分類項目 | 仙台駅(戦後) |
タイトル | 仙台駅 4代目駅舎と駅前広場 |
写真番号 | 05-02 |
場所 | 仙台市 |
映像内容 | 昭和24年7月~47年11月まで23年にわたり仙台市のシンボルであった木造2階建ての4代目駅舎 / 広い庇とその下の大時計が特徴だった(大時計の下は人々の待ち合わせ場所だった) / 竣工から間もない頃 / 手前は仙台市電の軌道 / 左端にバス(後尾部分)と人力車 / 駅前には乗用車が見えない |
撮影年代 | 1949年(S24)8月24日 |
撮影年代判定根拠 | <写真提供者からの情報> |
関連情報/参考文献 | 【「仙台駅百年史」P224】 4代目仙台駅舎(戦後2代目)は、昭和23年4月着工、昭和24年7月に中間竣工 / 【「わがこころの仙台駅前史」P86の「年表」】 →「昭和25年5月、仙台駅本屋復興工事竣工」 / 【 Wikipedia「仙台駅」】1949年(昭和24)5月18日、4代目(戦後2代目)駅舎が完成 |
備考 | <宮城野区・赤間ともよさん(大正14年生まれ) 「戦後間もなくの仙台駅の思い出」> 「戦後、引揚の兵士たちが夜寒いので、駅前の広場 91-02 で暖をとるために、片端から駅舎の木をはがして焚き火をしていました。とがめる人はなかったと思います。 / その駅舎が昭和24年に建替えられました。 / ちょうどその日は仙台駅前におでんを売りにゆきました。 ふろしきに七輪と薪と鍋をいれて背負って・・・・。大根とにんじん、こんにゃくだけのおでんでしたが、あっという間に売り切れてしまいました。食べるものがほんとうに無かったのです。 / 帰ろうとしていると、復員の兵隊さんに「仙北の方に帰る途中ちょっと降りたのだが、この米を炊いてくれませんか」と頼まれました。 1升のお米を炊いて、8つの大きなおにぎりを作ってあげたら、本当に喜んで何度もお礼を言って帰っていきました。 今でもこの日のことははっきりおぼえています。」 |
カラー/モノクロ | モノクロ |
分類内の通し番号 | 6 |
画像ファイル名 | sendai4097 |