分類項目 | 仙台駅(戦前) |
タイトル | 仙台駅(2代目駅舎) |
写真番号 | 16-15 |
場所 | 仙台市 |
映像内容 | 仙台駅の2代目駅舎(明治27年完成)で、木造洋風建築、仙台空襲(昭和20年7月)で焼失 / 駅正面に時計 / 駅舎の庇がむかって右棟前~正面~左棟半ばまで延びている / 向って左棟の窓は3つ / 乗用車はタクシー(燃料はまだガソリンか代替燃料か? 関連情報欄参照) |
撮影年代 | 1941年(S16) |
撮影年代判定根拠 | <撮影者からの情報> |
関連情報/参考文献 | 駅舎の庇は、写真 19-01 (昭和13年9月、ヒトラーユーゲント来仙)でも向かって左棟半ばまである <この時代のバス・タクシーとガソリン事情> 【日録20世紀1938年 P15】日中戦争で軍需の石油が増え、民生用はひっ迫、昭和13年5月からガソリン切符制が始まり、バス便削減やタクシーが減少 【週刊20世紀1941年 P27】 昭和16年10月からバスやタクシーのガソリン使用は全面禁止となり、代替燃料を使用した車のみが営業を許可された (背景は、軍需用石油の増加、昭和16年8月の米国の対日石油全面禁輸) |
備考 | <仙台駅の大時計の思い出(昭和初期)> ・ 「バスガイドをしていた頃、駅(正面)の大時計をみて発車しました」(伊藤よしさん 大正4年生まれ) ・ 「当時、自宅(東五番丁18、米穀商)の二階から駅の大時計を見て正確な時刻を知ることができました」(姉葉(あねは)孝一郎さん、昭和6年生まれ) <切符の等級で違った待合室> ・ 「戦前、(空襲で)焼ける前の仙台駅の待合室は、持っている切符(2等、3等)によって違っていた」(宮城野区・高野隆司さん、昭和3年生まれ) |
カラー/モノクロ | モノクロ |
分類内の通し番号 | 11 |
画像ファイル名 | sendai4077 |