項目 |
小項目 |
年 |
内容 |
出典/参考資料 |
関連映像 |
ビル建設 |
日産生命ビル(解体) |
1981年(S56) |
* 1981年(S56)5月、解体(仙台駅西口前)
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「わが心の仙台駅前史」P90
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22-14(の左下のビル)
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ビル建設 |
マルカンビル(解体) |
1981年(S56) |
* 1981年(S56)8月、解体
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「わが心の仙台駅前史」P90
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ビル建設 |
鳳月ビル |
1957年(S32) |
* 1957年(S32)12月、青葉通り・東五番丁通り南西角に完成(5階建)
* 1988年(S63)10月、ほうげつビルがオープン
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「わが心の仙台駅前史」P87、P91
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99-031、22-17
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ビル建設 |
第一ビル(仙台駅前) |
1960年(S35) |
* 1960年(S35)4月、第一ビル竣工
仙台駅前広場の北側に面して建設(9階建)
2018年現在は、「仙台マークワンビル」の場所
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「わが心の仙台駅前史」P87
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22-14/「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P96
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木炭バス(国有鉄道バス) |
仙鉄局管内 |
1938年(S13) |
「昭和13年、仙鉄局管内のバス、62台中、木炭バスが15台 / 13年秋木炭は大幅に値上がりし品不足となり、バス用木炭は5割から7割も配給を削減された。ついにたきぎを燃料とするバスが出現した。16年9月1日からガソリンの使用は一切禁止された。」
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「ものがたり東北本線史」P509
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国鉄(鉄道省時代) 2 |
戦時輸送(貨物優先体制) |
1938年(S13)~1943年(S18) |
<戦時中>
(所管は鉄道省、S18年11月運輸通信省、S20年5月運輸省)
<戦時輸送>(「ものがたり東北本線史」より)
* 1938年(S13)6月、鉄道輸送は旅客より貨物重点方針決定、戦時輸送優先(全国鉄道局長会議)
* 1938年(S13)、仙台鉄道局内に第1鉄道輸送司令部仙台支部設置(司令官は大佐)、1943年(S18)に仙台地区司令部となり(司令官は大佐)、仙台駅、弘前駅には停車場司令部が置かれた
* 1938年(S13)10月1日、銑鉄局管内で「銃後弁当」売り出し(15銭)
* 1939年(S14)11月15日、ダイヤ改正、旅客を従、貨物列車を主とする
* 1940年(S15)9月16日、駅の表示板から英語の表示が消える(菅家年表P25)
* 1942年(S17)10月6日、閣議、戦時陸運非常体制を決定、東北本線は石炭輸送第一(北海道の石炭を京浜の軍需工場へ輸送)
* 1943年(S18)2月28日、国鉄乗客指定制実施(厳しい旅行制限)、食堂車、寝台車完全廃止
* 1943年(S18)3月10日、仙鉄局、11本の貨物列車新設(3月11日、石炭専用列車スタート)
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「ものがたり東北本線史」P507~P532/菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P25
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国鉄(鉄道省時代) 3 |
戦時輸送(決戦輸送) |
1944年(S19) |
<戦時輸送>(「ものがたり東北本線史」より)
* 1944年(S19) この年、国鉄は徴用者、一般疎開、工場疎開、学童疎開、北海道からの石炭輸送、戦時物資などの輸送を重点とした / 戦時貨物輸送増強のため、国鉄長町ヤードを強化 / 4月からは「決戦輸送」
<女性増加>
* 1月、国鉄現場に女性が急激に進出(仙台局管内の8%に) / 出札、改札、小荷物、車掌、列車掃除手、踏切警手など
* 3月、女性が、貨物掛、荷扱手など重労働の職種にも
<急行列車など廃止>
* 4月1日、急行半減、寝台車廃止、一等寝台、食堂車廃止
* 4月現在、上野~青森間の急行列車は、常磐線経由の1往復のみ
* 9月、唯一の急行列車も廃止(昭和20年11月20日、仙鉄の急行列車復活)
<疎開輸送>
* 3月28日、東北地方初の疎開輸送用臨時列車(常磐線まわり一関行き)
* 4月25日~6月10日、疎開輸送強化期間
<旅行制限>
* 4月1日、100キロ以上の長距離旅行制限 / 旅行者は、警察の「旅行証明書」が必要
<旅行制限:以下、Wikipedia「決戦非常措置要綱」より>
旅行制限では100km以下の乗車券の発売枚数の割当による数量の制限のほか、100km以上(乗車時間2時間以上)の遠距離列車の切符について居住地の警察署発行の旅行証明書がないと購入できないようにする措置(買い出しや遊興旅行の制限が目的)が東京都区内・横浜市内・川崎市内駅発に限り試行されたが、警察署の第一線事務増加からの反対から5ヶ月後に廃止され全国施行はされなかった。(上田卓爾「戦時下における旅行制限とガイドブックについて」)
<これ以降は、項目「国鉄(戦後)」へつづく>
<戦後の東北線関連は、項目「国鉄(東北本線)」へ>
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「ものがたり東北本線史」P507~P532/Wikipedia「決戦非常措置要綱」
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商店など |
繁田園(茶舗)/お茶の井ケ田 |
1920年(T9) |
* 1920年(T9)、繁田園が国分町で茶舗創業
* 1928年(S3)、東一番丁通りへ移転(住所は大町5丁目)
* 1948年(S23)、『お茶の井ケ田』に改称
ただし、[写真16-41](S25年頃撮影)には、まだ「繁田園」の看板がある
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「お茶の井ケ田」社長の井ケ田徳治氏談/「番丁詳伝」P98
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49-01、49-02、49-03
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カルトン食堂 |
竣工 |
1925年(T14) |
カルトン食堂は、旧・大町5丁目通りの北側に面す
* 1925年(T14)、竣工 / 桜井常吉が建設
* 1925年(T14)、開業(「番丁詳伝」P36)
・ 鉄筋コンクリート造、地下1階、地上3階一部4階建で、エレベーターを設置 / 屋上の展望楼からは、市内を一望、太平洋が見える
・ 1階に写真機、同材料販売、宴会場があり、和・洋食店と喫茶店を兼ねた / 化粧品部もある
<「カルトン月報 大正14年12月」より>(「仙台市史 特別編4 市民生活」P85)
・ 食堂(3階)に定食(洋食コース料理 午餐2円65銭、晩餐3縁45銭)、4階にカフェ
・ 各階 スチーム装置にて春日和のよう
・ 毎週土曜日曜は、東北唯一のピアノトリオ開催
・ 料理法は最も新しく、肉は神戸から直通
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「あきんどの町-おおまちに至るまでの四〇〇年-」P131/「重訂 宮城県郷土史年表」P400/「番丁詳伝」P36/「仙台市史 特別編4 市民生活」P85
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22-28、98-029/「仙台市史 特別編4 市民生活」P85(T14年、カルトン月報)
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商店など |
信用堂洋服店 |
1931年(S6) |
* 1931年(S6)、信用堂洋服店、大町五丁目194で創業
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「あきんどの町-おおまちに至るまでの四〇〇年-」P107
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99-042/ 20-46に看板あり
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銀行(都市銀行) |
日本勧業銀行/帝国銀行/第一銀行/第一勧業銀行 |
1937年(S12)/1947年(S22)/1971年(S46) |
<日本勧業銀行仙台支店>
* 1937年(S12)3月、日本勧業銀行が宮城県農工銀行を合併、東二番丁80(1984年現在、小田急ビルの場所)に仙台支店を開設
* 1945年(S20)7月10日、仙台支店が仙台空襲で被災、引き続き同地で営業
* 1950年(S25)、特殊銀行から普通銀行へ転換
* 1952年(S27)6月、現・一番町3丁目1-26に支店新築(鉄筋コンクリート3階建)し移転
<帝国銀行仙台支店→第一銀行仙台支店>
* 1879年(M12)3月、第一国立銀行仙台出張所を仙台支店と改称し、一般営業を開始(「重訂 宮城県郷土史年表」P256) / M29年に第一銀行となる
* 1947年(S22)2月24日、帝国銀行仙台支店を東三番丁南通り角に開業(帝国銀行は、S18年太平洋戦争戦時下の国策により第一銀行と三井銀行と合併した銀行)
* 1948年(S23)10月 、第一銀行設立(帝国銀行より営業譲渡を受け開業)
* 1948年(S23)10月1日、第一銀行仙台支店と改称し、東一番丁82(青葉通りに面し、東一番丁角のやや西)に新築移転
<第一勧業銀行仙台支店、青葉通支店>
* 1971年(S46)10月1日、日本勧業銀行と第一銀行が合併し、第一勧業銀行が発足 / 勧銀仙台支店は仙台支店に、第一銀行仙台支店は青葉通支店に
* 1974年(S49)11月、仙台支店?を新築
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「あきんどの町 おおまちに至るまでの四〇〇年」P208/「重訂 宮城県郷土史年表」P256、P516、P529/Wikipedia「第一銀行」/岩波ブックレット「年表 昭和史」P51
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22-07、58-03/「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P79(S39、カラー)/「あきんどの町 おおまちに至るまでの四〇〇年」P208
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競馬 |
県営(市営)競馬復活/県営廃止、市に移譲/市営も廃止 |
1946年(S21)/1952年(S27)/1960年(S35) |
場所は仙台市長町郡山(のちの飯田団地と宮城自動車学校のところ)にあった
* 1946年(S21)11月16日、宮城県営仙台競馬復活(仙台市史 年表」P114、「仙台市史10 年表」P314)
* 1946年(S21)11月、仙台市営競馬(長町郡山の市営競馬場)が7年ぶりに復活、戦災復興事業の資金調達のため
* 1952年(S27)、仙台競馬場の県営競馬が廃止となり、競馬場が仙台市に移譲される(「仙台市史 年表」P118)
* 1960年(S35)3月13日、仙台市営競馬廃止を仙台市議会で決議(「仙台市史 年表」P121、「重訂 宮城県郷土史年表」P595では3月23日決議)
* 1960年(S35)3月、仙台市営競馬廃止(「仙台市史 続編第2巻」P200)
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「「重訂 宮城県郷土史年表」P314、P514、P595/「仙台市史10 年表」P314/「仙台市史 年表」P118、P121/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P200
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「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P200の写真57(市営競馬)/「市民の戦後史(仙台市)」P44(S24年長町で市営競馬)/「仙台市史 特別編4 市民生活」P236(市営競馬のマッチラベル、カラー)/「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P42(S33頃)
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NHK全国児童唱歌コンクールで連続優勝 |
材木町尋常小学校が5回優勝 |
1934年(S9)~1936年(S11)/1938年(S13)、1939年(S14) |
S7年、8年の東二番丁尋常小学校に続き、S9年、10年、11年、13年、14年は、南材木町尋常小学校が計5回全国優勝した
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「NHK仙台放送局 60年のあゆみ」P9/「重訂 宮城県郷土史年表」P444
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NHK全国児童唱歌コンクールで連続優勝 |
東二番丁尋常小学校、2年連続優勝 |
1932年(S7)~1933年(S8) |
NHKのラジオ放送を通じて全国児童唱歌コンクールが毎年行われたが、仙台の小学校が第1回のS7年からS14年に間に7回全国優勝し大きな話題となった / 優勝校はS7年、8年が東二番丁尋常小学校
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「NHK仙台放送局 60年のあゆみ」P5/「重訂 宮城県郷土史年表」P432
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69-03
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NHK仙台放送局 |
ラジオ放送開始 |
1928年(S3) |
* 日本放送協会は、1927年(S2)年6月9日、仙台に東北支部を設置
* 1927年(S2)8月11日、原町の送信アンテナ設置のための小作地取り上げ反対町民大会 / 農民と住民が反対運動 / ビラに、「町会議員は殆んど皆弱腰になったぞ!」「彼らの陰謀をたたき潰せ! 一萬円寄付には絶対に反対しろ!」
* 1928年(S3)6月16日、東北地方で初めてのラジオ放送が仙台放送局から開始された
<初期のラジオ中継放送>
* 1929年(S4)8月14~15日、「野外納涼盆踊り大会」中継(桜ケ岡公園から)
* 1929年(S4)9月22~23日、ミシガン大学との野球戦中継(八木山県営グラウンド)
* 1934年(S9)5月16日、NHK仙台中央放送局と改称
<戦後>
* 1945年9月23日、進駐軍放送のため施設提供、GHQによる放送原稿のチェック開始
* 1946年(S21)6月9日、仙台復興祝賀街頭音楽大会、放送
* 1946年(S21)7月29日、東北初の放送討論会開催(会場は仙台南松竹劇場)(「重訂 宮城県郷土史年表」P512)
* 1948年(S23)6月、仙台局開局20周年、NHKラジオ番組「二十の扉」公開放送
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「NHK仙台放送局60年のあゆみ」P1、P9、P21/「仙台市史 年表」P104/「重訂 宮城県郷土史年表」P512/「仙台市史10 年表」P313/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P260/「新・目で見る仙台の歴史」P148
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44-11、25-01、25-06など「写真データベース」分類F-24の写真全部/「仙台市史 特別編4 市民生活」P234(S3、リーフレット「NHK仙台放送局開局」)/「仙台市史 特別編4 市民生活」P234/「目で見る仙台の歴史」P160に、本放送開始時のNHK仙台局舎/「新・目で見る仙台の歴史」P148(アンテナ反対町民大会ビラ)/「仙台市史 特別編4 市民生活」P509(同ラジオ送信アンテナ)/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P260の写真84(二十の扉公開放送)/「市民の戦後史(仙台市)」P69(のど自慢、三つの歌、二十の扉各公開放送ステージ)/「新・目で見る仙台の歴史」P175(NHK街頭録音)/「市民の戦後史(仙台市)」P42(放送討論会ステージ、NHK放送慰問団トラック、のど自慢会場東北劇場前の看板)/同P70(S27年、楽器店前でラジオ五輪実況を聞く人々)
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進駐軍放送局(仙台) |
開局~閉局 |
1945年(S20)~1953年(S28) |
* S20年9月23日、進駐軍放送局AFRS仙台(WLKE、1450kc/s 3KW)が開局(NHK仙台局に同居)
* キャンプ・センダイ(仙台城二の丸の旧第二師団跡地)に移転
* 1953年(S28年)10月3日閉局
「NHK仙台放送局60年のあゆみ」P19 →「昭和20年9月23日、進駐軍のために施設提供、GHQによる放送原稿のチェック開始」
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「NHK仙台放送局60年のあゆみ」P19
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25-01
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仙台専門店会/日専連仙台会 |
結成/改称 |
1935年(S10)/1957年(S32) |
* 1935年(S10)6月24日、仙台市内の有力専門店が、百貨店に対抗し任意組合「仙台専門店会」を結成
* 1936年(S11)10月8日、日本専門店連盟(日専連)発足し、仙台専門店会も加盟
* 1938年(S13)5月、日専連第2回全国大会、仙台で開催
* 1940年(S15)、日専連解散(戦時中断)/8月29日、仙台専門店会も解散
* 1950年(S25)5月、日専連再結成
* 1951年(S26)11月16日、仙台専門店会、日専連に再加盟
* 1957年(S32)5月、第12回日専連全国大会、仙台で開催
* 1957年(S32)8月29日、協同組合日専連仙台会と改称(「宮城県百科事典」P818では、昭和33年6月に改称)
* 1959年(S34)、日専連仙台会、東一番丁にデパート式の総合店舗を開店(中小企業の集団協業化として注目される)
* 1981年(S56)6月、第36回日専連全国大会を仙台で開催
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「JA宮城中央会」HPの「宮城野協同組合略史」(年表)/「仙台市史10 年表」P286、P299/「仙台市史 年表」P108/「宮城県百科事典」P818/「重訂 宮城県郷土史年表」P594/「市民の戦後史(仙台市)」P98
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「市民の戦後史(仙台市)」P98(S32年日専連全国大会、東一番丁通りでのイベント)
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高橋是清 |
暗殺 |
1936年(S11) |
<仙台との縁> 1854年(嘉永7年)閏7月27日、江戸芝中門前町(現東京都港区)に幕府絵師川村庄右衛門の私生児として生まれ、間もなく仙台藩の足軽高橋覚治の家に里子に出され後養子となる(Wikipedia「高橋是清」より)
日銀総裁、蔵相、政友会総裁、首相を歴任
* 1936年(S11)2月26日、2・26事件で暗殺される
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Wikipedia「高橋是清」
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82-01
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陸軍の学校(宮城県内) |
仙台陸軍予備士官学校 |
1938年(S13)~1939年(S14)/1943年(S18)~1945年(S20) |
* 1938年(S13)8月13日、仙台市川内の陸軍教導学校内に「仙台予備士官学校」設置、開校式 / 1939年(S14)3月に盛岡近郊へ移転
* 1943年(S18)8月2日、仙台陸軍教導学校が廃止され、施設はそのまま仙台陸軍予備士官学校が設置され、終戦まで続いた
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Wikipedia「陸軍教導学校」、「仙台予備士官学校」
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蛍光灯 |
普及始まる |
1949年(S24) |
* 1941年(S16)、東芝が“マツダ蛍光ランプ”として、昼光色15Wと20Wを正式に発売
* 1949年(S24)、この年、白色蛍光灯(40W)、発売、商店、事務所に普及
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Wikipedia「蛍光灯」/菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P43
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警察署 |
若林警察署 |
2019年(H31)~ |
* 2019年(H31)4月1日、仙台南警察署から分離し、若林警察署が開署
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Wikipedia「若林警察署」(2020年5月)
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国定公園 |
栗駒国定公園 |
1968年(S43) |
* 1968年(S43)7月22日、栗駒山を中心にする一帯を国定公園に指定(岩手県、宮城県、秋田県、山形県にまたがる大規模な山岳国定公園)
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Wikipedia「栗駒国定公園
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東北楽天ゴールデンイーグルス |
球団創立 |
2005年(H17) |
* 2004年(H16)10月29日、楽天野球団設立
* 2004年(H16)、県営宮城野原公園宮城球場(宮城球場)を全面改修、プロ野球団東北楽天ゴールデンイーグルスの本拠地となる(施設は宮城県が所有し、東北楽天ゴールデンイーグルスの運営法人・株式会社楽天野球団が都市公園法に基づく管理許可制度により運営管理)
* 2005年(H17)3月16日、球団として初の一軍公式戦(千葉マリンスタジアム)で千葉ロッテマリーンズに3対1で勝利(先発の岩隈が完投)
* 2013年(H25)9月26日、パ・リーグ優勝(球団創設9年目)/ 11月3日、日本シリース初出場で日本一達成(Kスタ宮城での読売ジャイアンツとの第7戦に3対0で勝利し、4勝3敗) / 11月24日、仙台市内中心部で優勝パレード
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Wikipedia「東北楽天ゴールデンイーグルス」2020年8月10日版
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国鉄(常磐線) |
戦前・戦後 |
昭和末年まで |
<戦時中>
* 1944年(S19)4月現在、上野~青森間の急行列車は、常磐線経由の1往復のみ(9月または12月、唯一の急行列車も廃止)
<戦後>
* 1947年(S22)6月28日、仙台鉄道管理局管内、急行復活し常磐線経由の急行1往復(207・208列車)運転開始
* 1976年(S51)4月20日、交通ゼネストで、常磐線全面運休
<戦後・電化>
* 1967年(S42)10月1日、常磐線電化完成
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Wikipedia「東北本線優等列車沿革」(2020年7月)/「重訂 宮城県郷土史年表」P635
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大学・短大 |
東北学院大学短期大学部 |
1950年(S25)~1960年(S35) |
* 1950年(S25)3月14日、東北学院大学短期大学部、南六軒丁に設置(1960年5月廃止)
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Wikipedia「東北学院大学短期大学部」
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日乃出映画劇場 |
日乃出会館オープン |
1957年(S32) |
日乃出映画劇場出火(S31年2月)後、日乃出会館を新築
* 1957年(S32)4月14日、地上8階・地下1階の商業施設ビルとしてオープン / 館内に4つの映画館や大ホールなどがあった
* 1973年(S48)7月、日の出興行ビル完成
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Wikipedia「日乃出会館」2019年12月18日版/わが心の仙台駅前史」P40、P89
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99-031/「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P26(S32)/同P41(S33、仙台駅界隈空撮、日の出会館は画面左の交差点右角のビル)
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ビル建設 |
日乃出会館 |
1957年(S32) |
* 1957年(S32)4月14日、地上8階・地下1階の商業施設ビルとしてオープン / 日乃出映画劇場など館内に4つの映画館や大ホールなどがあった
* 2002年(H14)9月17日、映画館は全館閉館
* 2019年(R1)秋、解体完了
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Wikipedia「日乃出会館」2019年12月18日版
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99-031
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日乃出映画劇場 |
映画館閉館/ビル解体 |
2002年(H14)/2019年(R1) |
* 2002年(H14)9月17日、映画館は全館閉館となり、45年の歴史に幕を閉じた。
・ ビルはパチンコホール「ベガスベガス」などを運営する山形市の「大成商事」(当時)に売却され『大成商事GSビル』となった
* 2008年(H20)4月17日、『大成商事GSビル』はオリックス不動産に売却され『GSビル』となった
* 2018年(H30)6月、「GSビル」の解体工事開始
* 2019年(R1)秋、解体完了
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Wikipedia「日乃出会館」 2019年12月18日版
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文字・漢字の表記 |
当用漢字 |
1946年(S21) |
* 1946年(S21)11月5日、国語審議会が答申
* 同年11月16日に内閣が告示した「当用漢字表」に掲載された1850の漢字
* 1981年(S56)、常用漢字表の告示に伴い当用漢字表は廃止
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Wikipedia「当用漢字」
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文字・漢字の表記 |
常用漢字 |
1981年(S56)/2010年(H22) |
* 1981年(S56)3月23日に国語審議会が答申(当用漢字の後継)
* 同年10月1日に昭和56年内閣告示された常用漢字表/1945字、4087音訓(2187音・1900訓)
<改定常用漢字表>
* 2010年(H22)6月7日、文化審議会が答申
* 同年11月30日に内閣告示された常用漢字表 / 2136字、4388音訓(2352音・2036訓) / 昭和56年告示の「常用漢字表」は廃止
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Wikipedia「常用漢字」
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宮城野通り |
命名 |
1982年(S57) |
仙台駅東第一土地区画整理事業により新設された仙台市道1878号線で、1982年(S57)に「宮城野通」と名付けられる。/ (起点)仙台駅東口駅前広場~(終点)宮城野原公園総合運動場前 / 仙台駅東口から東に延びる東西メインストリートであり、全長1,557m、幅員50m
/ 歩道には、東七番丁から東の区間に街路樹が整備され、東七番丁から東十番丁の区間には小さな水路や様々なストリートファニチュアが設けられている / この街路の地下をJR東日本・仙石線が走っている
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Wikipedia「宮城野通り」(2020年12月16日版)
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「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P113(S59、建設途中、カラー)/同P116~117(S62、整備中の駅東口広場と宮城野通り)
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県営宮城自転車競技場 |
開場 |
1952年(S27) |
* 1952年(S27)、第7回国民体育大会(東北3県国体)の開催のため、同年に開場
* 2014年(H26)5月7日、廃止(北隣にある国立病院機構仙台医療センターの建て替え用地になったため)
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Wikipedia「宮城自転車競技場」2020年1月版
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宮城県護国神社/宮城神社 |
戦災、戦後 |
1945年(S20)/1946年(S21) |
* 1945年(S20)7月10日、仙台空襲で社殿を焼失、ご神体は市内の秋保神社・仮宮に遷された
* 1946年(S21)、「宮城神社」と改称(GHQによる神道指令に基づく政教分離により)
* 1952年(S27)7月、宮城神社上棟式
* 1953年(S28)4月28日、宮城神社奉斎殿、青葉通り大町頭に竣工 / 4月28日~5月7日、清祓並びに新殿祭・遷座祭・合祀祭・春季例祭・臨時慰霊祭等を行う / 奉斎殿は、S26年4月着工、28年4月竣工、神殿造延坪200坪、2階建て
* 1954年(S29)8月6日、本殿造営御木曳祭
* 1955年(S30)8月1日、本殿柱立式
* 米軍が去った1957年(S32年)に社名を「宮城縣護國神社」に戻し、1958年(S33)に伊勢神宮別宮「風宮」の旧社殿を移築
* 1968年(S43)4月、新社殿落成
<「戦争のころ 仙台、宮城」P38>
・明治以降の戦死者、戦病死者約5万6000柱をまつる
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Wikipedia「宮城県護国神社」/「仙台年表」P231、P234/「重訂 宮城県郷土史年表」P515、P557、P563/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P188/「戦争のころ 仙台、宮城」(石澤友隆著)P38
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「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P188の写真54(戦後再建した護国神社)/「目で見る仙台の歴史」P194(大町頭の宮城神社奉斎殿)
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宮城県庁舎 |
3代目庁舎(18階建) |
1989年(H1) |
* 1986年(S61)7月、着工
* 1989年(H1)5月、18階建の新庁舎竣工(正式名は宮城県行政庁舎)
* 1989年(H1)6月3日、庁舎開庁式
* 1989年(H1)6月26日、新庁舎で業務開始
* 1989年(H1)7月10日、県庁と各地方事務所に「みやぎ目安箱」設置
* 1989年(H1)9月19日、県庁で、第1回県民ロビーコンサート開催
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Wikipedia「宮城県庁舎」/「続・ 宮城県郷土史年表」P260、P261、P262
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仙台駅(戦後) |
仮駅舎設置 |
1972年(S47) |
東北新幹線開業に伴う駅舎新築のため、S47年に西口駅前広場に「仮駅舎」を設置 / 仮駅舎の後方の第4代駅舎を取り壊したあと、新駅ビルを建設
* 1972年(S47)11月、仮駅舎設置、開業
* 1975年(S50)7月11日、地下道より広い渡線橋設置
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Wikipedia「仙台駅」/「続・ 宮城県郷土史年表」P14、P43
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自動車専用道 |
仙台東部道路 |
1994年(H6)/2012年(H24) |
* 1994年(H6)3月30日、仙台東部道路の仙台空港IC~仙台東IC間開通
* 1995年(H7)7月27日、岩沼IC~仙台空港IC間開通
* 2001年(H13)8月1日、亘理IC~岩沼IC間、仙台東IC~仙台港北IC間開通(これで、全線開通) / 4車線区間の制限速度を80km/hから100km/hに引き上げ
* 2005年(H17)10月1日、日本道路公団の分割民営化により東日本高速道路株式会社に承継
* 2011年(H23)3月11日、東日本大震災により全線通行止(地震・津波により甚大な損傷を受ける) / 同年3月30日、東日本大震災による通行止は全て解除
* 2012年(H24)12月1日、仙台港IC供用開始(これで、仙台港IC~亘理IC間24.8kmは全線開通) / 仙台港IC以北は、三陸自動車道
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Wikipedia「仙台東部道路」(2020年7月)
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警察署 |
仙台南警察署 |
1944年(S19)~ |
<新設され、堰場に開庁>
* 1944年(S19)3月31日、仙台警察署を廃止 / 4月1日、仙台警察署が仙台北警察署になり、仙台南警察署(若林区堰場)開庁
<舟丁へ移転>
* 1962年(S37)9月12日、新庁舎、舟丁に落成
<長町へ移転>
* 1993年(H5)、庁舎を長町(太白区長町6丁目)に移転
* 2019年(H31)4月1日、仙台市若林区を新設の若林警察署に移管
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Wikipedia「仙台南警察署」/「重訂 宮城県郷土史年表」P606
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「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P780に、「改築後の仙台南警察署」
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自動車専用道 |
仙台北部道路 |
2002年(H14)/2013年(H25) |
* 2002年(H14)5月19日、利府JCT~利府しらかし台IC間 (5.2km) 開通
* 2005年(H17)10月1日、日本道路公団の民営化により、東日本高速道路株式会社に承継
* 2010年(H22)3月27日、利府しらかし台IC~富谷JCT間 (6.6km) 開通
* 2013年(H25)12月22日、富谷JCT~富谷IC間 (1.7km) 開通に伴い全線開通(利府JCT~富谷JCT、13.5km)
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Wikipedia「仙台北部道路」(2020年7月)
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仙台ホテル |
立て替え(ホテル3代目) |
1935年(S10)/1945年(S20) |
* 1935年(S10)、モダニズム建築に建て替え
* 1945年(S20)7月10日、仙台空襲で被災
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Wikipedia「仙台ホテル」
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仙台スタジアム |
オープン |
1997年(H9) |
* 1997年(H9)6月、「仙台スタジアム」が、泉区七北田にオープン / 2006年から会場名が「ユアテックスタジアム仙台」
サッカー、ラグビー、アメリカンフットボールの専用公式競技場として誕生 / サッカーのベガルタ仙台のホームスタジアム
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Wikipedia「仙台スタジアム」(2019年9月)
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丸光 |
旧館全焼 |
1956年(S31) |
* 1956年(S31)5月、丸光旧館全焼(増築中だった)
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Wikipedia「丸光」/わが心の仙台駅前史」年表
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丸光 |
雑貨店開店 |
1946年(S21) |
* 1946年(S21)6月1日、 仙台駅前の空襲焼け跡(裏五番丁15)に丸光合資会社として雑貨店を開き、「MARUMITU DEPT.STORE」の文字を掲げて営業を開始 / 木造平屋で50坪
* 1948年(S23)6月1日、株式会社に改組
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Wikipedia「丸光」/「仙台市史 年表」P114/「重訂 宮城県郷土史年表」P511
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丸光 |
8階建て本館ビル落成 |
1957年(S32) |
* 1957年(S32)10月、青葉通りに面して、丸光本館(8階建て)が落成(増築工事完成) / 地上8階、地下2階、地上12階に相当する展望台、4000坪)
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Wikipedia「丸光」/「仙台市史 別冊 市民生活」P41
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99-031/「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P22(S32、建設中)/同P41(S33、仙台駅界隈空撮)、P73(S39、カラー)、P74~75(S39、カラー)
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丸光 |
仙台最大の売り場面積に |
1965年(S40) |
* 1965年(S40)、藤崎や三越仙台店を上回る仙台最大の売場面積となる
* 1972年(S47)11月2日、新装オープン
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Wikipedia「丸光」 / あれから50年「戦争と丸光」(今泉清)/「続・ 宮城県郷土史年表」P14
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一番町(旧・東一番丁)北部 |
一番町四丁目買物公園<概要> |
平成20年時点 |
定禅寺通角~広瀬通角間の商店街(アーケード街)
道の両脇にのみアーケードがかかり、晴れた日には太陽光が直に差し込み、青空を望める明るい雰囲気となる / 降雨時の開口部からの横雨の入りを少なくするため、アーケードの高さは「1階分+看板分」程度の高さになっており、一番町の他のアーケード街と比べると低い / この街区と交差する定禅寺通の西洋風煉瓦造りの中央緑地帯の雰囲気にあわせ、旧車道部の舗装は石畳、旧歩道部は煉瓦風カラー舗装となっている
冬季には、旧車道の開口部に豆電球のイルミネーション装飾をいくつも渡し、日没後は北欧の街路のような雰囲気となる / 1982年(S57)から2003年(H15)7月まで、「水時計」と呼ばれる落水で動くからくり時計が街区の南東端に設置されていた
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Wikipedia「一番町」(仙台市)(2020年6月)より要約
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一番町(旧・東一番丁)中央部 |
一番町一番街商店街「ぶらんど~む一番町」<概要> |
平成20年時点 |
広瀬通り角と中央通り角の間、一番町三丁目にあるアーケード街
1993年(H5)、高さ19.5mの高層アーケードに建て替えられた / この新アーケードは、旧車道部の上を覆う中央ドーム部が5階建て程度、両脇の旧歩道部の上が4階建て程度の高さになっており、ミラノのヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアを模した
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Wikipedia「一番町」(仙台市)(2020年6月)より抜粋
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一番町(旧・東一番丁)南部 |
サンモール一番町商店街<概要> |
概要(平成20年頃) |
中央通り角から南町通角の間のアーケード街 / 一番町二丁目、および三丁目の一部に跨る
現在のアーケードは1986年(S61年)に設置された高さ13.7mのもので、当時は日本で最も高さのあるアーケードであった / 天井付近に仕掛け時計が設置されており、時間になると人形が動く / 「文化横丁」や「壱弐参(いろは)横丁」などの横丁がある
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Wikipedia「一番町」(仙台市)(2020年6月)より抜粋
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バス |
ボンネット型 |
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日本では、1950年代頃までは大多数のバスがボンネットを持った形状(ボンネットバス)だったが、次第に輸送効率の良い箱型バスに置き換えられた。日本では、1971年に量産タイプのボンネットバスの製造が中止された
仙台市営バスでは、1965年(S40)当時、仙台市中心部でまだボンネットバスが使われていた → 写真 201-08 、 201-09
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Wikipedia「ボンネットバス」(2019年10月)/写真201-08、201-09のキャプション
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58-03、201-08、91-21、201-39、201-42
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ベガルタ仙台 |
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1999年(H11)~ |
仙台市をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ / 1988年(S63)創部の東北電力サッカー部が前身 / ホームスタジアムは、1997年(H9)6月に泉区七北田にオープンした「仙台スタジアム」(2006年から会場名が「ユアテックスタジアム仙台」に改称)
* 1995年(H7)、Jリーグ準会員
* 1999年(H11)からのJリーグの2部制開始とともにJ2に参加
* 1999年(H11)~2001年(H13)、J2
* 2002年(H14)~2003年(H15)、JI
* 2004年(H16)~2009年(H21)、J2
* 2010年(H22)以降、J1 (2020年現在)
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Wikipedia「ベガルタ仙台」2020年7月18日版
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商店など |
丹六 |
創業年不詳 |
<戦前>
・ 場所は、仙台駅前広場西側に面し、裏五番丁角にあった
(店舗配置図 98-044 、 98-045 、 98-046 参照)
・ 1928年(S3)の写真 98-047 の説明文に「仙台にたった一軒の夜通食堂。和定食は三十銭より、洋定食は壱圓より、そば、すし、丼類一式、階上大広間は宴会に団体に、午前六時より御入浴御随意。店主菊地粂五郎」
・ 仙台空襲(昭和20年7月10日)で焼失
<戦後>
・ 場所は、仙台駅前広場西側に面し青葉通り角にあった
・ 菓子の量り売り(安売り)で人気があった店
* 1961年(S36)12月、火災
<参照> 丹六人気 → 当サイト内「市民の思い出・時代の記憶集」の分類項目「F-4 丹六」
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S36年火災は、「わが心の仙台駅前史」年表
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戦前は、98-047、53-92/戦後は、20-08、 53-82、98-049 、「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P24~25(S30年代初め頃、夜間)、同P73(S39、カラー)
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