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繁田園 (昭和5年頃 東一番丁通)
繁田園 (昭和5年頃 東一番丁通)

分類項目 商店など 
タイトル 繁田園 (昭和5年頃 東一番丁通) 
写真番号 49-02 
場所 仙台市東一番丁
映像内容 2代目社長井ケ田徳治氏談 「昭和3年に、国分町から東一番丁に移転後の店舗。 大内ビル(7軒位入れる長屋)の北の端だった。 右は電気ヒーターでほうじ茶をつくる機械。 前に立つセーラー服の男の子が、のちの社長・井ケ田徳治氏。 左端は、左隣の店(和菓子の玉澤総本店)の配達用の車」(備考欄参照)

 <注> 店は東一番丁通りに面しているが、当時の住所は大町五丁目27(関連情報欄参照) 西内楽器店、玉澤菓子店も東一番丁通りに面しているが同じ大町五丁目27だった。
 <参考> 分類A-02-02の写真 11-03 に、東一番丁藤崎の北に、玉澤菓子店と繁田園が隣り合って写る(夜景、昭和10~12年頃)
撮影年代 1930年(S5) 
撮影年代判定根拠 <写真提供者からの情報>
関連情報/参考文献 <繁田園、井ケ田>
国分町時代の繁田園は、 49-01
【「あきんどの町-おおまちに至るまでの四百年」P105】 「繁田園の住所は大町五丁目27で、昭和4年、8年、13年の税額を記載」
【同書P109】 「昭和7年8月の三越進出反対大会(東京・日比谷公会堂)で、大町五丁目の井ケ田周治らが反対演説」と記述されている
【お茶の井ケ田のHP】 →「昭和20年(1945)の仙台空襲では、一番町(当時の住所は大町五丁目)にあった店舗も火の海に飲まれました。」
備考 ~ 青葉区・石川靖二さんの思い出 ~
<和菓子配達用の手押し車>
昭和10年頃の記憶です。 写真 49-02 は、一番丁通りの大町角より北にあった繁田園ですが、写真左端におかれているのは、左隣の店「玉澤総本店」(和菓子)の配達用の(人がひく)車です。(胴体に「玉澤」という字が書かれていた) 玉澤総本店には和菓子の見本箱をもって得意先をまわり注文をとる小僧さんが何人もいた。 見本箱は黒い漆塗りで中が仕切られ、そこに生菓子の見本を1つづつ入れる。 この車は、その際や配達時に使われた。 菓子は、夏は葛饅頭、秋は栗饅頭や栗蒸羊羹など。
<父が関東で菓子修行>
私の父が玉沢総本店の菓子職人で、兄も一時期働いていて、この車を曳いたことがある。 父は、「あんこやのヤスさん」と呼ばれ、関東では有名だった。東京で菓子修行をし、有名な菓子屋を渡り歩いた。日本橋堀留に「寿屋七」(すやしち・永田七五郎)という和菓子職人を専門にあっせんする人がいてその紹介で、仙台の玉澤総本店の菓子職人となった。 
カラー/モノクロ モノクロ 
分類内の通し番号 15 
画像ファイル名 sendai5085 
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