分類項目 | 定禅寺通り |
タイトル | 定禅寺通り (昭和33年頃) |
写真番号 | 22-06 |
場所 | 仙台市 |
映像内容 | 定禅寺通りは、戦後の戦災復興事業で、東二番丁通り角以西(長さ約700m)が幅46メートルに拡幅された / 写真は画面手前の国分町通りとの交差点より西方向 / 中央分離帯(幅12m)に欅を植えはじめて間もないころ / 一番奥の分離帯は未植樹で、両側の歩道にもまだ欅が無い / 道の突き当たりの向うにある丘陵の下(白い建物群)は、(昭和32年11月まで接収されていた)川内の元駐留軍(米軍)キャンプか? |
撮影年代 | 1957年(S32)か1958年(S33) |
撮影年代判定根拠 | 植樹が、中央分離帯の一部、両側歩道は未植樹(関連情報欄参照) |
関連情報/参考文献 | 【「戦災復興余話」P87】 定禅寺通り中央の分離帯には、昭和31年に初当選した島野市長の「西公園と勾当台公園を結ぶ大樹林帯にしよう」という意向で、中央緑樹帯に76本の欅を、昭和33年末までに植え終わった(歩道を含めて計157本) / (この写真ではまだ一部のみ) 【「重訂 宮城県郷土史年表」P586】昭和32年11月13日、仙台市内の(米軍の)川内および苦竹両キャンプを返還せらる |
備考 | |
カラー/モノクロ | モノクロ |
分類内の通し番号 | 1 |
画像ファイル名 | sendai3001 |