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芭蕉の辻 (昭和26年)
芭蕉の辻 (昭和26年)

分類項目 芭蕉の辻 
タイトル 芭蕉の辻 (昭和26年) 
写真番号 20-03 
場所 仙台市芭蕉の辻
映像内容 絵葉書「[復興の仙台] 城下町の中心地芭蕉の辻は昔を偲ぶ建物は戦後近代建築に代りその名残を知る人は少ない」を複製
/ 一帯は仙台空襲(昭和20年7月)で焼失し、戦前の面影はない(参照:昭和10年代半ばの芭蕉の辻→ 98-028 、仙台空襲の被害は、写真 35-1353-80 ) / 手前が芭蕉の辻交差点(縦が国分町通り、手前横が大町通り) / 奥が北方向/ 右角は日本銀行仙台支店(空襲前は、ドイツ・ルネッサンス風洋館の日銀仙台支店だった) / 「光生命」の玄関脇歩道に標柱「宮城縣道路元標」(光生命は、空襲前は藩政時代からの城櫓風の建物=安田生命があった場所、戦前はここに「里程元標」、昭和10年からは「芭蕉の辻」碑)
/ 敗戦の翌月(昭和20年9月)、占領軍(米軍)が宮城県にも進駐し、日本軍用地や仙台市中心部の焼け残った建物を接収、芭蕉の辻周辺にも集中していた / 「光生命」右横の広場は進駐軍専用駐車場 / 奥の白いビル「富国生命館」は空襲で焼け残り米軍が接収し、「宮城軍政府」が入り軍事占領業務を司っていた / 日銀奥の白いビルには米軍の将校クラブや軍赤十字などが入る / 右角は占領軍用の道標(白の矢印) / アメリカ製の乗用車が目につく
/ 写真 20-05 (空撮)の左下隅の交差点が、同時期(昭和26年)の芭蕉の辻
撮影年代 1951年(S26) 
撮影年代判定根拠 絵葉書「復興の仙台」は昭和26年発行 
関連情報/参考文献 *芭蕉の辻の「里程元標」と「芭蕉の辻碑」については、写真 98-023 の関連情報欄参照

絵葉書提供者・渡邊慎也氏のコメント 「藩政時代から仙台の中心だった“芭蕉の辻”は、戦後一変した。豪華な景観は消え、ちぐはぐな光景を生み出している。この頃(昭和26年)、芭蕉の辻付近の一帯は、左角の「光生命」(藩政時代からの城櫓風建物跡)と右角の「日本銀行仙台支店」を除く北側一帯が肴町まで、占領軍の支配地になっていたのがその理由。「光生命」の右手の広場は《占領軍用駐車場》。その奥、白い建物は「富国生命館」で、アメリカ軍《宮城軍政府》として軍事占領業務を司っていた。 「日銀」奥の白いビルには、《将校用クラブ》や《アメリカ軍赤十字》などが入り、「日銀」前にはGI(アメリカ兵)の姿も見える。彼の視線の先にあるのは、占領軍用の道標(白の矢印)で、市内随所に建てられていた。この頃、乗用車のほとんどは、占領軍将兵とその家族用のもので、日本人用は稀であった。」
備考  
カラー/モノクロ モノクロ 
分類内の通し番号 28 
画像ファイル名 sendai2028 
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