分類項目 | 仙台の兵営 |
タイトル | 第二師団と東北博覧会第一会場(昭和3年 空撮) |
写真番号 | 63-10 |
場所 | 仙台市川内 |
映像内容 | 1928年(S3年)に撮影された仙台市川内地区の航空写真で、蛇行する川は広瀬川、画面左の橋は「仲の瀬橋」、画面右の橋は、「澱橋」(よどみばし) <東北産業博覧会場など> ・ 写真中央の白い建物群が、1928年(S3年)4月15日~6月8日に開催された、「東北産業博覧会」の第一会場 ・ その左(川との間)は、川内大工町、川内川前丁などの住宅地 ・ 左の橋(仲の瀬橋)の左側(対岸)には博覧会第二会場の「桜が丘公園」がある <第二師団> ・ 第一会場の右方~上方の一帯は、陸軍第二師団 (第一会場の右が「野砲兵第2連隊」、その左上に並ぶ3棟は「扇坂陸軍倉庫」、その右のコの字型が「歩兵第29連隊」、さらに右が「輜重兵第2大隊」、画面上部の木立に囲まれた一帯が「師団司令部」) ・ 第一会場の上に、「兵器支廠」(並ぶ2棟)、その左上が「工兵第2大隊」 ・ 画面左上の空間(三角に見える)が「追廻練兵場」の一部分 ・ 参照:昭和3年仙台市地図 95-02 で、司令部、各連隊、大隊、練兵場などの位置が確認できる <その後の川内地区> ・ 第一会場跡地に、博覧会後の1928年(S3)11月に「宮城県仙台第二中学校」が新築移転(事前に新築されたコンクリート校舎の一部が東北産業博覧会で使用された) ・ 仙台空襲(昭和20年7月10日)では、第二師団(司令部および各兵営)は焼失したが、「第二中学校」(昭和23年に「宮城県仙台第二高等学校」)と、隣接する仙台大工町など住宅地の大部分は焼失を免れた → 参照: 仙台空襲焼失地域図 98-147 ・ 1945年(S20)8月の敗戦後、第二師団跡地は同年9月に進駐軍に接収され、1957年(S32)11月13日まで米軍のキャンプ・センダイ(CANP SENDAI)がおかれた ・ 追廻練兵場跡には、1945年(S20)11月から翌年3月にかけて、戦災者・引揚者用木造応急住宅620戸が建設された |
撮影年代 | 1928年(S3) |
撮影年代判定根拠 | 1928年開催の東北産業博覧会場が写る(写真番号 95-01 の第一会場の建物配置と酷似) |
関連情報/参考文献 | <陸軍第二師団> ・ 1945年(S20)の敗戦まで仙台は日本の軍都の一つだった ・ 明治初期以来、東北鎮台・仙台鎮台・第二師団の時代を通じ、仙台市川内(旧仙台城二の丸跡)に司令部を置き、市内の川内、榴ヶ岡、宮城野原に、歩兵・騎兵・砲兵・工兵・輜重兵など各種部隊(連隊・大隊)を配置、県外では時代により変遷はあるが、福島県内、新潟県内などの連隊も隷下においた <東北産業博覧会> ・ 仙台商工会議所主催 ・ 1928年(S3年)4月15日~6月8日 ・ 第一会場は川内の元騎兵隊跡(新築早々の仙台第二中学校用地) 第二会場は桜ケ岡公園(=西公園) 第三会場は榴ケ岡公園 ・ 第一と第二の会場間には、広瀬川をまたぐケーブルカーを架設、広瀬川に向かってウォーターシュートが設置された <参考資料> ・ 「東北産業博覧会 記念写真帳」(昭和3年 山形市七日町の昭和歴史写真社刊) ・ 最新版「仙台市全図」(昭和3年版 北の都社刊)~博覧会第一会場、周辺の第二師団(司令部および各連隊・大隊兵営)の配置がわかる~ → 写真番号 95-02 ・ 「東北産業博覧会会場縮図」(第一会場、第二会場、第三会場の建物配置)→写真番号 95-01 |
備考 | <参照> 当サイト内「仙台よみとき用語年表」の ・ 項目「第二師団」 ・ 項目「東北産業博覧会」 ・ 項目「高等学校(新制)」の小項目「宮城県仙台第二高等学校」 ・ 項目「仙台空襲」 ・ 項目「進駐軍(米軍)」 ・ 項目「戦災者・引揚者用住宅」 |
カラー/モノクロ | モノクロ |
分類内の通し番号 | 7 |
画像ファイル名 | sendai12042 |