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仙台駅 3代目駅舎と周辺部(俯瞰)
仙台駅 3代目駅舎と周辺部(俯瞰)

分類項目 仙台駅(戦後) 
タイトル 仙台駅 3代目駅舎と周辺部(俯瞰) 
写真番号 22-12 
場所 仙台市
映像内容 右が仙台駅(駅看板が当用漢字で「仙台駅」のように見える)、その上は仙石線乗り場入口、その奥はRTO(進駐軍の鉄道輸送指令部、 98-099 ) / 左上は停車場前通り(駅前電車通り)で奥が北方向
/ 写る一帯は空襲で壊滅したが、住宅が再建されている / 右上奥の鉄橋は、東北本線の線路を越える、通称「X橋」(エックスバシ、 22-15 ) / 駅前に並ぶ立札(掲示板?)前に人が集まり見ている / 駅前広場には人力車(画面手前に並んで客待ち中) / 乗用車がなく、バスが1台
撮影年代 1947年(S22)9月 
撮影年代判定根拠 ①河北新報ON LINE NWES「戦禍から再生 昭和20年代の仙台風景」に同じ写真があり、昭和22年9月撮影 / ②服装が夏服 / ③昭和24年7月には4代目駅舎が竣工したので昭和23年以前の夏
関連情報/参考文献 仙台駅西側一帯の空襲被害は、分類G-28の写真 35-1635-1535-18
/ <宮城電気鉄道>1944年(昭和19年)5月1日、国有化され国鉄仙石線となる
/ 【「仙台あのころこのころ八十八年」P243】 X橋(エックス)開通は、1920年(T9)8月
備考 <壱岐要造さん(大正15年生まれ)の思い出 「戦争の時代が終わり、物はなくても希望があった」> 「毎日汽車通だったので、仙台駅前の風景は特になつかしい。オキュパイド(米軍占領下)ではあったが希望ははてしなかった。」

<青葉区・村上恵子さん(昭和15年生まれ)「仙台駅裏ガードの記憶」> 「駅裏のガード(X橋)に沢山の人々がいた。特に子どもたちだけの姿(編者注:戦災孤児のことか)が印象にあって、今もそこを通ると思いだされて、子どもたちによく話していた。」

<吉田弘子さん(昭和10年生まれ) 「X橋界隈の思い出(昭和30~32年頃)」> 「赤線のような夜の女たちがたむろしていて、夜はこわくて行けない場所だった。 X橋から東九番丁のあたり。」 
カラー/モノクロ モノクロ 
分類内の通し番号
画像ファイル名 sendai4095 
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