分類項目 | 仙台駅(戦後) |
タイトル | 仙台駅 4代目駅舎と市電 |
写真番号 | 20-09 |
場所 | 仙台市 |
映像内容 | 絵葉書「(復興の仙台) 大仙台の玄関口、復興後一変せる仙台驛前風景」を複写 / 昭和24年7月~47年11月まで23年にわたり仙台市のシンボルであった木造2階建ての駅舎 / 広い庇とその下の大時計が特徴だった / このころ市民の足ははもっぱら市電だった / この市電はポールでなくパンタグラフを使用 / 広場北側に鉄塔が建った(照明用?)=写真 22-12 にはなかった / 右手の駐車場には9台の自動車を数えるがその半数は進駐軍関係 / ジープの奥には人力車があるが、主な客は進駐軍関係 / 駅前広場のコケシ塔の字(広告)はマツダランプ / その左の鉄塔の広告はゴードー焼酎、ハッピーミシン |
撮影年代 | 1951年(S26) |
撮影年代判定根拠 | 組絵葉書「復興の仙台」は昭和26年発行(写真提供者からの情報) |
関連情報/参考文献 | 写真20-09(仙台駅舎)につき、写真提供者・渡邊慎也氏による説明文 「昭和25年5月から昭和47年まで、23年間にわたり仙台市のシンボルであった、木造二階建の“仙台駅舎”前景とその周辺。広いひさしと大時計が特徴で、多くの利用者から親しまれていた。 この駅舎から左へ「仙石線のりば」、「占領軍用RTO」(白い建物)と続いていた。右手駐車場には9台の自働車を数えるが、その半数はアメリカ占領軍関係のもの。ジープの奥には人力車も見える。 このころ市民はもっぱら市電に頼っていた。小型の電車には〈5〉など、およそ10系統の路線表示があり、いつも満員の客であふれていた。 今はもう見ることのできないまぼろしの世界ではある。」 |
備考 | <多賀城市・平塚良治さん(昭和4年生まれ) 「駅の大時計の思い出」> 「仙台駅舎の正面中央に大時計があり、これを丸光(現在(1996年)のビブレ)の屋上の望遠鏡でみて、その下でデートしている人たちを眺めていた / この大時計は、中央児童館に保存されているます。」 |
カラー/モノクロ | モノクロ |
分類内の通し番号 | 10 |
画像ファイル名 | sendai4101 |