分類項目 | 市民の楽しみ |
タイトル | 仙台市動物園 正門前に集まった客たち |
写真番号 | 53-119 |
場所 | 仙台市評定河原 |
映像内容 | 仙台市動物園は、昭和11年4月1日に、評定河原埋め立て地に開設された / 「850坪、150種500点の動物がいた。 昭和20年3月閉館」(「重訂 宮城県郷土史年表」P451) |
撮影年代 | 1936年(S11)~1940年(S15)頃 |
撮影年代判定根拠 | ①昭和11年4月オープン |
関連情報/参考文献 | 【「仙台はじめて物語」P104~105】 仙台市動物園は、象、虎、ヒョウ、白熊など35種100頭を、閉園した東京浅草の花屋敷動物園から譲り受け、それに加えて200余頭を購入した / 太平洋戦争末期の昭和19年3月、ライオン、虎、熊など猛獣12頭が空襲の際に危険と射殺された |
備考 | 撮影)森権五郎 <参照> 当サイト内「仙台よみとき用語年表」でキーワード“仙台市動物園”で検索 仙台市動物園の写真 →【「絵葉書で綴る大正・昭和前期の仙臺」(2006年刊)P93】 <太白区・鈴木東吉さん(大正13年生まれ)の思い出 「戦時中の動物園」> 「戦前、評定河原に動物園がありました。/私は東一番丁の文化キネマの近くに住んでいて、よく、アシカの遠吠えの声を聞いたものです。戦争中でエサが無かったのでしょう。」 <青葉区・菅井わか子さん(昭和11年生まれ)の思い出> 「戦争中、動物園には動物が殆どいなくなって、向かい側の山に兵隊さんの人形が飾ってあった。」 <佐藤一夫さん(昭和2年生まれ)の記憶 「終戦時の動物園の状況」> 「私は、飼育係の高須賀大三郎さん(石巻市出身、90歳位)と懇意にしていたが、戦時中に猛禽類はほとんど処分され、猿20匹と若干の鳥類が残っているだけだった。弱った猿一匹を貰って飼育したが、残った猿には二人の米兵が毎朝ジープでパン屑や残飯を運んで与えていたことがわかった。 2~3ケ月後、米兵は転属で帰国し、与えるエサがないので糠ダンゴを運んだが、猿は食べようとせず、結局餓死してしまった。」 |
カラー/モノクロ | モノクロ |
分類内の通し番号 | 8 |
画像ファイル名 | sendai9060 |