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年 |
内容 |
出典/参考資料 |
関連映像 |
アインシュタイン |
来仙 |
1922年(T11) |
* 1922年(T11)12月3日、アルベルト・アインシュタイン博士が来仙、東北帝国大学金属材料研究所などを視察
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「仙台市史 年表」P101
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「目で見る仙台の歴史」P148に、「アインシュタイン博士と東北帝大理学部教授たち」
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やりなおし市長選挙 |
仙台市 |
1958年(S33) |
* 1955年(S30)4月30日仙台市長選、岡崎栄松4期目当選に対し、革新系島野武候補側が、市選管に異義申し立て / 市選管は票再点検の結果、却下(この過程で投票総数増加等の疑惑) / 仙台地検捜査開始 / 県選管も投票用紙点検し、選挙無効と裁定 / 岡崎派が行政訴訟
* 1956年(S31)12月25日、仙台高裁、選挙無効判決
* 1957年(S32)12月17日、最高裁が、仙台市長選挙無効の判決
* 1958年(S33)2月2日、やりなおし選挙で、島野武当選
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「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P116~118/「重訂 宮城県郷土史年表」P586、P587
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「市民の戦後史(仙台市)」P103と、「新・目で見る仙台の歴史」P182に「S33年2月、初当選し登庁する島野武市長」
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ひらつか(東一番丁) |
戦後、進駐軍専用店を経営 |
1948年(S23) |
【「番丁詳伝」P152より】
* 1918年(T7)、平塚長蔵氏、塩釜で「ひらつか製菓舗」創設
* 戦時中は、多賀城にある海軍工廠の御用商人として自由に農産物を入手でき、漬物などを大量に生産
* 戦後、仙台・東一番丁(大通り)の一力邸の焼け跡を取得
* 1948年(S23)、敷地内に50m幅の青葉通りが造成しつつあった当時、敷地はヤミ市商人の密集中心地であったが、撤去後、「コックドール」(2階建ての洋風店舗)を建築、開業 / アメリカ進駐軍家族専用の店舗(レストランとフードマーケット)で日本人はオフリミット / 子息の長治氏が英語が話せたことから、進駐軍民生部に日参し、ヤミ市撤去と米軍関係者の利用施設を実現 / 進駐軍専用施設なので原材料の入手に困ることはなかった
・ 1950年(S25)の朝鮮戦争開始により在仙台米軍の大半が引上げ後は、方針を日本人向けに転換した
・ 仙台市高砂に最新技術を取り入れた東北初のオートメーション工場を建設
・ 一番町店舗の改築を行い、和・洋・中の総合レストランビルを完成
・ 平塚製パン、平塚物産、ひらつか、平塚販売等を展開
*****************************************
・ 昭和26年の絵葉書(写真20-01-01)でも、「ひらつか」は表示塔に「ON LIMITS RESTAURANT」とあるように、進駐軍専用のフードマーケット(1階)とレストラン(2階)だった
・ 昭和28年からは、パン・洋菓子販売と日本人むけに喫茶・レストランを経営
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「番丁詳伝」P152/昭和26年発売の絵葉書20-01-01の内容から
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20-01-01、22-07、58-01、58-03
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ひらつか(東一番丁) |
焼失 |
1960年(S35) |
ひらつかは、S35年暮れの火事で焼失 / その後再建
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ひとにやさしいまちづくり条例 |
制定 |
1996年(H8) |
* 1996年(H8)6月、仙台市が、「ひとにやさしいまちづくり条例」制定
・ 「公益的施設」(社会福祉施設、官公庁の施設、医療施設、宿泊施設、理容、飲食店、体育館、映画館等)は、工事の際、施行規則に定める整備基準に適合させる
・ 「指定施設」(公益的施設のうち特に福祉整備が必要となる施設)では、建築等の際に事前届出が必要
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仙台市HP「ひとにやさしいまちづくり条例」
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ちびっこ広場 |
第1号 |
1966年(S41) |
* 1966年(S41)11月3日、「ちびっこ広場」第1号を北七番丁に完成
民間から提供された敷地に、市が遊具などを貸しつける事業 / 子どもの健全育成、交通事故防止がねらい / S43年度までに108カ所誕生
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「重訂 宮城県郷土史年表」P628/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P251
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「市民の戦後史(仙台市)」P188(S41年11月、ちびっこ広場第1号オープンセレモニー、遊具で遊ぶ子ら)
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こけし塔(西公園) |
除幕式 |
1961年(S36) |
* 1961年(S36)3月27日、仙台市戦災復興都市計画事業完了、完工式(総額11億5千万円)、3月27日に完了記念の「こけし塔」を西公園に建設除幕式 / 鋳物製
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「仙台市史 年表」P122/「仙台あのころこのころ八十八年」P253/「宮城百年」(毎日新聞社刊)年表
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こけし塔(仙台駅前) |
設置 |
1949年(S24) |
* 1949年(S24)、仙台駅前広場のこけし塔、仙台復興祭グランドフェア(S24年4月20日~5月31日)の歓迎用に建てられ、その後も広告塔として使われた
・ S26年当時の写真にも写る
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「戦災復興余話」P101~102に、グランド・フェアーにつき記述あり
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16-20、16-18、16-19、20-08
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がん検診センター(宮城県対がん協会) |
協会結成/検診センター完成 |
1958年(S33)/1968年(S43) |
* 1958年(S33)9月、宮城県対がん協会結成(北七番丁)
* 1960年(S35)、集団検診車登場、東北各地に出張診断
* 1963年(S38)8月、第1回がん対策推進全国大会、仙台で開催
* 1963年(S38)9月、第15回保健文化賞受賞(間接撮影装置の開発とその車両化、広範ながん対策推進の功績に対し)
* 1964年(S39)9月、婦人科がん検診車完成(農協婦人部中心に拠出)
* 1966年(S41)6月、検診車「第二きぼう号」稼働
* 1967年(S42)1月、河北文化賞受賞
* 1967年(S42)9月2日、宮城県対がん協会検診センター着工
* 1968年(S43)6月10日、宮城県がん検診センター完成(北六番丁、鉄筋コンクリート5階建て / 全国初)
* 1979年(S54)12月3日、乳がん検診車稼働
* 1981年(S56)5月11日、新らたながん検診センター(上杉6丁目)診療開始
* 1986年(S61)9月5日、対がん協会に、きぼう18号・しあわせ3号の検診車両配備
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「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P734~736/「重訂 宮城県郷土史年表」P634、P640/「続・ 宮城県郷土史年表」P104、P128、P210/「市民の戦後史(仙台市)」P146
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「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P735(がん検診車)/「市民の戦後史(仙台市)」P146(第1回がん対策推進全国大会)/「新・目で見る仙台の歴史」P195(胃の集団検診車「きぼう」、カラー)
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いのちの電話 |
開始 |
1982年(S57) |
* 1982年(S57)11月、仙台市で「いのちの電話」開始
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「続・ 宮城県郷土史年表」P154
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ありのまま舎 |
設立 |
1970年(S45) |
* 1970年(S45)、任意団体「ありのまま舎」設立
* 1975年(S50)、映画「車椅子の青春」制作/第1回日本赤十字映画祭長編部門最優秀賞受賞
* 1982年(S57) 映画「続・車椅子の青春(忘れられた一日)」完成
* 1986年(S61)、社会福祉法人「ありのまま舎」設立
* 1987年(S62)、身体障害者自立ホーム「仙台ありのまま舎」開所(西多賀4丁目) / 4月5日、入居式
* 1989年(S64)、付帯施設「障害者自立センター」開所
* 1999年(H11)、第1回「ありのまま舎自立大賞」設立(以後毎年開催)
* 2013年(H25)、県南ありのまま舎、名取ありのまま舎(相談支援事業)開設
このほか、製作映画、出版、受賞など多数あり
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「社会福祉法人ありのまま舎」ホームページhttp://www.arinomama.or.jp/menu1_2.html
/「続・ 宮城県郷土史年表」P153、P221
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「仙台郷土研究」 |
創刊 |
1931年(S6) |
* 1931年(S6)1月10日、「仙台郷土研究」創刊(月刊)/末永勇四郎編、無一文館書店発行 / 小倉博(斎藤報恩会館)、阿刀田令造(旧制二高)らが中心
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「重訂 宮城県郷土史年表」P424/「目で見る仙台の歴史」P159
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「目で見る仙台の歴史」P159に、創刊号、小倉博氏と阿刀田令造氏肖像
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SENDAI光のページェント |
開催 |
1986年(S61)~ |
* 1986年(S61)12月12日~27日、第1回「SENDAI光のページェント」開催(定禅寺通りと青葉通り)
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「仙台市史 年表」P134/「続・ 宮城県郷土史年表」P215
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「新・目で見る仙台の歴史」P207
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RTO(仙台) |
開所~廃止 |
1945年(S20)~1952年(S27) |
米軍鉄道輸送司令部RTO(Railway Transportation Office)は米軍による日本占領時代に駐屯地の最寄駅におかれ、米軍の国鉄側に対する輸送上の要求や駅と進駐軍兵舎(キャンプ)との間の輸送連絡などが主な業務
仙台のRTOは、国鉄仙台駅の北側に隣接しておかれた
* 1945年(S20)9月20日、仙台のRTO開所(宮城、青森、岩手を管轄)
* 1946年(S21)6月21日以降は東北地方と新潟のRTOを管轄
* 1952年(S27)4月1日、廃止(国鉄の自主運行となる)
* 1957年(S32)10月まで、仙台駅北側(RTOの場所)を米軍が占拠 (「仙台市史 続編第1巻」P570)
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16-22(の内容欄、関連情報欄)参照/菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P46/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P570
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16-22、98-099、44-52/「目で見る仙台の歴史」P173
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NTT東北支社 |
民営化スタート |
1985年(S60) |
<これ以前は、項目「日本電信電話公社」に>
* 1985年(S60)4月1日、日本電信電話公社が民営化し、日本電信電話株式会社に / NTTは民営化以前から使われていた略称
* 1988年(S63)4月1日、NTT東北支社が、仙台周辺地区で、伝言ダイヤルサービス開始
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「仙台市史年表」P133/「続・ 宮城県郷土史年表」P242
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NHK仙台放送局 |
ラジオ放送開始 |
1928年(S3) |
* 日本放送協会は、1927年(S2)年6月9日、仙台に東北支部を設置
* 1927年(S2)8月11日、原町の送信アンテナ設置のための小作地取り上げ反対町民大会 / 農民と住民が反対運動 / ビラに、「町会議員は殆んど皆弱腰になったぞ!」「彼らの陰謀をたたき潰せ! 一萬円寄付には絶対に反対しろ!」
* 1928年(S3)6月16日、東北地方で初めてのラジオ放送が仙台放送局から開始された
<初期のラジオ中継放送>
* 1929年(S4)8月14~15日、「野外納涼盆踊り大会」中継(桜ケ岡公園から)
* 1929年(S4)9月22~23日、ミシガン大学との野球戦中継(八木山県営グラウンド)
* 1934年(S9)5月16日、NHK仙台中央放送局と改称
<戦後>
* 1945年9月23日、進駐軍放送のため施設提供、GHQによる放送原稿のチェック開始
* 1946年(S21)6月9日、仙台復興祝賀街頭音楽大会、放送
* 1946年(S21)7月29日、東北初の放送討論会開催(会場は仙台南松竹劇場)(「重訂 宮城県郷土史年表」P512)
* 1948年(S23)6月、仙台局開局20周年、NHKラジオ番組「二十の扉」公開放送
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「NHK仙台放送局60年のあゆみ」P1、P9、P21/「仙台市史 年表」P104/「重訂 宮城県郷土史年表」P512/「仙台市史10 年表」P313/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P260/「新・目で見る仙台の歴史」P148
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44-11、25-01、25-06など「写真データベース」分類F-24の写真全部/「仙台市史 特別編4 市民生活」P234(S3、リーフレット「NHK仙台放送局開局」)/「仙台市史 特別編4 市民生活」P234/「目で見る仙台の歴史」P160に、本放送開始時のNHK仙台局舎/「新・目で見る仙台の歴史」P148(アンテナ反対町民大会ビラ)/「仙台市史 特別編4 市民生活」P509(同ラジオ送信アンテナ)/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P260の写真84(二十の扉公開放送)/「市民の戦後史(仙台市)」P69(のど自慢、三つの歌、二十の扉各公開放送ステージ)/「新・目で見る仙台の歴史」P175(NHK街頭録音)/「市民の戦後史(仙台市)」P42(放送討論会ステージ、NHK放送慰問団トラック、のど自慢会場東北劇場前の看板)/同P70(S27年、楽器店前でラジオ五輪実況を聞く人々)
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NHK仙台放送局 |
テレビ放映実験 |
1950年(S25) |
* 1950年(S25)7月、仙台駅構内で、東北初のテレビ放映実験が行われる
* 1953年(S28)6月24日、テレビジョン映写公開(レジャーセンターで1週間)
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「仙台市史 年表」P116/「重訂 宮城県郷土史年表」P565/「仙台年表」P227
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「市民の戦後史(仙台市)」P64(テレビ実験公開
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NHK仙台放送局 |
テレビ放送開始 |
1956年(S31) |
* 1955年(S31)3月1日、NHK仙台中央放送局、テレビ試験放送を開始
* 1956年(S31)3月22日、NHK仙台中央放送局、テレビ放送を開始(総合テレビ / 仙台市電がテレビ開局記念花電車運行)
* 1956年(S31)8月6日、仙台七夕を初のTV生中継(全国放送)
* 1961年(S36)7月25日、仙台放送会館落成
* 1964年(S39)9月24日、カラーテレビ本放送開始
* 1970年(S45)1月~12月、大河ドラマ「樅ノ木は残った」放送(山本周五郎原作 主演:平幹二朗)
* 1971年(S46年)7月1日、 組織改正で、NHK仙台中央放送局を東北本部に改称
* 1980年(S55)7月25日、 組織改革で地方本部制度を廃止、NHK仙台放送局に改称
* 1987年(S62)1月~12月、大河ドラマ「独眼竜政宗」放送(主演:渡辺謙)
* 2018年(H30)2月4日、青葉区本町二丁目20番1号に新設された放送会館に移転
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「重訂 宮城県郷土史年表」P581、P667/「NHK仙台放送局60年のあゆみ」P31、P35、P45、P55、P71/NHKのHP
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「目で見る仙台の歴史」P195(NHKテレビ塔)/NHKテレビが七夕全国中継(18-33 、「市民の戦後史(仙台市)」P92、「新・目で見る仙台の歴史」P180)/同P180(街頭でテレビ放送公開)/「市民の戦後史(仙台市)」P61(S31年、街頭テレビ前に集まった黒山の人、NHKテレビ送信アンテナ)/「仙台市史 特別編4 市民生活」P238(S27,大一楽器店の街頭テレビに集まる人々)
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MRI |
東北初 |
1988年(S63) |
* 1988年(S63)月日、東北初のMRI(永久磁石共鳴画像診断装置)、塩釜の掖済病院に導入
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「続・ 宮城県郷土史年表」P242
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LNG基地(仙台新港) |
完成 |
1997年(H9)/2016年(H28) |
LNG基地は、都市ガスや火力発電所に供給する液化天然ガス(LNG)の受入・貯蔵・気化を行う施設
* 1997年(H9)、仙台新港(仙台市ガス局港工場)にLNG基地完成、タンカー初入港 / 主な供給先は、仙台市ガス局
* 2016年(H28)7月、新仙台(東北電力)LNG基地完成 / 主な供給先は、 東北電力新仙台火力発電所
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仙台市HP「仙台市のあゆみ」/Wikipedia「日本のLNG基地一覧」(2020年4月)
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「新・目で見る仙台の歴史」P197(ガス局港工場空撮、カラー)
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JR東日本 |
発足 |
1987年(S62) |
<これ以前は、項目「国鉄」へ>
* 1987年(S62)4月1日、国鉄の分割民営化、JR東日本旅客鉄道株式会社発足
* 1989年(H1)1月25日、JR東日本、県内初の駅舎内コンビニ出店(東北線白石駅)
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「続・ 宮城県郷土史年表」P221、P258
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ATM |
普及 |
1987年(S62) |
* 1987年(S62)7月21日、東北初の郵便貯金ATMを、藤崎デパートに設置
* 1988年(S63)5月18日、七十七銀行が、河北新報社前にATM設置
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「続・ 宮城県郷土史年表」P227、P246
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