項目 |
小項目 |
年 |
内容 |
出典/参考資料 |
関連映像 |
ビル建設 |
鳳月ビル |
1957年(S32) |
* 1957年(S32)12月、青葉通り・東五番丁通り南西角に完成(5階建)
* 1988年(S63)10月、ほうげつビルがオープン
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「わが心の仙台駅前史」P87、P91
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99-031、22-17
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ビル建設 |
4階以上のビル |
終戦前/1958年(S33) |
* 昭和20年の終戦前、4階以上は、東北電力、市立病院、三越、富国ビル、簡易保険局、明治生命など
* 1957年(S32)頃
・4階 仙台電話局、興銀ビルなど
・5階 徳陽相互銀行
・6階 仙台ビル、山口ビル、郵政ビル
・8階 丸光デパート、日乃出会館(工事中)
S32年頃に建設計画中(東宝ビル、七十七銀行)
(以上、出典調査中)
* 1958年(S33)1月、仙台市内で4階建以上のビルは17(「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P286)
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「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P286
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ビル建設 |
第一ビル(仙台駅前) |
1960年(S35) |
* 1960年(S35)4月、第一ビル竣工
仙台駅前広場の北側に面して建設(9階建)
2018年現在は、「仙台マークワンビル」の場所
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「わが心の仙台駅前史」P87
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22-14/「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P96
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ビル建設 |
東北電力ビル |
1960年(S35) |
* 1960年(S35)8月4日、東北電力ビル(地下1階一部2階、地上9階建、塔屋3階)が東二番丁70に完成 / 東北電力本社 / グランドホテル仙台、電力ホール、貸室、市民図書館分室を併設 / 当時は東北一の大型ビル
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「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P596
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「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P45(S35年)、P60(S38、カラー)
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ビル建設 |
第一生命ビル |
1970年(S45) |
* 1970年(S45)7月、第一生命ビル竣工(仙台市役所の南隣に、鉄骨鉄筋造、地下1階、地上10階、塔屋4階)
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「重訂 宮城県郷土史年表」P663
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(着工してまもない頃)40-07、201-04、201-05
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ビル建設 |
住友生命仙台ビル |
1974年(S49) |
* 1974年(S49)3月1日、住友生命ビル完成(中央4丁目)/ 地上19階建て、高さ67.3mで、当時は東北一の高さ
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「続・ 宮城県郷土史年表」P27/Wikipedia「住友生命仙台中央ビル」
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ビル建設 |
興和ビル |
1979年(S54) |
* 1979年(S54)、青葉通りに面した興和ビル完成 / 地上15階建て、高さ63.8mで、当時は仙台3番目の高さ / 日本興業銀行がある / 建物南側の滝と緑の「フラタニテ・パーク」が市民に開放されている
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「番丁詳伝」P211
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ビル建設 |
日産生命ビル(解体) |
1981年(S56) |
* 1981年(S56)5月、解体(仙台駅西口前)
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「わが心の仙台駅前史」P90
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22-14(の左下のビル)
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ビル建設 |
マルカンビル(解体) |
1981年(S56) |
* 1981年(S56)8月、解体
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「わが心の仙台駅前史」P90
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ビル建設 |
第一生命タワービル |
1985年(S60) |
* 1985年(S60)5月30日、第一生命タワービル竣工(地上21階、高さ92.2m)
* 1985年(S60)5月31日、敷地に、彫刻「天の花」(空充秋作)を建てる
* 1985年(S60)12月20日、ビル1階に、佐藤忠良作「娘の像」設置
タワービルは、旧・仙台市立病院跡地の再開発で、東を東二番丁通り(国道4号)、北を市道区画街路南58号線、西を三越通り(一番丁通り)、南を森徳横丁で囲まれる区画のうち、北東と北西の角地部分を除いた区画のほとんどを占有して建つ / 当時は東北地方では最も高い90m級・地上21階建ての超高層ビルとして完成した / 1989年(H1)2月に住友生命仙台中央ビル (SS30) (143.0m、地上31階)が登場し、高層ビル東北1位の座を明け渡した
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「続・ 宮城県郷土史年表」P191、P198/Wikipedia「仙台第一生命タワービルディング」
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ビル建設 |
1・4・1ビル |
1987年(S62) |
* 1985年(S60)4月17日、一番町4丁目市街地再開発ビル起工式
* 1987年(S62)3月21日、一番町4丁目に「1・4・1ビル」オープン(東北地方初の総合ファッションビル)
* 1987年(S62)4月1日、ビル内に、仙台市消費センター開設 / 同日に、「エルパーク仙台」(県婦人文化センター)開館
* 1987年(S62)7月25日、141ビル屋上に「仙台城の艮櫓(うしとらやぐら)の十分の一模型」を復元展示
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「続・ 宮城県郷土史年表」P190、P220、P221、P227/「番丁詳伝」P225
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ビル建設 |
住友生命仙台中央ビル(SS30) |
1989年(H1) |
* 1988年(S63)9月6日、住友生命仙台中央ビル(SS30)上棟式(仙台市中央4丁目、31階建、高さ143m、アンテナ部を含めると172m、 / 仙台第一生命タワービルを超え、当時は高さ東北一の高層ビルだった / 場所は、宮城学園の跡地
* 1989年(H1)、完成
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「続・ 宮城県郷土史年表」P251/Wikipedia「住友生命仙台中央ビル」
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「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P122(H2、カラー、左奥のビル)
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ヒトラーユーゲント一行が来県 |
来県 |
1938年(S13)9月 |
ドイツから日独親善のため来日したヒトラーユーゲント一行が宮城県に来県
* 1938年(S13)9月11日、ヒトラーユーゲント派遣団歓迎招待会開催
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「仙台市史10 年表」P294/「重訂 宮城県郷土史年表」P464
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19-01/「新・目で見る仙台の歴史」P160
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パーマネント |
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1934年(S9)頃~ |
* 1934年(S9)頃から、一般家庭婦人の間に流行りだす
* 1939年(S14)6月16日、国民精神総動員委員会が生活刷新案を決定 (遊興営業の時間短縮、ネオン全廃、中元歳暮の禁止、学生の長髪やパーマネント禁止、など)
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「仙台市史 特別編4 市民生活」P314/岩波ブックレット「年表昭和史」P12
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パテー館 |
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→ 項目「松島座/パテー館/仙台日活館/仙台日活劇場」参照
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バス優先レーン |
実施 |
1971年(S46)~ |
* 1971年(S46)6月1日、北九番丁~県庁前(国道4号線の1.2キロ)でバス優先レーンを実施(「重訂 宮城県郷土史年表」P674)
* 1973年(S48)11月1日、北六番丁~苦竹間の一部で、実施
* 1973年(S48)11月16日、秋保街道のバスレーン試験実施
* 1974年(S49)10月22日、仙台市道鹿ノ又線の広瀬橋南~飯田団地入口、井出長町線の結城広瀬橋病院~河原町交番前間でバス優先レーン実施
* 1975年(S50)8月1日、幸町~鶴ケ谷坂下路線、朝7~9時、バスレーン実施
* 1976年(S51)4月30日、泉市八乙女~仙台市役所間、バスレーン実施
* 1976年(S51)5月14日、坂下~仙台駅間、長町線にバス専用レーン実施
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「重訂 宮城県郷土史年表」P674/「続・ 宮城県郷土史年表」P4、P24、P43、P53、P54
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バスプール |
仙台駅西口 |
1981年(S56) |
* 1981年(S56)6月10日、供用開始
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「仙台市史 年表」P132
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バスプール |
仙台駅東口 |
1982年(S57) |
* 1982年(S57)6月23日、供用開始 / 東北新幹線の大宮・盛岡間開業の日に
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「仙台市史 年表」P133
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バス |
仙台初 |
1912年(T1) |
* 1912年(T1)10月18日、仙台初のバスが営業開始
清水小路(現・五橋五丁目)の菊地道三郎所有のもの
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逸見英夫著「仙台はじめて物語」P197/「仙台市史 年表」P96/「仙台あのころこのころ八十八年」P242/「仙台市史 特別編4 市民生活」P202
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バス |
仙台市街自動車 |
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→ 項目「仙台市街自動車」参照
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バス |
仙台市営バス |
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→ 項目「仙台市営バス」参照
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バス |
長距離バス |
1962年(S37) |
* 1962年(S37)8月1日、東北急行バスが、東京~仙台間の運航開始(「重訂 宮城県郷土史年表」P605)(「市民の戦後史(仙台市)」P145では、S38年8月運行開始)
* 1989年(H1)9月21日、仙台~盛岡間、高速バス運行開始
* 1989年(H1)10月2日、仙台~青森間(ハイウェイバス・ブルーシティー)運行開始
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「重訂 宮城県郷土史年表」P605/「続・ 宮城県郷土史年表」P262、P263
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「市民の戦後史(仙台市)」P145(東京仙台間の東北急行バス)
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バス |
木炭バス |
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→ 項目「木炭バス」参照
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バス |
ボンネット型 |
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日本では、1950年代頃までは大多数のバスがボンネットを持った形状(ボンネットバス)だったが、次第に輸送効率の良い箱型バスに置き換えられた。日本では、1971年に量産タイプのボンネットバスの製造が中止された
仙台市営バスでは、1965年(S40)当時、仙台市中心部でまだボンネットバスが使われていた → 写真 201-08 、 201-09
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Wikipedia「ボンネットバス」(2019年10月)/写真201-08、201-09のキャプション
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58-03、201-08、91-21、201-39、201-42
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バス |
キャブオーバー型 |
1948年(S23) |
* 1948年(S23)、キャブオーバー型バスが仙台市では初登場
・ 車体前部にエンジンを置いた箱型バスで、エンジンの上に運転台がある
・ 外観的には車体正面にグリルがあり、車内運転席横にエンジンの張り出しがあるのが特徴
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「昭和史とともに 仙台市電 その50年」P91
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98-106
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バス |
宮城交通 |
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→ 項目「宮城交通」参照
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バカンス(流行語) |
流行 |
1963年(S38) |
* 1963年(S38)4月、ザ・ピーナッツの「恋のバカンス」発表
東レと渡辺プロ(ザ・ピーナッツ所属)との共同企画によるサマーウェア新商品「バカンス・ルック」(1963年6月)の宣伝キャンペーンの一翼も担う
「休暇」を意味する「バカンス」(vacances)というフランス語が日本で流行語になるのに貢献した
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201-52(七夕の仕掛物)
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ハリストス正教会堂 |
建設 |
1892年(M25) |
* 1892年(M25)、東二番丁に建設(木造)
* 1945年(S20)7月10日、仙台空襲で焼失
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「新・目で見る仙台の歴史」P125
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「新・目で見る仙台の歴史」P125
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ネオンサイン(全廃) |
全廃決定 |
1939年(S14) |
* 1937年(S12)8月24日、国民精神総動員実施要綱を決定
* 1939年(S14)6月16日、国民精神総動員委員会が生活刷新案を決定 (遊興営業の時間短縮、ネオン全廃、中元歳暮の禁止、学生の長髪やパーマネント禁止、など)
国民精神総動員運動は、1937年(S12)日中戦争勃発を受け「挙国一致」「尽忠報国」「堅忍持久」を方針とした国民運動が企図され、開始された
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岩波ブックレット「年表昭和史」P12、P16
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ネオンサイン |
仙台では・・・ |
1928年(S3)~ |
* (仙台では)ネオンや電飾が目立ってくるのは、1928年(S3)以降
* カフェや映画館の隆盛時代を迎え、またビルラッシュと三越が進出した1933年(S8)から1935年(S10)にかけては特に電飾が盛んであった。東京銀座の銀ブラにならって番街(東一番丁)を散策する人が多く「番ブラ」の名を定着させていった。
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「番丁詳伝」P197
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ネオンサイン |
オイルショック後復活 |
1975年(S50) |
* 1973年(S48)10月25日、石油ショック発生
* 1973年(S48)11月5日、石油ショックで東京など大都市のネオンが消える(「菅家年表」P67)
* 1974年(S49)1月16日、電力の使用制限始まる(16年ぶり)、ネオン、広告塔、テレビ放送時間短縮(深夜放送禁止)(「菅家年表」P68)
* 1974年(S49)10月6日、東京・銀座にネオンが復活(「菅家年表」P68)
* 1975年(S50)11月、オイルショック以来消えていた仙台のネオンが点灯復活(「続・ 宮城県郷土史年表」P47)
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菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P67、P68/「続・ 宮城県郷土史年表」P47
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ネオンサイン |
省エネ消灯 |
1980年(S55) |
* 1980年(S55)6月16日、省エネで、ネオン9割近く消灯
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「続・ 宮城県郷土史年表」P112
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ネオンサイン
(戦後復活) |
戦後復活 |
1950年(S25) |
* 1949年(S24)3月、(全国)ネオン広告を全面解除
* 1950年(S25)12月、区画整理に伴う丸光(3階建)が仙台駅前(電車通り)に完成 / 東北で戦後始めてのネオンサインが点灯
* 1951年(S26)2月、電力事情悪化 / ネオン、エレベーターなどの使用禁止
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菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P43/仙台駅前商店街振興組合の歩み(年表)/「仙台あのころこのころ八十八年」P251
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53-82(S26~27年頃の仙台駅前夜景)
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ニッカウイスキー工場 |
仙台工場 |
1969年(S44) |
* 1969年(S44)5月10日、仙台工場を宮城町新川地内に完成
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「重訂 宮城県郷土史年表」P649
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トラックターミナル |
仙台トラックターミナル開業 |
1962年(S37) |
* 1962年(S37)11月20日、仙台トラックターミナル、仙台市苦竹に開業、16業者参加
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「仙台市史 年表」P122 /「重訂 宮城県郷土史年表」P606
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トラックターミナル |
仙台南トラックターミナル完成 |
1978年(S53) |
* 1978年(S53)10月1日、仙台南トラックターミナル完成(名取市熊野堂に)
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「続・ 宮城県郷土史年表」P86
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デイケアー |
デイケアセンター |
1983年(S58) |
* 1983年(S58)4月2日、仙台市三居沢で仙台デイケアセンター業務開始(全国2番目)
* 1987年(S62)4月、仙台市葉山町にデイケアセンター完成
* 1988年(S63)3月28日、仙台市泉中央デイサービスセンター、オ-プン
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「続・ 宮城県郷土史年表」P160、P223、P241
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テレフォンカード |
テレカ公衆電話登場 |
1983年(S58) |
* 1983年(S58)11月19日、テレフォンカード公衆電話を仙台市内6カ所に設置
* 1983年(S58)11月28日、仙台空港に、テレフォンカードによる公衆電話設置
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「続・ 宮城県郷土史年表」P168
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テレビアンラジオ |
発売開始 |
1936年(S11)7月1日 |
山中電機が発売した、時計つきのラジオ
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「日録20世紀 1936年」P30
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53-14に「テレビアンラジオ」の広告看板あり
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テレトピア構想 |
モデル地区指定 |
1985年(S60) |
* 1985年(S60)11月20日、仙台市がテレトピア・モデル都市に指定される
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「仙台市史 年表」P134/仙台市HP「仙台市のあゆみ」
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ツルヤ洋菓子店とカフェ・クレーン |
開店~閉店 |
1912年(M45)~1933年(S8) |
・ 東一番丁通の立町通角と大町通角の間、道の西側に面していた(戦後の靴店「アピアまんぞくや」の辺り)
・ 1階がツルヤ洋菓子店、2階がカフェ・クレーンで西洋料理や喫茶(仙台最初の洋風喫茶店)、夜はイルミネーションが点灯
・ 洋館造り、設計は東北帝国大学の文部技官中島仙太郎
* 1912年(M45)7月27日、開店(大正に改元の3日前)
大町5丁目の写真機販売業・桜井常吉が東一番丁通りに進出、電飾の輝く洋館2階でカフェ・クレーンを開業(1階のツルヤ洋菓子店は義弟の中林源助にまかせる)
* 1933年(S8)3月19日、近くの映画館「仙集館」近くから出火した火事で類焼し、閉店
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「重訂 宮城県郷土史年表」P352/「仙台はじめて物語」P74~75
/「東一番丁物語」(柴田量平著)P126~129/「あきんどの町-おおまちに至るまでの四〇〇年-」P135/「仙台市史 年表」P96
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20-19、20-41、22-56、45-02、45-03、99-017
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ツルヤ洋菓子店とカフェ・クレーン |
ツルヤ洋菓子店 |
1912年(M45)~1933年(S8) |
* 1912年(M45)7月27日、開店(1階がツルヤ洋菓子店、2階がカフェ・クレーン)
* 1915年(T4)、ツルヤ洋菓子店は、仙台ではじめてシュークリームを販売
* 1933年(S8)3月、付近の映画館「仙集館」から火災で類焼し閉店
【「仙台はじめて物語」P74~75】
・ 場所は戦後の靴店アピア満足屋のあたり / 開店は、年号が大正に代わる3日前 / 洋館造りは東北帝国大学の文部技官中島仙太郎の設計、夜はイルミネーションが点灯
・ 「ツルヤ洋菓子店」は、大正4年に仙台で初めてシュークリームを販売したり、ロバに曳かせた赤塗りの箱馬車で、焼きたてのパンや洋菓子を配達するなど、常に評判を呼ぶ店だった。 新製品「仙台豆」の袋入り(20銭)を買うと景品に「仙集館」の二等席の映画券1枚がついた
・ ツルヤ洋菓子店は、カフェクレーンの桜井常吉の妻はるの弟中林源助が経営
【座談会「みやぎの洋菓子60年」P21】
・「ツルヤ」のベビーシュー(シュークリーム)は有名だった。 トテ馬車と言って、箱馬車でパンを配達して有名でした。大正の頃のことです。
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「仙台はじめて物語」P74~75/座談会「みやぎの洋菓子60年」P21(掲載誌は不詳)/「重訂 宮城県郷土史年表」P377
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ツルヤ洋菓子店とカフェ・クレーン |
カフェ・クレーン |
1912年(M45)~1933年(S8) |
* 1912年(M45)7月27日、新式洋菓子コーヒー店カフェ・クレーン開店(一品料理と喫茶)
【「仙台はじめて物語」P74~75】
・ ツルヤ洋菓子店2階の喫茶「カフェクレーン」は、季節の花を飾った大理石張りのテーブル10余りが並び、天井には扇風機が回り、オルガンもあった
・ コーヒー、紅茶が5銭、特製アイスクリーム10銭、ライスカレー、チキンライス、ハムライスが15銭均一
・ 12~13歳の女給仕は水色の洋服とエプロン姿
・ 仙台では、「カフェクレーン」「ブラザー軒」「カルトン食堂」が知識人や学生のたまり場だった
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「仙台はじめて物語」P74~75
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22-56、45-02、45-03、98-07/「いつか見た街・人・暮らし」P38(T5年、カフェクレーレストラン内部)/「新・目で見る仙台の歴史」P146
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チリ地震津波 |
被害 |
1960年(S35) |
* 1960年(S35)5月24日、三陸沿岸に来襲し、大船渡市、志津川町、女川町などに大被害(三陸一帯で死者119人、流失家屋1,571)
・ 仙台市は被害なし(「仙台市史 続編第2巻」P288)
* NHKテレビ、七ヶ浜村、花渕浜から中継 / 特別番組を6月1日まで実施 / NHKたすけあい、医療巡回実施
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「重訂 宮城県郷土史年表」P596/[NHK仙台放送局60年のあゆみ」P35/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P288
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タクシー |
大正時代 |
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* 1923年(T12)8月、仙台タクシー自動車合資会社、名掛丁に設立、営業開始
* 1925年(T14)、合名会社実用タクシー(裏五番丁)設立、営業開始
・ 大正11年~昭和8年に開業した東一番丁界隈のタクシー業者 / 清水自動車部(清水源太郎、立町通、大正11年)、トモエタクシー(国分町、大正15年)、柳タクシー(本柳町、昭和元年)、サカタタクシー(東二番丁、昭和2年)、キングタクシー(東一番丁、昭和5年、高級車のエセックスとハドソン数台を使用)、第一タクシー(南町)、など9業者あり
* 1925年(T14)12月25日、仙台自動車運転手会、やよい軒に集まり設立(タクシ-、バス運転手、官庁自家用運転手)
・ 宮城県の運転手免許番号簿(昭和4年現在)には、2547号まで記録されている
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「番丁詳伝」P110~111
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タクシー |
福祉タクシー |
1977年(S52) |
* 1977年(S52)4月(11月?)、仙台市の個人タクシー事業協同組合、福祉タクシー120台実施
* 1977年(S52)12月5日、仙台市のフタバタクシー、車いすのまま乗車できる障害者用タクシー開始
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「続・ 宮城県郷土史年表」P66、P76、P74
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タクシー |
無線配車 |
1983年(S58) |
* 1983年(S58)2月10日、仙台市の個人タクシー、無線で配車実施
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「続・ 宮城県郷土史年表」P159
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セコイヤの化石 |
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100万年前の第四紀洪積世に死滅したといわれるセコイヤが、霊屋橋(おたまやばし)下の広瀬川の中に、数十本残存しており、天然記念物に指定されている
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「仙台市市史 続編1」P410
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スポーツ少年団 |
発足 |
1961年(S36) |
* 1961年(S36)、仙台市スポーツ少年団発足 / クラブ活動を行っていない子弟対象 / 地域別(学区、町内会、子供会ごと)と種目別の少年団
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「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P481
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スポーツ大会(昭和戦前期) |
宮城県体操大会 |
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* 1939年(S14)6月4日、第2回宮城県体操大会(宮城野原)
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「目で見る仙台の歴史」P166
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「目で見る仙台の歴史」P166
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