項目 |
小項目 |
年 |
内容 |
出典/参考資料 |
関連映像 |
スポーツ大会 |
仙台ハーフマラソン大会 |
1991年(H3) |
* 1991年(H3)3月17日、第1回仙台ハーフマラソン大会
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「続・ 宮城県郷土史年表」P271
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スポーツ大会 |
仙台カップ・国際ユースサッカー大会 |
2003年(H15) |
* 2003年(H15)、第1回仙台カップ・国際ユースサッカー大会、開催 / 2010年(第8回大会)まで開催、2011年大会は東日本大震災の影響で開催が中止、以後も休止状態 / 会場は「仙台スタジアム」(2006年から会場名が「ユアテックスタジアム仙台」) /
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仙台市HP「仙台市のあゆみ」/Wikipedia「仙台カップ・国際ユースサッカー大会」(2020年4月)
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スポーツ大会 |
ねんりんピック |
2012年(H24) |
* 2012年(H24)、年輪ピック宮城・仙台2012、開催
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仙台市HP「仙台市のあゆみ」
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スポーツ大会(戦後復興期) |
戦後・仙台一中対二中の野球定期戦復活 |
1946年(S21) |
* 1946年(S21)5月、旧仙台一中対二中の野球復活第1回定期戦(市営澱球場) / 戦時中は中断し4年ぶりに復活した定期戦で、戦後の東北地方では初の野球試合 / 32対27で二中の勝利、7回表までの試合時間が4時間50分 / 「野球用具の入手も困難な時期でスパイクをはいているのは選手の半数ぐらい、1塁塁審の二中OB氏は学生服と兵隊靴、3塁塁審の一中OB氏は復員姿そのままといったスタイルであった。」
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「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P93
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スポーツ大会(戦後復興期) |
仙台市体育まつり |
1946年(S21)~1964年(S39) |
* 1946年(S21)から毎年秋に、小・中・高校、青年団など対象の大運動会 / その後、各競技別の市民大会となり、 1965年(S40)以降は市民総合体育大会へと発展
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「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P479
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スポーツ大会(戦後復興期) |
国体サッカー |
1946年(S21) |
* 1946年(S21)秋、第1回国体サッカー東日本予選(東大グラウンド)で、旧制仙台一中準優勝
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「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P467
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スポーツ大会(戦後復興期) |
中等学校野球全国大会 |
1947年(S22) |
* 1947年(S22)8月、旧制仙台二中が「夏の甲子園」に東北代表で出場、浪花商業、下関商業を破り、ベスト・フォーに残る
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「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P94
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スポーツ大会(戦後復興期) |
東北陸上競技大会(第1回) |
1947年(S22) |
* 1947年(S22)8月、仙台市で開催
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「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P200
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スポーツ大会(戦後復興期) |
宮城県民体育大会(第1回) |
1948年(S23) |
* 1948年(S23)9月10日、第1回大会(仙台市宮城野原で)
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「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P200
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スポーツ大会(戦後復興期) |
東日本軟式野球 |
1950年(S25) |
* 1950年(S25)秋、第1回東日本軟式野球大会(宮城球場)
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「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P470
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スポーツ大会(戦後復興期) |
社会人野球 |
1950年(S25) |
* 1950年(S25)秋、第2回社会人野球四地区オールスター大会
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「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P470
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スポーツ大会(戦後復興期) |
市立三高校体育祭発足 |
1951年(S26) |
* 1951年(S26)春、仙台商、仙台工、仙台高の市立三高校体育祭発足
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「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P479
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スポーツ大会(戦後復興期) |
全日本サッカー選手権 |
1951年(S26) |
* 1951年(S26)5月、第31回全日本サッカー選手権大会(宮城野原サッカー場) / 地元仙台サッカーは4位
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「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P470
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スポーツ大会(戦後復興期) |
全日本学生ヨット選手権 |
1951年(S26) |
* 1951年(S26)7月、全日本学生ヨット選手権(松島湾)
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「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P470
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スポーツ大会(戦後復興期) |
日米対抗陸上競技大会 |
1951年(S26) |
* 1951年(S26)8月15日~17日、日米対抗陸上競技大会(会場は、8月10日に開場した宮城県営宮城野原陸上競技場)
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「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P470
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スポーツ大会(戦後復興期) |
宮城県高校総合体育大会(第1回) |
1952年(S27) |
* 1952年(S27)5月23日、第1回県下高等学校総合体育大会始まる
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「仙台市史10 年表」P328
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スポーツ大会(戦後復興期) |
全国高校レスリング選手権 |
1952年(S27) |
* 1952年(S27)8月、全国高校レスリング選手権(レジャーセンター)
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「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P470
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スポーツ大会(戦後復興期) |
全日本自転車競技選手権 |
1952年(S27) |
* 1952年(S27)8月、全日本自転車競技選手権(宮城野原自転車競技場)
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「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P470
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スポーツ大会(戦後復興期) |
国民体育大会(第7回) |
1952年(S27) |
* 1952年(S27)9月、夏季大会(松島湾でヨット競技)
* 1952年(S27)、聖炎旗リレー 広島~(日本海側経由)~山形県内~宮城県内(10月7日~13日)~福島県内
* 1952年(S27)10月19日~23日、第7回国体秋季大会、宮城・山形・福島県で開催 / 開会式は福島市の信夫山競技場、宮城野原総合運動場が宮城県の主会場 / 仙台では、陸上、サッカ-、ラグビー、自転車、野球、テニス、卓球、レスリング、バドミントンの9種目で、5日間で観客6万人
・ 宮城野原総合運動場の開会入場式終了後、市内の女子高校生600人がマスゲーム「荒城の月」を披露 / その前夜、土井晩翠が晩翠草堂で永眠を場内アナウンスで伝える(「仙台市史 続編第2巻」P271)
・宮城県勢は自転車総合優勝、卓球一般男女軟式団体優勝、ボート・ナックルフォアで東北高校4連勝など
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「仙台市史 年表」P118/「仙台年表」P225/「仙台市史10 年表」P329/「重訂 宮城県郷土史年表」P559/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P271、P470~472
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「新・目で見る仙台の歴史」P181(陸上競技場を出る20キロロードレース)/「市民の戦後史(仙台市)」P66~67(各種の競技風景、昭和天皇)
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スポーツ大会(戦後復興期) |
東北・北海道対抗柔道大会 |
1952年(S27) |
* 1952年(S27)、東北・北海道対抗柔道大会復活大会(仙台)
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「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P472
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「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P472の写真139
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スポーツ大会(戦後復興期) |
東北一周自転車競走 |
1952年(S27) |
* 1952年(S27)、第1回東北一周自転車競走
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「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P472
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スポーツ大会成績 |
全国優勝/五輪メダルなど |
1958年(S33)~1968年(S43) |
* 1958年(S33)11月、世界柔道選手権で神永昭夫選手2位
* 1960年(S35)5月1日、宮城県出身の神永昭夫五段、全日本柔道選手権大会で優勝
* 1960年(S35)5月8日、東北大学、全日本レガッタエイトで優勝、オリンピック出場決まる
* 1960年(S35)、ローマ・オリンピックで、レスリング・フライ級松原正之(仙台高-日本大)、重量あげ・バンタム級三宅義信(大河原高-法政大)がともに準優勝
* 1964年(S39)、東京オリンピックで、重量あけ・フェザー級三宅義信が金メダル、柔道無差別級神永昭夫(東北高ー明治大)が銀メダル
* 1965年(S40)国体サッカーで、仙台育英高校が決勝で浦和西高と引分け、両校優勝
* 1968年(S43)、メキシコ・オリンピック重量あげフェザー級で、三宅義信が優勝(二連勝)、弟の三宅義行が銅メダル
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「重訂 宮城県郷土史年表」P596/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P475~477
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「市民の戦後史(仙台市)」P124(S35年5月、柔道の神永5段が全日本で優勝)(東北大レガッタクルー)/「目で見る仙台の歴史」P195(S33年11月の世界柔道選手権2位で表彰される神永昭夫選手)
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スポーツ大会(昭和戦前期) |
宮城県体操大会 |
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* 1939年(S14)6月4日、第2回宮城県体操大会(宮城野原)
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「目で見る仙台の歴史」P166
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「目で見る仙台の歴史」P166
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スポーツ少年団 |
発足 |
1961年(S36) |
* 1961年(S36)、仙台市スポーツ少年団発足 / クラブ活動を行っていない子弟対象 / 地域別(学区、町内会、子供会ごと)と種目別の少年団
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「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P481
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セコイヤの化石 |
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100万年前の第四紀洪積世に死滅したといわれるセコイヤが、霊屋橋(おたまやばし)下の広瀬川の中に、数十本残存しており、天然記念物に指定されている
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「仙台市市史 続編1」P410
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タクシー |
大正時代 |
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* 1923年(T12)8月、仙台タクシー自動車合資会社、名掛丁に設立、営業開始
* 1925年(T14)、合名会社実用タクシー(裏五番丁)設立、営業開始
・ 大正11年~昭和8年に開業した東一番丁界隈のタクシー業者 / 清水自動車部(清水源太郎、立町通、大正11年)、トモエタクシー(国分町、大正15年)、柳タクシー(本柳町、昭和元年)、サカタタクシー(東二番丁、昭和2年)、キングタクシー(東一番丁、昭和5年、高級車のエセックスとハドソン数台を使用)、第一タクシー(南町)、など9業者あり
* 1925年(T14)12月25日、仙台自動車運転手会、やよい軒に集まり設立(タクシ-、バス運転手、官庁自家用運転手)
・ 宮城県の運転手免許番号簿(昭和4年現在)には、2547号まで記録されている
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「番丁詳伝」P110~111
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タクシー |
福祉タクシー |
1977年(S52) |
* 1977年(S52)4月(11月?)、仙台市の個人タクシー事業協同組合、福祉タクシー120台実施
* 1977年(S52)12月5日、仙台市のフタバタクシー、車いすのまま乗車できる障害者用タクシー開始
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「続・ 宮城県郷土史年表」P66、P76、P74
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タクシー |
無線配車 |
1983年(S58) |
* 1983年(S58)2月10日、仙台市の個人タクシー、無線で配車実施
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「続・ 宮城県郷土史年表」P159
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チリ地震津波 |
被害 |
1960年(S35) |
* 1960年(S35)5月24日、三陸沿岸に来襲し、大船渡市、志津川町、女川町などに大被害(三陸一帯で死者119人、流失家屋1,571)
・ 仙台市は被害なし(「仙台市史 続編第2巻」P288)
* NHKテレビ、七ヶ浜村、花渕浜から中継 / 特別番組を6月1日まで実施 / NHKたすけあい、医療巡回実施
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「重訂 宮城県郷土史年表」P596/[NHK仙台放送局60年のあゆみ」P35/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P288
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ツルヤ洋菓子店とカフェ・クレーン |
開店~閉店 |
1912年(M45)~1933年(S8) |
・ 東一番丁通の立町通角と大町通角の間、道の西側に面していた(戦後の靴店「アピアまんぞくや」の辺り)
・ 1階がツルヤ洋菓子店、2階がカフェ・クレーンで西洋料理や喫茶(仙台最初の洋風喫茶店)、夜はイルミネーションが点灯
・ 洋館造り、設計は東北帝国大学の文部技官中島仙太郎
* 1912年(M45)7月27日、開店(大正に改元の3日前)
大町5丁目の写真機販売業・桜井常吉が東一番丁通りに進出、電飾の輝く洋館2階でカフェ・クレーンを開業(1階のツルヤ洋菓子店は義弟の中林源助にまかせる)
* 1933年(S8)3月19日、近くの映画館「仙集館」近くから出火した火事で類焼し、閉店
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「重訂 宮城県郷土史年表」P352/「仙台はじめて物語」P74~75
/「東一番丁物語」(柴田量平著)P126~129/「あきんどの町-おおまちに至るまでの四〇〇年-」P135/「仙台市史 年表」P96
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20-19、20-41、22-56、45-02、45-03、99-017
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ツルヤ洋菓子店とカフェ・クレーン |
ツルヤ洋菓子店 |
1912年(M45)~1933年(S8) |
* 1912年(M45)7月27日、開店(1階がツルヤ洋菓子店、2階がカフェ・クレーン)
* 1915年(T4)、ツルヤ洋菓子店は、仙台ではじめてシュークリームを販売
* 1933年(S8)3月、付近の映画館「仙集館」から火災で類焼し閉店
【「仙台はじめて物語」P74~75】
・ 場所は戦後の靴店アピア満足屋のあたり / 開店は、年号が大正に代わる3日前 / 洋館造りは東北帝国大学の文部技官中島仙太郎の設計、夜はイルミネーションが点灯
・ 「ツルヤ洋菓子店」は、大正4年に仙台で初めてシュークリームを販売したり、ロバに曳かせた赤塗りの箱馬車で、焼きたてのパンや洋菓子を配達するなど、常に評判を呼ぶ店だった。 新製品「仙台豆」の袋入り(20銭)を買うと景品に「仙集館」の二等席の映画券1枚がついた
・ ツルヤ洋菓子店は、カフェクレーンの桜井常吉の妻はるの弟中林源助が経営
【座談会「みやぎの洋菓子60年」P21】
・「ツルヤ」のベビーシュー(シュークリーム)は有名だった。 トテ馬車と言って、箱馬車でパンを配達して有名でした。大正の頃のことです。
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「仙台はじめて物語」P74~75/座談会「みやぎの洋菓子60年」P21(掲載誌は不詳)/「重訂 宮城県郷土史年表」P377
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ツルヤ洋菓子店とカフェ・クレーン |
カフェ・クレーン |
1912年(M45)~1933年(S8) |
* 1912年(M45)7月27日、新式洋菓子コーヒー店カフェ・クレーン開店(一品料理と喫茶)
【「仙台はじめて物語」P74~75】
・ ツルヤ洋菓子店2階の喫茶「カフェクレーン」は、季節の花を飾った大理石張りのテーブル10余りが並び、天井には扇風機が回り、オルガンもあった
・ コーヒー、紅茶が5銭、特製アイスクリーム10銭、ライスカレー、チキンライス、ハムライスが15銭均一
・ 12~13歳の女給仕は水色の洋服とエプロン姿
・ 仙台では、「カフェクレーン」「ブラザー軒」「カルトン食堂」が知識人や学生のたまり場だった
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「仙台はじめて物語」P74~75
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22-56、45-02、45-03、98-07/「いつか見た街・人・暮らし」P38(T5年、カフェクレーレストラン内部)/「新・目で見る仙台の歴史」P146
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テレトピア構想 |
モデル地区指定 |
1985年(S60) |
* 1985年(S60)11月20日、仙台市がテレトピア・モデル都市に指定される
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「仙台市史 年表」P134/仙台市HP「仙台市のあゆみ」
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テレビアンラジオ |
発売開始 |
1936年(S11)7月1日 |
山中電機が発売した、時計つきのラジオ
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「日録20世紀 1936年」P30
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53-14に「テレビアンラジオ」の広告看板あり
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テレフォンカード |
テレカ公衆電話登場 |
1983年(S58) |
* 1983年(S58)11月19日、テレフォンカード公衆電話を仙台市内6カ所に設置
* 1983年(S58)11月28日、仙台空港に、テレフォンカードによる公衆電話設置
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「続・ 宮城県郷土史年表」P168
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デイケアー |
デイケアセンター |
1983年(S58) |
* 1983年(S58)4月2日、仙台市三居沢で仙台デイケアセンター業務開始(全国2番目)
* 1987年(S62)4月、仙台市葉山町にデイケアセンター完成
* 1988年(S63)3月28日、仙台市泉中央デイサービスセンター、オ-プン
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「続・ 宮城県郷土史年表」P160、P223、P241
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トラックターミナル |
仙台トラックターミナル開業 |
1962年(S37) |
* 1962年(S37)11月20日、仙台トラックターミナル、仙台市苦竹に開業、16業者参加
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「仙台市史 年表」P122 /「重訂 宮城県郷土史年表」P606
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トラックターミナル |
仙台南トラックターミナル完成 |
1978年(S53) |
* 1978年(S53)10月1日、仙台南トラックターミナル完成(名取市熊野堂に)
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「続・ 宮城県郷土史年表」P86
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ニッカウイスキー工場 |
仙台工場 |
1969年(S44) |
* 1969年(S44)5月10日、仙台工場を宮城町新川地内に完成
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「重訂 宮城県郷土史年表」P649
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ネオンサイン
(戦後復活) |
戦後復活 |
1950年(S25) |
* 1949年(S24)3月、(全国)ネオン広告を全面解除
* 1950年(S25)12月、区画整理に伴う丸光(3階建)が仙台駅前(電車通り)に完成 / 東北で戦後始めてのネオンサインが点灯
* 1951年(S26)2月、電力事情悪化 / ネオン、エレベーターなどの使用禁止
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菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P43/仙台駅前商店街振興組合の歩み(年表)/「仙台あのころこのころ八十八年」P251
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53-82(S26~27年頃の仙台駅前夜景)
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ネオンサイン |
仙台では・・・ |
1928年(S3)~ |
* (仙台では)ネオンや電飾が目立ってくるのは、1928年(S3)以降
* カフェや映画館の隆盛時代を迎え、またビルラッシュと三越が進出した1933年(S8)から1935年(S10)にかけては特に電飾が盛んであった。東京銀座の銀ブラにならって番街(東一番丁)を散策する人が多く「番ブラ」の名を定着させていった。
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「番丁詳伝」P197
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ネオンサイン |
オイルショック後復活 |
1975年(S50) |
* 1973年(S48)10月25日、石油ショック発生
* 1973年(S48)11月5日、石油ショックで東京など大都市のネオンが消える(「菅家年表」P67)
* 1974年(S49)1月16日、電力の使用制限始まる(16年ぶり)、ネオン、広告塔、テレビ放送時間短縮(深夜放送禁止)(「菅家年表」P68)
* 1974年(S49)10月6日、東京・銀座にネオンが復活(「菅家年表」P68)
* 1975年(S50)11月、オイルショック以来消えていた仙台のネオンが点灯復活(「続・ 宮城県郷土史年表」P47)
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菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P67、P68/「続・ 宮城県郷土史年表」P47
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ネオンサイン |
省エネ消灯 |
1980年(S55) |
* 1980年(S55)6月16日、省エネで、ネオン9割近く消灯
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「続・ 宮城県郷土史年表」P112
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ネオンサイン(全廃) |
全廃決定 |
1939年(S14) |
* 1937年(S12)8月24日、国民精神総動員実施要綱を決定
* 1939年(S14)6月16日、国民精神総動員委員会が生活刷新案を決定 (遊興営業の時間短縮、ネオン全廃、中元歳暮の禁止、学生の長髪やパーマネント禁止、など)
国民精神総動員運動は、1937年(S12)日中戦争勃発を受け「挙国一致」「尽忠報国」「堅忍持久」を方針とした国民運動が企図され、開始された
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岩波ブックレット「年表昭和史」P12、P16
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ハリストス正教会堂 |
建設 |
1892年(M25) |
* 1892年(M25)、東二番丁に建設(木造)
* 1945年(S20)7月10日、仙台空襲で焼失
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「新・目で見る仙台の歴史」P125
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「新・目で見る仙台の歴史」P125
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バカンス(流行語) |
流行 |
1963年(S38) |
* 1963年(S38)4月、ザ・ピーナッツの「恋のバカンス」発表
東レと渡辺プロ(ザ・ピーナッツ所属)との共同企画によるサマーウェア新商品「バカンス・ルック」(1963年6月)の宣伝キャンペーンの一翼も担う
「休暇」を意味する「バカンス」(vacances)というフランス語が日本で流行語になるのに貢献した
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201-52(七夕の仕掛物)
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バス |
仙台初 |
1912年(T1) |
* 1912年(T1)10月18日、仙台初のバスが営業開始
清水小路(現・五橋五丁目)の菊地道三郎所有のもの
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逸見英夫著「仙台はじめて物語」P197/「仙台市史 年表」P96/「仙台あのころこのころ八十八年」P242/「仙台市史 特別編4 市民生活」P202
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バス |
仙台市街自動車 |
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→ 項目「仙台市街自動車」参照
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バス |
仙台市営バス |
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→ 項目「仙台市営バス」参照
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バス |
長距離バス |
1962年(S37) |
* 1962年(S37)8月1日、東北急行バスが、東京~仙台間の運航開始(「重訂 宮城県郷土史年表」P605)(「市民の戦後史(仙台市)」P145では、S38年8月運行開始)
* 1989年(H1)9月21日、仙台~盛岡間、高速バス運行開始
* 1989年(H1)10月2日、仙台~青森間(ハイウェイバス・ブルーシティー)運行開始
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「重訂 宮城県郷土史年表」P605/「続・ 宮城県郷土史年表」P262、P263
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「市民の戦後史(仙台市)」P145(東京仙台間の東北急行バス)
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