仙台よみとき用語年表
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仙台市電 実現しなかった予定路線    「大正十五年版・仙台市全図」(川名文明堂)によれば、市電の予定路線として、定禅寺通り~北鍛冶町~青葉神社下、長丁~宮町~東照宮下などの計画もあったことがわかる  「番丁詳伝」P118   
仙台市電 大町1丁目~大学病院 開通  1927年(S2)4月  ・ 1.2キロ / 環状線(循環線)の一部区間

* 1927年(S2)4月1日、開通 
「昭和史とともに 仙台市電 その50年」P187~189/「文集 仙台市電」末尾年表   
仙台市電 仙台駅前~光禅寺 開通  1927年(S2)11月  ・ 0.7キロ 
・ 駅から駅前電車通りを北へ向かう路線/環状線(循環線)の一部区間

* 1927年(S2)11月24日、開通 
「昭和史とともに 仙台市電 その50年」P187~189/「文集 仙台市電」末尾年表  99-020/「市民の戦後史(仙台市)」P73(戦後20年代後半?の駅前電車通り) 
仙台市電 光禅寺~県庁前 開通  1927年(S2)2月  ・ 0.9キロ / 環状線(循環線)の一部区間

* 1927年(S2)2月25日、開通 
「昭和史とともに 仙台市電 その50年」P187~189/「文集 仙台市電」末尾年表   
仙台市電 環状線(循環線)完成  1928年(S3)3月  * 1928年(S3)3月28日、県庁前~大学病院間(1.7キロ)が開通、これで環状線(循環線)全線(6キロ)が完成
・ 仙台駅前~錦町~県庁市役所前~北四番丁~西公園~南町通~仙台駅前(停留所名は、1976年市電廃止時の名称)

・ 西公園において開通式挙行 
「昭和史とともに 仙台市電 その50年」P187~189/「文集 仙台市電」末尾年表/「仙台市史 年表」P104  201-01201-05/「仙台市史 特別編4 市民生活」P208(循環線が完成したころの乗り換え乗車券)/同211(S49年、仙台駅前停留所の市電、カラー) 
仙台市電 芭蕉の辻線(南町支線) 開通~廃止  1928年(S3)4月~1944年(S19)3月  ・ 0.3キロ / 市電南町支線(通称・芭蕉の辻線)
・ 「芭蕉の辻」が終点
  
* 1928年(S3)4月8日開業
* 1944年(S19)3月31日、芭蕉の辻線撤去(「昭和史とともに 仙台市電 その50年」末尾年表) / 軌道(レール)は戦時供出(金属回収)のため撤去「仙台市史 特別編4 市民生活」P92) / 資材は、他の路線の補修用にまわした(「戦争のころ 仙台、宮城」P163)
* 1944年(S19)12月10日に休止(「仙台市史 年表」P113)
   → <編者注> この日付は間違いと思われる

「あきんどの町~おおまちに至るまでの四百年」P95
 市電「芭蕉の辻線」は昭和3年の東北産業博覧会開催を目途に開通(314m) / 大正12年の案では、芭蕉の辻が終点ではなく、さらに北へ延ばし国分町・二日町を経て北鍛冶町に至る計画だったが結局は実現せず、「芭蕉の辻線」は太平洋戦争中の昭和19年3月末に廃止された 
「昭和史とともに 仙台市電 その50年」P187~189/「文集 仙台市電」末尾年表/「仙台市史 特別編4 市民生活」P92)/「仙台市史 年表」P104、P113/「あきんどの町~おおまちに至るまでの四百年」P95/「戦争のころ 仙台、宮城」(石澤友隆著)P163  22-3353-49/「仙台市史 特別編4 市民生活」P92(S19年、金属供出のためはがされる芭蕉の辻線のレール)/「仙台市史 特別編4 市民生活」P208(終点芭蕉の辻俯瞰) 
仙台市電 長町線 延長開通  1936年(S11)12月  東五番丁~荒町間
  1926年(T15)11月25日開通
   (仙台駅前~大町1丁目間と同時開通)  
荒町~長町間4.2キロ
 (S8年~S11年に徐々に延長開通)
  1933年(S8)
 2月12日、荒町~愛宕橋間
    7月5日、愛宕橋~誓願寺通間
    12月14日、誓願寺通~舟丁間
  1934年(S9)
    12月2日、舟丁~河原町間
  1935年(S10)
    8月21日、河原町~新河原町間 
  1936年(S11)
    1月16日、新河原町~長町北町間
    8月6日、長町北町~長町南町間
    12月19日、長町南町~長町駅まで開通
    12月24日、市電と秋保電車の連絡乗車券発売

* 1954年(S29)8月1日、この日から長町線と八幡町線が直通 
「昭和史とともに 仙台市電 その50年」P187~189/「文集 仙台市電」末尾年表/「仙台市史 年表」P108/「仙台年表」P231  36-01201-30/「仙台市史 特別編4 市民生活」口絵の図84(S11年、土樋付近の市電線路と街並み)/「仙台市史 特別編4 市民生活」P208(S8年、長町線土樋カーブでの架線工事) 
仙台市電 北仙台線 開通~廃止  1937年(S12)10月~1969年(S44)3月  ・ 北四番丁~北仙台駅間、1.2キロ

* 1937年(S12)10月26日開通~1969年(S44)3月31日廃止
  (「仙台市史 年表」P109では、S12年10月25日に営業開始)
* 1968年(S43)9月、北仙台線廃止決まる
* 1968年(S43)9月11日、北仙台線撤去に反対する学生等が仙台市議会議場に乱入
* 1969年(S44)3月31日、北仙台線廃止 
「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P518/「昭和史とともに 仙台市電 その50年」P187~189/「文集 仙台市電」末尾年表/「仙台市史 年表」P109、P126/「重訂 宮城県郷土史年表」P642、P647  53-90/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P519に北仙台線軌道俯瞰写真/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P166の写真44は、北仙台線最終日の市電/「市民の戦後史(仙台市)」P218(北仙台線の軌道俯瞰、廃止反対して議場に押しかけたヘルメット姿の学生たち) 
仙台市電 八幡町線 開通  1941年(S16)10日  ・ 大学病院前~滝前町間、1.6キロ

* 1941年(S16)10月10日、開通
* 1954年(S29)8月1日、八幡町線の複線化工事完成、この日から長町線と八幡町線が直通(それまでは、大学病院前~八幡町折り返し運転)
* 1954年(S29)8月31日、複線開通(1582m) 
「昭和史とともに 仙台市電 その50年」P187~189/「文集 仙台市電」末尾年表/「仙台市史 年表」P111/「仙台年表」P231~232/「重訂 宮城県郷土史年表」P574/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P513  「市民の戦後史(仙台市)」P73(単線当時の八幡町線)/「市民の戦後史(仙台市)」P81と「新・目で見る仙台の歴史」P178(八幡線複線化完成で旗行列)/「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P102(S51、カラー) 
仙台市電 戦時対応  1943年(S18)~1944年(S19)  * 1937年(S12)3月、応召者の欠員補充のため、初めて女性車掌の採用(見習生に67名応募、20名採用 / 同年8月に2回目募集(「仙台市史 特別編4 市民生活」P366)

・ 戦時中の1日当たりの利用者
   S16年度 6万2600人  S17年度 7万200人
   S18年度 7万5700人
  特に、民間の軍需工場が集中していた長町へは市電利用者が多く始発時間を5時と10分間繰上げ、ラッシュ時は長町線の車両を7両増発して10分に3本運行、乗降客数の少ない9つの停留所を通過する「急行列車」を運行、近距離を電車通学する中学生・女学生には徒歩通学を勧めた
  午後10時の終電車発車後は野菜などの食糧を輸送
  S19年以降は一般家庭が防空壕を作るための木材を運搬(以上、「戦争のころ 仙台、宮城」P161)

* 1943年(S18)4月1日、戦時下輸送確保のため、市電停留所15カ所廃止(「昭和史とともに 仙台市電 その50年」末尾年表P188) 
* 1944年(S19)3月31日、芭蕉の辻線撤去(「昭和史とともに 仙台市電 その50年」末尾年表P188) / 軌道(レール)を戦時供出(金属回収)のため撤去(「仙台市史 特別編4 市民生活」P92)

* 1944年(S19)ころ、男性運転手不足から女性車掌を運転手に転用(「仙台市史 特別編4 市民生活」P366)
・ 男性運転手は徴兵による入隊や徴用が増えて117人のうち50人が欠員となり、18人の女性運転手が取って代わった / 勤労動員の市立仙台工業学校機械化4年生30余人も運転練習1日後には運転したが、その後まもなく別の軍需工場へ動員(「戦争のころ 仙台、宮城」P161)

* 1944年(S19)(「昭和史とともに 仙台市電 その50年」P188)
   1月10日、早朝割引制度廃止
   7月1日、工員定期券新設、料金10銭均一に
       回数券式から定期券式に改正
       急行電車運転(8時30分まで)
   8月1日、産業戦士輸送のため、循環線朝夕運休
   11月22日、物資輸送用電車運転 
「仙台市史 特別編4 市民生活」P92、P366/「昭和史とともに 仙台市電 その50年」P188/「戦争のころ 仙台、宮城」(石澤友隆著)P161  「新・目で見る仙台の歴史」P163(女性車掌たち)/「仙台市史 特別編4 市民生活」P209(モンペ姿の女性運転手たち・S19年頃、乗客長蛇の列)、P366(戦時中の市電女性運転手たち、モンペ姿) 
仙台市電 仙台空襲被害と復旧  1945年(S20)  * 1945年(S20)7月10日、仙台空襲で、片平丁の車庫が焼失、循環線全線と長町線の東五番丁~荒町間(計6.6キロ)が爆撃で破壊されて一時運転不能(「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P87、P315)
・ 車両は八幡町、長町、北仙台の各線に分散疎開し、損傷は軽微、一部は翌日から折り返し運転(「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P315)
* 1945年(S20)8月3日、循環線のうち南町回り線が復旧(「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P87)
* 1945年(S20)8月20日、戦災後の軌道復旧作業完了(「仙台市史10 年表」P309)、全線運行再開(「仙台市史 年表」P113)

・仙台空襲時、全車両(52輌)は奇跡的に全車無事 / 車両は、北二番丁車庫、北仙台線、八幡町線の終点と秋保電鉄車庫に分散しており焼夷弾攻撃を免れた / 空襲被害は片平車庫が全焼、中心部各所で架線が垂れ落ちる / 復旧工事により、空襲翌日には荒町~長町間で運転再開、仙台駅前~荒町間8月3日、敗戦13日後の8月28日に全線で運転再開(「戦争のころ 仙台、宮城」P163) 
「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P87、P315/「仙台市史10 年表」P309/「仙台市史 年表」P113/「戦争のころ 仙台、宮城」(石澤友隆著)P163  35-15(仙台駅西側付近の焼け跡に市電車両が写る)  
仙台市電 戦後(昭和20年代)  1945年(S20)~  ・ 戦時中運転した急行電車廃止、停留所を適正間隔に復活
・ 戦時中、軌道、車両、機械などを酷使した結果、輸送力低下し、使用可能車両は30両
・ S21年2月~、乗降口を一方口に
・ 悪性インフレの進行で料金値上 S21年4月(10銭)からS24年までに7回値上げ 
「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P510   
仙台市電 原の町線 開通  1948年(S23)5月  ・ 花京院~原町間、3.3キロ
* 1946年(S21)冬、東六番丁の国鉄専用鉄橋完工し、花京院~榴ヶ岡公園前間、1.6キロ開通
* 1948年(S23)5月5日、榴岡公園~原町終点まで開通し、原の町線(原町線)全線開通(単線)
* 1952年(S27)、花京院の東北本線立体高架橋完成
* 1952年(S27)8月1日、全線複線化完成し、市内循環線への乗り入れ可能(10月の国体開催時の輸送に効果あり) 
「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P510、P512/「昭和史とともに 仙台市電 その50年」P187~189/「文集 仙台市電」末尾年表/「仙台市史 年表」P115/「番丁詳伝」P115  「仙台市史 特別編4 市民生活」P211 
仙台市電 昭和30年代~全線廃止まで  1956年(S31)~1976年(S51)  * 1956年(S31)11月、「仙台市交通局三十年史」刊行
* 1957年(S32)、電力事情悪化で市電15%間引き運転
* 1958年度(S33)、市電事業赤字(3000万円余)、以後赤字続き
* 1959年(S34)、仙台市電停留所に照明灯がつく
* 1959年(S34)、仙台市電に女性車掌、14年ぶりに登場
* 1966年(S41)2月15日、ワンマンカー導入により職員400人削減等を労組に提示
* 1966年(S41)、一部の車両、ワンマンカーに
* 1970年度(S45年度)、一年間で1億円強の赤字(累積赤字10億円の大台にのる)
* 1972年(S47)2月4日、12億円の累積赤字のため廃止発表
* 1972年(S47)12月1日、市電の均一料金を40円に(10円値上げ)
* 1973年(S48)3月7日、島野市長、市電廃止を声明
* 1975年(S50)10月4日、仙台市議会、市電廃止議案可決
* 1976年(S51)3月31日、仙台市電お別れ式/最終運行(さよなら電車)/替わってグリーンバス運転
* 1976年(S51)4月8日、5両を長崎市へ輸送

<市電・市バスの乗客数推移グラフ S36~S42年> → 「仙台市史 続編第1巻」P525の図26

<市電・市バスの赤字推移グラフ S31~S42年> → 「仙台市史 続編第1巻」P533の図28
 
「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P514、P517、P518、P525、P533/「昭和史とともに 仙台市電 その50年」P187~189/「文集 仙台市電」末尾年表/「仙台市史 年表」P130/「重訂 宮城県郷土史年表」P591、P624、P674/「続・ 宮城県郷土史年表」P6、P15、P18、P45、P52、P53  「市民の戦後史(仙台市)」P106(照明が入った停留所標識)/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P518に、市電ワンマンカーの写真/「市民の戦後史(仙台市)」P200(市電のワンマンカー)/「新・目で見る仙台の歴史」P187(渋滞車線を走る市電、最後のサヨウナラ花電車、廃止記念乗車券)/同P211(市電ワンマンカー)/同210(S37年6月現在の市電運転系統図)/「仙台市史 特別編4 市民生活」P212~213(市役所前でお別れ式、おなごり乗車、廃止記念乗車券、花束持つ運転手、車庫前の花電車群俯瞰、カラー)/「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P101(S51、さようなら運転、カラー)/同P102(S51、ワンマンカー、カラー)/同P103(S51、北二番丁車庫) 
仙台市電 モハ1型 導入  1926年(T15)~1934年(S9)  車両モハ1型はT15~S9に導入、このうち7号はS39年10月に廃車  市電の各型の使用期間は、「昭和史とともに 仙台市電 その50年」P180~181  201-3699-002 
仙台市天文台 西公園に開台  1955年(S30)/2008年(H20)  * 1954年(S29)12月23日、桜ケ岡公園に建築完成(41cm反射望遠鏡、当時全国4番目の大きさ) / 国分町の板垣金造氏が望遠鏡製作費100万円を寄付
* 1955年(S30)2月1日、西公園に、民営の仙台天文台が開台(翌年、市に寄贈され、市営の「仙台市天文台」に)
* 1956年(S31)11月18日、仙台市天文台として観覧業務を開始
* 1968年(S43)5月15日、東北初のプラネタリウム館(250席)が併設される / S42年東北大博覧会(会場:苦竹)で展示された東北初のプラネタリウムを終了後、主催者河北新報社が市に寄付、市が西公園に移設

<観測機器>
41cm反射望遠鏡、運転時計付赤道儀架台に10cm屈折望遠鏡、20cm天体写真儀、20cm反射移動用望遠鏡、人工衛星望遠鏡など

<業務>
・ 学校教育:プラネタリウム学習や天文台実習(市内中学3年生全員、希望する小・高校対象)、課外クラブ利用、教員対象講習、東北各県に講師派遣、資料提供
・ 社会教育:市民、修学旅行団体の有料観覧、夜間天体観察、夏期には町内会・子供会など対象にに移動天文教室
・ 研究観測:人工衛星観測所として国際登録、彗星位置、太陽観測、変光星観測など世界の天文台に速報

<年間利用数 1968年度(S43)>
・ 一般観覧(有料) 2万6161人(半数が団体利用)
・ 市内学校教育利用(無料) 1万3781人

* 1974年(S49)1月10日、新型プラネタリウムを導入
* 1975年(S50)8月、仙台市天文台愛子観測所開設
* 2001年(H13)12月9日、来場者300万人を達成
* 2007年(H19)11月25日、観覧業務終了、閉館(H20年に、錦が丘の新天文台開館) 
「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P195、P441~444/「重訂 宮城県郷土史年表」P575、P632、P640、P650/「仙台あのころこのころ八十八年」P252/「仙台年表」P232/「仙台市史 年表」P119、P125、P129、P130/Wikipedia「仙台市天文台」/仙台市HP「仙台市のあゆみ」/「仙台市天文台」HP  「目で見る仙台の歴史」P185(西公園内の天文台、望遠鏡)/「市民の戦後史(仙台市)」P78(外観、41センチ反射望遠鏡)/「市民の戦後史(仙台市)」P208(プラネタリウム)/「新・目で見る仙台の歴史」P180(41センチ反射望遠鏡)/同P193(天文台内の星のジオラマ) 
仙台市天文台 新天文台開館  2008年(H20)  * 2008年(H20)、新天文台開館(青葉区錦ケ丘9丁目29-32)  「仙台市天文台」HP   
仙台自動車学校 開校  1924年(T13)  * 1924年(T13)3月、仙台自動車学校が新寺小路に開校  「仙台市史 年表」P102   
仙台市農業協同組合 設立  1965年(S40)  * 1965年(S40)3月31日、8つの農協が合併し設立  「仙台市史 年表」P124   
仙台市の工業 参考文献    <参考>
(1) 「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P659~697に、戦前(大正~昭和戦前期)、戦後(終戦~昭和43年頃)の仙台市の工場立地、開発計画、工業統計、新産業都市指定にむけての動きなどが記述されている

(2)「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P723~762「第九章第三節 景気と金融」には、戦後(S20~43年頃)の混乱期・復興期・高度成長期に、仙台の農業・工業・商業・金融が相互にからみつつ変化する状況と、仙台を含む東北の産業経済の特徴・全国的な位置づけが記述されている 
「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P659~697   
仙台市の工業 戦前期  大正~1945年(S20)8月  <大正末期に立地>
仙台市に、山文製作所(若林4丁目/サッシ類、汽缶類)、本山製作所(堤土手下/ポンプ、汽缶、精密機器類)、東洋刃物(米ケ袋下丁/製紙用、パルプ用の裁断ナイフ)が立地

<昭和戦前期の立地>
・東北金属(S8年、市内郡山諏訪/マグネット、通信機器材料)、東北特殊鋼(S11年、長町7丁目/高速度鋼、合金工具鋼、耐熱鋼)立地 
・ 昭和戦前期と終戦時の工場名一覧(「仙台市史 続編第2巻」P661)

<1940年(S15)6月、「仙塩地方開発総合計画概要」(宮城県土木部、金森構想)> 釜房ダム、仙台内港開削、塩釜港修築し1万トン岸壁新設、貞山堀拡築、道路改良、動力は常磐、北海道の石炭と電力使用、緑の工業地帯(大代、蒲生、深沼に3工業地区、貞山堀東岸全部と西岸の数か所に緑地造成、工場地帯には帯状の公園広場) / 戦争激化で実現せず 
「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P659~664  「仙台市史 特別編4 市民生活」P365(T4年、山田機業場工場内部)/「仙台市史 特別編4 市民生活」P491(茂庭製糸工場操業風景 
仙台市の工業 戦後期  1945年(S20)秋~1969年(S44)頃  ☆「仙台市史 特別編4 市民生活」P368
「敗戦直後の仙台市の工業は、ゴムや金属などの一部を除いて、代表とさるべき業種が見当たらない。朝鮮戦争の特需ブームは、国内経済の復興に寄与することになったが、工業の立遅れていた仙台地域の経済にとって物価高という悪影響の方が強く現れている。

☆「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P665~697の記載項目

<昭和20年代> P665~
・ 1946年(S21)12月の市内工業統計(分野別の工場数、従業員数、出荷額)
・ 1947年(S22)、1948年(S23)の市内地区別工場分布
・ 1948年(S23)当時の主要工場名一覧
・ 県総合3か年計画
・ 1950年(S25)末、市内の工場(工員規模)、500人以上は専売公社工場のみ、200人以上は6工場、市内540の工場は大部分が工員数人(「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P705)
・ 1954年(S29)、仙台市工場設置奨励条例(既存工場を助成し、中小工場の新設増設を支援)
<昭和30年代> P675~
・ 1960年(S35)4月、専売公社仙台工場(たばこ)完成
・ 1961年(S36)、仙台市工場誘致条例(P670~)
<新産業都市指定> P675~
・ 新産業都市指定にむけた運動
* 1963年(S38)7月、仙台湾地区が、他の12地区と共に新産業都市に内定
* 1964年(S39)3月3日、仙台湾地区、新産業都市建設区域に指定
・ 新産都市予定地区内に進出立地した新規工場一覧(S36年~44年に操業開始)
・ 仙台周辺住宅用地造成計画表(計画年次はS39~S45)
・ 工業用水道計画(S50)
<新都市計画> P684~
* 1966年(S41)3月、新都市計画(建設大臣より認可)
 この計画は、新産都市・広域行政など時代に即応し、市に隣接した泉町、宮城町、秋保町の一部もエリアとした、20年後の都市づくり総合構想で、工業面では、新産都市計画が進行するにあたって、仙台バイパス沿いに内陸工業地帯を、苦竹に流通センターを配置 / 工業地域は、長町・郡山の市内南部、小田原など東仙台地区、仙台新港につづく市東部の3か所、準工業地域として仙台バイパス沿いに鉄鋼団地・自動車団地・印刷団地 / 流通センターは、卸売団地(卸商センター)、トラックターミナル、倉庫団地など

・ 1966年(S41)の市内工業統計
・ 1969年(S44)年4月現在の主要工場一覧 
「仙台市史 特別編4 市民生活」P368/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P665~697、P705/「市民の戦後史(仙台市)」P90  「目で見る仙台の歴史」P192(小田原折沢の専売公社仙台工場)/「市民の戦後史(仙台市)」P90(S30年4月、専売公社仙台工場空撮)/同P201(印刷団地空撮)/「新・目で見る仙台の歴史」P197(印刷・機械金属・自動車の工業団地空撮、カラー) 
仙台市の消防 自治体消防以前  明治~昭和21年  * 明治初期、町火消組織化
* 1919年(T8)、南町大火で700戸焼失

<常備消防>
* 1924年(T13)、国分町の仙台警察署内に消防車2台、班員8人を常置
* 1927年(S2)、第二常備班(荒町)開設
* 1935年(S10)、常備消防部設置 / 第一常備部を「仙台常備消防本部」へ、第二(荒町)、第三(原町)、第四(長町)の各常備班を「分遣所」へ改称

<警防団の常備消防部となる>
* 1939年(S14)、警防団令公布 / 消防組は、民間防空組織の「防護団」と合して「警防団」と改称され、「仙台警防団常備消防部」となる
* 1944年(S19)4月、仙台南警察署開設とともに「南警防団常備消防部」設置
* 1945年(S20)7月10日、仙台空襲で、北常備消防部と狐小路分遣所が消失 
「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P814~815   
仙台市の消防 仙台市消防本部  1947年(S22)以降  <自治体消防>
* 1947年(S22)4月、消防団令公布 / 消防団長は市長が任命し、消防の運営は消防委員会があたる
* 1948年(S23)3月、消防組織法公布
* 1948年(S23)11月1日、自治体消防本部発足 / 従来の常備消防は消防本部のもとに統合、仙台市北・南消防署に改編設置 / 同年12月、常備消防部員を全員、消防吏員として採用 / 北と南の消防署、5分遣所、消防車11台
* 1951年(S26)、北消防署庁舎(鉄筋コンクリート2階建て)を北一番丁の元特別調達庁跡に新築し、消防本部と北消防署が移転
* 1951年(S26)以降、毎年、防火用水を建設、S31年までに計31か所新設
* 1952年(S27)、南消防署の望楼を鉄塔に改築
* 1957年(S32)7月1日、東消防署開庁、ブロック2階建て望楼付き
* 1959年(S34)2月、3段式16mハシゴ車1台を北署に配置
* 1959年(S34)3月、泡消火剤など装備の科学消防車1台を南署に配置
* 1959年(S34)5月、仙台市消防音楽隊(隊員30人)発足
* 1960年(S35)、片平丁出張所を再建(戦災で焼失廃止されていた)
* 1961年(S36)4月1日、仙台市消防局に、初の救急車、救急隊(3人)配置
* 1963年(S38)、南消防署を新弓の町に改築
* 1965年(S40)12月17日、南消防署に化学消防車配置
* 1966年(S41)8月、東北初の特別消防隊(消防レインジャー部隊)編成し、訓練開始
* 1966年(S41)12月1日、北消防署に、32メートル高層梯子車を配備
* 1968年(S43)3月、排煙車配備
* 1969年(S44)5月1日、望楼勤務を廃止(ビル増設とスモッグのため市街の展望不能となる)
* 1975年(S50)11月20日、仙台初の20m級スノーケル車を南消防署連防出張所に配置
* 1983年(S58)8月25日、東消防署は、苦竹3丁目の新庁舎に移転
* 1989年(H1)月日、仙台市泉消防署に36mはしご車配備
* 1996年(H8)4月、仙台市消防局、県内ではじめて女性消防士採用 
「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P813~818、P831~831、P845/「重訂 宮城県郷土史年表」P600、P622、P627、P628、P649/「続・ 宮城県郷土史年表」P47、P165、P258/「仙台市史 特別編4 市民生活」P367  20-04/「目で見る仙台の歴史」P182/「市民の戦後史(仙台市)」P68/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P816に、消防本部・北消防署庁舎/同P846の写真210(排煙車)/「市民の戦後史(仙台市)」P104(16mハシゴ車)/同P130(救急車)/同P180(出初式一斉放水、レインジャー部隊訓練)/同P210(排煙車) 
仙台市の消防 消防団(戦後)    * 1948年(S23)、発足 / 北・南消防団で1470人、腕用ポンプ56台、手引きガソリンポンプ11台
* 1950年(S25)9月、原町、岩切など7分団を支団と改称、定員1800人
* 1957年(S32)3月、9支団を再び分団と改称、地域の事情により水防部も併置

* 1967年(S42)末の消防団組織図(「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P822)計1654人
 ・ 北消防団に、1本部13分団
 ・ 南消防団に、1本部14分団
 ・ 東消防団に、1本部6分団 
「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P821~822   
仙台市の消防 市民の取組など  1951年(S26)~1968年(S43)頃  <町ぐるみ消防訓練>
* 1956年(S31)4月、第1回烈風時消防演習
* 1960年(S35)2月、大規模な夜間演習

<自営消防隊>
・ 各職場における火災発生防止

<婦人防火クラブ>
* 1962年(S37)5月、生出地区で「萩の台婦人防火クラブ」結成、ポンプ操法など実施
・ 「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P827の表198に、S43年4月現在のクラブ一覧(27クラブ)

<少年消防クラブ>
小中学校単位に結成、防火思想と消防一般の知識を学ぶ防火教室開催、器具操作など
* 1951年(S26)4月10日、西多賀小学校少年消防クラブ
・ 「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P828の表199に、S43年4月現在のクラブ一覧(20クラブ)

<ハシゴ乗り保存会>
* 1965年(S40)12月、結成 / 後継者難でS39年出初式では中止していたが、S41年出初式から再登場
 
「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P823~828   
仙台市の動物園(戦前) 仙台市動物園 開園  1936年(S11)  * 1933年(S8)、失業対策事業で、広瀬川沿いの評定河原が埋め立てられ、北半分は東北帝国大学のグラウンドとなり、南隅は動物園用地となった
* 1936年(S11)4月1日、仙台市動物園が評定河原埋立地に開園(当時、東京以北で唯一の動物園で、昭和12年12月までの入場者は31万人)
・ 入園料(昭和11年) 大人15銭、軍人10銭、小人5銭(昭和11年刊「仙台の産業と観光」P64)
・ 坪数8150坪、収容動物150種500点、初代園長漆沢忠雄(「重訂 宮城県郷土史年表」)
・ 象・虎・ヒョウ・白熊など35種100頭を、閉園した東京浅草の花屋敷動物園から譲り受け、それに加えて200余頭を購入した(「仙台はじめて物語」)
・ 3月29日に収容動物到着、4月1日開園、165種471点(仙台市史10 年表)
・ 入場者、昭和11年(4月~12月)に31万人
・ 入場者 昭和12年17万人、13年20万人、14年26万人と戦乱(日中戦争)が拡大しても、観客は減るどころか年々増えていった(「戦争のころ 仙台、宮城」P40) 
「目で見る仙台の歴史」P167/「仙台市史 年表」P108/「仙台はじめて物語」P104~105 /「仙台市史10 年表」P288/「重訂 宮城県郷土史年表」P451/「仙台あのころこのころ八十八年」P247/「市史せんだい Vol2」P15/昭和11年刊「仙台の産業と観光」P64/「戦争のころ 仙台、宮城」(石澤友隆著)P40  53-119/「目で見る仙台の歴史」P167/「仙台市史 特別編4 市民生活」P204(仙台市動物園開園記念観覧券と市電乗車券) 
仙台市の動物園(戦前) 仙台市動物園猛獣射殺  1944年(S19)  * 1944年(S19)3月25日、太平洋戦争末期の仙台市動物園で、猛獣12頭(熊4頭、シロクマ・ヒグマ・ライオン各2頭、ヒョウ・トラ各1頭)が「空襲の際に危険」と射殺された(仙台市交通局五十年史)/ ただし仙台市史ではシロクマ・ライオン各2頭、ヒョウ・トラ・ヒグマ・クマ各1頭の合計8頭 / 自然休園となる / 5月19日、銃殺動物慰霊塔建設
* 1944年(S19)5月19日、空襲にそなえ処分された動物たちの慰霊祭(「戦争のころ 仙台、宮城」P140) 
「仙台はじめて物語」P104~105/「仙台市史10 年表」P307~308/仙台市史 年表」P113/「仙台あのころこのころ八十八年」P249/「市史せんだい Vol2」P15/「戦争のころ 仙台、宮城」(石澤友隆著)P140   
仙台市の動物園(戦前) 仙台市動物園閉園  1945年(S20)  ・ 猛獣の処分(S19年3月)で空き家になった建物には、市議会の建議通りブタ15頭が飼われ、花壇や通路では野菜を栽培、動物舎付近はカボチャ畑になった。閉園までは猛獣ぬきで営業(「戦争のころ 仙台、宮城」P143)

* 1945年(S20)4月1日、休園(そのまま再開せず)
* 1945年(S20)7月10日、仙台空襲で焼失 
「仙台市史10 年表」P309/「仙台市史 年表」P113/「重訂 宮城県郷土史年表」P504/「市史せんだい Vol2」P15/「戦争のころ 仙台、宮城」(石澤友隆著)P143     
仙台市の動物園(戦後) 河北動物園  1952年(S27)  * 1952年(S27)10月31日、評定河原の旧動物園跡で開催中に象小屋から出火、小象など焼死  「仙台年表」P225   
仙台市の動物園(戦後) 河北動物博覧会  1953年(S28)  * 1953年(S28)10月24日、西公園で「河北動物博覧会」開催  「見験楽学」(仙台・宮城のミュージアム情報サイト)/「仙台年表」P227   
仙台市の動物園(戦後) 三居沢動物園  1957年(S32)~1965年(S40)  * 1957年(S32)10月25日、三居沢に開園 
    ~現在(1995年)、三居沢交通公園がある場所~
・ 最初は、20種類53点。のちにライオン、ヒョウ、クマ、象も増えて、最終的には68種268匹に(「戦争のころ 仙台、宮城」P144)
* 1965年(S40)9月24日、閉園
* 1967年(S42)1月、跡地に、東北初の「交通公園」開園 
「仙台市史 年表」P120/「重訂 宮城県郷土史年表」P586/「仙台あのころこのころ八十八年」P252、P255/「戦争のころ 仙台、宮城」(石澤友隆著)P144   「目で見る仙台の歴史」P178/「市民の戦後史(仙台市)」P97(俯瞰全景、開園式場)/「新・目で見る仙台の歴史」P180 
仙台市の動物園(戦後) 仙台市立八木山動物公園  1965年(S40)~  * 1965年(S40)10月15日、開園(14ha) / 90種、350頭 / 五大大陸ごとに放し飼い 

・ 仙台の味噌醤油製造業「紅久」経営者八木家が、昭和初期に仙台市に寄贈した土地に開園 / 閉園する仙台市立三居沢子ども動物園の動物も八木山へ移された

* 1967年(S42)8月7日、音楽姉妹都市の大分県竹田市からイノシシ3頭を贈られる
* 1970年(S45)7月31日、動物園付近に、八木山開発者八木久兵衛(五代)の胸像建立
* 1971年(S46)1月18日、類人猿舎で火事、猿類18匹焼死
* 1987年(S62)6月29日、中国長春市から、レッサーパンダ到着(1988年(S63)8月6日、レッサーパンダの赤ちゃん誕生)
* 1988年(S63)3月30日、カナダからアメリカビーバー受納式 
「仙台市史 年表」P124/「仙台老舗百店史P194~195「紅久」/「重訂 宮城県郷土史年表」P622、P634、P663、P667/「続・ 宮城県郷土史年表」P225、P242/「市民の戦後史(仙台市)」P172/「番丁詳伝」P34~35  「市民の戦後史(仙台市)」P172~173(正面から見た全景、象トシ子さん引越し)/「新・目で見る仙台の歴史」P192(カラー) 
仙台市の特徴ある条例・宣言・憲章・事業 健康都市宣言  1962年(S37)   → 項目「健康都市宣言」参照     
仙台市の特徴ある条例・宣言・憲章・事業 公害市民憲章  1970年(S45)   → 項目「公害市民憲章」参照     
仙台市の特徴ある条例・宣言・憲章・事業 公害防止条例  1971年(S46)   → 項目「公害防止条例」参照     
仙台市の特徴ある条例・宣言・憲章・事業 杜の都の環境をつくる条例  1973年(S48)   → 項目「杜の都の環境をつくる条例」参照     
仙台市の特徴ある条例・宣言・憲章・事業 身体障害者福祉モデル都市  1973年(S48)  * 1973年(S48)7月27日 国から「身体障害者福祉モデル都市」第1号に指定される   「仙台市史 年表」P128     
仙台市の特徴ある条例・宣言・憲章・事業 広瀬川の清流を守る条例  1974年(S49)   → 項目「広瀬川の清流を守る条例」参照     
仙台市の特徴ある条例・宣言・憲章・事業 仙台市民の消費生活を守る条例  1975年(S50)   → 項目「仙台市民の消費生活を守る条例」参照     
仙台市の特徴ある条例・宣言・憲章・事業 彫刻のあるまちづくり事業  1977年(S52)   → 項目「彫刻のあるまちづくり事業」参照     
仙台市の特徴ある条例・宣言・憲章・事業 防災都市宣言  1979年(S54)  * 1979年(S54)、防災都市宣言(前年1978年(S53)6月12日に、宮城県沖地震)  仙台市HP「仙台市のあゆみ」   
仙台市の特徴ある条例・宣言・憲章・事業 緑の団地条例  1982年(S57)   → 項目「緑の団地条例」参照     
仙台市の特徴ある条例・宣言・憲章・事業 福祉ボランティアのまちづくり事業  1985年(S60)   → 項目「福祉ボランティアのまちづくり事業」参照     
仙台市の特徴ある条例・宣言・憲章・事業 スパイクタイヤ対策条例(宮城県)  1986年(S61)   → 項目「スパイクタイヤ対策条例」(宮城県)参照     
仙台市の特徴ある条例・宣言・憲章・事業 SENDAI光のページェント  1986年(S61)~   → 項目「SENDAI光のページェント」参照     
仙台市の特徴ある条例・宣言・憲章・事業 杜の都の風土を育む景観条例  1995年(H7)   → 項目「杜の都の風土を育む景観条例」参照     
仙台市の特徴ある条例・宣言・憲章・事業 環境基本条例  1996年(H8)   → 項目「環境基本条例」参照     
仙台市の特徴ある条例・宣言・憲章・事業 ひとにやさしいまちづくり条例  1996年(H8)   → 項目「ひとにやさしいまちづくり条例」参照     
仙台市の農村・農業(戦後) 農業・農村地帯の変化  引用した参考資料  <参考>
(1)「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P605~658の「第八章 農業」は、戦後~昭和43年頃までの、仙台の農業の変遷につき記述。
・ 内容は、農地解放の経緯(S21年~27年ころ)、他産業との所得格差、兼業化、都市拡大に侵食される農用地、農地の基盤整備事業、畜産の推移、林業の変化、農畜産物流通、中央卸売市場開設、農協合併、戦後開拓地(緊急開拓事業)、仙台市育種園など

(2)「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P723~762「第九章第三節 景気と金融」には、戦後(S20~43年頃)の混乱期・復興期・高度成長期に、仙台の農業・工業・商業・金融が相互にからみつつ変化する状況と、仙台を含む東北の産業経済の特徴・全国的な位置づけが記述されている 
「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P605~658、P723~762   

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体外受精
大学・短大
大学紛争
大政翼賛会/新体制/公会/報国会
第二高等学校(旧制)
第二師団
第二師団凱旋記念満蒙軍事博覧会
第十三師団
第三十三師団
第四十二師団
大日本国防婦人会
大日本婦人会
大日本連合婦人会
台原森林公園
台風被害(戦後)
多賀城跡
高橋是清
タクシー
宅地造成ブーム
竹槍訓練
立町小学校
谷風の墓所
多門師団凱旋
多門通り
男女共学
地価狂乱
乳銀杏
ちびっこ広場
駐留軍(米軍)
彫刻のあるまちづくり事業
鳥獣特別保護区
朝鮮館
朝鮮人移入労働者
朝鮮戦争
樗牛瞑想の松
チリ地震津波
榴ケ岡公園
堤人形
ツルヤ洋菓子店とカフェ・クレーン
デイケアー
貞山運河(貞山堀)
逓信関連
停電
出稼ぎ者相談所
テレトピア構想
テレビアンラジオ
テレフォンカード
電気開始(仙台)
電球
電信開始(仙台)
天神社
伝染病流行
伝統町名保存
天皇、仙台行幸
電力ホール
電話
電話開始(仙台)
土井晩翠
東一マーケットと中央マーケット
洞雲寺
灯火管制
東京オリンピック(昭和)
東照宮(仙台)
東部復興道路
同胞援護会
東邦生命ビル
東北学院
東北産業博覧会
東北自動車道
東北新幹線
東北振興/農村更生
東北大学
東北大学病院
東北鎮台 →仙台鎮台 →第二師団
東北帝国大学
東北電力
東北本線
東北楽天ゴールデンイーグルス
東北歴史資料館
東北六魂祭
東北絆まつり
遠見塚古墳
特別調達庁
都市型CATV
特急はつかり
特急ひばり
トラックターミナル
名掛丁商店街
仲の瀬橋(広瀬川)
長町駅
奈良原式鳳号
西内楽器店
西公園(桜ケ岡公園)
西本願寺別院(東一番丁)
二十人町
日米野球
ニッカウイスキー工場
日本銀行
日本生命館
日本鉄道
日本農民組合
ネオンサイン
年賀郵便
年中行事(まつり)
乗合馬車
敗戦後の諸相・仙台
廃藩置県(仙台県誕生)
バカンス(流行語)
爆弾三勇士の歌
博覧会・フェア
芭蕉の辻
芭蕉の辻商館
芭蕉の辻の城櫓風建物
芭蕉の辻の洋館
バス
バスプール
バス優先レーン
支倉常長(記念碑/銅像)
発電事業
パテー館
花火大会
針久旅館支店(仙台駅前)
ハリストス正教会堂
藩祖政宗公三百年祭
藩祖政宗公の記念祭
東一番丁(商店街)
東一番丁大火
東一番丁百年祭大仮装行列
東二番丁尋常小学校
東二番丁通り(拡幅)
東日本大震災
光ヶ丘天使園
飛行船「雄飛号」
飛行大会
ひとにやさしいまちづくり条例
ヒトラーユーゲント一行が来県
日乃出映画劇場
ひらつか(東一番丁)
ビル建設
広瀬川の清流を守る条例
広瀬通り
広瀬橋(広瀬川)
プール
フェリー
俯瞰撮影禁止など
福祉ボランティアのまちづくり事業
富国生命館(国分町)
藤崎
フジビール
婦人参政権獲得運動
婦人の社会活動(戦後・仙台)
婦人標準服
普通選挙要求運動
物価上昇
二日町大火
復興盆踊り
仏舎利塔
ブラザー軒
文化キネマ/文化劇場/仙台松竹映画劇場
文学碑など(仙台)
文化勲章
文化財指定
文化横丁
兵役制度
米軍進駐
兵事義会/銃後奉公会
ベガルタ仙台
ペデストリアンデッキ
ヘレンケラー女史
奉安殿
防空演習
ポケットベル
歩行者天国(東一番丁)
ホテル
歩兵第4連隊
歩兵第104連隊
本土決戦体制
政宗卿騎馬像
政宗卿平服像
松島座/パテー館/仙台日活館/仙台日活劇場
松島パークホテル
松永正敏中将
松原街道
マナスル登頂成功
丸光
満年齢
満蒙開拓
右側通行
水の森スケート場
三越(仙台店)
緑と花いっぱい運動
緑の団地条例
南町大火
南町通り(多門通り)
三原時計店
宮城学院
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宮城県沖地震
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宮城県弘報誌「みやぎ」
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