S31)、片倉工場閉鎖 などで
商店街はそれまでの存立基盤を失うが、S20年代半ば以降、仙台七夕に積極的に参加するなど商店主たちが結束、青年会もS32~35年には七夕仕掛物で毎年、全市商店街コンクールで2等賞を獲得などが明るい話題となった
* 1985年(S60)、再開発事業に着手(「仙台クロニクル」P120)
<二十人町教会>
商店街の真ん中に1895年(M28)年から二十人町教会があった
* 1982年(S57)6月、1909年(M42)建築の教会堂、取壊し始まる
* 1988年(S63)、教会が原町5丁目に移転
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「記念誌 わがまち.商店街50年のあゆみ」/「道股(ちまた)読本 その3」/「榴岡といっしょに生きてきた鉄砲町・二十人町」/「続・ 宮城県郷土史年表」P148/「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P120
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二十人町の七夕仕掛け物、75-01、75-02/「目で見る仙台の歴史」P189(戦後20年代の二十人町)/「仙台市史 特別編4 市民生活」口絵の図67~68(二十人町S32年、H8年、カラー)/「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P120(H5、カラー)
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二十人町 |
戦前 |
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「二十人町」は東北線の東側にある商店街
(仙台駅東口がなかった1952年(S27)夏までは)仙台駅からは、駅西側の駅前通りを北へゆき、すぐの名掛丁角の交差点を東へ右折し、線路を宮城野橋(通称・X橋エックスバシ)で越えるのが経路だった
・ 藩政時代に、仙台城大手筋をそのまま東へ延ばした要の場所に、鉄砲組二十人衆を配し城を守らせたのが町の始まりといわれる
・ 戦前は、釈迦堂の門前町として、また花見で有名な榴ケ岡公園へゆく行楽客で賑わい、明治時代から榴ケ岡に置かれた歩兵第4連隊の兵隊さんや連隊に出入りの人々相手の商売(入隊・除隊時の記念品、食料品、飲食店、菓子屋など)が多く、近くの片倉製糸仙台工場(明治38年開設、昭和31年1月閉鎖)に大勢いた女工さんもお得意さんで、庶民的な町として栄えた
・ 1937年(S12)の日中全面戦争以降は、次第に戦時色が強まるなかで軍事優先の統制経済による物資不足でやむなく店を閉鎖したり、太平洋戦争期には商店主たちが軍需産業へ強制動員されるなど苦難の時代が続いた
・ 1945年(S20)7月の仙台空襲では、商店街の一部を焼失
<二十人町と鉄砲町>
・「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P120~121に、両町の由来、沿革の記述あり
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「記念誌 わがまち.商店街50年のあゆみ」/「道股(ちまた)読本 その3」/「榴岡といっしょに生きてきた鉄砲町・二十人町」/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P120~121
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写真分類A-05-07二十人町の全写真(34-05、34-06、34-04、75-04、98-142など)/16-04、16-10ほか/「目で見る仙台の歴史」P138に「二十人町教会堂」
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仙台市の動物園(戦後) |
河北動物博覧会 |
1953年(S28) |
* 1953年(S28)10月24日、西公園で「河北動物博覧会」開催
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「見験楽学」(仙台・宮城のミュージアム情報サイト)/「仙台年表」P227
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藤崎(戦前期) |
西館 開店 |
1932年(S7) |
S8年の三越進出(東一番丁)を視野に、先手をうって本館横に西館を建設
* 1932年(S7)4月5日、地鎮祭
* 1932年(S7)11月3日、「西館」開店
・ オープン後は西館が藤崎の主力店舗となった
・ 東一番丁・大町交差点(南東角)で、T8年建設の洋風木造本館の西に隣接、それ以前この場所には土蔵造り瓦葺平屋店舗(M30年建設)があった
・ 鉄筋コンクリート造地下1階地上3階、一部4階建、ルネッサンス式総タイル張り、一部4階建て、のべ614坪
・ 大食堂(3階)、催事場(2階)、屋上には遊園地、エレベーターを設置
新設されたエレベーターと、それを操縦するエレベーターボーイ(紺の詰襟服、金ボタンに赤線の入ったズボン姿)が人気を博した(「仙台市史 特別編4 市民生活」P39)
* 1945年(S20)7月10日、仙台空襲で建物は焼け残る
* 1945年(S20)8月3日、空襲後の営業再開
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「藤崎」の店舗の変遷(増改築)は「藤崎170年のあゆみ」P196~209の年表/「仙台市史 特別編4 市民生活」P39、P40/「仙台市史 年表」P113
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20-37、20-38、18-22、98-016、64-03、53-33、53-46、22-27、98-019、20-23、53-100、20-26、20-31、72-02
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藤崎(戦後期) |
エクスポート・バザー 開設 |
1949年(S24)~1951年(S26) |
* 1949年(S24)8月10日~1951年(S26)12月、「西館」の地下1階に、外人専用売り場「エクスポートバザー」開設
・ 進駐軍(米軍)将兵と家族が対象
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「藤崎170年の歩み」P256/同P205の写真(S27年8月)とP140の写真(S26年11月)にエクスポートバザーの表示あり
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55-01、55-02、55-03、55-04
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藤崎(戦後期) |
戦災復興館(3階建てに) |
1949年(S24)/1952年(S27)鉄筋に |
* 1949年(S24)、「戦後復興館」(木造3階建)、T8年建設の旧本館跡に建設
* 1952年(S27)11月、戦後復興館(木造3階建)を解体し、鉄筋コンクリート(地上3階、地下1階)の売場が完成
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「藤崎170年の歩み」P138に記述と広告(S27年11月の新聞広告に建物イラストあり →西館が4階建)
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18-22
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エキスポートバザー |
開設期間 |
1949年(S24)~1951年(S26) |
* 1949年(S24)8月~1951年(S26)12月、藤崎デパートの地下にあった進駐軍専用売店(EXPORT BAZAAR)
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「藤崎170年の歩み」P130、P256
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55-01、55-02、55-04
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藤崎(戦前期) |
洋風木造館(2階建て)建設~焼失 |
大正期~1945年(S20) |
場所は大町・東一番丁角の敷地のうち東側の部分で、(旧)大町5丁目通りの南側に面す
* 1919年(T8)11月3日、「洋風木造館」開店
・ 創業百年を記念し近代的な洋風二階建木造館(200坪)の陳列式店舗を建て百貨店化、藤崎マーケットと称する(座売式店舗を廃止した)、西隣(大町・東一番丁南東角)には土蔵造りの卸部があった
・ 店内にブロックを敷き詰め、歩道と同じように歩けるようにした陳列式店舗で、水洗便所、暖房装置、索道金銭運搬機(キャッシュキャリー)を設備 / 近代設備は当時の仙台名物のひとつ
・ 呉服、綿布、洋反物、洋品雑貨、洋服誂えで呉服と雑貨を主力とする
* 1945年(S20)7月10日、仙台空襲で焼失
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「藤崎170年のあゆみ」P92、P254/「番丁詳伝」P43
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98-014、98-015、98-016、20-37、99-042
/「藤崎170年のあゆみ」P199~200(洋風木造館外観イラストと写真、売場写真、内部配置図)
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藤崎(戦後期) |
西館増築し一部5階建に |
1955年(S30) |
* 1955年(S30)10月15日、「西館」を増改築し一部5階建てに(第二次増築工事完成) / 仙台で初めてのエスカレーターを新設
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「藤崎170年のあゆみ」P256
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藤崎(戦前期) |
東一番丁角に出店(土蔵造り店舗) |
1896年(M29)~明治末年 |
* 1896年(M29)4月、(旧)大町5丁目3番地の470坪(一力健次郎氏より購入)に新店舗建築を開始(場所は大町通り・東一番丁南東角)
* 1897年(M30)2月11日、(旧)大町5丁目に「土蔵造り瓦葺座売式店舗」を完成、卸部・小売部を移転し、紀元節をもって移転開業
(跡地に、1932年(S7)11月3日に西館(3階洋館建)オープン)
* 1910年(M43)2月、藤崎三郎助がドイツ製二人乗り幌型自動車を3千円で自家用として入手(宮城県内第1号)
* 1912年(M45)2月、株式会社設立、「株式会社藤崎呉服店」とする、資本金70万円
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「藤崎170年のあゆみ」P253/「東一番丁物語」(柴田量平著)P214~217/「東一番丁創立五十周年」P8/「仙台市史 年表」P90/「重訂 宮城県郷土史年表」P307/「仙台年表」P171、P187/「番丁詳伝」P41、P110、
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「仙臺市名家及實業家一覧圖」(明治34年地図)に、「(旧)大町5丁目の藤崎呉服店」/「藤崎170年のあゆみ」P199に、「土蔵造り店舗の絵と写真」
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藤崎(戦前期) |
創業/大町4丁目へ進出 |
1819年(文政2年)/1879年(M12) |
* 1819年(文政2年)、得可壽屋(えびすや、現・藤崎)、(旧)大町2丁目1番地の地に太物商として創業
・ 当時の屋号はエビスヤ(「えべすや」と発音していたと伝えられている)
・ 〇にエの字を配し至誠一貫の意を表す横棒を入れて店印とした
* 1879年(M12)、大町4丁目(東一番丁北西角)に進出、小売部を開店(M15年より、正札販売) / 大町2丁目を本店(ほんだな)、大町4丁目の店を出店(さきだな)と呼ぶ / 木綿から絹織物までを扱う呉服店
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「藤崎170年のあゆみ」P22、P42/同P196~197に、創業~1989年(H元年)までの年表あり/「東一番丁創立五十周年」P8/「番丁詳伝」P42~43/「重訂 宮城県郷土史年表」P266/「番丁詳伝」P40
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藤崎(戦後期) |
藤崎シルバーマート 開店 |
1951年(S26) |
* 1951年(S26)12月、「シルバーマート」(藤崎名店街、のれん街)を新築オープン(木造2階建て、銀色の外観)
場所は、仙台空襲で焼失した北売場跡地(東一番丁・大町交差点の北西角)
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「藤崎170年のあゆみ」P204
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「藤崎170年のあゆみ」P204に写真あり
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藤崎(戦前期) |
北売場 開店~焼失 |
1935年(S10)~1945年(S20) |
* 1935年(S10)12月14日、「藤崎北売場」開店
・ 東一番丁・大町角(北西角)の梅川漆器店舗跡地に建設
・ 木造、地下1階地上3階建
* 1945年(S20)7月10日、仙台空襲で焼失
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「藤崎170年のあゆみ」P203
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53-33、64-03/七夕飾りは20-32、20-48/「藤崎170年のあゆみ」P203に全景写真/「番丁詳伝」P43/地図は98-110
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藤崎(戦後期) |
リビング館 開店 |
1982年(S57) |
* 1982年(S57)9月10日、「リビング館」オープン
・ 大町通り(中央通り)北側に面した6階建
・ S52年に解体された明治生命館(ロマネスク様式、赤レンガの壁)の跡地
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「藤崎170年のあゆみ」P196~197/「続・ 宮城県郷土史年表」P150
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藤崎(戦後期) |
屋上遊園地オープン(西館) |
1956年(S31) |
* 1956年(S31)3月、西館に「屋上遊園地」オープン
(観覧車、モノレール、子ども用自動車などがあった)
<編者注> 屋上観覧車が写る「写真18-09」はS29年夏の写真(理由:東一番丁通りのアーケードが大町角までで、藤崎以南にはまだ完成していない/西館がまだ一部4階建)なので、観覧車はS29年にはすでに出来ていたことがわかる
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「藤崎170年のあゆみ」P196~197
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59-01、18-09
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藤崎(戦後期) |
東館 開店 |
1971年(S46) |
* 1971年(S46)11月、「東館」を建設
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「藤崎170年のあゆみ」P196~197
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藤崎(戦後期) |
南館 開店 |
1963年(S38) |
* 1963年(S38)10月、「南館」完成(青葉通りに面した7階建)
S38年秋には、仙台の3デパート(藤崎、三越、丸光)が同時に増築を完成させた
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「藤崎170年のあゆみ」P146、P196~197
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大学・短大 |
聖和学園短期大学 |
1951年(S26)~ |
・一宗一派にかたよらない一般的仏教主義を教育の根本方針とする
* 1951年(S26)4月1日、開校(国文科・被服科)
* 1957年(S32)、被服科を家政科に科名変更
* 1962年(S37)、保育科増設
* 1976年(S51)、木ノ下校地に新校舎完成
* 1987年(S62)、泉区南中山に新校舎完成、キャンパス移転
* 1993年(H5)、被服科を生活文化科に科名変更
* 1997年(H9)、保育科が保母養成所に指定認可
* 2003年(H15)、人間コミュニケーション学科を設置
* 2005年(H17)、キャリア開発総合学科を設置
* 2007年(H19)、保育福祉学科を設置
* 2016年(H28)、保育学科を設置
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「聖和学園短期大学」HP/「仙台市史 年表」P117/「重訂 宮城県郷土史年表」P547/「続・ 宮城県郷土史年表」P246/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P544
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「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P544
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仙台市立病院 |
五橋に新築・移転 |
1980年(S55) |
* 1979年(S54)1月19日、上棟式
* 1980年(S55)3月30日、竣工
* 1980年(S55)7月1日、五橋地区(清水小路)の三島学園移転跡地に、地上10階、地下1階建ての新病院を建設、移転
* 1991年(H3)4月24日、市立病院救急センター開設(鉄骨鉄筋コンクリート造地下1階、地上7階) / 8,428㎡、病床数36床
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「続・ 宮城県郷土史年表」P92、P113/仙台市立病院HP(病院の沿革)/「仙台市史 年表」P132/仙台市立病院HP
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「新・目で見る仙台の歴史」P195(五橋に移転した仙台市立病院、カラー)
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銀行(都市銀行) |
東海銀行 |
1978年(S53) |
* 1978年(S53)11月14日、東海銀行仙台支店開設
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「続・ 宮城県郷土史年表」P88
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仙台朝市 |
スタート |
1948年(S23) |
* 1948年(S23)、青空市場、通称“朝市”から始まる(「仙台朝市商店街振興組合」HP)
* 1978年(S53)10月31日、新仙台駅前ビル(通称「仙台朝市アメ横ビル」)、オープン
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「続・ 宮城県郷土史年表」P87
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住宅団地 |
茂庭住宅団地 |
1978年(S53) |
* 1978年(S53)10月16日、仙台市茂庭で起工式(鶴ケ谷団地に次ぐ規模)
* 1984年(S59)6月、団地内に中央公園完成
* 1987年(S62)5月7日、団地に茂庭台診療所開所
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「続・ 宮城県郷土史年表」P86、P178、P224
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トラックターミナル |
仙台南トラックターミナル完成 |
1978年(S53) |
* 1978年(S53)10月1日、仙台南トラックターミナル完成(名取市熊野堂に)
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「続・ 宮城県郷土史年表」P86
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銀行(都市銀行) |
太陽神戸銀行 |
1978年(S53) |
* 1978年(S53)5月8日、太陽神戸銀行仙台支店開設
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「続・ 宮城県郷土史年表」P81
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大型店・量販店 |
エスパル |
1978年(S53) |
*1978年(S53)3月18日、仙台駅ビル内にS-PAL(エスパル)開店 / ファッション・雑貨・食品・おみやげ・レストランなどが揃うショッピングセンター
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「続・ 宮城県郷土史年表」P79/「わが心の仙台駅前史」年表/「エスパル仙台」HP
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「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P106~107(S53、カラー)
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ホテル |
仙台市内でオープン |
1976年(S51)~1989年(H1) |
1976年(S51)~1972年(S52)は、特に記事無し
* 1978年(S53)2月1日、ホテル・オペラ、オープン
* 1978年(S53)7月1日、ホテル国分町ビル、オープン
* 1978年(S53)10月28日、ホテル西公園、オープン
* 1979年(S54)5月31日、仙台パシフィックホテル完成
* 1980年(S55)10月23日、東急ホテル完成(一番町3丁目)
* 1981年(S56)8月1日、三井アーバンホテル、オープン(本町2丁目)
* 1982年(S57)4月10日、仙台第2ワシントンホテル、オープン
* 1985年(S60)3月8日、ホテルユニバース仙台店、オープン(一番町)
* 1986年(S61)7月1日、仙台ニューパシフィックホテル開業(中央1丁目)
* 1986年(S61)8月1日、ホテル・アルティア開業(中央2丁目)
* 1986年(S61)10月6日、仙台ターミナルホテル起工式(S63年7月、オープン)
* 1987年(S62)4月21日、ホテルウインブルドン、オープン(仙台市岡田)
* 1988年(S63)7月11日、仙台駅西口に仙台ターミナルホテル開業(20階建、地下2階 高さ86m)、1990年(H2)7月1日にホテルメトロポリタン仙台に改称
~ 以上、1989年(H1)まで ~
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「続・ 宮城県郷土史年表」P77、P83、P87、P96、P118、P189、P207、P212、P222/「わが心の仙台駅前史」掲載年表
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「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P122(H2、カラー)
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丸光 |
ダックシティー丸光/ビブレ/さくら野百貨店/店舗閉鎖 |
1985年(S60)/1991年(H3)/2002年(H14)/2017年(H19) |
* 1975年(S50)、ニチイ傘下に (「続・ 宮城県郷土史年表」P72では、1977年(S52)9月、スーパー・ニチイと業務提携)
* 1982年(S57)9月30日、百貨店連合と丸光(仙台)・武田山田(青森)・小美屋(川崎市)合併
* 1985年(S60)、「ダックシティー丸光仙台店」に改称
* 1991年(H3)、「ダックシティ丸光」から「仙台ビブレ」に改称
* 2002年(H14)10月、「さくら野百貨店仙台店」に変更、その後、一時休業
* 2003年(H15)、再オープン
* 2017年(H19)、倒産、売り場閉鎖
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「続・ 宮城県郷土史年表」P72、P151/Wikipedia「丸光」
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ダックシティー丸光は、「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P118(S62、カラー)
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仙台市民会館 |
落成 |
1973年(S48) |
* 1972年(S47)1月27日、起工式(西公園、戦後の仙台市公会堂跡地に)
1973年(S48)11月3日、落成式
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「続・ 宮城県郷土史年表」P6、P24/「仙台市史 年表」P129/「仙台あのころこのころ八十八年」P257
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タクシー |
福祉タクシー |
1977年(S52) |
* 1977年(S52)4月(11月?)、仙台市の個人タクシー事業協同組合、福祉タクシー120台実施
* 1977年(S52)12月5日、仙台市のフタバタクシー、車いすのまま乗車できる障害者用タクシー開始
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「続・ 宮城県郷土史年表」P66、P76、P74
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住宅団地 |
仙台南ニュータウン |
1976年(S51) |
* 1976年(S51)4月10日、分譲開始
* 1978年(S53)4月、団地内に公設市場オープン
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「続・ 宮城県郷土史年表」P53、P80
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交通監視用テレビ |
仙台市内 |
1971年(S46) |
* 1971年(S46)12月25日、原町坂下交差点に設置
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「続・ 宮城県郷土史年表」P5
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大型店・量販店 |
ダイエー/イオン |
1975年(S50)/2016年(H28) |
* 1975年(S50)9月9日、仙台店を東二番丁・青葉通り北東角にオ-プン(地上8階、地下2階)
* 1988年(S63)11月、ダイエー仙台泉ショッピングセンター開店
* 2016年(H28)3月8日、仙台店閉店 / 同年3月12日、同建物で、イオン仙台店としてオープン
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「続・ 宮城県郷土史年表」P4/「仙台市史 特別編4 市民生活」P41
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「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P119(S63、カラー)
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大型店・量販店 |
庄子デンキ |
1971年(S46)~2008年(H20) |
* 1971年(S46)11月13日、長町本店新築落成 / のち、東北地方に家電量販店チェーンを展開 / 2000年からラオックスの連結子会社 / 2008年(H20)8月、全店舗閉鎖
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「続・ 宮城県郷土史年表」P4/Wikipedia「庄子デンキ」(2019年)
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簡易保険保養センター |
県内初 |
1975年(S50) |
* 1975年(S50)12月24日、県内初の松島簡易保険保養センターがオープン
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「続・ 宮城県郷土史年表」P48
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スポーツセンター |
宮城厚生年金スポーツセンター |
1975年(S50) |
* 1975年(S50)10月10日、大和町前沢にオープン
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「続・ 宮城県郷土史年表」P45
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物価上昇 |
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1975年(S50)
~1979年(S54) |
* 1975年(S50)2月、不況が深刻化、完全失業者100万人を突破
* 1975年(S50)3月7日、前年のGNP初のマイナスとなる、1.8%減
* 1975年(S50)7月、仙台市のタクシー料金は初乗り270円に、迎え料金100円実施
* 1975年(S50)9月1日、仙台市営バス、均一区間料金、50円から70円に値上げ
* 1975年(S50)10月、仙台市で汲取り料金1人120円に改定
* 1975年(S50)12月5日、11月は戦後最高の企業倒産となる、1315件
* 1975年(S50)12月13日、宮城交通バスは、最低料金50円に改訂
* 1976年(S51)、この年、国鉄、電話、郵便、電気、ガスなど公共料金一斉値上げ
* 1976年(S51)2月1日、牛乳は52円(前は47円)
* 1977年(S52)10月11日、仙台市営バス・宮城交通は、値上げ(均一区間、70円から80円へ)
* 1977年(S52)12月1日、宮城交通バス運賃値上げ(塩釜~利府が220円)
* 1978年(S53)9月8日、仙台市バス、市内均一料金を10円値上げし90円に
* 1979年(S54)1月17日、第2次オイルショック
* 1979年(S54)3月10日、国鉄運賃、近距離大幅アップ、(仙台~石巻間590円申請)
* 1979年(S54)4月1日、ふろ代、大人150円・小学生80円に値上げ
* 1979年(S54)5月27日、ガソリンスタンド、日曜祝日全面休業
* 1979年(S54)12月12日、仙台市のタクシー代値上げ
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「続・ 宮城県郷土史年表」P43、P44、P46、P48、P50、P73、P74、P85、P93、P94、P104/菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P69、P70、P73
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市民の家 |
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* 1975年(S50)4月14日、仙台市で初の市民の家、オープン
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「続・ 宮城県郷土史年表」P39
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住宅団地 |
加茂団地 |
1975年(S50) |
* 1975年(S50)3月18日、起工式(泉市上谷刈赤坂)
* 1981年(S56)6月6日、公設小売市場開設
* 1988年(S63)4月、団地に加茂老人憩いの家完成
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「続・ 宮城県郷土史年表」P38/「続・ 宮城県郷土史年表」P130、P245
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電話 |
車椅子用電話ボックス |
1975年(S50) |
* 1975年(S50)3月23日、設置(丸光前と藤崎前)
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「続・ 宮城県郷土史年表」P38
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体育館 |
身障者体育センター |
1975年(S50) |
* 1975年(S50)1月27日、原町小田原桝江に開館
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「続・ 宮城県郷土史年表」P36
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銀行(地域の銀行) |
青和銀行/みちのく銀行 |
1974年(S49)/1976年(S51) |
* 1974年(S49)12月9日、青和銀行仙台支店開店
* 1976年(S51)10月、みちのく銀行と改称
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「続・ 宮城県郷土史年表」P35
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映画館(戦後) |
南日乃出劇場 |
1974年(S49) |
* 1974年(S49)11月、長町1丁目にオープン
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「続・ 宮城県郷土史年表」P34
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住宅団地 |
愛子団地 |
1974年(S49) |
* 1974年(S49)9月1日、発売(宮城町)
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「続・ 宮城県郷土史年表」P32
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東北歴史資料館 |
開館 |
1974年(S49) |
* 1974年(S49)8月1日多賀城町に開館
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「続・ 宮城県郷土史年表」P31
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仙台駅(戦後) |
新駅ビル開業 |
1977年(S52) |
* 1974年(S49)6月7日、新仙台駅起工式(「続・ 宮城県郷土史年表」P30)
* 1976年(S51)12月17日、仙台駅新駅ビル起工式(「仙台市史 年表」P130)
* 1977年(S52)12月15日、仙台駅90周年、新仙台駅が新幹線に使用する部分を除いて開業(駅舎4階と地下1階とステーションデパートなど入る建物で営業開始)
* 1978年(S53)3月18日、東西自由通路完成
* 同日、仙台駅ビル内にS-PAL(エスパル)開店
* 1981年(S56)6月10日、駅前西口バスプール、使用開始
* 1985年(S60)12月14日、仙台駅に仙鉄局直営飲食店開店
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「続・ 宮城県郷土史年表」P30/「仙台市史 年表」P130、P131/「続・ 宮城県郷土史年表」P75、P79、P129、P198/「わが心の仙台駅前史」年表
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「新・目で見る仙台の歴史」P130/「仙台市史 特別編4 市民生活」口絵の図3(S52年頃の新駅ビル)/「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P105(S53、カラー)
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公害・環境問題 |
(3) |
1974年(S49)以降 |
* 1974年(S49)5月、仙台市上水道水源の釜房湖にプランクトン発生
* 1974年(S49)7月、仙台市で、騒音・振動公害測定車始動
* 1974年(S49)9月28日、広瀬川の清流を守る条例、仙台市が制定
* 1975年(S50)4月、蒲生干潟のヘドロ減少を県が報告
* 1975年(S50)5月、鶴ケ谷団地の大堤沼にホタルの幼虫300匹放流(S49年から)
* 1975年(S50)6月5日、「杜の都の環境をつくる条例」に基づき、保存緑地28か所指定
* 1975年(S50)8月16日、仙台市清掃局、不要品あっせんコーナー開設(当時は全国でも珍しかった)
* 1975年(S50)11月25日、塩釜市の小野田セメント・日本セメント・三菱セメントは、公害防止協定結ぶ
* 1976年(S51)8月2日、北山輪王寺庭園に、ゲンジボタルの幼虫と卵7000匹放流
* 1984年(S59)5月25日、仙台市に、空き缶空き瓶選別センター発足
* 1985年(S60)12月5日(18日?)、宮城県議会は、脱スパイク条例(スパイクタイヤ対策条例)可決(4月~12月は全面禁止、12月~3月は使用規制)
* 1986年(S61)4月1日、宮城県スパイクタイヤ対策条例(脱スパイク条例)施行 → 項目「スパイクタイヤ粉塵公害」参照
* 1986年(S61)5月4日、蔵王のブナと水を守る会発足
* 1986年(S61)5月28日、仙台市沖野に、六郷・七郷の環境をよくする会結成
* 1988年(S63)6月2日、スパイクタイヤ、1990年12月までに製造を中止
* 1996年(H8)3月、仙台市環境基本条例、制定
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「続・ 宮城県郷土史年表」P30、P31、P40、P41、P42、P43、P47、P57、P177、P198、P204、P205、P206/「仙台市史 年表」P129/菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P79、P84/仙台市HP「仙台市環境基本条例」
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「仙台市史 特別編4 市民生活」P544(S58年ころ、スパイクタイヤのピン抜き作業)
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仏舎利塔 |
落慶 |
1974年(S49) |
* 1974年(S49)5月21日、荒巻国見台で仏舎利塔落慶
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「続・ 宮城県郷土史年表」P29
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ビル建設 |
住友生命仙台ビル |
1974年(S49) |
* 1974年(S49)3月1日、住友生命ビル完成(中央4丁目)/ 地上19階建て、高さ67.3mで、当時は東北一の高さ
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「続・ 宮城県郷土史年表」P27/Wikipedia「住友生命仙台中央ビル」
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スポーツ大会 |
仙台ハーフマラソン大会 |
1991年(H3) |
* 1991年(H3)3月17日、第1回仙台ハーフマラソン大会
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「続・ 宮城県郷土史年表」P271
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スポーツ大会 |
全国高校総合体育大会(第28回) |
1990年(H2) |
* 1990年(H2)7月31日、宮城県で、第28回全国高校総合体育大会開催
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「続・ 宮城県郷土史年表」P267
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