項目 |
小項目 |
年 |
内容 |
出典/参考資料 |
関連映像 |
商店など |
信用堂洋服店 |
1931年(S6) |
* 1931年(S6)、信用堂洋服店、大町五丁目194で創業
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「あきんどの町-おおまちに至るまでの四〇〇年-」P107
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99-042/ 20-46に看板あり
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商店など |
仙台会館 |
1931年(S6) |
* 1931年(S6)、仙台会館、旧・大町五丁目20で創業 / 洋食・カフェー
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あきんどの町-おおまちに至るまでの四百年」P107
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20-49
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競馬 |
長町競馬場の開設認可 |
1931年(S6) |
* 1931年(S6)4月18日、長町競馬場、開設認可
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「仙台市史 年表」P105
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「仙台郷土研究」 |
創刊 |
1931年(S6) |
* 1931年(S6)1月10日、「仙台郷土研究」創刊(月刊)/末永勇四郎編、無一文館書店発行 / 小倉博(斎藤報恩会館)、阿刀田令造(旧制二高)らが中心
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「重訂 宮城県郷土史年表」P424/「目で見る仙台の歴史」P159
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「目で見る仙台の歴史」P159に、創刊号、小倉博氏と阿刀田令造氏肖像
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隅櫓 |
国宝指定 |
1931年(S6) |
* 1931年(S6)12月14日、大手門脇の隅櫓が国宝に指定された(大手門、霊屋にある瑞鳳殿、感仙殿とともに)
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「重訂 宮城県郷土史年表」P428
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99-081、65-08、08-02、53-44、73-01/「仙台城(仙台市教育委員会 昭和42年刊)」P249
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東北振興/農村更生 |
2 |
1931年(S6)~1934年(S9) |
* 1931年(S6)11月、東北大飢饉、冷害凶作で7割減の3分作
・ 宮城県で米減少率3%(と青森や北海道比べ軽かったが、)朝鮮半島や台湾など植民地から廉価な移入米が大量になだれ込んだこともあり、米価は低落の一途をたどった / 米の物価指数は、大正15年を100として、昭和5年が64.4,昭和6年が48.9 / 農家1戸当たりの平均負債額は、宮城県1180円(仙台市史 特別編4 市民生活」P356)
・欠食児童が増加、青森県上北郡で1300名中700名が欠食
・青森県上北・下北・三戸地方収穫皆無、人身売買が横行
・山形県のある村では、15~24歳の娘467人中110人が売られた
* 1932年(S7)、不況さらに深刻になり、官吏や教員の給料の遅配や減給も生じ、県下には税が納入されず廃村を決議した村もあると新聞などで報じられた(「仙台市史 特別編4 市民生活」P361)
・ 仙台周辺の農村では、地主の所有する小作地が多くなる(原町で54.1%、岩切46.3%、七郷42.3%など) / 市内の商業資本家たちがこれらの村々の水田を買い、不在地主になっていた(「仙台市史 特別編4 市民生活」P361)
* 1932年(S7)7月、欠食児童が激増/北海道10899人、青森県6107人、秋田県996人、岩手県3539人、全国で20万人
* 1932年(S7)7月4日、宮城県農村自力更生運動連盟結成(宮城県販売購買組合連合会、産業組合中央会宮城支会など14団体参加)
* 1932年(S7)、小作争議が各地で激化
* 1932年(S7)、農山漁村経済更生事業開始(昭和7年以降、毎年20ケ町村づつを指定して、経済更生特別指導町村となし、農山漁村の経済更生事業を実施す)
* 1932年(S7)12月、時局匡救事業として仙台に飛行場工事を起す(8年3月27日、霞目の仙台飛行場竣工、落成式)
* 1933年(S8)、農家は豊作となったが、豊作貧乏に泣く
* 1934年(S9)秋、台風・冷害のため大凶作となる(「仙台市史 年表」P107)
* 1934年(S9)の凶作、米減収率、岩手県56.4%、青森県46.4%、山形県45.9%、宮城県38.3%、福島県33.4%、秋田県25.6%(仙台市史 特別編4 市民生活」P356)
* 1934年(S9)、東北地方大凶作、娘の身売り増加(岩波P11)
* 1934年(S9)10月26日、仙台市、凶作による仙台市内窮民救済のため、市吏員、職員および市立学校職員臨時恤救金拠出規約を制定
* 1934年(S9)、婦女子の出稼ぎ(昭和9年、警視庁管下の調査)、宮城県では1万962人(芸妓228人、娼妓520人、酌婦1264人、女給643人、女中・子守3860人、女工3346人、その他1101人)(「仙台市史 特別編4 市民生活」P360)
* 1934年(S9)11月、東北地方大凶作で、女子出稼ぎ者は芸妓らを含め5万8173人(芸者2196、酌婦5961、娼妓4521、女給3271、女中15534、子守19244、女工1726、その他5720) / 秋田県横手駅、午後3時41分発の列車は「身売り列車」と呼ばれ、毎日女の子が銘仙に白足袋をはきマダラ化粧で発つ
* 1934年(S9)11月、NHK仙台中央放送局が、「農山漁村経済更生実績講座」(冷害対策として、14回シリーズ放送)
* 1934年(S9)12月26日、東北地方窮乏対策のため、政府が「東北振興調査会」を設置(S13年3月31日に廃止)
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「仙台市史 特別編4 市民生活」P356、P360、P361、P517~518/「宮城県百科事典」P754/菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P12、P13、P14、P15/岩波ブックレット「年表 昭和史」P11/「仙台市史 年表」P106、P107/「仙台放送局60年のあゆみ」P9/「重訂 宮城県郷土史年表」P433
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「仙台市史 特別編4 市民生活」P517(「宮城県に於ける経済更生運動の概要」表紙、パンフレット「自力更生」)/同P518(S9年、「東北地方の飢饉救援に関する全国農民組合総本部通達」)
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日米野球 |
米大リーグ選抜対明治大学 |
1931年(S6) |
* 1931年(S6)11月10日、八木山球場で、「アメリカ大リーグ選抜(グローブ投手やゲーリッグら)対明治大学チーム」の日米野球試合(米13-明治2)が行われた
(【「仙台はじめて物語」P235~241】に詳述あり)
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「仙台はじめて物語」P235~241/「重訂 宮城県郷土史年表」P428/「仙台年表」P202
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98-064 (「新・目で見る仙台の歴史」P155の米チーム一行記念撮影と同じ)
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藤崎(戦前期) |
改称 |
1930年(S5) |
* 1930年(S5)5月1日、株式会社藤崎呉服店、株式会社藤崎と改称
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「仙台市史 年表」P105/藤崎170年のあゆみ」P255
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医療機関 |
仙台市立病院 |
1930年(S5) |
* 1930年(S5)2月1日、開院、外来診療開始
(東二番丁の旧裁判所庁舎を改造)
→ これ以降は、項目「仙台市立病院」へ
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仙台市立病院 |
旧・裁判所庁舎で診療開始 |
1930年(S5) |
* 1930年(S5)1月30日、開院式 / 医師5人、看護婦7人、事務員4人(「番丁詳伝」P129)
* 1930年(S5)2月1日、開院、外来診療開始(東二番丁の旧裁判所庁舎を改造) / 当初は内科・外科・眼科、翌年に小児科・耳鼻科を追加、S7年に産婦人科も開設 / 外来患者数、S5に14万人、S10に18万8000人、見舞客も含めて東一番丁には大きな潜在購買客となる
・ 昭和3年の昭和天皇即位大典の記念事業
・ 旧裁判所庁舎(明治9年建築の木造)を利用
・ 「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P706~707に、診療科など記述あり
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「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P706/仙台市立病院HP(病院の沿革)/「仙台市史 年表」P105/「仙台年表」P201/「番丁詳伝」P128~129
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「目で見る仙台の歴史」P163と、「仙台市史 特別編4 市民生活」P427に、「仙台地方裁判所跡に開設された市立病院」
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防空演習(防空訓練) |
宮城県で初の防空演習 |
1930年(S5) |
* 1930年(S5)11月4日、第二師団司令部、仙台市を中心に1市4町18カ村で防空演習を実施させる(仙台で初の防空演習)/ NHK仙台放送局が防空演習を中継放送
(* 1931年(S6)9月18日、満州事変勃発)
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「仙台市史 年表」P105/「仙台年表」P201/「仙台市史 特別編4 市民生活」P321/「仙台放送局60年のあゆみ」P3/「戦争のころ 仙台、宮城」(石澤友隆著)P151
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野球場 |
澱橋野球場 |
1930年(S5) |
* 1930年(S5)10月、澱橋野球場開設(角五郎町、澱橋わき)
* 1940年(S15)5月5日、澱橋総合運動場竣工、落成式
* 澱運動場は、戦後一時、米軍(進駐軍)が接収
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「重訂 宮城県郷土史年表」P422/「仙台市史10 年表」P298/「仙台年表」P210/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P328/「仙台あのころこのころ八十八年」P246、P248
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芭蕉の辻の洋館 |
精養軒が使用 |
1929年(S4)~1941年(S16) |
* 1929年(S4)~1941年(S16)、精養軒(洋食レストラン)が使用
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99-026、22-33、64-05、99-028/地図は98-110
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午砲(午報) |
サイレンで |
1929年(S4)~ |
* 1929年(S4)1月16日に完成した仙台市役所新庁舎(白亜の市庁舎)の屋上にサイレンを設置
* 同年2月1日から、サイレンで正午を報せた(午報)
(これにともない、川内の第二師団内で大砲を打って報せた「午砲」は廃止)
* 1945年(S20)9月25日、戦時中中止していた仙台市の午報を3年5か月ぶりに復活
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「仙台城(仙台市教育委員会 昭和42年刊)」P234/「仙台市史 年表」P104/「仙台市史10 年表」P237/「重訂 宮城県郷土史年表」P506/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P89
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競馬 |
愛子競馬場開設 |
1929年(S4) |
* 1929年(S4)11月21日、愛子(あやし)競馬場開設
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「仙台市史 年表」P105
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日本農民組合 |
宮城県連合会大会 |
1928年(S3) |
* 1928年(S3)、日本農民組合宮城県連合会第3回大会(仙台市公会堂) / ビラに書かれたスローガン(俺達の大会を守れ! 働く農民に土地を保証せよ! 土地取上絶対反対! 耕作権を確立せよ!)
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「新・目で見る仙台の歴史」P148
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「新・目で見る仙台の歴史」P148(大会ビラにスローガン)
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朝鮮館 |
建設~取壊し |
1928年(S3)~1950年(S25) |
* 1928年(S3)、「朝鮮館」建設
昭和3年に仙台で開かれた「東北産業博覧会」の際、桜ケ岡公園に朝鮮総督府が出品する展示館として建てられた極彩色の建物(場所は桜が岡公園の北西の隅)
* 1930年(S5)、仙台市が物産陳列室を設ける(博覧会後、寄付された仙台市が民間に貸し付け、仙台銘産品の紹介所と喫茶があった)
* 1945年(S20)の仙台空襲では焼失を免れたが、1950年(S25)に取り壊された
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「仙台市史 本篇2」P370/「仙台市史10 年表」P275
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53-32、08-05 /「思い出のアルバム仙台」(カルダイ社 1980年刊)P86
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博覧会・フェア |
東北遺物博覧会 |
1928年(S3) |
* 1928年(S3)4月、東北産業博覧会開催中、宮城県図書館と商品陳列所を会場に、伊達家の宝物を中心に、東北各藩の違宝を陳列した
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「目で見る仙台の歴史」P153
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「目で見る仙台の歴史」P158に「会場写真」
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東北産業博覧会 |
開催 |
1928年(S3) |
* 1928年(S3)4月15日~6月8日、仙台で、「東北産業博覧会」開催
・ 仙台商工会議所主催
・ 第一会場は川内の元騎兵隊跡(新築早々の仙台第二中学校)
第二会場は桜ケ岡公園(=西公園)
第三会場は榴ケ岡公園
・ 第一と第二の会場間には、広瀬川をまたぐケーブルカー架設、広瀬川に向かってウォーターシュートも設置
・ 「県庁舎(昭和6年)、市庁舎の改築(昭和4年)と東北産業博覧会開催は、第一次大戦後の恐慌の後遺症と関東大震災による慢性的不況のなかで、景気浮揚策の一環であった」(「番丁詳伝」P123)
「東北産業博覧會記念寫眞帖」の記述
→「不景気挽回策と銘打って、延期5日間を加えて55日間開催、入場者は昼間153万1千人、夜間13万2千人。 市民から集めた寄付金十余万円・・・・・・」
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「東北産業博覧會記念寫眞帖」/「番丁詳伝」P123
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「目で見る仙台の歴史」P158に「会場写真」/「新・目で見る仙台の歴史」P143、P148/99-149、34-01、61-13、63-10、95-01、95-02/「東北産業博覧會記念寫眞帖」 に関連写真多数/「仙台市史 特別編4 市民生活」P42(東北産業博覧会ポスター2種、カラー)/同P233(博覧会会場全図、カラー)/「新・目で見る仙台の歴史」P148(会場間のケーブルカー、第一会場入場門、ポスター)/「仙台市史 特別編4 市民生活」P233(会場図、カラー)
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仙台市電 |
環状線(循環線)完成 |
1928年(S3)3月 |
* 1928年(S3)3月28日、県庁前~大学病院間(1.7キロ)が開通、これで環状線(循環線)全線(6キロ)が完成
・ 仙台駅前~錦町~県庁市役所前~北四番丁~西公園~南町通~仙台駅前(停留所名は、1976年市電廃止時の名称)
・ 西公園において開通式挙行
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「昭和史とともに 仙台市電 その50年」P187~189/「文集 仙台市電」末尾年表/「仙台市史 年表」P104
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201-01、201-05/「仙台市史 特別編4 市民生活」P208(循環線が完成したころの乗り換え乗車券)/同211(S49年、仙台駅前停留所の市電、カラー)
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日本生命館 |
落成 |
1928年(S3) |
* 1928年(S3)10月8日、東一番丁・南町通り交差点の南西角に、落成(レンガ造り)
* 1945年(S20)7月10日の仙台空襲では、内部は焼けたが、外観は残った
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渋沢社史データベース「日本生命九十年史」P369/「番丁詳伝」P209
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戦前は、53-91/戦後は、63-04、18-14、36-08
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軍服(陸軍) |
立襟 →立折襟に |
1938年(S13) |
* 1928年(S13)6月に、立襟から立折襟に、階級章は肩章から襟章となる(ただし、旧軍服との併用が認められていた)
・ 将校がもつ軍刀は1934年(S9)に、サーベルから太刀型に変わった
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S7以前は、87-01 /S7以後S12以前は28-01
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四大節 |
制定 |
1927年(S2) |
* 1927年(S2)に制定された四つの祭日(昭和戦前期)
・ 四方拝(1月1日)・紀元節(2月11日)・天長節(昭和時代は4月29日)・明治節(11月3日)の総称
・ 戦前は、児童生徒は学校に登校し式が行われた
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大辞林 など
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三原時計店 |
大町の店、取壊し |
1927年(S2) |
* 1927年(S2)、大町の店(時計塔のある土蔵造)を取り壊し、その跡にハイカラな時計塔のある店を新築
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あきんどの町-おおまちに至るまでの四〇〇年-」P217/「古写真にみる仙台の建築」P43
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商店など |
かき徳 |
1927年(S2) |
* 1927年(S2)、仙台市東一番丁に開店 / 仙台初のかき専門店 / 当時、本店の塩釜で種牡蠣を養殖し、仙台支店で販売した
・ 戦後はドリアン・キャンディーなどを扱った、
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「番丁詳伝」P220~221
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44-03
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陸軍の学校(宮城県内) |
仙台陸軍教導学校 |
1927年(S2)~1943年(S18) |
* 1927年(S2)7月1日、「陸軍教導学校令」(勅令)制定、歩兵科の下士官候補者を養成する陸軍教導学校を、仙台、豊橋、熊本に設置、歩兵科以外の下士官養成は従来どおり各部隊で行われた
* 1927年(S2)7月1日、仙台陸軍教導学校(陸軍下士官の教育機関)を、川内の元歩兵第29連隊兵舎におく
* 1938年(S13)8月13日、教導学校内に仙台予備士官学校を併設、開校式(S14年3月に盛岡近郊へ移転、1943年8月2日に廃止)
* 1943年(S18)8月2日、仙台陸軍教導学校が廃止され、施設はそのまま仙台陸軍予備士官学校が設置され、終戦まで続いた
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「重訂 宮城県郷土史年表」P207/Wikipedia「陸軍教導学校」、「仙台予備士官学校」
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メーデー(戦前) |
宮城県初のメーデー |
1927年(S2) |
* 1927年(S2)5月1日、宮城県最初のメーデー、日本農民組合宮城県支部連合会・仙台一般労働組合などの主催により桜ケ岡公園で開催(デモコースは、公園→南町通り→仙台駅前)
* 1934年(S9)5月1日、メーデー共同闘争委員会約20名(各組合代表)が仙台市役所にデモ、夜は東一館で演説会開催、佐々木更三逮捕される
<参考>
* 1935年(S10)5月1日、第6回メーデが、戦前最後のメーデー(「一億人の昭和史 昭和重要事件年表」)
* 1936年(S11)3月24日、内務省が今年のメーデー禁止を通達
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「仙台市史 年表」P104/岩波ブックレット「年表昭和史」P12、P13/「新・目で見る仙台の歴史」P149/「仙台市史10 年表」P283
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「新・目で見る仙台の歴史」P149(仙台の第1回メーデー・デモ )/「仙台市史 特別編4 市民生活」P530(S2年5月1日、仙台の第1回メーデーデモ隊)
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国鉄(仙山線) |
戦前・戦後 |
1926年(T15)~昭和末年まで |
* 1926年(T15)4月、着工
* 1929年(S4)9月24日(または29日)、仙台~愛子間で営業開始(9月29日、北仙台駅開業)
* 1931年(S6)8月30日、愛子~作並間開通
* 1932年(S7)7月25日、東仙台駅開設
* 1934年(S9)10月17日、仙山西線、羽前千歳~作並間開通
* 1936年(S11)1月28日、面白山トンネル工事で建設列車が鉄橋から転落、60余人死傷す
* 1937年(S12)11月10日、作並~山寺間の工事完了し、全線開通(仙台~作並~山寺~山形)、全線で電気機関車運転開始
<戦後>
* 1957年(S32)7月1日、交流電化完成(日本初)
* 1957年(S32)9月5日、仙台~作並間、交流電化による運転開始
* 1958年(S33)2月24日、世界初の交直両用電車の試運転開始
* 1960年(S35)11月1日、仙山線全線交流電化が完成(日本初の全線交流電化)
* 1984年(S59)2月1日、国見駅・北山駅開業(当初は無人駅)
* 1986年(S61)7月7日、仙山線に自動式ドア採用
* 1987年(S62)3月21日、西仙台ハイランド駅開業
* 1988年(S63)11月18日、東照宮駅開業
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「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P564/「仙台市史 年表」P105、P109、P120、P121、P135/「仙台市史10 年表」P284/「重訂 宮城県郷土史年表」P416、P427、P450、P460、P585、P598/「仙台年表」P200、P203、P207/「続・ 宮城県郷土史年表」P172、P208、P220、P253/「新・目で見る仙台の歴史」P147(カラー、北仙台駅)
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「市民の戦後史(仙台市)」P99(S32年9月、祝交流電化と表示かかげた電気機関車、熊ヶ根鉄橋を行く電気機関車)/「仙台市史 特別編4 市民生活」P201(祝交流電化と表示かかげた電気機関車)
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長町駅貨車操車場 |
完成 |
1925年(T14) |
* 1925年(T14)6月11日、東北本線の長町駅貨車操車場(長町ヤード)が完成
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「仙台市史 年表」P102
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祝賀行事 |
普通選挙祝賀 |
1925年(T14) |
* 1925年(T14)4月3日、仙台市内で、普通選挙祝賀提灯行列
* 1928年(S3)2月20日、普通選挙法で初の衆議院議員臨時総選挙(宮城県8人選出)
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「仙台市史 年表」P102/「重訂 宮城県郷土史年表」P409
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「いつか見た街・人・暮らし」P22(大正14年4月4日夜)/「仙台市史 特別編4 市民生活」P501(T14年、仙台、普選案通過祝賀会提灯行列)
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思想弾圧/共産党員検挙 |
昭和期(1) |
1925年(T14)~1929年(S4) |
* 1925年(T14)4月22日、治安維持法制定
* 1927年(S2)5月30日、京都地裁、京都学連事件に有罪判決、(治安維持法初の適用)
* 1928年(S3)2月1日、「赤旗」創刊
* 1928年(S3)2月20日、初の普通選挙
* 1928年(S3)3月15日、全国で、共産党員一斉検挙、検挙者1568人、起訴488人に及ぶ(3・15事件)
* 1928年(S3)6月29日、改正治安維持法、緊急勅令で公布(死刑、無期刑を追加)
* 1928年(S3)7月3日、全国の警察部に「特別高等課」設置
* 1928年(S3)7月22日、無産大衆党結成
* 1928年(S3)7月24日、司法省、思想係検事を設置
* 1928年(S3)10月30日、文部省、思想問題のための「学生課」設置、各大学に学生主事をおく
* 1928年(S3)12月20日、日本大衆党結成
* 1928年(S3)12月22日、新労働農民党結成(12月24日、解散命令)
* 1928年(S3)12月28日、政治的自由獲得労農同盟準備会創立宣言
* 1929年(S4)3月5日、山本宣治(旧労農党代議士)刺殺
* 1929年(S4)4月16日、4・16事件(共産党員大検挙)
~1930年(S5)~1931年(S6)の間は、年表に記載なし~
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岩波ブックレット「年表 昭和史」P4、P5、P6/
宮城県関連は、「重訂 宮城県郷土史年表」P397、P506
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仙台市電 |
開業 / 駅前~大町1丁目、東五番丁~荒町 開通/モータリゼーション進展で利用者減 / 財政悪化/全線廃止 |
1926年(T15)11月/1976年(S51)3月 |
* 1925年(T14)11月、起工
* 1926年(T15)11月25日、仙台市電が初開通
(仙台駅前~大町1丁目間2.1キロ、東五番丁~荒町間1.2キロ)
* 同日、西公園で開通記念式典
・ 「開業日、市中は飾り塔、造花、赤ちょうちん、紅白幕、小旗に彩られ、東一番丁では花トンネルをつくった。 また、開通の日、午前中だけで1万2000人が乗ったと記録されている」(「番丁詳伝」P118)
開業時にすでに、始発駅の仙台駅のやや北にある、名掛丁角まで軌道が敷かれている(「昭和史とともに 仙台市電-その50年」P166の市電系統図)
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<「仙台市史 特別編4 市民生活」P216>
・ 市電利用者:昭和39年をピークに減少、市電財政悪化しはじめる / 対策として、大型ボディー車導入や1966年(S41)から一部をワンマン化 / 郊外に住宅団地増え周辺部から流入する自家用車で、市電並走部で交通渋滞 / 1976年(S51)3月、市電全線廃止
仙台市電(各路線)の開通日や廃止日は、
・「昭和史とともに 仙台市電 その50年」P187~189と
・「文集 仙台市電 市民が綴る五十年の軌跡」末尾年表で、わかる
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「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P364/「昭和史とともに 仙台市電 その50年」P187~189/「文集 仙台市電 市民が綴る五十年の軌跡」末尾年表/「番丁詳伝」P118/「仙台市史 特別編4 市民生活」P216
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22-48、/ 開通記念式典は、98-103/開業時の市電系統図は、98-101/「目で見る仙台の歴史」P148と「新・目で見る仙台の歴史」P147に「西公園における開通式、花電車」/「仙台市史 特別編4 市民生活」P207(開通式、記念絵葉書の袋、一番電車が片平丁車庫を出発、開通記念無料乗車券)/「仙台市史 特別編4 市民生活」P206~213(市電関連写真)
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仙台自動車学校 |
開校 |
1924年(T13) |
* 1924年(T13)3月、仙台自動車学校が新寺小路に開校
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「仙台市史 年表」P102
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仙台赤十字病院 |
開設/改称/移転 |
1924年(T13)/1940年(S15)/1943年(S18)/1945年(S20)/1956年(S31)/1982年(S57 |
* 1924年(T13)10月18日、財団法人斎藤報恩会(桃生郡河南町の斎藤善右衛門)の寄付金により、「日本赤十字社宮城支部常設救護所(診療所)」が北一番丁に開設される(内科・外科・小児科で、対象は救急患者のみ)
* 1940年(S15)1月、日赤宮城支部仙台病院と改称(一般患者も受入れ)
* 1941年(S16)、看護婦養成所開設
* 1943年(S18)1月、「仙台赤十字病院」と改称
* 1945年(S20)3月、横須賀海軍仙台赤十字病院として、海軍傷病兵300人収容 / 一般患者は外来のみとなる
* 1945年(S20)7月10日、仙台空襲で全焼、患者12人など18人死亡
* 空襲後移転先 愛子国民学校→青根温泉内の分院→S20年10月、片倉製糸工場(東八番丁)の一部借受け、一般患者診療開始(病床115)
* 1954年(S29)11月3日、病院建設起工式(清水小路)
* 1956年(S31)9月25日、県立病院を併置して清水小路に新築移転完了/ S36年10月、併設の県立仙台病院廃止
* 1982年(S57)3月20日、新病院が八木山本町2丁目に竣工、翌月14日診療開始
* 1982年(S57)4月14日、併設の東北初、「小児医療センター」新病棟完成
・ 戦時中は、応召看護婦101人
・ 災害地への出動、無医村、開拓地への巡回診療、戦後、中国や朝鮮からの帰還者の添い乗り診療なども実施
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「仙台市史 特別編4 市民生活」P397/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P730~731/「仙台市史 年表」P102、P119、P132/「重訂 宮城県郷土史年表」P574/「続・ 宮城県郷土史年表」P145
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東北帝国大学 |
学園にみる時代相(1) |
1925年(T14)~1935年(S10) |
* 1923年(T12)秋、東北帝国大学社会科学研究会発足 / 都市貧困地区への援助活動としてのセツルメント活動を東二番丁で行ったり、無産政党設立準備のための政治研究会仙台支部を結成したり、仙台一般労働組合を組織など / 東北帝大を中心として社研関係者に徹底的な弾圧、医学部・法文学部などの学生が仙台警察署に拘引され、家宅捜索で押収した手紙や日記をもとに、関係者を召喚 / 社研は解散声明発表(「仙台市史 特別編4 市民生活」P535)
* 1925年(T14)4月22日、治安維持法制定
* 1928年(S3)10月30日、文部省、思想問題のための「学生課」設置、各大学に学生主事をおく(「岩波」P5)
<満州事変 1931年(S6)9月18日~>
* 1931年(S6)12月1日、東北帝国大学満州慰問連合会結成(「仙台市史10 年表」P277)
* 1932年(S7)、満州ブームの一例、佐々久氏の旧制二高同級生の半分が、大学卒業後すぐに満州に渡る(佐々久「近代みやぎの歩み」P80)
* 1932年(S7)2月10日、赤化運動によって東北帝大生4人検束(「市史10 年表」P278)
* 1932年(S7)11月14日、宮城県124名、東北帝大理学部助教授服部鼎、東北中学教員鈴木博等逮捕さる(「市史10 年表」P279)
* 1933年(S8)1月18日、(旧制)第二高校生12名検挙(青共同盟建設実行運動に関し)(「市史10 年表」P280)
* 1933年(S8)5月27日、京都帝大瀧川事件に東北帝大生起ち、法文学部有志大会を開く / 6月14日、瀧川事件応援に東北帝大生代表出発 / 6月16日、東北帝大有志が学生大会で決議(瀧川教授休職取消、京大法文学部閉鎖反対など) / 6月23日、東北帝大法文学部同盟休校(「市史10 年表」P281)
* 1933年(S8)10月6日、消費組合設立運動者東北帝大法文学部学生3名検挙(「市史10 年表」P281)
* 1933年(S8)10月25日、共青事件街頭レポ東北帝大生門平謙三検挙、(共青関係者検挙終わる)(「市史10 年表」P282)
* 1934年(S9)6月1日、文部省、学生部を拡充,思想局設置(「岩波」P11)
* 1934年(S9)6月27日、宮城県特高課、共産青年同盟関係者東北帝大生ら6名検挙(「市史10 年表」P283)
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岩波ブックレット「年表 昭和史」P5、P11/「仙台市史10 年表」P277、P278、P279、P280、P281、P282、P283/「仙台市史 特別編4 市民生活」P265、P534~536//佐々久「近代みやぎの歩み」P80
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「仙台市史 特別編4 市民生活」P265(S13年2月2日、宇野弘蔵東北帝大法文学部助教授らの検挙を伝える「河北新報」)
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精養軒 |
東一番丁の仙台支店 |
1923年(T12) |
* 1923年(T12)9月、精養軒仙台支店を東一番丁に設置
現在の三越付近にあった西洋料理店「弥生軒」(明治34年開業)の建物を引継ぎ営業 / 東北産業博覧会記念写真帳(昭和3年)掲載の「精養軒」が、「弥生軒」の写真と同じ
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「重訂 宮城県郷土史年表」P390 /「東北産業博覧会記念写真帳」/弥生軒については、「仙台市史 特別編4 市民生活」P84
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62-01/「目で見る仙台の歴史」P143に「弥生軒」
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タクシー |
大正時代 |
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* 1923年(T12)8月、仙台タクシー自動車合資会社、名掛丁に設立、営業開始
* 1925年(T14)、合名会社実用タクシー(裏五番丁)設立、営業開始
・ 大正11年~昭和8年に開業した東一番丁界隈のタクシー業者 / 清水自動車部(清水源太郎、立町通、大正11年)、トモエタクシー(国分町、大正15年)、柳タクシー(本柳町、昭和元年)、サカタタクシー(東二番丁、昭和2年)、キングタクシー(東一番丁、昭和5年、高級車のエセックスとハドソン数台を使用)、第一タクシー(南町)、など9業者あり
* 1925年(T14)12月25日、仙台自動車運転手会、やよい軒に集まり設立(タクシ-、バス運転手、官庁自家用運転手)
・ 宮城県の運転手免許番号簿(昭和4年現在)には、2547号まで記録されている
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「番丁詳伝」P110~111
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仙台庶民金庫 |
開業 |
1923年(T12) |
* 1923年(T12)7月、仙台市街地信用組合として開業、同年12月に仙台庶民金庫と改称(「仙台市史 年表」P102)
* 1923年(T12)4月、定禅寺通りに(有)信用組合仙台庶民金庫、設立(「仙台市史 特別編4 市民生活」P515)
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「仙台市史 年表」P102/「仙台市史 特別編4 市民生活」P515
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野球場 |
東北体育協会球場 |
1923年(T12) |
* 1923年(T12)5月27日、榴ヶ岡下に木造観覧席を備えた東北体育協会球場が開場(「仙台あのころこのころ八十八年」P69にダラ(糞尿)撒き騒動のエピソード記載)
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「仙台市史 年表」P101/「仙台あのころこのころ八十八年」P69
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斎藤報恩会 |
財団法人認可 |
1923年(T12) |
* 1923年(T12)2月20日、斎藤報恩会、宮城県前谷地村(のちの河南町)の大地主、斎藤善右衛門が財団法人として設立 / 学術研究、産業開発、社会福祉の事業を行ってきた
* 1923年(T12)2月、斎藤善右衛門、300万円を基金に斎藤報恩会を創設(「仙台あのころこのころ八十八年」P244)
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「仙台市史 年表」P101/「仙台あのころこのころ八十八年」P244
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医療機関 |
仙台逓信診療所/仙台逓信病院 |
1922年(T11)/1942年(S17) |
* 1922年(T11)、10月1日「仙台逓信診療所」が東二番丁に設置される
* 1942年(S17)、「仙台逓信病院」と改称
* 1945年(S20)7月10日、仙台空襲で焼失
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「仙台市史 特別編4 市民生活」P398/「仙台市史 年表」P101
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宮城電鉄 |
国有化以前 |
1925年(T14)~1944年(S19)4月 |
* 1922年(T11)9月9日、宮城電気鉄道株式会社設立
・ 細倉鉱山の亜鉛精錬用電力の余剰分消費のため企画された
* 1925年(T14)6月5日、宮城電気鉄道(私鉄)が仙台~西塩釜間で運行開始、宮城電鉄仙台駅も開業
* 1927年(S2)4月、松島まで開通
* 1928年(S3)11月23日、石巻まで延伸開業(西塩釜~石巻間が開通)、30分おきに1両運転 / 女性車掌のオシボリのサービスもあり、松島観光や海水浴を宣伝した / 昭和恐慌の頃は展望車接続
* 1944年(S19)5月1日、宮城電鉄が国有化され、国有鉄道仙石線となる
<以降は、項目「国鉄(仙石線)」参照>
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「重訂 宮城県郷土史年表」P398/「仙台市史 年表」P101、P103、P104、P113/「新・目で見る仙台の歴史」P147/「仙台市史 特別編4 市民生活」P200
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「目で見る仙台の歴史」P156と「新・目で見る仙台の歴史」P147に、宮城電鉄/「仙台市史 特別編4 市民生活」P200(リーフレット「宮城電鉄沿線案内」)/同P523(戦前期?新田駅のプラットホーム)
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ユニオンビール |
発売開始 |
1922年(T11) |
* 1922年(T11)4月3日、日本麦酒鉱泉が発売開始
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キリンHP「日本のビール歴史年表」
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ユニオンビール看板が、53-67、99-026、44-10、99-003に写る
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養賢堂 |
国史跡指定 |
1922年(T11)~1951年(S26) |
* 1922年(T11)3月8日、国の史跡に指定
* 1951年(S26)12月26日、史蹟指定を解除(戦災で焼失)
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「重訂 宮城県郷土史年表」P384、P553
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アインシュタイン |
来仙 |
1922年(T11) |
* 1922年(T11)12月3日、アルベルト・アインシュタイン博士が来仙、東北帝国大学金属材料研究所などを視察
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「仙台市史 年表」P101
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「目で見る仙台の歴史」P148に、「アインシュタイン博士と東北帝大理学部教授たち」
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秋保電鉄 |
秋保石材電気軌道/秋保電気軌道(通称、秋保電鉄)/仙南鉄道秋保線/秋保線廃止 |
1922年(T11)/1925年(T14)/1959年(S34)~1961年(S36) |
* 1922年(T11)10月29日、秋保石材軌道株式会社が株式会社となる
* さらに、T14年1月12日に秋保電気軌道株式会社と改称
* 1925年(T14)6月13日、電気鉄道に切り替え(全線の電化と軌道拡幅が完成し電車に)
<バスも運行>
* S24年4月に長町~鈎取、S26年4月に長町~秋保温泉、同8月に仙台駅前~秋保温泉など、S33年までに順次6路線運行開始(「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P601)
<仙南自動車>
* 1950年(S25)、仙台市交通部から岩沼以南の路線を譲り受けて、仙南自動車が営業開始 / 以後、仙台と荒浜・白石・角田・相馬・青根などを結ぶ路線開設
<仙南交通秋保線となる>
* 1959年(S34)7月3日、秋保電気軌道が仙南交通自動車と合併し、仙南交通となる(鉄道は仙南鉄道秋保線と改称)
* 1961年(S36)5月7日、秋保線廃止、長町駅から「さよなら列車」運行
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「仙台市史 年表」P101、P102、P103、P121、P122/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P600~601に、旧秋保電鉄、旧仙南交通自動車、仙南交通について記述あり/「重訂 宮城県郷土史年表」P591/「仙台市史 特別編4 市民生活」P204
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「仙台市史 特別編4 市民生活」P527(S14年、沿線の様子を伝える秋保電気軌道リーフレット)
/さよなら電車(S36年5月)は、22-09、「市民の戦後史(仙台市)」P124)/「新・目で見る仙台の歴史」P187
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公設浴場 |
設置 |
1921年(T10) |
* 1921年(T10)9月10日、宮城県が公設浴場を木町通に設置
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「仙台市史 年表」P100
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飛行大会 |
開催 |
1921年(T10) |
* 1921年(T10)5月23日、宮城野原で仙台協賛会主催の飛行大会が開催される
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「仙台市史 年表」P100
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仙台歌舞伎座(開明座) |
改装 |
1920年(T9) |
* 1920年(T9)7月、国分町の開明座が改装し、歌舞伎座として登場
<柴田量平「仙台・東一番丁物語」より>
・ 「国分町に歌舞伎座が開場したのは大正9年7月で、大正2年に建てられた開明座を改造整備したものであった。経営方針がよかったのか、収容観客数1,500人という大きさが手頃であったためか、以来仙台座よりは利用されることが多く、仙台の演芸・娯楽方面に多大の貢献をした。」
・ 同書明治編(昭和42年再版)P235の「明治、大正年間 仙台の劇場(一覧表)」に、「仙台歌舞伎座(国分町)、大正9年7月7日に開明座を改称」
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「仙台市史 年表」P100/柴田量平「仙台・東一番丁物語」
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市場 |
大正期(公設市場) |
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* 1919年(T8)9月15日、公設市場として南町通りに「仙台市南市場」、表小路に「仙台市北市場」を開設
* 1920年(T9)9月28日、両市場を閉鎖
* 1920年(T9)12月17日、新たな公設市場として「名掛丁市場」を開設
* 1921年(T10)12月24日、名掛丁市場を閉鎖し、翌日、定禅寺通に「中央公設市場」、清水小路に「南公設市場」、北一番丁に「北公設市場」を開設
* 1922年(T11)8月4日、宮城県公設市場増設し、木町通に「西公設市場」開設
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「仙台市史 年表」P99、P100/「仙台市史10年表」P259
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