項目 | 小項目 | 年 | 内容 | 出典/参考資料 | 関連映像 |
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ひらつか(東一番丁) | 戦後、進駐軍専用店を経営 | 1948年(S23) |
【「番丁詳伝」P152より】 * 1918年(T7)、平塚長蔵氏、塩釜で「ひらつか製菓舗」創設 * 戦時中は、多賀城にある海軍工廠の御用商人として自由に農産物を入手でき、漬物などを大量に生産 * 戦後、仙台・東一番丁(大通り)の一力邸の焼け跡を取得 * 1948年(S23)、敷地内に50m幅の青葉通りが造成しつつあった当時、敷地はヤミ市商人の密集中心地であったが、撤去後、「コックドール」(2階建ての洋風店舗)を建築、開業 / アメリカ進駐軍家族専用の店舗(レストランとフードマーケット)で日本人はオフリミット / 子息の長治氏が英語が話せたことから、進駐軍民生部に日参し、ヤミ市撤去と米軍関係者の利用施設を実現 / 進駐軍専用施設なので原材料の入手に困ることはなかった ・ 1950年(S25)の朝鮮戦争開始により在仙台米軍の大半が引上げ後は、方針を日本人向けに転換した ・ 仙台市高砂に最新技術を取り入れた東北初のオートメーション工場を建設 ・ 一番町店舗の改築を行い、和・洋・中の総合レストランビルを完成 ・ 平塚製パン、平塚物産、ひらつか、平塚販売等を展開 ***************************************** ・ 昭和26年の絵葉書(写真20-01-01)でも、「ひらつか」は表示塔に「ON LIMITS RESTAURANT」とあるように、進駐軍専用のフードマーケット(1階)とレストラン(2階)だった ・ 昭和28年からは、パン・洋菓子販売と日本人むけに喫茶・レストランを経営 |
「番丁詳伝」P152/昭和26年発売の絵葉書20-01-01の内容から | 20-01-01、22-07、58-01、58-03 |
ひらつか(東一番丁) | 焼失 | 1960年(S35) | ひらつかは、S35年暮れの火事で焼失 / その後再建 |
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