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内容 |
出典/参考資料 |
関連映像 |
仙台駅(戦後) |
東北新幹線駅 |
1982年(S57) |
* 1982年(S57)6月23日、東北新幹線、大宮~盛岡間が開業
新幹線仙台駅開業
* 1985年(S60)3月14日、上野駅まで乗り入れ(上野~盛岡間が直通)
* 1985年(S60)4月11日、仙台駅東口に、東七番丁横断地下道開通
* 1987年(S62)1月10日、仙台駅に、伊達政宗の騎馬像(プラスチック製、高さ4m)設置
* 1987年(S62)4月、JR仙台駅西口広場公共地下道完成(エスパル~ams西武間)
* 1987年(S62)7月15日、西口公共地下道(JR仙台駅~地下鉄仙台駅間)開通(同日に、地下鉄開通)
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「仙台市史 年表」P133/「続・ 宮城県郷土史年表」P148、P189、P190、P218、P226
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37-07、37-08
/「新・目で見る仙台の歴史」P184(新幹線駅と西側の市街地、俯瞰、カラー)/「新・目で見る仙台の歴史」P130/「仙台市史 特別編4 市民生活」口絵の図4(H8新幹線駅)、図34(H9年、駅周辺一帯空撮、カラー)
/「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P114(S60、上野開業を祝う仙台駅)/同P122(H2、仙台駅東口、カラー)
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仙台駅(戦後) |
新駅ビル開業 |
1977年(S52) |
* 1974年(S49)6月7日、新仙台駅起工式(「続・ 宮城県郷土史年表」P30)
* 1976年(S51)12月17日、仙台駅新駅ビル起工式(「仙台市史 年表」P130)
* 1977年(S52)12月15日、仙台駅90周年、新仙台駅が新幹線に使用する部分を除いて開業(駅舎4階と地下1階とステーションデパートなど入る建物で営業開始)
* 1978年(S53)3月18日、東西自由通路完成
* 同日、仙台駅ビル内にS-PAL(エスパル)開店
* 1981年(S56)6月10日、駅前西口バスプール、使用開始
* 1985年(S60)12月14日、仙台駅に仙鉄局直営飲食店開店
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「続・ 宮城県郷土史年表」P30/「仙台市史 年表」P130、P131/「続・ 宮城県郷土史年表」P75、P79、P129、P198/「わが心の仙台駅前史」年表
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「新・目で見る仙台の歴史」P130/「仙台市史 特別編4 市民生活」口絵の図3(S52年頃の新駅ビル)/「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P105(S53、カラー)
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こけし塔(仙台駅前) |
設置 |
1949年(S24) |
* 1949年(S24)、仙台駅前広場のこけし塔、仙台復興祭グランドフェア(S24年4月20日~5月31日)の歓迎用に建てられ、その後も広告塔として使われた
・ S26年当時の写真にも写る
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「戦災復興余話」P101~102に、グランド・フェアーにつき記述あり
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16-20、16-18、16-19、20-08
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仙台駅(戦前) |
空襲で焼失 |
1945年(S20) |
* 1945年(S20)7月10日、仙台空襲で駅舎、仙台鉄道局、仙台鉄道管理局が焼失 / 本局は仙台鉄道教習所に移り、さらに東二番丁の東北学院中学校の建物借用し移転
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「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P561
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「目で見る仙台の歴史」P150に、仙台鉄道局庁舎(大正8年)
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仙台駅(戦前) |
第2代駅舎完成 |
1894年(M27) |
* 1894年(M27)6月1日、2代目駅舎が完成(木造洋風一部2階建) /「仙台はじめて物語」P289では、7月1日改築開業
* 昭和はじめには駅舎正面にシンボルの大時計がついた
* 1928年(S3)4月20日、名掛丁地下道新設(仙台駅百年史略年表)
* 1941年(S16)1月21日、日本食堂経営仙台駅食堂開店(2階)
・ 駅舎は、灰色のペンキ塗り(「わが心の仙台駅前史」P41)
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「仙台市史 年表」P88/「重訂 宮城県郷土史年表」P298/「仙台市史10 年表」P300/「わが心の仙台駅前史」P41
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99-001、99-002、16-15、19-02、22-10、44-71、53-15、83-02、98-040/「新・目で見る仙台の歴史」P130/「仙台市史 特別編4 市民生活」口絵(図1)
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仙台駅(戦前) |
開業 |
1887年(M20) |
* 1887年(M20)12月15日、日本鉄道の上野・仙台・塩釜間開通、あわせて仙台停車場が開業 (現・JR東北本線)
* 同年12月20日、東京・仙台間の開通式を挙行
<開業日、初列車は雪で3時間遅れで仙台着>
「その朝、東北地方の太平洋側は雪、仙台市内も真っ白だった。初列車は午前7時28分、6両編成で上野駅を出発、午後7時半ごろ仙台駅に到着する予定だった。ところが初代の大宮弥平駅長以下地元のお歴々、珍しもの見たさの市民たちが待てど暮らせど、その列車が姿を現さないのである。雪のため、越河(白石市)付近の坂を超えられず、いったん福島駅に逆戻り。そこで上り列車用の機関車を連結して馬力を倍増、あえぎあえぎ仙台駅にすべり込んだ時には、時計はなんと午後10時25分を指していた。つごう15時間かかったことになる。暗いランプが揺れる車内での難行苦行に、記念列車の山県有朋内務大臣らはブスッとした表情で降り立ち、また、歓迎人は景気づけの花火もすっかり打ち尽くしてしまい、寒さにガタガタふるえていたそうである。」(「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P130)
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「重訂 宮城県郷土史年表」P278/「仙台市史 年表」P86/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P130
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98-038
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仙台駅(戦後) |
仮駅舎設置 |
1972年(S47) |
東北新幹線開業に伴う駅舎新築のため、S47年に西口駅前広場に「仮駅舎」を設置 / 仮駅舎の後方の第4代駅舎を取り壊したあと、新駅ビルを建設
* 1972年(S47)11月、仮駅舎設置、開業
* 1975年(S50)7月11日、地下道より広い渡線橋設置
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Wikipedia「仙台駅」/「続・ 宮城県郷土史年表」P14、P43
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仙台駅(戦後) |
第4代駅舎中間竣工 |
1949年(S24)7月 |
広い庇とその下の大時計(直径2m)が特徴で、S47年まで23年間にわたり仙台市のシンボルであった
* 1948年(S23)、着工
* 1949年(S24)7月、第4代駅舎(中間竣工)、木造2階建て / 駅前広場はアスファルト舗装、東五番丁まではコンクリート舗装
* 1950年(S25)5月18日、第4代駅舎完成
* 1950年(S25)11月5日~12月末、駅前の舗装(「仙台駅百年史」P49)
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「仙台駅百年史年表」P224/「戦災復興余話」P54/「仙台市史 年表」P116/「わが心の仙台駅前史」P86の「年表」/「仙台駅百年史」P49
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05-02、16-17、16-18、16-19、16-20、16-24、18-01、20-09、22-13、22-14、37-02、37-05
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針久旅館支店(仙台駅前) |
開業 |
1887年(M20) |
場所は、仙台駅前広場の北側に面する
* 1868年(M元年)、国分町に旅館開業
* 1882年(M15)、針久旅館と改称
* 1887年(M20)、仙台駅開業の年に二代目久助が東北本線(日本鉄道)仙台駅前に支店を開設
その後、三代目久助が東五番丁に千坪の別館を建て、東京にも神田と上野、築地の3つの支店を開業した
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「仙台老舗百店史P182~189『針久旅館』
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61-18/53-88の右端建物/06-23の上部(陸奥ホテルの左隣の建物)/「目で見る仙台の歴史」P155に、国分町の針久旅館
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仙台駅(戦後) |
第3代駅舎 |
1945年(S20)8月上旬 |
2代目駅舎が仙台空襲(S20年7月10日)で焼失し、終戦直前の8月上旬に木造バラックの待合室が急ごしらえで建設された
* 1945年(S20)8月上旬、3代目駅舎を急造
* 1947年(S22)3月27日、バラックの仙台駅にネオンがついた。周囲が暗いためか「仙台駅」の文字だけが夜空に輝いていた」(「仙台市史 続編第2巻」P255)
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「仙台駅百年史年表」P224/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P255
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16-16、44-50、21-11、22-12/91-22など分類H-30の各写真(1945年9月23日、米軍撮影)/09-09(夜に輝く「仙台駅名ネオン」/「新・目で見る仙台の歴史」P130/「仙台市史 特別編4 市民生活」口絵図2(戦後間もない仮駅舎)
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仙台駅(戦後) |
第4代駅舎時代 |
1950年(S25)~1972年(S47) |
* 1952年(S27)9月26日、仙台駅東口開通
* 1952年(S27)9月、仙石線仙台駅ホームを東口地下道内から地上へ移す(国体開催に備え)
* 1952年(S27)9月当時の仙台駅発着系統
・一番線、東北本線下り方面
・二番線、東北本線上りおよび下り方面
・三番線、東北本線上り方面
・四番線、仙山線下り方面
・五番線、常磐線上り方面
* 1955年(S30)10月1日、仙台駅火災、一部消失
* 1961年(S36)3月3日、国鉄と建設省、駅前広場問題について、駅舎を9m後退につき話し合いがつく
* 1961年(S36)5月、仙台駅の構内地下道完成
* 1964年(S39)、ホーム間連絡路の北地下道に加え、南地下道完成(南跨線橋は老朽化で廃止)
* 1965年(S40)10月1日、仙台駅に「みどりの窓口」設置
* 1967年(S42)10月、新らたに設けた6、7番ホームを、仙山線発着に充てる
* 1974年(S49)3月5日、大時計を県中央児童館にプレゼント
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「仙台年表」P225、P234/「重訂 宮城県郷土史年表」P558、P579、P599/「続・ 宮城県郷土史年表」P27/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P567、P571/「市民の戦後史(仙台市)」P132
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05-02、16-17、16-18、16-19、16-20、16-24、18-01、20-09、22-13、22-14、37-02、37-05/「市民の戦後史(仙台市)」P132(S36年5月、構内地下道)/「市民の戦後史(仙台市)」P203(S42年10月頃の仙台駅→常磐線電化完成の看板あり)/「仙台市史 特別編4 市民生活」口絵の図33(S42年、駅周辺一帯空撮)
/「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P9(S29)、P18~19(S32)、P20(S30年代初め頃)、P41(S33、仙台駅界隈空撮、機関区も写る)、P44(S33頃)、P59(S38、仙台機関区の転車台)、P62(S38、カラー)、P97(S46、カラー)
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