項目 |
小項目 |
年 |
内容 |
出典/参考資料 |
関連映像 |
満蒙開拓 |
宮城県関連(4-1)仙台村 |
1942年(S17)~1945年(S20) |
<商工業者が入植した仙台村開拓団(仙台村)>
【仙台市市 年表」P111~112】
* 1942年(S17)4月6日、満州大陸開拓仙台開拓団先遣隊出発、この後、浜江省五常県沙河子に「仙台村」を建設
【「仙台市史 続編第1巻」(行政建設編)P46】
1942年(S17)4月6日、満州大陸開拓仙台開拓団先遣隊26名、仙台駅を出発(「仙台年表P212]では、7日出発) / 第1陣11家族42人は一応、宮城村愛子の農学寮で訓練をうけ、7月10日、仙台市から贈られた「開拓旗」を先頭に出発 / 浜江省五常県沙河子(しゃほうず)地区に入植、仙台村を建設 / 仙台村に移民したのは、戦時中の価格統制下で生業を失った仙台の商工業者たちが中心 / S19年6月まで250戸、約1000人が入植したが、敗戦後帰国できたのは209人に過ぎなかった
【「仙台市史 特別編4 市民生活」P317】
* 仙台開拓団は、1942年(S17)3月結成 / 宮城郡広瀬村愛子の農学寮に入所して訓練を受け、先遣隊25名が4月6日に仙台を出発 / 翌年(S18)6月までに第5次本隊まで103戸が海を渡り、現地採用の4戸を加えて107戸415人が入植し仙台村を形成している / 同年9月には開拓団内で9組が結婚、13人が出生したとあるが、戸数110戸、412人とされている / 入植先は、ハルビンから南南東に鉄道拉浜線で3時間、さらに森林鉄道で4時間を要する浜江省五常県で沙河子(しゃほうず)という場所で、平坦で耕作に利用できる土地が1万haはあるというが、その中には現地の中国・朝鮮の農民から買収済という既耕地や家屋も含まれていたようである。このような土地には当局が強制的に買い上げた例が多いといわれている / 開拓団は仙台市内の中小商工業者の転業・廃業者を中心とするものであった。戦争の影響による経済統制のため、営業が成り立たなくなって転業・廃業に追い込まれた人々も少なくはなく、悪性インフレも進行していた / 団員は市内の居住者が大多数で、全市にわたり、北目町、連坊小路、南鍛冶町、南染師町、小田原、元寺小路、北四番丁、東二番丁などの周辺が多くなっている / 職種も多岐にわたるが、農家は少数で、各種食品・衣料・雑貨類の小売商、食品その他の加工業、サービス業など零細な経営を想像させるものが多く、やむぬやまれぬ事情がうかがえる。ほかに職工・工員や郵便局員も含まれている / 戦局の悪化につれ、この人たちについての情報はなくなるが、ソ連参戦後の逃避行とその引き揚げの苦難については多くの悲惨な事実が伝えられており、(「仙台市史 続編第1巻」によれば)「仙台村」には最終的に約250戸、1000人が入植し、帰国できたのは209人にすぎなかったといわれる
<戦後>
* 1946年(S21)10月27日、満州移住した仙台村209名、仙台駅に帰着(「仙台年表」P216=出典は「河北新報」S21.10.28)
|
「仙台市史 年表」P111~112/「仙台市史 続編第1巻」(行政建設編)P46/「仙台市史 特別編4 市民生活」P317/「仙台年表」P216
|
|
仙台市営バス |
戦前 |
1942年(S17)~1945年(S20) |
* 1942年(S17)8月21日、仙台市が仙台市街自動車(通称・銀バス)を買収、仙台市営バス事業を開始した
* 1943年(S18)11月20日、近郊の5バス会社(根白石、定義、増東、仙山、港組)を市バスに買収統合
・ 戦時中は、ガソリン統制で円滑な運営ができなかった(「戦争のころ 仙台、宮城」P161)
* 1945年(S20)7月1日、仙台空襲で、仙台駅前車庫、営業所が焼失
・ 戦時中と戦後しばらくは、木炭などを燃料した代替燃料装置でかろうじて走っている状態
|
「仙台市史 年表」P112/「重訂 宮城県郷土史年表」P491/「仙台市史10 年表」P307/「戦争のころ 仙台、宮城」(石澤友隆著)P161
|
|
女子挺身勤労令 |
施行 |
1944年(S19) |
働き盛りの男性が軍隊に召集や徴用され、人手不足から学生生徒や女子を勤労動員で働かせた
<「日録20世紀 1943年」P42「女子挺身隊」>
「14歳以上25歳以下の未婚・無職・不在学の女子を勤労動員するため、居住地ごとにまとめた組織 9/21、女子勤労動員の強化と男子職場への代替を打ち出し、女子勤労挺身隊の結成を進めた 当初は自主的組織とされたが、1944年8月女子挺身勤労令が公布され、若い女性は根こそぎ動員された」
* 1944年(S19)年8月23日、女子挺身勤労令(12歳以上40歳未満の未婚女子が対象)を公布、即日施行された
* この日、学徒勤労令(国民学校高等科以上の生徒・学生が対象)も公布、即日施行 →詳細は、項目「学徒勤労動員」
|
「仙台市史 年表」P113
|
|
第四十二師団 |
編制 |
1944年(S19)2月~1945年(S20) |
* 1944年(S19)2月1日、第四十二師団(通称号は勲兵団)、仙台において編制
【Wikipedia「第42師団」】 留守第二師団と第62独立歩兵団を基幹に仙台に於て編制
【国立公文書館「アジ歴グロッサリー」より転記】 1944年2月、仙台において臨時編成。その後、中千島の得撫島(ウルップトウ)に移動し同地の防衛に任ずる。1945年4月、稚内に移駐し当地の防衛を担当しそのまま終戦を迎えた。1945年9月17日稚内にて復員
* 終戦時は、主力は北海道宗谷、一部は南千島(「仙台市史 続編第1巻」P64)
・ 千島からシベリア抑留 / 昭和17年6月に新潟県高田で編成され、のち仙台榴ヶ岡連隊兵舎に入った歩兵第130連隊が、昭和19年に第四十二師団に編入されて千島のウルップ(得撫)島に出動、その後北海道に転進したが、このうち第三大隊がウルップ島に残っていたため、ソ連軍にシベリアに連行された / 第三大隊はウルップ島に向かう途中で潜水艦の攻撃を受けて沈没、生存者が残留を命じられたもの(「仙台市史 特別編4 市民生活」P316)
・ 歩兵第130連隊はソ連軍によってシベリアに連行され、5年後に帰国 / シベリア抑留中に死亡し身元が確認された宮城県出身者は806人(「戦争のころ 仙台、宮城」P238)
|
「仙台市史 年表」P113/Wikipedia「第42師団」/国立公文書館「アジ歴グロッサリー」/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P64/「仙台市史 特別編4 市民生活」P316/「戦争のころ 仙台、宮城」(石澤友隆著)P238
|
|
金属回収 |
政宗卿騎馬像 |
1944年(S19) |
* 1944年(S19)1月22日、仙台城跡(天守台)の伊達政宗銅像(騎馬像)の金属供出「出陣式」が行われる
「青葉城址に建立せられし藩祖政宗公の馬上姿の銅像も、金属回収に応召することとなり、22日の青年団令旨奉戴記念日を卜し、仙台市及び護国神社共同主催のもとに、県下青年団代表参集して盛大なる銅像出陣壮行式を挙行す。この折、詩人土井晩翠銅像出陣の詩あり」(重訂 宮城県郷土史年表)
|
「仙台市史 年表」P113/「重訂 宮城県郷土史年表」P499~500
|
|
食糧メーデー |
仙台市で開催 |
1946年(S21) |
* 1946年(S21)5月31日、仙台市で食糧メーデー開催
(東京の「食糧メーデー」(飯米獲得人民大会)は、5月19日)
|
「仙台市史 年表」P114
|
|
学制改革(戦後) |
新制小学校/新制中学校 |
1947年(S22) |
* 1947年(S22)4月1日、六・三制の学校制度開始 / 義務教育期間は小学校・中学校の9年間に
・ 国民学校を小学校と改称
・ 仙台市で29の新制中学校開校(市立18校、官立1、私立10)
|
「仙台市史 年表」P114~115/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P95
|
「目で見る仙台の歴史」P181に、五ツ橋中学校、第二中学校、東華中学校、片平丁小学校、木町通小学校
|
水害 |
アイオン台風 |
1948年(S23)9月16日~17日 |
広瀬川・七北田川・名取川などが氾濫 / 堤防決壊28か所、橋梁流失15か所、道路損壊32か所、仙台鉄道七北田鉄橋の流失を受け代行バス輸送
|
「仙台市史 年表」P115
|
「市民の戦後史(仙台市)」P38(洪水被害)/「新・目で見る仙台の歴史」P174(水害の太子堂付近)
|
戦後教育・仙台 |
新制高校発足 |
1948年(S23) |
* 1948年(S23)4月1日、新制高等学校が発足
仙台では、旧制中等学校をそのままの形で、新制高校に移行したものが多く、開設当時は、市立5校(うち定時制2校)、県立8校(うち定時制1校)、国立1校、私立12校が新制高校として発足した(一覧は、「仙台市史 続編第2巻」P333)
* 1949年(S24)4月1日、宮城県内の高等学校で学区制実施
|
「仙台市史 年表」P115、P116/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P96/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P331~333
|
|
学制改革(戦後) |
新制高校 |
1948年(S23) |
* 1948年(S23)4月1日、新制高等学校が発足
・ 仙台では、旧制中等学校をそのままの形で、新制高校に移行したものが多く、開設当時は、市立5校(うち定時制2校)、県立8校(うち定時制1校)、国立1校、私立12校が新制高校として発足
・ 仙台市内の新制高校一覧(昭和23年)→ 「仙台市史 特別編4 市民生活」P275に、県立8校(男子5校、女子3校)、市立5校(男子4校、女子1校)、私立12校(男子5校、女子7校)
* 1949年(S24)4月1日、宮城県内の高等学校で学区制実施
|
「仙台市史 年表」P115、P116/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P96/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P333/「仙台市史 特別編4 市民生活」P275
|
|
仙台CIE図書館 |
開館~廃止 |
1948年(S23)~1952年(S27) |
CIE図書館は、日本の敗戦後に連合軍総司令部(GHQ/SCAP)の一組織の民間情報教育局(CIE)が、日本の民主化非軍事化を目的とし、全国に23館を設置。 民主主義の普及や米国の生活様式など、多岐にわたる図書・雑誌・映画フィルムのほかレコードや楽譜、パンフレット類をおき無料で貸し出した。
* 1948年(S23)5月23日、仙台CIE図書館、斎藤報恩会館内に設置(日本で8番目のCIE図書館だった)
* 1952年(S27)5月1日、「仙台アメリカ文化センター 」と改称
1946年(S21)にCIEがアメリカ教育使節団の手引書として刊行した『日本の教育』(Education in Japan) では、CIE図書館の目的について『日本の文筆家・学者・官僚・政治家・諸団体ならびに一般人を対象に、国際関係や第二次世界大戦についての参考資料や書物を提供し、米国の慣習・法律・社会・政治機構に根ざす活動や政策の実態を知らせようとするもの』と述べている(関連情報欄の三浦太郎論文より引用)
サンフランシスコ講和条約発効(1952年)に伴い GHQ/SCAP は解散し、全国23か所にあったCIE図書館は廃止、このうち仙台など13都市にあったCIE図書館が米国国務省に移管され、1952年(S27)5月1日から「アメリカ文化センター 」(ACC) と改称
→ 項目「仙台アメリカ文化センター」参照
|
「仙台市史 年表」P115、P117
/三浦太郎、2005年、「占領下日本におけるCIE第2代図書館担当官バーネットの活動 (PDF) 」 、『東京大学大学院教育学研究科紀要』45巻、東京大学、NAID 110006389820 pp. 267-276
|
|
青葉神社 |
神輿渡御復活 |
1948年(S23) |
* 1948年(S23)5月23日、青葉祭 / 春の例祭で神輿渡御が13年ぶりに行われ、あわせて甲冑の武者行列も
* 1961年(S36)5月のゴールデンウィーク、全市あげて青葉神社祭典(武者行列、神輿渡御、相馬浪江の相撲甚句や宝財おどり)
|
「仙台市史 年表」P115/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P182、P714
|
「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P182の写真49/「市民の戦後史(仙台市)」P226(5月の青葉神社例祭の武者行列)
|
県営宮城野球場(宮城球場) |
開場 |
1950年(S25) |
宮城野原(戦前の宮城野練兵場跡)にオープン
<開場式、記念のプロ野球戦試合>
* 1950年(S25)5月3日、県営宮城球場グランド開き / 5月5日、観客殺到し、圧死3名、重軽症23名(「仙台市史10 年表」P323)
* 1950年(S25)5月3日、開場式 / 5月5日、仙台初のプロ野球公式戦(毎日対大映、毎日対南海)(「仙台市史 年表」P116)
* 1950年(S25)5月3日、球場開きの際、入場者殺到し、作ったばかりの金網の柵が倒れ、死者3人、負傷者23人という惨事(「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P204、P266)
* 1950年(S25)5月5日、開場式(記念試合として、毎日・大映・南海の公式試合あり)(「重訂 宮城県郷土史年表」P542)
* 1951年(S26)10月25日、日米親善野球米選抜軍対巨人軍
* 1973年(S48)4月20日、照明塔6基点灯式
* 1973年(S48)5月22日、ナイター開幕
* 1974年(S49)1月、プロ野球ロッテ球団が、宮城県営野球場を本拠地とする
* 1974年(S49)4月6日、東北初のプロ野球開幕試合(ロッテ対阪急)
* 1977年(S52)9月13日、ロッテ球団、本拠地を川崎ヘ移す
* 1985年(S60)6月18日、県営宮城球場、大改造完成
* 2004年(H16)、全面改修され、プロ野球団東北楽天ゴールデンイーグルスの本拠地となる(施設は宮城県が所有し、東北楽天ゴールデンイーグルスの運営法人・株式会社楽天野球団が都市公園法に基づく管理許可制度により運営管理)
|
「仙台市史 年表」P116、P129/「仙台市史10 年表」P323、P326/「重訂 宮城県郷土史年表」P542/「続・ 宮城県郷土史年表」P19、P20、P71、P192/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P204、P266/「仙台あのころこのころ八十八年」P251
|
20-06、25-15、25-16
|
宮城県図書館(戦後) |
戦後再建 |
1949年(S24) |
<宮城県図書館 再建>
* 1949年(S24)11月3日、空襲で焼失した宮城県図書館(大正元年建築)の後継として再建された「宮城県図書館」落成式(木造2階建て、宮城県庁の西隣、旧養賢堂跡)(「仙台市史 年表」P116)
<上記と名称、時期など一致しないが、「宮城県中央図書館」とした記述もあり>
* 1948年(S23)5月1日、「宮城県中央図書館」に、フィルム・ライブラリーを併置(「重訂 宮城県郷土史年表」P526)
* 1949年(S24)2月5日、「宮城県図書館」開館/旧伊達氏所蔵の文書・書籍(いわゆる「伊達文庫」)を収める(「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P261)
* 1949年(S24)2月10日、「宮城県中央図書館」復興し閲覧を開始(「仙台市史10 年表」P320、「重訂 宮城県郷土史年表」P533)
* 1949年(S24)10月、宮城県中央図書館を旧養賢堂講堂跡に復興新築、12月下旬に移転(「重訂 宮城県郷土史年表」P537)
|
「仙台市史 年表」P116/Wikipedia「宮城県図書館」(2018年版)
「宮城県中央図書館」と表記は、「重訂 宮城県郷土史年表」P526、P533、P537/「仙台市史10 年表」P320/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P261
|
07-01-01、22-37、53-16/「目で見る仙台の歴史」P194/「市民の戦後史(仙台市)」P41/「仙台市史 特別編4 市民生活」P30(図13)/「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P54(S37、左端の2階建て、カラー)
|
学制改革(戦後) |
新制大学 |
1949年(S24) |
<新制大学>
1947年(S22)制定の学校教育法に拠り、高等教育を行う教育機関
・ これ以前の帝国大学令や大学令等による大学は旧制大学と呼ばれるようになる
・ 戦前の旧制大学、旧制高等学校、師範学校、高等師範学校、大学予科および旧制専門学校を、4年制の新制大学として再編
・ 新制国立大学は、1949年(S24)施行の国立学校設置法に基づいて設置
<宮城県内>
* 1949年(S24)、新たに設置開設された新制大学(私立)
・4月1日開設、東北学院大学、東北薬科大学
・10月27日開設、宮城学院女子大学
* 昭和20年代の短期大学開設
・1950年(S25)に、東北学院、尚絅、宮城の私立3校
・1951年(S26)に、三島、聖和の私立2校
・1952年(S27)に、宮城県農業短期大学
* 1949年(S24)5月31日、国立学校設置法に基づく東北大学設置(第二高等学校・仙台工業専門学校・宮城師範学校・宮城青年師範学校・宮城県女子専門学校が東北大学に統合される)(旧制東北帝国大学は、すでに昭和22年10月1日に東北大学に改称していた)
* それ以降に県内で開設された、新制大学、短期大学は → 項目「大学・短大」参照
|
「仙台市史 年表」P116/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P96
|
|
NHK仙台放送局 |
テレビ放映実験 |
1950年(S25) |
* 1950年(S25)7月、仙台駅構内で、東北初のテレビ放映実験が行われる
* 1953年(S28)6月24日、テレビジョン映写公開(レジャーセンターで1週間)
|
「仙台市史 年表」P116/「重訂 宮城県郷土史年表」P565/「仙台年表」P227
|
「市民の戦後史(仙台市)」P64(テレビ実験公開
|
県営宮城野原蹴球場 |
完成~撤去 |
1951年(S26)~1989年(H1) |
* 1951年(S26)5月、県営のサッカー場、宮城野原総合運動場に完成
* 1989年(H1)11月、蹴球場が撤去され、多目的広場となる
|
「仙台市史 年表」P117、P136
|
|
銀行(地域の銀行) |
三徳無尽/徳陽相互銀行/德陽シティ銀行 |
1942年(S17)/1951年(S26)~1998年(H10) |
* 1942年(S17)4月1日、 宮城無尽・太陽無尽・東北無尽の三社が合併し、「三徳無尽」として設立
* 1951年(S26)10月20日、三徳無尽株式会社が改組、徳陽相互銀行に商号変更
* 1982年(S57)5月24日、一番丁支店オープン
<以下、Wikipedia「徳陽シティ銀行」より>
* 1990年(H2)8月、 第二地方銀行となる / 商号を「株式会社德陽シティ銀行」に変更
* 1994年(H6)3月、「1995年をもって、北日本銀行および殖産銀行と合併し、新名称を『平成銀行』とする」と発表したが、後に徳陽シティ銀行の財務内容がネックとなり、破談となる
* 1997年(H9)11月26日、経営破綻 / 仙台銀行、七十七銀行、北日本銀行などに営業譲渡を決定
1998年(H10)11月16日、 営業を終了
|
「仙台市史 年表」P117/「重訂 宮城県郷土史年表」P552/「続・ 宮城県郷土史年表」P146/Wikipedia「徳陽シティ銀行」(2020年10月22日版)
|
「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P742(徳陽相互銀行)
|
県営宮城野原硬式庭球場 |
落成式 |
1952年(S27) |
* 1952年(S27)10月21日、落成式
|
「仙台市史 年表」P118
|
|
国道48号線 |
二級国道指定/一級国道に格上げ |
1953年(S28)/1963年(S38) |
国道48号は、仙台市青葉区から山形市に至る一般国道
<110号 →48号>
* 1953年(S28)5月、仙台・山形線(旧関山街道)が 二級国道110号に
* 1962年(S37)5月、仙台・山形間が、二級国道110号 →国道48号に
* 1963年(S38)6月4日、国道48号線(仙台~山形)を一級国道に指定
* 1968年(S43)11月21日、国道48号線の新関山トンネル完成(仙台~山形間が車で1時間半となる)
|
「仙台市史 年表」P118、P122、P126/「重訂 宮城県郷土史年表」P609、P644
|
|
スポーツ大会(戦後復興期) |
国民体育大会(第7回) |
1952年(S27) |
* 1952年(S27)9月、夏季大会(松島湾でヨット競技)
* 1952年(S27)、聖炎旗リレー 広島~(日本海側経由)~山形県内~宮城県内(10月7日~13日)~福島県内
* 1952年(S27)10月19日~23日、第7回国体秋季大会、宮城・山形・福島県で開催 / 開会式は福島市の信夫山競技場、宮城野原総合運動場が宮城県の主会場 / 仙台では、陸上、サッカ-、ラグビー、自転車、野球、テニス、卓球、レスリング、バドミントンの9種目で、5日間で観客6万人
・ 宮城野原総合運動場の開会入場式終了後、市内の女子高校生600人がマスゲーム「荒城の月」を披露 / その前夜、土井晩翠が晩翠草堂で永眠を場内アナウンスで伝える(「仙台市史 続編第2巻」P271)
・宮城県勢は自転車総合優勝、卓球一般男女軟式団体優勝、ボート・ナックルフォアで東北高校4連勝など
|
「仙台市史 年表」P118/「仙台年表」P225/「仙台市史10 年表」P329/「重訂 宮城県郷土史年表」P559/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P271、P470~472
|
「新・目で見る仙台の歴史」P181(陸上競技場を出る20キロロードレース)/「市民の戦後史(仙台市)」P66~67(各種の競技風景、昭和天皇)
|
冷害・凶作 |
昭和戦後期 |
1953年(S28)/1954年(S29)/1976年(S51)/1980年(S55) |
* 1953年(S28)10月29日、仙台市が冷害凶作を受けて冷害臨時対策本部を設置
* 1953年(S28)、この年、東北・北海道は冷害、前年比19%減で、昭和9年以来の凶作(菅家年表)
* 1954年(S29)7月17日、県農地課発表、県下高冷開拓地の陸稲大豆夏作物で収穫皆無が690町歩(総面積の4分の1)、特に蔵王山麓、栗駒山麓
* 1976年(S51)、東北、北海道は冷害
* 1980年(S55)、東北地方は冷害
|
「仙台市史 年表」P118/「仙台年表」P231/菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P47、P70、P74
|
|
ビル建設 |
仙台ビルヂング |
1953年(S28) |
* 1953年(S28)、仙台初の高層建築物となる地上6階建ての「仙台ビルヂング」が東一番丁と南町通りの交差点角に完成
(仙台の本格的貸ビル第1号)
<編者注> S28年12月完成し協和銀行が入居
|
「仙台市史 年表」P118/「市民の戦後史(仙台市)」P75/ 「番丁詳伝」P210
|
36-08/「市民の戦後史(仙台市)」P75 /「仙台市史 特別編4 市民生活」P181
|
愛宕堰 |
完成 |
1954年(S29) |
広瀬川の河川改修にともない完成 / 愛宕堰は広瀬川から、七郷堀(農業用などの幹線水路)への取水口
|
「仙台市史 年表」P119
|
|
警察署 |
仙台東警察署 |
1956年(S31)~ |
* 1956年(S31)9月1日、発足(原町苦竹/宮城野区南目館21)
|
「仙台市史 年表」P119/「重訂 宮城県郷土史年表」P582/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P798
|
「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P798に、「仙台東警察署庁舎」
|
宮城県青年会館 |
開館 |
1955年(S30) |
* 1955年(S30)12月23日、元寺小路に開館
* 1969年(S44)4月、銀杏町に移転
* 1977年(S52)9月1日、原町小田原の宮城県立農業試験場跡地に新築移転して開館
|
「仙台市史 年表」P119、P126、P131
|
|
青葉まつり |
開始/復活 |
1956年(S31)~1967年(S42)
/ 1985年(S60)~ |
* 1956年(S31)5月24~26日、第一回 / 青葉神社の例祭にあわせて開催
* 1964年(S39)5月、仙台市立第一中学校の生徒らによる「雀踊り」が登場
* 1968年(S43)から、交通事情変化などを理由に行われなくなる
* 1985年(S60)4月27日~6月2日、伊達政宗公三百五十年祭青葉まつり開催(没後350年にあたり、祭り復活)
* 1987年(S62)5月10日、青葉祭りで、藤崎デパート前と東宝ビル前に、高さ10mの山鉾を復活
|
「仙台市史 年表」P119、P126、P133/「重訂 宮城県郷土史年表」P581
|
「目で見る仙台の歴史」P190(青葉まつりパレード)
|
住宅団地 |
旭ヶ丘団地 |
1957年(S32) |
* 1957年(S32)、旭ヶ丘団地(130ヘクタール)、東北開発会社が計画、造成開始(仙台の団地開発第1号)
|
「仙台市史 年表」P120
|
「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P147の写真37/「市民の戦後史(仙台市)」P190
|
仙台市の動物園(戦後) |
三居沢動物園 |
1957年(S32)~1965年(S40) |
* 1957年(S32)10月25日、三居沢に開園
~現在(1995年)、三居沢交通公園がある場所~
・ 最初は、20種類53点。のちにライオン、ヒョウ、クマ、象も増えて、最終的には68種268匹に(「戦争のころ 仙台、宮城」P144)
* 1965年(S40)9月24日、閉園
* 1967年(S42)1月、跡地に、東北初の「交通公園」開園
|
「仙台市史 年表」P120/「重訂 宮城県郷土史年表」P586/「仙台あのころこのころ八十八年」P252、P255/「戦争のころ 仙台、宮城」(石澤友隆著)P144
|
「目で見る仙台の歴史」P178/「市民の戦後史(仙台市)」P97(俯瞰全景、開園式場)/「新・目で見る仙台の歴史」P180
|
特急はつかり |
上野~青森間 |
1958年(S33)~1982年(S57) |
* 1958年(S33)10月10日、東北初の特急列車「はつかり」、上野~青森間を常磐線経由で運転開始(「仙台市史 年表」P120)
* 1960年(S35)12月10日、「はつかり」(常磐線経由)が気動車(ディーゼル)特急となる(「重訂 宮城県郷土史年表」P598)
* 1968年(S43)10月、特急「はつかり」が全列車東北本線経由となる(Wikipedia「はつかり(列車)」)
* 1982年(S57)11月15日、特急「はつかり」、新幹線開業(6月23日)により運行区間を盛岡駅~青森駅間に短縮(Wikipedia「はつかり(列車)」)
|
「仙台市史 年表」P120/「重訂 宮城県郷土史年表」P589、P596、P598/Wikipedia「はつかり(列車)
|
「市民の戦後史(仙台市)」P104(S33年10月、はつかりの蒸気機関車)/「市民の戦後史(仙台市)」P220(走行する電車特急はつかり)/「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P58(S37)
|
魯迅の碑 |
建立 |
1960年(S35)/1975年(S50) |
* 1960年(S35)12月4日、仙台城三の丸跡に建てられる
* 1975年(S50)10月19日、魯迅の下宿跡(米ケ袋の佐藤喜東治さん宅)に建立
|
「仙台市史 年表」P121/「続・ 宮城県郷土史年表」P46
|
「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P292の写真95
|
住宅団地 |
黒松団地 |
1959年(S34) |
* 1959年(S34)11月1日、宮城県住宅協会、黒松住宅団地の造成開始
* 1961年(S36)からS43年に亘り、県営黒松第一・第二・第三住宅(計404戸)建設
|
「仙台市史 年表」P121/「重訂 宮城県郷土史年表」P594、P603
|
「市民の戦後史(仙台市)」P148(S42、黒松団地空撮)/「仙台市史 特別編4 市民生活」P186(S35年、造成中)
|
住宅団地 |
南光台団地 |
1962年(S37) |
* 1962年(S37)、南光台団地造成開始
|
「仙台市史 年表」P122
|
「市民の戦後史(仙台市)」P190
|
住宅団地 |
旭丘堤団地 |
1962年(S37) |
* 1962年(S37)、旭丘堤団地造成開始
|
「仙台市史 年表」P122
|
|
宮城野駅/仙台貨物ターミナル駅 |
開業/改称 |
1961年(S36)/2011年(H23) |
* 1961年(S36)6月1日、「宮城野駅」(貨物専用駅)開業
* 2011年(H23)3月12日、JR貨物の営業上の駅名を「宮城野駅」から「仙台貨物ターミナル駅」に改称
|
「仙台市史 年表」P122
|
|
トラックターミナル |
仙台トラックターミナル開業 |
1962年(S37) |
* 1962年(S37)11月20日、仙台トラックターミナル、仙台市苦竹に開業、16業者参加
|
「仙台市史 年表」P122 /「重訂 宮城県郷土史年表」P606
|
|
宮城交通 |
発足 |
1970年(S45) |
<前史>
* 1962年(S37)4月17日、塩釜交通・古川交通・仙台鉄道各社が合併し、宮城バス株式会社を設立(「仙台市史 年表」P122、「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P603)
* 1964年(S39)4月14日、仙北鉄道株式会社、宮城バス株式会社と合併(「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P602~603に詳細記述あり)
* 1968年(S43)3月24日、仙北鉄道登米線を廃止(50年の歴史に終止符)
* 1970年(S45)5月28日、宮城バス・宮城中央バス・仙南交通の私鉄3社、株主総会で合併を決定(「重訂 宮城県郷土史年表」P661)
<発足以降>
* 1970年(S45)10月、仙南交通・宮城バス・宮城中央交通が合併した宮城交通株式会社、営業運転開始(「仙台市史 年表」P127)
* 1979年(S54)1月20日、デマンド・バス運行
* 1983年(S58)6月16日、北仙台~青根温泉など長距離運行廃止
* 1984年(S59)1月15日、市営バスと宮城交通バスの共通乗車券発売開始
* 1985年(S60)10月16日、築館~仙台間に高速特急バス運行
* 1986年(S61)12月27日、東北運輸局が、仙台市交通局(市営バス)と宮城交通バスの、泉市加茂・泉パークタウン・名取市閖上へ共同乗り入れを発表
* 1988年(S63)4月12日、4年ぶりに終日バス運行
<運賃>
* 1975年(S50)12月13日、最低料金50円に改訂
* 1977年(S52)10月11日、仙台市営バス・宮城交通は、値上げ(均一区間、70円から80円へ)
* 1977年(S52)12月1日、値上げ(塩釜~利府が220円)
<ストライキ>
* 1979年(S54)12月20日、48時間スト
* 1984年(S59)4月13日、宮城交通労組が24時間スト
* 1984年(S59)4月17日、スト
<仙台関連の交通史略年表(明治10年~平成4年)> →「仙台市史 特別編4 市民生活」P205に、乗合馬車・宮城木道社・舟運・バス・バス専用レーン・鉄道・市電・新幹線・地下鉄・空港・トラックターミナル・バイパス道路・自動車道の年表
|
「仙台市史 年表」P122、P127/「重訂 宮城県郷土史年表」P638、P661、P666/「続・ 宮城県郷土史年表」P48、P73、P74、P92、P105、P163、P172、P175、P195、P215、P243/宮城バスについては、「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P602~603/「仙台市史 特別編4 市民生活」P204、P205
|
|
こけし塔(西公園) |
除幕式 |
1961年(S36) |
* 1961年(S36)3月27日、仙台市戦災復興都市計画事業完了、完工式(総額11億5千万円)、3月27日に完了記念の「こけし塔」を西公園に建設除幕式 / 鋳物製
|
「仙台市史 年表」P122/「仙台あのころこのころ八十八年」P253/「宮城百年」(毎日新聞社刊)年表
|
|
長町駅(秋保電鉄) |
開業 |
1914年(T3) |
<秋保電鉄・長町駅>
* 1914年(T3)12月23日、秋保石材軌道(のちの秋保電気鉄道)の駅が開業
* 1961年(S36)5月8日、秋保電気鉄道線廃止(7日にさよなら運転)
|
「仙台市史 年表」P122/「仙台市史 年表」P97/「Wikipedia「長町駅」(2020年7月)
|
|
特急ひばり |
上野~仙台間 |
1962年(S37)~1982年(S57) |
* 1962年(S37)4月27日、特急「ひばり」、東北本線の上野~仙台間で運転開始(「仙台市史 年表」P122)
* 1982年(S57)11月22日、特急「ひばり」(上野~仙台)お別れ運転(この年6月23日、東北新幹線が大宮~盛岡間で開業)
|
「仙台市史 年表」P122/「続・ 宮城県郷土史年表」P153
|
「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P567に、特急「ひばり号」の写真/「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P58(S37)
|
プール |
市民プール |
1961年(S36)~2006年(H18) |
* 1961年(S36)7月20日、市民プール(西公園プール)が西公園西下の中瀬に竣工し、落成式(22日に開園) / 9コース、50mプール
* 1968年(S43)7月、勤労青少年に夜間も開放
* 2006年(H18)、西公園プール廃止
|
「仙台市史 年表」P122/「重訂 宮城県郷土史年表」P601/「仙台あのころこのころ八十八年」P253/Wikipedia「西公園」/「市民の戦後史(仙台市)」P214
|
「新・目で見る仙台の歴史」P194(子供らでいっぱいのプール)/「市民の戦後史(仙台市)」P214(夜間開放)/「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P56(S37、西公園の市民プール)
|
民間放送(仙台) |
仙台放送(テレビ) |
1962年(S37) |
* 1962年(S37)10月1日、 仙台放送株式会社が、宮城県内の2番目の民放テレビ局として、仙台市茂ヶ崎の大年寺山麓に開局、テレビ放送開始 / コールサイン「JOOX-DV」、略称はOX
|
「仙台市史 年表」P122/「重訂 宮城県郷土史年表」P606
|
「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P295の写真97)「市民の戦後史(仙台市)」P144(テレビ送信鉄塔、開局記念市長対談)
|
国道45号線 |
二級国道指定/一級国道に格上げ |
1953年(S28)/1963年(S38) |
国道45号は、仙台市から太平洋沿岸を経て青森市に至る一般国道
<111号 →45号>
* 1953年(S28)5月、仙台・八戸線が二級国道111号に
* 1962年(S37)5月、二級国道の111号(八戸・仙台間)を含む仙台・青森間が国道45号に
* 1963年(S38)4月、二級国道45号線を一級国道に格上げ
|
「仙台市史 年表」P122/「重訂 宮城県郷土史年表」P608、P644
|
|
仙台空港 |
仙台空港時代 |
1964年(S39)以降 |
* 1964年(S39)3月17日、矢ノ目飛行場、第二種空港指定を受け、「仙台空港」と改称(「仙台市史 年表」P123)
* 1966年(S41)2月2日、拡張工事問題(滑走路2000mへ)で地元民と了解がつき、工事開始
* 1967年(S42)5月15日、空港内に日本航空乗員基礎訓練所を開設
* 1971年(S46)8月2日、2000m滑走路の一部使用開始
* 1971年(S46)9月28日、仙台空港ターミナルビル完成
* 1972年(S47)1月18日、2000m滑走路完成
* 1972年(S47)2月14日、ジェット機が就航(3月1日、定期就航)
* 1976年(S51)7月1日、全日空、仙台~大阪間の直行便、開設
* 1977年(S52)4月25日、東亜国内航空、仙台~名古屋間、就航
* 1977年(S52)7月1日、東亜国内航空、仙台~函館間、定期便開設
* 1978年(S53)3月1日、仙台~福岡間、空路開設
* 1978年(S53)6月1日、仙台~名古屋間航路の一番機到着
* 1978年(S53)6月6日、仙台空港初の国際線チャーター便、仙台~ソウル間で運航開始
* 1982年(S57)3月、新管制塔完成
* 1984年(S59)5月1日、東亜国内航空が、仙台~函館~札幌線再開記念行事
* 1988年(S63)6月、仙台空港に自動改札機導入
* 1988年(S63)11月1日、仙台空港拡張工事着工
* 1992年(H4)年末、2500m滑走路に(「仙台クロニクル」P121)
* 1997年(H9)、仙台空港ターミナルビル全面オープン
* 1998年(H10)、3000m滑走路供用開始
|
「仙台市史 年表」P123、P128、P131/「重訂 宮城県郷土史年表」P624、P632/「続・ 宮城県郷土史年表」P1、P2、P6、P7、P57、P66、P70、P78、P82、P144、P176、P248、P253/仙台市HP「仙台市のあゆみ」/「仙台クロニクル」P121
|
「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P121(H8、国際線ターミナル、カラー)
|
アーケード |
新伝馬町 |
1964年(S39)ほか |
* 1964年(S39)12月10日、新伝馬町商店街アーケード完成
* 1964年(S39)、通称「中央通り」の3商店街の中で最初にアーケードが完成 / 大町五丁目、名掛丁が順にあとを追って完成し、三者一体の印象を強めた(「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P116)
<編者注>「重訂 宮城県郷土史年表」P617の、「1964年(S39)12月10日、仙台市名掛丁・新伝馬町・大町五丁目の中央商店街にアーケード完成」は正確でない、大町5丁目は1965年(S40)3月、名掛丁は1965年(S40)12月に完成
* 1977年(S52)7月30日、仙台市中央通り(中央二丁目振興組合、おおまち商店街)の新アーケード完成
* 1991年(H3)5月、中央二丁目商店街振興組合でアーケード改築工事始まる
* 1992年(H4)、新アーケード完成、それと共に商店街名を「クリスロード商店街」と名付ける
|
「仙台市史 年表」P123/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P116/「重訂 宮城県郷土史年表」P617/「続・ 宮城県郷土史年表」P70、P271/「クリスロード商店街」HP
|
22-30(S39年完成アーケード)/「市民の戦後史(仙台市)」P158(S39年12月、中央通りアーケード街)
|
プール |
長町プール |
1964年(S39) |
* 1964年(S39)7月4日、仙台市営長町プール、鹿野の長町公園内に開設
|
「仙台市史 年表」P123/「重訂 宮城県郷土史年表」P615
|
|
スポーツセンター |
宮城県スポーツセンター |
1964年(S39) |
* 1964年(S39)8月18日、仙台市川内(青葉山公園内)に建設落成し開館(1万人収容、つり屋根、当時は、東北一の規模)
|
「仙台市史 年表」P123/「重訂 宮城県郷土史年表」P615
|
「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P82(S39、カラー)
|
宮城県スポーツセンター |
開館 |
1964年(S39) |
* 1964年(S39)8月18日、仙台市川内(青葉山公園内)に建設落成し開館(1万人収容、東北一の規模) / こけら落としは、世界一の女子バレーボールチーム日紡貝塚とヤシカの模範試合、東京オリンピック体操選手一行の演技
|
「仙台市史 年表」P123/「重訂 宮城県郷土史年表」P615/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P205
|
「市民の戦後史(仙台市)」P159(建物と落成記念式典アーチ)
|
宮城県民会館 |
開館 |
1964年(S39) |
* 1964年(S39)8月27日、定禅寺通櫓丁に落成開館(1700人収容) / 地下1階、地上6階、大ホール(固定席2000)、中ホール(270席)、集会室、会議室、娯楽室など
|
「仙台市史 年表」P123/「重訂 宮城県郷土史年表」P615/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P206
|
「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P206の写真59/「市民の戦後史(仙台市)」P159
|
仙台市農業協同組合 |
設立 |
1965年(S40) |
* 1965年(S40)3月31日、8つの農協が合併し設立
|
「仙台市史 年表」P124
|
|