項目 |
小項目 |
年 |
内容 |
出典/参考資料 |
関連映像 |
国鉄(東北本線) 3 |
旅客・貨物輸送 |
1966年(S41)~1985年(S60) |
* 1966年(S41)8月1日、清水小路多賀城線との立体交差完成(北目町立体交差)
* 1967年(S42)10月1日、東北本線、岩沼~福島駅間が複線電化して開通 / 同日に、東北本線特急の東京駅乗り入れも実現
* 1967年(S42)10月1日、特急「ひばり」「やまびこ」が、東京駅に乗り入れ
* 1967年(S42)10月、電車急行登場(「市民の戦後史(仙台市)」P203)
* 1968年(S43)8月19日、東北本線、東京~青森間全線電化と複線化を完了(「菅家年表」P62)
* 1968年(S43)10月、特急「はつかり」が全列車東北本線経由となる(Wikipedia「はつかり(列車)」)
* 1968年(S43)10月1日、特急「ひばり」仙台~東京間、3時間50分に(40分間短縮)
* 1972年(S47)3月15日、長距離普通列車228号(青森~上野間)引退
* 1980年(S55)11月24日、ドカ雪で、東北線27時間全面ストップ
* 1982年(S57)6月23日、東北新幹線開業(大宮~盛岡間)
* 1982年(S57)11月15日、特急「はつかり」、新幹線開業により運行区間を盛岡駅 - 青森駅間に短縮(Wikipedia「はつかり(列車)」)
* 1982年(S57)11月22日、特急「ひばり」(上野~仙台)お別れ運転
* 1984年(S59)1月4日、仙台~上野間にお座敷列車
* 1984年(S59)2月20日、東北線郡山行普通列車で禁煙実施
~以上、1989年(H1)まで~
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「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P567~568/「仙台市史」P133/「重訂 宮城県郷土史年表」P627、P635/「続・ 宮城県郷土史年表」P7、P153、P172、P173/Wikipedia「東北本線優等列車沿革」(2020年7月)/[NHK仙台放送局60年のあゆみ」P56/菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P62/「市民の戦後史(仙台市)」P203
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「市民の戦後史(仙台市)」P181(清水小路多賀城線との立体交差)/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P567に、特急「ひばり号」の写真/「市民の戦後史(仙台市)」P203(電車急行試運転、最後の三重連蒸気機関車~岩手・中山峠)/「市民の戦後史(仙台市)」P220(走行する電車特急はつかり)
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大学・短大 |
仙台白百合短期大学 |
1966年(S41)~2002年(H14) |
<前史>
* 1892年(M25)、仙台にシャルトル聖パウロ修道女会の修道院設立
* 1893年(M26)、私立仙台女学校が設立
* 1948年(S23)月日、校名が仙台白百合学園と改められ、幼、小、中、高までを備えた教育機関となる
<仙台白百合短期大学>
* 1966年(S41)4月1日、開校(家政科)
* 1966年(S41)4月18日、泉町に開校
* 1987年(S62)、英語科を増設
* 2002年(H14)、短大を大学に統合
( → 以下、小項目「仙台白百合女子大学」参照)
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「仙台白百合女子大学」HP/「仙台市史 年表」P117/「重訂 宮城県郷土史年表」P560/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P565
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「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P546/「市民の戦後史(仙台市)」P179
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市民のつどい |
第1回 |
1967年(S42) |
島野市長時代に始まり、毎年定期的に会合
* 1967年(S42)11月9日、第一回市民のつどい
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「市民の戦後史(仙台市)」P204~205
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「市民の戦後史(仙台市)」P204~205
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アメリカシロヒトリ防除 |
防除開始 |
1967年(S42) |
* 1967年(S42)7月2日、防除本部設置し駆除開始(アメリカシロヒトリが、八木山、北山、東仙台など郊外にも広がる)
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「重訂 宮城県郷土史年表」P633
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広瀬通り |
全線開通 |
1967年(S42) |
* 1967年(S42)1月25日、広瀬通りが全線開通、同時に定禅寺通りの拡幅も完了(東一番丁付近完成はS29年4月)
・ 植栽は、当初は桜、柳 → その後はイチョウに
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「東一番丁連合会 創立五十周年」記念誌P9
座談会「仙台 戦中戦後を語る」
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「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P48~49(S34、東二番丁通り角付近、俯瞰)
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出稼ぎ者相談所 |
上野駅に開設 |
1967年(S42) |
* 1967年(S42)12月、宮城県は、県出身出稼者並に就職希望者相談所を上野駅前に開設(全国初)
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「重訂 宮城県郷土史年表」P636
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定禅寺通り |
戦後の拡幅工事完了 |
1967年(S42) |
* 1894年(M27)7月15日、仙台市会、市内の新道の名称を決議(定禅寺通、新常盤丁、桜小路など)
* 1954年(S29)4月、定禅寺通り、広瀬通りとも、東一番丁付近の拡幅が完成
* 1967年(S42)1月25日、定禅寺通り・広瀬通りとも全線開通
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「仙台市史 年表」P88/「東一番丁連合会 創立五十周年」記念誌P9
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老人福祉 |
老人福祉センター |
1967年(S42) |
* 1967年(S42)7月20日、仙台市老人福祉センター、亀岡に開所
* 2018年9月現在の仙台の老人福祉センターは、8か所(亀岡、台原、小鶴、高砂、沖野、大野田、郡山、泉中央)
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「重訂 宮城県郷土史年表」P633/仙台市HPの「老人福祉センター一覧」(2018年9月現在)
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「市民の戦後史(仙台市)」P197(老人福祉センター外観、和室で将棋盤を囲む老人たち、踊りの練習)
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隅櫓 |
復元 |
1967年(S42) |
昭和35年頃、仙台市の民生委員をしていた野口増蔵氏が大手門と隅櫓の復元を目指し、一般に呼びかけた / 膨大な資金を要するのでとりあえず隅櫓を復元 / 野口自身棟梁だったので、私財をなげうち乏しい資金に苦しみながらも工事を進め、S42年11月ついに完成(「仙台市史 続編第2巻」P185~186)
* 1963年(S38)2月上旬、隅櫓の復元工事着手
* 1965年(S40)8月、着工の運びとなる(木造漆喰塗込み)
* 1967年(S42)12月25日、隅櫓が民間(仙台城大手門並に隅櫓復興期成会)により外観復元され、復興期成会より仙台市に寄付された
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「重訂 宮城県郷土史年表」P607、P620、P636/「仙台市史 年表」P125/仙台市HP/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P185~186/「仙台あのころこのころ八十八年」P257
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「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P186の写真52(復元された隅櫓)/「市民の戦後史(仙台市)」P202(復元された隅櫓)/「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P71(S39、工事中断中の隅櫓)
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三居沢交通公園 |
開園 |
1967年(S42) |
* 1967年(S42)1月26日、三居沢動物公園跡地に開園
* 1977年(S52)9月7日、改装しオープン
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「仙台市史 年表」P125/「重訂 宮城県郷土史年表」P630/「続・ 宮城県郷土史年表」P71
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「市民の戦後史(仙台市)」P198(三居沢交通公園)/「新・目で見る仙台の歴史」P192(南小泉の交通公園)
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博覧会・フェア |
東北大博覧会 |
1967年(S42) |
* 1967年(S42)4月14日~6月12日、苦竹で開催(河北新報社主催)
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「仙台市史 年表」P125/「重訂 宮城県郷土史年表」P631
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「市民の戦後史(仙台市)」P195(会場空撮)
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大学・短大 |
仙台大学 |
1967年(S42) |
* 1967年(S42)4月、学校法人朴沢学園が仙台大学を宮城県柴田郡柴田町船岡に開学し、4年制体育学部(体育学科)を開設
* 1968年(S43)2月、体育学部体育学科に教職課程が認可
* 1995年(H7)4月、体育学部に健康福祉学科を開設
* 1998年(H10)4月、大学院スポーツ科学研究科スポーツ科学専攻(修士課程)を開設
* 2001年(H15)4月、仙台大学体育学部運動栄養学科を開設 / 厚生労働省指定栄養士養成施設を併設
* 2007年(H19)4月、大学体育学部スポーツ情報マスメディア学科を開設
* 2008年(H20)4月、大学にスポーツ情報マスメディア研究所を開設
* 2009年(H21)4月、大学院スポーツ科学研究科に1年コースを開設
* 2011年(H23)4月、仙台大学体育学部現代武道学科を開設
* 2013年(H25)4月、大学スポーツ情報マスメディア研究所を「仙台大学スポーツ健康科学研究実践機構」に改編
* 2017年(H29)4月、大学体育学部子ども運動教育学科を開設
* 2017年(H29)11月、大学開学50周年記念IFE(International Friendship Event)を開催
* 2018年(H30)1月、仙台大学開学50周年記念式典・祝賀会
* 2018年(H30)10月、大学にスポーツ局を設置
* 2020年(R2)4月、明成高等学校を仙台大学附属高校とした
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「学校法人朴沢学園」HP/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P565~566
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姉妹都市(仙台市) |
国内姉妹都市 |
1967年(S42)~ |
<音楽姉妹都市>
* 1967年(S42)1月18日、仙台市(土井晩翠生地)が、大分県竹田市(滝廉太郎生地)と音楽姉妹都市に(「荒城の月」の縁) / S42年11月18日には、中山晋平生地の長野県中野市も加わり、三姉妹都市の縁を結ぶ
<観光姉妹都市>
* 1970年(S45)4月15日、徳島市と、七夕・阿波踊りという全国に誇る代表的な祭りをもつ縁で、観光姉妹都市に
<歴史姉妹都市>
* 1975年(S50)11月3日、宇和島市と歴史姉妹都市締結
* 1981年(S56)5月8日、北海道白老町と歴史姉妹都市調印
<参考> 詳細(各都市との提携動機など)は、仙台市ホームページの「仙台市の国内姉妹都市」に記述あり
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「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P230/仙台市HP/「重訂 宮城県郷土史年表」P630、P636/「続・ 宮城県郷土史年表」P47、P128
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八木山ベニーランド |
開園 |
1968年(S43) |
* 1968年(S43)4月14日、仙台市八木山にある総合遊園地、八木山ベニーランド開園(所有者は株式会社エイトリー)
/ 前身は、1930年(S5)開園した「八木山遊園地」
( → 項目「八木山遊園地」参照)
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「仙台老舗百店史P194~195「紅久」/「仙台市史 年表」P125
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郵便番号制度 |
発足 |
1968年(S43) |
* 1968年(S43)7月1日、スタート
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「重訂 宮城県郷土史年表」P641
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住宅団地 |
将監団地 |
1968年(S43) |
* 1968年(S43)、泉町に造成開始(県開発公社がS50年にかけ造成)
* 1970年(S45)、県営住宅として、泉町に将監住宅412戸を建設
* 1972年(S47)2月、噴水池完成
* 1972年(S47)5月26日、公設小売市場オープン
* 1974年(S49)7月、18業者による協同組合公設小売市場完成
* 1978年(S53)5月20日、ファミリーデパート、オープン
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「新・目で見る仙台の歴史」P186/「仙台市史 年表」P126/「重訂 宮城県郷土史年表」P667/「続・ 宮城県郷土史年表」P7、P10、P31、P81
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「仙台市史 特別編4 市民生活」P91(S49年、将監公設小売市場)/「新・目で見る仙台の歴史」P186(H1年頃の将監団地、俯瞰カラー)
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住宅団地 |
向陽台団地 |
1968年(S43) |
* 1968年(S43)、向陽台団地、造成開始
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「仙台市史 年表」P126
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住宅団地 |
鶴ケ谷団地 |
1968年(S43) |
* 1964年(S39)9月、鶴ケ谷団地造成開始
* 1968年(S43)、仙台市は市営住宅鶴ケ谷第一、第二団地(1250戸)を3年間に亘って建築
* 1971年(S46)12月1日、鶴ケ谷ショッピングセンター開店
* 1971年(S46)12月10日、鶴ケ谷地区の地域冷暖房プラント完成
* 1971年(S46)12月16日、市営住宅40戸完成
* 1971年(S46)12月24日、公設小売市場オープン
* 1972年(S47)4月1日、鶴ケ谷郵便局開局、消防出張所設置
* 1972年(S47)4月、2つ目の幼稚園開園
* 1972年(S47)5月23日、鶴ケ谷市民センター一般開放
* 1972年(S47)11月、地域暖房の湯供給開始
* 1973年(S48)3月、鶴ケ谷住宅団地造成完成
* 1974年(S49)8月15日、団地に特別養護老人ホーム完成
* 1974年(S49)11月2日、トーコー鶴ケ谷ショッピングプラザがオープン
* 1975年(S50)5月、鶴ケ谷団地の大堤池にホタルの幼虫300匹放流(S49年から)
* 1980年(S55)12月、鶴ケ谷団地の店舗禁止規定解除
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「市民の戦後史(仙台市)」P148、P214/「重訂 宮城県郷土史年表」P645/「続・ 宮城県郷土史年表」P5、P8、P9、P13、P31、P34、P41、P120/「仙台あのころこのころ八十八年」P257
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「市民の戦後史(仙台市)」P149(団地完成予想図、まだ空き地が目立つ鶴ケ谷住宅団地空撮)/「新・目で見る仙台の歴史」P186(H1年頃、カラー鶴ケ谷団地/団地完成予想図)/「仙台市史 特別編4 市民生活」口絵図75~76(S43年、H9年空撮カラー)/同P186(鶴ケ谷団地土地利用図)/同P469(鶴ケ谷市民センターの利用案内)
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遠見塚古墳 |
国の史跡に指定 |
1968年(S43) |
<仙台市HP「仙台市内の指定・登録文化財」より>
「遠見塚古墳は、仙台平野のほぼ中央部、広瀬川北岸に発達した標高約10mの自然堤防上に位置している。仙台市内では最大規模の前方後円墳であり、宮城県内においても雷神山古墳に次ぐ大型古墳である。1947年(S22)に駐留米軍の霞目飛行場拡張工事により後円部の北側半分が削られ、さらに仙台バイパスの計画路線に入る等破壊の危機にさらされたが、昭和43年に国の史跡に指定され、昭和55年には周辺部が追加指定となり、史跡公園として整備され、恒久的保存が図られた。昭和50年から昭和57年にかけて古墳の環境整備に伴って発掘調査が行われ、後円部から2基の割竹形木棺と副葬品として碧玉管玉(くだたま)、ガラス製小玉、竹製黒漆塗り竪櫛等が発見された。この古墳に埋葬されたのは、当時仙台平野一帯を支配した豪族と考えられ、構造や出土品から古墳時代末の4世紀末頃に築造されたものと考えられている。」
* 1968年(S43)、国の史跡に指定
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仙台市HP「仙台市内の指定・登録文化財」
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「市民の戦後史(仙台市)」P86(古墳空撮)/「仙台市史 特別編4 市民生活」口絵の図88~89(畑地時代空撮、H6空撮カラー)
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日本生命館 |
取壊し |
1968年(S43) |
・「S43.11 消えるレンガ館 仙台日生館」の写真あり(「市民の戦後史」P202)
・ 解体はS42年(か?)(「仙台クロニクル」P89)
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「仙台市史写真集 市民の戦後史」P202
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「仙台市史写真集 市民の戦後史」P202の写真/「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P88~89(カラー、S42年、解体中)
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国定公園 |
栗駒国定公園 |
1968年(S43) |
* 1968年(S43)7月22日、栗駒山を中心にする一帯を国定公園に指定(岩手県、宮城県、秋田県、山形県にまたがる大規模な山岳国定公園)
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Wikipedia「栗駒国定公園
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宮城の塔(沖縄) |
落成式 |
1968年(S43) |
<「公益財団法人沖縄県平和祈念財団」HP(2020年10月現在)」より抜粋>
《合祀戦没者》 今次大戦において海外で戦没した宮城県出身の勇士45,500余柱の霊をこの塔にお祀りしたものであります。なお、沖縄方面で戦没した宮城県出身者は582名であります。
《塔の由来》 碑文の建立に当たっては、戦没者の故郷宮城県阿武隅川のほとりから 石を選び、「宮城之塔」と名付けて石へ刻み、戦没者の追悼の誠を捧げるに、世界の恒久平和を祈念したものである。
《塔の位置》 東経127度北緯25度沖縄本島最南端糸満市摩文仁の丘、太平洋に面し、塔の向きは南南東に向いている。
* 1967年(S42)9月11日、沖縄に「宮城の塔」建設決定
* 1968年(S43)2月20日、「宮城の塔」完成し、現地で落成式
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「公益財団法人沖縄県平和祈念財団」HP/「重訂 宮城県郷土史年表」P634、P638
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「市民の戦後史(仙台市)」P210
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市街地住宅(第1号) |
完成 |
1968年(S43) |
* 1967年(S42)2月26日、仙台市庁舎外記丁分室跡に市街地住宅(11階建)起工式(敷地は仙台市が提供し、建物は住宅公団が建設)
* 1968年(S43)7月、初の市街地構想住宅が外記丁に完成(地下1階、地上11階 / 1~3階には、仙台北保健所と北社会福祉事務所などが移転入居、4階以上は152戸の住宅
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「重訂 宮城県郷土史年表」P630、P641/「市民の戦後史(仙台市)」P215
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「市民の戦後史(仙台市)」P215(市街地住宅のビル)
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明治百年 |
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1968年(S43) |
明治元年から100年経過した1968年(昭和43年)、国内各地で記念行事や催しが開催された
* 1967年(S42)6月21日、明治百年記念として台原森林公園(59ha)開設きまる(全国10カ所に開設する施設のひとつ)
* 1968年(S43)10月23日、明治百年記念式典
* 1968年(S43)10月、仙台市が記念植樹式
* 1973年(S48)4月、台原森林公園開園
→ 項目「台原森林公園」参照
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菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P62/「市民の戦後史(仙台市)」P211
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53-125(仙台七夕 明治百年に因んだ飾り)/「市民の戦後史(仙台市)」P211(市が記念植樹)
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仙台市科学館 |
開館 |
1968年(S43)5月1日 |
<前身のサイエンスルーム>
* 1952年(S27)6月10日、仙台市レジャーセンター内にサイエンスルームを設置(「重訂 宮城県郷土史年表」P556では、6月13日竣工)
・実験室、資料室、研究室など
・学校教育では、主に中学3年生対象に実験指導、教職員理科実技講習、科学相談、実験機材・資料の貸出など
・社会教育では、科学見学採集会、科学実験講座、実験のしおり発行など
<仙台市科学館>
* 1968年(S43)5月1日、東二番丁・青葉通り角の日本長期信用銀行ビル地下に開館(サイエンスルームを統合)
・実験室2室、工作室、講堂、展示室
・市内中学生対象の実験指導、展示活動、教員対象実験講座、一般向け科学のはなし、映画界、採集会など
<台原森林公園内に新築移転>
* 1990年(H2)9月、仙台市科学館が台原森林公園の中に新築移転し開館
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「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P194~195、P439~441、P450~453/「仙台市史 年表」P117、P125/「重訂 宮城県郷土史年表」P556、P630、P640/Wikipedia「仙台市科学館」
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「目で見る仙台の歴史」P180に、レジャーセンター内のサイエンスルーム/「市民の戦後史(仙台市)」P209(長銀ビル内の市立科学館で子供たち、展示物)/「新・目で見る仙台の歴史」P193(長銀ビル内の科学館)
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宮城県図書館(戦後) |
榴ヶ岡へ移転/泉区へ移転 |
1968年(S43)/1998年(H10) |
<榴ヶ岡へ>
* 1968年(S43)1月17日(18日?)、榴ケ岡に新築移転し開館
<泉区柴山へ>
* 1998年(H10)3月21日、泉区芝山に新築移転し、開館
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「重訂 宮城県郷土史年表」P637/「市民の戦後史(仙台市)」P208
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「市民の戦後史(仙台市)」P208(榴ヶ岡の宮城県図書館外観、閲覧室)
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大学紛争 |
仙台(1) |
1968年(S43)~1969年(S44)前半 |
<1968年(S43)>
・ 1月22日、東北学院大学、授業料値上げをめぐり学生の反対運動
・ 2月8日、東北学院大学、新入生の学費値上げをめぐり大学内紛争、12日から期末試験を中止
・ 11月16日、東北大学、大学本部が学生によって封鎖
<1969年(S44)前半>
(1月19日、機動隊、東大安田講堂の封鎖解除、631人逮捕)
・ 5月23日、東北大学、大学立法に反対し、教養部で2週間スト
・ 6月2日、東北大学に学生により構内に引きずり込まれた私服警官を救出するため、機動隊出動して救出
・ 6月5日、東北大学、事務局封鎖解除をめぐり、学生同士が乱闘、二百数十人負傷
・ 6月25日、東北大学、反代々木系学生等、同大学理科実験棟を封鎖
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岩波ブックレット「年表 昭和史」P49/「重訂 宮城県郷土史年表」P637、P638、P644、P649、P650/「仙台市史 特別編4 市民生活」P538
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「仙台市史 特別編4 市民生活」P539(S44年大学立法反対闘争、仙台市の中央通りに座り込む学生たち、大学講義棟封鎖)
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住宅団地 |
泉ニュータウン(泉パークタウン) |
1969年(S44) |
泉パークタウンは、泉町(1971年に泉市)の黒川丘陵上に三菱地所グループ(子会社を含む)が計画したニュータウン事業 / 住宅供給だけでなく、工業団地、ゴルフ場、スポーツ施設、大規模商業地区、大学等を含む複合開発事業
* 1969年(S44)、事業開始
* 1972年(S47)7月15日、生協チェーン泉向陽台店オープン
* 1974年(S49)から、高森地区で入居開始
* 1985年(S60)10月9日、スポーツガーデン1期工事落成式
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「仙台市史 年表」P126/Wikipedia「泉パークタウン」/「続・ 宮城県郷土史年表」P11、P195
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霊園/墓園 |
葛岡墓園(葛岡墓地公園) |
1969年(S44) |
新寺小路地区の都市改造事業(区画整理)による移転墓地 / 第一工区分(21カ寺、2万8000基)、第二工区分(12カ寺、6600基)の代替墓地にするため、仙台市が当時の宮城町葛岡地区の国有山林を借り造成
* 1964年(S39)2月、葛岡墓園造成開始
* 1969年(S44)3月、第一期工事分(約38.2ha)がほぼ完成し一部墓碑の移転開始
* 1972年(S47)、仙台市葛岡斎場が開場
* 1978年(S53)4月、仙台市葛岡墓園が一般に開放
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「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P386、P744/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P127/「仙台市史 年表」P123/Wikipedia「仙台市葛岡墓園」/「続・ 宮城県郷土史年表」P80
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「市民の戦後史(仙台市)」P211(造成すすむ葛岡墓地公園)
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仙台市視聴覚教材センター |
開設 |
1969年(S44) |
* 1969年(S44)9月、「仙台市視聴覚ライブラリー」を市民教養センター内に開設
* 1970年(S45)2月、仙台市レジャーセンター内に移転
* 1972年(S47)6月22日、「仙台市視聴覚教材センター」と改組・改称
* 1975年(S50)5月、柏木の旧仙台高等学校同窓会館を改築して移転
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「仙台市史 年表」P126、P128、P129
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文学碑など(仙台) |
菊地養之輔の歌碑 |
1969年(S44) |
* 1969年(S44)9月、西公園の公会堂西南隣に建設 / 「新しき世界のために靴の紐、結ぶしもべと我をならしめ」
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「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P192~193
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ニッカウイスキー工場 |
仙台工場 |
1969年(S44) |
* 1969年(S44)5月10日、仙台工場を宮城町新川地内に完成
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「重訂 宮城県郷土史年表」P649
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宮城県県民の森 |
開園 |
1969年(S44) |
* 1969年(S44)10月、開園 / 仙台市と泉町(当時)、利府町にまたがる
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「仙台市史 年表」P126
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仙台美術館 |
開館 |
1969年(S44) |
* 1969年(S44)2月25日、財団法人仙台美術館、斎藤報恩会館内に開館
* 1973年(S48)、柳町の河北ビルに移転
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「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P197/「仙台市史 年表」P126、P129/「重訂 宮城県郷土史年表」P646
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創価学会会館 |
建設 |
1969年(S44) |
* 1969年(S44)12月5日、創価学会東北文化会館、錦町2丁目に建設(4階建)
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「重訂 宮城県郷土史年表」P655
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宮城県立青年の家 |
完成 |
1969年(S44) |
* 1969年(S44)3月1日、泉ヶ岳に完成
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「重訂 宮城県郷土史年表」P647
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大学・短大 |
大学紛争 |
1969年(S44) |
この年、東北大学、宮城教育大学、東北学院大学で大学紛争が盛んになる → 項目「大学紛争」参照
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「仙台市史 年表」P126
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盲人専用信号機 |
北六番丁交差点 |
1969年(S44) |
* 1969年(S44)3月4日、北六番丁交差点に設置(全国初)
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「重訂 宮城県郷土史年表」P647
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大学紛争 |
仙台(2) |
1969年(S44)後半 |
<1969年(S44)後半>
・ 7月1日、宮城教育大学、反代々木系学生が、同大学人文棟を封鎖
・ 7月7日、東北学院大学に機動隊出動し、封鎖中の押川記念館を解除
・ 9月18日、東北大学、教養部無期限スト、大学側は19日より前期試験を無期延期
・ 9月19日、宮城教育大学、反代々木系学生が講義棟封鎖、大学側は19日より前期試験を無期延期
・ 10月10日、「十月十日統一行動日」、仙台においてはじめてデモ隊が乗用車に放火、路上にバリケードを築き街頭闘争、学生9人逮捕
・ 10月16日、東北大学工学部管理棟、全共闘学生が封鎖
・ 10月19日、仙台市で、反代々木系学生宮城県反戦青年委員会のデモ、94人逮捕
・ 10月21日、国際反戦デー、東北は7万人参加、仙台では反代々木系学生74人逮捕
・ 10月29日、東北大文学部、教育学部を全共闘派封鎖
・ 11月14日、東北大学の臨時評議会において封鎖解除のため機動隊導入を決定
・ 11月22日、本川東北大学長、県警察本部に文書で学内封鎖解除のため機動隊導入を要請
・ 11月23日、宮城県警察機動隊、東北大学構内に出動、封鎖されていた教養部理科実験棟など5つの建物全部の封鎖を解除
・ 11月27日、東北大学、法・経・理の3学部授業再開
・ 12月1日、東北大学教養部ロックアウト解除、文学部・教育学部も授業再開
(12月17日、文部省、大学紛争白書を発表、紛争大学合計124校)
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「重訂 宮城県郷土史年表」P650、P652、P653、P654、P655
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「仙台市史 特別編4 市民生活」P539(S44年大学立法反対闘争、学生が大学講義棟を封鎖、
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高等学校(新制) |
仙台市内の高校一覧 |
1969年(S44)現在 |
「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P482~531に、以下の各高校について、概要、沿革などを紹介(昭和45年時点)
<仙台市立>
仙台商業高校(P482~485)、仙台高校(P485~489)、仙台工業高校(P489~492)、仙台第二工業高校(P492~494)、仙台女子商業高校(P494~497)、仙台女子高校(P497~500)、仙台図南高校(P500~501)
・ 「仙台市立7高校の系譜図」→「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P502~503
<宮城県立>
宮城県仙台第一高校(P504~505)、宮城県仙台第二高校(P506~507)、宮城県仙台第三高校(P507~508)、宮城県農業高校(P508~509)、宮城県工業高校(P509~510)、宮城県第二工業高校(P510~511)、県立盲学校(P517~518)、県立聾学校(P518)、宮城県第一女子高校(P518~520)、宮城県第二女子高校(P520~521)、宮城県第三女子高校(P522~523)
<私立>
東北工業大学電子工業高校(P511)、東北学院高校(P512~513)、東北高校(P513~514)、仙台育英学園高校(P514~515)、栴檀学園高校(P516)、宮城学院高校(P523~524)、仙台白百合学園高校(P524~525)、常盤木学園高校(P525~526)、尚絅女学院高校(P526~527)、三島学園女子高校(P527~528)、聖和学園吉田高校(P528~529)、朴沢女子高校(P529~530)、聖ウルスラ学院高校(P530~531)、聖ドミニコ学院高校(P531)
<国立>
仙台電波高校(P516~517)
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「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P482~531
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年中行事(まつり) |
東北三大まつり |
1969年(S44)~ |
* 1969年(S44)5月30日、仙台七夕、秋田竿灯、青森ねぶた、仙台市内でパレードを行う
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「重訂 宮城県郷土史年表」P649
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仙台卸商センター |
完成 |
1970年(S45) |
* 1965年(S40)6月17日、協同組合発足、卸商センター建設着手
* 1966年(S41)、着工
* 1970年(S45)10月14日、原町南目の仙台流通センター地区内に完成
* 1979年(S54)4月1日、センターに、国鉄連絡運輸駅設置
* 1986年(S61)10月15日、センターに、産業見本市会館完成
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「仙台市史 年表」P124、P127/「重訂 宮城県郷土史年表」P620、P623/「続・ 宮城県郷土史年表」P94、P212/「仙台市史 特別編4 市民生活」P370
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「仙台市史 特別編4 市民生活」P370(S46年完成の仙台卸商センター)
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ビル建設 |
第一生命ビル |
1970年(S45) |
* 1970年(S45)7月、第一生命ビル竣工(仙台市役所の南隣に、鉄骨鉄筋造、地下1階、地上10階、塔屋4階)
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「重訂 宮城県郷土史年表」P663
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(着工してまもない頃)40-07、201-04、201-05
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ありのまま舎 |
設立 |
1970年(S45) |
* 1970年(S45)、任意団体「ありのまま舎」設立
* 1975年(S50)、映画「車椅子の青春」制作/第1回日本赤十字映画祭長編部門最優秀賞受賞
* 1982年(S57) 映画「続・車椅子の青春(忘れられた一日)」完成
* 1986年(S61)、社会福祉法人「ありのまま舎」設立
* 1987年(S62)、身体障害者自立ホーム「仙台ありのまま舎」開所(西多賀4丁目) / 4月5日、入居式
* 1989年(S64)、付帯施設「障害者自立センター」開所
* 1999年(H11)、第1回「ありのまま舎自立大賞」設立(以後毎年開催)
* 2013年(H25)、県南ありのまま舎、名取ありのまま舎(相談支援事業)開設
このほか、製作映画、出版、受賞など多数あり
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「社会福祉法人ありのまま舎」ホームページhttp://www.arinomama.or.jp/menu1_2.html
/「続・ 宮城県郷土史年表」P153、P221
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安保反対闘争(1970年) |
70年安保闘争・仙台の動き |
1970年(S45) |
<「仙台市史 特別編4 市民生活」P540「安保反対運動」より転記>
* 1970年(S45)6月23日、安保破棄県民集会(仙台市錦町公園)、社会・共産両党、労働組合、学生など125団体1万1000人参加 / 安保破棄を目指す宮城県学生総決起集会(東北大学構内)には在仙台各大学の学生3000人が集会・デモ行進後、県民集会に合流 / 6・23仙台学労総決起集会(全共闘系、仙台ベ平、反戦青年委員会など2800人)
・このほか、大学のストや討論集会も盛ん
・6月23日、安保条約は自動延長となる
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「仙台市史 特別編4 市民生活」P541
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公害市民憲章 |
全国初、制定 |
1970年(S45) |
* 1970年(S45)9月22日、仙台市が全国で初めて制定
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「仙台市史 年表」P127
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仙台市の特徴ある条例・宣言・憲章・事業 |
公害市民憲章 |
1970年(S45) |
→ 項目「公害市民憲章」参照
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仙台七夕 |
花火大会 |
1970年(S45) |
* 1970年(S45)8月5日、仙台七夕で、花火大会初開催(仙台青年会議所主催)
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「仙台市史 年表」P127/「番丁詳伝」P187
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宮城交通 |
発足 |
1970年(S45) |
<前史>
* 1962年(S37)4月17日、塩釜交通・古川交通・仙台鉄道各社が合併し、宮城バス株式会社を設立(「仙台市史 年表」P122、「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P603)
* 1964年(S39)4月14日、仙北鉄道株式会社、宮城バス株式会社と合併(「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P602~603に詳細記述あり)
* 1968年(S43)3月24日、仙北鉄道登米線を廃止(50年の歴史に終止符)
* 1970年(S45)5月28日、宮城バス・宮城中央バス・仙南交通の私鉄3社、株主総会で合併を決定(「重訂 宮城県郷土史年表」P661)
<発足以降>
* 1970年(S45)10月、仙南交通・宮城バス・宮城中央交通が合併した宮城交通株式会社、営業運転開始(「仙台市史 年表」P127)
* 1979年(S54)1月20日、デマンド・バス運行
* 1983年(S58)6月16日、北仙台~青根温泉など長距離運行廃止
* 1984年(S59)1月15日、市営バスと宮城交通バスの共通乗車券発売開始
* 1985年(S60)10月16日、築館~仙台間に高速特急バス運行
* 1986年(S61)12月27日、東北運輸局が、仙台市交通局(市営バス)と宮城交通バスの、泉市加茂・泉パークタウン・名取市閖上へ共同乗り入れを発表
* 1988年(S63)4月12日、4年ぶりに終日バス運行
<運賃>
* 1975年(S50)12月13日、最低料金50円に改訂
* 1977年(S52)10月11日、仙台市営バス・宮城交通は、値上げ(均一区間、70円から80円へ)
* 1977年(S52)12月1日、値上げ(塩釜~利府が220円)
<ストライキ>
* 1979年(S54)12月20日、48時間スト
* 1984年(S59)4月13日、宮城交通労組が24時間スト
* 1984年(S59)4月17日、スト
<仙台関連の交通史略年表(明治10年~平成4年)> →「仙台市史 特別編4 市民生活」P205に、乗合馬車・宮城木道社・舟運・バス・バス専用レーン・鉄道・市電・新幹線・地下鉄・空港・トラックターミナル・バイパス道路・自動車道の年表
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「仙台市史 年表」P122、P127/「重訂 宮城県郷土史年表」P638、P661、P666/「続・ 宮城県郷土史年表」P48、P73、P74、P92、P105、P163、P172、P175、P195、P215、P243/宮城バスについては、「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P602~603/「仙台市史 特別編4 市民生活」P204、P205
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火災(地域) |
東部飲食店街 |
1970年(S45) |
* 1970年(S45)7月10日、アパートなど10棟2500㎡焼失、37世帯94人被災
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「重訂 宮城県郷土史年表」P659
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