分類項目 | 仙台駅(戦後) |
タイトル | 仙台駅 4代目駅舎と「こけし広告塔」 |
写真番号 | 16-20 |
場所 | 仙台市 |
映像内容 | 2階建ての4代目駅舎 / 左端は、仙石線乗り場 / こけし塔の字は「安全の花に増産の実が結ぶ、第二十二回全国安全週間」 / こけし塔は、仙台復興祭グランド・フェア(昭和24年4月20日~5月31日)の歓迎用に建てられた / その左に立つ5本のポールは何か? / 右隅の木陰に人力車 |
撮影年代 | 1949年(S24)(夏?) |
撮影年代判定根拠 | 4代目駅舎は、昭和24年7月に中間竣工(仙台駅百年史P224) / 第22回全国安全週間は、昭和24年 / 服装から夏か |
関連情報/参考文献 | <仙台復興祭グランド・フェア>(「戦災復興余話」P101~102より要約) 「昭和24年、市制施行60周年にあたり、復興途上にある東北の文化、産業などを紹介するため、東北6県に郷土の物産を特設館に出品するよう勧誘。西公園中央にある立町新丁(広瀬通の延長部分)を挟んだ約3500平方mの会場に、22の館(警察館、消防館、金融館、タバコ館、どうぶつの国、産業館、生活科学館、鉱業館、鉄道館、電気館、計画館、通信館、ラジオ館、農林水産館、衛生館、観光館、郷土史館、映画館、なかよし館、おばけ館、近代科学館、新聞館)を設けた。入場券を30万枚以上発行、東北6県から300以上の団体客が来仙し、会場は盛況を呈した。」 <全国安全週間> 【中央労働災害防止協議会のHP】 昭和21年、厚生省主唱のもと戦後初めての全国安全週間が実施される。昭和3年に始まり、戦時中も中止することのなかった全国安全週間であったが、戦後の昭和21年の実施には制約も多かった。まず、当時はアメリカの占領下であったため、全国的な運動を展開するにはGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の承認が必要であった。ところが、GHQは安全運動には資料貸し出しなど協力を惜しまなかった。ただし、戦時中の産業報国運動への批判と、全国安全週間から統制色を拭い去りたいということで、スローガンは掲げないこととした。この年の全国安全週間は厚生省の主唱で、10月1日から行われた。これは、極度の食糧難を考慮し、10月になれば新米がとれ、明るさが取り戻せるであろうという配慮からであった |
備考 | |
カラー/モノクロ | モノクロ |
分類内の通し番号 | 7 |
画像ファイル名 | sendai4098 |