分類項目 | 銃後のくらし |
タイトル | 軍人たちと記念撮影(砂沢家の家族) |
写真番号 | 28-01 |
場所 | 仙台市(広瀬川沿い旧愛宕橋近くの砂沢家) |
映像内容 | 昭和12年の日中戦争開戦で召集された将兵たちが、出征前、仙台の一般家庭に分宿した / 写真の砂沢家には、中隊長以下8名が泊まり家族が世話をした / 世話になった軍人(将校たち)と砂沢家家族が記念撮影 / 写る将校のひとりは、戦後砂沢さんに手紙を寄せた(備考欄参照) / 陸軍の軍服がまだ縦襟(昭和13年から縦襟を廃し、折襟となった) / 家族の服装から、裕福な家庭のようだ |
撮影年代 | 1937年(S12)年7月 |
撮影年代判定根拠 | <写真提供者からの情報> |
関連情報/参考文献 | <日中戦争> →当サイト内「仙台よみとき用語年表」で、キーワード“日中戦争”で検索 【「私にとっての戦争」(朝日新聞仙台支局 1988年)P184】→「昭和12年9月、第二師団留守部隊(第二師団は満州に駐留中)を根幹とする第十三師団出動」 【「近代みやぎの歩み」(佐々久・著 1979年)P96】 →「(日華事変勃発で)仙台市内の兵舎は、動員令と出征準備で忙殺され、次々と動員された第二師団の応召兵士は仙台に集まり、民家に分宿を割り当てられ、多きは一軒に十人にも及んだ。区長や町の世話役は食料をくばり、兵士は軍服を渡され、現役兵が出征すると、ただちに連隊に移り、この応召兵が出征すると、次の民宿応召兵士が入隊する有様であった。」 <編者注>第二師団は、1937年(S12)4月から満州守備(駐箚)のため不在、仙台に一部残っていた第二師団留守部隊に加え新たに召集された兵士を合わせ十三師団(歩兵第104連隊)が編制され、中国戦線へ送られた。 |
備考 | <太白区・砂沢みちさん(大正6年生まれ)の思い出 「出征前の将兵たちが自宅に滞在」> 「嫁いで2か月の昭和12年7月に、自宅に中隊本部が置かれ中隊長以下8名の方が駐屯、姑を中心として働いた思い出の場所(家)です。」 * 戦後、写る久保晃氏から砂沢みちさん宛に送られた手紙→当サイト内「思い出・時代の記憶」G-4[軍隊体験」のID200(日中戦争~太平洋戦争終結まで、戦地を転々としたことなど) * 砂沢家は、写真 01-01-03 の広瀬川手前の住宅群の右から2番目の家で、仙台空襲(昭和20年7月10日)で焼失した。その時の体験談は、当サイトの「思い出・時代の記憶」G7[仙台空襲」のID240(砂沢みちさん) |
カラー/モノクロ | モノクロ |
分類内の通し番号 | 8 |
画像ファイル名 | sendai11035 |