仙台よみとき用語年表
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仙台市の特徴ある条例・宣言・憲章・事業 公害市民憲章  1970年(S45)   → 項目「公害市民憲章」参照     
仙台市の特徴ある条例・宣言・憲章・事業 公害防止条例  1971年(S46)   → 項目「公害防止条例」参照     
公害防止条例 公布  1971年(S46)  * 1971年(S46)11月25日、仙台市が公布  「仙台市史 年表」P127   
電話 公衆電話  1984年(S59)  * 1984年(S59)10月19日、丸光デパートにカード専用公衆電話設置(東北初)
* 1986年(S61)4月30日、マイクとスピーカーつき新型公衆電話を仙台市一番町買物公園に設置 
「続・ 宮城県郷土史年表」P182、P204   
震災遺構 公開  2017年(H29)  * 2017年(H29)、東日本大震災の震災遺構として、仙台市立荒浜小学校公開  仙台市HP「仙台市のあゆみ」   
ロータリー・クラブ 再発足  1950年(S25)  * 1950年(S25)1月18日、仙台ロータリー・クラブ再発足
* 1951年(S26)9月、青葉通りの仙台駅前の分離帯に、ロータリークラブから、栃の木、柳が寄付される(「戦災復興余話」P53) 
「重訂 宮城県郷土史年表」P540/「戦災復興余話」P53   
冷害・凶作 冷害年の稲作減収率(宮城県内)  明治~1944年(S19)  北海道・東北の明治~昭和19年の主な冷害年の「宮城県の米減収率」
(「図説:東北の稲作と冷害」の棒グラフより読み取り)

M35年(50%位)、M38(80%余)、T2年(50%余)、
S6年(10%以下)、S9年(15%位)、S10(20%弱)、S16年(40%弱)
 
東北農業研究センター水稲冷害研究チーム「図説:東北の稲作と冷害」www.regai.affrc.go.jp/zusetu/reigai/l より要約   
第二師団(出兵記録)(3) 出兵記録  大正年間  <第一次世界大戦>
* 1914年(T3)9月、4個中隊が、中国方面の守備に派遣される
* 1917年(T6)9月、1個中隊、山東半島青島の守備を命じられる

<シベリア出兵>
* 1918年(T7)8月2日、第二師団山砲兵第一連隊および輜重兵第二大隊がシベリアに派遣される
* 1921年(T10)6月、歩兵第3旅団が前年のニコラエフスク(尼港)事件を受けてサハリンと沿海州の守備に派遣される
* 1922年(T11)6月、歩兵第25旅団、歩兵第3旅団と交代するためサハリンと沿海州に派遣される 

<米騒動に出動>
* 1918年(T7)、仙台の米騒動には、6000~7000人の群衆が参加したとみられ、15日には米穀商や資産家が襲われた。16日にも発生、第二師団の軍隊も出動、実力で鎮圧にあたった(「新・目で見る仙台の歴史」P148) / 仙台の米騒動では、歩兵第4連隊やこの当時には仙台にいた歩兵第29連隊の1000名を超す兵が鎮圧のため出動、要所要所で銃剣をもって市民の通行を監視し、まるで戒厳令が布かれたような物々しさであった(「仙台市史 特別編4 市民生活」P308、P497) 
「仙台市史 年表」P97、P98、P100、P101/「仙台市史 特別編4 市民生活」P308、P497/「新・目で見る仙台の歴史」P148  「いつか見た街・人・暮らし」P8(満州守備派遣兵帰る、仙台駅前、大正13年)/同P21(初観兵式、大正13年1月8日、宮城野原練兵場) 
第二師団(出兵記録)(1) 出兵記録(仙台鎮台時代)  明治年間(1)  <西南戦争>
* 1877年(M10)3月20日、仙台鎮台歩兵第4連隊第1大隊の2個中隊が西南戦争へ出征(「仙台部隊関連年表」P689) 
* 1878年(M11)4月、西南戦争の政府軍戦死者慰霊祭、仙台鎮台・宮城県庁の共催により榴ケ岡で行われる。(「仙台市史 年表」P82)
* 1878年(M11)11月、同戦没者慰霊の為、経ケ峯に「西討戦死者之碑」が建立される(「仙台市史 年表」P82~83)

<朝鮮の甲申事件に際し、韓国駐箚公使館護衛>
* 1884年(M17)10月、韓国駐箚公使館護衛として歩兵第4連隊第1中隊を京城(ソウル)に派遣(「重訂 宮城県郷土史年表」P270)
* 1884年(M17)10月、仙台鎮台の第4連隊の1個中隊が朝鮮半島情勢の緊張にともなって漢城(現・ソウル)に派遣される(「仙台市史 年表」P85)

 ~ 以下は、「仙台部隊関連年表」P691より~
* 1884年(M17)10月10日、韓国駐箚公使館護衛のため、歩兵第4連隊第1中隊、仙台出発
* 1884年(M17)12月4日、京城の日本公使館、焼かれる
* 1884年(M17)12月4日~6日、第1中隊が戦闘
* 1885年(M18)7月4日、第1中隊、仙台に帰営
 
<第二師団発足>
* 1888年(M21)5月12日、仙台鎮台を廃し、師団編制に改組、第二師団となる(「仙台部隊関連年表」P691) 
「重訂 宮城県郷土史年表」P270/「仙台部隊関連年表」(宮城県史・兵事の末尾P689、P691)/「仙台市史 年表」P82~83、P85/「仙台市史 特別編4 市民生活」P300   
第二師団(出兵記録)(2) 出兵記録(凱旋・慰霊などを含む)  明治年間(2)  <日清戦争>
* 1894年(M27)10月29日~11月3日、第二師団が遼東半島・山東半島への出征のため、長町軍用駅から出発(「市史年表」P89) 
* 1896年(M29)5月20日~21日、日清戦争戦死者の臨時大招魂祭、榴ケ岡で行われる(「市史年表」P89)
* 1896年(M29)5月22日、宮城県凱旋部隊歓迎会(挹翠館)
(「仙台市史10年表」P210)

<日露戦争>
* 1904年(M37)2月17日、第二師団、長町駅から出兵を始める(「市史年表」P92)
* 1905年(M38)12月24日、第二師団師団司令部凱旋、日露戦役凱旋式を挙行(「仙台年表」P180 =出典:第二師団司令部「仙台城沿革」S12年刊) 
* 1906年(M39)4月1日、第二師団臨時招魂大祭、宮城野原練兵場で行われる(「市史年表」P93)

<韓国駐箚>
* 1910年(M43)4月、第二師団、韓国守備に派遣される(市史年表P95)
* 1910年(M43)4月8日、師団司令部は韓国駐箚のため仙台を発つ(Wikipedia「第二師団」)
* 1912年(M45)4月24日、師団司令部が朝鮮より仙台に帰着(Wikipedia「第二師団」) 
「仙台市史10 年表」P210/「仙台市史 年表」P89、P92、P93、P95/「仙台年表」P180/Wikipedia「第二師団」/「宮城県の百年」P99  「新・目で見る仙台の歴史」P136(日清戦争で長町臨時停車場からの出発風景/「出征」する軍馬)/「目で見る仙台の歴史」P131(日清戦争で「長町から乗車出征する第二師団」「凱旋門」/「仙台市史 特別編4 市民生活」P302~303(長町停車場で日清戦争出征将兵見送り、絵図「同戦争からの帰還を迎える市民たち」)/同P306(日露戦争凱旋門と帰還兵士を迎える市民たち)/「新・目で見る仙台の歴史」P136(「日露戦争将兵の帰還」/「正装の日赤従軍看護婦たち」)/同P137(「仙台の日露戦争凱旋門」/「軍事郵便」)「仙台市史 特別編4 市民生活」口絵の図103(M37年頃、日清戦争出征関連か?) 
第二師団(出兵記録)(4) 出兵記録(凱旋・慰霊・演習などを含む)  昭和戦前期(1)  <満州駐箚、満州事変>
* 1931年(S6)3月18日、満州守備へ出発開始(在仙台の歩兵第4連隊など各部隊の他、会津若松の歩兵第29連隊、新潟県高田の歩兵第30連隊、新発田の歩兵第16連隊など第二師団管下の部隊) / 第二師団の渡満で、仙台不景気に(「仙台市史 特別編4 市民生活」P361)
* 1931年(S6)9月からの満州事変では、満州各地を転戦、占領 / 日本側の最初の戦死者は、歩兵第4連隊の兵士29名(「仙台市史 特別編4 市民生活」P308)
* 1931年(S6)10月、満州事変戦没将兵の遺骨が仙台に到着、10月12日に追廻練兵場で第二師団など主催の慰霊祭(昭和7年10月まで慰霊祭が7回)(「重訂 宮城県郷土史年表」P427)  
* 1931年(S6)12月28日、NHK仙台放送局が「満州事変戦没者慰霊祭」(追廻練兵場)をラジオで中継放送
* 1933年(S8)1月7~9日と13日、満州から仙台に凱旋(→詳細は、写真データベースの関連資料G-25-02「多門師団凱旋」(凱旋日程など詳述) / 1月7日、NHK仙台放送局が歓迎式を仙台駅前からラジオ中継放送

<軍事演習>
* 1932年(S7)9月18日、満州事変勃発一周年記念、第二師団留守部隊、学生の大演習
* 1933年(S8)3月10日、第二師団が国分町中心に大規模な模擬市街戦実施
* 1934年(S9)3月10日、陸軍記念日により、模擬弾・タンク・照空灯を市民に公開
* 1935年(S10)9月13日、騎兵第二連隊200騎、蔵王山突破す(遠刈田→上山を3日間で)

   *****************
* 1933年(S8)8月14日、東久邇宮稔彦王殿下、第二師団長として着任(S9年8月1日、第四師団長に転任)

<2・26事件警備>
* 1936年(S11)2月26日、歩兵第4連隊、2・26事件警備で上京(6月6日帰還)(重訂 宮城県郷土史年表」P451)
   「歩兵第4連隊混成大隊208人、118日間にわたって決起将校らが収容されている代々木の陸軍刑務所の警備にあたる(「戦争のころ 仙台、宮城」P39)     
* 1936年(S11)6月6日、2・26事件戒厳令下、歩兵第4連隊帰還(「仙台市史 10 年表」P288) 
「仙台市史 特別編4 市民生活」P308~311、P361/「宮城県史 7」P685の『仙台部隊関連年表』/「重訂 宮城県郷土史年表」P427、P434、P436、P441、P447、P451/「仙台市史 年表」P105/「仙台放送局60年のあゆみ」P5、P7/「仙台市史10 年表」P279、P280、P281、P282、P288/「私にとっての戦争」(朝日新聞仙台支局編)末尾年表P183/「仙台年表」P202、P204/「戦争のころ 仙台、宮城」(石澤友隆著)P39   
第二師団(出兵記録)(5) 出兵記録(凱旋・慰霊・演習などを含む)  昭和戦前期(2)  <満州駐箚>
* 1937年(S12)4月、満州守備(駐箚)のため出発
* 「1937年(S12)4月9日から10日間、多数の第二師団「渡満」兵の行進が市街を通り抜けていく。銃後の市民の間には、社寺のお守りを真綿でくるんで弾除けにするお守り袋や雑貨を詰め込んだ慰問袋を、郷土の在満兵士たちに贈る運動が盛んになっていた。7月7日の日中戦開始まで間もない頃である」(「仙台市史 特別編4 市民生活」P311)
   
<日中戦争>
* 1937年(S12)7月の日中戦争開始後は、駐箚中の満州から第二師団の一部(歩兵第4連隊第1大隊=大泉部隊)を北京へ急派 / 1938年(S13)には、その他の第二師団も満州から中国戦線へ
* 1937年(S12)9月、日中戦争勃発により急きょ、第二師団留守部隊を根幹とする十三師団(歩兵104連隊)が仙台で編制され、中国戦線へ ( →項目「第十三師団」参照 )
* 1937年(S12)12月、歩兵第4連隊第1大隊の故大泉中佐以下221柱の合同慰霊祭(市公会堂)

<仙台へ帰還>
* 1940年(S15)8月1日、第二師団を仙台師団と改称(「仙台城」P234)
* 1940年(S15)10月、内地帰還
* 1940年(S15)11月、仙台師団は任務を終えて帰国(昭和17年宮城県知事事務引継書)
* 1940年(S15)10月21日、仙台師団において紀元2600年奉祝観兵式(宮城野原練兵場)
* 1940年(S15)11月17日、日華事変(=日中戦争)以来の管内出身将兵の慰霊祭(東二番丁小学校で)、引き続き、軍馬・軍犬・軍鳩の慰霊祭(追廻練兵場の昭忠塔前で)

<太平洋戦争> 第二師団=勇兵団 
* 1941年(S16)12月の太平洋戦争突入
* 1942年(S17)1月、日本を出発、インドネシアのジャワ島(17年2月上陸) /「戦争のころ 仙台、宮城」P68では、3月1日上陸「2月になってから海軍艦艇の護衛のもとフランス領カムラン湾(現ベトナム)へ進出、60隻の大輸送船団は巡洋艦、駆逐艦32隻に守られ目的地に向かいます。途中で2回にわたって敵艦隊と遭遇、これを撃退する間退避行動をとったので上陸は3月1日に延期されました。3月1日ジャワ島上陸、わずか12日間で8万2000人のオランダ、英国軍を降伏させ占領。現地では日本軍はオランダからの解放者と受け取られ、日本軍への協力がありました。」
・ その後はニューブリテン島、ソロモン諸島のガダルカナル島(17年10月~)、フィリピン諸島、マレー、ビルマ(インパール作戦)などを転戦、終戦時は南部仏印(一部はビルマ)
・ ガダルカナル戦では、歩兵第4連隊第2、第3大隊が「青葉支隊」として投入される(「仙台市史 続編第1巻」P37) / ガダリカナル戦で第二師団の死者・戦病死者は7671人(「戦争のころ 仙台、宮城」P136)
* 1944年(S19)3月、ビルマ進攻、インパール作戦(北部ビルマから2000m級のアラカン山脈を越え、インドのインパールへの進攻作戦)に、第二師団も投入されるが、5月、雨季を迎えたフーコン峡谷の沼や密林の中で、食糧や弾薬不足、疫病に苦しみ次第に後退。 / インパール作戦での第二師団の戦死、戦病死者は、1万2748人(師団兵力の3分の2を失う)(「戦争のころ 仙台、宮城」P136)
* 1945年(S20)1月、仏印に転戦を命じられる。同師団の歩兵第16連隊、野砲、工兵、衛生兵で編成された青葉兵団と歩兵第4連隊はビルマに残り戦闘継続(「戦争のころ 仙台、宮城」P136)
* 1945年(S20)8月敗戦時には、南部仏印(ベトナム)、一部はビルマ(現・ミャンマー)のタンザビアに駐屯(「戦争のころ 仙台、宮城」P238)

      ***************************************
* 1943年(S18)7月31日、ガダルカナル島戦没兵の慰霊祭(追廻練兵場)
* 1943年(S18)10月2日、忠魂合同慰霊祭(立町小学校で)
* 1944年(S19)8月18日、故陸軍大佐佐久間鶴治ほか合同慰霊祭 
「仙台市史 特別編4 市民生活」P311、P314/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)P2、P8、P37、P64/「宮城県史 7」P685の「仙台部隊関連年表」/「重訂 宮城県郷土史年表」P460、P476~477、P479/「仙台市史10 年表」P306、P308/「仙台市史年表」P104/「私にとっての戦争」(朝日新聞仙台支局編)末尾年表P185/「仙台城(仙台市教育委員会 昭和42年刊)」P234/「戦争のころ 仙台、宮城」(石澤友隆著)P67~68、P136、238   
日乃出映画劇場 出火  1956年(S31)  * 1956年(S31)2月5日、日乃出劇場出火 / 午後8時45分頃、ボイラー室付近から出火、北西11mの強風(瞬間最大19m)、出動消防車14台 / 火元の日乃出劇場(地下劇場、ニュース劇場、棟続きの日乃出中華など)891平方mを全焼 / 隣接の仙台ホテル、東宝劇場などの一部も焼いて、午後10時すぎ鎮火 / 火の粉は遠く連坊小路、薬師堂まで飛び、延焼が心配された   「市民の戦後史」P53/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P822~823/「仙台の歴史(80周年)/「わが心の仙台駅前史」年表  「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P623の写真199(強風化に炎上する日乃出劇場)/「市民の戦後史(仙台市)」P96(炎上する劇場) 
禁煙 列車内  1984年(S59)  * 1984年(S59)2月20日、東北線郡山行普通列車で禁煙実施  「続・ 宮城県郷土史年表」P173   
仙台偕行社 初代建物竣工  1886年(M19)  仙台偕行社(かいこうしゃ)は、陸軍将校の倶楽部で、戦前は天皇行幸の際は宿舎にもなった / 場所は、桜ケ岡公園(西公園)に隣接、現在(1996年)の仙台市図書館のあたり

* 1886年(M19)8月3日、仙台偕行社竣工(洋風建築)
* 1925年(T14)10月18日、陸軍大演習の間、大本営が仙台偕行社におかれた(「重訂 宮城県郷土史年表」P399) 
「明治の洋風建築~宮城県~」P39/「仙台市史7(警察)」の仙台部隊年表P691/「仙台市史 年表」P86/「重訂 宮城県郷土史年表」P399  「明治19年落成の偕行社」は、98-060、「新・目で見る仙台の歴史」P134、「市民の戦後史(仙台市)」P22/門柱の形が異なるのは、98-06199-095 
住宅団地 利府ニュータウン(仮称)  1987年(S62)  * 1987年(S62)5月23日、利府町に利府ニュータウン(仮称)起工式  「続・ 宮城県郷土史年表」P224   
ひとにやさしいまちづくり条例 制定  1996年(H8)  * 1996年(H8)6月、仙台市が、「ひとにやさしいまちづくり条例」制定

・ 「公益的施設」(社会福祉施設、官公庁の施設、医療施設、宿泊施設、理容、飲食店、体育館、映画館等)は、工事の際、施行規則に定める整備基準に適合させる
・ 「指定施設」(公益的施設のうち特に福祉整備が必要となる施設)では、建築等の際に事前届出が必要 
仙台市HP「ひとにやさしいまちづくり条例」   
広瀬川の清流を守る条例 制定  1974年(S49)  <条例制定以前>
* 1956年(S31)から、アユを放流
* 1968年(S43)6月、カジカ500匹放流

<条例制定>
* 1974年(S49)9月28日、広瀬川の清流を守る条例、仙台市が制定 
「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P209/「仙台市史 年表」P129   「仙台市史 特別編4 市民生活」P240(S28年ころ、広瀬川で水遊びする子ら) /「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P209の写真61(カジカの放流)/「市民の戦後史(仙台市)」P212(S43年5月の稚アユ放流、S43年6月のカジカ放流)/「新・目で見る仙台の歴史」P190(カジカ放流)と(釣り人たち) 
仙台市民の消費生活を守る条例 制定  1975年(S50)  * 1975年(S50)12月24日、仙台市が制定  「仙台市史 年表」P130   
仙台市紋章 制定  1933年(S8)  * 1933年(S8)9月5日、制定  「仙台市史10 年表」P281   
四大節 制定  1927年(S2)  * 1927年(S2)に制定された四つの祭日(昭和戦前期)
・ 四方拝(1月1日)・紀元節(2月11日)・天長節(昭和時代は4月29日)・明治節(11月3日)の総称 
・ 戦前は、児童生徒は学校に登校し式が行われた 
大辞林 など   
環境基本条例 制定  1996年(H8)  * 1996年(H8)3月、仙台市環境基本条例、制定

杜の都・仙台の良好な環境を保全・創造し、次の世代に引き継いでゆくための基本となる考え方、市・市民・事業者の役割と責務、それぞれの取り組みの基本的な事項を定めるための条例 / 条例に基づき、仙台市における環境の保全と創造に関わる政策・施策の基本的な方向を、環境基本計画「杜の都環境プラン」で定めています 
仙台市HP「仙台市環境基本条例」   
杜の都の環境をつくる条例 制定  1973年(S48)  * 1973年(S48)3月27日、仙台市で制定
* 1975年(S50)6月5日、条例に基づき、保存緑地28か所指定 
「仙台市史 年表」P128/「続・ 宮城県郷土史年表」P42    
杜の都の風土を育む景観条例 制定  1995年(H7)  * 1995年(H7)、「杜の都の風土を育む景観条例」制定

・ 景観計画区域内における建築物等の行為の制限
・ 景観地区に指定された区域内において、建築物を新築する場合には、認定申請が必要
    定禅寺通景観地区(平成23年12月16日決定)
    宮城野通景観地区(平成23年12月16日決定)
    青葉通景観地区(平成27年12月1日決定)  
仙台市HP「杜の都の風土を育む景観条例」   
戦災復興都市計画事業 制度、計画など  1946年(S21)~1961年(S36)  * 1945年(S20)12月30日、政府の戦災復興都市計画基本方針決定
* 1946年(S21)4月15日、仙台市復興委員会開催(学識経験者と市会議員から委員64人)
* 1946年(S21)4月20日、戦災復興院特別建設出張所設置
* 1946年(S21)5月、仙台市は「戦災区域」の指定をうける
* 1946年(S21)5月5日、仙台市役所復興局(2部7課)設置
* 1946年(S21)5月9日、仙台都市復興都市計画土地区画決定
 ・424haの土地区画整理、23路線(2万4000m)の都市計画道路、13か所(51.7ha)の公園緑地、墓地計画、学校移転、無電柱街路計画など
  ・S26年とS29年に事業区域が縮小されて、最終的な施工地区は市の中心部290ha(東西1.5キロ、南北2.7キロ)に変更された
* 1946年(S21)8月15日、戦災都市における建築物の制限に関する勅令を仙台市に適用
* 1946年(S21)10月9日、特別都市計画法、仙台市に適用
* 1946年(S21)10月10日、仙台市役所に仙台復興局を置き復興計画方針決定(五か年計画の樹立)
* 1946年(S21)10月、戦災跡地ガス供給管被害箇所復旧
* 1947年(S22)2月17日、仙台特別都市計画事業復興土地区画整理及び執行年度割決定
* 1947年(S22)6月4日、戦災復興院宮城建築出張所設置
* 1947年(S22)6月11日、仙台都市計画公園変更決定
* 1947年(S22)12月12日、仙台復興都市計画土地区画整理委員選挙
* 1947年(S22)12月31日、仙台市に適用の都会地転入抑制緊急措置令解除
* 1961年(S36)3月27日、仙台市戦災復興都市計画事業完了、完工式(総額11億5千万円)、3月27日に完了記念の「こけし塔」を西公園に建設除幕式
 
「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P90、P315~316/「仙台市史10 年表」P312~314、P316~P317/「重訂 宮城県郷土史年表」P513、P519、P600/「仙台市史 年表」P121   
民生委員/児童委員 制度発足  1946年(S21)/1947年(S22)  <前史>
* 1925年(T14)、宮城県で、奉仕委員制度開始(東北で4番目)
* 1928年(S3)、仙台市社会事業協会設立
* 1932年(S7)、救護法、実施
 / 仙台市内では奉仕委員の市内一区一名制
* 1936年(S11)4月1日、方面委員と改称 / 同年11月3日、方面委員令公布

<戦後>
・ 荒廃した都市・農村に大量の戦災者、失業者、復員軍人、引揚者など多数の生活困窮者出現
・ GHQ、「救済並に福祉計画に関する覚書」 / 生活困窮者の救済は国家の責任など4原則を指令
* 1946年(S21)10月1日、(旧)生活保護法施行/民生委員令施行 / 1948年(S23)7月29日、民生委員法制定
* 1947年(S22)12月12日、児童福祉法公布
* 1950年(S25)5月、生活保護法(全面改正) / 国民に生活保護の請求権を認め、不服申立制度を規定 / 公務員である社会福祉主事の全国配置きまる

「仙台市史 特別編4 市民生活」P400~403「民生委員の始まり」に、民生委員制度の前史にあたる、戦前の方面委員(奉仕委員)以来の戦前戦後の制度の変遷、趣旨など記述あり 
「仙台市史 特別編4 市民生活」P400~403  「仙台市史 特別編4 市民生活」P401に表「宮城県における方面カード登録件数と奉仕委員の割合」、P403(S46、民生委員児童委員大会) 
「仙台郷土研究」 創刊  1931年(S6)  * 1931年(S6)1月10日、「仙台郷土研究」創刊(月刊)/末永勇四郎編、無一文館書店発行 / 小倉博(斎藤報恩会館)、阿刀田令造(旧制二高)らが中心  「重訂 宮城県郷土史年表」P424/「目で見る仙台の歴史」P159  「目で見る仙台の歴史」P159に、創刊号、小倉博氏と阿刀田令造氏肖像 
仙台市公報 創刊  1935年(S10)/1948年(S23)  <戦前> 1935年(S10)4月20日創刊
<戦後> 1948年(S23)6月1日、改めて発行 
「仙台市史 年表」P108/「仙台市史10 年表」P285、P318   
新聞社(明治) 創刊年  明治年間  *「宮城新聞」 創刊 1973年(M6)4月3日、仙台初の新聞
*「東北新聞」 創刊 1973年(M6)5月8日
  →M10年1月「仙台新聞」と改称(仙台初の隔日刊紙となる)
  →M11年1月に「仙台日日新聞」(仙台初の日刊紙)
  →M13年に「陸羽日日新聞」(M13年に3度の発行停止処分)
  →M16年に「奥羽日日新聞」
  →M37年に「奥羽新聞」と改称
* 自由党系の「自由新報」「東北自由新報」
  1882年(M15)、言論機関への統制・弾圧が強まり、発行停止処分
*「東北新聞」(松田常吉ら) 創刊 1892年(M25)1月
*「東北日報」(秋葉忠七ら) 創刊 1892年(M25)2月15日
*「河北新報」創刊 1897年(M30)1月17日、 一力健治郎が「東北日報」を買収し創刊 → 以下、項目「河北新報社」へ 
「仙台市史 年表」P80、P82、P90   
新聞社(戦後) 創刊年  戦後  * 1949年(S24)、「人民新聞」を「東北日報」と改題して続刊
* 1960年(S35)5月25日、福島民友新聞社が、「民友新聞・宮城」朝夕刊を発行
 
「重訂 宮城県郷土史年表」P535/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P290   
藤崎(戦前期) 創業/大町4丁目へ進出  1819年(文政2年)/1879年(M12)  * 1819年(文政2年)、得可壽屋(えびすや、現・藤崎)、(旧)大町2丁目1番地の地に太物商として創業
・ 当時の屋号はエビスヤ(「えべすや」と発音していたと伝えられている)
・ 〇にエの字を配し至誠一貫の意を表す横棒を入れて店印とした

* 1879年(M12)、大町4丁目(東一番丁北西角)に進出、小売部を開店(M15年より、正札販売) / 大町2丁目を本店(ほんだな)、大町4丁目の店を出店(さきだな)と呼ぶ / 木綿から絹織物までを扱う呉服店 
「藤崎170年のあゆみ」P22、P42/同P196~197に、創業~1989年(H元年)までの年表あり/「東一番丁創立五十周年」P8/「番丁詳伝」P42~43/「重訂 宮城県郷土史年表」P266/「番丁詳伝」P40   
仙台鉄道管理局 創設  1919年(T8)  * 1919年(T8)5月1日、鉄道院が、清水小路に仙台鉄道管理局創設
* 1920年(T9)、仙台鉄道局と改称
* 1950年(S25)8月1日、仙台鉄道管理局と改称 
「仙台市史 年表」P98/宮城縣郷土史年表 P373、P544  99-098/「目で見る仙台の歴史」P150に、「仙台鉄道局庁舎(大正8年)」 
水道事業 創設~第2次拡張  1913年(T2)~1954年(S29)  仙台市の水道事業

<創設 水源:大倉川表流水>
* 1913年(T2)4月着工~1923年(T12)3月完工、
  ・計画給水人口12万人、実際の給水人口約3万人

<第1次拡張事業 青下川貯水池3池>
* 1931年(S6)8月着工~1934年(S9)3月完工
  ・累積給水人口18万人

<仙台空襲で被災、戦後の水不足>
* 仙台空襲(昭和20年7月)で全給水戸数の44%が被災、戦後は海外からの引き揚げ者帰国と駐留軍(米軍)の需要で、一気に水不足

<第2次拡張事業 名取川伏流水を揚水>
* 1948年(S23)10月着工~1955年(S30)6月完工
  ・累積給水人口25万人
* 1953年(S28)、大年寺配水池使用開始 
「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P485~487  「市民の戦後史(仙台市)」P90(大年寺山配水池) 
住宅団地 加茂団地  1975年(S50)  * 1975年(S50)3月18日、起工式(泉市上谷刈赤坂)
* 1981年(S56)6月6日、公設小売市場開設
* 1988年(S63)4月、団地に加茂老人憩いの家完成 
「続・ 宮城県郷土史年表」P38/「続・ 宮城県郷土史年表」P130、P245   
火災(地域) 北五十人町など  1891年(M24)  * 1891年(M24)5月19日、北五十人町・角五郎丁で、25戸が焼失  「仙台市史 年表」P87   
仙台市電 北仙台線 開通~廃止  1937年(S12)10月~1969年(S44)3月  ・ 北四番丁~北仙台駅間、1.2キロ

* 1937年(S12)10月26日開通~1969年(S44)3月31日廃止
  (「仙台市史 年表」P109では、S12年10月25日に営業開始)
* 1968年(S43)9月、北仙台線廃止決まる
* 1968年(S43)9月11日、北仙台線撤去に反対する学生等が仙台市議会議場に乱入
* 1969年(S44)3月31日、北仙台線廃止 
「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P518/「昭和史とともに 仙台市電 その50年」P187~189/「文集 仙台市電」末尾年表/「仙台市史 年表」P109、P126/「重訂 宮城県郷土史年表」P642、P647  53-90/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P519に北仙台線軌道俯瞰写真/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P166の写真44は、北仙台線最終日の市電/「市民の戦後史(仙台市)」P218(北仙台線の軌道俯瞰、廃止反対して議場に押しかけたヘルメット姿の学生たち) 
盲人専用信号機 北六番丁交差点  1969年(S44)  * 1969年(S44)3月4日、北六番丁交差点に設置(全国初)  「重訂 宮城県郷土史年表」P647   
第二高等学校(旧制) 北六番丁校舎時代  1926年(T15)~1945年(S20)  <北六番丁校舎時代>
東北帝国大学法文学部設置にあたり片平丁の校地を提供して、北六番丁(現・東北大学農学部)に移転した
* 1925年(T14)7月、北六番丁校舎へ移転(「宮城県百科事典」P637)
* 1926年(T15)10月9日、二高新築校舎、尚志会運動場落成(「重訂」P404、「仙台年表」P197、「市史10 年表」P268)
* 1927年(S2)、自治問題や明善寮管理問題をめぐり校長排斥のストライキ
* 1934年(S9)12月28日、旧制二高7名と東北帝大ボート部員3名、松島湾で突風吹雪のため遭難、10人死亡(「重訂」P443、「市史10 年表」P284)

<護国尚志会>
* 1941年(S16)1月8日、第二高等学校護国尚志会発会式(「市史10 年表」P300)
* 1944年(S19)7月20日、第二高等学校護国尚志会、二高総蹶起大会挙行(「重訂」P502、「市史10 年表」P308)

<戦時中、修業年限短縮>
* 1941年(S16)10月16日、勅令第924号「大学学部等ノ在学年限又ハ修業年限ノ臨時短縮ニ関スル件」により、大学・高等専門学校、中等学校での就業年限を6か月短縮 / この年は12月に、翌年3月卒業予定者を繰上げ卒業
* 1942年(S17)8月21日、修業年限3年から2年に短縮(中等学校は5年を4年に短縮)
* 1943年(S18)1月21日、大学令改正で、大学予科、高等学校の修業年限を3年間から2年間に短縮(「市史10 年表」P304、「菅家」P30)

<終業年限短縮 ​Wikipedia「旧制高等学校」より転記>
「太平洋戦争が激化すると、非常時の臨時措置として1942年、43年には半年繰り上げの2年半で、また、1943年入学の学年からは法改正により正式に修業年限が2年に短縮された。ただし、終戦直後の1945年9月に再び修業年限3年に改められたため、2年の年限で卒業したのは1943年入学の学年だけである。 」

<校舎焼失>
* 1945年(S20)7月10日、仙台空襲で、北六番丁校舎焼失(その後、三神峯に移転) 
「宮城県百科事典」P637/岩波ブックレット「年表 昭和史」P18/「重訂 宮城県郷土史年表」P404、P443、P502/「仙台年表」P197 /「仙台市史10 年表」P268、P284、P300、P304、P308/菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P30/「NHK仙台放送局60年のあゆみ」P10/「菅家年表」P36/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P312/新・目で見る仙台の歴史」P148/「仙台市史 特別編4 市民生活」P536

​Wikipedia「旧制高等学校」2020年8月版 
53-4153-42/「新・目で見る仙台の歴史」P148(S2年、校長排斥スト、講堂で集会と決議文)/「目で見る仙台の歴史」P160(松島湾ボート遭難30分前の写真) 
藤崎(戦前期) 北売場 開店~焼失  1935年(S10)~1945年(S20)  * 1935年(S10)12月14日、「藤崎北売場」開店
・ 東一番丁・大町角(北西角)の梅川漆器店舗跡地に建設
・ 木造、地下1階地上3階建
 
* 1945年(S20)7月10日、仙台空襲で焼失 
「藤崎170年のあゆみ」P203  53-3364-03/七夕飾りは20-3220-48/「藤崎170年のあゆみ」P203に全景写真/「番丁詳伝」P43/地図は98-110 
火災(地域) 北山  1876年(M9)  * 1876年(M9)3月5日、北山で火災、一帯が焼失し、輪王寺、資福寺、覚範寺、東昌寺、寂光寺なども類焼  「仙台市史 年表」P81   
霊園/墓園 北山霊園  1948年(S23)/1951年(S26)  仙台市が、市北部北山町の高台に面積5.3haの霊園を造成し、戦災を受けた元寺小路地区の4寺社の墓地(0.86ha)を移転するとともに、同墓園周辺地区を拡張し市営墓地として市が経営

* 1948年(S23)10月、仙台市が、元寺小路や東三番丁の墓地を移転させるため造営開始
* 1951年(S26)10月に一部完成し、墓地移転が始まる / 戦災復興整理区域内の11寺院のうち、区域内に墓地をもつ社寺(満願寺、光円寺、大聖寺、宮城県神職会)に、新造成した北山霊園の一部を、墓地用地(5.7ha)として配分
* 1952年(S27)までに、4社寺の有縁墓地1648基移転終了、無縁墓地600基は各墓地内に万霊塔を建て納骨
* 1956年(S31)6月、残りの用地(7.8ha)は市営墓地とし、市民に開放
・霊園東の入り口に戦災死亡者の記念碑がある
 
「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P331~333、P743~744/「仙台市史 年表」P115、P117  「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P743(北山霊園)/「目で見る仙台の歴史」P171(北山霊園の空襲犠牲者慰霊供養碑)/同P178(霊園) 
芭蕉の辻の城櫓風建物 北西角の入居者、変遷    芭蕉辻北西角の建物は、
* 奥田金物店 →1911年(M44)に共済生命保険 →1929年(S4)に社名改称し、安田生命保険
* 1887年(M20)7月10日、仙台空襲で焼失
* 1971年(S46)2月3日、芭蕉の辻北西角に安田生命保険相互会社が、仙台ビルを建設するにあたり、かつての「芭蕉の辻道標」と「棟の竜屋根瓦」を再現し除幕式 
粟野邦夫「芭蕉ノ辻」P15/「重訂 宮城県郷土史年表」P668  98-02344-2299-02399-02444-0699-02799-02820-1853-52 
大型店・量販店 十字屋  1972年(S47)~2005年(H17)  * 1972年(S47)4月20日、十字屋仙台店オープン(仙台駅西口前、百貨店)
* 1974年(S49)11月5日、増築オープン
* 2005年(H17)、閉店(当時はダイエーの100%子会社) 
「わが心の仙台駅前史」年表/「続・ 宮城県郷土史年表」P8/「仙台市史 特別編4 市民生活」P41/「続・ 宮城県郷土史年表」P34   
がん検診センター(宮城県対がん協会) 協会結成/検診センター完成  1958年(S33)/1968年(S43)  * 1958年(S33)9月、宮城県対がん協会結成(北七番丁)
* 1960年(S35)、集団検診車登場、東北各地に出張診断
* 1963年(S38)8月、第1回がん対策推進全国大会、仙台で開催
* 1963年(S38)9月、第15回保健文化賞受賞(間接撮影装置の開発とその車両化、広範ながん対策推進の功績に対し)
* 1964年(S39)9月、婦人科がん検診車完成(農協婦人部中心に拠出)
* 1966年(S41)6月、検診車「第二きぼう号」稼働
* 1967年(S42)1月、河北文化賞受賞
* 1967年(S42)9月2日、宮城県対がん協会検診センター着工
* 1968年(S43)6月10日、宮城県がん検診センター完成(北六番丁、鉄筋コンクリート5階建て / 全国初)
* 1979年(S54)12月3日、乳がん検診車稼働
* 1981年(S56)5月11日、新らたながん検診センター(上杉6丁目)診療開始
* 1986年(S61)9月5日、対がん協会に、きぼう18号・しあわせ3号の検診車両配備 
「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P734~736/「重訂 宮城県郷土史年表」P634、P640/「続・ 宮城県郷土史年表」P104、P128、P210/「市民の戦後史(仙台市)」P146  「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P735(がん検診車)/「市民の戦後史(仙台市)」P146(第1回がん対策推進全国大会)/「新・目で見る仙台の歴史」P195(胃の集団検診車「きぼう」、カラー) 
戦勝祝賀行事 南京陥落  1937年(S12)12月  南京陥落(日中戦争)では、昭和12年12月14日の夜に東京や大阪などで祝戦捷提灯行列が行われている 

<仙台でも祝賀行事が行われた>
* 1937年(S12)12月13日、南京を完全に占領し、この日皇軍南京に入城す(「重訂 宮城県郷土史年表」P460)
* 1937年(S12)12月14日、県市主催、南京陥落記念式挙行(「仙台市史10 年表」P291)
* 1937年(S12)12月14日、南京陥落の祝勝行事が行われる(「市史年表」P109)
* 南京陥落の際は、市を挙げて2万人の提灯行列が行われた(「近代みやぎの歩み」「仙台市史 続編第1巻」)
* 1937年(S12)12月13日(14日の間違いか?)、NHK仙台中央放送局、南京陥落祝賀提灯行列の模様を針金磁気録音機で録音し、ニュースで放送 
「重訂 宮城県郷土史年表」P460/[仙台市史10 年表]P291(出典:仙台市公報)/「仙台市史 年表」P109/「近代みやぎの歩み」(佐々久・著 1979年)P97/「仙台放送局60年のあゆみ」P11/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)P8   
住宅団地 南光台団地  1962年(S37)  * 1962年(S37)、南光台団地造成開始  「仙台市史 年表」P122   「市民の戦後史(仙台市)」P190 
仙台市営地下鉄 南北線開業  1987年(S62)  泉中央駅~富沢駅間、14.8km

* 1981年(S56)5月7日、起工式
* 1982年(S57)7月13日、地下鉄の市街工事、広瀬通工区から始まる
* 1982年(S57)12月21日、旭ヶ丘トンネル工事で到達式
* 1985年(S60)10月25日、八乙女~台原間が完成
* 1986年(S61)4月、北四番丁以北が完成

* 1987年(S62)2月9日、広瀬通駅に「星空のプロムナード」、除幕式
* 1987年(S62)2月27日、勾当台公園駅に「空間デザイン創造の森」完成
* 1987年(S62)4月16日、地下鉄仙台駅に「デザイン壁」完成

* 1987年(S62)7月14日、仙台市地下鉄開業祝賀式
* 1987年(S62)7月15日、地下鉄南北線、八乙女~富沢間(約14キロ)で開業(東北初の地下鉄)
* 1987年(S62)9月1日、駅の有料駐輪場営業開始(旭ヶ丘、台原、河原町、長町、長町南の各駅)
* 1992年(H4)、泉中央駅まで延伸
 
「仙台市史 年表」P132、P135/「続・ 宮城県郷土史年表」P148、P154、P196、P204、P226、P219、P220、P222、P229/仙台市HP「仙台市のあゆみ」  「新・目で見る仙台の歴史」P198(走行する仙台地下鉄)/「仙台市史 特別編4 市民生活」P219(S62、開業式、ミス仙台が花束贈呈、広瀬通駅の星空のプロムナード、カラー) 
映画館(戦後) 南日乃出劇場  1974年(S49)  * 1974年(S49)11月、長町1丁目にオープン  「続・ 宮城県郷土史年表」P34   
火災(地域) 南町大火  1919年(T8)  * 1919年(T8)3月2日未明、南町「電話横丁」北側から出火、折からの強風で南町から東二番丁まで燃えひろがり、12ケ町を焼き払って午前7時半鎮火、明治以降最大の出火災害となった / 仙台郵便局・電話交換局・東北学院中学部校舎・芭蕉館・横浜火災を含む700余戸余が焼失(「仙台市史 続編第1巻」P363では、焼失698戸 / 「仙台あのころこのころ八十八年」P243では707戸焼失) / この大火で南町は拡幅され大通りとなった

* 1927年(S2)、火災地の道路改修、8年がかりの区画整理工事完了
  (良覚院丁、南町、南町通、柳町、柳町通、北目町、北目町通、東一番丁の各町内の、全部または一部) / 東一番丁は大町角の藤崎以南が拡幅され、通称「大通り」となった 
「目で見る仙台の歴史」P156/「仙台市史 年表」P98 / 「絵葉書で綴る大正・昭和前期の仙台」P107/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P363~364/「番丁詳伝」P166  「絵葉書で綴る大正・昭和前期の仙台」P106~107の写真/「目で見る仙台の歴史」P156に「南町大火の焼け跡」 
東北学院中学部 南町時代(普通科)  1895年(M28)  <南町>
* 1895年(M28)、予科、本科を改組し、普通科5年、その上に専修科(文科、理科)2年、さらにその上に神学部3年を置く 
「東北学院創立七十周年写真誌」P11~12  「東北学院創立七十周年写真誌」P11の写真 

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県立学校、名称変更
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興亜奉公日/大詔奉戴日
公会と隣組
公害・環境問題
公害市民憲章
公害防止条例
光化学スモッグ
公職追放/追放解除
公設浴場
交通監視用テレビ
高等学校(新制)
勾当台公園
工兵第二大隊 /工兵第二連隊
公民館
江陽会館
国際反戦デー
国定公園
国鉄
国道45号線
国道48号線
国民学校
国民義勇隊
国民金融公庫
国民勤労動員令
国民健康保険
国民精神総動員運動
国民登録/勤労報国隊
国民徴用令
国立仙台病院
国民服
国民帽
こけし塔
五色沼
国旗掲揚
子ども会など
午砲
米騒動
在外同胞救出仙台学生同盟
在郷軍人会
在住朝鮮人大会
斎藤報恩会
蔵王エコーライン
桜ケ岡公園(西公園)
桜ケ岡大神宮
サマータイム
産業組合中央会
三居沢交通公園
三陸自動車道
JR東日本
自衛隊
市街化区域
市街地住宅
自警団
時差出勤
思想弾圧/共産党員検挙
四大節
七十七銀行
市町村合併
輜重兵第二大隊 /輜重兵第二連隊
実業補習学校
自動車
自動車専用道
シネマスコープ
師範学校
紙幣・硬貨(戦後)
姉妹都市
市民の家
市民のつどい
市民福祉会館
市民土曜音楽会
市民利用施設
社会教育(戦後)
釈迦堂
車両ナンバー
週休二日制
住居番号表示制
住宅団地
柔道・剣道
祝賀行事
主食配給量
殉国勇士の家
障害者福祉
鐘景閣
松根油
定禅寺通り
昭忠碑
商店など
常磐線
消費者団体
消防組/防護団/警防団/消防団
昭和三陸大地震津波
食糧メーデー
女子挺身勤労令
女子挺身隊
シルバー人材センター
新憲法
新国丁
震災遺構
新産業都市
新住居表示制度
親切運動
新仙台港
身体障害者福祉モデル都市
仁丹マーク
進駐軍(米軍)
新寺小路地区都市改造事業(区画整理)
新伝馬町商店街
新常盤町(遊郭)
新聞社
人力車
水害
水道事業
瑞鳳殿
スパイクタイヤ
スポーツ少年団
スポーツセンター
スポーツ大会
隅櫓
青少年団
清掃事業(行政)
清掃工場
政党県支部など(戦後)
青年訓練所
青年学校
青年団
税務署
精養軒
政令指定都市
セコイヤの化石
戦後開拓
戦後教育・仙台
戦後の物資・価格統制撤廃
戦後復員/引揚げ
戦災記録
戦災者・引揚者用住宅
戦災復興
仙山線
戦時衣料
戦時下の学園
戦時中の勤労動員/就労規制
戦時中の疎開者受入れ
戦時中の物資統制、使用規制
仙集館
戦勝祝賀行事
仙石線
仙台朝市
仙台アメリカ文化センター
仙台育児院
仙台駅
仙台オープン病院
仙台卸商センター
仙台偕行社
仙台歌舞伎座
仙台簡易保険局
仙台軌道(仙台鉄道)
仙台郷土研究
仙台空港
仙台空港アクセス鉄道
仙台空襲
仙台空襲後の空襲
仙台高等工業学校
仙台合同庁舎
仙台国際センター
仙台国税局
仙台座
仙台市(名称変遷)
仙台CIE図書館
仙台市営地下鉄
仙台市営バス
仙台市街自動車
仙台市科学館
仙台市公会堂
仙台市公報
仙台市視聴覚教材センター
仙台市市民文化事業団
仙台市制
仙台市戦災復興記念館
仙台市電
仙台市天文台
仙台自動車学校
仙台市農業協同組合
仙台市の工業
仙台市の消防
仙台市の動物園
仙台市の特徴ある条例・宣言・憲章・事業
仙台市の農村・農業
仙台市の花・木・鳥・虫
仙台市博物館
仙台市武道館
仙台市兵事義会
仙台市ボランティアセンター
仙台市ミートプラント
仙台市民会館
仙台市民ギャラリー
仙台市民教養センター
仙台市民図書館
仙台市民の消費生活を守る条例
仙台市民文化センター
仙台市紋章
仙台市役所庁舎
仙台ショーハウス
仙台商業会議所/仙台商工会議所
仙台城二の丸焼失
仙台庶民金庫
仙台市立病院
仙台市歴史民俗資料館
仙台信用金庫
仙台スタジアム
仙台赤十字病院
仙台専売支局
仙台専門店会
仙台七夕
仙台鎮台
仙台鉄道管理局
仙台電報局
仙台東部道路
仙台東宝劇場
仙台トラック輸送センター
仙台南部道路
仙台西道路
仙台の裁判所
仙台バイパス
SENDAI光のページェント
仙台美術館
仙台平
仙台フィルハーモニー管弦楽団
仙台復興祭グランドフェア
仙台物産陳列所
仙台北部道路
仙台ホテル
仙台陸奥館
仙台郵便貯金会館
仙台臨海鉄道
戦没者遺骨調査・収集
戦没者慰霊
創価学会会館
総進軍大会
体育館
体外受精
大学・短大
大学紛争
大政翼賛会/新体制/公会/報国会
第二高等学校(旧制)
第二師団
第二師団凱旋記念満蒙軍事博覧会
第十三師団
第三十三師団
第四十二師団
大日本国防婦人会
大日本婦人会
大日本連合婦人会
台原森林公園
台風被害(戦後)
多賀城跡
高橋是清
タクシー
宅地造成ブーム
竹槍訓練
立町小学校
谷風の墓所
多門師団凱旋
多門通り
男女共学
地価狂乱
乳銀杏
ちびっこ広場
駐留軍(米軍)
彫刻のあるまちづくり事業
鳥獣特別保護区
朝鮮館
朝鮮人移入労働者
朝鮮戦争
樗牛瞑想の松
チリ地震津波
榴ケ岡公園
堤人形
ツルヤ洋菓子店とカフェ・クレーン
デイケアー
貞山運河(貞山堀)
逓信関連
停電
出稼ぎ者相談所
テレトピア構想
テレビアンラジオ
テレフォンカード
電気開始(仙台)
電球
電信開始(仙台)
天神社
伝染病流行
伝統町名保存
天皇、仙台行幸
電力ホール
電話
電話開始(仙台)
土井晩翠
東一マーケットと中央マーケット
洞雲寺
灯火管制
東京オリンピック(昭和)
東照宮(仙台)
東部復興道路
同胞援護会
東邦生命ビル
東北学院
東北産業博覧会
東北自動車道
東北新幹線
東北振興/農村更生
東北大学
東北大学病院
東北鎮台 →仙台鎮台 →第二師団
東北帝国大学
東北電力
東北本線
東北楽天ゴールデンイーグルス
東北歴史資料館
東北六魂祭
東北絆まつり
遠見塚古墳
特別調達庁
都市型CATV
特急はつかり
特急ひばり
トラックターミナル
名掛丁商店街
仲の瀬橋(広瀬川)
長町駅
奈良原式鳳号
西内楽器店
西公園(桜ケ岡公園)
西本願寺別院(東一番丁)
二十人町
日米野球
ニッカウイスキー工場
日本銀行
日本生命館
日本鉄道
日本農民組合
ネオンサイン
年賀郵便
年中行事(まつり)
乗合馬車
敗戦後の諸相・仙台
廃藩置県(仙台県誕生)
バカンス(流行語)
爆弾三勇士の歌
博覧会・フェア
芭蕉の辻
芭蕉の辻商館
芭蕉の辻の城櫓風建物
芭蕉の辻の洋館
バス
バスプール
バス優先レーン
支倉常長(記念碑/銅像)
発電事業
パテー館
花火大会
針久旅館支店(仙台駅前)
ハリストス正教会堂
藩祖政宗公三百年祭
藩祖政宗公の記念祭
東一番丁(商店街)
東一番丁大火
東一番丁百年祭大仮装行列
東二番丁尋常小学校
東二番丁通り(拡幅)
東日本大震災
光ヶ丘天使園
飛行船「雄飛号」
飛行大会
ひとにやさしいまちづくり条例
ヒトラーユーゲント一行が来県
日乃出映画劇場
ひらつか(東一番丁)
ビル建設
広瀬川の清流を守る条例
広瀬通り
広瀬橋(広瀬川)
プール
フェリー
俯瞰撮影禁止など
福祉ボランティアのまちづくり事業
富国生命館(国分町)
藤崎
フジビール
婦人参政権獲得運動
婦人の社会活動(戦後・仙台)
婦人標準服
普通選挙要求運動
物価上昇
二日町大火
復興盆踊り
仏舎利塔
ブラザー軒
文化キネマ/文化劇場/仙台松竹映画劇場
文学碑など(仙台)
文化勲章
文化財指定
文化横丁
兵役制度
米軍進駐
兵事義会/銃後奉公会
ベガルタ仙台
ペデストリアンデッキ
ヘレンケラー女史
奉安殿
防空演習
ポケットベル
歩行者天国(東一番丁)
ホテル
歩兵第4連隊
歩兵第104連隊
本土決戦体制
政宗卿騎馬像
政宗卿平服像
松島座/パテー館/仙台日活館/仙台日活劇場
松島パークホテル
松永正敏中将
松原街道
マナスル登頂成功
丸光
満年齢
満蒙開拓
右側通行
水の森スケート場
三越(仙台店)
緑と花いっぱい運動
緑の団地条例
南町大火
南町通り(多門通り)
三原時計店
宮城学院
宮城教育大学
宮城県沖地震
宮城県会議事堂(明治時代)
宮城県旗の図案
宮城県弘報誌「みやぎ」
宮城県県民の森
宮城県護国神社
宮城県社会福祉事業会館
宮城県スポーツセンター
宮城県青年会館
宮城県青年の船
宮城県第二総合運動場
宮城県庁舎
宮城県町村会館
宮城県図書館
宮城県美術館
宮城県物産陳列場(芭蕉の辻)
宮城県物産陳列場/商品陳列所 /商工奨励館
宮城県武道館
宮城県民会館
宮城県理科教育センター
宮城県立青年の家
宮城控訴院(赤タイル庁舎)
宮城交通
宮城集治監
宮城電鉄
宮城野駅/仙台貨物ターミナル駅
宮城の塔(沖縄)
宮城野通り
宮城婦人会
宮沢の一銭橋
宮沢橋(広瀬川)
民生委員/児童委員
民間放送(仙台)
無線中継所
陸奥国分寺跡
陸奥国分尼寺跡
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メートル法
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