分類項目 | 仙台駅(戦後) |
タイトル | 仙台駅 3代目駅舎、駅前の人力車群 |
写真番号 | 44-50 |
場所 | 仙台市 |
映像内容 | 写真 16-16 に比べ、壁面が黒くなく、窓ができた(急増駅舎の改造か?) / 駅看板が屋根の上になったが、「仙臺驛」なのか当用漢字の「仙台駅」か判別不能 / その軒下の黒い部分が前の駅看板の位置か? / 左は仙石線乗り場入口か?(特に看板はついていない) / その背後の建物は、RTO(進駐軍の鉄道輸送司令部、写真 98-099 ) / 広場南側には客待ちの人力車が並ぶ。当時は主に進駐軍の米兵が利用した / 右下の戦闘帽にリュック姿の男性は故郷に帰る途中の復員兵か?食料の買い出し姿か? / その上の女性たちの一部はモンペ姿?(足首部分がすぼまっている) |
撮影年代 | 1945年(S20)秋~1947年(S22)頃の間 |
撮影年代判定根拠 | 服装から / 駅看板が当用漢字なら昭和21年12月以降(同年11月16日に内閣告示) |
関連情報/参考文献 | 【「ものがたり東北本線史」P552】 戦後、石炭(蒸気機関車の燃料)不足が深刻で、昭和20年12月旅客列車の本数は半分以下に減らされ、乗車券の発売制限や学生定期も昭和21年1月末まで使用停止という非常措置がとられた。通学できず授業を停止した中等学校も多かった |
備考 | <志和姫町・名村和子さん(大正14年生まれ)の思い出 「戦後の浮浪者」> 「戦後、駅付近で食べ物を食べていると浮浪者が寄ってきて、手を出してきたなくなり、くれた(=あげた)。次にまた出すとまた・・・・、全部あげてしまった。」 |
カラー/モノクロ | モノクロ |
分類内の通し番号 | 2 |
画像ファイル名 | sendai4093 |