仙台よみとき用語年表
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項目 小項目 内容 出典/参考資料 関連映像
バス 木炭バス     → 項目「木炭バス」参照     
バス ボンネット型    日本では、1950年代頃までは大多数のバスがボンネットを持った形状(ボンネットバス)だったが、次第に輸送効率の良い箱型バスに置き換えられた。日本では、1971年に量産タイプのボンネットバスの製造が中止された

仙台市営バスでは、1965年(S40)当時、仙台市中心部でまだボンネットバスが使われていた → 写真 201-08201-09   
Wikipedia「ボンネットバス」(2019年10月)/写真201-08、201-09のキャプション   58-03201-0891-21201-39201-42 
バス キャブオーバー型  1948年(S23)  * 1948年(S23)、キャブオーバー型バスが仙台市では初登場

・ 車体前部にエンジンを置いた箱型バスで、エンジンの上に運転台がある 
・ 外観的には車体正面にグリルがあり、車内運転席横にエンジンの張り出しがあるのが特徴 
「昭和史とともに 仙台市電 その50年」P91  98-106 
バス 宮城交通     → 項目「宮城交通」参照     
バスプール 仙台駅西口  1981年(S56)  * 1981年(S56)6月10日、供用開始  「仙台市史 年表」P132   
バスプール 仙台駅東口  1982年(S57)  * 1982年(S57)6月23日、供用開始 / 東北新幹線の大宮・盛岡間開業の日に  「仙台市史 年表」P133   
バス優先レーン 実施  1971年(S46)~  * 1971年(S46)6月1日、北九番丁~県庁前(国道4号線の1.2キロ)でバス優先レーンを実施(「重訂 宮城県郷土史年表」P674)
* 1973年(S48)11月1日、北六番丁~苦竹間の一部で、実施
* 1973年(S48)11月16日、秋保街道のバスレーン試験実施
* 1974年(S49)10月22日、仙台市道鹿ノ又線の広瀬橋南~飯田団地入口、井出長町線の結城広瀬橋病院~河原町交番前間でバス優先レーン実施
* 1975年(S50)8月1日、幸町~鶴ケ谷坂下路線、朝7~9時、バスレーン実施
* 1976年(S51)4月30日、泉市八乙女~仙台市役所間、バスレーン実施
* 1976年(S51)5月14日、坂下~仙台駅間、長町線にバス専用レーン実施 
「重訂 宮城県郷土史年表」P674/「続・ 宮城県郷土史年表」P4、P24、P43、P53、P54   
パテー館      → 項目「松島座/パテー館/仙台日活館/仙台日活劇場」参照     
パーマネント   1934年(S9)頃~  * 1934年(S9)頃から、一般家庭婦人の間に流行りだす
* 1939年(S14)6月16日、国民精神総動員委員会が生活刷新案を決定 (遊興営業の時間短縮、ネオン全廃、中元歳暮の禁止、学生の長髪やパーマネント禁止、など) 
「仙台市史 特別編4 市民生活」P314/岩波ブックレット「年表昭和史」P12   
ヒトラーユーゲント一行が来県 来県  1938年(S13)9月  ドイツから日独親善のため来日したヒトラーユーゲント一行が宮城県に来県
* 1938年(S13)9月11日、ヒトラーユーゲント派遣団歓迎招待会開催 
「仙台市史10 年表」P294/「重訂 宮城県郷土史年表」P464  19-01/「新・目で見る仙台の歴史」P160 
ビル建設 仙台ビルヂング  1953年(S28)  * 1953年(S28)、仙台初の高層建築物となる地上6階建ての「仙台ビルヂング」が東一番丁と南町通りの交差点角に完成
(仙台の本格的貸ビル第1号)
<編者注> S28年12月完成し協和銀行が入居 
「仙台市史 年表」P118/「市民の戦後史(仙台市)」P75/ 「番丁詳伝」P210  36-08/「市民の戦後史(仙台市)」P75 /「仙台市史 特別編4 市民生活」P181 
ビル建設 日乃出会館  1957年(S32)  * 1957年(S32)4月14日、地上8階・地下1階の商業施設ビルとしてオープン / 日乃出映画劇場など館内に4つの映画館や大ホールなどがあった
* 2002年(H14)9月17日、映画館は全館閉館
* 2019年(R1)秋、解体完了
 
Wikipedia「日乃出会館」2019年12月18日版  99-031 
ビル建設 鳳月ビル  1957年(S32)  * 1957年(S32)12月、青葉通り・東五番丁通り南西角に完成(5階建)
* 1988年(S63)10月、ほうげつビルがオープン  
「わが心の仙台駅前史」P87、P91   99-03122-17  
ビル建設 4階以上のビル  終戦前/1958年(S33)  * 昭和20年の終戦前、4階以上は、東北電力、市立病院、三越、富国ビル、簡易保険局、明治生命など

* 1957年(S32)頃
   ・4階 仙台電話局、興銀ビルなど
   ・5階 徳陽相互銀行
   ・6階 仙台ビル、山口ビル、郵政ビル
   ・8階 丸光デパート、日乃出会館(工事中)
   S32年頃に建設計画中(東宝ビル、七十七銀行)
   (以上、出典調査中)

* 1958年(S33)1月、仙台市内で4階建以上のビルは17(「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P286) 
「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P286   
ビル建設 第一ビル(仙台駅前)  1960年(S35)  * 1960年(S35)4月、第一ビル竣工
   仙台駅前広場の北側に面して建設(9階建) 
   2018年現在は、「仙台マークワンビル」の場所 
「わが心の仙台駅前史」P87  22-14/「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P96 
ビル建設 東北電力ビル  1960年(S35)  * 1960年(S35)8月4日、東北電力ビル(地下1階一部2階、地上9階建、塔屋3階)が東二番丁70に完成 / 東北電力本社 / グランドホテル仙台、電力ホール、貸室、市民図書館分室を併設 / 当時は東北一の大型ビル   「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P596  「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P45(S35年)、P60(S38、カラー) 
ビル建設 第一生命ビル  1970年(S45)  * 1970年(S45)7月、第一生命ビル竣工(仙台市役所の南隣に、鉄骨鉄筋造、地下1階、地上10階、塔屋4階)  「重訂 宮城県郷土史年表」P663  (着工してまもない頃)40-07201-04201-05 
ビル建設 住友生命仙台ビル  1974年(S49)  * 1974年(S49)3月1日、住友生命ビル完成(中央4丁目)/ 地上19階建て、高さ67.3mで、当時は東北一の高さ  「続・ 宮城県郷土史年表」P27/Wikipedia「住友生命仙台中央ビル」   
ビル建設 興和ビル  1979年(S54)  * 1979年(S54)、青葉通りに面した興和ビル完成 / 地上15階建て、高さ63.8mで、当時は仙台3番目の高さ / 日本興業銀行がある / 建物南側の滝と緑の「フラタニテ・パーク」が市民に開放されている  「番丁詳伝」P211   
ビル建設 日産生命ビル(解体)  1981年(S56)  * 1981年(S56)5月、解体(仙台駅西口前)  「わが心の仙台駅前史」P90  22-14(の左下のビル) 
ビル建設 マルカンビル(解体)  1981年(S56)  * 1981年(S56)8月、解体  「わが心の仙台駅前史」P90   
ビル建設 第一生命タワービル  1985年(S60)  * 1985年(S60)5月30日、第一生命タワービル竣工(地上21階、高さ92.2m)
* 1985年(S60)5月31日、敷地に、彫刻「天の花」(空充秋作)を建てる
* 1985年(S60)12月20日、ビル1階に、佐藤忠良作「娘の像」設置

タワービルは、旧・仙台市立病院跡地の再開発で、東を東二番丁通り(国道4号)、北を市道区画街路南58号線、西を三越通り(一番丁通り)、南を森徳横丁で囲まれる区画のうち、北東と北西の角地部分を除いた区画のほとんどを占有して建つ / 当時は東北地方では最も高い90m級・地上21階建ての超高層ビルとして完成した / 1989年(H1)2月に住友生命仙台中央ビル (SS30) (143.0m、地上31階)が登場し、高層ビル東北1位の座を明け渡した 
「続・ 宮城県郷土史年表」P191、P198/Wikipedia「仙台第一生命タワービルディング」   
ビル建設 1・4・1ビル  1987年(S62)  * 1985年(S60)4月17日、一番町4丁目市街地再開発ビル起工式
* 1987年(S62)3月21日、一番町4丁目に「1・4・1ビル」オープン(東北地方初の総合ファッションビル)
* 1987年(S62)4月1日、ビル内に、仙台市消費センター開設 / 同日に、「エルパーク仙台」(県婦人文化センター)開館 
* 1987年(S62)7月25日、141ビル屋上に「仙台城の艮櫓(うしとらやぐら)の十分の一模型」を復元展示 
「続・ 宮城県郷土史年表」P190、P220、P221、P227/「番丁詳伝」P225   
ビル建設 住友生命仙台中央ビル(SS30)  1989年(H1)  * 1988年(S63)9月6日、住友生命仙台中央ビル(SS30)上棟式(仙台市中央4丁目、31階建、高さ143m、アンテナ部を含めると172m、 / 仙台第一生命タワービルを超え、当時は高さ東北一の高層ビルだった / 場所は、宮城学園の跡地
* 1989年(H1)、完成 
「続・ 宮城県郷土史年表」P251/Wikipedia「住友生命仙台中央ビル」  「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P122(H2、カラー、左奥のビル) 
フェリー 仙台港発  1973年(S48)  * 1973年(S48)4月2日、太平洋沿海フェリー、苫小牧港・仙台港・名古屋港間で運航開始
* 1973年(S48)12月16日、新東日本フェリー、苫小牧港・仙台港間の運航開始
* 1977年(S52)4月、仙台港フェリー専用岸壁供用開始 
「仙台市史 年表」P128、P129/「続・ 宮城県郷土史年表」P25、P67    
フジビール 販売開始  1921年(T10)  <東洋醸造>
* 1919年(T8)、仙台の福島揁蔵が仙台市小田原長丁通に、東洋醸造を開業、フジビールを売り出す(「仙台市史 特別編4 市民生活」P78、P347)
* 1921年(T10)9月23日、東洋醸造開業(小田原長丁通)(「仙台市史 年表」P100、「新・目で見る仙台の歴史」P153)

<麒麟ビール仙台工場>
* 1923年(T12)8月に麒麟ビール株式会社に買収され、その仙台工場となる / 従業員224名(「仙台市史 特別編4 市民生活」P347、「仙台市史 年表」P102、「新・目で見る仙台の歴史」P153) 
「仙台市史 特別編4 市民生活」P78、P347/「仙台市史 年表」P100、P102/「新・目で見る仙台の歴史」P153  「目で見る仙台の歴史」P151と「新・目で見る仙台の歴史」P153に、「東洋醸造工場」(大正10年開業)/「仙台市史 特別編4 市民生活」P347(大正11年ころ、東洋醸造工場内部)/「仙台はじめて物語」口絵写真(フジビール工場) 
ブラザー軒 概要    ブラザー軒は、仙台初の本格的な西洋料理店(高級レストラン)
 1) 1901年(M34)か1902年(M35)、新国町で創業 
 2) 1910年(M43)、東一番丁通りに新築移転するが3年後に焼失
 3) その後は森徳横丁で営業

第二師団の将校たちがよく利用したほか、東北帝国大学や仙台高等工業学校の学生たちも送別会や歓迎会などで利用した 
「東一番丁物語」(柴田量平著)P112/「仙台市史 特別編4 市民生活」P352  62-14  
ブラザー軒 1) 開業(新国町)  1901年(M34)または1902年(M35)  1-1「M35年11月3日の河北新報に開業広告掲載 →仙台市新国町とある」
1-2「M35年、新国町に開店。新国町は、M35年6月8日開通」
1-3「M35年11月3日新国町に開業」
1-4「M34年5月11日、新国町南側中央に開業(前田常吉経営)、新国町はM34年6月8日に新たに開通した街路」
1-5「M34年11月3日、東一番丁に移転開業、洋風な3階建て
   1階は食堂と4つの部屋、
   2階は大広間と貴賓室
   3階は大広間、ビリヤード場
  ・ 一品料理(10銭均一)
  ・ ハイカラ好みの人気の的で、師団関係者も多かった 
1-1「仙台老舗百店史P192~193「ブラザー軒」 / 1-2、「明治の洋風建築 宮城県」P120 / 1-3、「番丁詳伝」P36 / 1-4、「東一番丁物語」P112、P120、P125 / 1-5、「仙台市史 特別編4 市民生活」P84   
ブラザー軒 2) 移転・新築開店  1910年(M43)  * 1910年(M43)10月1日、東一番丁64(東一番丁・玉沢横丁角よりやや南)に移転し、3階建て新築開店」(洋風木造3階建)
/「M44年仙台市全図」では、東一番丁・玉沢横丁角よりやや南にある 
「明治の洋風建築」P120 /「仙台市史 年表」P95/「明治44年仙台市全図」  62-02 
ブラザー軒 3)焼失  1913年(T2)  * 1913年(T2)11月6日、ブラザー軒から出火し、40分で焼失、周辺15棟を全半焼した  「東一番丁物語」P112   
ブラザー軒 4)森徳横丁(憲兵横丁)へ移転  新築・移転は、1935年(S10)より前   「地図」によると、ブラザー軒はS10年には現在地あたり(森徳横丁)にあり、以後、S20年、32年、45年、58年の各地図も同じ / 仙台空襲(S20年7月)で焼失    (建物外観は不詳) 
ブラザー軒 5)戦後、森徳横丁で再建  1947年(S22)頃  ・ 戦後、店主と従業員は、進駐軍霞の目キャンプの食事担当として働く
・ 戦後の店は、S22年頃に完成したが、当時は材料の食品が統制のため営業できず、部屋を貸す(貸席)のみだった その後は、進駐軍相手のバーのようなものをやった 
前田津惠子さん(ブラザー軒経営)談  霞の目キャンプ時代は、62-0562-0662-0762-08 /戦後営業再開後は62-1062-12 
プール 昭和11年現在    仙台市内のプール(昭和11年現在)
 ・ 愛宕プール(愛宕橋下)
 ・ 夏は、広瀬川上流に区域を定めて使用
 ・ 学校では、(旧制)第二高等学校、師範学校などに 
「仙台の産業と観光」(昭和11年刊)P73   
プール 市民プール  1961年(S36)~2006年(H18)  * 1961年(S36)7月20日、市民プール(西公園プール)が西公園西下の中瀬に竣工し、落成式(22日に開園) / 9コース、50mプール
* 1968年(S43)7月、勤労青少年に夜間も開放
* 2006年(H18)、西公園プール廃止 
「仙台市史 年表」P122/「重訂 宮城県郷土史年表」P601/「仙台あのころこのころ八十八年」P253/Wikipedia「西公園」/「市民の戦後史(仙台市)」P214  「新・目で見る仙台の歴史」P194(子供らでいっぱいのプール)/「市民の戦後史(仙台市)」P214(夜間開放)/「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P56(S37、西公園の市民プール) 
プール 長町プール  1964年(S39)  * 1964年(S39)7月4日、仙台市営長町プール、鹿野の長町公園内に開設  「仙台市史 年表」P123/「重訂 宮城県郷土史年表」P615   
ヘレンケラー女史 来仙  1937年(S12)/1948年(S23)  * 1937年(S12)6月31日、仙台市公会堂で講演を行い、翌日に宮城県立盲亜学校を訪問
* 1948年(S23)9月8日、二度目の来仙(盲学校訪問、宮城学院で講演) 
「仙台市史 年表」P109/「重訂 宮城県郷土史年表」P458、P529/「仙台市史10 年表」P319/「目で見る仙台の歴史」P185  S23年(2度目の来仙)は、「目で見る仙台の歴史」P185(盲学校訪問)、「新・目で見る仙台の歴史」P174、「市民の戦後史(仙台市)」P34 
ベガルタ仙台   1999年(H11)~  仙台市をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ / 1988年(S63)創部の東北電力サッカー部が前身 / ホームスタジアムは、1997年(H9)6月に泉区七北田にオープンした「仙台スタジアム」(2006年から会場名が「ユアテックスタジアム仙台」に改称)

* 1995年(H7)、Jリーグ準会員
* 1999年(H11)からのJリーグの2部制開始とともにJ2に参加
* 1999年(H11)~2001年(H13)、J2
* 2002年(H14)~2003年(H15)、JI
* 2004年(H16)~2009年(H21)、J2
* 2010年(H22)以降、J1 (2020年現在) 
Wikipedia「ベガルタ仙台」2020年7月18日版   
ペデストリアンデッキ 仙台駅西口  1981年(S56)  * 1979年(S54)12月22日、ペデストリアン・デッキ使用開始(続・ 宮城県郷土史年表」P105)
* 1981年(S56)8月4日、ペデストリアン・デッキ全面完成(仙台駅と西側のビル群を結ぶ)(「仙台市史 年表」P132)
* 1982年(S57)6月23日、東北新幹線仙台駅が開業(新幹線が、大宮・盛岡間で暫定開業)
* 1985年(S60)10月31日、仙台ホテル前~仙台十文字屋間、開通式 
「続・ 宮城県郷土史年表」P105/「仙台市史 年表」P132、P133、P196  37-0737-08/「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P112(S59、カラー)  
ホテル 仙台市内でオープン  1973年(S48)~1975年(S50)  仙台ホテルは、項目「仙台ホテル」参照

* 1960年(S35)8月、グランドホテル仙台が、同年竣工の東北電力ビルの7~9階にオープン
* 1973年(S48)8月4日、ニューシティーホテルがオープン(国分町2丁目)
* 1973年(S48)10月1日、東京第一ホテル仙台、完成
* 1973年(S48)12月7日、ホテルオーツカがオープン(鉄砲町)
* 1973年(S48)12月10日、ホテル江陽結婚会館オープン
* 1973年(S48)12月19日、仙台チサンホテルがオープン(仙台駅前)
* 1974年(S49)2月20日、ビジネスホテルのニューホッタがオープン
* 1974年(S49)9月20日、仙台ワシントンホテルがオープン(青葉通り)

* 1975年(S50)3月16日、仙台プラザ・ホテル、オープン(本町2丁目)
* 1975年(S50)4月20日、ホテルリッチ、オープン(国分町2丁目 
「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P45/「続・ 宮城県郷土史年表」P22、P23、P25、P27、P32、P38、P39、  「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P45(グランドホテル仙台) 
ホテル 仙台市内でオープン  1976年(S51)~1989年(H1)  1976年(S51)~1972年(S52)は、特に記事無し

* 1978年(S53)2月1日、ホテル・オペラ、オープン
* 1978年(S53)7月1日、ホテル国分町ビル、オープン
* 1978年(S53)10月28日、ホテル西公園、オープン
* 1979年(S54)5月31日、仙台パシフィックホテル完成
* 1980年(S55)10月23日、東急ホテル完成(一番町3丁目)
* 1981年(S56)8月1日、三井アーバンホテル、オープン(本町2丁目)
* 1982年(S57)4月10日、仙台第2ワシントンホテル、オープン
* 1985年(S60)3月8日、ホテルユニバース仙台店、オープン(一番町)
* 1986年(S61)7月1日、仙台ニューパシフィックホテル開業(中央1丁目)
* 1986年(S61)8月1日、ホテル・アルティア開業(中央2丁目)
* 1986年(S61)10月6日、仙台ターミナルホテル起工式(S63年7月、オープン)
* 1987年(S62)4月21日、ホテルウインブルドン、オープン(仙台市岡田)
* 1988年(S63)7月11日、仙台駅西口に仙台ターミナルホテル開業(20階建、地下2階 高さ86m)、1990年(H2)7月1日にホテルメトロポリタン仙台に改称
     
  ~ 以上、1989年(H1)まで ~ 
「続・ 宮城県郷土史年表」P77、P83、P87、P96、P118、P189、P207、P212、P222/「わが心の仙台駅前史」掲載年表  「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P122(H2、カラー) 
ポケットベル 仙台  1973年(S48)  * 1973年(S48)2月、仙台市にポケットベルの東北通信サービス会社設立  「続・ 宮城県郷土史年表」P17   
マナスル登頂成功   1956年(S31)  * 1956年(S31)5月9日、日本人登山隊がヒマラヤのマナスル登頂(8125m)に成功(マナスル第3次登山隊)

・ 日本人が8000メートル峰の登頂に成功したのは初めてで、この年のニュースだった
・ 特に、槇有恒隊長が仙台出身、(旧制)仙台第二中学校卒業なので、宮城県内ではビッグな話題となった
・ 1956年(S31)7月15日、槇有恒氏を仙台市名誉市民に推挙
・ 1956年(S31)10月13日、文化功労章受章 
「重訂 宮城県郷土史年表」P581、P582/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P282  75-01(七夕仕掛物のテーマとなった)/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P282の写真91(マナスル峰)/「目で見る仙台の歴史」P186(山を背景にマナスル登山隊記念撮影)/「市民の戦後史(仙台市)」P93(マナスル峰、山頂を仰ぐ登山隊員) 
メーデー(戦前) 宮城県初のメーデー  1927年(S2)  * 1927年(S2)5月1日、宮城県最初のメーデー、日本農民組合宮城県支部連合会・仙台一般労働組合などの主催により桜ケ岡公園で開催(デモコースは、公園→南町通り→仙台駅前)
* 1934年(S9)5月1日、メーデー共同闘争委員会約20名(各組合代表)が仙台市役所にデモ、夜は東一館で演説会開催、佐々木更三逮捕される

<参考>
* 1935年(S10)5月1日、第6回メーデが、戦前最後のメーデー(「一億人の昭和史 昭和重要事件年表」)
* 1936年(S11)3月24日、内務省が今年のメーデー禁止を通達 
「仙台市史 年表」P104/岩波ブックレット「年表昭和史」P12、P13/「新・目で見る仙台の歴史」P149/「仙台市史10 年表」P283  「新・目で見る仙台の歴史」P149(仙台の第1回メーデー・デモ )/「仙台市史 特別編4 市民生活」P530(S2年5月1日、仙台の第1回メーデーデモ隊) 
メーデー(戦後) 宮城県(戦後復活)  1946年(S21)~  * 1946年(S21)5月1日、戦後復活第1回、宮城県庁前広場に2万人参加(11年ぶりに復活)
* 1947年(S22)5月1日、復活第2回メーデー、勤労大衆約3万結集
* 1949年(S24)5月1日、メーデー、反共系=仙台労協側、容共派=県労会議に分裂
* 1950年(S25)5月1日、宮城全労会議系、県労会議系の分裂メーデー
* 1951年(S26)5月1日、2年間の分裂メーデーをやめ、統一メーデー開催
* 1952年(S27)5月1日、県メーデー、西公園グランドに約4000名参加、学連系東北大学生150余名警官隊と衝突 
「仙台あのころこのころ八十八年」P250/「仙台市史 年表」P114/「仙台市史10 年表」P312、P316、P321、P323、P325、P328/「重訂 宮城県郷土史年表」P510、P534、P549  44-46(S22、戦後2回目)/「新・目で見る仙台の歴史」P179(S35年メーデー集会、宮城県庁前)/「市民の戦後史(仙台市)」P214(S43年5月メーデー集会)/「仙台市史 特別編4 市民生活」P532(S36年、メーデー前夜祭のポスター) 
メートル法 実施  1959年(S34)  * 1959年(S34)1月1日、実施(尺貫法廃止)
* 1966年(S41)4月1日、メートル法完全実施 
岩波ブックレット「年表 昭和史」P38/菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P60    
ユニオンビール 発売開始  1922年(T11)  * 1922年(T11)4月3日、日本麦酒鉱泉が発売開始  キリンHP「日本のビール歴史年表」  ユニオンビール看板が、53-6799-02644-1099-003に写る 
ユネスコ協会(仙台) 発足  1947年(S22)  * 1947年(S22)7月19日、仙台ユネスコ協力会発足
* 1948年(S23)、第2回ユネスコ運動全国大会(於仙台)/ 14回・40回も仙台で開催
* 1951年(S26)、仙台ユネスコ協会と改称
* 1954年(S29)、ユネスコ子供学校創設
* 1955年(S30)、第1回仙台ユネスコ夏期学校開催
* 1957年(S32)、社団法人仙台ユネスコ協会に改組
* 1957年(S32)6月16日、仙台ユネスコ会館落成(現・青葉区大町1-2-2、晩翠草堂の隣) / 2011年の東日本大震災で、ユネスコ会館被災⇒改修不能

これ以降は、「仙台ユネスコ協会HP」の「仙台ユネスコ協会のあゆみ」参照 
「市民の戦後史(仙台市)」P101/仙台ユネスコ協会HP/「重訂 宮城県郷土史年表」P585  「市民の戦後史(仙台市)」P101(ユネスコ会館) 
ライオンズクラブ 仙台    * 1960年(S35)5月、支倉常長記念碑を仙台城址三の丸に、仙台ライオンズクラブが建立(「重訂 宮城県郷土史年表」P596)
* 1967年(S42)、市民記念植樹実施(篤志家やライオンズクラブが花の種、苗木、フラワーポット、くず箱を寄贈)(「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P250)
* 1968年(S43)4月13日、勾当台公園内に、仙台ライオンズクラブ寄贈の野外音楽堂完成し、寄贈式(「重訂 宮城県郷土史年表」P639)
* 1970年(S45)6月5日、全国大会を仙台で開催(「重訂 宮城県郷土史年表」P661)
* 1978年(S53)5月2日、「戦前の『政宗騎馬像』胸像部分」を、仙台エコー・ライオンズクラブが、仙台市博物館庭に再建(「続・宮城県郷土史年表」P81) / 騎馬像は昭和10年天守台に建立後、昭和19年1月戦時中の金属回収で供出 / 戦後、解体された状態の騎馬像が塩釜の東北ドック敷地内の集積所で発見され、一部を改修し青葉神社に奉納されていたが、1961年(S36)に仙台博物館が建設されるとともに博物館に移され、政宗公の頭部のみが敷地内に展示されている →「政宗卿騎馬像」参照 
「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P250/「重訂 宮城県郷土史年表」P596、P639、P661/「続・宮城県郷土史年表」P81   
ラジオ体操会 仙台の発会式  1939年(S14)  * 1939年(S14)8月1日、全国ラジオ体操会始まり、仙台では東六番丁小で発会式
* 1951年(S26)5月6日、NHK、戦後につくられた新ラジオ体操初放送
* 1954年(S29)5月、宮城県ラジオ体操の会発足 
「仙台年表」P208/「重訂 宮城県郷土史年表」P547/[NHK仙台放送局 60年のあゆみ」P30   
リサイクル 仙台の事例  1984年(S59)  * 1984年(S59)5月25日、仙台市に、空き缶空き瓶選別センター発足
* 1984年(S59)6月、使用済み乾電池の回収箱、店頭に設置 
「続・ 宮城県郷土史年表」P177、P178   

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