仙台よみとき用語年表
検索結果
全33ページ中、11ページ目 (総数:1622件)
最初  | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |  最後
項目 小項目 内容 出典/参考資料 関連映像
銀行(地域の銀行) 松良銀行  1900年(M33)  * 1900年(M33)7月4日、松良銀行、合議会社で開業(東四番丁) / 木造2階建て下見板張りの洋風建築 / 松良盤植による個人銀行 / 夫人みつと共に常盤木学園高等女学校も創立した  「仙台市史 特別編4 市民生活」P350/「仙台市史 年表」P91/「目で見る仙台の歴史」P136/「新・目で見る仙台の歴史」P132  「目で見る仙台の歴史」P136/「新・目で見る仙台の歴史」P132 
映画館(戦後) 松竹映画劇場  1946年(S21)  * 1946年(S21)4月、南町通12に開設(560席)  「重訂 宮城県郷土史年表」P510   
映画館(戦前・戦後) 松島座/パテー館/仙台日活館/仙台日活劇場  1885年(M18)~   → 項目「松島座/パテー館/仙台日活館/仙台日活劇場」参照     
松根油 松を伐採  1944年(S19)~1945年(S20)  * 1944年(S19)1月、栗原郡長岡村より高清水町に至る国道筋の古松の並木、“応召”により伐採に取りかかる(「重訂 宮城県郷土史年表」P500)

* 1944年(S19)10月20日、松根油等緊急増産対策措置要綱決定
* 1945年(S20)3月16日、松根油等拡充増産対策措置要綱、閣議決定
   ・松根、桧ノ根、針葉樹ノ枝葉樹皮等モ本増産ノ対象
   ・(要員確保)農山漁村所在労務、農業出身工場労務者ノ帰農、農家ノ子弟タル国民学校卒業者、中等学校学徒動員
   ・乾溜釜ヲ速カニ設置 ・精製工場ノ急速整備

「仙台市御立場町(現・宮城野区東仙台一丁目)の松原街道(現在の宮城県道8号仙台松島線)の両端に沿って松並木が存在していたが、樹齢300年以上の松もふくむすべての松並木が松根油(しょうこんゆ)採取のために伐採されている」(地元学の会『松原街道にそったまち ひがしせんだい 東仙台一丁目~五丁目・松岡町』(みやぎの区民協議会 仙台市宮城野区役所 2005年刊) 
「重訂 宮城県郷土史年表」P500/国立国会図書館リサーチナビ/ウィキペディア「松根油」   
藤崎(戦後期) 東館 開店  1971年(S46)  * 1971年(S46)11月、「東館」を建設  「藤崎170年のあゆみ」P196~197   
火災(地域) 東部飲食店街  1970年(S45)  * 1970年(S45)7月10日、アパートなど10棟2500㎡焼失、37世帯94人被災  「重訂 宮城県郷土史年表」P659   
幹線道路 東部復興道路  2019年(R1)  * 2019年(R1)11月30日、仙台市の東部復興道路(かさ上げ道路、総延長10.2㎞)が全線開通

「東部復興道路は、仙台市宮城野区蒲生から若林区藤塚までの延長10.2km(県道区間6.8km、市道区間3.4km)からなり、約6mかさ上げし、海岸堤防、海岸防災林との多重防御で津波被害を軽減し、内陸側の既存集落や防災集団移転先の安全確保を図るためのもので、津波に対する多重防御の要となるものです。」(復興庁HPより)

仙台市が東日本大震災で被災した沿岸部に整備 / 約6メートル盛り土をして堤防機能を持たせた / 30日、若林区の震災遺構荒浜小学校で記念式典 
河北新報記事(2019年12月1日)/復興庁HP   
仙台市営地下鉄 東西線開業  2015年(H27)  八木山動物公園駅~ 荒井駅間、計13.9km

* 2005年(H17)4月25、地下鉄東西線工事施行が許可
* 2007年(H19)11月、本体工事着工
* 2015年(H27)12月6日、開業 
仙台市HP「仙台市のあゆみ」/Wikipedia「仙台市地下鉄」   
銀行(都市銀行) 東海銀行  1978年(S53)  * 1978年(S53)11月14日、東海銀行仙台支店開設  「続・ 宮城県郷土史年表」P88   
銀行(都市銀行) 東洋信託銀行  1973年(S48)  * 1973年(S48)10月8日、東洋信託銀行仙台支店が東五番丁・名掛丁角に新築移転  「続・ 宮城県郷土史年表」P23   
スポーツ大会(戦後復興期) 東日本軟式野球  1950年(S25)  * 1950年(S25)秋、第1回東日本軟式野球大会(宮城球場)  「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P470   
民間放送(仙台) 東日本放送(KHB)  1975年(S50)  * 1975年(S50)10月1日、テレビ放送開始(社屋は上杉2丁目)、コールサインJOEM-DTV   「仙台市史 年表」P130/「続・ 宮城県郷土史年表」P45   
高等学校(新制) 東北高等学校(学制改革~昭和末)  1947年(S22)~1988年(S63)  <学制改革により高校に>
* 1947年(S22)、東北中学校、設立
* 1948年(S23)、東北高等学校および東北商業高等学校を設立
* 1951年(S26)、学校法人南光学園と法人名を改称
* 1960年(S35)、東北商業高等学校と東北高等学校を統合して東北高等学校とし、普通部および商業部を置く
* 1962年(S37)、創立記念日と開校記念日を統合し、9月3日を創立記念日とする / 帽章「南光」の文字を「東北」と改む
* 1963年(S38)、北校舎(鉄筋コンクリート4階建)落成 / S39年に、鉄筋コンクリート3階建管理棟完成、屋外スケートリンク完成
* 1964年(S39)、東京オリンピック出場選手(5名の卒業生)の壮行会を行う。 陸上競技 誉田 徹・油井 潔 自転車競技 赤松俊郎・河内 剛 柔道 神永昭夫
* 1970年(S45)、創立75周年記念体育館落成(フロア、柔道場、剣道場、レスリング場)
* 1974年(S49)、屋外プール竣工、卓球場、食堂落成、鉄筋コンクリート4階建西校舎落成
* 1977年(S52)、トレーニングセンター竣工
* 1978年(S53)、第2体育館落成
* 1980年(S55)、独自の夏季制服を制定 / S58年、独自の通年用制服(ブレザー)を制定
* 1986年(S61)、相撲場を新設、道場開き
* 1987年(S62)、第二校地(仙台市泉実沢)を取得 / S63年に“Athle Field 21”(アスレ・フイールド・トウエンティ・ワン)と命名、体育施設地鎮祭挙行
 
「仙台市史 年表」P91/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P513~514/「東北高等学校」HP   
高等学校(新制) 東北高等学校(前史)  1948年(S23)  <前史>
* 1894年(M27)、東三番丁に私立東京数学院宮城分院創設 / 校名を仙台数学院と改称
* 1898年(M31)、北一番丁に新築移転
* 1900年(M33)、私立東北中学校設立
* 1911年(M44)、社団法人宮城県私立東北中学校と改称
* 1920年(T5)、財団法人東北中学校と改称
* 1929年(S4)、市内原町小田原字南光沢に移転
* 1930年(S5)、財団法人南光学園と改称/東北商業学校設立
* 1939年(S14)、財団法人東北薬学専門学校設立
* 1943年(S18)、戦時の国策に従い東北商業学校を転換して東北農業学校を設置
* 1947年(S22)、東北農学校を廃止し、東北商業学校に転換 
「仙台市史 年表」P91/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P513~514/「東北高等学校」HP   
高等学校(新制) 東北高等学校(平成時代)  1989年(H1)~2019年(H31)  * 1991年(H3)、通年用制服(8年振り)並びに夏季服装(11年振り)に芦田淳氏のデザインによりモデルチェンジ
* 1992年(H4)、学校週5日制を完全実施
* 1993年(H5)、コース制を導入した総合型高等学校スタート / 普通科に創進、文理、文教の3コース、商業科にビジネス、ザ・コースフェスティーナを置く、
* 1993年(H5)、泉校地に泉キャンパスを設置
* 1994年(H6)、創立100周年 / 泉校地に校舎落成 / H8年、泉校地に東校舎落成
* 1997年(H9)、東北インターナショナルスクール(T.I.S)開校
* 1998年(H10)、小松島校地に新校舎,全天候型グラウンド落成 / 長野冬季オリンピックにフィギュアスケート男子シングルの本田武史・田村岳斗・女子シングルの荒川静香・ペアの荒井万里絵の4名が在学時に出場
* 2001年(H13)、文理コースの男女共学スタート  / H16年、ビジネスコース、フェスティーナ・ジェネラルコースの共学がスタートし、全コース共学となる
* 2009年(H21)、商業科を廃止、普通科を創進コース、文理コース、文教コース、スポーツコースに再編 / 制服を「コムサデモード・スクールレーベル」に変更
* 2010年(H22)、東北インターナショナルスクールが、泉キャンパス東校舎に移転。
* 2017年(H29)、小松島校地に中央校舎(三楽館)完成
* 2019年(H31)、一番町サテライトキャンパス設置 
「仙台市史 年表」P91/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P513~514/「東北高等学校」HP   
高等学校(新制) 東北電子工業高等学校/東北工業大学電子工業高等学校/東北工業大学高等学校/仙台城南高等学校  1960年(S35)/1965年(S40)/1994年(H6)/2013年(H25)  <東北電子工業高等学校>
* 1960年(S35)10月、学校法人東北電子学院、設立 
* 1961年(S36)4月、東北電子工業高等学校を開校
* 1961年(S36)4月、 東北大学片平キャンパス中央講堂で、開校式、第1回入学式 / 電子工学科、無線通信科、別科 / 東二番丁通りの仙台地方貯金局庁舎(現 仙台中央郵便局)とその元庁舎が仮校舎 / 二学期から太白区八木山松波町の校舎に移転
* 1964年(S39)4月、電子工学科を電子科に改称、無線通信の募集停止
* 1964年(S39)6月、普通科教室、体育館完成

<東北工業大学電子工業高等学校>
* 1965年(S40)4月、法人名を学校法人東北工業大学に改称(前年に東北工業大学を開学) / 学校名を東北工業大学電子工業高等学校に改称。
* 1966年(S41)4月、無線通信科を廃止、普通科を設置(普通科、電子科の2学科となる)

<東北工業大学高等学校>
* 1994年(H6)4月、 東北工業大学高等学校に改称 / 普通科を4コース(英数/文系/理系/教養)、電子科を4コース(制御技術/情報技術/電子技術/理数工学)とする
* 1999年(H11)4月、普通科を男女共学とする
* 2004年(H16)4月、電子科を男女共学とする

<仙台城南高等学校>
* 2013年(H25)4月、学校名を仙台城南高等学校に改称。特進科(文系/理系)、探究科(文系/理系)、科学技術科(メカトロニクス/情報通信/情報デザイン/電力技術)の3学科を設置 
「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P511/Wikipedia「仙台城南高等学校」2020年9月2日版   
ビル建設 東北電力ビル  1960年(S35)  * 1960年(S35)8月4日、東北電力ビル(地下1階一部2階、地上9階建、塔屋3階)が東二番丁70に完成 / 東北電力本社 / グランドホテル仙台、電力ホール、貸室、市民図書館分室を併設 / 当時は東北一の大型ビル   「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P596  「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P45(S35年)、P60(S38、カラー) 
スポーツ大会(戦後復興期) 東北陸上競技大会(第1回)  1947年(S22)  * 1947年(S22)8月、仙台市で開催  「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P200   
戦後開拓 東北開拓事務所  1946年(S21)  * 1946年(S21)6月、東北開拓事務所を仙台に設置(東北6県管轄)、国営の開墾、干拓などの工事、国営工事適地の調査等  「重訂 宮城県郷土史年表」P512   
仙台鎮台 東北鎮台を改称  1973年(M6)  * 1871年(M4)11月12日、全国四鎮台のひとつとして仙台城二の丸跡に「東北鎮台」がおかれた
* 1973年(M6)1月、全国六鎮台となり、東北鎮台を仙台鎮台と改称(「仙台城」P231)
* 仙台鎮台は、福島県、宮城県、水沢県を徴兵を行う管轄県として、歩兵第4連隊、騎兵、砲兵、工兵、輜重兵を常備し、また岩手・秋田・山形・青森県から徴兵して青森におかれた歩兵第5連隊をあわせて管轄、函館にも一隊を分遣 / 兵力は、平時4460人、戦時6560人
* 1882年(M15)9月7日、昼、仙台鎮台本営(司令部)火災、二の丸遺構の9割、17~18棟を焼失す(「仙台城」P232)
* 1884年(M17)、仙台鎮台に、新発田(新潟県)の分衛を附属 
* 1884年(M17)、司令部庁舎新築(「目で見る仙台の歴史」P113)

1945年(S20)の敗戦まで仙台は日本の軍都の一つでもあった 
「仙台市史 特別編4 市民生活」P292~298/「仙台城(仙台市教育委員会 昭和42年刊)」P231/「いつか見た街・人・暮らし」P232/「目で見る仙台の歴史」P113/「仙台市史 年表」P79、P80、P86  「仙台市史 特別編4 市民生活」P294(鎮台御用の米搗精所だった六合社) 
博覧会・フェア 東北遺物博覧会  1928年(S3)  * 1928年(S3)4月、東北産業博覧会開催中、宮城県図書館と商品陳列所を会場に、伊達家の宝物を中心に、東北各藩の違宝を陳列した  「目で見る仙台の歴史」P153  「目で見る仙台の歴史」P158に「会場写真」 
仙台空襲 東北軍管区発表/号外記事  1945年(S20)7月10日  <東北軍管区発表 7月10日午前8時>
「B29百機来襲/仙台市街猛爆/各所に火災、生産陣異状なし  敵約百機は今十日零時五分頃より約二時間三十分に亘り仙台市中心部に対し無差別焼夷攻撃を加へ来り市内各所に火災発生せるも概ね五時頃には鎮火せり。市民はかねて準備せられありたる食糧並附近町村よりの炊出しにより本朝直ちに配給を受け逐次指定収容所に復帰し鎮静に帰しつつ市の再建設に向ひ猛進しつつあり。仙台市民は東北一般民衆の粘り強さを如実に発揮しつつあり。」

<河北新報号外 7月10日付>には、
「上記の東北軍管区発表のほか、集団避難の戦災者に、米、味噌、醤油の無料配布を行うこと、片平丁、上杉山通、八幡、東六番丁、連坊小路、五橋、南材木町、南小泉、榴岡、木町通、通町、北六番丁小学校と第二中学校の十三カ所を罹災者収容所とし臨時市役所出張所を設けて罹災証明書、一般物資配給券を交付することにしたことを報じている。」

・ 「救援物資の配給が本格的になされるのは14日からだが、焼のり、コンニャク、塩、茶などで腹を満たすものはなかった。中古衣料は5人以上の家族に1点、タオル1枚、縫い針2本というもので、ちり紙はひとり25枚というような数量であった。」 
「番丁詳伝」P150~151   
仙台空襲 東北軍管区司令部発表  1945年(S20)7月10日  <仙台空襲につき、東北軍管区司令部発表>
(空襲から8時間後の昭和20年7月10日午前10時)
「敵B29約百機は、今10日午前零時5分ごろより約2時間30分にわたり仙台中心部に対し無差別焼夷攻撃を加え来たり。市内各所に火災発生するも午前5時頃にはおおむね鎮火せり。市民はかねて準備したる食料ならびに付近町村よりの炊き出しにより直ちに配給を受け、指定収容所に復帰し、鎮静に帰しつつあり」 
「戦争のころ 仙台、宮城」(石澤友隆著)P226   
銀行(地域の銀行) 東北貯蓄銀行  1934年(S9)~1945年(S20)  * 1934年(S9)1月20日、東北貯蓄銀行は、東北実業貯蓄銀行と宮城貯蓄銀行が合併し、(旧)大町五丁目に設立された(東北実業貯蓄銀行はT4年に本店を志田郡古川町から仙台市に移転)
* 1945年(S20)4月10日、東北貯蓄銀行、七十七銀行へ営業譲渡契約書に調印、一県一行体制が完成 
「仙台市史10 年表」P282、P309/「仙台市史 年表」P107、P113/「重訂 宮城県郷土史年表」P439、P504  東北貯蓄銀行の仙台七夕飾り物「貯蓄校」は20-53、同「東北振興丸」は、83-04 
大学・短大 東北薬科大学 → 東北医科薬科大学  2016年(H28) ~  <東北医科薬科大学>
* 2016年(H28) 4月、法人名を「学校法人 東北医科薬科大学」に、大学名を「東北医科薬科大学」に、「東北薬科大学病院」を「東北医科薬科大学病院」に変更 / 医学部医学科開設 第1期生入学
* 2016年(H28) 4月、「東北医科薬科大学若林病院」開設
* 2017年(H29) 2月、医学部第2教育研究棟(地上2階建、延面積)完成
* 2017年(H29)9月、「東北医科薬科大学名取守病院」開設
* 2018年(H30) 1月、医学部第1教育研究棟(地上7階建)完成
* 2019年(H31) 1月、東北医科薬科大学病院 新大学病院棟(地上8階建)完成  
東北医科薬科大学HP(2018年)   
大学・短大 東北薬科大学  昭和期(S14年~S63年)  * 1939年(S14)、前身の東北薬科専門学校設置(小田原南光沢)
<東北薬科大学>
* 1949年(S24) 3月、財団法人東北薬科大学設立認可(薬学部薬学科開設)
* 1959年(S34) 4月、附属癌研究所開設 / 7月、北校舎(地下1階地上3階建)完成
* 1962年(S37) 4月、大学院薬学研究科修士課程開設(私立薬科大学で初)
* 1963年(S38) 7月、大学院校舎(4階建)完成
* 1964年(S39) 4月、大学院薬学研究科博士課程開設
* 1965年(S40) 4月、薬学部に衛生薬学科設置開設
* 1966年(S41)、本館(5階建)完成
* 1971年(S46)12月、富谷校地(黒川郡富谷町三ノ関)購入
* 1982年(S57) 3月、ラジオアイソトープセンター(地下1階、地上3階建)完成
* 1984年(S59) 10月、高柳義一先生記念館(地上4階建)完成
 
東北医科薬科大学HP(2018年)/「仙台市史 年表」P116、P320/「重訂 宮城県郷土史年表」P534/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P539  「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P539/「目で見る仙台の歴史」P180/「新・目で見る仙台の歴史」P142 
大学・短大 東北薬科大学  平成期(H6年~H27年)  * 1994年(H6)、仙台校地に青葉区小松島の土地購入(H9年、H16年にも購入)
* 1996年(H8)3月、講義棟(地下1階、地上8階建)完成
* 1998年(H10) 9月、情報科学センター設置
* 2006年(H18) 2月、教育研究棟(地下1階、地上10階建)、ラジオアイソトープセンター(地下1階、地上3階建 )、実験動物センター(地下1階、地上4階建)完成
* 2006年(H18)4月、薬学部に薬学科(6年制)と生命薬科学科(4年制)の2学科設置
* 2008年(H20)4月、図書館・情報センター(地下1階、地上2階建)、学生ホール(地上3階建)完成
* 2009年(H21) 3月、中央棟(地下1階、地上4階建)完成
* 2009年(H21) 4月、大学院薬学研究科薬科学専攻(修士課程)開設
* 2012年(H24)4月、大学院薬学研究科博士課程(薬科学専攻後期課程と薬学専攻)開設
* 2012年(H24)12月、東北厚生年金病院を譲り受ける契約締結
* 2013年(H25) 4月、東北薬科大学病院開設
* 2013年(H25)5月、ロゴマーク制定  
東北医科薬科大学HP(2018年)   
自動車専用道 東北自動車道     → 項目「東北自動車道」参照      
警察学校 東北管区警察学校  1956年(S31)~1975年(S50)3月  場所は、現在(2018年)の榴ケ岡公園内の一角で、かつては(明治時代~昭和20年まで)陸軍第二師団の歩兵第4連隊兵営だったが、戦災にあわず、戦後は進駐軍(米軍)基地(キャンプ・ファウラー)となり、米軍から返還された後に東北管区警察学校が置かれた / 高等部は旗立から、普通部は玉浦から移転
* 1956年(S31)11月30日、開校式
* 1975年(S50)3月、多賀城に移転
* 1975年(S50)5月、跡地(国有地)が、仙台市緑の拠点として払い下げが決まり、榴ヶ岡公園の一部となった

* 移転後の1975年(S50)1月13日から、戦前からの旧・歩兵第4連隊兵舎は解体されたが、一棟だけ残された兵舎が、仙台市歴史民俗資料館となった(S54年11月3日開館) 
「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P800/東北管区警察学校HP/「仙台市史 年表」P131/「続・ 宮城県郷土史年表」P41
 
34-47 
大学・短大 東北福祉短期大学  1958年(S33)~1962年(S37)  * 1958年(S33)4月1日、荒巻伊勢堂に開校
* 1960年(S35)4月、専攻科併設
* 1962年(S37)4月、四年生大学へ昇格
( → 以下、小項目「東北福祉大学」参照) 
「東北福祉大学」HP/「仙台市史 年表」P117/「重訂 宮城県郷土史年表」P556/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P539~540   
大学・短大 東北福祉大学  1962年(S37)~  <前史>
* 1875年(M8)、宮城県曹洞宗専門学支校として現在の仙台市若林区荒町に創立
* 1926年(T15)、栴檀中学校と改称、現在地(国見キャンパス)に移転
* 1948年(S23)、新制栴檀学園高等学校設置
* 1951年(S26)、学校法人栴檀学園となる
* 1956年(S31)、東北社会事業学校、発足

<短大>
* 1958年(S33)、東北福祉短期大学を開学
* 1962年(S37)、東北福祉短期大学を廃止

<大学>
* 1962年(S37)、東北福祉大学を開校(市内伊勢堂)
* 1975年(S50)、栴檀学園高等学校廃止
* 1982年(S57)、国見ケ丘第2キャンパス総合運動施設竣工
* 1986年(S61)、トレーニングセンター(全天候型体育館)完成
* 1989年(H1)、H-one館竣工、芹沢銈介美術工芸館竣工
* 1994年(H6)、音楽堂「けやきホール」竣工
* 2000年(H12)、大学院棟(5号館)竣工
* 2003年(H15)、ウェルコム21竣工
* 2005年(H17)、6号館竣工
* 2007年(H19)、北山キャンパス運動場竣工、ステーションキャンパス館竣工
* 2008年(H20)、東北福祉大学附属病院 せんだんホスピタル開院(精神科・児童精神科・内科)
* 2015年(H27)、仙台駅東口キャンパス開設、通信教育部と東北福祉看護学校を移転
* 2016年(H28)、仙台駅東口キャンパスに「TFUギャラリーMini Mori」開設
* 2018年(H30)、国見ケ丘第2キャンパス陸上競技場改修
* 2019年(H31)、仙台駅東口キャンパスに「芹沢銈介美術工芸館」を移転 
「東北福祉大学」HP/「仙台市史 年表」P117/「重訂 宮城県郷土史年表」P557/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P539~540  「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P540/「新・目で見る仙台の歴史」P142 
博覧会・フェア 東北産業博覧会  1928年(S3)   → 項目「東北産業博覧会」参照     
国鉄(戦後) 1 東北本線以外  1945年(S20)夏~1965年(S40)  <以下は、東北本線、常磐線、仙山線、仙石線を除く、戦後の国鉄関連> 
   東北本線関連は、→ 項目「国鉄(東北本線)」に
   常磐線関連は → 項目「国鉄(常磐線)」に
   仙山線関係は、→ 項目「国鉄(仙山線)」に
   仙石線関係は、→ 項目「国鉄(仙石線)」に

* 1945年(S20)7月5日、国鉄運賃25割値上げ、仙台・東京間往復乗車賃210円となる
* 1945年(S20)秋、駅名を左書きに、平仮名、漢字、ローマ字の三段に(「菅家年表」P35)
* 1945年(S20)10月2日、進駐軍専用の「白帯列車」の運転開始
* 1945年(S20)11月20日、仙台鉄道局、急行列車復活
* 1949年(S24)6月1日、日本国有鉄道(国鉄)と日本専売公社、設立
* 1950年(S25)8月1日、機構改正で、仙台鉄道局は仙台鉄道管理局となる
* 1952年(S27)2月28日、米軍専用の客車「白帯車」を廃止(「菅家年表」P46)
* 1952年(S27)4月1日、進駐軍のRTO(米軍鉄道輸送司令部)廃止、国鉄の自主運行となる(「菅家年表」P46)
* 1952年(S27)9月1日、仙台自動車営業所、貨物運送開始
* 1954年(S29)5月1日、長町操車場営業開始(当時、北日本最大規模、1日3000輌をさばく)
* 1954年(S29)12月20日、国道4号線と東北本線の立体交差橋完成(長町諏訪)
* 1957年(S32)1月16日、仙台に東北支社設置
* 1958年(S33)4月16日、宮城野に仙台貨物駅起工式
* 1960年(S35)7月1日、新運賃制で三等を廃止(2、3等車を1、2等車に改め、3等車の赤切符を廃止)
* 1961年(S36)6月1日、宮城野貨物駅スタート
* 1965年(S40)9月24日、電子計算機による「みどりの窓口」開設 
「仙台年表」P215/「仙台市史 年表」P116/「仙台市史10 年表」P329/「重訂 宮城県郷土史年表」P544、P558、P573、P575、P584、P588、P597、P600、P621/菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P35、P46、P54  「市民の戦後史(仙台市)」P134(S36年6月営業開始した宮城野貨物駅)/「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P46(S33年頃、長町操車場)/同P47(S33年頃、長町操車場の転車台)/同P111(S58、長町操車場、カラー) 
国鉄(戦後) 2 東北本線以外  1966年(S41)~1975年(S50)  * 1966年(S41)3月5日、運賃値上げ、旅客31%
* 1966年(S41)7月、北目町に国鉄ビル完成(地上6階地下1階)
* 1967年(S42)10月1日、常磐線、電化し営業運転を開始
* 1968年(S43)4月1日、国鉄丸森線、槻木~丸森間営業開始
* 1969年(S44)5月9日、運賃15%値上げ
* 1969年(S44)5月10日、1、2等車を廃止、グリーン車ができる(「菅家年表」P63)
* 1970年(S45)1月22日、指定乗車券がコンピューターによる発売となる(「菅家年表」P64)
* 1970年(S45)7月21日、東北支社廃止決定
* 1972年(S47)3月15日、仙台(宮城野駅)~東京間(小名木川駅)、フレートライナー(鉄道とトラック輸送を直結したコンテナ輸送)往復運転開始/ 同日、長距離普通列車228号(青森~上野間)引退
* 1972年(S47)4月1日、運賃改正にあわせて、仙台市内11駅を市内扱いに改正
* 1972年(S47)4月27日、国労・動労が空前のストライキ
* 1973年(S48)12月4日、公労協全日ストで国鉄ダイヤ大混乱
* 1973年(S48)8月、鉄道弘済会の売店をKIOSK(キオスク)と呼称(「菅家年表」P67)
* 1974年(S49)3月26日、国労・動労、正午まで準ゼネスト
* 1974年(S49)4月11日、春闘で空前の交通スト(600万人参加、国鉄初の全面運休)、4月13日収拾
* 1974年(S49)10月、仙台鉄道管理局管内からSLが完全に姿を消す
* 1974年(S49)11月27日、国鉄48時間スト
* 1975年(S50)5月9日、春闘で交通ゼネスト、国労・動労はスト中止
* 1975年(S50)11月26日、公労協・国労・動労などがスト権奪スト、12月4日スト中止(国鉄全線、史上最長の192時間運休)
* 1975年(S50)12月1日、東北公労協ストで、仙山線完全ストップ 
「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P567/岩波ブックレット「年表 昭和史」P55、P56/「重訂 宮城県郷土史年表」P624、P635、P639、P662/「続・ 宮城県郷土史年表」P7、P8、P9、P25、P28、P34、P41、P47/菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P63、P64、P67、P68  「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P569に、仙台の国鉄ビルの写真/「市民の戦後史(仙台市)」P199(S42年3月、国鉄原町操車場空撮) 
国鉄(戦後) 3 東北本線以外  1976年(S51)~1987年(S62)4月  * 1976年(S51)3月17日、公労協春闘24時間ストで国鉄幹線網マヒ
* 1976年(S51)4月20日、交通ゼネストで、常磐線全面運休
* 1977年(S52)4月、仙台発列車のほか古川発にも禁煙列車追加
* 1978年(S53)4月13日、動労などスト突入、長距離列車全面マヒ
* 1980年(S55)4月15日、国鉄・私鉄などストライキ
* 1980年(S55)11月24日、ドカ雪で、東北線全面ストップ、仙石線も戦後初めて不通、仙台市内で11万戸停電
* 1981年(S56)10月1日、国鉄、「フルムーン」を発売
* 1982年(S57)2月15日、仙石線の榴ヶ岡・宮城野原・苦竹・福田町・陸前高砂・下馬・西塩釜駅業務を民間委託
* 1983年(S58)10月2日、仙石線に特別快速列車
* 1985年(S60)3月1日、仙台圏にグリーンライナー新型電車運転
* 1985年(S60)10月11日、閣議、国鉄を1987年4月に6分割・民営化を決定
* 1986年(S61)1月30日、仙台圏の電車は、4人掛けをロングシートに改造
* 1986年(S61)4月25日、仙台圏輸送改善のグリーンライナー第1号が仙台運転所に配属
* 1987年(S62)4月1日、国鉄分割民営化、仙台に東日本旅客鉄道株式会社(JR東日本)東北地域本社が発足、JRグループ11法人と国鉄清算事業団が発足
 
    → <これ以降は、項目「JR東日本」へ> 
岩波ブックレット「年表 昭和史」P66、P68/「続・ 宮城県郷土史年表」P52、P53、P67、P80、P110、P120、P142、P166、P189、P201、P204、P221/菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P75   
国鉄(日本鉄道時代) 東北本線  1887年(M20)~1906年(M39)10月  <日本鉄道時代>
* 1887年(M20)12月15日、開業
   (当時は私鉄・日本鉄道で、塩釜まで開通)
* 同年12月20日、東京・仙台間の開通式挙行
* 1891年(M24)9月1日、仙台~青森間が開通 
「重訂 宮城県郷土史年表」P278/「仙台市史 年表」P86、P87   
仙台駅(戦後) 東北新幹線駅  1982年(S57)  * 1982年(S57)6月23日、東北新幹線、大宮~盛岡間が開業
            新幹線仙台駅開業
* 1985年(S60)3月14日、上野駅まで乗り入れ(上野~盛岡間が直通)
* 1985年(S60)4月11日、仙台駅東口に、東七番丁横断地下道開通
* 1987年(S62)1月10日、仙台駅に、伊達政宗の騎馬像(プラスチック製、高さ4m)設置
* 1987年(S62)4月、JR仙台駅西口広場公共地下道完成(エスパル~ams西武間)
* 1987年(S62)7月15日、西口公共地下道(JR仙台駅~地下鉄仙台駅間)開通(同日に、地下鉄開通) 
「仙台市史 年表」P133/「続・ 宮城県郷土史年表」P148、P189、P190、P218、P226  37-0737-08 /「新・目で見る仙台の歴史」P184(新幹線駅と西側の市街地、俯瞰、カラー)/「新・目で見る仙台の歴史」P130/「仙台市史 特別編4 市民生活」口絵の図4(H8新幹線駅)、図34(H9年、駅周辺一帯空撮、カラー) /「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P114(S60、上野開業を祝う仙台駅)/同P122(H2、仙台駅東口、カラー) 
民間放送(仙台) 東北放送(TBC)  1952年(S27)/1959年(S34)  <ラジオ仙台>
* 1951年(S26)10月30日、仙台放送創立総会
* 1952年(S27)4月5日、ラジオ仙台JOIR正式に許可
* 1952年(S27)5月1日、ラジオ放送開始(ラジオ仙台)、コールサインJOIR(スタジオはレジャーセンターの一室) / 開局日のプログラム(「仙台市史 続編第2巻」P270) / その後、東二番丁の河北新報社隣に新社屋建設

<テレビ>
* 1958年(S33)12月31日、東北放送テレビ塔が八木山に完成
* 1959年(S34)4月1日、テレビ放送開始(東北初の民間テレビ局IRTV)、コールサインJOIR-DTV
* 1964年(S39)10月1日、カラーテレビ放送開始 
<ラジオ>「仙台年表」P222、P224/「仙台市史10 年表」P325、P328/「重訂 宮城県郷土史年表」P555/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P205、P270
<テレビ>「仙台市史 年表」P120、P121/「重訂 宮城県郷土史年表」P591、P616/「目で見る仙台の歴史」P196 
「目で見る仙台の歴史」P193(河北新報社と東北放送)/「市民の戦後史(仙台市)」P68(社屋と送信アンテナ)/同P196(東北放送テレビ塔) 
博覧会・フェア 東北振興大博覧会(中止)  1939年(S14)  * 1938年(S13)4月10日~5月31日、東北振興大博覧会(仙台市制施行50周年記念、仙台市主催)(仙台年表P462) 
 →<編者注>予定したが昭和14年開催予定に変更し、結局中止になった(仙台市史続編第1巻P10) 
「仙台年表」P208/仙台市史続編第1巻P10   
学徒出陣 東北帝大の壮行大会  1943年(S18)  * 1943年(S18)9月23日、東北帝大出陣学徒の卒業式(片平キャンパスの講堂で、法学204人、経済学37人、文学30人、計271人が繰上げ卒業)

* 1943年(S18)10月8日、東北帝国大学学徒出陣壮行会
壮行会は、全学部2000余人の学生を前に、出陣学徒代表が「大命は下った。日ごろ練磨した体育、知育を役立てる時がきた。日本に生まれ育った我らのみに与えられた感激である」と答辞。 (「戦争のころ 仙台、宮城」P126)

* 1943年(S18)10月8日、NHK仙台中央放送局が、「東北帝国大学徒出陣壮行大会」を放送 
「戦争のころ 仙台、宮城」(石澤友隆著)P126/「仙台市史10 年表」P306/「仙台年表」P212/「宮城県百科事典」P1114(年表)/「重訂 宮城県郷土史年表」P498/「仙台あのころこのころ八十八年」P249/「NHK仙台放送局60年のあゆみ」P18  98-090 
医療機関 東北帝国大学医学部附属病院  1913年(T2)~1947年(S22)  * 1913年(T2)4月1日、宮城病院が東北帝国大学に委譲され、「東北帝国大学医学専門部附属医院」となる(のち「医学部附属病院」に)

 → これ以降は、項目「東北帝国大学医学部附属病院」へ 
   
大学・短大 東北工業大学(2)  2004年(H16)以降 
* 2004年(H16)4月、工学部通信工学科を情報通信工学科に名称変更
* 2005年(H17)4月 情報処理技術研究所を改組 / 新技術創造研究センター、eラーニングセンター及び情報ネットワーク管理室を開設
* 2007年(H19)4月 工学部電子工学科を知能エレクトロニクス学科に名称変更
* 2008年(H20)4月、ライフデザイン学部開設(クリエイティブデザイン学科・安全安心生活デザイン学科・経営コミュニケーション学科開設)、工学部デザイン工学科募集停止
* 2008年(H20)4月、香澄町キャンパスを八木山キャンパスに、二ツ沢キャンパスを長町キャンパスに名称変更
* 2011年(H23)4月、工学部建設システム工学科を都市マネジメント学科に名称変更
* 2012年(H24)4月、工学部環境エネルギー学科を開設、工学部環境情報工学科募集停止 / 大学院ライフデザイン学研究科デザイン工学専攻開設、大学院工学研究科デザイン工学専攻募集停止
* 2013年(H25)1月、 長町キャンパス4号館完成
* 2014年(H26)4月、 新技術創造研究センターを地域連携センターに改称
* 2016年(H28)4月、情報センターにe-ラーニングセンターを統合し、情報サービスセンターに改称
* 2017年(H29)4月、工学部知能エレクトロニクス学科を電気電子工学科に名称変更
* 2020年(R2)4月、工学部環境応用化学科 設置(工学部環境エネルギー学科 募集停止)/ 建築学部建築学科設置(工学部建築学科 募集停止) / ライフデザイン学部クリエイティブデザイン学科を産業デザイン学科に名称変更、ライフデザイン学部 安全安心生活デザイン学科を生活デザイン学科に名称変更 
「東北工業大学」HP  /「市民の戦後史(仙台市)」P179(八木山キャンパス) 
大学・短大 東北工業大学(1)  1964年(S39)~2003年(H15)
 
* 1964年(S39)4月、東北工業大学開学(電子工学科・通信工学科設置)
* 1965年(S40)、法人名変更、学校法人東北工業大学
* 1966年(S41)4月、建築学科増設
* 1967年(S42)4月、土木工学科・工業意匠学科増設
* 1982年(S57)4月、情報処理教育センター発足
* 1985年(S60)4月、情報処理技術研究所設置
* 1990年(H2)4月、二ツ沢キャンパス開設
* 1992年(H4)4月、大学院工学研究科修士課程開設、同専攻教職課程開設
* 1994年(H6)4月、大学院工学研究科博士課程開設
* 1997年(H9)6月、ハイテク・リサーチ・センター設置
* 2001年(H13)4月、環境情報工学科増設
* 2003年(H15)4月、工学部土木工学科を建設システム工学科に、工学部工業意匠学科をデザイン工学科に名称変更
* 2003年(H15)10月、香澄町キャンパス9・10号館完成、一番町ロビー開設
 
「東北工業大学」HP/「仙台市史 年表」P117/「重訂 宮城県郷土史年表」P558/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P538  「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P538 /「新・目で見る仙台の歴史」P142 
銀行(地域の銀行) 東北実業銀行  1910年(M43)~1932年(S7)  * 1910年(M43)6月15日、東北実業銀行が涌谷町で開業
* 1911年(M44)2月11日、本店を仙台市名掛丁に移転
* 1918年(T7)、名掛丁に竣工(秋保石積の荘重なルネッサンス風)
* 1932年(S7)1月31日、五城銀行と共に、七十七銀行と合併 
「仙台市史 特別編4 市民生活」P350/「重訂 宮城県郷土史年表」P346、P348、P429/「宮城県百科事典」P750/「仙台市史 年表」P95、P106/「目で見る仙台の歴史」P151  33-05/「目で見る仙台の歴史」P151(大正7年竣工の社屋)/「仙台市史 特別編4 市民生活」P138(社屋) 
戦時下の学園 東北学院高等学部(私立)    ★「東北学院高等学部」は、前身が「東北学院専門部」、戦後は昭和21年に「東北学院専門学校」、昭和24年に大学にに昇格して「東北学院大学」となった。

・「昭和16年12月の太平洋戦争突入と同時にキリスト主義学校の受けた苦痛の例は、終戦まで枚挙にいとまがなかった。昭和17年に文科は廃止され高等学部は商科一本となり高等商業部と改称、さらに19年には航空専門学校を設置するなど維持経営に苦しみながら敗戦を迎えた。」
・「昭和21年4月、英文科、経済科を含む東北学院専門学校を開設、米国ミッション・ボードとの提携を回復した。」

▲ 同校の沿革は、項目“東北学院大学”に記載 
「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P537   
大学・短大 東北学院大学短期大学部  1950年(S25)~1960年(S35)  * 1950年(S25)3月14日、東北学院大学短期大学部、南六軒丁に設置(1960年5月廃止)  Wikipedia「東北学院大学短期大学部」   
大学・短大 東北学院大学  1949年(S24)   → 項目「東北学院専門学校/東北学院大学」参照  「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P537~538   
戦時下の学園 東北学院中学校(私立)    ★「東北学院中学校」は、昭和23年以降の「東北学院高等学校」

・「昭和6年、満州事変が起きてから軍事思想の涵養、精神訓練がやかましくいわれ、昭和8年に柔道場、13年には剣道場が新設された。」
・「18年には中学の2年生以上が勤労奉仕作業に従事、さらに校舎も軍や鉄道局に接収されたため高等部での間借り授業が続いた。校舎正面の学院の標語「LIFE LIGHT LOVE」が削り取られ、礼拝堂ステンドグラスのキリスト昇天図が幕で蔽い隠され、日の丸の国旗がはりつけられた  
・ 1945年(S20)7月10日の仙台空襲では、普通教室、特別教室、柔剣道場など12棟を焼失、からくも焼失をまぬがれた本館、礼拝堂もコンクリートに亀裂を生じた。」

▲ 同校の沿革は、キーワード“東北学院高等学校”で、検索 
「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P512~513   
高等学校(新制) 東北学院中学校・高等学校(戦後期)  1947年(S22)~2005年(H17)  <東二番丁・新制中学校・高等学校>
* 1947年(S22)4月、東北学院中学校発足
* 1948年(S23)4月、東北学院高等学校が発足
* 1949年(S24)、中学校木造校舎6教室落成
<鉄筋コンクリート校舎>
* 1951年(S26)、高・中学校理科教室3階建て落成
* 1955年(S30)までに、中学校校舎鉄筋コンクリート造3階建9教室、体育館など6棟完成
* 1958年(S33)4月、中学校赤レンガ校舎は都市計画により9教室を失う(戦後の東二番丁通り拡幅に伴い、赤レンガ校舎の一部(東側部分)が道路拡幅部分にかかるため、取壊された)
* 1958年(S33)4月、中学校・高等学校鉄筋コンクリート造4階建8教室完成

<新校舎と礼拝堂>
* 1970年(S45)11月、中学校・高等学校新校舎、礼拝堂完成

<赤レンガ校舎にお別れ>
* 1978年(S53)6月、中・高校の赤レンガ校舎、宮城県沖地震のため一部倒壊
* 1979年(S54)3月8日、中・高校の赤レンガ校舎見送り式(取壊し)(「続・ 宮城県郷土史年表」P93)
* 1979年(S54)4月、中学校校舎の礎石から、明治・大正のタイムカプセル発見

<シュネーダー記念館>
* 1980年(S55)3月5日、中学校・高等学校構内に、シュネーダー記念館完成(重訂 宮城県郷土史年表」P564)

<中学校・高等学校移転>
* 2005年(H17)1月、東二番丁→宮城野区小鶴へ移転 
「東北学院」HP/「東北学院創立七十年写真誌」末尾年表P69~70/「重訂 宮城県郷土史年表」P564/「続・ 宮城県郷土史年表」P93/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P349/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P512~513/Wikipedia「東北学院大学短期大学部」  <赤レンガ校舎> 62-1136-0336-06(S24完成木造校舎、S26年とS30年完成のコンクリート校舎も写る) <シュネーダー記念図書館>「東北学院創立七十周年写真誌」P63の写真 
高等学校(新制) 東北学院中学校・高等学校(戦前期)  1886年(M19)~1945年(S20)夏  普通科が、戦後の東北学院中学校、高等学校の前身

<南町時代>
* 1895年(M28)、東北学院が予科、本科を改組し、普通科5年、その上に専修科(文科、理科)2年、その上に神学部3年を置く
* 1899年(M32)、私立学校令公布に伴う中学校令改正に当たっても「普通科」の呼称は変えず

<東二番丁・初代校舎時代>
* 1905年(M38)、東二番丁に「普通科」校舎竣工し、南町から移転
  ・木骨レンガ造りルネッサンス式、2階建て、スレート葺き屋根
  ・屋根面にトーマー・ウィンドウ(屋根窓) 
* 1915年(T4)5月、普通科を中学部と改称(生徒数357名)
* 1919年(T8)3月2日、南町大火のため中学部校舎全焼
* 1919年(T8)9月、バラック建て仮校舎落成

<東二番丁・赤レンガ校舎時代>
* 1922年(T11)6月、旧校舎跡地に中学部校舎再建
  ・ 鉄筋コンクリートレンガ張り(通称「赤レンガ校舎」)
  ・ 2階建て、一部3階
  ・ 正面入り口に「LIFE LIGHT LOVE」が掲げられている         
* 1943年(S18)、中学部を中学校と改称、第二部(夜間)設置
このころ、校舎が軍や鉄道局に接収され、校舎正面の「LIFE LIGHT LOVE」が削り取られ、礼拝堂ステンドグラスのキリスト昇天図が幕で蔽い隠され、日の丸の国旗がはりつけられた  
* 1945年(S20)7月10日、仙台空襲で、校舎の大半(12棟)を焼失、焼失をまぬがれた本館、礼拝堂もコンクリートに亀裂 
「東北学院創立七十周年写真誌」P11~12、P22~23、P30、P32~35、P65~P69/東北学院HP/「明治の洋風建築-宮城県-」P66「東北学院中学部」

 
<南町時代> 神学部校舎(南町)は、「東北学院創立七十周年写真誌」P11、P50の写真/99-06843-30 <東二番丁初代校舎> 99-069/東北学院創立七十年写真誌」P22~23、P30の写真/「目で見る仙台の歴史」P142の写真   

全33ページ中、11ページ目 (総数:1622件)

最初  | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |  最後

索引

アーケード
アート・スミスの宙返り飛行
RTO(仙台)
愛国婦人会
愛の聖母院
アインシュタイン
青葉城
青葉城恋歌
青葉城資料展示館
青葉神社
青葉通り
青葉まつり
青葉山
青葉山公園
青葉山植物園
青葉山遊歩道
秋保電鉄
愛宕大橋(広瀬川)
愛宕堰
愛宕橋(広瀬川)
アメリカシロヒトリ防除
ありのまま舎
安保反対闘争
イールズ事件
遺児の日
泉ヶ岳勤労者野外活動センター
泉岳少年自然の家
イズミティ21
市場
一番町(旧・東一番丁)全域
一番町(旧・東一番丁)北部
一番町(旧・東一番丁)中央部
一番町(旧・東一番丁)南部
一銭橋(広瀬川)
いのちの電話
移民
医療機関
岩切城跡
牛越橋(広瀬川)
馬市
梅川漆器舗
梅田川清掃運動
埋木細工
ATM
映画館
衛戍病院(陸軍病院)
エキスポートバザー
X橋(宮城野橋)
NHK仙台放送局
NHK全国児童唱歌コンクール
NHK東北児童唱歌コンクール
NHK全国唱歌ラジオコンクール
NTT東北支社
MRI
LNG基地
エル・パーク仙台
横断歩道橋
大型店・量販店
大倉ダム
大崎八幡宮
大手門
大橋(広瀬川)
億ション
霊屋橋(広瀬川)
音楽コンクール
海岸公園
偕行社
買出し
街灯
学制改革
学童疎開
学徒勤労動員
学徒出陣
火災(地域)
ガス
霞目飛行場(仙台飛行場)
火葬場
ガソリン切符制
片倉製糸
ガダルカナル戦
学校教練
渇水
勝山公園
河北新報社
河北遊園地
釜房湖(ダム)
紙芝居
亀岡八幡神社
臥竜梅
カルトン食堂
簡易保険保養センター
環境基本条例
がん検診センター
勧工場・商館
幹線道路
紀元2600年
気象台
北山五山
切手代(ハガキ)
木町通小学校
義務教育期間
キリンビアホール
禁煙
銀行(地域の銀行)
銀行(都市銀行)
錦章堂ビル
金属回収
金の星(カフェ)
金富士(料理店)
勤労青少年ホーム
空襲
国見浄水場
軍事教練
軍需工場
軍都・仙台
軍刀(陸軍)
軍馬の銅像
軍服(陸軍)
軍用機献納
蛍光灯
警察
警察署
競馬
敬老乗車証
下水処理
血液センター
県営宮城野原公園総合運動場
県営宮城野球場(宮城球場)
県営宮城野原硬式庭球場
県営宮城野原蹴球場
県営宮城野原陸上競技場
県営宮城自転車競技場
元気フィールド仙台
健康都市宣言
県立学校、名称変更
県令 → 知事
興亜奉公日/大詔奉戴日
公会と隣組
公害・環境問題
公害市民憲章
公害防止条例
光化学スモッグ
公職追放/追放解除
公設浴場
交通監視用テレビ
高等学校(新制)
勾当台公園
工兵第二大隊 /工兵第二連隊
公民館
江陽会館
国際反戦デー
国定公園
国鉄
国道45号線
国道48号線
国民学校
国民義勇隊
国民金融公庫
国民勤労動員令
国民健康保険
国民精神総動員運動
国民登録/勤労報国隊
国民徴用令
国立仙台病院
国民服
国民帽
こけし塔
五色沼
国旗掲揚
子ども会など
午砲
米騒動
在外同胞救出仙台学生同盟
在郷軍人会
在住朝鮮人大会
斎藤報恩会
蔵王エコーライン
桜ケ岡公園(西公園)
桜ケ岡大神宮
サマータイム
産業組合中央会
三居沢交通公園
三陸自動車道
JR東日本
自衛隊
市街化区域
市街地住宅
自警団
時差出勤
思想弾圧/共産党員検挙
四大節
七十七銀行
市町村合併
輜重兵第二大隊 /輜重兵第二連隊
実業補習学校
自動車
自動車専用道
シネマスコープ
師範学校
紙幣・硬貨(戦後)
姉妹都市
市民の家
市民のつどい
市民福祉会館
市民土曜音楽会
市民利用施設
社会教育(戦後)
釈迦堂
車両ナンバー
週休二日制
住居番号表示制
住宅団地
柔道・剣道
祝賀行事
主食配給量
殉国勇士の家
障害者福祉
鐘景閣
松根油
定禅寺通り
昭忠碑
商店など
常磐線
消費者団体
消防組/防護団/警防団/消防団
昭和三陸大地震津波
食糧メーデー
女子挺身勤労令
女子挺身隊
シルバー人材センター
新憲法
新国丁
震災遺構
新産業都市
新住居表示制度
親切運動
新仙台港
身体障害者福祉モデル都市
仁丹マーク
進駐軍(米軍)
新寺小路地区都市改造事業(区画整理)
新伝馬町商店街
新常盤町(遊郭)
新聞社
人力車
水害
水道事業
瑞鳳殿
スパイクタイヤ
スポーツ少年団
スポーツセンター
スポーツ大会
隅櫓
青少年団
清掃事業(行政)
清掃工場
政党県支部など(戦後)
青年訓練所
青年学校
青年団
税務署
精養軒
政令指定都市
セコイヤの化石
戦後開拓
戦後教育・仙台
戦後の物資・価格統制撤廃
戦後復員/引揚げ
戦災記録
戦災者・引揚者用住宅
戦災復興
仙山線
戦時衣料
戦時下の学園
戦時中の勤労動員/就労規制
戦時中の疎開者受入れ
戦時中の物資統制、使用規制
仙集館
戦勝祝賀行事
仙石線
仙台朝市
仙台アメリカ文化センター
仙台育児院
仙台駅
仙台オープン病院
仙台卸商センター
仙台偕行社
仙台歌舞伎座
仙台簡易保険局
仙台軌道(仙台鉄道)
仙台郷土研究
仙台空港
仙台空港アクセス鉄道
仙台空襲
仙台空襲後の空襲
仙台高等工業学校
仙台合同庁舎
仙台国際センター
仙台国税局
仙台座
仙台市(名称変遷)
仙台CIE図書館
仙台市営地下鉄
仙台市営バス
仙台市街自動車
仙台市科学館
仙台市公会堂
仙台市公報
仙台市視聴覚教材センター
仙台市市民文化事業団
仙台市制
仙台市戦災復興記念館
仙台市電
仙台市天文台
仙台自動車学校
仙台市農業協同組合
仙台市の工業
仙台市の消防
仙台市の動物園
仙台市の特徴ある条例・宣言・憲章・事業
仙台市の農村・農業
仙台市の花・木・鳥・虫
仙台市博物館
仙台市武道館
仙台市兵事義会
仙台市ボランティアセンター
仙台市ミートプラント
仙台市民会館
仙台市民ギャラリー
仙台市民教養センター
仙台市民図書館
仙台市民の消費生活を守る条例
仙台市民文化センター
仙台市紋章
仙台市役所庁舎
仙台ショーハウス
仙台商業会議所/仙台商工会議所
仙台城二の丸焼失
仙台庶民金庫
仙台市立病院
仙台市歴史民俗資料館
仙台信用金庫
仙台スタジアム
仙台赤十字病院
仙台専売支局
仙台専門店会
仙台七夕
仙台鎮台
仙台鉄道管理局
仙台電報局
仙台東部道路
仙台東宝劇場
仙台トラック輸送センター
仙台南部道路
仙台西道路
仙台の裁判所
仙台バイパス
SENDAI光のページェント
仙台美術館
仙台平
仙台フィルハーモニー管弦楽団
仙台復興祭グランドフェア
仙台物産陳列所
仙台北部道路
仙台ホテル
仙台陸奥館
仙台郵便貯金会館
仙台臨海鉄道
戦没者遺骨調査・収集
戦没者慰霊
創価学会会館
総進軍大会
体育館
体外受精
大学・短大
大学紛争
大政翼賛会/新体制/公会/報国会
第二高等学校(旧制)
第二師団
第二師団凱旋記念満蒙軍事博覧会
第十三師団
第三十三師団
第四十二師団
大日本国防婦人会
大日本婦人会
大日本連合婦人会
台原森林公園
台風被害(戦後)
多賀城跡
高橋是清
タクシー
宅地造成ブーム
竹槍訓練
立町小学校
谷風の墓所
多門師団凱旋
多門通り
男女共学
地価狂乱
乳銀杏
ちびっこ広場
駐留軍(米軍)
彫刻のあるまちづくり事業
鳥獣特別保護区
朝鮮館
朝鮮人移入労働者
朝鮮戦争
樗牛瞑想の松
チリ地震津波
榴ケ岡公園
堤人形
ツルヤ洋菓子店とカフェ・クレーン
デイケアー
貞山運河(貞山堀)
逓信関連
停電
出稼ぎ者相談所
テレトピア構想
テレビアンラジオ
テレフォンカード
電気開始(仙台)
電球
電信開始(仙台)
天神社
伝染病流行
伝統町名保存
天皇、仙台行幸
電力ホール
電話
電話開始(仙台)
土井晩翠
東一マーケットと中央マーケット
洞雲寺
灯火管制
東京オリンピック(昭和)
東照宮(仙台)
東部復興道路
同胞援護会
東邦生命ビル
東北学院
東北産業博覧会
東北自動車道
東北新幹線
東北振興/農村更生
東北大学
東北大学病院
東北鎮台 →仙台鎮台 →第二師団
東北帝国大学
東北電力
東北本線
東北楽天ゴールデンイーグルス
東北歴史資料館
東北六魂祭
東北絆まつり
遠見塚古墳
特別調達庁
都市型CATV
特急はつかり
特急ひばり
トラックターミナル
名掛丁商店街
仲の瀬橋(広瀬川)
長町駅
奈良原式鳳号
西内楽器店
西公園(桜ケ岡公園)
西本願寺別院(東一番丁)
二十人町
日米野球
ニッカウイスキー工場
日本銀行
日本生命館
日本鉄道
日本農民組合
ネオンサイン
年賀郵便
年中行事(まつり)
乗合馬車
敗戦後の諸相・仙台
廃藩置県(仙台県誕生)
バカンス(流行語)
爆弾三勇士の歌
博覧会・フェア
芭蕉の辻
芭蕉の辻商館
芭蕉の辻の城櫓風建物
芭蕉の辻の洋館
バス
バスプール
バス優先レーン
支倉常長(記念碑/銅像)
発電事業
パテー館
花火大会
針久旅館支店(仙台駅前)
ハリストス正教会堂
藩祖政宗公三百年祭
藩祖政宗公の記念祭
東一番丁(商店街)
東一番丁大火
東一番丁百年祭大仮装行列
東二番丁尋常小学校
東二番丁通り(拡幅)
東日本大震災
光ヶ丘天使園
飛行船「雄飛号」
飛行大会
ひとにやさしいまちづくり条例
ヒトラーユーゲント一行が来県
日乃出映画劇場
ひらつか(東一番丁)
ビル建設
広瀬川の清流を守る条例
広瀬通り
広瀬橋(広瀬川)
プール
フェリー
俯瞰撮影禁止など
福祉ボランティアのまちづくり事業
富国生命館(国分町)
藤崎
フジビール
婦人参政権獲得運動
婦人の社会活動(戦後・仙台)
婦人標準服
普通選挙要求運動
物価上昇
二日町大火
復興盆踊り
仏舎利塔
ブラザー軒
文化キネマ/文化劇場/仙台松竹映画劇場
文学碑など(仙台)
文化勲章
文化財指定
文化横丁
兵役制度
米軍進駐
兵事義会/銃後奉公会
ベガルタ仙台
ペデストリアンデッキ
ヘレンケラー女史
奉安殿
防空演習
ポケットベル
歩行者天国(東一番丁)
ホテル
歩兵第4連隊
歩兵第104連隊
本土決戦体制
政宗卿騎馬像
政宗卿平服像
松島座/パテー館/仙台日活館/仙台日活劇場
松島パークホテル
松永正敏中将
松原街道
マナスル登頂成功
丸光
満年齢
満蒙開拓
右側通行
水の森スケート場
三越(仙台店)
緑と花いっぱい運動
緑の団地条例
南町大火
南町通り(多門通り)
三原時計店
宮城学院
宮城教育大学
宮城県沖地震
宮城県会議事堂(明治時代)
宮城県旗の図案
宮城県弘報誌「みやぎ」
宮城県県民の森
宮城県護国神社
宮城県社会福祉事業会館
宮城県スポーツセンター
宮城県青年会館
宮城県青年の船
宮城県第二総合運動場
宮城県庁舎
宮城県町村会館
宮城県図書館
宮城県美術館
宮城県物産陳列場(芭蕉の辻)
宮城県物産陳列場/商品陳列所 /商工奨励館
宮城県武道館
宮城県民会館
宮城県理科教育センター
宮城県立青年の家
宮城控訴院(赤タイル庁舎)
宮城交通
宮城集治監
宮城電鉄
宮城野駅/仙台貨物ターミナル駅
宮城の塔(沖縄)
宮城野通り
宮城婦人会
宮沢の一銭橋
宮沢橋(広瀬川)
民生委員/児童委員
民間放送(仙台)
無線中継所
陸奥国分寺跡
陸奥国分尼寺跡
メーデー
メートル法
明治三陸地震津波
明治製菓
明治生命館
明治百年
名水百選
瞑想の松
名誉市民
盲人専用信号機
木材応召
木炭バス
文字・漢字の表記
森天祐堂
森徳座
杜の都の環境をつくる条例
杜の都の風土を育む景観条例
杜の都緑化基金
八木山開発
八木山球場
八木山橋
八木山ベニーランド
八木山遊園地
野球場
野草園
山火事
山形自動車道
闇市
やりなおし市長選挙
挹翠館 
郵便局
郵便馬車
郵便番号制度
ユニオンビール
ユネスコ協会
閖上大橋
養賢堂
用語(皇居と宮城)
用語(大東亜共栄圏)
用語(東亜新秩序と大東亜新秩序}
洋食屋
養種園
幼稚園
翼賛壮年団
澱橋(広瀬川)
ライオンズクラブ
ラジオ体操会
陸海軍の工場
陸軍の学校
リサイクル
龍宝寺の木造釈迦如来立像
輪タク
霊園/墓園
冷害・凶作
レジャーセンター
レッドパージ
練兵場
ロータリー・クラブ
老人福祉
労働運動
ロシア兵捕虜
魯迅
ロッテ球団
ワープロ