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学徒動員の寄宿舎で(女学生たち)(1)
学徒動員の寄宿舎で(女学生たち)(1)

分類項目 戦時下の子ども・生徒・学生 
タイトル 学徒動員の寄宿舎で(女学生たち)(1) 
写真番号 41-02 
場所 仙台市北材木町
映像内容 学徒勤労動員の寄宿舎春日アパート(北材木町)で / 宮城県北部の古川、若柳、佐沼、登米の公立高等女学校4年生は親元を離れ、仙台市の東北金属工業(第665工場)へ動員された。全員が寮生活をしながら工場に通い昼夜3交代で働いた / 春日寮は3階建てで6畳間に3人づつが入った
/ 建物は仙台空襲(昭和20年7月10日)で焼失したが、指定された場所へ避難し女子生徒からは死者は出なかった
/ 女子生徒の制服が違うのは、複数校の生徒が同宿だったからか? / 真夏なのに全員が長袖(撮影日が違うのか?) / 女子生徒も大人もモンペを履いている / 女子生徒はお下げ髪
撮影年代 1944年(S19)年8月6日 
撮影年代判定根拠 <写真提供者からの情報>
関連情報/参考文献 学生・生徒の勤労動員は、日中戦争中の1938年(昭和13年)からで、当初は年間3~5日だったがその後徐々に拡大され、太平洋戦争末期には1944年8月の「学徒勤労令」により女子を含む生徒を労働力として強制的に軍需工場などに動員した。さらに1945年(昭和20年)3月には「決戦教育措置要綱」により、一年の授業停止による学徒勤労総動員の体制がとられた
【「重訂 宮城県郷土史年表」P500】「1944年(S19)3月10日、宮城県下女子挺身隊、各工場に配置、12日挺身隊壮行会を挙行」
【「仙台市史特別編4 市民生活」P269】に、東北金属をはじめ、仙台市内の生徒の主な学徒勤労動員先の工場名(県内10、県外3)の記載あり
備考 写真提供者(熊谷公子さん ともこ)の母(吉田きくよさん)は、春日アパートに寄宿していた女学生たちの世話をする寮母さんだった。

<参照> 当サイト内「仙台よみとき用語年表」の項目「学徒勤労動員」
<参照> 当サイト内「仙台よみとき用語年表」の項目「戦時下の学園」に、仙台の公私立中等学校(戦前の中学校、高等女学校、実業学校など)各校の学徒勤労動員が具体的に記述されている

 
カラー/モノクロ モノクロ 
分類内の通し番号 14 
画像ファイル名 sendai11013 
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