仙台よみとき用語年表
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仙台市電 実現しなかった予定路線    「大正十五年版・仙台市全図」(川名文明堂)によれば、市電の予定路線として、定禅寺通り~北鍛冶町~青葉神社下、長丁~宮町~東照宮下などの計画もあったことがわかる  「番丁詳伝」P118   
仙台市電 大町1丁目~大学病院 開通  1927年(S2)4月  ・ 1.2キロ / 環状線(循環線)の一部区間

* 1927年(S2)4月1日、開通 
「昭和史とともに 仙台市電 その50年」P187~189/「文集 仙台市電」末尾年表   
仙台市電 光禅寺~県庁前 開通  1927年(S2)2月  ・ 0.9キロ / 環状線(循環線)の一部区間

* 1927年(S2)2月25日、開通 
「昭和史とともに 仙台市電 その50年」P187~189/「文集 仙台市電」末尾年表   
仙台市電 戦後(昭和20年代)  1945年(S20)~  ・ 戦時中運転した急行電車廃止、停留所を適正間隔に復活
・ 戦時中、軌道、車両、機械などを酷使した結果、輸送力低下し、使用可能車両は30両
・ S21年2月~、乗降口を一方口に
・ 悪性インフレの進行で料金値上 S21年4月(10銭)からS24年までに7回値上げ 
「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P510   
長町駅(仙台市電) 開業  1936年(S11)  <仙台市電・長町駅前停留所>
* 1936年(S11)12月19日、仙台市電「長町駅前」できる
* 1976年(S51)4月1日、仙台市電廃止 
「昭和史とともに 仙台市電 その50年」P187~189/「Wikipedia「長町駅」(2020年7月)   
仙台市電 環状線(循環線)完成  1928年(S3)3月  * 1928年(S3)3月28日、県庁前~大学病院間(1.7キロ)が開通、これで環状線(循環線)全線(6キロ)が完成
・ 仙台駅前~錦町~県庁市役所前~北四番丁~西公園~南町通~仙台駅前(停留所名は、1976年市電廃止時の名称)

・ 西公園において開通式挙行 
「昭和史とともに 仙台市電 その50年」P187~189/「文集 仙台市電」末尾年表/「仙台市史 年表」P104  201-01201-05/「仙台市史 特別編4 市民生活」P208(循環線が完成したころの乗り換え乗車券)/同211(S49年、仙台駅前停留所の市電、カラー) 
仙台市電 モハ1型 導入  1926年(T15)~1934年(S9)  車両モハ1型はT15~S9に導入、このうち7号はS39年10月に廃車  市電の各型の使用期間は、「昭和史とともに 仙台市電 その50年」P180~181  201-3699-002 
仙台市電 芭蕉の辻線(南町支線) 開通~廃止  1928年(S3)4月~1944年(S19)3月  ・ 0.3キロ / 市電南町支線(通称・芭蕉の辻線)
・ 「芭蕉の辻」が終点
  
* 1928年(S3)4月8日開業
* 1944年(S19)3月31日、芭蕉の辻線撤去(「昭和史とともに 仙台市電 その50年」末尾年表) / 軌道(レール)は戦時供出(金属回収)のため撤去「仙台市史 特別編4 市民生活」P92) / 資材は、他の路線の補修用にまわした(「戦争のころ 仙台、宮城」P163)
* 1944年(S19)12月10日に休止(「仙台市史 年表」P113)
   → <編者注> この日付は間違いと思われる

「あきんどの町~おおまちに至るまでの四百年」P95
 市電「芭蕉の辻線」は昭和3年の東北産業博覧会開催を目途に開通(314m) / 大正12年の案では、芭蕉の辻が終点ではなく、さらに北へ延ばし国分町・二日町を経て北鍛冶町に至る計画だったが結局は実現せず、「芭蕉の辻線」は太平洋戦争中の昭和19年3月末に廃止された 
「昭和史とともに 仙台市電 その50年」P187~189/「文集 仙台市電」末尾年表/「仙台市史 特別編4 市民生活」P92)/「仙台市史 年表」P104、P113/「あきんどの町~おおまちに至るまでの四百年」P95/「戦争のころ 仙台、宮城」(石澤友隆著)P163  22-3353-49/「仙台市史 特別編4 市民生活」P92(S19年、金属供出のためはがされる芭蕉の辻線のレール)/「仙台市史 特別編4 市民生活」P208(終点芭蕉の辻俯瞰) 
仙台市電 開業 / 駅前~大町1丁目、東五番丁~荒町 開通/モータリゼーション進展で利用者減 / 財政悪化/全線廃止  1926年(T15)11月/1976年(S51)3月  * 1925年(T14)11月、起工
* 1926年(T15)11月25日、仙台市電が初開通
  (仙台駅前~大町1丁目間2.1キロ、東五番丁~荒町間1.2キロ)
* 同日、西公園で開通記念式典

・ 「開業日、市中は飾り塔、造花、赤ちょうちん、紅白幕、小旗に彩られ、東一番丁では花トンネルをつくった。 また、開通の日、午前中だけで1万2000人が乗ったと記録されている」(「番丁詳伝」P118)

開業時にすでに、始発駅の仙台駅のやや北にある、名掛丁角まで軌道が敷かれている(「昭和史とともに 仙台市電-その50年」P166の市電系統図)

      ********************
<「仙台市史 特別編4 市民生活」P216>
・ 市電利用者:昭和39年をピークに減少、市電財政悪化しはじめる / 対策として、大型ボディー車導入や1966年(S41)から一部をワンマン化 / 郊外に住宅団地増え周辺部から流入する自家用車で、市電並走部で交通渋滞 / 1976年(S51)3月、市電全線廃止

仙台市電(各路線)の開通日や廃止日は、
 ・「昭和史とともに 仙台市電 その50年」P187~189と
 ・「文集 仙台市電 市民が綴る五十年の軌跡」末尾年表で、わかる
 
「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P364/「昭和史とともに 仙台市電 その50年」P187~189/「文集 仙台市電 市民が綴る五十年の軌跡」末尾年表/「番丁詳伝」P118/「仙台市史 特別編4 市民生活」P216  22-48、/ 開通記念式典は、98-103/開業時の市電系統図は、98-101/「目で見る仙台の歴史」P148と「新・目で見る仙台の歴史」P147に「西公園における開通式、花電車」/「仙台市史 特別編4 市民生活」P207(開通式、記念絵葉書の袋、一番電車が片平丁車庫を出発、開通記念無料乗車券)/「仙台市史 特別編4 市民生活」P206~213(市電関連写真) 
仙台市電 仙台空襲被害と復旧  1945年(S20)  * 1945年(S20)7月10日、仙台空襲で、片平丁の車庫が焼失、循環線全線と長町線の東五番丁~荒町間(計6.6キロ)が爆撃で破壊されて一時運転不能(「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P87、P315)
・ 車両は八幡町、長町、北仙台の各線に分散疎開し、損傷は軽微、一部は翌日から折り返し運転(「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P315)
* 1945年(S20)8月3日、循環線のうち南町回り線が復旧(「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P87)
* 1945年(S20)8月20日、戦災後の軌道復旧作業完了(「仙台市史10 年表」P309)、全線運行再開(「仙台市史 年表」P113)

・仙台空襲時、全車両(52輌)は奇跡的に全車無事 / 車両は、北二番丁車庫、北仙台線、八幡町線の終点と秋保電鉄車庫に分散しており焼夷弾攻撃を免れた / 空襲被害は片平車庫が全焼、中心部各所で架線が垂れ落ちる / 復旧工事により、空襲翌日には荒町~長町間で運転再開、仙台駅前~荒町間8月3日、敗戦13日後の8月28日に全線で運転再開(「戦争のころ 仙台、宮城」P163) 
「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P87、P315/「仙台市史10 年表」P309/「仙台市史 年表」P113/「戦争のころ 仙台、宮城」(石澤友隆著)P163  35-15(仙台駅西側付近の焼け跡に市電車両が写る)  
仙台市電 長町線 延長開通  1936年(S11)12月  東五番丁~荒町間
  1926年(T15)11月25日開通
   (仙台駅前~大町1丁目間と同時開通)  
荒町~長町間4.2キロ
 (S8年~S11年に徐々に延長開通)
  1933年(S8)
 2月12日、荒町~愛宕橋間
    7月5日、愛宕橋~誓願寺通間
    12月14日、誓願寺通~舟丁間
  1934年(S9)
    12月2日、舟丁~河原町間
  1935年(S10)
    8月21日、河原町~新河原町間 
  1936年(S11)
    1月16日、新河原町~長町北町間
    8月6日、長町北町~長町南町間
    12月19日、長町南町~長町駅まで開通
    12月24日、市電と秋保電車の連絡乗車券発売

* 1954年(S29)8月1日、この日から長町線と八幡町線が直通 
「昭和史とともに 仙台市電 その50年」P187~189/「文集 仙台市電」末尾年表/「仙台市史 年表」P108/「仙台年表」P231  36-01201-30/「仙台市史 特別編4 市民生活」口絵の図84(S11年、土樋付近の市電線路と街並み)/「仙台市史 特別編4 市民生活」P208(S8年、長町線土樋カーブでの架線工事) 
仙台市電 北仙台線 開通~廃止  1937年(S12)10月~1969年(S44)3月  ・ 北四番丁~北仙台駅間、1.2キロ

* 1937年(S12)10月26日開通~1969年(S44)3月31日廃止
  (「仙台市史 年表」P109では、S12年10月25日に営業開始)
* 1968年(S43)9月、北仙台線廃止決まる
* 1968年(S43)9月11日、北仙台線撤去に反対する学生等が仙台市議会議場に乱入
* 1969年(S44)3月31日、北仙台線廃止 
「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P518/「昭和史とともに 仙台市電 その50年」P187~189/「文集 仙台市電」末尾年表/「仙台市史 年表」P109、P126/「重訂 宮城県郷土史年表」P642、P647  53-90/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P519に北仙台線軌道俯瞰写真/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P166の写真44は、北仙台線最終日の市電/「市民の戦後史(仙台市)」P218(北仙台線の軌道俯瞰、廃止反対して議場に押しかけたヘルメット姿の学生たち) 
仙台市電 仙台駅前~光禅寺 開通  1927年(S2)11月  ・ 0.7キロ 
・ 駅から駅前電車通りを北へ向かう路線/環状線(循環線)の一部区間

* 1927年(S2)11月24日、開通 
「昭和史とともに 仙台市電 その50年」P187~189/「文集 仙台市電」末尾年表  99-020/「市民の戦後史(仙台市)」P73(戦後20年代後半?の駅前電車通り) 
仙台市電 原の町線 開通  1948年(S23)5月  ・ 花京院~原町間、3.3キロ
* 1946年(S21)冬、東六番丁の国鉄専用鉄橋完工し、花京院~榴ヶ岡公園前間、1.6キロ開通
* 1948年(S23)5月5日、榴岡公園~原町終点まで開通し、原の町線(原町線)全線開通(単線)
* 1952年(S27)、花京院の東北本線立体高架橋完成
* 1952年(S27)8月1日、全線複線化完成し、市内循環線への乗り入れ可能(10月の国体開催時の輸送に効果あり) 
「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P510、P512/「昭和史とともに 仙台市電 その50年」P187~189/「文集 仙台市電」末尾年表/「仙台市史 年表」P115/「番丁詳伝」P115  「仙台市史 特別編4 市民生活」P211 
仙台市電 昭和30年代~全線廃止まで  1956年(S31)~1976年(S51)  * 1956年(S31)11月、「仙台市交通局三十年史」刊行
* 1957年(S32)、電力事情悪化で市電15%間引き運転
* 1958年度(S33)、市電事業赤字(3000万円余)、以後赤字続き
* 1959年(S34)、仙台市電停留所に照明灯がつく
* 1959年(S34)、仙台市電に女性車掌、14年ぶりに登場
* 1966年(S41)2月15日、ワンマンカー導入により職員400人削減等を労組に提示
* 1966年(S41)、一部の車両、ワンマンカーに
* 1970年度(S45年度)、一年間で1億円強の赤字(累積赤字10億円の大台にのる)
* 1972年(S47)2月4日、12億円の累積赤字のため廃止発表
* 1972年(S47)12月1日、市電の均一料金を40円に(10円値上げ)
* 1973年(S48)3月7日、島野市長、市電廃止を声明
* 1975年(S50)10月4日、仙台市議会、市電廃止議案可決
* 1976年(S51)3月31日、仙台市電お別れ式/最終運行(さよなら電車)/替わってグリーンバス運転
* 1976年(S51)4月8日、5両を長崎市へ輸送

<市電・市バスの乗客数推移グラフ S36~S42年> → 「仙台市史 続編第1巻」P525の図26

<市電・市バスの赤字推移グラフ S31~S42年> → 「仙台市史 続編第1巻」P533の図28
 
「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P514、P517、P518、P525、P533/「昭和史とともに 仙台市電 その50年」P187~189/「文集 仙台市電」末尾年表/「仙台市史 年表」P130/「重訂 宮城県郷土史年表」P591、P624、P674/「続・ 宮城県郷土史年表」P6、P15、P18、P45、P52、P53  「市民の戦後史(仙台市)」P106(照明が入った停留所標識)/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P518に、市電ワンマンカーの写真/「市民の戦後史(仙台市)」P200(市電のワンマンカー)/「新・目で見る仙台の歴史」P187(渋滞車線を走る市電、最後のサヨウナラ花電車、廃止記念乗車券)/同P211(市電ワンマンカー)/同210(S37年6月現在の市電運転系統図)/「仙台市史 特別編4 市民生活」P212~213(市役所前でお別れ式、おなごり乗車、廃止記念乗車券、花束持つ運転手、車庫前の花電車群俯瞰、カラー)/「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P101(S51、さようなら運転、カラー)/同P102(S51、ワンマンカー、カラー)/同P103(S51、北二番丁車庫) 
仙台市電 八幡町線 開通  1941年(S16)10日  ・ 大学病院前~滝前町間、1.6キロ

* 1941年(S16)10月10日、開通
* 1954年(S29)8月1日、八幡町線の複線化工事完成、この日から長町線と八幡町線が直通(それまでは、大学病院前~八幡町折り返し運転)
* 1954年(S29)8月31日、複線開通(1582m) 
「昭和史とともに 仙台市電 その50年」P187~189/「文集 仙台市電」末尾年表/「仙台市史 年表」P111/「仙台年表」P231~232/「重訂 宮城県郷土史年表」P574/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P513  「市民の戦後史(仙台市)」P73(単線当時の八幡町線)/「市民の戦後史(仙台市)」P81と「新・目で見る仙台の歴史」P178(八幡線複線化完成で旗行列)/「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P102(S51、カラー) 
仙台市電 戦時対応  1943年(S18)~1944年(S19)  * 1937年(S12)3月、応召者の欠員補充のため、初めて女性車掌の採用(見習生に67名応募、20名採用 / 同年8月に2回目募集(「仙台市史 特別編4 市民生活」P366)

・ 戦時中の1日当たりの利用者
   S16年度 6万2600人  S17年度 7万200人
   S18年度 7万5700人
  特に、民間の軍需工場が集中していた長町へは市電利用者が多く始発時間を5時と10分間繰上げ、ラッシュ時は長町線の車両を7両増発して10分に3本運行、乗降客数の少ない9つの停留所を通過する「急行列車」を運行、近距離を電車通学する中学生・女学生には徒歩通学を勧めた
  午後10時の終電車発車後は野菜などの食糧を輸送
  S19年以降は一般家庭が防空壕を作るための木材を運搬(以上、「戦争のころ 仙台、宮城」P161)

* 1943年(S18)4月1日、戦時下輸送確保のため、市電停留所15カ所廃止(「昭和史とともに 仙台市電 その50年」末尾年表P188) 
* 1944年(S19)3月31日、芭蕉の辻線撤去(「昭和史とともに 仙台市電 その50年」末尾年表P188) / 軌道(レール)を戦時供出(金属回収)のため撤去(「仙台市史 特別編4 市民生活」P92)

* 1944年(S19)ころ、男性運転手不足から女性車掌を運転手に転用(「仙台市史 特別編4 市民生活」P366)
・ 男性運転手は徴兵による入隊や徴用が増えて117人のうち50人が欠員となり、18人の女性運転手が取って代わった / 勤労動員の市立仙台工業学校機械化4年生30余人も運転練習1日後には運転したが、その後まもなく別の軍需工場へ動員(「戦争のころ 仙台、宮城」P161)

* 1944年(S19)(「昭和史とともに 仙台市電 その50年」P188)
   1月10日、早朝割引制度廃止
   7月1日、工員定期券新設、料金10銭均一に
       回数券式から定期券式に改正
       急行電車運転(8時30分まで)
   8月1日、産業戦士輸送のため、循環線朝夕運休
   11月22日、物資輸送用電車運転 
「仙台市史 特別編4 市民生活」P92、P366/「昭和史とともに 仙台市電 その50年」P188/「戦争のころ 仙台、宮城」(石澤友隆著)P161  「新・目で見る仙台の歴史」P163(女性車掌たち)/「仙台市史 特別編4 市民生活」P209(モンペ姿の女性運転手たち・S19年頃、乗客長蛇の列)、P366(戦時中の市電女性運転手たち、モンペ姿) 

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戦災者・引揚者用住宅
戦災復興
仙山線
戦時衣料
戦時下の学園
戦時中の勤労動員/就労規制
戦時中の疎開者受入れ
戦時中の物資統制、使用規制
仙集館
戦勝祝賀行事
仙石線
仙台朝市
仙台アメリカ文化センター
仙台育児院
仙台駅
仙台オープン病院
仙台卸商センター
仙台偕行社
仙台歌舞伎座
仙台簡易保険局
仙台軌道(仙台鉄道)
仙台郷土研究
仙台空港
仙台空港アクセス鉄道
仙台空襲
仙台空襲後の空襲
仙台高等工業学校
仙台合同庁舎
仙台国際センター
仙台国税局
仙台座
仙台市(名称変遷)
仙台CIE図書館
仙台市営地下鉄
仙台市営バス
仙台市街自動車
仙台市科学館
仙台市公会堂
仙台市公報
仙台市視聴覚教材センター
仙台市市民文化事業団
仙台市制
仙台市戦災復興記念館
仙台市電
仙台市天文台
仙台自動車学校
仙台市農業協同組合
仙台市の工業
仙台市の消防
仙台市の動物園
仙台市の特徴ある条例・宣言・憲章・事業
仙台市の農村・農業
仙台市の花・木・鳥・虫
仙台市博物館
仙台市武道館
仙台市兵事義会
仙台市ボランティアセンター
仙台市ミートプラント
仙台市民会館
仙台市民ギャラリー
仙台市民教養センター
仙台市民図書館
仙台市民の消費生活を守る条例
仙台市民文化センター
仙台市紋章
仙台市役所庁舎
仙台ショーハウス
仙台商業会議所/仙台商工会議所
仙台城二の丸焼失
仙台庶民金庫
仙台市立病院
仙台市歴史民俗資料館
仙台信用金庫
仙台スタジアム
仙台赤十字病院
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仙台七夕
仙台鎮台
仙台鉄道管理局
仙台電報局
仙台東部道路
仙台東宝劇場
仙台トラック輸送センター
仙台南部道路
仙台西道路
仙台の裁判所
仙台バイパス
SENDAI光のページェント
仙台美術館
仙台平
仙台フィルハーモニー管弦楽団
仙台復興祭グランドフェア
仙台物産陳列所
仙台北部道路
仙台ホテル
仙台陸奥館
仙台郵便貯金会館
仙台臨海鉄道
戦没者遺骨調査・収集
戦没者慰霊
創価学会会館
総進軍大会
体育館
体外受精
大学・短大
大学紛争
大政翼賛会/新体制/公会/報国会
第二高等学校(旧制)
第二師団
第二師団凱旋記念満蒙軍事博覧会
第十三師団
第三十三師団
第四十二師団
大日本国防婦人会
大日本婦人会
大日本連合婦人会
台原森林公園
台風被害(戦後)
多賀城跡
高橋是清
タクシー
宅地造成ブーム
竹槍訓練
立町小学校
谷風の墓所
多門師団凱旋
多門通り
男女共学
地価狂乱
乳銀杏
ちびっこ広場
駐留軍(米軍)
彫刻のあるまちづくり事業
鳥獣特別保護区
朝鮮館
朝鮮人移入労働者
朝鮮戦争
樗牛瞑想の松
チリ地震津波
榴ケ岡公園
堤人形
ツルヤ洋菓子店とカフェ・クレーン
デイケアー
貞山運河(貞山堀)
逓信関連
停電
出稼ぎ者相談所
テレトピア構想
テレビアンラジオ
テレフォンカード
電気開始(仙台)
電球
電信開始(仙台)
天神社
伝染病流行
伝統町名保存
天皇、仙台行幸
電力ホール
電話
電話開始(仙台)
土井晩翠
東一マーケットと中央マーケット
洞雲寺
灯火管制
東京オリンピック(昭和)
東照宮(仙台)
東部復興道路
同胞援護会
東邦生命ビル
東北学院
東北産業博覧会
東北自動車道
東北新幹線
東北振興/農村更生
東北大学
東北大学病院
東北鎮台 →仙台鎮台 →第二師団
東北帝国大学
東北電力
東北本線
東北楽天ゴールデンイーグルス
東北歴史資料館
東北六魂祭
東北絆まつり
遠見塚古墳
特別調達庁
都市型CATV
特急はつかり
特急ひばり
トラックターミナル
名掛丁商店街
仲の瀬橋(広瀬川)
長町駅
奈良原式鳳号
西内楽器店
西公園(桜ケ岡公園)
西本願寺別院(東一番丁)
二十人町
日米野球
ニッカウイスキー工場
日本銀行
日本生命館
日本鉄道
日本農民組合
ネオンサイン
年賀郵便
年中行事(まつり)
乗合馬車
敗戦後の諸相・仙台
廃藩置県(仙台県誕生)
バカンス(流行語)
爆弾三勇士の歌
博覧会・フェア
芭蕉の辻
芭蕉の辻商館
芭蕉の辻の城櫓風建物
芭蕉の辻の洋館
バス
バスプール
バス優先レーン
支倉常長(記念碑/銅像)
発電事業
パテー館
花火大会
針久旅館支店(仙台駅前)
ハリストス正教会堂
藩祖政宗公三百年祭
藩祖政宗公の記念祭
東一番丁(商店街)
東一番丁大火
東一番丁百年祭大仮装行列
東二番丁尋常小学校
東二番丁通り(拡幅)
東日本大震災
光ヶ丘天使園
飛行船「雄飛号」
飛行大会
ひとにやさしいまちづくり条例
ヒトラーユーゲント一行が来県
日乃出映画劇場
ひらつか(東一番丁)
ビル建設
広瀬川の清流を守る条例
広瀬通り
広瀬橋(広瀬川)
プール
フェリー
俯瞰撮影禁止など
福祉ボランティアのまちづくり事業
富国生命館(国分町)
藤崎
フジビール
婦人参政権獲得運動
婦人の社会活動(戦後・仙台)
婦人標準服
普通選挙要求運動
物価上昇
二日町大火
復興盆踊り
仏舎利塔
ブラザー軒
文化キネマ/文化劇場/仙台松竹映画劇場
文学碑など(仙台)
文化勲章
文化財指定
文化横丁
兵役制度
米軍進駐
兵事義会/銃後奉公会
ベガルタ仙台
ペデストリアンデッキ
ヘレンケラー女史
奉安殿
防空演習
ポケットベル
歩行者天国(東一番丁)
ホテル
歩兵第4連隊
歩兵第104連隊
本土決戦体制
政宗卿騎馬像
政宗卿平服像
松島座/パテー館/仙台日活館/仙台日活劇場
松島パークホテル
松永正敏中将
松原街道
マナスル登頂成功
丸光
満年齢
満蒙開拓
右側通行
水の森スケート場
三越(仙台店)
緑と花いっぱい運動
緑の団地条例
南町大火
南町通り(多門通り)
三原時計店
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