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戦没兵士の帰還(昭和12年12月の可能性が大)
戦没兵士の帰還(昭和12年12月の可能性が大)

分類項目 無言の凱旋・慰霊祭 
タイトル 戦没兵士の帰還(昭和12年12月の可能性が大) 
写真番号 06-23 
場所 仙台駅前広場
映像内容 仙台に司令部があった第二師団兵士とおもわれる / 遺骨を胸に抱く兵士たち / 向いあう遺族たち(最前列には僧侶たち)
/ 時期は、昭和12年夏以降の日中戦争期の可能性が大(昭和16年12月太平洋戦争開戦より前) / 1937年(昭和12)12月の歩兵第4連隊大泉部隊遺骨帰還の可能性が大 → 関連情報欄<3>参照
/ 佐藤物産店(背景の建物群の左端角)の3階屋根に「仙台名産」の看板があり、店前には鉄柱がたっている / 佐藤物産店右隣の食堂の屋根上看板(ネオン?)や陸奥ホテルの看板がまだある
撮影年代 ①1937年(S12)~②1943年(S18)7月の間

③1937年(S12)12月の大泉部隊遺骨帰還の可能性が大 
撮影年代判定根拠 ①関連情報欄<1>参照
②関連情報欄<2>参照
③関連情報欄<3>参照
関連情報/参考文献 <1> 佐藤物産店の3階屋根上看板と店前の鉄柱は、分類C-07-01の写真 64-04 (昭和11年撮影)には無く、C-07-01の写真 53-14 (撮影昭和12~14年の間)にはある
<2> 分類G-25-03の写真 16-57 (昭和18年7月23日、ガダルカナル島戦の英霊奉迎式)には背後の建物の看板類がほとんどなくなっている~金属類回収令により金属回収が1941年(昭和16)9月1日より開始、1943年(昭和18)8月に勅令改正で強化された~

<3>【「重訂 宮城県郷土史年表」P460】 →「昭和12年12月、北支戦線に武勲を樹てし故大泉中佐以下二百二十一柱の合同慰霊祭を、県市主催のもとに市公会堂にて挙行す」 / 写真提供者の大友氏の父が大泉部隊所属で日中戦争で戦死している
備考 <大友照幸氏談(写真提供者、父・徳太郎氏が歩兵第4連隊大泉部隊所属)>
・ 昭和12年4月11日、第二師団満州駐箚により仙台を出発し旧満州のハルビンへ(歩兵第4連隊大泉部隊も)
・ 12年7月7日盧溝橋事件から日中戦争突入
・ 12年8月6日、歩兵第4連隊第1大隊(大泉部隊)約400名がハルビン出発、中国戦線に投入され太原まで転戦(この間に、大泉部隊長をはじめ231名戦死)
・ 12年12月11日、ハルビンへ帰隊命令。遺骨が仙台に帰還
・ 12年12月25日、合同慰霊祭(仙台市公会堂)
・ 大友氏ら大泉部隊戦死者遺児たちが1995年夏、中国戦線での大泉部隊の移動ルートを辿った 
カラー/モノクロ モノクロ 
分類内の通し番号
画像ファイル名 sendai10012 
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