項目 | 小項目 | 年 | 内容 | 出典/参考資料 | 関連映像 |
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戦没者慰霊 | 仙台市内(一部、県内を含む) | 昭和期(20年まで) |
* 1931年(S6)10月11日、満州事変最初の戦闘で戦死した第二師団兵士32人のうち20人の遺骨が、仙台駅に到着。(十五年戦争初の戦死者は第二師団の兵士だった) 仙台駅頭には陸軍大臣代理、湯沢三千男知事ら300人が出迎え、沿道には市民約5万人が戦友の胸に抱かれて原隊に変える英霊を見送りました。(「戦争のころ 仙台、宮城」P26) * 1931年(S6)10月12日、川内の追廻練兵場で、県、第二師団など主催の合同慰霊祭が行われました。(満州事変では)戦死者が合計300人、このほか負傷700人、凍傷800人を出しました。宮城県では遺骨が到着するたびに慰霊祭が7回にわたり行われました。(「戦争のころ 仙台、宮城」P26) * 1931年(S6)10月12日、満州事変戦没将兵の遺骨が仙台に到着、10月12日に追廻練兵場で慰霊祭(昭和7年10月まで慰霊祭が7回)(「重訂 宮城県郷土史年表」P427) * 1931年(S6)10月12日、榴岡の歩兵第4連隊の営門を出た霊柩車(弾薬車であったという)と遺族の胸に抱かれた遺骨の行列は、葬送行進曲の吹奏に送られて市内を行進した。軍部のほか青年団や小中学校生徒なども加わり、沿道に人垣をつくり、会場には列車や市電・バスで詰めかけた約5万人が参列した。合同慰霊祭は以降7回に及んだ(「仙台市史 特別編4 市民生活」P309) * 1931年(S6)10月12日、第二師団第4連隊の満州事変戦没者合同慰霊祭が追廻練兵場で行われる(「「仙台市史年表」P106、「仙台市史 特別編4 市民生活」P361) * 1931年(S6)12月18日、第二師団、昭忠会主催、戦没者慰霊祭(「仙台市史10年表」P277) * 1931年(S6)12月28日、NHK仙台放送局が「満州事変戦没者慰霊祭」(追廻練兵場)をラジオで中継放送(12月18日か?) <日中戦争 昭和12年7月勃発> * 1937年(S12)12月、日中戦争、故大泉中佐以下221柱の合同慰霊祭(仙台市公会堂) *「(開戦から2年足らずの)1939年(S14)4月現在で、宮城県関係の戦死者は2552人、負傷して内地帰還された兵は3131人と「知事引継書」にあります。遺骨が仙台駅に到着するたびに駅前広場では、県、仙台市、軍主催の奉迎式が行われ、その後、西公園内の仙台市公会堂で通夜、翌日、合同慰霊祭が開始されました。昭和14年3月時点で県主催の合同慰霊祭は22回に上り、遺骨がふるさとに帰ると、今度は市町村主催の葬儀が行われました。」(「戦争のころ 仙台、宮城」P34) * 1940年(S15)11月17日、日中戦争北中支各地に於て陣没せる管内出身将兵の慰霊祭を東二番丁小学校に於て行う / 引き続き、追廻練兵場の昭忠塔前で、軍馬・軍犬・軍鳩の慰霊祭を行う * 「宮城県知事事務引継書(昭和17年)によると、日中戦争勃発後は毎月1回、県、仙台市、第二師団の共催で慰霊祭(前夜に通夜法要)を行い、県では知事代理が弔問、葬祭料として将校30円、下士官以下20円を贈ること、その後の市町村葬には知事代理が出席することを決めています。」(「戦争のころ 仙台、宮城」P79) <太平洋戦争> * 1943年(S18)7月31日、ガダルカナル戦、戦没者慰霊祭(追廻練兵場)→ 写真16-57、16-59に説明文あり * 1943年(S18)10月2日、忠魂合同慰霊祭(立町小学校で) * 1944年(S19)8月18日、故陸軍大佐佐久間鶴治ほか合同慰霊祭 |
「戦争のころ 仙台、宮城」(石澤友隆著)P26/「宮城県史 7」P685の「仙台部隊関連年表」/「仙台市史 特別編4 市民生活」P309、P361/「仙台市史10 年表」P277、P306、P308/「仙台市史 年表」P106/「重訂 宮城県郷土史年表」P427、P460、P479/「仙台放送局60年のあゆみ」P5/「私にとっての戦争」末尾年表P183/「戦争のころ 仙台、宮城」(石澤友隆著)P34、P79 | ガダルカナル戦、戦没者遺骨奉迎式は、16-57、16-67、16-66 /同遺骨原隊へは、16-58 /同慰霊祭は、16-59、16-60、16-65、16-64、16-61、16-62 /同感謝献金呼びかけは、16-68 |
戦没者慰霊 | 仙台市内(一部、県内を含む) | 明治・大正期 |
*** 各種年表・資料から転記したが、明治・大正・昭和期とも、これ以外にも慰霊祭などは多数あると思われる *** <西南戦争> * 1878年(M11)4月、西南戦争の政府軍戦死者慰霊祭、仙台鎮台・宮城県庁の共催により榴ケ岡で行われる。 * 1878年(M11)11月、同戦没者慰霊の為、経ケ峯に「西討戦死者之碑」が建立される <日清戦争> * 1896年(M29)5月20日~21日、日清戦争戦死者の臨時大招魂祭、榴ケ岡で行われる * 1902年(M35)11月22日、仙台城本丸跡に「昭忠碑」建立 <日露戦争> * 1906年(M39)4月1日、(日露戦争)第二師団臨時招魂大祭、宮城野原練兵場で行われる ・ 日露戦争では、第二師団の将兵2740人が戦没(「戦争のころ 仙台、宮城」P70) <大正時代> 第二師団は、大正時代に、「第一次世界大戦で、中国・青島出兵」や「シベリア出兵」をしているが、年表など各種資料に見当たらないだけで、慰霊祭などはあった筈 |
「宮城県史 7」P685の「仙台部隊関連年表」/「仙台市史10 年表」P210、P230/「仙台市史 年表」P82、P83、P89、P92、P93/「重訂 宮城県郷土史年表」P305、P335/「戦争のころ 仙台、宮城」(石澤友隆著)P70 | 「いつか見た街・人・暮らし」P9(招魂祭・歩兵第4連隊の参拝、大正13年4月30日)/同P24(招魂祭連合学生運動会、追廻練兵場、大正14年)/同P43の写真150(招魂祭・大町2丁目、戦前期)/第二師団招魂祭の錦絵(「目で見る仙台の歴史」P113) |
戦没者慰霊 | 仙台市内(一部、県内を含む) | 昭和戦後期 |
<仙台市の戦没者遺骨伝達式> *1949年(S24)、第288回戦没者遺骨伝達式 / 翌年になっても遺骨伝達式は終わっていない(「仙台市史 特別編4 市民生活」P316) <戦後> * 1952年(S27)8月20日、宮城県五万柱の戦没者の追悼式(仙台市公会堂) * 1965年(S40)7月10日、戦災(仙台空襲)20周年追悼式 * 1972年(S47)2月6日、ガダルカナル島に鎮魂のレリーフ建立 * 1972年(S47)6月15日、小松島の常盤台霊園でガダルカナル島戦没者霊魂碑序幕 * 1975年(S50)5月25日、旧陸軍歩兵第4連隊第6中隊の戦没者慰霊塔を、気仙沼市の観音寺に建立 * 1975年(S50)9月14日、仙台市常盤台霊園で、旧歩兵104連隊戦没者慰霊塔を除幕 * 1981年(S56)10月25日、ガダルカナル島平和公園に潮音像建立 * 1982年(S57)7月、加藤正治(角田市小坂)が、戦没者供養の地蔵尊を市道沿いに建立 * 1982年(S57)8月20日、小松利邦(気仙沼市太田1丁目)は戦友慰霊像完成 * 1983年(S58)6月18日、昭和17年に大河原町から出征した加藤源三郎の遺品・日章旗戻る * 1983年(S58)8月26日、仙台市保春院住職が、ガダルカナル島に鎮魂碑建立、慰霊祭 * 1987年(S62)9月9日、常盤台霊苑に、ガダルカナル・ビルマの戦死者足跡記念碑除幕 * 1988年(S63)8月7日、仙台市岡田の照徳寺に戦没者慰霊塔建立 (以上、昭和末年まで) |
「仙台市史 特別編4 市民生活」P316/「重訂 宮城県郷土史年表」P557、P620/「続・ 宮城県郷土史年表」P6、P11、P41、P44、P135、P149、P163、P165、P229、P250 |
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