項目 |
小項目 |
年 |
内容 |
出典/参考資料 |
関連映像 |
自動車など各種車両台数 |
馬車(仙台市) |
明治・大正 |
* 1889年(M22)、二頭立、8輌
* 1897年(M30)、一頭立、2輌
* 1905年(M38)、一頭立、1輌
* 1916年(T5)頃、12輌
|
「番丁詳伝」P63(原本は富岡広重著「仙台繁盛記」1916年発行)
|
|
市場 |
駅前マーケット |
|
戦後のヤミ市からできたマーケットの1つでバラック小屋が集まっていた / 場所は東五番丁・南町通り交差点北側 / 経営は仙台駅前商業組合
<火災>
* 1949年(S24)3月16日、46戸焼失
* 1949年(S24)10月10日、駅前マーケット(青葉通り)67戸に撤去代執行(「仙台市史 別冊2」P382)
|
「番丁詳伝」P168/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P818
|
|
物価上昇 |
高度成長期 |
1961年(S36)~1973年(S48) |
* 1961年(S36)8月、市内物価指数が前年同月比7.9%上昇
* 1963年(S38)9月、市内のし尿汲み取り料70%値上げ
* 1963年(S38)、物価大幅上昇 / 背景に建築ブーム、生産者米価大幅引き上げ、労賃高騰、公務員のベースアップ
* 1966年(S41)2月27日、春闘共闘委員会、「物価値上げ反対・生活危機突破国民大会」開催(物価メーデー)
* 1966年(S41)3月5日、国鉄運賃値上げ、旅客31%
* 1969年(S44)5月9日、国鉄運賃15%値上げ
* 1970年(S45)3月11日、仙台市営バス、平均31%値上げ
* 1972年(S47)2月24日、宮城県生活協同組合を中心に物価値上げ反対仙台市民会議結成
* 1972年(S47)4月1日、国鉄運賃改正
* 1972年(S47)秋、物価上昇率(仙台)、前年度同月比で15%超(「仙台市史 特別編4 市民生活」P544)
* 1972年(S47)12月1日、仙台市電の均一料金を40円に(10円値上げ)(「続・ 宮城県郷土史年表」P15)
* 1973年(S48)4月2日、<全国の地価>建設省、1973年1月1日現在の地価発表(前年比30.9%の暴騰)
<第1次オイルショックで、物価上昇、物不足、不況>
* 1973年(S48)10月25日、オイルショック発生
* 1973年(S48)11月5日、物価大幅上昇(チリ紙150%、砂糖51%、牛肉42%上昇)
* 1973年(S48)11月、12月、灯油大幅に値上がりなど、物価急上昇
* 1973年(S48)11月23日、ガソリンスタンド、日曜・休日、休業
* 1973年(S48)秋、ガソリン、紙、洗剤など品不足
* 1973年(S48)12月、紙不足で、新聞・雑誌のページが減る
|
「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P714、P718、P720/岩波ブックレット「年表 昭和史」P46、P54/「重訂 宮城県郷土史年表」P624、P649、P658/「続・ 宮城県郷土史年表」P7、P8、P15/菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P67/「仙台市史 特別編4 市民生活」P544
|
「新・目で見る仙台の歴史」P198(S41年物価メーデーで風船を手に婦人たちがデモ)/「仙台市史 特別編4 市民生活」P545(S40年代、物価メーデー集会)
|
住宅団地 |
高砂団地 |
1959年(S34) |
* 1959年(S34)、市営住宅高砂団地(東3822戸、西544戸)を、6か年間に亘り建設
|
「重訂 宮城県郷土史年表」P594
|
|
軍事教練 |
高等女学校 |
1941年(S16) |
* 1941年(S16)、高等女学校で軍事教練開始
|
「日録20世紀 1941年」P33
|
|
文学碑など(仙台) |
魯迅の碑 |
1960年(S35) |
* 1960年(S35)12月4日竣工 / 仙台博物館わきに、熊谷岱蔵(東北大学名誉教授、文化勲章受章者、仙台市名誉市民)らの手で建てられた / 除幕式には魯迅夫人許広平女史出席
|
「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P190
|
|
ビル建設 |
鳳月ビル |
1957年(S32) |
* 1957年(S32)12月、青葉通り・東五番丁通り南西角に完成(5階建)
* 1988年(S63)10月、ほうげつビルがオープン
|
「わが心の仙台駅前史」P87、P91
|
99-031、22-17
|
住宅団地 |
鶴ケ谷団地 |
1968年(S43) |
* 1964年(S39)9月、鶴ケ谷団地造成開始
* 1968年(S43)、仙台市は市営住宅鶴ケ谷第一、第二団地(1250戸)を3年間に亘って建築
* 1971年(S46)12月1日、鶴ケ谷ショッピングセンター開店
* 1971年(S46)12月10日、鶴ケ谷地区の地域冷暖房プラント完成
* 1971年(S46)12月16日、市営住宅40戸完成
* 1971年(S46)12月24日、公設小売市場オープン
* 1972年(S47)4月1日、鶴ケ谷郵便局開局、消防出張所設置
* 1972年(S47)4月、2つ目の幼稚園開園
* 1972年(S47)5月23日、鶴ケ谷市民センター一般開放
* 1972年(S47)11月、地域暖房の湯供給開始
* 1973年(S48)3月、鶴ケ谷住宅団地造成完成
* 1974年(S49)8月15日、団地に特別養護老人ホーム完成
* 1974年(S49)11月2日、トーコー鶴ケ谷ショッピングプラザがオープン
* 1975年(S50)5月、鶴ケ谷団地の大堤池にホタルの幼虫300匹放流(S49年から)
* 1980年(S55)12月、鶴ケ谷団地の店舗禁止規定解除
|
「市民の戦後史(仙台市)」P148、P214/「重訂 宮城県郷土史年表」P645/「続・ 宮城県郷土史年表」P5、P8、P9、P13、P31、P34、P41、P120/「仙台あのころこのころ八十八年」P257
|
「市民の戦後史(仙台市)」P149(団地完成予想図、まだ空き地が目立つ鶴ケ谷住宅団地空撮)/「新・目で見る仙台の歴史」P186(H1年頃、カラー鶴ケ谷団地/団地完成予想図)/「仙台市史 特別編4 市民生活」口絵図75~76(S43年、H9年空撮カラー)/同P186(鶴ケ谷団地土地利用図)/同P469(鶴ケ谷市民センターの利用案内)
|
住宅団地 |
黒松団地 |
1959年(S34) |
* 1959年(S34)11月1日、宮城県住宅協会、黒松住宅団地の造成開始
* 1961年(S36)からS43年に亘り、県営黒松第一・第二・第三住宅(計404戸)建設
|
「仙台市史 年表」P121/「重訂 宮城県郷土史年表」P594、P603
|
「市民の戦後史(仙台市)」P148(S42、黒松団地空撮)/「仙台市史 特別編4 市民生活」P186(S35年、造成中)
|
戦時中の物資統制、使用規制 |
(1) |
1937年(S12)~1938年(S13) |
☆ 戦時中の主食配給量の変遷は → 項目「主食配給量」参照
<1937年(S12)7月7日、日中戦争開戦>
* 1937年(S12)12月27日、商工省、綿製品にスフ等混入(30%)規則を公布
* 1938年(S13)3月1日、綿糸配給統制規則を公布施行
* 1938年(S13)5月1日、東京の自動車のガソリンは切符制となる
* 1938年(S13)5月9日、商工省に臨時物資調整局設置(岩波「年表 昭和史」)
* 1938年(S13)5月20日、綿糸販売価格取り締まり規則公布
* 1938年(S13)7月1日、靴を除いた革製品の製造を禁止
* 1938年(S13)7月14日、たばこの銀紙を廃止しパラフィン紙で代用とする
* 1938年(S13)7月、東京の青バスで木炭車に改造開始
* 1938年(S13)7月15日、バリカン以外の鉄器の製造を禁止
* 1938年(S13)8月4日、乗用車の新規製造を禁止
* 1938年(S13)8月、入れ歯に陶材を使用
* 1938年(S13)9月1日、商工省、新聞用紙の使用制限開始、12%削減
* 1938年(S13)9月19日、石油配給統制規則公布(岩波「年表 昭和史」)
* 1938年(S13)10月1日、商店法を改正、夜10時以降の商品販売を禁止(料飲店を除く)
* 1938年(S13)、陶製なべ、竹製スプーン、鮭皮ハンドバッグなど代用品が登場
* 1938年(S13)、スフの衣料が多くなり、純綿が姿を消しはじめる
* 1938年(S13)、ゴム配給統制規則で、「コンドーム」が軍需品に
|
菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P18、P20、P21/岩波ブックレット「年表 昭和史」P15
|
|
公害・環境問題 |
(1) |
966年(S41)~1970年(S45) |
* 1966年(S41)3月29日、仙台市の梅田川浄化運動大会
* 1969年(S44)5月23日、政府、初の公害白書を発表
* 1970年(S45)8月21日、東北電力株式会社と七者協(仙塩地域七自治体公害防止協議会=宮城県・仙台市・塩釜市・名取市・多賀城市・七ヶ浜・利府町で構成)との間で、新仙台火力発電所に関する公害防止協定調印
* 1970年(S45)9月22日、公害市民憲章、仙台市が全国で初めて制定
* 1970年(S45)12月18日、公害関係14法案成立(公害対策基本法の「経済との調和」条項削除)
|
岩波ブックレット「年表 昭和史」P49、P50/宮城県環境対策課HP/「重訂 宮城県郷土史年表」P625/仙台市史 年表」P127
|
|
新常盤町(遊郭) |
(1)新常磐町以前 |
明治初期~1894年(M27) |
<遊廓> 「くるわ」(廓または郭と書く)は城郭のように周囲を石や土で覆い、塀などをめぐらせた一画で、ここに遊女や関係の業者だけを集中的に存在させ、官許の遊女町とすることがあった / 遊女屋は郭外での営業を禁止
<公娼と私娼> 「公娼」は、遊郭で働く法律で許可された売春婦で、鑑札(営業許可証)定期検診が義務付けられた / 多くの場合、貧民の子女が、貧しさの為に、親に手渡されるまとまった前渡し金によって、年季を定められ売春生活を余儀なくされた / 「私娼」は、許可されていない売春婦
・ 藩政時代は、仙台城下における遊女屋営業は禁止
・ 明治維新期、薩長軍相手の遊女屋(妓楼)が虎屋横丁に開業
* 1869年(M2)、国分町を中心に、遊女屋28軒が官許を得て開業開始/ 中正楼(ちゅうせい)楼、新盛楼(しんせい)、舞鶴楼(まいづる)、南幸楼(なんこう)など
* 1878年(M11)9月15日、国分町遊郭の妓楼(貸座敷)15軒が、片平丁河岸(常盤町、のちの元常盤町)に移転完了
* 1895年(M28)、常盤丁の遊郭が小田原(新常盤丁)へ移転開業
(新常盤丁の名称は1894年(M27)7月15日に市会の決議による / 戦後は旅籠町と改名した) / 常盤町の川向かいに川内の第二師団兵舎があり、若い兵士の士気に影響ありと軍の圧力があり、県は移転期限をきめ移転を強要
<新常磐町(遊郭)の沿革>
「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P123、「仙台市史 特別編4 市民生活」P389に、記述あり
<編者注> 常盤町、新常盤町の表記は、文献により「町」と「丁」の二通りあり
<廃娼運動> 明治期~昭和戦前期の宮城県内の廃娼運動については、「仙台市史 特別編4 市民生活」P392~393に記述あり
|
「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P123/「仙台市史 年表」P82、P88、P89/「重訂 宮城県郷土史年表」P330/「仙台市史 特別編4 市民生活」P393、P392~393
|
99-033、98-079/「目で見る仙台の歴史」P118に、国分町の貸座敷「南幸楼錦絵」(のち明治4年に中正楼)と「常盤町の妓楼街」
|
戦時中の物資統制、使用規制 |
(2) |
1939年(S14) |
* 1939年(S14)3月5日、ゴム配給制限でテニスボールがなく、庭球を中止
* 1939年(S14)3月30日、中央物価委員会で、公定価格を決定(砂糖、清酒、ビール、木炭、絹製品など)
* 1939年(S14)4月12日、米穀配給統制法公布
* 1939年(S14)6月、中学生の金ボタンを廃止、陶製のボタンとなる(菅家年表)
* 1939年(S14)7月26日、米国、日米通商航海条約廃棄を通告(岩波「年表 昭和史」)
* 1939年(S14)8月9日、新規の自家用車は不許可となる
* 1939年(S14)10月1日、石油、配給制となる
* 1939年(S14)10月18日、9.18ストップ令公布(価格等統制令、地代家賃統制令、賃金臨時措置令 / 物価・賃金などを9月18日現在を上限とする)(岩波「年表 昭和史」)
* 1939年(S14)11月、30坪以上の木造住宅の新築を不許可
* 1939年(S14)11月6日、米穀配給統制応急措置令公布、農林省でコメの強制買上を実施
* 1939年(S14)12月1日、米穀搗精制限令(白米禁止令、七分づき以上を禁止)
* 1939年(S14)12月20日、木炭配給統制規則を公布
* 1939年(S14)、この年、ヤミ取引と売買が激増
* 1939年(S14)、この年、木炭バスが走り出す、急速に一般化
* 1939年(S14)、この年、門松も廃止
* 1939年(S14)、9.18ストップ令以降、ヤミ取引横行(岩波「年表 昭和史」)
|
菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P22、P23/岩波ブックレット「年表 昭和史」P16
仙台の木炭供給事情や統制は、「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)P22に記述あり
|
|
公害・環境問題 |
(2) |
1971年(S46)~1973年(S48) |
* 1971年(S46)3月18日、宮城県公害防止条例公布
* 1971年(S46)4月1日、宮城県に公害対策局を新設、県工業技術センターの公害防止部を新設
* 1971年(S46)6月14日、東北石油会社(仙台新港)と、宮城県、仙塩7市町との間に、仙台製油所に関する公害防止協定調印
* 1971年(S46)7月5日、宮城県選出の自民党大石武一衆院議員が初代環境庁長官に就任
* 1971年(S46)8月9日、鉄鋼社石巻工場と、県・石巻市・矢本町が公害防止協定調印
* 1971年(S46)10月31日、仙台市ガス局原町工場が公害で操業停止
* 1971年(S46)11月25日、公害防止条例、仙台市が公布
* 1971年(S46)12月、仙台市で大気汚染観測基地設置
* 1972年(S47)5月26日、閣議、初の環境白書を了承
* 1972年(S47)6月1日、県庁北庁舎屋上に大気汚染仙台測定所(業務開始)
* 1972年(S47)6月3日、広瀬川でアユ大量死
* 1972年(S47)6月22日、自然環境保全法公布、大気汚染防止法・水質汚濁防止法各改正公布(公害無過失損害賠償責任法)
* 1972年(S47)8月29日、騒音規制地域に県内7市と岩出山町指定
* 1972年(S47)10月、泉市が泉ヶ岳のブナを製紙会社から買い戻し保護
* 1972年(S47)11月、東北地建、北上川下流汚染を4年前の4倍強と発表
* 1973年(S48)3月27日、杜の都の環境をつくる条例、仙台市で施行
* 1973年(S48)8月、自然保全地域第1次に、伊豆沼、仙台湾海浜、太白山、釜房湖など指定
* 1973年(S48)10月27日、産業廃棄物処理センター落成(日の出町3丁目)
|
岩波ブックレット「年表 昭和史」P52/宮城県環境対策課HP/「重訂 宮城県郷土史年表」P671、P675、P677/「続・ 宮城県郷土史年表」P1、P5、P10、P12、P14、P15、P22、P23/「仙台市史 年表」P127、P128
|
「市民の戦後史(仙台市)」P101(ガス局原町工場)/「市民の戦後史(仙台市)」P194(仙台市上空を覆うスモッグ空撮)
|
新常盤町(遊郭) |
(2)移転開業 |
1894年(M27) |
<「仙台市史 特別編4 市民生活」P389~391より>
* 1895年(M28)、常盤丁の遊郭が小田原(新常盤丁)へ移転開業
・ 遊廓の土地整備は、米ケ袋の集治監(監獄)の囚人を使用
・ 建築は東京の大工やとび職を招き、吉原の建築様式をそのまま模倣し、文字通り東北一の遊郭をつくる / 南側には「大門」、道は南北に走り、その道を挟んで妓楼が連なり、大門を入ると軒が見えるようになっていた / 大門に入る前に四ツ谷堰に注ぐ川があり、その川にかかった橋を吉原と同じように思案橋と名付けた
・ 大門と対極の道路の北端に、娼妓たちの教育をする「女紅場」
・ それに隣接して彼女たちのための病院(梅毒院)があった
・ 各年度別の娼妓数・貸座敷数
1892年(M25)、192人・21軒
1900年(M33)、325人・32軒
1901年(M34)、363人・35軒
・ 軍人の利用には、割引があった
・ 1926年(T5)6月、妓楼は32軒 / 安積楼(あさか)、中正楼(ちゅうせい)、新竹楼(しんちく)、昌平楼(しょうへい)、千州楼(せんしゅう)、若松楼(わかまつ)、永明楼(えいめい)、甲子楼(こうし)、宝来楼(ほうらい)、吉辰楼(よしたつ)、など / 娼妓総数273人(宮城県出身202人、うち仙台市出身29人、県外出身71人)
<娼妓>
・ 年季が空けるまですべてが警察の取り締まりの対象になった
・ 外出先はもちろんのこと、病気による休業、懐妊のための休業も警察の許可が必要 / 生理で仕事を休むこともできなかった
・ 取り締まりの業務のために、郭の近くに交番が建てられていた
<娼妓の生活収支>
・ 稼ぎは、楼主4割、娼妓6割 / 娼妓収入のうち、賦金(税金)・食費・席料・衣類・寝具損料・その他を引くと、むしろマイナスになり、前借金に足されて借金は増えてゆく仕組みになっていた
<娼妓になる原因>
・ 借金などによる家の貧困を救うため / 父母兄弟の病気や死亡により医療費と生活費を稼ぐため / 事業失敗による家の没落を救うため / 子供の養育費のため / 多くは、上記のような理由による芸妓や酌婦の時の自分の借財を整理するため
・ 貧しい東北地方の農村では、冷害や飢饉などの凶作のため口減らしを目的とした人身売買によって遊廓に連れてこられる者も多かった
<宮城県内の娼妓、なる前の職業(昭和11年、県警察部調)>
・ 農業29.4%、酌婦19.6%、無職19.4%、女中11.4%、女工9.0%、雑役4.9%
* 太平洋戦争期 戦時体制強化により、遊郭は急速に衰退
* 1946年(S21)1月、GHQ指令で公娼制度廃止により一斉に閉店 / 旅館や料理屋・飲食店などに転業することになった
|
「仙台市史 特別編4 市民生活」P389~391
|
目で見る仙台の歴史」同P129に「新常磐町遊郭全景と妓楼」/「仙台市史 特別編4 市民生活」P386(M31年、新常盤町の図)/同P390(S8年、遊客人名簿)
|
戦時中の物資統制、使用規制 |
(3) |
1940年(S15) |
* 1940年(S15)2月10日、マッチ製造配給令施行(6月1日から東京市で切符制)
* 1940年(S15)2月13日、米穀配給統制規則を公布、施行
* 1940年(S15)3月28日、アルミ貨の10銭、登場
* 1940年(S15)4月8日、石炭配給統制法公布(岩波「年表 昭和史」)
* 1940年(S15)4月24日、米、みそ、醤油、塩、マッチ、砂糖、木炭など10品目を配給、切符制採用
* 1940年(S15)5月3日、東京で外米6割混入を配給開始
* 1940年(S15)6月1日、東京市など六大都市で、砂糖(1人1か月、0.6斤=360g)、マッチ(人数制)、米、みそ、塩、木炭など10品目が切符制になる / 11月1日、全国で実施
* 1940年(S15)7月6日、絹織物、指輪、ネクタイなどの製造禁止(奢侈品等製造販売制限規則公布) / 一般には施行日をとって七・七禁令(しちしちきんれい)とも呼ばれた
* 1940年(S15)7月8日、マル公など価格表示義務の明確化始まる(岩波「年表 昭和史」)
* 1940年(S15)7月10日、青果物配給統制規則を公布施行
* 1940年(S15)7月20日、菓子類に公定価格制
* 1940年(S15)8月1日、東京府、食堂・料理屋などでの米食使用禁止・販売時間制限等を実施(岩波「年表 昭和史」)
* 1940年(S15)8月8日、小麦粉配給統制規則公布、うどん、そばが統制となる
* 1940年(S15)10月4日、砂糖、マッチ配給統制規則公布(岩波「年表 昭和史」)
* 1940年(S15)10月24日、米穀管理規則公布(町村別割当供給制の実施)(岩波「年表 昭和史」)
* 1940年(S15)10月25日、鶏卵配給規則を公布
* 1940年(S15)11月5日、大豆、大豆油等配給統制規則施行
* 1940年(S15)、この年、酒、ビールの製造を制限
|
菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P24、P25/岩波ブックレット「年表 昭和史」P17
仙台市の、鮮魚、青果物、肉の統制については、「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)P21~22に記述あり
|
「仙台市史 特別編4 市民生活」P94(S20年、北材木町配給所でのコメの配給)/同P95(砂糖配給のお知らせ)/「仙台市史 特別編4 市民生活」P438(S15年、戦時中に配給演習を行う仙台味噌醤油小売商業組合)
|
公害・環境問題 |
(3) |
1974年(S49)以降 |
* 1974年(S49)5月、仙台市上水道水源の釜房湖にプランクトン発生
* 1974年(S49)7月、仙台市で、騒音・振動公害測定車始動
* 1974年(S49)9月28日、広瀬川の清流を守る条例、仙台市が制定
* 1975年(S50)4月、蒲生干潟のヘドロ減少を県が報告
* 1975年(S50)5月、鶴ケ谷団地の大堤沼にホタルの幼虫300匹放流(S49年から)
* 1975年(S50)6月5日、「杜の都の環境をつくる条例」に基づき、保存緑地28か所指定
* 1975年(S50)8月16日、仙台市清掃局、不要品あっせんコーナー開設(当時は全国でも珍しかった)
* 1975年(S50)11月25日、塩釜市の小野田セメント・日本セメント・三菱セメントは、公害防止協定結ぶ
* 1976年(S51)8月2日、北山輪王寺庭園に、ゲンジボタルの幼虫と卵7000匹放流
* 1984年(S59)5月25日、仙台市に、空き缶空き瓶選別センター発足
* 1985年(S60)12月5日(18日?)、宮城県議会は、脱スパイク条例(スパイクタイヤ対策条例)可決(4月~12月は全面禁止、12月~3月は使用規制)
* 1986年(S61)4月1日、宮城県スパイクタイヤ対策条例(脱スパイク条例)施行 → 項目「スパイクタイヤ粉塵公害」参照
* 1986年(S61)5月4日、蔵王のブナと水を守る会発足
* 1986年(S61)5月28日、仙台市沖野に、六郷・七郷の環境をよくする会結成
* 1988年(S63)6月2日、スパイクタイヤ、1990年12月までに製造を中止
* 1996年(H8)3月、仙台市環境基本条例、制定
|
「続・ 宮城県郷土史年表」P30、P31、P40、P41、P42、P43、P47、P57、P177、P198、P204、P205、P206/「仙台市史 年表」P129/菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P79、P84/仙台市HP「仙台市環境基本条例」
|
「仙台市史 特別編4 市民生活」P544(S58年ころ、スパイクタイヤのピン抜き作業)
|
戦時中の物資統制、使用規制 |
(4) |
1941年(S16) |
* 1941年(S16)1月25日、物品販売業はすべて午後9時閉店
* 1941年(S16)3月、花見の昼酒だけは特に許可される
* 1941年(S16)3月3日、国家総動員法改訂公布(政府権限の大幅な拡張)(岩波「年表 昭和史」)
* 1941年(S16)4月1日、米穀配給通帳制、外食券制を6大都市で実施(1日、2合3勺)(岩波「年表 昭和史」)
* 1941年(S16)4月1日、鮮魚介配給統制規則、実施
* 1941年(S16)4月18日、東京で「肉なし日」を設定、毎月2、8、18、8の4日は食肉業者休業、飲食業者は、8、28日を休業とする
* 1941年(S16)5月1日、幼児、妊婦にパンの配給制実施
* 1941年(S16)5月、東京で巻煙草制限令で「お一人様一個限り」と一斉に実施
* 1941年(S16)5月、東京で、米、マッチ、砂糖切符の幽霊人口、早くも40万を超える
* 1941年(S16)6月13日、山形鉄瓶、製造中止命令
* 1941年(S16)8月1日、アメリカが対日石油輸出全面禁止
* 1941年(S16)8月12日、米価二重価格制を実施、生産者奨励金交付決定
* 1941年(S16)9月1日、東京で、砂糖、マッチ、小麦粉、食用油の配給切符制実施
* 1941年(S16)10月1日、乗用自動車のガソリン使用を全面禁止
* 1941年(S16)10月1日、新聞の朝刊4ページ、夕刊2ページに減紙
<1941年(S16)12月8日、太平洋戦争開戦>
* 1941年(S16)12月16日、物資統制令公布(岩波「年表 昭和史」)
* 1941年(S16)12月16日、商工省、電球は切れ玉と引き替え販売を通達
* 1941年(S16)12月27日、農業生産統制令公布
* 1941年(S16)、この年、八百屋、魚屋の店頭で行列が続く
|
菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P26、P27/岩波ブックレット「年表 昭和史」P18
|
|
戦時中の物資統制、使用規制 |
(5) |
1942年(S17) |
* 1942年(S17)1月1日、塩、通帳配給制(1人1か月200g)
* 1942年(S17)1月1日、ガス使用量割当制実施
* 1942年(S17)2月1日、みそ・醤油の切符配給制、衣料点数切符制実施
* 1942年(S17)5月、酒、切符制実施(Wikipedia「配給 (物資)」)
* 1942年(S17)9月8日、警視庁では、届出があれば雀を捕ってもよい(焼き鳥用)
* 1942年(S17)11月14日、乗車日指定券を持たぬ者の、週末祭日の旅行を禁止(買出し防止)
* 1942年(S17)11月15日、大政翼賛会、各新聞社で募集した国民決意の標語、当選作、「欲しがりません勝つまでは」「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」
|
菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P28、P29/岩波ブックレット「年表 昭和史」P19
仙台市の、鮮魚、青果物、肉の統制については、「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)P21~22に記述あり
|
|
戦時中の物資統制、使用規制 |
(6) |
1943年(S18) |
* 1943年(S18)1月27日、家庭用電力の節電を強化
* 1943年(S18)2月3日、節電のため月に2回、映画館を休館日に
* 1943年(S18)4月16日、緊急物価対策要綱決定(岩波「年表 昭和史」)
* 1943年(S18)5月1日、薪が配給制となる
* 1943年(S18)5月18日、浴用石鹸を洗濯石鹸と同成分にする
* 1943年(S18)6月1日、告別式用のローソクは切符制で配給
* 1943年(S18)8月、警視庁では、医師のニセ診断書での特配受給者一掃を図る
* 1943年(S18)、この年、衣生活の簡素化、長袖やダブルの洋服も禁止
* 1943年(S18)、この年、物不足とヤミ値で物価上昇
* 1943年(S18)、この年の流行語「買い出し」
* 1943年(S18)、この年、都会近県での買出しの一斉取締り強化(岩波「年表 昭和史」)
* 1943年(S18)、この年、「決戦料理」の名で野草の食用奨励(岩波「年表 昭和史」)
<昭和18年現在の配給制は24品目>
米、みそ醤油、砂糖、塩、菓子、食パン、小麦粉、鶏卵、食肉、食用油、ミルク、乾めん、白玉粉、きな粉、木炭、衣料品、縫い針、布団綿、ガーゼ、脱脂綿・衛生綿、軍手・地下たび、釘、セメント、灯油、石けん、このほかに味の素、ちり紙もメーカーが配給制をとっていた。
<昭和19年に追加された配給制は13品目>
鮮魚類、豆腐・油揚げ、青果物、焼酎・ビール、牛乳、蚊帳、洋傘、薪、代用燃料、畳ござ、ろうそく、障子紙、和傘類
・清酒は毎回割当量を決め、ひとり1カ月2升以内、昭和19年になると2合になった。たばこひとり1日6本(昭和20年7月から3本)、石けんひとり1カ月入浴用45グラム、洗濯用60グラム、隣組を通じて購入券配布
<特別配給>
冠婚葬祭や出征、妊産婦、病気、災害、乳幼児には特別配給があって、病人、妊婦には鶏卵月20個と牛乳、出征者には清酒2升、冠婚葬祭には砂糖、みそ醤油、酒、塩が配給される。
戦局が厳しくなる昭和19年3月からは冠婚葬祭、病人用砂糖の特配が停止。(「戦争のころ 仙台、宮城」P87~88)
|
菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P30、P31/岩波ブックレット「年表 昭和史」P20/「戦争のころ 仙台、宮城」(石澤友隆著)P87~88
|
|
戦時中の物資統制、使用規制 |
(7) |
1944年(S19) |
* 1944年(S19)1月24日、関東地方でのスイカ、メロン、まくわうりなどの作付けを2月上旬から禁止
* 1944年(S19)2月、東京に雑炊食堂出現、1人1杯20銭、外食券不要 / 4月には335軒
* 1944年(S19)3月6日、全国の夕刊を廃止
* 1944年(S19)4月28日、閣議、米穀増産及び供出奨励に関する特別措置を決定(供出報奨制)(岩波「年表 昭和史」)
* 1944年(S19)5月5日、東京に国民酒場を開設、1人1合
* 1944年(S19)6月17日、米穀管理要綱を決定(岩波「年表 昭和史」)
* 1944年(S19)6月21日、新刊雑誌を買うときは古雑誌と交換のこと
* 1944年(S19)7月、包装紙不足で、タバコはバラ売りとなる
* 1944年(S19)8月1日、砂糖の家庭用配給停止
* 1944年(S19)9月10日、ガソリン不足のため東京都内の糞尿を電車で輸送 / 西武鉄道、武蔵野鉄道で1953年(S28)3月31日まで続く
* 1944年(S19)10月23日、松根油緊急増産対策を決定。ガソリン不足のため
* 1944年(S19)11月1日、タバコは隣組配給となる。男1日6本
* 1944年(S19)11月1日、新聞の朝刊2ページとなる
* 1944年(S19)12月20日、畜犬献納運動はじまる。狂犬病予防と皮革増産
* 1944年(S19)、この年、物不足ますます深刻となる
* 1944年(S19)、この年、食糧欠乏で、のら犬野生化(岩波「年表 昭和史」)
|
菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P32、P33/岩波ブックレット「年表 昭和史」P21
|
/「仙台市史 特別編4 市民生活」P100(S19年、長町国民学校校庭でサツマイモやジャガイモを作る児童たち)
|
戦時中の物資統制、使用規制 |
(8) |
1945年(S20) |
* 1945年(S20)6月25日、東京神田で水田が作られた
* 1945年(S20)7月17日、旅行者用外食券が交付されることになる
<仙台> (「仙台市史 特別編4 市民生活」P99)
* 1945年(S20)8月、仙台でも外食券制度施行され、旅行用16軒、三食用20軒を外食券食堂に指定
・ 外食券制度は、米の配給通帳制と同時に発足したが、新聞などの記事による限り、一般の人に良く利用されるようになったのは、敗戦が近くなり食糧難が深刻になったころからのようである
<敗戦 8月15日>
* 1945年(S20)10月25日、警視庁、待合、バーなどの営業を許可
* 1945年(S20)11月17日、生鮮食料品の配給、価格撤廃が決まる
* 1945年(S20)秋、鉄かぶとを鍋に再生
* 1945年(S20)秋、タバコ巻機が大流行
<戦後の統制撤廃>
→ 項目「戦後の物資・価格統制撤廃」参照
|
菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P34、P35/「仙台市史 特別編4 市民生活」P99
|
|