項目 |
小項目 |
年 |
内容 |
出典/参考資料 |
関連映像 |
年中行事(まつり) |
仙台七夕 |
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* 毎年8月6日~8日開催 → 項目「仙台七夕」を参照
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写真分類E「仙台七夕」の全写真
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年中行事(まつり) |
仙台祭 |
1887年(M20)~ |
* 1887年(M20)10月、招魂祭に合わせて桜岡大神宮祭礼や青葉神社祭礼などの仙台祭がおこなわれる。 この年以降、招魂祭と仙台祭は合同開催となる
* 1899年(M32)、仙台まつりの山鉾は路上の電線その他の関係によりこの年限り廃止となる(「重訂 宮城県郷土史年表」P315)
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「仙台市史 年表」P86/「重訂 宮城県郷土史年表」P315
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年中行事(まつり) |
青葉まつり |
1956年(S31)~ |
→ 項目「青葉まつり」参照
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年中行事(まつり) |
東北三大まつり |
1969年(S44)~ |
* 1969年(S44)5月30日、仙台七夕、秋田竿灯、青森ねぶた、仙台市内でパレードを行う
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「重訂 宮城県郷土史年表」P649
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年中行事(まつり) |
仙台市民まつり |
1975年(S50)~ |
* 1975年(S50)11月1日~3日、第1回開催
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「仙台市史 年表」P130/「続・ 宮城県郷土史年表」P46
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「新・目で見る仙台の歴史」P207
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年中行事(まつり) |
SENDAI光のページェント |
1986年(S61)~ |
* 1986年(S61)12月12日~27日、第1回「SENDAI光のページェント」開催(定禅寺通りと青葉通り)
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「仙台市史 年表」P134/「続・ 宮城県郷土史年表」P215
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師範学校 |
宮城師範学校(官立) |
1973年(M6)~1878年(M11) |
* 1973年(M6)11月17日、官立宮城師範学校が勾当台通に開校
* 1878年(M11)2月14日、同校廃止
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「仙台市史 年表」P80、P82
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「新・目で見る仙台の歴史」P138(宮城師範学校)
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師範学校 |
小学校教員伝習学校/仙台師範学校/県立宮城師範学校(県立)/宮城県尋常師範学校/宮城県師範学校/宮城師範学校(官立)/東北大学に |
1875年(M8)/1876年(M9)/1879年(M12)/1886年(M19)/1898年(M31)/1942年(S17)/ |
* 1875年(M8)3月22日、小学校教員伝習学校を宮城県が外記丁に設置
* 1876年(M9)3月3日、小学校教員伝習学校を仙台師範学校と改称
* 1877年(M10)8月、仙台師範学校が女子師範科を設置
* 1879年(M12)6月、前年に廃止された官立宮城師範学校の校舎(勾当台通)や機能を継承し、県立宮城師範学校と改称
* 1886年(M19)2月、制服が洋服に改められる
* 1886年(M19)8月28日、宮城県尋常師範学校と改称
* 1889年(M22)、北一番丁に校舎新築し移転
* 1898年(M31)年4月、宮城県師範学校と改称
* 1913年(T2)4月1日、宮城県師範学校から女子部が独立し、仙台市中島丁に開校
* 1942年(S17)4月1日、宮城県師範学校が宮城県女子師範学校を合併して官立の宮城師範学校となる
* 1949年(S24)5月31日、東北大学に包括(統合)
* 1950年(S25)4月1日、東北大学教育学部となる
* 1951年(S26)4月、宮城師範学校附属小学校、制度改正で、東北大学教育学部附属小学校となる(北七番丁校舎、中島丁校舎)
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「仙台市史 年表」P81、P85、P86、P90、P96、P112、P116/「明治の洋風建築-宮城県-」P59/「重訂 宮城県郷土史年表」P541、P549
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99-070(撮影は大正前半期)/「目で見る仙台の歴史」P121に、北一番丁の宮城県師範学校校舎
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師範学校 |
宮城師範学校(県立)に関する記述 |
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<宮城師範学校(県立)に関する下記二資料の記述は、「仙台市史 年表]の記述と、年が1~2年ずれている>
* 「明治の洋風建築-宮城県-」P59
「M6年に勾当台通り『仙台伝習所』が設けられ、M11年に『宮城県師範学校』と改称。M22に北一番丁に移り校舎を新築」
* 「宮城県百科事典」P1003
「(校名は数回の変遷を経ていることが詳細に記載され)M30年に『宮城県師範学校』と改称」
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「明治の洋風建築-宮城県-」P59/「宮城県百科事典」P1003の「宮城師範学校」/
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師範学校 |
宮城県女子師範学校(県立) |
1913年(T2)~1942年(S17)3月 |
* 1913年(T2)4月1日、宮城県師範学校から女子部が独立し、仙台市中島丁に開校
・<大正元年の地図>では、中島丁の通りに面し北側に「県立女子師範学校敷地」の記入あり、1996年現在の第一女子高校と同じ場所のようだ
・<昭和13年の地図>では、同じ位置に「女子師範学校」、「第三高等女学校附属小学校」がある
* 1942年(S17)4月1日、宮城県師範学校が宮城県女子師範学校を合併して「官立の宮城師範学校」となる
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「仙台市史 年表」P96、P112
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市街地住宅(第1号) |
完成 |
1968年(S43) |
* 1967年(S42)2月26日、仙台市庁舎外記丁分室跡に市街地住宅(11階建)起工式(敷地は仙台市が提供し、建物は住宅公団が建設)
* 1968年(S43)7月、初の市街地構想住宅が外記丁に完成(地下1階、地上11階 / 1~3階には、仙台北保健所と北社会福祉事務所などが移転入居、4階以上は152戸の住宅
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「重訂 宮城県郷土史年表」P630、P641/「市民の戦後史(仙台市)」P215
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「市民の戦後史(仙台市)」P215(市街地住宅のビル)
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市街化区域 |
決定 |
1970年(S45) |
* 1970年(S45)8月31日、都市計画法に基づき、仙台市の市街化区域・市街化調整区域が決定
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「仙台市史 年表」P127
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市町村合併歴(仙台) |
仙台市 |
2020年(R2)現在 |
* 1889年(M22)、市制施行、仙台市誕生
* 1928年(S3)4月1日、長町、原町、七郷村の南小泉と蒲町を編入
* 1931年(S6)4月1日、七北田村荒巻,北根を編入
* 1932年(S7)10月1日、西多賀村を編入
* 1941年(S16)9月15日、中田村、六郷村、七郷村、岩切村、高砂村を編入
* 1956年(S31)4月1日、生出村を編入
* 1987年(S62)11月1日、宮城町を編入
* 1988年(S63)3月1日、泉市、秋保町を編入(市人口88万)
* 1989年(H1)4月1日、政令指定都市としてスタート(東北初、全国で11番目)、市制100周年 / 青葉・宮城野・太白・泉・若林の5区に
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仙台市HPの「仙台市のあゆみ」/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P141/「仙台市史 特別編4 市民生活」P370
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市町村合併 |
昭和の大合併 |
1954年(S29)
~1955年(S30)に合併した県内新自治体名 |
通称「昭和の大合併」は、昭和28年の町村合併促進法=町村はおおむね、8000人以上の住民を有するのを標準=、及びこれに続く昭和31年の新市町村建設促進法による市町村合併で、1953年(S28)~1961年(S36)に実施された。1954年(S29)4月以降、宮城県内でも町村合併が相次いだ。以下は、昭和30年までに合併が行われ誕生した新市町村名(31年以降は略)
<1954年(S29)>
4月には、白石市(新市誕生)、岩出山町、鳴子町、小牛田町 / 7月には、大郷村、宮崎町 / 8月には、中新田町、築館町 / 11月に、津山町 / 12月に丸森町、若柳町
<1955年(S30)>
昭和30年1月~12月に、金成町、亘理町、山元町、宮城村、志津川町、三本木町、河北町、河南町、桃生町、牡鹿町、北上村、本吉町、松山町、蔵王町、岩沼町、名取町、栗駒町、一迫町、迫町、泉村、村田町、川崎町、大和町、鳴瀬町、矢本町、涌谷町
******(S31年以下、略)******
<参考>明治以降、昭和末年までの宮城県内市町村合併の全貌は、「第4 市町村変遷等の状況」http://www.mygsk.or.jp/sityouson/pdf/siryou/04_shichosonhensenjoukyou.pdf#search=%27%E5%AE%AE%E5%9F%8E%E7%9C%8C+%E7%94%BA%E6%9D%91%E5%90%88%E4%BD%B5%E4%B8%80%E8%A6%A7+%E6%98%AD%E5%92%8C%27
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「重訂 宮城県郷土史年表」P572~579
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市町村合併 |
平成の大合併 |
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平成の合併は、「宮城県の市町村合併誌」https://www.pref.miyagi.jp/soshiki/sichouson/sityouson-gappeishi.html
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市民福祉会館 |
荒町 |
1973年(S48) |
* 1973年(S48)4月、荒町にオープン
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「続・ 宮城県郷土史年表」P19
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市民土曜音楽会 |
開始 |
1960年(S35) |
* 1960年(S35)7月、始まる(市役所庁舎前で)
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「市民の戦後史(仙台市)」P125
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「市民の戦後史(仙台市)」P125(S35年7月、土曜音楽会)
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市民利用施設 |
4区分 |
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(1)~(3)は、市が計画的に設置し、(4)は設置の補助など
管理運営は、財団法人仙台市建築公社に委託されているが、その地域の各種団体代表による運営協議会が結成され、運営に対する住民参加の道が用意されている
(1)全市的および行政区域的(全市を5区に区分)
・ 市民会館、市体育館、婦人文化センターなど
(2)1~2の中学校区の地域対象の地域施設(中規模施設)
・ 地区市民センター ・ 公民館など
(3)単位は、小学校区程度の地域
・ コミュニティーセンター
(4)単位町内会程度の地域
・ 町内会集会所など
<参照> 仙台市の公共施設一覧は、「仙台市」HPの「公共施設案内」
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「仙台市史 特別編4 市民生活」P469~470
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市民利用施設 |
(1)全市対象公共施設 |
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<参照> 仙台市の全市対象公共施設一覧と最新情報は、「仙台市」HPの「公共施設案内」のうち、「スポーツ施設」「公園・野外活動施設」「図書館」「その他の文化施設」「高齢者施設」「障害者施設」
http://www.city.sendai.jp/kurashi/shisetsu/kokyo/index.html
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「仙台市」HPの「公共施設案内」
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市民利用施設 |
(2)地区市民センター |
1972年(S47)~ |
・ およそ1500㎡程度の、集会施設、体育施設(会議室、和室、体育館、遊戯室、娯楽室、図書室など)がある多目的施設
・ 公民館、保健センターと併設の場合もある
* 1972年(S47)、鶴ケ谷市民センター、東部市民センター建設
・ 1996年(H8)7月現在、市内に50館
<参照> 「市民センター」一覧は、「仙台市」HPの「公共施設案内」のうち「仙台市市民センター」
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「仙台市史 特別編4 市民生活」P469~470
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「仙台市史 特別編4 市民生活」P469(鶴ケ谷市民センターの利用案内)
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市民利用施設 |
(3)コミュニティーセンター |
1975年(S50)~ |
・ およそ300~500㎡規模、主に集会施設、和室、図書室など
・ 地区住民活動の場で建設段階から市民参加で施設内容を決め、運営管理も住民組織が自主的に行う(住民団体代表など40~80名の市民委員会を設置し、実際の運営は、委員会で選ばれた運営委員会が行う
* 1975年(S50)、上野山コミュニティーセンター(上野山市民の家)、若林コミュニティーセンター(若林会館)開館
・1996年(H8)7月現在、市内のコミュニティーセンターは48か所
<参照> 「コミュニティーセンター」一覧は、「仙台市」HPの「公共施設案内」のうち「コミュニティーセンター」
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「仙台市史 特別編4 市民生活」P470
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「仙台市史 特別編4 市民生活」P470(上野山コミュニティーセンターの上野山市民まつり)
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市民利用施設 |
(4)町内集会所 |
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・ ほぼ町内会単位で、集会所の新築、増改築、修繕費は、町内会ないし連合町内会に一部補助金を交付
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「仙台市史 特別編4 市民生活」P470
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市民の家 |
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* 1975年(S50)4月14日、仙台市で初の市民の家、オープン
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「続・ 宮城県郷土史年表」P39
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市民のつどい |
第1回 |
1967年(S42) |
島野市長時代に始まり、毎年定期的に会合
* 1967年(S42)11月9日、第一回市民のつどい
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「市民の戦後史(仙台市)」P204~205
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「市民の戦後史(仙台市)」P204~205
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市場 |
明治期 |
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* 1880年(M13)12月16日、「長町青物市場」を名取郡の野菜生産農家が開設
* 1881年(M14)10月25日、青物市場が「河原町市場」に一本化され、長町市場は閉鎖される
* 1892年(M25)6月25日、「長町青物市場」を名取郡茂ケ崎村長町に開設
* 1892年(M25)7月30日、「共同八百屋市場」、河原町・新河原町に開設
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「仙台市史 年表」P83、P84、P88
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「仙台市史 特別編4 市民生活」P87(明治期の長町青物市場)
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市場 |
大正期(公設市場) |
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* 1919年(T8)9月15日、公設市場として南町通りに「仙台市南市場」、表小路に「仙台市北市場」を開設
* 1920年(T9)9月28日、両市場を閉鎖
* 1920年(T9)12月17日、新たな公設市場として「名掛丁市場」を開設
* 1921年(T10)12月24日、名掛丁市場を閉鎖し、翌日、定禅寺通に「中央公設市場」、清水小路に「南公設市場」、北一番丁に「北公設市場」を開設
* 1922年(T11)8月4日、宮城県公設市場増設し、木町通に「西公設市場」開設
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「仙台市史 年表」P99、P100/「仙台市史10年表」P259
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市場 |
昭和期 |
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<戦前>
* 1929年(S4)、肴町の「仙台魚市場」と「河原町市場」が卸売市場の開設認可
* 1930年(S5)7月21日、河原町市場が、株式会社「仙台青果市場」として開業
* 1930年(S5)10月3日、「仙台果物市場」開設
* 1943年(S18)1月18日、「仙台鮮魚市場」、東七番丁に完成
<戦後 昭和40年まで>
* 1950年(S25)8月28日、「仙都魚類株式会社の魚市場」開設許可
* 1963年(S38)12月1日、明治25年創設の「長町青果市場」が閉場
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「仙台年表」P208/「仙台市史 年表」P105、P123/「仙台市史10 年表」P275、P324/「重訂 宮城県郷土史年表」P292、P546、P548、P611
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「目で見る仙台の歴史」P165に「河原町青物市場」/「市民の戦後史(仙台市)」P146(S38年12月、長町青果市場最後のセリ)
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市場 |
駅前マーケット |
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戦後のヤミ市からできたマーケットの1つでバラック小屋が集まっていた / 場所は東五番丁・南町通り交差点北側 / 経営は仙台駅前商業組合
<火災>
* 1949年(S24)3月16日、46戸焼失
* 1949年(S24)10月10日、駅前マーケット(青葉通り)67戸に撤去代執行(「仙台市史 別冊2」P382)
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「番丁詳伝」P168/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P818
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市場 |
仙台東一公設市場(東一マーケット) |
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* 1946年(S21)?、「仙台東一公設市場」(東一マーケット)は、戦後、東一番丁通り北部の三越のやや南で、道の東側に面してあった
* 1956年(S31)、鉄筋2階建に改築され、その後も「東一市場」の名で存続
<火災>
* 1951年(S26)2月5日、東一番丁火事(午後1:40頃)により、東一マーケットに延焼 / 17戸全焼
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<火災>
「市民の戦後史」P50/「仙台年表」P221/「重訂 宮城県郷土史年表」P547/「仙台市史10 年表」P325/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P818
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16-38、16-39
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市場 |
中央マーケット(戦前) |
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昭和戦前期、東一番丁南部(通称大通り)にあった。
【「仙台大観(昭和10年刊」P43】
「大通りには1年を通じて毎夜、夜店が開かれ、夜の一番丁に一層の賑わいを呈し、傍らの「中央マーケット」には、コリントゲーム、玉突き、輪投げ、射的、演芸(無料公開)等があり遊芸場として昼夜雑踏を極めている。」
<参照>当サイト内「市民の思い出・時代の記憶」F-5 市民の楽しみ に、戦前期の大通りの夜店、中央マーケットの思い出あり
なお、戦後(昭和21年)に通称大通りに開設された「仙台中央公設市場」も、通称「中央マーケット」と呼ばれた。
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「仙台大観(昭和10年刊」P43
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市場 |
仙台中央公設市場(戦後の中央マーケット) |
1946年(S21) |
<開設>
1946年(S21)5月か8月、「仙台中央公設市場」開設、場所は、東一番丁の南部(旧・大通り)、藤崎より南で道の東側
*「仙台中央市場」開設は、
・「市民の戦後史」P30のキャプションではS21年5月
・ 同P7の年表では、S21年8月
・「仙台市史特別編4 市民生活」P91ではS21年8月 →「S21年8月、仙台露天商実業睦組合が、東一番丁から南光院丁に向けて建設した仙台中央公設市場が156店の出店で正式に開場した」
・仙台睦商業協同組合は中央マーケットと呼ばれてコマ店110が軒を並べ、生鮮食品からは舶来ものの高級品までなんでもそろう市場であった(「番丁詳伝」P210)
<火災>
*1948年(S23)2月10日
・ S23年2月、東一中央公設市場92戸焼失(「市民の戦後史」P9)
・ S23年2月10日、東一番丁中央市場で火災、95戸焼失(「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P818)
・ S23年2月20日、東一番丁に昼火事あり、東一中央公設市場及南松竹映画館等焼失す(「重訂 宮城県郷土史年表」P525)
*1948年(S23)5月27日
・ S23年5月、東一番丁仙台中央市場72戸焼失(「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P818)
・ S23年5月27日、仙台市東一番丁公設市場、火災で61戸を焼失(「重訂 宮城県郷土史年表」P526)
・ S23年5月27日、約70戸焼失(「仙台市史 年表」P115)
・ 仙台中央市場62戸全焼(「仙台市史10 年表」P318)
*1951年(S26)2月5日
・ 午後1:40頃、東一番丁火事、東一マーケットに延焼す(「仙台年表」P221 / 「重訂 宮城県郷土史年表」には記述なし)
*1961年(S36)12月25日、東一番丁中央市場で、3棟17戸焼失(「仙台市史10 年表」P318、「重訂 宮城県郷土史年表」P602)
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<開設>
「市民の戦後史」P7、P9、P30 /「仙台市史特別編4 市民生活」P91/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P818/「仙台年表」P221/「番丁詳伝」P210/「仙台市史 年表」P115/「仙台市史10 年表」P318/「重訂 宮城県郷土史年表」P525、P526、P602
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22-55(の右端に写る)/98-013
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市場 |
仙台市中央卸売市場 |
1960年(S35)/1973年(S48) |
* 1955年(S30)7月、市場内の製氷工場操業開始
* 1957年(S32)4月26日、起工式(宮城野原旧練兵場跡)
* 1960年(S35)12月4日、宮城野原に開設、「水産物部」の業務開始
* 1961年(S36)12月11日、「青果物部」の業務開始(これまであった長町市場を暫定的に1年間、分場として残す)
<新・仙台市中央卸売市場>
* 1973年(S48)11月1日、原町南目(卸町4丁目)に、新たな「仙台市中央卸売市場」開場(青果、水産、花き部門を併設)
* 1975年(S50)7月、仙台市田子(扇町6丁目)に、中央卸売市場(食肉市場)開業
* 1988年(S63)1月、花き部門を分離、花き市場が苦竹4丁目に完成した新施設で営業開始
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「市民の戦後史(仙台市)」P90/仙台市HPのうち、仙台市中央卸売市場(市場の歴史)および仙台市中央卸売市場(食肉市場の歴史)
/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P465~467/「仙台市史 年表」P121、P122、P129、P135/「重訂 宮城県郷土史年表」P585、P602/「続・ 宮城県郷土史年表」P24、P43、P238/
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「目で見る仙台の歴史」P183(宮城野原の中央卸売市場)/「仙台市史 特別編4 市民生活」P89(S30年代、中央卸売市場セリ風景)/「新・目で見る仙台の歴史」P182(宮城野原の中央卸売市場俯瞰全景、セリ風景)/「市民の戦後史(仙台市)」P90(製氷工場)/同118~119(市場全景、青果物市場、水産市場、せち)/「新・目で見る仙台の歴史」P206(魚市場セリ、カラー)/「仙台市史 特別編4 市民生活」P75(S50年頃、食肉市場)
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工兵第二大隊 /工兵第二連隊 |
大隊を連隊に改編 |
1936年(S11) |
* 1882年(M15)5月1日、「工兵第二中隊」を仙台鎮台に設置
* 1884年(M17)5月の仙台鎮台の編制表に「工兵第二大隊」がみられる
* 1888年(M21)、1897年(M30)、1907年(M40)、1925年(T14)の第二師団編制では、「工兵第二大隊」
* 1936年(S11)6月1日、「工兵第二連隊」と改編
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宮城県史7の「仙台部隊関連年表」/「重訂 宮城県郷土史年表」P452
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99-153、34-31-01、53-115
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岩切城跡 |
国の史跡指定 |
1982年(S57) |
1982年(S57)8月23日、岩切城跡が国の史跡に指定される
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「仙台市史 年表」P133
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「目で見る仙台の歴史」P25
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山火事 |
泉市松森地区 |
1983年(S58) |
* 1983年(S58)4月27日、泉市(当時)の松森地区で大規模な山火事発生、山林862ヘクタール、住宅など21棟が焼失
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「仙台市史 年表」P133
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山形自動車道 |
部分開通 |
1988年(S63)~ |
* 1981年(S56)4月15日、国道286号笹谷トンネル(笹谷IC ~ 関沢IC)開通(3,385m)
/ 山形自動車道の笹谷IC~ 関沢IC間は、開通当初は国道286号のバイパス有料道路(笹谷トンネル)として供用されたが、4車線化後、1998年(H10)に高速自動車国道に格上げされて、山形自動車道に繰り入れられた
* 1988年(S63)10月13日、村田JCT~宮城川崎間、開通(110.4キロ)
* 1989年(H1)7月26日、山形北~寒河江間、開通
* 1990年(H2)10月4日、宮城川崎~笹谷峠間、開通
* 1991年(H3)7月31日、関沢~山形北(14キロ)開通(これで、村田JCT~寒河江間が全通)
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「続・ 宮城県郷土史年表」P126、P252、P268、P270
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富国生命館(国分町) |
完成~解体 |
1938年(S13)~1987年(S62) |
* 1938年(S13)10月、完成(国分町・魚町南西角)
* 1945年(S20)秋、進駐軍に接収され、軍事占領業務を司どる「宮城軍政府」がおかれた
* 1987年(S62)1月21日、解体
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「続・ 宮城県郷土史年表」P218
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戦前は、99-027、99-028/ 空襲後は53-80/ 戦後は、20-03
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宮沢橋(広瀬川) |
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1946年(S21)/1949年(S24)/1955年(S30) |
項目「宮沢の一銭橋」よりつづく
* 1946年(S21)7月12日、宮沢橋落成(着工は4月31日) / 本格的な木造橋が「一銭橋」の100m程上流に架けられた(「仙台あのころこのころ八十八年」P135)
* 1947年(S22)4月31日、一銭の渡り賃で「一銭橋」の異名のあった宮沢橋が木造橋に架け替えの起工式(「仙台市史 続編2」P825)
* 1948年(S23)アイオン台風と、1950年(S25)に、広瀬川が氾濫し、被害をうける
* 1949年(S24)7月17日、宮沢橋落成(「仙台市史 続編2」P831)
* 1949年(S24)、宮沢橋、堰場・根岸間に復旧架設(「重訂 宮城県郷土史年表」P539)
* 1955年(S30)8月、元の渡し場付近に、今(1995年現在)の宮沢橋が完成(「仙台あのころこのころ八十八年」P135)
* 1990年(H2)8月、宮沢橋付近で、広瀬川の灯篭流し復活(13年ぶり)(「続・ 宮城県郷土史年表」P268)
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「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P409/「仙台市史 続編2(経済文化編)」P825、P831/「仙台あのころこのころ八十八年」P135/「重訂 宮城県郷土史年表」P539/「続・ 宮城県郷土史年表」P268
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99-110、06-05/「仙台市史 特別編4 市民生活」口絵の図24(H8年)
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宮沢の一銭橋 |
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1880年(M13) |
* 1880年(M13)までは渡し舟だった / その後、渡し守が私設の有料橋をかける(30cm位の木製の板、2枚を並べた橋で、川の増水時には取り外しができるようになっていた)
・ 通行料が3文だったが、終わりころには1銭になったので通称「1銭橋」と呼ばれていた(「仙台あのころこのころ八十八年」P135)
・ 渡し守の家は根岸川の高台にあった
・ 広瀬川に架かる宮沢橋の前身
* 1938年(S13)7月、仙台市会、林吉次郎の宮沢橋仮橋寄付を採択す(「仙台市史10 年表」P293)
→このあとは、項目「宮沢橋」を参照
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「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P409/「仙台市史 続編1」P409/「仙台あのころこのころ八十八年」P135/「仙台市史 別冊2」P825、P831/
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06-03、53-109/「仙台市史 特別編4 市民生活」口の絵図23
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宮城電鉄 |
国有化以前 |
1925年(T14)~1944年(S19)4月 |
* 1922年(T11)9月9日、宮城電気鉄道株式会社設立
・ 細倉鉱山の亜鉛精錬用電力の余剰分消費のため企画された
* 1925年(T14)6月5日、宮城電気鉄道(私鉄)が仙台~西塩釜間で運行開始、宮城電鉄仙台駅も開業
* 1927年(S2)4月、松島まで開通
* 1928年(S3)11月23日、石巻まで延伸開業(西塩釜~石巻間が開通)、30分おきに1両運転 / 女性車掌のオシボリのサービスもあり、松島観光や海水浴を宣伝した / 昭和恐慌の頃は展望車接続
* 1944年(S19)5月1日、宮城電鉄が国有化され、国有鉄道仙石線となる
<以降は、項目「国鉄(仙石線)」参照>
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「重訂 宮城県郷土史年表」P398/「仙台市史 年表」P101、P103、P104、P113/「新・目で見る仙台の歴史」P147/「仙台市史 特別編4 市民生活」P200
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「目で見る仙台の歴史」P156と「新・目で見る仙台の歴史」P147に、宮城電鉄/「仙台市史 特別編4 市民生活」P200(リーフレット「宮城電鉄沿線案内」)/同P523(戦前期?新田駅のプラットホーム)
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宮城集治監 |
設置 |
1879年(M12) |
* 1879年(M12)4月1日、宮城郡南小泉村(若林城跡)に設置
* 1973年(S48)、改造のため解体
・ 政府が、若林城跡に、西南戦争の国事犯を収容するため設置
・ 中央に見張り所の4階建ての塔がそびえ、6棟の2階建ての雑居房・独居房が放射状に突き出す(雪形六出の構え)
・ 木造ペンキ塗り、和洋折衷で、玄関に唐破風、塔頂の宝珠形など
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「仙台市史 年表」P83/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P143/「目で見る仙台の歴史」P109/「新・目で見る仙台の歴史」P123
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「目で見る仙台の歴史」P109(明治12年建設の集治監)/同P44(若林城跡の土塁)
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宮城野駅/仙台貨物ターミナル駅 |
開業/改称 |
1961年(S36)/2011年(H23) |
* 1961年(S36)6月1日、「宮城野駅」(貨物専用駅)開業
* 2011年(H23)3月12日、JR貨物の営業上の駅名を「宮城野駅」から「仙台貨物ターミナル駅」に改称
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「仙台市史 年表」P122
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宮城野通り |
命名 |
1982年(S57) |
仙台駅東第一土地区画整理事業により新設された仙台市道1878号線で、1982年(S57)に「宮城野通」と名付けられる。/ (起点)仙台駅東口駅前広場~(終点)宮城野原公園総合運動場前 / 仙台駅東口から東に延びる東西メインストリートであり、全長1,557m、幅員50m
/ 歩道には、東七番丁から東の区間に街路樹が整備され、東七番丁から東十番丁の区間には小さな水路や様々なストリートファニチュアが設けられている / この街路の地下をJR東日本・仙石線が走っている
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Wikipedia「宮城野通り」(2020年12月16日版)
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「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P113(S59、建設途中、カラー)/同P116~117(S62、整備中の駅東口広場と宮城野通り)
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宮城県青年会館 |
開館 |
1955年(S30) |
* 1955年(S30)12月23日、元寺小路に開館
* 1969年(S44)4月、銀杏町に移転
* 1977年(S52)9月1日、原町小田原の宮城県立農業試験場跡地に新築移転して開館
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「仙台市史 年表」P119、P126、P131
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宮城県青年の船 |
実施 |
1973年(S48)~1989年(H1) |
* 1973年(S48)4月8日、フィリピンへ出港
* 1973年(S48)9月1日、マニラに向けて船出
* 1989年(H1)8月19日、最終回の青年の船、韓国へ出発
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「続・ 宮城県郷土史年表」P18、P23、P262
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宮城県護国神社/宮城神社 |
戦災、戦後 |
1945年(S20)/1946年(S21) |
* 1945年(S20)7月10日、仙台空襲で社殿を焼失、ご神体は市内の秋保神社・仮宮に遷された
* 1946年(S21)、「宮城神社」と改称(GHQによる神道指令に基づく政教分離により)
* 1952年(S27)7月、宮城神社上棟式
* 1953年(S28)4月28日、宮城神社奉斎殿、青葉通り大町頭に竣工 / 4月28日~5月7日、清祓並びに新殿祭・遷座祭・合祀祭・春季例祭・臨時慰霊祭等を行う / 奉斎殿は、S26年4月着工、28年4月竣工、神殿造延坪200坪、2階建て
* 1954年(S29)8月6日、本殿造営御木曳祭
* 1955年(S30)8月1日、本殿柱立式
* 米軍が去った1957年(S32年)に社名を「宮城縣護國神社」に戻し、1958年(S33)に伊勢神宮別宮「風宮」の旧社殿を移築
* 1968年(S43)4月、新社殿落成
<「戦争のころ 仙台、宮城」P38>
・明治以降の戦死者、戦病死者約5万6000柱をまつる
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Wikipedia「宮城県護国神社」/「仙台年表」P231、P234/「重訂 宮城県郷土史年表」P515、P557、P563/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P188/「戦争のころ 仙台、宮城」(石澤友隆著)P38
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「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P188の写真54(戦後再建した護国神社)/「目で見る仙台の歴史」P194(大町頭の宮城神社奉斎殿)
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宮城県護国神社 |
招魂社を改称 |
1939年(S14) |
* 1904年(M37)8月28日、本丸跡に「招魂祭殿」成る(「仙台城」P233)/ 本殿は神明造銅板葺き、前に土間式瓦葺の拝殿 / 毎年4月30日に盛大な招魂祭
* 1904年(M37)8月28日、「招魂社」が仙台城本丸跡に竣工
* 1939年(S14)4月1日、招魂社を「宮城県護国神社」と改称
* 1939年(S14)4月10日、護国神社法制定、招魂社を県護国神社と改め、社殿改築に着手(「仙台城」P234)
・ 改築は全額寄付(総額みこみ25万円、県費、多額納税者、銀行会社、学生生徒、仙台市は市民への割当、他の市町村)でまかない、工事には軍隊、学生生徒、青年団が参加(「戦争のころ 仙台、宮城」P38、出典は「宮城県知事事務引継書」)
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「仙台城(仙台市教育委員会 昭和42年刊)」P233、P234/「目で見る仙台の歴史」P142/「重訂 宮城県郷土史年表」P331、P467、/「仙台市史 年表」P92、P110/「戦争のころ 仙台、宮城」(石澤友隆著)P38
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宮城県護国神社は、16-06、16-07/ 招魂社の時代は、99-159、98-091、「目で見る仙台の歴史」P142に「本殿唐門」と「拝殿」
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宮城県護国神社 |
新社の遷座祭 |
1942年(S17) |
* 1940年(S15)10月25日、宮城県護国神社の上棟式
* 1942年(S17)5月29日、宮城県護国神社新社の遷座祭挙行
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「重訂 宮城県郷土史年表」P478、P489/「仙台市史 年表」P112/「仙台市史10 年表」P304
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「目で見る仙台の歴史」P166に、S17年の社殿(手水舎と鳥居)
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宮城県美術館 |
開館 |
1981年(S56) |
* 1980年(S55)1月29日、川内支倉で起工式
* 1981年(S56)11月3日、川内に開館
* 1986年(S61)11月、丸森町出身彫刻家佐藤忠良の全作品を県美術館に寄贈
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「仙台市史 年表」P132/「続・ 宮城県郷土史年表」P108、P135、P214
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宮城県第二総合運動場 |
設置 |
1981年(S56) |
* 1981年(S56)4月、宮城県第二総合運動場、宮城県武道館(4月25日落成、鉄筋5階建て)とともに根岸の宮城県農業学校跡地に設置
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「仙台市史 年表」P132/「続・ 宮城県郷土史年表」P127
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