仙台よみとき用語年表
検索結果
全1ページ中、1ページ目 (総数:16件)
<< 前 | | 次 >>
項目 小項目 内容 出典/参考資料 関連映像
戦時衣料 国民服 制定  1940年(S15)  * 1938年(S13)、成年男子に国民服(国防色)が奨励され、流行(仙台市史 特別編4 市民生活」P314)
* 1940年(S15)11月2日、「国民服令」(勅令)公布 
・ 戦時下の衣装簡素化のため制定された
・ 男性用で、軍服をモデルにしたカーキ色(国防色)の服(5つボタン)
・ 「甲号」は、襟が立折襟式開襟で詰襟と開襟の両方で着られる/「乙号」は、襟が立折襟
・ 一着で仕事着、日常服、礼服を兼用できた(儀礼章をつければ礼服にも使用できた) 
仙台市史 特別編4 市民生活」P314/毎日新聞社「昭和史事典」P132/仙台市史 特別編4の「市民生活」P27  60-40/乙号は、24-01/「仙台市史 特別編4 市民生活」P50(国民服、カラー) 
戦時衣料 国民帽 制定  1940年(S15)  * 1940年(S15)11月2日、「国民服令」公布
・「烏帽子型」と「戦闘帽型」(陸軍略帽型)の2種あった 
毎日新聞社「昭和史事典」P132   
戦時衣料 モンペ、防空頭巾、戦闘帽、ゲートル、髪型  1934年(S9)~1942年(S17)  * 1934年(S9)6月21日、陸軍省が、陸軍軍服の色を「国防色」と命名し、被服統一運動を開始(菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P15 / 「日録20世紀 1934年」P16)
* 1938年(S13)1月、全国の女学校で生徒の断髪を禁止(菅家年表)
* 1938年(S13)、女子のモンペ姿が多くなる(菅家年表)
* 1938年(S13)、成年男子に国民服(国防色)が奨励され、流行(仙台市史 特別編4 市民生活」P314)
* 1938年(S13)7月15日、以後、男子は丸坊主、女子はパーマネントはできず(菅家年表)
* 1939年(S14)6月、中学生の金ボタンを禁止(菅家年表)
* 1939年(S14)6月16日、国民精神総動員委員会で生活改善刷新案決定(学生の長髪禁止、パーマネント禁止)(菅家年表)
* 1939年(S14)、この年、男はすべて国民服、カーキ色、5つボタンとなる(菅家年表)
* 1940年(S15)12月、この頃、時局の一反映として女学校生徒のモンペ姿が登校にみられ人の注目をひく(「重訂 宮城県郷土史年表」P479)
* 「昭和15年12月、女学校生徒のモンペ姿が通学にみられる」(「仙台あのころこのころ八十八年」掲載年表)
* 1940年(S15)9月6日、大日本理容連盟、標準髪型以外は受付を断ることにした(「菅家年表」P24)
* 1940年(S15)11月27日、中等学校以上の制服を統一、昭和16年4月から国防色の制服に戦闘帽となる(「菅家年表」P25)
* 1941年(S16)、この年、防空ずきん、もんぺ、ゲートルなどの非常時服装が目立つ(「菅家年表」P27)
* 1941年(S16)、女性のモンペ姿が急増(「仙台市史 特別編4 市民生活」P314)
* 1942年(S17)2月19日、婦人国民服(標準服)決定、6種(「菅家年表」P28)

 
「仙台あのころこのころ八十八年」掲載年表/菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P15、P20~28、P31/「重訂 宮城県郷土史年表」P479/仙台市史 特別編4の「市民生活」P27に「戦時中の衣服」につき記述あり/「仙台市史 特別編4 市民生活」P314  「仙台市史 特別編4 市民生活」P30(モンペ姿の女性たち/同P54(S18年、モンペ姿で電報配達奉仕に出発する女学生)/「仙台市史 特別編4 市民生活」P51(婦人標準服カラー) 
戦時衣料 戦時衣生活簡素化実施要項   1943年(S18)   * 1943年(S18)6月4日、戦時衣生活簡素化実施要項を閣議決定

<男性>は、新規仕立ては「国民服乙号」またはそれに準ずるものに限定(茶褐色以外も可)/ 背広、ダブルの外套、合着の新規仕立ては禁止
<女性>は、婦人標準服の普及が図られた

・ 和服は、<男性>は筒袖、<女性>は元禄袖で、長袖は禁止

<戦後の変化>
* 1947年(S22)、この年、モンペ姿が減り、スカートが増加(「菅家年表」P41) 
国立国会図書館リサーチ・ナビで「戦時衣生活簡素化実施要綱」/仙台市公報 第198号 昭和18年7月1日」/菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P41  「仙台市史 特別編4 市民生活」P51(婦人標準服カラー) 
戦時衣料 中等学校以上の制服  1935年(S10)~1944年(S19)  * 1935年(S10)4月、宮城県下一斉に中学校の男子制服制帽が国防色に規定され、敬礼は軍隊式挙手の礼に改められた(「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P506)⇒ この項、S10年が正しいのか要検証

* 1941年(S16)4月、中等学校以上の制服を統一、国防色の制服に戦闘帽となる(「菅家年表」P25)

* 1943年(S18)6月4日閣議決定「戦時衣生活簡素化実施要項」で、新規仕立ては、
<男子学生生徒>は、「国民服乙号」、外套は「国民服用外套」に限定
<女子学生生徒> 装飾部分の除去に考慮し、専門学校以上は、「婦人標準服」

* 1944年(S19)2月8日、女学生の戦時型制服決定、下衣(ズボン式)の膝、足首を皮紐で締める(菅家年表P32)

 
「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P506/国立国会図書館リサーチ・ナビで「戦時衣生活簡素化実施要綱」/「仙台市公報 第198号 昭和18年7月1日」/菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P25、P32   
戦時衣料 「仙台市史特別編4 市民生活」より  1936年(S11)  ・ 1936年(S11)、東日本洋服組合、ステープル・ファイバー(スフ)の利用を決議(オーストラリアとの間に通商制限問題が起こり、ラシャの原料でもある羊毛の輸入が制限されたため、その代用として)
・ 1936年(S11)?、国会で黒無地の背広を着るよう申し合わせ 
「仙台市史 特別編4 市民生活」P50   
戦時衣料 「仙台市史特別編4 市民生活」より  1937年(S12)  ・ 1937年(S12)、陸軍被服協会、反毛報国運動展開(毛織物廃品物の再生利用)
・ S12年、綿織物にスフ混用規制公布 / 軍需・輸出品以外は、3割以上のスフ混入義務づけ 
「仙台市史 特別編4 市民生活」P50   
戦時衣料 「仙台市史特別編4 市民生活」より  1938年(S13)  ・ 1938年(S13)3月1日、県糸配給統制規則公布 / 切符制の始まり
・ 1938年(S13)6月29日、線製品の製造販売を制限 / 主婦が綿製品の買いだめしたため、商工省が一人1品を厳命
・ S13年11月、国民精神総動員中央連盟は、カーキ色のチョッキ、ネクタイなしの国民服の着用を提唱 
「仙台市史 特別編4 市民生活」P50   
戦時衣料 「仙台市史特別編4 市民生活」より  1939年(S14)  ・ 1939年(S14)3月、織物用原紙として紙糸の利用はじまる
・ 1939年(S14)4月24日、国産羊毛の購買禁止 / 洋服はすべてスフ時代に
・ 1939年(S14)8月、商工省による染色価格の統制により、男子用服地はカーキ色を主とした濃紺あるいは黒の3種に、女子用服地は柄物減少し10種類以内に
・ 1939年(S14)11月、国民服制定権限が陸軍被服廠に移り即時実行された 
「仙台市史 特別編4 市民生活」P50   
戦時衣料 「仙台市史特別編4 市民生活」より  1940年(S15)  ・ 1940年(S15)1月、女学生服の日本化運動(腕と脚を隠す)
・ 1940年(S15)3月、紙糸を使った洋服登場
・ 1940年(S15)7月7日、七・七禁令(奢侈品等製造販売禁止規則) / 洋服の最高価格制限など
・ 1940年(S15)9月13日、中学校の制服、男子は国防色、女子は紺色
・ 1940年(S15)11月2日、国民服令が勅令で定められる / 型は4種 / 上着1号(甲号)は三揃背広を軍服化、2号は1号に準じた型、3号は一般背広の裁断によるもの、4号(乙号)はステンカラー5つボタンの軍服調のもので運動・作業用 / 上着も中衣も軍服に日本調をとりいれ動きやすい形にした 
「仙台市史 特別編4 市民生活」P50~51  国民服は、60-40、乙号は、24-01、「仙台市史 特別編4 市民生活」P51(図55) 
戦時衣料 「仙台市史特別編4 市民生活」より  1941年(S16)  ・ 1941年(S16)4月、中等学校新入生の制服改訂、制服新調の際は
   男子は、国民服と戦闘帽
   女子は、セーラー服を廃止し、白い覆いをつけたヘチマ型のカラー、ベルト付のジャケットとスカート
・ 1941年(S16)5月、国民学校児童に抽選で学童服や靴下を配給       
「仙台市史 特別編4 市民生活」P51   
戦時衣料 「仙台市史特別編4 市民生活」より  1942年(S17)  ・ 1942年(S17)2月1日、衣料切符制度実施
  (1月中は、全衣料品の移動禁止し、在庫品調査)
   年間に、市では1人100点、郡部は80点
・ 宮城県、繊維製品の取引団体を指定
   三越、藤崎や繊維製品関係小売商業組合などの諸組合    
   指定取引団体のみが、県に新しく設立された繊維製品 
   統制会社から、配給を受けて消費者の手に渡す
・ 1942年(S17)2月、厚生省、婦人の標準服(和・洋)を指定
       甲型、乙型、活動着も甲型と乙型 
       他に下着と付属品
・ 1942年(S17)2月4日、文部省、青年学校生徒の制服制帽を、前年制定した中学校の制服と同型とした
・ 1942年(S17)年、外出時のゲートル使用が強制され、
ゲートル姿や白はちまき姿が街にあふれるようになった 
「仙台市史 特別編4 市民生活」P51~52  婦人標準服は、「仙台市史 特別編4 市民生活」P51(図56) 
戦時衣料 「仙台市史特別編4 市民生活」より  1943年(S18)  ・ 1943年(S18)2月1日、新衣料切符(全衣料の点数を25%引上げ)
・ 1943年(S18)2月、商工省、決戦下衣料生活最低標準案
・ 1943年(S18)5月30日、大政翼賛会が、衣生活の刷新、新調の見合せ、更生利用運動を全国展開 / 短袂の実行、国民服着用、モンペ着用、衣類融通交換奨励
・ 1943年(S18)6月3日、政府、衣料簡素化実施要綱、閣議決定
・ 1943年(S18)8月10日、商工省、長袖、長帯の生産を禁止
・ 1943年(S18)8月31日、大日本婦人会、9月以降の毎月8日を「短袖、モンペの日」と決め、「決戦です。すぐ長袖を切りましょう」が合言葉
・ 1943年(S18)12月5日、東北帝国大学、学生に新調の服を禁止 / やむを得ない場合は、男子は国民服乙型、女子は婦人標準服を調整と決定 
「仙台市史 特別編4 市民生活」P52~53  衣料切符は、「仙台市史 特別編4 市民生活」P52/衣料点数早見表(S18年改正時)は、「仙台市史 特別編4 市民生活」P53 
戦時衣料 「仙台市史特別編4 市民生活」などより  1944年(S19)~1945年(S20)敗戦まで  ・ 1944年(S19)1月、宮城県第一高等女学校、モンペ、ズボン姿を制服に(仙台のモンペ時代に先べん)
・ 1944年(S19)2月6日、政府、女学生の戦時標準服を制定 / 上下衣に分かれ、裾と膝を皮紐で締める / 上衣は婦人標準服乙型、下衣はモンペ
・ 1944年(S19)4月、農林省、野生の苧麻(チョマ)、桑皮、竹の幹などで衣料品70万着製造
・ 1944年(S19)4月19日、宮城県経済部、繊維資源供出として、桑皮、生苧、麻、竹皮、藺草(イグサ)、ひま、柳枝、蒔枝、葛、かわむぐら、蒲類の大増産運動を広げると発表 / 農業会、翼賛壮年団、中等学校、国民学校、青少年団、大日本婦人会を総動員して
・ 1944年(S19)5月21日、仙台市街地で、警官や警防団員が通行人の服装チェックし、注意する(河北新報記事)
・ 1944年(S19)、衣料切符支給さらに減る / 市街地では、30歳以上は年40点、30歳未満は年50点と、従来の約半分に
・ 1944年(S19)、足袋と靴下の配給は、一人1足、男性用パンツは13人に1人しか行き渡らず
・ 1945年(S20)、衣料切符、新発行停止 
「仙台市史 特別編4市民生活」P53~54/「戦争のころ 仙台、宮城」(石澤友隆著)P123  モンペ姿は、16-7241-0276-1016-10など(写真データベースで、キーワード“モンペ”で検索) / 「仙台市史 特別編5 市民生活」P30(モンペ姿の女性たち)  
戦時衣料 「仙台市史特別編4 市民生活」より  戦後 1946年(S21)~1950年(S25)  ・ 戦後、繊維製品も進駐軍の統治下におかれたいたが、1946年(S21)9月、GHQが復旧を認める
・ 1945年(S20)、繊維製品1人あたり消費量は、1930年(S5)~1934年(S9)の12.6%

・ 1946年(S21)3月、衣料切符制度廃止し、4月から割当購入制度
・ 1947年(S22)4月1日、国内向け繊維に一応の見通しが得られ、衣料点数切符制度を復活 / 一人1年12点(背広1着が70点)
・ 1929年(S24)6月、衣料切符1人30点に(10点は純綿生地、20点は人絹スフ)、絹製品は自由販売に
・ 1930年(S25)1月、繊維製品の価格統制撤廃(衣料事情が急速に好転)
・ 1930年(S25)9月、衣料切符制廃止
 
「仙台市史 特別編4 市民生活」P54~55   
戦時衣料 衣料品購入価格高騰  1937年(S12)~1945年(S20)  <公定価格>
・ 1937年(S12)→1945年(S20)7月に、2倍近くに
<ヤミ価格>
・ 晒(さらし)木綿は、S18年12月に公定価格の6倍、S20年7月には更に8.5倍に(衣料切符を持っていても品不足で買えず、ヤミ市場では高値で購入困難) 
「仙台市史 特別編5 市民生活」P54   

全1ページ中、1ページ目 (総数:16件)

<< 前 | | 次 >>

索引

アーケード
アート・スミスの宙返り飛行
RTO(仙台)
愛国婦人会
愛の聖母院
アインシュタイン
青葉城
青葉城恋歌
青葉城資料展示館
青葉神社
青葉通り
青葉まつり
青葉山
青葉山公園
青葉山植物園
青葉山遊歩道
秋保電鉄
愛宕大橋(広瀬川)
愛宕堰
愛宕橋(広瀬川)
アメリカシロヒトリ防除
ありのまま舎
安保反対闘争
イールズ事件
遺児の日
泉ヶ岳勤労者野外活動センター
泉岳少年自然の家
イズミティ21
市場
一番町(旧・東一番丁)全域
一番町(旧・東一番丁)北部
一番町(旧・東一番丁)中央部
一番町(旧・東一番丁)南部
一銭橋(広瀬川)
いのちの電話
移民
医療機関
岩切城跡
牛越橋(広瀬川)
馬市
梅川漆器舗
梅田川清掃運動
埋木細工
ATM
映画館
衛戍病院(陸軍病院)
エキスポートバザー
X橋(宮城野橋)
NHK仙台放送局
NHK全国児童唱歌コンクール
NHK東北児童唱歌コンクール
NHK全国唱歌ラジオコンクール
NTT東北支社
MRI
LNG基地
エル・パーク仙台
横断歩道橋
大型店・量販店
大倉ダム
大崎八幡宮
大手門
大橋(広瀬川)
億ション
霊屋橋(広瀬川)
音楽コンクール
海岸公園
偕行社
買出し
街灯
学制改革
学童疎開
学徒勤労動員
学徒出陣
火災(地域)
ガス
霞目飛行場(仙台飛行場)
火葬場
ガソリン切符制
片倉製糸
ガダルカナル戦
学校教練
渇水
勝山公園
河北新報社
河北遊園地
釜房湖(ダム)
紙芝居
亀岡八幡神社
臥竜梅
カルトン食堂
簡易保険保養センター
環境基本条例
がん検診センター
勧工場・商館
幹線道路
紀元2600年
気象台
北山五山
切手代(ハガキ)
木町通小学校
義務教育期間
キリンビアホール
禁煙
銀行(地域の銀行)
銀行(都市銀行)
錦章堂ビル
金属回収
金の星(カフェ)
金富士(料理店)
勤労青少年ホーム
空襲
国見浄水場
軍事教練
軍需工場
軍都・仙台
軍刀(陸軍)
軍馬の銅像
軍服(陸軍)
軍用機献納
蛍光灯
警察
警察署
競馬
敬老乗車証
下水処理
血液センター
県営宮城野原公園総合運動場
県営宮城野球場(宮城球場)
県営宮城野原硬式庭球場
県営宮城野原蹴球場
県営宮城野原陸上競技場
県営宮城自転車競技場
元気フィールド仙台
健康都市宣言
県立学校、名称変更
県令 → 知事
興亜奉公日/大詔奉戴日
公会と隣組
公害・環境問題
公害市民憲章
公害防止条例
光化学スモッグ
公職追放/追放解除
公設浴場
交通監視用テレビ
高等学校(新制)
勾当台公園
工兵第二大隊 /工兵第二連隊
公民館
江陽会館
国際反戦デー
国定公園
国鉄
国道45号線
国道48号線
国民学校
国民義勇隊
国民金融公庫
国民勤労動員令
国民健康保険
国民精神総動員運動
国民登録/勤労報国隊
国民徴用令
国立仙台病院
国民服
国民帽
こけし塔
五色沼
国旗掲揚
子ども会など
午砲
米騒動
在外同胞救出仙台学生同盟
在郷軍人会
在住朝鮮人大会
斎藤報恩会
蔵王エコーライン
桜ケ岡公園(西公園)
桜ケ岡大神宮
サマータイム
産業組合中央会
三居沢交通公園
三陸自動車道
JR東日本
自衛隊
市街化区域
市街地住宅
自警団
時差出勤
思想弾圧/共産党員検挙
四大節
七十七銀行
市町村合併
輜重兵第二大隊 /輜重兵第二連隊
実業補習学校
自動車
自動車専用道
シネマスコープ
師範学校
紙幣・硬貨(戦後)
姉妹都市
市民の家
市民のつどい
市民福祉会館
市民土曜音楽会
市民利用施設
社会教育(戦後)
釈迦堂
車両ナンバー
週休二日制
住居番号表示制
住宅団地
柔道・剣道
祝賀行事
主食配給量
殉国勇士の家
障害者福祉
鐘景閣
松根油
定禅寺通り
昭忠碑
商店など
常磐線
消費者団体
消防組/防護団/警防団/消防団
昭和三陸大地震津波
食糧メーデー
女子挺身勤労令
女子挺身隊
シルバー人材センター
新憲法
新国丁
震災遺構
新産業都市
新住居表示制度
親切運動
新仙台港
身体障害者福祉モデル都市
仁丹マーク
進駐軍(米軍)
新寺小路地区都市改造事業(区画整理)
新伝馬町商店街
新常盤町(遊郭)
新聞社
人力車
水害
水道事業
瑞鳳殿
スパイクタイヤ
スポーツ少年団
スポーツセンター
スポーツ大会
隅櫓
青少年団
清掃事業(行政)
清掃工場
政党県支部など(戦後)
青年訓練所
青年学校
青年団
税務署
精養軒
政令指定都市
セコイヤの化石
戦後開拓
戦後教育・仙台
戦後の物資・価格統制撤廃
戦後復員/引揚げ
戦災記録
戦災者・引揚者用住宅
戦災復興
仙山線
戦時衣料
戦時下の学園
戦時中の勤労動員/就労規制
戦時中の疎開者受入れ
戦時中の物資統制、使用規制
仙集館
戦勝祝賀行事
仙石線
仙台朝市
仙台アメリカ文化センター
仙台育児院
仙台駅
仙台オープン病院
仙台卸商センター
仙台偕行社
仙台歌舞伎座
仙台簡易保険局
仙台軌道(仙台鉄道)
仙台郷土研究
仙台空港
仙台空港アクセス鉄道
仙台空襲
仙台空襲後の空襲
仙台高等工業学校
仙台合同庁舎
仙台国際センター
仙台国税局
仙台座
仙台市(名称変遷)
仙台CIE図書館
仙台市営地下鉄
仙台市営バス
仙台市街自動車
仙台市科学館
仙台市公会堂
仙台市公報
仙台市視聴覚教材センター
仙台市市民文化事業団
仙台市制
仙台市戦災復興記念館
仙台市電
仙台市天文台
仙台自動車学校
仙台市農業協同組合
仙台市の工業
仙台市の消防
仙台市の動物園
仙台市の特徴ある条例・宣言・憲章・事業
仙台市の農村・農業
仙台市の花・木・鳥・虫
仙台市博物館
仙台市武道館
仙台市兵事義会
仙台市ボランティアセンター
仙台市ミートプラント
仙台市民会館
仙台市民ギャラリー
仙台市民教養センター
仙台市民図書館
仙台市民の消費生活を守る条例
仙台市民文化センター
仙台市紋章
仙台市役所庁舎
仙台ショーハウス
仙台商業会議所/仙台商工会議所
仙台城二の丸焼失
仙台庶民金庫
仙台市立病院
仙台市歴史民俗資料館
仙台信用金庫
仙台スタジアム
仙台赤十字病院
仙台専売支局
仙台専門店会
仙台七夕
仙台鎮台
仙台鉄道管理局
仙台電報局
仙台東部道路
仙台東宝劇場
仙台トラック輸送センター
仙台南部道路
仙台西道路
仙台の裁判所
仙台バイパス
SENDAI光のページェント
仙台美術館
仙台平
仙台フィルハーモニー管弦楽団
仙台復興祭グランドフェア
仙台物産陳列所
仙台北部道路
仙台ホテル
仙台陸奥館
仙台郵便貯金会館
仙台臨海鉄道
戦没者遺骨調査・収集
戦没者慰霊
創価学会会館
総進軍大会
体育館
体外受精
大学・短大
大学紛争
大政翼賛会/新体制/公会/報国会
第二高等学校(旧制)
第二師団
第二師団凱旋記念満蒙軍事博覧会
第十三師団
第三十三師団
第四十二師団
大日本国防婦人会
大日本婦人会
大日本連合婦人会
台原森林公園
台風被害(戦後)
多賀城跡
高橋是清
タクシー
宅地造成ブーム
竹槍訓練
立町小学校
谷風の墓所
多門師団凱旋
多門通り
男女共学
地価狂乱
乳銀杏
ちびっこ広場
駐留軍(米軍)
彫刻のあるまちづくり事業
鳥獣特別保護区
朝鮮館
朝鮮人移入労働者
朝鮮戦争
樗牛瞑想の松
チリ地震津波
榴ケ岡公園
堤人形
ツルヤ洋菓子店とカフェ・クレーン
デイケアー
貞山運河(貞山堀)
逓信関連
停電
出稼ぎ者相談所
テレトピア構想
テレビアンラジオ
テレフォンカード
電気開始(仙台)
電球
電信開始(仙台)
天神社
伝染病流行
伝統町名保存
天皇、仙台行幸
電力ホール
電話
電話開始(仙台)
土井晩翠
東一マーケットと中央マーケット
洞雲寺
灯火管制
東京オリンピック(昭和)
東照宮(仙台)
東部復興道路
同胞援護会
東邦生命ビル
東北学院
東北産業博覧会
東北自動車道
東北新幹線
東北振興/農村更生
東北大学
東北大学病院
東北鎮台 →仙台鎮台 →第二師団
東北帝国大学
東北電力
東北本線
東北楽天ゴールデンイーグルス
東北歴史資料館
東北六魂祭
東北絆まつり
遠見塚古墳
特別調達庁
都市型CATV
特急はつかり
特急ひばり
トラックターミナル
名掛丁商店街
仲の瀬橋(広瀬川)
長町駅
奈良原式鳳号
西内楽器店
西公園(桜ケ岡公園)
西本願寺別院(東一番丁)
二十人町
日米野球
ニッカウイスキー工場
日本銀行
日本生命館
日本鉄道
日本農民組合
ネオンサイン
年賀郵便
年中行事(まつり)
乗合馬車
敗戦後の諸相・仙台
廃藩置県(仙台県誕生)
バカンス(流行語)
爆弾三勇士の歌
博覧会・フェア
芭蕉の辻
芭蕉の辻商館
芭蕉の辻の城櫓風建物
芭蕉の辻の洋館
バス
バスプール
バス優先レーン
支倉常長(記念碑/銅像)
発電事業
パテー館
花火大会
針久旅館支店(仙台駅前)
ハリストス正教会堂
藩祖政宗公三百年祭
藩祖政宗公の記念祭
東一番丁(商店街)
東一番丁大火
東一番丁百年祭大仮装行列
東二番丁尋常小学校
東二番丁通り(拡幅)
東日本大震災
光ヶ丘天使園
飛行船「雄飛号」
飛行大会
ひとにやさしいまちづくり条例
ヒトラーユーゲント一行が来県
日乃出映画劇場
ひらつか(東一番丁)
ビル建設
広瀬川の清流を守る条例
広瀬通り
広瀬橋(広瀬川)
プール
フェリー
俯瞰撮影禁止など
福祉ボランティアのまちづくり事業
富国生命館(国分町)
藤崎
フジビール
婦人参政権獲得運動
婦人の社会活動(戦後・仙台)
婦人標準服
普通選挙要求運動
物価上昇
二日町大火
復興盆踊り
仏舎利塔
ブラザー軒
文化キネマ/文化劇場/仙台松竹映画劇場
文学碑など(仙台)
文化勲章
文化財指定
文化横丁
兵役制度
米軍進駐
兵事義会/銃後奉公会
ベガルタ仙台
ペデストリアンデッキ
ヘレンケラー女史
奉安殿
防空演習
ポケットベル
歩行者天国(東一番丁)
ホテル
歩兵第4連隊
歩兵第104連隊
本土決戦体制
政宗卿騎馬像
政宗卿平服像
松島座/パテー館/仙台日活館/仙台日活劇場
松島パークホテル
松永正敏中将
松原街道
マナスル登頂成功
丸光
満年齢
満蒙開拓
右側通行
水の森スケート場
三越(仙台店)
緑と花いっぱい運動
緑の団地条例
南町大火
南町通り(多門通り)
三原時計店
宮城学院
宮城教育大学
宮城県沖地震
宮城県会議事堂(明治時代)
宮城県旗の図案
宮城県弘報誌「みやぎ」
宮城県県民の森
宮城県護国神社
宮城県社会福祉事業会館
宮城県スポーツセンター
宮城県青年会館
宮城県青年の船
宮城県第二総合運動場
宮城県庁舎
宮城県町村会館
宮城県図書館
宮城県美術館
宮城県物産陳列場(芭蕉の辻)
宮城県物産陳列場/商品陳列所 /商工奨励館
宮城県武道館
宮城県民会館
宮城県理科教育センター
宮城県立青年の家
宮城控訴院(赤タイル庁舎)
宮城交通
宮城集治監
宮城電鉄
宮城野駅/仙台貨物ターミナル駅
宮城の塔(沖縄)
宮城野通り
宮城婦人会
宮沢の一銭橋
宮沢橋(広瀬川)
民生委員/児童委員
民間放送(仙台)
無線中継所
陸奥国分寺跡
陸奥国分尼寺跡
メーデー
メートル法
明治三陸地震津波
明治製菓
明治生命館
明治百年
名水百選
瞑想の松
名誉市民
盲人専用信号機
木材応召
木炭バス
文字・漢字の表記
森天祐堂
森徳座
杜の都の環境をつくる条例
杜の都の風土を育む景観条例
杜の都緑化基金
八木山開発
八木山球場
八木山橋
八木山ベニーランド
八木山遊園地
野球場
野草園
山火事
山形自動車道
闇市
やりなおし市長選挙
挹翠館 
郵便局
郵便馬車
郵便番号制度
ユニオンビール
ユネスコ協会
閖上大橋
養賢堂
用語(皇居と宮城)
用語(大東亜共栄圏)
用語(東亜新秩序と大東亜新秩序}
洋食屋
養種園
幼稚園
翼賛壮年団
澱橋(広瀬川)
ライオンズクラブ
ラジオ体操会
陸海軍の工場
陸軍の学校
リサイクル
龍宝寺の木造釈迦如来立像
輪タク
霊園/墓園
冷害・凶作
レジャーセンター
レッドパージ
練兵場
ロータリー・クラブ
老人福祉
労働運動
ロシア兵捕虜
魯迅
ロッテ球団
ワープロ