項目 |
小項目 |
年 |
内容 |
出典/参考資料 |
関連映像 |
大倉ダム |
完成 |
1961年(S36) |
* 1958年(S33)10月、ダム工事着工
* 1961年(S36)6月17日、大倉ダム工事完成し、貯水開始
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「市民の戦後史(仙台市)」P104/「重訂 宮城県郷土史年表」P600
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「市民の戦後史(仙台市)」P104(ダム工事)/同P135(S36年8月、大倉ダム完成し放流開始)/同P170(大倉ダムから放流)/「新・目で見る仙台の歴史」P188(大倉ダム、カラー)
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こけし塔(西公園) |
除幕式 |
1961年(S36) |
* 1961年(S36)3月27日、仙台市戦災復興都市計画事業完了、完工式(総額11億5千万円)、3月27日に完了記念の「こけし塔」を西公園に建設除幕式 / 鋳物製
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「仙台市史 年表」P122/「仙台あのころこのころ八十八年」P253/「宮城百年」(毎日新聞社刊)年表
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ガス |
仙台市ガス局 |
1961年(S36) |
* 1941年(S16)4月1日、市営ガス事業開始(仙台瓦斯を買収) / 需要戸数は、1942年(S17)に3389戸
* 1945年(S20)7月10日、仙台空襲で大打撃受けるが、10月10日から供給再開 / 需要戸数は戦災後は1500戸、1952年(S27)に4134戸
* 1957年(S32)9月、ガス局原町工場完成
* 1961年(S36)、仙台市ガス局でプロパンガス取扱開設
* 1973年(S48)、港工場竣工
* 1978年(S53)、宮城県沖地震、原町工場廃止
* 1997年(H9)、LNG船第一船入港、新港工場竣工
* 2005年(H17)、新港工場を港工場に名称変更
* 2011年(H23)3月11日、東日本大震災発生、港工場に甚大な被害 / 災害復旧に1ヵ月余を要す
* 2012年(H24)3月、港工場、震災による被害から復旧
<仙台市ガス事業実績グラフ(S16~42年)> →「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P539の図30 (導管延長、需要家戸数、販売量の推移)
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「仙台市史本編2」P760、P764、P769/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P88、P315、P539/「重訂 宮城県郷土史年表」P601
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「目で見る仙台の歴史」P183(小田原念仏壇の仙台市ガス局工場)/「市民の戦後史(仙台市)」P101(ガス局原町工場)
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仙台の農村・農業(戦後) |
農漁業が支えた戦後経済(3) |
1960年(S35)~1968年(S43)頃 |
・ 連続の豊作記録と、消費の拡大によって、S34年のはじめから拡大をはじめていた東北の経済は、35年も引き続き高水準の成長を示し、民間企業317工場の設備投資額が、S33~35年には、毎年2倍くらいずつ伸び、事業所得も順調に伸長した。このような景気上昇を支えていたのは、いぜんとして農村を中心とする消費需要であった。
・ 昭和37年は、東北は全体として鉱工業生産の若干の伸び悩みがみられたものの、米の連続豊作や底堅い消費によってささえられている仙台の経済活動はますます活発になったのであり、その中で中央資本と結びついた大型スーパーの進出が相次いだ。
・ 日本経済は、昭和39年~40年に戦後最大の不況を迎えるが、当初は影響はそう大きくなく、昭和38年もまた連続豊作が続き農村での堅調な消費が、年末から再び行われた金融引き締めによる鉱工業生産の出荷のびなやみを大幅にカバーすることになった。
・ しかし、工業製品の出荷や在庫の動きを手始めに、次第に景気後退があらわれ、39年秋には企業倒産が深刻、不渡り手形も激増、市内百貨店の売り上げ増も39年12月は前年同月の8%増にとどまり、米代金の流入停滞や漁業不振も重なり、東北にも不況の波が押し寄せた。
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「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P745~762の「第九章第三節 景気と金融の三 飛躍への道」から、農業にかかわる部分のみを抜粋
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魯迅の碑 |
建立 |
1960年(S35)/1975年(S50) |
* 1960年(S35)12月4日、仙台城三の丸跡に建てられる
* 1975年(S50)10月19日、魯迅の下宿跡(米ケ袋の佐藤喜東治さん宅)に建立
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「仙台市史 年表」P121/「続・ 宮城県郷土史年表」P46
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「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P292の写真95
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市場 |
仙台市中央卸売市場 |
1960年(S35)/1973年(S48) |
* 1955年(S30)7月、市場内の製氷工場操業開始
* 1957年(S32)4月26日、起工式(宮城野原旧練兵場跡)
* 1960年(S35)12月4日、宮城野原に開設、「水産物部」の業務開始
* 1961年(S36)12月11日、「青果物部」の業務開始(これまであった長町市場を暫定的に1年間、分場として残す)
<新・仙台市中央卸売市場>
* 1973年(S48)11月1日、原町南目(卸町4丁目)に、新たな「仙台市中央卸売市場」開場(青果、水産、花き部門を併設)
* 1975年(S50)7月、仙台市田子(扇町6丁目)に、中央卸売市場(食肉市場)開業
* 1988年(S63)1月、花き部門を分離、花き市場が苦竹4丁目に完成した新施設で営業開始
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「市民の戦後史(仙台市)」P90/仙台市HPのうち、仙台市中央卸売市場(市場の歴史)および仙台市中央卸売市場(食肉市場の歴史)
/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P465~467/「仙台市史 年表」P121、P122、P129、P135/「重訂 宮城県郷土史年表」P585、P602/「続・ 宮城県郷土史年表」P24、P43、P238/
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「目で見る仙台の歴史」P183(宮城野原の中央卸売市場)/「仙台市史 特別編4 市民生活」P89(S30年代、中央卸売市場セリ風景)/「新・目で見る仙台の歴史」P182(宮城野原の中央卸売市場俯瞰全景、セリ風景)/「市民の戦後史(仙台市)」P90(製氷工場)/同118~119(市場全景、青果物市場、水産市場、せち)/「新・目で見る仙台の歴史」P206(魚市場セリ、カラー)/「仙台市史 特別編4 市民生活」P75(S50年頃、食肉市場)
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支倉常長(記念碑/銅像) |
建立 |
1960年(S35)/1972年(S47) |
* 1960年(S35)5月、支倉常長記念碑、仙台城址三の丸に、仙台ライオンズクラブが建立(「重訂 宮城県郷土史年表」P596)
* 1972年(S47)11月13日、支倉常長銅像、青葉山で除幕式
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「仙台城(仙台市教育委員会 昭和42年刊)」P236/「重訂 宮城県郷土史年表」P596/「続・ 宮城県郷土史年表」P15
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「市民の戦後史(仙台市)」P151(S38年6月にイタリアから贈られた支倉常長肖像)
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東北電力 |
仙台火力発電所/新仙台火力発電所 |
1960年(S35)/1971年(S46) |
* 1957年(S32)6月29日、七ヶ浜町で起工式
* 1959年(S34)7月2日、1号機に火入れ/11月に完成
* 1960年(S35)2月20日、運転開始(17万5000KW)
* 1960年(S35)12月1日、2号機完工式
* 1962年(S37)6月、3号機完成(1・2・3号機で計52.5万KW)
* 1969年(S44)7月、新仙台火力発電所1号機、工事着手
* 1971年(S46)8月20日、新仙台火力発電所1号機、営業運転
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「重訂 宮城県郷土史年表」P585、P593、P594、P595、P598、P605、P651/「続・ 宮城県郷土史年表」P1
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「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P599の写真137(仙台火力発電所)/「市民の戦後史(仙台市)」P146(S37年6月、仙台火力発電所(1・2・3号機)外観)
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高等学校(新制) |
東北電子工業高等学校/東北工業大学電子工業高等学校/東北工業大学高等学校/仙台城南高等学校 |
1960年(S35)/1965年(S40)/1994年(H6)/2013年(H25) |
<東北電子工業高等学校>
* 1960年(S35)10月、学校法人東北電子学院、設立
* 1961年(S36)4月、東北電子工業高等学校を開校
* 1961年(S36)4月、 東北大学片平キャンパス中央講堂で、開校式、第1回入学式 / 電子工学科、無線通信科、別科 / 東二番丁通りの仙台地方貯金局庁舎(現 仙台中央郵便局)とその元庁舎が仮校舎 / 二学期から太白区八木山松波町の校舎に移転
* 1964年(S39)4月、電子工学科を電子科に改称、無線通信の募集停止
* 1964年(S39)6月、普通科教室、体育館完成
<東北工業大学電子工業高等学校>
* 1965年(S40)4月、法人名を学校法人東北工業大学に改称(前年に東北工業大学を開学) / 学校名を東北工業大学電子工業高等学校に改称。
* 1966年(S41)4月、無線通信科を廃止、普通科を設置(普通科、電子科の2学科となる)
<東北工業大学高等学校>
* 1994年(H6)4月、 東北工業大学高等学校に改称 / 普通科を4コース(英数/文系/理系/教養)、電子科を4コース(制御技術/情報技術/電子技術/理数工学)とする
* 1999年(H11)4月、普通科を男女共学とする
* 2004年(H16)4月、電子科を男女共学とする
<仙台城南高等学校>
* 2013年(H25)4月、学校名を仙台城南高等学校に改称。特進科(文系/理系)、探究科(文系/理系)、科学技術科(メカトロニクス/情報通信/情報デザイン/電力技術)の3学科を設置
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「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P511/Wikipedia「仙台城南高等学校」2020年9月2日版
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宅地造成ブーム |
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1960年(S35)頃~ |
「昭和35年頃から始まった(仙台の)宅地造成ブームは、この頃(昭和40年代)頂点に達し、仙台市北部や南西部一帯の一帯の丘陵地帯は、緑をはぎ取られ、瞬く間に住宅地に化けていった。これは、仙台の膨張を如実に示すものだが、一方、無計画な宅地造成や粗悪な住宅地、杜の都の破壊、上下水道の問題など大きな都市問題となりつつあり、発展期にある仙台にとって、「住」の解決が最大の課題となっている。」(昭和44年発行の「市民の戦後史(仙台市)」P190)
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「市民の戦後史(仙台市)」P190
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「市民の戦後史(仙台市)」P190~191(八木山地区、旭ヶ丘地区、南光台地区、北部丘陵地帯に広がる住宅団地群、危険な石垣、がけの上の家)
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市民土曜音楽会 |
開始 |
1960年(S35) |
* 1960年(S35)7月、始まる(市役所庁舎前で)
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「市民の戦後史(仙台市)」P125
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「市民の戦後史(仙台市)」P125(S35年7月、土曜音楽会)
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ひらつか(東一番丁) |
焼失 |
1960年(S35) |
ひらつかは、S35年暮れの火事で焼失 / その後再建
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ビル建設 |
第一ビル(仙台駅前) |
1960年(S35) |
* 1960年(S35)4月、第一ビル竣工
仙台駅前広場の北側に面して建設(9階建)
2018年現在は、「仙台マークワンビル」の場所
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「わが心の仙台駅前史」P87
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22-14/「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P96
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ビル建設 |
東北電力ビル |
1960年(S35) |
* 1960年(S35)8月4日、東北電力ビル(地下1階一部2階、地上9階建、塔屋3階)が東二番丁70に完成 / 東北電力本社 / グランドホテル仙台、電力ホール、貸室、市民図書館分室を併設 / 当時は東北一の大型ビル
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「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P596
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「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P45(S35年)、P60(S38、カラー)
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安保反対闘争(1960年) |
60年安保闘争・仙台の動き |
1960年(S35) |
<「仙台市史 特別編4 市民生活」P540「安保反対闘争」より転記>
* 1959年(S34)3月、安保改定阻止国民会議結成
* 1959年(S34)4月、第1次全国統一行動 / 翌年10月まで23回にわたる統一行動
宮城県、仙台市での日米安全保障条約改定反対闘争
・ 宮城県安保廃棄、改定阻止県民会議結成
* 1959年(S34)11月27日の第8次全国統一行動では、宮城県庁前広場大集会とデモ行進
* 1960年(S35)4月23日、東北大学川内と東分校両自治会が、安保問題討論集会(800人規模)、400人の学生が仙台市内で反対署名運動
* 1960年(S35)5月16日、仙台で、衆議院安保問題特別委員会の公聴会 / 県庁前で安保阻止県民会議(労組員、学生ら4000人集会)、安保条約批准反対の請願署名
* 1960年(S35)5月19日、20日未明、衆議院で強行採決
・ 翌20日から強い反対運動展開、宮城県民会議では、国会解散と岸内閣打倒を重点に、総決起大会(6000人)とデモ行進 / 各労働組合が職場集会、東北大学生総決起集会(1500人)とジグザクデモ
* 1960年(S35)6月4日、第17次統一行動 / 「安保条約阻止、岸内閣打倒、国会即時解散県民会議」総決起集会(政党・労組・仙台商工業者連合会・婦人団体・文化団体など1万5000人参加)/仙台市役所前で、安保婦人抗議集会(安保反対婦人協議会)/東北大学では、学生デモと有志教官団(250名)デモが大学本部から県庁前広場まで行進
* 1960年(S35)6月11日、第18次統一行動では、地区ごとの労組や婦人団体による抗議集会後に、県庁前広場に89団体、6500人
* 1960年(S35)6月17日、樺美智子さん県民追悼集会と追悼行進 / 6月18日、「安保批准阻止、岸内閣打倒、国会解散要求県民集会」、東北大学教養部ではストが続き、片平丁本部の学生も授業放棄して集会とデモ、一部学生が自民党県連事務所前に座り込み / 宮城学院女子大・短大有志が県民集会に参加
* 1960年(S35)6月19日、国会で自然承認され、23日に批准書交換 / 7月15日、岸内閣退陣
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「仙台市史 特別編4 市民生活」P540~541
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「仙台市史 特別編4 市民生活」P537(S35年、60年安保闘争で広瀬通りをゆくデモ隊、宮城県庁前での統一スト)/同541(安保反対を訴えるマッチラベル)
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チリ地震津波 |
被害 |
1960年(S35) |
* 1960年(S35)5月24日、三陸沿岸に来襲し、大船渡市、志津川町、女川町などに大被害(三陸一帯で死者119人、流失家屋1,571)
・ 仙台市は被害なし(「仙台市史 続編第2巻」P288)
* NHKテレビ、七ヶ浜村、花渕浜から中継 / 特別番組を6月1日まで実施 / NHKたすけあい、医療巡回実施
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「重訂 宮城県郷土史年表」P596/[NHK仙台放送局60年のあゆみ」P35/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P288
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安保反対闘争(1960年) |
60年安保闘争・学生たちの抗議 |
1960年(S35) |
<「仙台市史 特別編4 市民生活」の「学生運動と仙台」P536より転記>
「1960年(S35)の日米安全保障条約改定反対闘争(安保闘争)では、学生が労働者や市民と広く合流して運動を盛り上げた。特に自民党による国会での強行採決に対する抗議行動には、立場の違いを超えて多くの学生が参加した。仙台では、学生ともに東北大学の教官が抗議デモに参加したことでも注目された。6月15日の国会周辺デモ隊と警官隊との衝突で女子学生樺美智子さんが死亡した事件への抗議デモでは、青葉通りに3000名の学生が集まった。」
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「仙台市史 特別編4 市民生活」P536
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電力ホール |
オープン |
1960年(S35) |
* 1960年(S35)8月4日、東北電力ビル(地上9階建)が東二番丁70に完成 / 電力ホールのほか、グランドホテル仙台、貸室、市民図書館分室を併設 / 電力ホールは7~9階で、各種催しに活用
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「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P596~597
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文学碑など(仙台) |
魯迅の碑 |
1960年(S35) |
* 1960年(S35)12月4日竣工 / 仙台博物館わきに、熊谷岱蔵(東北大学名誉教授、文化勲章受章者、仙台市名誉市民)らの手で建てられた / 除幕式には魯迅夫人許広平女史出席
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「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P190
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高等学校(新制) |
聖ドミニコ学院高等学校 |
1960年(S35) |
<前史>
* 1931年(S6)、聖ドミニコ女子修道会本部より5人の修道女が来日、仙台に修道院を設立
* 1933年(S8)、 暁の星学院(外国語教育)を設立
* 1937年(S12)、暁の星幼稚園(のちの、聖ドミニコ学院幼稚園)を開園 / 戦争のため一時休園
<戦後>
* 1949年(S24)、私立北仙台幼稚園(のちの、聖ドミニコ学院北仙台幼稚園)を開園
* 1953年(S28)、学校法人聖ドミニコ学院創立、聖ドミニコ学院小学校設立、暁の星幼稚園を聖ドミニコ学院幼稚園と改名
* 1959年(S34)4月、聖ドミニコ学院中学校を開校(S56年、生徒数の減少により休校 / H21年、中学校再開)
<高等学校>
* 1960年(S35)4月、聖ドミニコ学院高等学校を設立(北五十人町、のちの角五郎丁6丁目)
* 1983年(S58)、学院創立30周年 / 新校舎落成
* 2003年(H15)、学院創立50周年
* 2008年(H20)、高等学校のコース制再編(2コースより、特別進学コース、総合進学コース、幼児保育進学コース、キャリアデザインコースの4コースとなる)
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「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P531/Wikipedia「聖ドミニコ学院中学校・高等学校」
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火災(地域) |
川内追廻 |
1960年(S35) |
* 1960年(S35)3月13日、川内追廻住宅地(おいまわし)に火災、49戸焼失
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「重訂 宮城県郷土史年表」P595
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新寺小路地区都市改造事業(区画整理) |
計画公示~完了 |
1960年(S35)
~2000年(H12) |
<「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」(昭和44年9月発行)P388より>
「新寺小路地区第一工区土地区画整理事業=寺院と墓地によって相当部分が占められており、仙台駅に隣接してしているにもかかわらず市街地としての環境整備が遅れているので、市中心部と東部地区を連絡する都市計画街路を築造し、駅前広場(東口)を拡張して交通の円滑化を図るとともに、区画街路、公園などを設置、墓地を整理して総合的に近代市街地化する。このため墓地は別途事業で造成中の葛岡墓園に移転改葬し跡地は宅地として利用する計画。事業認可面積は約60.3haで、昭和35年から5か年計画で着工したが、墓地の所有権をめぐる訴訟事件などのため事業は進まなかったが、同地区の10カ寺との話し合いがつき、昭和44年一部墓地の移転が開始されたので、清水小路多賀城線の拡張工事は軌道に乗り始めた。」
<「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P127>
「新寺小路の区画整理は、区域内約1100戸を交換分合するほか、約30カ寺の墓地を整理、3万基近い墓を葛岡墓地公園に移転。そして道幅を7.5mから25mに広げ、都心部と仙台バイパスを結ぶ最短路線にしようというもの。」
* 1960年(S35)6月、新寺小路地区都市改造事業計画公示(施行年度は、2000年度(H12)まで / 施行面積60.4ha)
* 1960年(S35)9月、新寺小路地区の33カ寺、墓地所有をめぐり市を相手に訴訟
* 1964年(S39)2月、葛岡墓園造成開始(新寺小路地区の都市改造事業=区画整理による移転墓地) / 第一工区分(21カ寺、2万8000基)、第二工区分(12カ寺、6600基)の代替墓地にするため、仙台市が当時の宮城町葛岡地区の国有山林を借り造成
* 1965年(S40)1月、新寺小路墓地問題で11カ寺と市が和解
* 1969年(S44)3月、移転第1号として応瑞寺の墓碑50基を移転
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「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P388/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P127、P744/「同書」末尾年表P871、P888/「仙台市史 年表」P123/「市民の戦後史(仙台市)」P110、P113
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「市民の戦後史(仙台市)」P211(葛岡墓地公園)
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大型店・量販店 |
緑屋 |
1959年(S34)~1982年(S57) |
* 1959年(S34)、緑屋東一番丁店がオープン(青葉区一番町4-5-13 サンシャインビル内)、S57年に閉店
* 1967年(S42)3月、東北ビル完成し、緑屋仙台駅前店が開店(「わが心の仙台駅前史」年表)
* 1977年(S52)5月20日、仙台駅前店オープン(「続・ 宮城県郷土史年表」P68)(青葉区中央1-9-1新東北ビル内) / Wikipediaでは、1967年(S42)開店 - 1982年(S57)閉店
* 1982年(S57)3月8日、西部クレジットが、緑屋東一番丁店と仙台駅前店を閉鎖(「続・ 宮城県郷土史年表」P143)
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「わが心の仙台駅前史」年表/Wikipedia「緑屋」/「続・ 宮城県郷土史年表」P68/「続・ 宮城県郷土史年表」P143
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東一番丁店は、31-16(マークのみ見える)
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高等学校(新制) |
聖ウルスラ学院高等学校/聖ウルスラ学院英智高等学校 |
1959年(S34)/2005年(H17) |
<前史>
* 1936年(S11)、カナダから来仙した修道女が北四番丁で家庭学校の前身を創設
* 1940年(S15)、市内木ノ下に修道院を開設
* 太平洋戦争中、修道女たちは拘束され、修道院は軍の無線通信講習所として接収、戦後は戦災を受けた白百合学園に貸与
* 終戦後、修道女たちは一旦カナダに帰国、1947年(S22)に再来日
* S23年に木ノ下に家庭学校、S24年に幼稚園、S25年に小学校開設 / S30年に、一本杉の旧伊達伯爵邸跡に中学校創設
<高等学校>
* 1959年(S34)、学校法人聖ウルスラ学院が高等学校を開校(一本杉の旧伊達伯爵邸跡に)
* 2003年(H15)、一般と特別志学のコース制を導入
* 2005年(H17)、高校の新校舎完成
<校名変更>
* 2005年(H17)、校名を、聖ウルスラ学院英智高等学校に変更 / 特別志学コースを男女共学制とする
* 2007年(H19)、特別志学コースType2を新設し、特別志学コースType1、尚志コースの3コースとする
* 2012年(H24)、校舎一体型の小・中学校と併設型高等学校の一貫教育(4・3・2+3)の実現
* 2017年(H29)、南小泉総合グラウンド完成
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「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P530~531
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東北学院榴ケ岡高校 |
榴ケ岡に高校分校/東北学院榴ケ岡高等学校 |
1959年(S34)/1972年(S47) |
* 1959年(S34)4月、高等学校榴ケ岡校舎を開設(高校生急増対策として県市の要望もあり、榴ヶ岡に男子部の高校分校を設置)
* 1972年(S47)4月、榴ケ岡校舎が独立して東北学院榴ケ岡高等学校となり、8月に泉市市名坂に移転
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「重訂 宮城県郷土史年表」P592/「東北学院」HP/「東北学院榴ケ岡高等学校」HP
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高等学校(新制) |
榴ケ岡に高校分校/東北学院榴ケ岡高等学校 |
1959年(S34)/1972(S47)年 |
* 1959年(S34)4月、東北学院高等学校榴ケ岡校舎を開設(高校生急増対策として県市の要望もあり、榴ヶ岡に男子部の高校分校を設置)
* 1972年(S47)4月、榴ケ岡校舎が独立して東北学院榴ケ岡高等学校となり、8月に泉市市名坂に移転
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「重訂 宮城県郷土史年表」P592/「東北学院」HP/「東北学院榴ケ岡高等学校」HP
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谷風の墓所 |
改修・公開 |
1959年(S34) |
* 1959年(S34)3月28日、霞目の谷風の墓地を改修し、小公園造成して公開
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「重訂 宮城県郷土史年表」P591
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住宅団地 |
高砂団地 |
1959年(S34) |
* 1959年(S34)、市営住宅高砂団地(東3822戸、西544戸)を、6か年間に亘り建設
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「重訂 宮城県郷土史年表」P594
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住宅団地 |
黒松団地 |
1959年(S34) |
* 1959年(S34)11月1日、宮城県住宅協会、黒松住宅団地の造成開始
* 1961年(S36)からS43年に亘り、県営黒松第一・第二・第三住宅(計404戸)建設
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「仙台市史 年表」P121/「重訂 宮城県郷土史年表」P594、P603
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「市民の戦後史(仙台市)」P148(S42、黒松団地空撮)/「仙台市史 特別編4 市民生活」P186(S35年、造成中)
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土井晩翠 |
晩翠忌/晩翠賞 |
1959年(S34) |
* 1952年(S27)10月19日、晩翠逝去(81歳) / 晩翠忌には、晩翠賞を東北の詩人に授賞し、毎年市内の小学生や幼稚園の子ども達が詩碑前で「荒城の月」を合唱や木琴合奏
* 1959年(S34)10月19日、制定し、第1回晩翠賞表彰式
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「重訂 宮城県郷土史年表」P594
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仙台市役所庁舎 |
第2代庁舎塔屋の大時計 |
1959年(S34) |
* 1959年(S34)5月10日、仙台市制70周年を記念し、東一番丁商店街から贈られた大時計を白亜の市庁舎塔屋に掲げる(6月8日始動)
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「市民の戦後史(仙台市)」P107/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P288
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201-01/「目で見る仙台の歴史」P197(市制70周年祝賀マンモス時計除幕式)/「市民の戦後史(仙台市)」P107(塔屋に大時計)
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博覧会・フェア |
科学博覧会 |
1959年(S34) |
* 1959年(S34)9月末~11月初め、開催
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「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P712
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メートル法 |
実施 |
1959年(S34) |
* 1959年(S34)1月1日、実施(尺貫法廃止)
* 1966年(S41)4月1日、メートル法完全実施
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岩波ブックレット「年表 昭和史」P38/菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P60
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東二番丁通り(拡幅) |
はみ出し建物撤去 |
1958年(S33年)7月 |
拡幅予定地にかかり、街路にはみ出していた、逓信病院、宮城学院、東北学院中学校は、S33年3月~7月末に取り壊し完了(東北学院中学校赤レンガ校舎の道路側部分はS33年4月撤去)
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「仙台市史 続1」P349
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98-027、98-109、22-23、36-03、36-04、36-06
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東北大学 |
沿革(2) |
1958年(S33)~1989年(H1) |
<校舎建設 / 研究成果 / そのほか>
* 1958年(S33)4月14日、工学部校舎5棟焼失
* 1961年(S36)、青葉山・川内地区へ統合移転計画発表
* 1962年(S37)4月2日、川内に大学講堂竣工(二の丸勘定所跡、創立50周年記念)
* 1962年(S37)8月3日、東北地方国有財産審議会、青葉山開拓地を東北大学建設用地として払下げ決定
* 1962年(S37)12月12日、科学計測研究所に、わが国最大の大型太陽炉を建設
* 1964年(S39)3月18日、青葉山開拓地問題が解決し、川内への移転工事着手
* 1964年(S39)4月28日、工学部校舎起工式(青葉山)
* 1965年(S40)9月、農学部の青葉山移転拒否の無期限スト
* 1967年(S42)7月1日、電子リニアック研究所開設
* 1969年(S44)3月、青葉山に工学部校舎完成、移転
* 1969年(S44)4月14日、教養部、火事で2教室を焼く
* 1973年(S48)9月、二の丸跡に、文科系研究・講義棟完成
* 1975年(S50)、片平丁構内に100万ボルト電子顕微鏡取付
* 1975年(S50)12月5日、薬学部(青葉山)に全国初の実験動物慰霊碑建立
* 1976年(S51)4月1日、大学評定河原球場を市民に開放
* 1976年(S51)5月23日、工学部(青葉山)で八木アンテナ八木秀治の胸像除幕
* 1984年(S59)9月、工学部金属材料工学科特殊金属研究室、KS鋼の40倍の強さのスーパー磁石開発
* 1986年(S61)8月、電気通信研究所で、簡易型走査トンネル顕微鏡開発
* 1986年(S61)11月3日、青葉記念館建設(仙台高等工業学校創立75周年・東北大学工学部創立60周年記念)
* 1987年(S62)2月13日、工学部と金属材料研究所が、強磁場に耐える超伝導材料開発
* 2017年(H29)4月、農学部が青葉山新キャンパスへ移転
<学部・大学院・附置研究所等一覧>
最新時点の一覧は、東北大学HP掲載「学部・大学院・附置研究所等」にある https://www.tohoku.ac.jp/japanese/academics/
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東北大学HP/東北大学HP掲載「沿革図」
/「重訂 宮城県郷土史年表」P588、P604、P605、P607、P613、P633、P648/「続・ 宮城県郷土史年表」P23、P42、P48、P53、P55、P181、P210、P213、P219/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P299/「市民の戦後史(仙台市)」P39
年月日などが上記年表と東北大学HP掲載「沿革図」と異なる場合は、「沿革図」を基本にした
1989年(H1)以降の年表は、東北大学HP記載「沿革」)参照https://www.tohoku.ac.jp/japanese/profile/about/02/about0203/
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「市民の戦後史(仙台市)」P39/同P141(東北大学科学計測研究所の太陽炉、川内の記念講堂)/同P178(青葉山に建設された東北大学の新校舎群)/「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P68(画面左上に、記念講堂、S38、カラー)/「宮城県百科事典」757(理学部、川内キャンパス)
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特急はつかり |
上野~青森間 |
1958年(S33)~1982年(S57) |
* 1958年(S33)10月10日、東北初の特急列車「はつかり」、上野~青森間を常磐線経由で運転開始(「仙台市史 年表」P120)
* 1960年(S35)12月10日、「はつかり」(常磐線経由)が気動車(ディーゼル)特急となる(「重訂 宮城県郷土史年表」P598)
* 1968年(S43)10月、特急「はつかり」が全列車東北本線経由となる(Wikipedia「はつかり(列車)」)
* 1982年(S57)11月15日、特急「はつかり」、新幹線開業(6月23日)により運行区間を盛岡駅~青森駅間に短縮(Wikipedia「はつかり(列車)」)
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「仙台市史 年表」P120/「重訂 宮城県郷土史年表」P589、P596、P598/Wikipedia「はつかり(列車)
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「市民の戦後史(仙台市)」P104(S33年10月、はつかりの蒸気機関車)/「市民の戦後史(仙台市)」P220(走行する電車特急はつかり)/「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P58(S37)
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水道事業 |
第3次~第4次拡張 |
1958年(S33)~1976年(S51) |
<第3次拡張事業 大倉ダム放流後の表流水>
* 1958年(S33)4月大倉ダム着工~1965年(S40)3月完工
・累積給水人口40万人
* 1961年(S36)8月3日、大倉ダム通水式/水圧が上がり、パイプ破損が市内で続出で一時的に水不足
* 排水管、給水管などの老朽化で高い漏水率
* 1962年(S37)8月、追加給水可能となり水枯れ現象だけは解消
<国見浄水場>
* 1963年(S38)1月12日、国見浄水場完成、大倉ダム導水のフル操業可能(「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P493)
* 1965年(S40)5月、国見浄水場落成(「市民の戦後史(仙台市)」P113/「仙台市史 年表」P124/仙台市HP)
<第4次拡張事業 釜房ダム貯留水>
* 1966年(S41)4月着工~1976年(S51)3月完工予定
・累積給水人口62万人
・1970年(S45)、釜房ダム完工予定
・1970年(S45)7月1日、給水開始(20万トン)
<仙台市水道配水管系統図(第5次拡張事業まで)> → 「仙台市史 続編第1巻」P497
<給水人口と給水量の伸び グラフ> → 同上P499
<普及率>
・ 1967年(S42)年度末、給水区域内人口の82.6%
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「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P487~500/「市民の戦後史(仙台市)」P113/「重訂 宮城県郷土史年表」P662
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「市民の戦後史(仙台市)」P170(国見浄水場空撮)
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スポーツ大会成績 |
全国優勝/五輪メダルなど |
1958年(S33)~1968年(S43) |
* 1958年(S33)11月、世界柔道選手権で神永昭夫選手2位
* 1960年(S35)5月1日、宮城県出身の神永昭夫五段、全日本柔道選手権大会で優勝
* 1960年(S35)5月8日、東北大学、全日本レガッタエイトで優勝、オリンピック出場決まる
* 1960年(S35)、ローマ・オリンピックで、レスリング・フライ級松原正之(仙台高-日本大)、重量あげ・バンタム級三宅義信(大河原高-法政大)がともに準優勝
* 1964年(S39)、東京オリンピックで、重量あけ・フェザー級三宅義信が金メダル、柔道無差別級神永昭夫(東北高ー明治大)が銀メダル
* 1965年(S40)国体サッカーで、仙台育英高校が決勝で浦和西高と引分け、両校優勝
* 1968年(S43)、メキシコ・オリンピック重量あげフェザー級で、三宅義信が優勝(二連勝)、弟の三宅義行が銅メダル
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「重訂 宮城県郷土史年表」P596/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P475~477
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「市民の戦後史(仙台市)」P124(S35年5月、柔道の神永5段が全日本で優勝)(東北大レガッタクルー)/「目で見る仙台の歴史」P195(S33年11月の世界柔道選手権2位で表彰される神永昭夫選手)
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大学・短大 |
東北福祉短期大学 |
1958年(S33)~1962年(S37) |
* 1958年(S33)4月1日、荒巻伊勢堂に開校
* 1960年(S35)4月、専攻科併設
* 1962年(S37)4月、四年生大学へ昇格
( → 以下、小項目「東北福祉大学」参照)
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「東北福祉大学」HP/「仙台市史 年表」P117/「重訂 宮城県郷土史年表」P556/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P539~540
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自衛隊 |
仙台市への協力工事、災害派遣 |
1958年(S33)~ |
<協力工事、災害派遣>
・ 1960年代、火災や断水時の出動が多かった
・ 仙台第三高等学校や葛巻墓園の造成・整備を受託
・ 仙台七夕への支援
・ 苦竹駐屯地東側広場を東北博覧会(S42年)の会場に提供
**********************************
・ 自衛隊の仙台市に対する協力工事一覧表(S33~42年度)→ 「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P854の表208(学校敷地造成、葛岡墓園造成、公園敷地整備など8件)
・ 自衛隊の仙台市に対する災害派遣一覧表(S33~41年)→「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P855(火災、チリ地震津波、人命救助、給水など9件)
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「仙台市史 特別編4 市民生活」P332~333/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P854、P855
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「仙台市史 特別編4 市民生活」P333の図332(県立盲学校に植物円園造成で自衛隊員が作業奉仕)
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大学・短大 |
三島学園女子大学/東北生活文化大学 |
1958年(S33)/1987年(S62) |
<前史>
* 1900年(M33)10月28日、三島駒治が「東北法律学校」を東三番丁に開校(夜間、修業年限は本科3年、別科1年)
* 1903年(M36)10月10日、東北女子職業学校(本科・別科・高等研究科)を創設
* 1913年(T2)9月、東三番丁より清水小路へ校舎を移転
* 1922年(T11)3月、東北法律学校を廃止
* 1926年(T15)3月、東北女子職業学校に高等師範科を設置
* 1940年(S15)3月25日、財団法人三島学園設立認可(理事長 三島駒治)
* 1944年(S19)4月15日、東北女子職業学校を東北女子実業学校に改称
* 1951年(S22)2月22日、財団法人三島学園を学校法人三島学園に改組(理事長、佐藤 兊)
* 1947年(S22)2月、三島学園女子専門学校を設置
* 1948年(S23)3月、東北女子実業学校を廃止
* 1951年(S26)3月、三島学園女子専門学校を廃止し、4月、三島学園女子短期大学(被服科)を開校(→ 以下、短大は、小項目「三島学園女子短期大学」参照)
<大学>
* 1958年(S33)1月、三島学園女子大学(家政学部家政学科)を設置 / 4月開校
* 1974年(S49)12月、清水小路より泉市上谷刈(現:仙台市泉区虹の丘:当時丸田山校地と呼んだ)にキャンパスを移転
* 1987年(S62)4月、 三島学園女子大学に男女共学制を導入、校名を東北生活文化大学と改称
* 2000年(H12)10月、三島学園創立100周年記念事業
* 2004年(H16)4月、三島学園女子短期大学を男女共学とし、校名を東北生活文化大学短期大学部に改称
* 2008年(H20)、大学創立50周年
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「東北生活文化大学」公式HP/「仙台市史 年表」P91、P120/「重訂 宮城県郷土史年表」P587/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P545/Wikipedia「東北生活文化大学」
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「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P545(清水小路の三島学園女子大学)
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がん検診センター(宮城県対がん協会) |
協会結成/検診センター完成 |
1958年(S33)/1968年(S43) |
* 1958年(S33)9月、宮城県対がん協会結成(北七番丁)
* 1960年(S35)、集団検診車登場、東北各地に出張診断
* 1963年(S38)8月、第1回がん対策推進全国大会、仙台で開催
* 1963年(S38)9月、第15回保健文化賞受賞(間接撮影装置の開発とその車両化、広範ながん対策推進の功績に対し)
* 1964年(S39)9月、婦人科がん検診車完成(農協婦人部中心に拠出)
* 1966年(S41)6月、検診車「第二きぼう号」稼働
* 1967年(S42)1月、河北文化賞受賞
* 1967年(S42)9月2日、宮城県対がん協会検診センター着工
* 1968年(S43)6月10日、宮城県がん検診センター完成(北六番丁、鉄筋コンクリート5階建て / 全国初)
* 1979年(S54)12月3日、乳がん検診車稼働
* 1981年(S56)5月11日、新らたながん検診センター(上杉6丁目)診療開始
* 1986年(S61)9月5日、対がん協会に、きぼう18号・しあわせ3号の検診車両配備
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「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P734~736/「重訂 宮城県郷土史年表」P634、P640/「続・ 宮城県郷土史年表」P104、P128、P210/「市民の戦後史(仙台市)」P146
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「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P735(がん検診車)/「市民の戦後史(仙台市)」P146(第1回がん対策推進全国大会)/「新・目で見る仙台の歴史」P195(胃の集団検診車「きぼう」、カラー)
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やりなおし市長選挙 |
仙台市 |
1958年(S33) |
* 1955年(S30)4月30日仙台市長選、岡崎栄松4期目当選に対し、革新系島野武候補側が、市選管に異義申し立て / 市選管は票再点検の結果、却下(この過程で投票総数増加等の疑惑) / 仙台地検捜査開始 / 県選管も投票用紙点検し、選挙無効と裁定 / 岡崎派が行政訴訟
* 1956年(S31)12月25日、仙台高裁、選挙無効判決
* 1957年(S32)12月17日、最高裁が、仙台市長選挙無効の判決
* 1958年(S33)2月2日、やりなおし選挙で、島野武当選
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「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P116~118/「重訂 宮城県郷土史年表」P586、P587
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「市民の戦後史(仙台市)」P103と、「新・目で見る仙台の歴史」P182に「S33年2月、初当選し登庁する島野武市長」
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青葉山植物園 |
開設 |
1958年(S33) |
* 1958年(S33)11月15日、東北大学理学部附属青葉山植物園開設~仙台城址背後の御裏林(おうらばやし)、通称青葉山と呼ばれる丘陵地~
* 1959年(S34)4月から一般公開
* 1972年(S47)、植物園としてはわが国で初めて天然記念物に指定
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「重訂 宮城県郷土史年表」P590/「仙台市史 年表」P120/東北大学植物園HP
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「市民の戦後史(仙台市)」P105(青葉山植物園俯瞰)
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住宅団地 |
袋原団地 |
1958年(S33) |
* 1958年(S33)、市営住宅袋原団地(294戸)、3か年に亘り建設
* 1966年(S41)、建設(第二次、338戸)
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「重訂 宮城県郷土史年表」P590、P629
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定禅寺通り |
ケヤキ植樹 |
1958年(S33) |
<グリーンベルトの樹種決定まで>(「戦争のころ 仙台、宮城」P254~255)
・ 両側歩道にはケヤキを植樹したが、中央分離帯(幅12mのグリーンベルト)の樹種は、高橋陣也市助役と鈴木光三公園課長の意見が相違
・ 助役は、サルスベリかモミジを指示、課長は「大きい街路樹によって勾当台公園と西公園を結ぶ緑のトンネル」にしたい
・ 岡崎市長時代には結論が出ず、次の島野市長時代にケヤキと決まった
***********************************
1958年(S33)に初当選した島野市長の「西公園と勾当台公園を結ぶ大樹林帯にしよう」という意向で、定禅寺通りにケヤキ植樹
* 1958年(S33)、ケヤキ植樹を開始(中央分離帯に76本、歩道を含めて計157本)
* 1958年(S33)末までに植え終わる
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「戦争のころ 仙台、宮城」(石澤友隆著)P254~255/「仙台市史 年表」P120/「戦災復興余話」P87
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22-06/「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P14(S29~33年頃)/「目で見る仙台の歴史」P188(中央分離帯に植木植樹したばかりの頃)
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大型店・量販店 |
エンドーチェーン |
1958年(S33) |
エンドーは、かつて、スーパーマーケット「エンドーチェーン」を東北地方を中心に展開した会社
* 1957年(S32)12月、市内に初のスーパーマーケット誕生(「市民の戦後史(仙台市)」P102)
* 1958年(S33)11月20日、仙台市内初のスーパーマーケット「遠藤」を開設(宮町)(「重訂 宮城県郷土史年表」P590)/ エンドーチェンの第1号店
* 1964年(S39)3月、エンドー仙台駅前店、開業
* 1987年(S62)7月15日、新エンドー仙台駅前店開店
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「市民の戦後史(仙台市)」P102/「重訂 宮城県郷土史年表」P590/「続・ 宮城県郷土史年表」P226/「仙台市史 特別編4 市民生活」P41/「わが心の仙台駅前史」年表
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「市民の戦後史(仙台市)」P102(市内初のス-パーマーケット)/「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P108(S53、仙台駅前店
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戦災復興事業 |
不法建築物の強制撤去(2)仲ノ町 |
1958年(S33) |
<仲ノ町の集団占拠>
・ 西公園の一部として公園緑地帯に指定された仲ノ町地区広瀬川岸の3.5haに、戦災で行き場所を失い追い詰められた生活困窮者や朝鮮人約1000人が無許可でバラックを建て住む
・ 1956年(S31)6月の市調査では、231戸347世帯、999人(うち朝鮮人が93人)居住
・ 通路は迷路状で密造酒、麻薬の巣窟、犯罪者の逃避場ともいわれ、市の調査員に警官同行した場合あり
・ 1958年(S33)7月26日、制服私服警官を配して、13戸を強制撤去、以降2~3戸ずつ順に代執行、自主移転者もいたが、12世帯(40人)は最後まで残った
・ 1960年(S35)、跡地に市民プール(東北電力が建設し市に寄付)着工し、最後まで残った世帯を臨時収容所に収容しS35年末までに完了・解決した
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「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P347~348/「番丁詳伝」P165
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仙台市の動物園(戦後) |
三居沢動物園 |
1957年(S32)~1965年(S40) |
* 1957年(S32)10月25日、三居沢に開園
~現在(1995年)、三居沢交通公園がある場所~
・ 最初は、20種類53点。のちにライオン、ヒョウ、クマ、象も増えて、最終的には68種268匹に(「戦争のころ 仙台、宮城」P144)
* 1965年(S40)9月24日、閉園
* 1967年(S42)1月、跡地に、東北初の「交通公園」開園
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「仙台市史 年表」P120/「重訂 宮城県郷土史年表」P586/「仙台あのころこのころ八十八年」P252、P255/「戦争のころ 仙台、宮城」(石澤友隆著)P144
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「目で見る仙台の歴史」P178/「市民の戦後史(仙台市)」P97(俯瞰全景、開園式場)/「新・目で見る仙台の歴史」P180
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姉妹都市(仙台市) |
国際姉妹・友好都市 |
1957年(S32)~ |
* 1957年(S32)3月9日、アメリカ・カリフォルニア州リバーサイド市と姉妹都市提携
* 1967年(S42)9月6日、フランスのレンヌ市と姉妹都市提携
* 1967年(S42)12月7日、リバーサイド市から寄贈された「友好の鐘」の除幕式
「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P221~230に、リバーサイド市、レンヌ市との提携経過説明あり
* 1973年(S48)4月6日、ソ連(現・ベラルーシ)ミンスク市と姉妹都市提携(S47年9月6日調印)
* 1973年(S48)10月23日、メキシコのアカプルコと国際姉妹都市提携
* 1980年(S55)10月27日、仙台市と長春市(中国)が国際都市提携
平成年間には、以下の4市と提携
* 1997年(H9)8月29日、アメリカのダラス市
* 2002年(H14)4月20日、韓国の光州広域市
* 2005年(H17)11月3日、フィンランドのオウル市
* 2006年(H18)1月20日、台湾の台南市
<参考> 詳細(各都市との提携動機など)は、仙台市ホームページの「仙台市の国際姉妹・友好/協定締結都市」に記述あり
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「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P221~230/「重訂 宮城県郷土史年表」P584、P634、P636/「続・ 宮城県郷土史年表」P13、P18、P23/仙台市HP
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「市民の戦後史(仙台市)」P106(リバーサイド市)/同P200(S42年12月、リバサイド市の友好の鐘除幕式)/「新・目で見る仙台の歴史」P202~203(国際姉妹都市の都市風景(リバサイド、アカプルコ、長春、レンヌ、ミンスク)/「市民の戦後史(仙台市)」P216(レンヌ市と協定書を両市長が署名、レンヌ市の街角)
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