項目 |
小項目 |
年 |
内容 |
出典/参考資料 |
関連映像 |
軍需工場(宮城県内) |
民間工場 |
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・ 東北金属(現・太白区諏訪) →マグネット通信機器、機関砲部品
・ 東北特殊鋼(現・太白区長町八幡前) →銃の中心部分となる銃身鋼
・ 三馬弘進護謨 →軍用地下たび、被服など
・ 大日本航空 →新型ジェット機「秋水」の訓練用グライダー
・ 萱場製作所(のちのカヤバ工業)仙台工場(現・太白区八本松) →戦闘機や偵察機の油圧緩衝機、陸軍の依託で着弾観測用のオートジャイロ(カ号観測機)の組立作業
・このほか、日本電気、東北ゴム、本山製作所、仙台発動機、塩釜ドック、東北ドックでも軍需品を製造
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「戦争のころ 仙台、宮城」(石澤友隆著)P158~159
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仙台CIE図書館 |
開館~廃止 |
1948年(S23)~1952年(S27) |
CIE図書館は、日本の敗戦後に連合軍総司令部(GHQ/SCAP)の一組織の民間情報教育局(CIE)が、日本の民主化非軍事化を目的とし、全国に23館を設置。 民主主義の普及や米国の生活様式など、多岐にわたる図書・雑誌・映画フィルムのほかレコードや楽譜、パンフレット類をおき無料で貸し出した。
* 1948年(S23)5月23日、仙台CIE図書館、斎藤報恩会館内に設置(日本で8番目のCIE図書館だった)
* 1952年(S27)5月1日、「仙台アメリカ文化センター 」と改称
1946年(S21)にCIEがアメリカ教育使節団の手引書として刊行した『日本の教育』(Education in Japan) では、CIE図書館の目的について『日本の文筆家・学者・官僚・政治家・諸団体ならびに一般人を対象に、国際関係や第二次世界大戦についての参考資料や書物を提供し、米国の慣習・法律・社会・政治機構に根ざす活動や政策の実態を知らせようとするもの』と述べている(関連情報欄の三浦太郎論文より引用)
サンフランシスコ講和条約発効(1952年)に伴い GHQ/SCAP は解散し、全国23か所にあったCIE図書館は廃止、このうち仙台など13都市にあったCIE図書館が米国国務省に移管され、1952年(S27)5月1日から「アメリカ文化センター 」(ACC) と改称
→ 項目「仙台アメリカ文化センター」参照
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「仙台市史 年表」P115、P117
/三浦太郎、2005年、「占領下日本におけるCIE第2代図書館担当官バーネットの活動 (PDF) 」 、『東京大学大学院教育学研究科紀要』45巻、東京大学、NAID 110006389820 pp. 267-276
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移民 |
ハワイへ |
1902年(M35) |
* 1902年(M35)、県内から152名が移民
* 1903年(M36)、県内から148名が移民
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「仙台市史 年表」P92
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軍需工場(宮城県内) |
工場疎開 |
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<首都圏から宮城県へ>
「首都圏の軍需工場など98企業から宮城県へ疎開希望あり、すでに53工場が操業中、残りも対応中」(「宮城県知事事務引継書」(昭和20年6月)より)
<仙台市内の軍需工場の疎開>
東北臨時生産防衛対策委員会、仙台市内の10工場を、空襲に備えて疎開決定
・東北特殊鋼 仙台市長町 → 山形県西村山郡西郷村の国民学校へ
・三馬弘進ゴム 仙台市行人塚 → 鳴子町川端へ
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「戦争のころ 仙台、宮城」(石澤友隆著)P211
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藤崎(戦後期) |
南館 開店 |
1963年(S38) |
* 1963年(S38)10月、「南館」完成(青葉通りに面した7階建)
S38年秋には、仙台の3デパート(藤崎、三越、丸光)が同時に増築を完成させた
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「藤崎170年のあゆみ」P146、P196~197
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医療機関 |
仙台区立施薬院 |
1883年(M16) |
* 1883年(M16)、仙台区立施薬院(貧民施庵所)開設 / 病院に行けない貧しい人々のために、開業医の鈴木亦人らの尽力で、櫓丁の東京庵跡に建設 / 仙台区で発行する施療券を持った患者の治療が目的 / 医者はすべて無報酬で交代で診療
* 1885年(M18)6月、仙台区会の決議で廃止
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「仙台市史 特別編4 市民生活」P397
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軍都・仙台 |
「軍都」と地元経済 |
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「仙台市史 特別編4 市民生活」P298より
・ 新聞の広告などによると、軍の食料品や馬糧を主にして、燃料、衣料、軍靴などの購入調達が、入札による納入や指定御用達商店を通す方法で行われ、仙台の経済と深くかかわっていた
*******************************************
「仙台市史 特別編4 市民生活」P334(「軍都」と経済より要約)
<兵士や将校の個人的な消費>
・ 日曜祭日、慰労休暇、褒賞休暇などの外出(飲食・映画などの娯楽 / 娯楽は軍人半額料金が多い)
・ 面会人や除隊兵士向けの土産品・記念品の店(菓子店、漆器店、木盃製造販売店などが大町1・2丁目と、鉄砲町方面から仙台駅前に向かって並んでいた)
・ 軍服・軍帽・軍靴・軍鞄・軍用腕時計・双眼鏡など(将校は自前で準備する必要)
<軍による調達>
・ 各隊兵士の食糧、軍馬用飼料(大麦・わら・干し草など)
・ パンや酒・缶詰などの陸軍御用商人もあった
(御用商人は定められた額の保証金を出した)
・ 軍馬の購入(川内の追廻や、扇坂、古川で)
・ 馬丁、調教師、蹄鉄工など募集
<軍による払下げ>
・ 外套・軍服などの古着、廃馬、各隊の下肥などの汲み取り、馬糞などの入札競売
・ 残飯などの払い下げを受ける業者 → 貧民に売る
・ 戦時には、生活に苦しむ軍人留守家族救済のため、軍服類の縫製や修繕を、留守家族が働く施設に発注
☆ 地元商工業界からは軍に、地元産業育成のため地元製品のより積極的な買上げを要望する声が絶えなかったが、その成果は上がらず、昭和期の軍工廠の設立を待つことになる
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「仙台市史 特別編4 市民生活」P298、P334
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仙台市営地下鉄 |
東西線開業 |
2015年(H27) |
八木山動物公園駅~ 荒井駅間、計13.9km
* 2005年(H17)4月25、地下鉄東西線工事施行が許可
* 2007年(H19)11月、本体工事着工
* 2015年(H27)12月6日、開業
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仙台市HP「仙台市のあゆみ」/Wikipedia「仙台市地下鉄」
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電話 |
仙台の市内局番 |
1954年(S29)/1963年(S38) |
* 1954年(S29)4月29日、仙台市内の電話番号に「局番」がつく (「2」と「3」局誕生) / 東北初
* 1960年(S35)、局番「5」新設
* 1961年(S36)、局番「6」新設(榴ヶ岡に東分局開局)
* 1962年(S37)8月、仙台の市外局番が「0222」となる / 仙台~福島~郡山間、ダイヤル市外通話が可能に
* 1963年(S38)1月20日、仙台市内の電話局番が「2桁」になる(22・32・42・52・65局などに)
* 1963年(S38)、長町分局開局、局番「48」新設
* 1963年(S38)11月、電話局荒巻分局開局、局番「34」新設
* 1963年(S38)11月~1968年(S43)1月、局番9つ新設(設置順に、57,29,21,58,33,86,88,24,27)
************************************
* 1986年(S61)7月1日、仙台地区の電話「市外局番022」となる / 同日、仙台・岩沼・大河原・古川地区の市外電話局番3桁実施
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「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P575~578/「仙台年表」P230/「重訂 宮城県郷土史年表」P607/「続・ 宮城県郷土史年表」P207
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藤崎(戦後期) |
東館 開店 |
1971年(S46) |
* 1971年(S46)11月、「東館」を建設
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「藤崎170年のあゆみ」P196~197
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冷害・凶作 |
昭和戦前期 |
1935年(S10)/1941年(S16)/1945年(S20) |
* 1935年(S10)、冷害のため大凶作
* 1941年(S16)、冷害(宮城県内の米作、収穫半減)
* 1945年(S20)、冷害と水害のため凶作(明治42年以来の不作)
<参考> 「仙台市史 特別編4 市民生活」P356の図345「宮城県の米収穫高グラフ(昭和元年~9年)」 → 1934年(S9)の落ち込みが特に大きい
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仙台市史 特別編4 市民生活」P356/「仙台市史 年表」P108、P114/「重訂 宮城県郷土史年表」P487、P508/仙台年表」P211
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医療機関 |
宮城病院 |
1879年(M12) |
<施薬所→共立社病院→宮城病院→宮城医学校附属病院→再び宮城病院→東北帝国大学医学専門部附属医院>
* 1869年(M2)、仙台藩によって創設された医学校が、旧町奉行役宅に移り「施薬所」と称し、医者の養成と診療にあたる / 1971年(M4)7月、廃藩置県とともに廃止
* 1972年(M5)5月、中田斉と石田真、宮城県初の病院「共立社病院」を南町に創設(以上、「仙台市史 特別編4 市民生活」P394)
* 1879年(M12)5月1日、「共立社病院」が宮城県に移管される。
* この後に国分町に移転し、
* 1879年(M12)7月、病院を「宮城病院」、附属学舎を「宮城病院附属医学校」と改称 / コレラなど伝染病予防と治療に注力、県内の開業医対象に各地で医学講習会実施
* 1882年(M15)7月、宮城病院附属医学校が「宮城医学校」と改称 / 内科・外科・眼科
* 1882年(M15)9月、東二番丁に移転
* 1884年(M17)7月1日、宮城病院が「宮城医学校附属病院」となる
* このあとに元貞坂に移転し1884年(M17)9月29日に開院
* 1887年(M20)3月、宮城医学校廃止(文部省に移管)
* 1887年(M20)4月1日、附属病院は、再び「宮城病院」として開院(県が経営) / 旧制二高医学部の臨床実習場を兼ねる
* 1911年(M44)4月6日、宮城病院が北4番丁に移転(本館新築)、
* 1913年(T2)4月1日、宮城病院、東北帝国大学に委譲され、「東北帝国大学医学専門部附属医院」となる
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「仙台市史 特別編4 市民生活」P394~395/「仙台市史 年表」P83、P84、P85、P86、P95、P96
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仙台市営バス |
戦前 |
1942年(S17)~1945年(S20) |
* 1942年(S17)8月21日、仙台市が仙台市街自動車(通称・銀バス)を買収、仙台市営バス事業を開始した
* 1943年(S18)11月20日、近郊の5バス会社(根白石、定義、増東、仙山、港組)を市バスに買収統合
・ 戦時中は、ガソリン統制で円滑な運営ができなかった(「戦争のころ 仙台、宮城」P161)
* 1945年(S20)7月1日、仙台空襲で、仙台駅前車庫、営業所が焼失
・ 戦時中と戦後しばらくは、木炭などを燃料した代替燃料装置でかろうじて走っている状態
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「仙台市史 年表」P112/「重訂 宮城県郷土史年表」P491/「仙台市史10 年表」P307/「戦争のころ 仙台、宮城」(石澤友隆著)P161
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電話 |
車椅子用電話ボックス |
1975年(S50) |
* 1975年(S50)3月23日、設置(丸光前と藤崎前)
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「続・ 宮城県郷土史年表」P38
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藤崎(戦後期) |
リビング館 開店 |
1982年(S57) |
* 1982年(S57)9月10日、「リビング館」オープン
・ 大町通り(中央通り)北側に面した6階建
・ S52年に解体された明治生命館(ロマネスク様式、赤レンガの壁)の跡地
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「藤崎170年のあゆみ」P196~197/「続・ 宮城県郷土史年表」P150
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冷害・凶作 |
昭和戦後期 |
1953年(S28)/1954年(S29)/1976年(S51)/1980年(S55) |
* 1953年(S28)10月29日、仙台市が冷害凶作を受けて冷害臨時対策本部を設置
* 1953年(S28)、この年、東北・北海道は冷害、前年比19%減で、昭和9年以来の凶作(菅家年表)
* 1954年(S29)7月17日、県農地課発表、県下高冷開拓地の陸稲大豆夏作物で収穫皆無が690町歩(総面積の4分の1)、特に蔵王山麓、栗駒山麓
* 1976年(S51)、東北、北海道は冷害
* 1980年(S55)、東北地方は冷害
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「仙台市史 年表」P118/「仙台年表」P231/菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P47、P70、P74
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医療機関 |
東北帝国大学医学部附属病院 |
1913年(T2)~1947年(S22) |
* 1913年(T2)4月1日、宮城病院が東北帝国大学に委譲され、「東北帝国大学医学専門部附属医院」となる(のち「医学部附属病院」に)
→ これ以降は、項目「東北帝国大学医学部附属病院」へ
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電話 |
ダイヤル即時化 |
1964年(S39)/1979年(S54) |
* 1962年(S37)8月、仙台~福島~郡山間、ダイヤル市外通話が可能に
* 1964年(S39)11月、ダイヤルで東京、秋田、青森へ即時通話
* 1965年(S40)、ダイヤル市外通話、全国の360局と連絡可能に
* 1979年(S54)3月14日、電話、全国ダイヤル即時化実施
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仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P577~578/「重訂 宮城県郷土史年表」P616/菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P73
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医療機関 |
東北大学医学部付属病院/東北大学病院 |
1947年(S22)~ |
→ 項目「東北大学医学部付属病院/東北大学病院」参照
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電話 |
テレホンカード |
1982年(S57) |
* 1982年(S57)12月、テレホンカードの使用開始
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菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P76
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婦人参政権獲得運動 |
全国 |
1921年(T10)~1945年(S20) |
<婦選獲得運動>
* 1921年(T10)1月、新婦人協会(市川房枝・奥むめお・平塚らいてう達)、355人の署名を集めて婦人参政権の要求を、貴族院・衆議院に提出
* 1923年(T12)2月、婦人参政権同盟結成
* 1924年(T13)12月13日、婦人参政権獲得期成同盟会、発足 / 1925年(T14)4月、婦選獲得同盟と改称
* 1929年(S4)12月、長野県で、婦人参政権の県会決議が実現
<敗戦後の再起>
* 1945年(S20)8月25日、戦後対策婦人委員会結成(市川房枝・山村民子ら30余名の女性) / 9月24日、政府・両院に対し、女性参政権実現、公民権・政党参加権の獲得、行政機関への登用を要求
* 1945年(S20)10月10日、幣原内閣が臨時閣議で婦人参政権付与の方針決定 / 10月13日、国民に発表
* 1945年(S20)10月11日、GHQ、日本民主化のための五大改革の冒頭に「参政権の付与による女性の解放」を掲げる
* 1945年(S20)12月17日、婦人参政権の付与を盛り込んだ衆議院議員選挙法改正案が成立、ただちに公布
* 1945年(S20)12月28日、衆議院解散
* 1946年(S21)4月10日、総選挙(全国で39名の女性代議士誕生 / 東北では、山形・秋田・岩手で1名、福島で2名当選)
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「仙台市史 特別編4 市民生活」P504~507
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レッドパージ |
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1950年(S25) |
<全国>
* 1948年(S23)1月6日、米陸軍長官ロイヤル、サンフランシスコで日本を反共の防壁にすると演説
* 1950年(S25)5月3日、マッカーサー元帥、憲法記念日の声明で共産党の非合法化を示唆
* 1950年(S25)6月6日、マ元帥、共産党中央委員24人全員の追放を指令
* 1950年(S25)6月26日、マ元帥、「アカハタ」の30日間発行停止を指令 / 7月18日、無期限停止
* 1950年(S25)7月24日、企業のレッドパージ始まる
* 1950年(S25)9月1日、閣議、公務員のレッドパージの基本方針を正式決定
<宮城の事例>
* 1950年(S25)8月26日、レッドパージで、東北配電、日本発送電東北支店従業員433人が解雇される
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岩波ブックレット「年表 昭和史」P29/「仙台年表」P220
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医療機関 |
仙台オープン病院(旧・鶴ケ谷オープン病院) |
1976年(S51)/1986年(S61) |
→ 項目「仙台オープン病院」参照
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電話 |
自動車電話 |
1983年(S58) |
* 1983年(S58)3月25日、仙台地区で自動車電話スタート
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「続・ 宮城県郷土史年表」P160
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医療機関 |
避病院/仙台市伝染病院 |
1881年(M14)/1895年(M28)/1899年(M32) |
* 1881年(M14)、仙台市に腸チフス流行、外記丁の宿舎にチフス患者を収容する避病院開設
* 1882年(M15)、コレラ大流行し、台原にも避病院開設
* 1890年(M23)、コレラ発生し、北山称覚時に患者を隔離
* 1895年(M28)、日清戦争帰還兵が持ち込んだコレラが全国的に流行、仙台でもコレラ罹患した兵隊を小田原避病院(宮城野原につらなる原野の一角に避病院設置)に収容、軍では鷺ヶ森にも避病院つくり、善応寺、仙岳院も避病院として使用
* 1899年(M32)4月1日、仙台市、東九番丁の孝勝寺裏の伊達家の土地1800坪に「仙台市避病院」を整備し患者を収容 / のち、1922年(T11)に「仙台市伝染病院」と改称
→ 項目「医療機関」の小項目「仙台市立榴ケ岡病院」へ
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「仙台市史 特別編4 市民生活」P395/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P717/「仙台市史 年表」P90
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電話 |
公衆電話 |
1984年(S59) |
* 1984年(S59)10月19日、丸光デパートにカード専用公衆電話設置(東北初)
* 1986年(S61)4月30日、マイクとスピーカーつき新型公衆電話を仙台市一番町買物公園に設置
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「続・ 宮城県郷土史年表」P182、P204
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蛍光灯 |
普及始まる |
1949年(S24) |
* 1941年(S16)、東芝が“マツダ蛍光ランプ”として、昼光色15Wと20Wを正式に発売
* 1949年(S24)、この年、白色蛍光灯(40W)、発売、商店、事務所に普及
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Wikipedia「蛍光灯」/菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P43
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消費者団体 |
みやぎ生協 |
1982年(S57) |
* 1982年(S57)1月12日、宮城県民生活協同組合とみやぎ学校生活協同組合合併し、宮城生活協同組合誕生
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「続・ 宮城県郷土史年表」P140
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婦人標準服 |
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⇒ 項目「戦時衣料」参照
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医療機関 |
仙台鉄道病院 |
1921年(T10) |
* 1919年(T8)12月、仙台鉄道管理局開局に伴い、鉄道治療所が清水小路に開所 / 目的は、公傷患者の治療
* 1921年(T10)、仙台鉄道病院
* 1945年(S20)7月10日、仙台空襲で全焼
* 1948年(S23)12月、再建
* 1950年(S25)、看護婦養成開始(仙台鉄道病院看護婦養成所認可)
・ 国鉄民営化にともない「JR仙台病院」となる
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「仙台市史 特別編4 市民生活」P398
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消費者団体 |
日本消費者連盟 |
1985年(S60) |
* 1985年(S60)2月24日、県内9カ所の消費者団体が、日本消費者連盟宮城グループを結成
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「続・ 宮城県郷土史年表」P188
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土井晩翠 |
晩翠忌/晩翠賞 |
1959年(S34) |
* 1952年(S27)10月19日、晩翠逝去(81歳) / 晩翠忌には、晩翠賞を東北の詩人に授賞し、毎年市内の小学生や幼稚園の子ども達が詩碑前で「荒城の月」を合唱や木琴合奏
* 1959年(S34)10月19日、制定し、第1回晩翠賞表彰式
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「重訂 宮城県郷土史年表」P594
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ロータリー・クラブ |
再発足 |
1950年(S25) |
* 1950年(S25)1月18日、仙台ロータリー・クラブ再発足
* 1951年(S26)9月、青葉通りの仙台駅前の分離帯に、ロータリークラブから、栃の木、柳が寄付される(「戦災復興余話」P53)
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「重訂 宮城県郷土史年表」P540/「戦災復興余話」P53
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医療機関 |
仙台逓信診療所/仙台逓信病院 |
1922年(T11)/1942年(S17) |
* 1922年(T11)、10月1日「仙台逓信診療所」が東二番丁に設置される
* 1942年(S17)、「仙台逓信病院」と改称
* 1945年(S20)7月10日、仙台空襲で焼失
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「仙台市史 特別編4 市民生活」P398/「仙台市史 年表」P101
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警察(戦前) |
特別高等警察報告 |
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<宮城県知事事務引継書の「特高警察」の報告(昭和20年)から>
(1) 本土決戦を迎え報道義勇隊結成を計画中
東北軍管区司令部と特高警察が連絡をとり、河北新報社を主体に東京各紙、東北6県の記者を包括した報道義勇隊
(2) 敗戦的和平策動の容疑人物を重点観察中
ドイツの戦線離脱、沖縄戦の急迫、主要都市に対する空襲の激化により、国民の一部に不安、焦燥感を持つ者あり
(3) 拘束中の敵性外国人
・ カトリック元寺小路教会に35人(横須賀海軍警備隊から引き継いだインドネシア人35人~うち1人死亡~、広島県から送られてきた外国人1人)
・ 仙台市畳屋町の教会に26人(敵性修道女26人)
・ このほか、仙台に居住中の外国人は、中国満州人160人、ドイツ人など16人
(4) 朝鮮人の動向
東京、大阪など大都市の空襲で被災や縁故疎開で宮城県内に移住した朝鮮人は546人(うち335人は戦災) / 中には要観察中の者、不良朝鮮人もあり視察、取締りを強化
(5) 移入朝鮮人労務者
国民動員計画に基づく朝鮮人労務者は県内に1442人 / うち、239人は1年間の契約期間満了だが、法令で1年間契約延長となり動揺、逃亡者も予想される / 各種事故増加傾向改善のため、移入朝鮮人が多い塩釜、若柳両警察署に「移入労務者事故防止協議会」設置、事前指導の強化徹底を図っている
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「戦争のころ 仙台、宮城」(石澤友隆著)P202
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仙台市公報 |
創刊 |
1935年(S10)/1948年(S23) |
<戦前> 1935年(S10)4月20日創刊
<戦後> 1948年(S23)6月1日、改めて発行
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「仙台市史 年表」P108/「仙台市史10 年表」P285、P318
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土井晩翠 |
名誉市民/文化勲章/逝去/胸像除幕 |
1949年(S24)/1952年(S27)/1976年(S51) |
* 1949年(S24)5月2日、土井林吉(晩翠)が、本多光太郎、志賀潔と共に、仙台市名誉市民の称号を贈られる
* 1950年(S25)、文化勲章受章
* 1952年(S27)10月19日、詩人土井晩翠(81歳)晩翠草堂において逝去(「重訂 宮城県郷土史年表」P559)
* 1952年(S27)10月、名誉市民土井晩翠先生市葬
* 1976年(S51)5月9日、青葉山公園で土井晩翠胸像除幕式
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「重訂 宮城県郷土史年表」P559/「続・ 宮城県郷土史年表」P54
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物価上昇 |
戦後インフレ |
昭和20年代 |
* 1946年(S21)3月、国鉄運賃25割値上げ、仙台~東京間250円に(「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P702)
* 1946年(S21)秋、物価はウナギのぼり、ヤミ値はつりあがる(「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P701)
* 1947年(S22)、この年、酒、タバコ、郵便が一斉に値上げ / 消費者物価が終戦時の4倍となる
* 1948年(S23)末、同年3月比の物価
・ 5割以上値上がりした品目(鯨油、黒砂糖、白砂糖、清酒、茶、ポプリン、キャラコ、革靴、練炭、化粧石鹸、ポマード、クリーム、アルコール、紙類、材木、自転車など)
・ 下落した品目(白菜、ホウレンソウ、大根、イカ、蒲鉾、スルメ、りんご、人絹、絹布、靴下、マッチ、サッカリン、ペニシリン、セメント、畳、鉄くぎ など)
* 1949年(S24)3月、物価調査で公定価格割れが続々と出てくる
* 1950年(S25)7月、仙台市、ガス料金を23.8%値上げ
* 1954年(S29)春、前年秋からのデフレ政策が仙台にも波及、市内商店の売り上げは2~3割減、一方デパート売上は堅実に伸びる
* 1954年(S29)秋から翌年6月ごろまで仙台の物価は横ばい
* 1955年(S30)6月の仙台の物価指数、S26年を100として、120 / 市内の標準家庭(5人)の家計支出は月平均2万5000円で食費は半分以下となった
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「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P701~702、P710/菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P41、P43/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P107
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老人福祉 |
老人福祉手帳(豊齢手帳) |
1973年(S48) |
* 1973年(S48)9月、仙台市が老人福祉手帳を65歳以上の市民に交付
* 1989年(H1)、老人福祉手帳を「豊齢手帳」と改称
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「仙台市史 年表」P128、P136
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医療機関 |
仙台赤十字病院 |
1924年(T13) |
→ 項目「仙台赤十字病院」へ
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消防組/防護団/警防団/消防団 |
仙台市防護団 |
1936年(S11) |
* 1933年(S8)9月15日、仙台で「防空救護団」発団式
* 1936年(S11)2月、民間の組織として「仙台防護団」(団長は市長)を結成、本部を市役所内に置き小学校学区ごとに分団を設ける(市内の在郷軍人、青年団、青年訓練所生、町会員、医師会員、婦人団体その他で構成、平時は防護の準備と訓練、非常時には市の防護、特に防空思想の普及と訓練に力を入れた(「仙台市史 続編第1巻」P38)
* 1936年(S11)4月29日、「仙台市防護団」結成(17分団成立)
* 1937年(S12)、仙台市防護団、防護団の下に5~20戸をまとめた「家庭防火群」をおく
* 1943年(S18)1月19日、「仙台市役所特別防護団」設置
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「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P38/「仙台年表」P204/「仙台市史 年表」P108/「仙台市史 特別編4 市民生活」P321/「仙台市史10 年表」P305
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仙台市視聴覚教材センター |
開設 |
1969年(S44) |
* 1969年(S44)9月、「仙台市視聴覚ライブラリー」を市民教養センター内に開設
* 1970年(S45)2月、仙台市レジャーセンター内に移転
* 1972年(S47)6月22日、「仙台市視聴覚教材センター」と改組・改称
* 1975年(S50)5月、柏木の旧仙台高等学校同窓会館を改築して移転
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「仙台市史 年表」P126、P128、P129
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医療機関 |
仙台市立病院 |
1930年(S5) |
* 1930年(S5)2月1日、開院、外来診療開始
(東二番丁の旧裁判所庁舎を改造)
→ これ以降は、項目「仙台市立病院」へ
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警察(戦後) |
宮城県警察 |
1954年(S29)7月~ |
* 1954年(S29)7月1日、新警察法施行に伴い、国家地方警察宮城県本部と、仙台市警察などの自治体警察が統合し宮城県警察が発足
(2020年現在、宮城県警察本部庁舎は、宮城県庁舎に隣接)
* 1973年(S48)5月11日、県警にヘリコプター「あおば」配備
* 1975年(S50)2月7日、ヤングテレホン設置
* 1985年(S60)5月21日、県警、少年相談電話スタート
* 1986年(S61)4月11日、県警、仙台市内の交差点にセンター・ブロック埋設
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「仙台市史」P118/「続・ 宮城県郷土史年表」P19、P37、P191、P204
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仙台市市民文化事業団 |
設立 |
1986年(S61)10月1日 |
* 1986年(S61)10月1日、財団法人仙台市市民文化事業団、設立
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「仙台市史 年表」P134
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警察(戦後) |
警察官 |
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<全国>
* 1946年(S21)1月16日、警官がピストル携行となる
* 1946年(S21)3月16日、婦人警官(65人が入所式)、4月27日から街頭へ
* 1946年(S21)7月20日、警官のサーベルを廃止
* 1950年(S25)1月10日、警官の拳銃常時携行となる
<宮城県>(「仙台市史 特別編4 市民生活」P367)
* 1946年(S21)10月、宮城県でも婦人警察官21人採用
(応募は、17~39歳まで、大陸から引揚げてきた未亡人も含め96人が応募) / 12月24日に仙台北警察署に11名、南警察署に6名配属 / 青少年補導が主な活動の場
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菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P36、P44/「仙台市史 特別編4 市民生活」P367
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消防組/防護団/警防団/消防団 |
仙台北消防団/仙台南消防団 |
1948年(S23) |
* 1947年(S22)5月1日、消防団令公布
* 1948年(S23)1月20日、「仙台北警防団」・「仙台南警防団」が解散し、「仙台北消防団」・「仙台南消防団」が発足
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「仙台市史10 年表」P316、P318/「重訂 宮城県郷土史年表」P524
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物価上昇 |
狂乱物価 |
1974年(S49) |
<岩波ブックレット「年表 昭和史」P55>
1974年(S49)は、
・ 狂乱物価(卸売物価指数31.3%、消費者物価指数34.5%上昇)
・ 戦後初のマイナス成長(実質成長率、マイナス0.5%)
・ スタグフレーション問題化
* 1974年(S49)1月16日、電力の使用制限始まる(16年ぶり)、ネオン、広告塔、テレビ放送時間短縮(深夜放送禁止)(「菅家年表」P68)
* 1974年(S49)1月25日、物価が前年同月比20.6%上昇
* 1974年(S49)3月13日、仙台、タクシー初乗り210円に
* 1974年(S49)3月31日、インフレ反対国民集会、全国270カ所で130万人参加
* 1974年(S49)4月11日、春闘で空前の交通スト(600万人参加、国鉄初の全面運休)
* 1974年(S49)4月30日、仙台市の物価上昇率は全国第2位(1位は札幌)
* 1974年(S49)5月1日、<全国の地価>建設省、1月1日現在の土地公示価格(前年比32.4%上昇、宅地は2年で倍)
* 1974年(S49)7月10日、仙台市営バス、均一区間50円に
* 1974年(S49)8月、「千円亭主」多数、500円昼飯、ほか
* 1974年(S49)8月17日、政府、石油緊急事態を解除
* 1974年(S49)10月11日、仙台市内、ハイヤータクシー料金がアップ
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岩波ブックレット「年表 昭和史」P55/「続・ 宮城県郷土史年表」P27、P28、P30、P33/菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P68
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医療機関 |
仙台厚生病院 |
1943年(S18) |
* 1943年(S18)、財団法人生命保険厚生会が結核病院として仙台厚生病院を開設
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「仙台市史 特別編4 市民生活」P396
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昭和三陸大地震津波 |
発生 |
1933年(S8) |
* 1933年(S8)3月3日発生、マグニチュード8.1 / 岩手、宮城、中心に大津波被害甚大(死者・行方不明者 3000余人、うち宮城県が300余人)
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