項目 | 小項目 | 年 | 内容 | 出典/参考資料 | 関連映像 |
---|---|---|---|---|---|
ガダルカナル戦 | 慰霊祭 | 1943年(S18)7月 |
* 1943年(S18)7月23日、仙台駅前広場で、ガダルカナル島戦の英霊奉迎式 * 1943年(S18)7月31日、ガダルカナル島戦没兵の慰霊祭(追廻練兵場) <「戦争のころ 仙台、宮城」(石澤友隆著)P103~106より> 「1943年(S18)7月23日、宮城県出身者の英霊は2274人。いままで聞いたことも見たこともないほど多くの英霊が白木の箱に収められて帰ってきました。 国鉄仙台駅前で奉迎式が行われた後、英霊は儀仗隊に守られ、哀悼のラッパと共に榴岡の歩兵第4連隊など原隊に帰って行きました。 7月30日夜7時から川内の追廻練兵場で合同通夜、翌31日朝8時から合同慰霊祭が行われました。会場の中央には仮設の大テントが張られ、祭壇にまつられた白木の棺が、人の背丈の何倍もある高さの天井まで重なっています。国鉄は慰霊祭に参加する遺族のために列車を増発し、慰霊祭を前に仙台市内の中学、高等女学校の男女生徒は会場になる追廻で遺族が座る椅子の運搬に終日汗を流しました。 戦後、ガタルカナル島からの生還者を中心に毎年のように遺骨収集作業が行われてきました。皆さん高齢化して、2006年(平成18年)で終わりとなりましたが、島にはまだ多くの遺骨が残っています。」 |
「仙台市公報」(昭和18年8月1日) P287/「戦争のころ 仙台、宮城」(石澤友隆著)P103~106 | 奉迎式は、16-57、16-67、16-66/遺骨原隊へは、16-58/慰霊祭は、16-59、16-60、16-65、16-64、16-61、16-62/感謝献金呼びかけは、16-68 |
ガダルカナル戦 | 戦闘 | 1942年(S17)8月~1943年(S18)2月 |
<ガダルカナル戦> ガダルカナル島は西太平洋ソロモン諸島の島。太平洋戦争で昭和17年8月~18年2月7日、この島の奪取をめぐって日本軍と連合国軍が戦った。 ミッドウェー海戦と共に日米両軍の攻守の転換点となった戦い。この戦いで、第二師団の多くの将兵が戦死 / 昭和18年7月、遺骨が仙台に帰還した。(「無言の凱旋」) * 1942年(S17)8月7日、米軍ガダルカナル島上陸 * 1942年(S17)12月31日、大本営、ガダルカナル島撤退を決定 * 1943年(S18)2月1日、日本軍、ガダルカナル島撤退開始 <第二師団、ガダルカナル戦> (「戦争のころ 仙台、宮城」(石澤友隆著)P99~103より) ・ 日本の南約5500キロ、英国領ソロモン諸島の1つで岩手県の半分ほどの島。 * 1942年8月、海軍の設営隊が飛行場を建設(敵の飛行機の出撃基地ニューギニアとオーストラリアの間にクサビを打ち込む目的) * 飛行場完成後、米軍が進攻(艦砲射撃と海兵隊約2万人の海兵師団上陸)し、飛行場を占領 * 日本軍は陸軍部隊を投入 8月16日、先遣隊の旭川第七師団一木支隊、900人が上陸し飛行場突撃し全滅 9月、第十八師団川口支隊6500人、飛行場突入寸前に発見され死者700人以上 10月、第二師団(ジャワ島占領後に警備中、帰国輸送船待ち)と第三十八師団(スマトラ島警備中)の一部、計1万5000人投入 10月23日、第二師団歩兵第4連隊第2大隊、飛行場牽制攻撃、戦傷者続出、マタウ川渡河攻撃の独立戦車隊戦車10両全部撃破される 10月24日、第二師団歩兵29連隊(会津若松)敵陣突入し消息絶つ 10月25日、総攻撃、第二師団左翼攻撃隊長の那須弓雄少将、歩兵16連隊の広安寿郎大佐が戦死。作戦は事前に察知されて失敗。歩兵第4連隊将兵2千数百人は一夜にして壊滅状態。 日本の輸送船団(重砲8門、弾薬20万発、食糧20日分)撃沈される、日本海軍は、空母ホーネット、空母エンタープライズ大破させたが、輸送船団を軽視し敵の補給路を絶てず。 ・ 米軍は飛行場南方に電流鉄条網と数多くのトーチカを配し、ジャングルには無数のマイクロホン、米軍に協力する現地民を潜ませていた。日本軍は強力な武器を持たず何回も懲りずに同じ戦法で突撃し犠牲を大きくした。 ・ 第十七軍参謀の電報「島に残された兵士たちは食料も武器弾薬もない。木の根、草の葉もつき、川底のミズゴケまで食い尽くした。 動ける者はなく、壕に座ったまま銃剣で最後の戦いの準備をしている。」 ・上陸した総兵力約3万1000人のうち死亡者約2万人(戦闘でなくなったのは約5000人、残る1万5000人は食料不足による栄養失調、マラリアによる)、1万1000人が救出される(昭和18年2月上旬、駆逐艦20隻で脱出) ・第二師団は、1万318人のうち、戦死・戦病死が7671人(生存者は4人にひとり)、同師団歩兵第4連隊は、2458人のうち1906人が戦没。 |
岩波ブックレット「年表 昭和史」P19、P20/「戦争のころ 仙台、宮城」(石澤友隆著)P99~103 |
全1ページ中、1ページ目 (総数:2件)