仙台よみとき用語年表
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高等学校(新制)     ・ 高等学校は、1948年(S23)4月の学制改革を境に「旧制」と[新制」に区分される
・「旧制」は宮城県内では、(旧制)第二高等学校があったが、1949年(S24)4月に、(新制)東北大学に併合される
・ 1948年(S23)4月の学制改革で誕生する(新制)高等学校は、多くは戦前からの中等学校(旧制中学校、高等女学校、商業学校、工業学校、農業学校などの実家学校)が移行したもので、市立、県立、私立がある
・ 旧制中等学校在校生は、1948年(S23)4月時点の4~5年生が新制高等学校生に移行した

<参考 ~旧制中等学校、戦時中の修業年限短縮~>
* 1943年(S18)1月21日公布、4月施行の中等学校令により修業年限4年間 / 従来の中学校、高等女学校、実業学校の修業年限が5年から4年に短縮された(「仙台市史 続編第2巻」P312) / ただし高等女学校の修業年限を2年、実業学校の修業年限を男子3年・女子2年に短縮することができる
(Wikipedia「中等学校令」2020年5月版)

* 1946年(S21)2月23日、中等学校を5年生に、(旧制)高等学校と大学予科を3年生に復活(「菅家年表」P36) 
「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P312/Wikipedia「中等学校令」/「仙台年表」P213/菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P30、P36   
高等学校(新制) 仙台市内の高校一覧  1969年(S44)現在  「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P482~531に、以下の各高校について、概要、沿革などを紹介(昭和45年時点)

<仙台市立> 
仙台商業高校(P482~485)、仙台高校(P485~489)、仙台工業高校(P489~492)、仙台第二工業高校(P492~494)、仙台女子商業高校(P494~497)、仙台女子高校(P497~500)、仙台図南高校(P500~501)
・ 「仙台市立7高校の系譜図」→「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P502~503

<宮城県立>
宮城県仙台第一高校(P504~505)、宮城県仙台第二高校(P506~507)、宮城県仙台第三高校(P507~508)、宮城県農業高校(P508~509)、宮城県工業高校(P509~510)、宮城県第二工業高校(P510~511)、県立盲学校(P517~518)、県立聾学校(P518)、宮城県第一女子高校(P518~520)、宮城県第二女子高校(P520~521)、宮城県第三女子高校(P522~523)

<私立>
東北工業大学電子工業高校(P511)、東北学院高校(P512~513)、東北高校(P513~514)、仙台育英学園高校(P514~515)、栴檀学園高校(P516)、宮城学院高校(P523~524)、仙台白百合学園高校(P524~525)、常盤木学園高校(P525~526)、尚絅女学院高校(P526~527)、三島学園女子高校(P527~528)、聖和学園吉田高校(P528~529)、朴沢女子高校(P529~530)、聖ウルスラ学院高校(P530~531)、聖ドミニコ学院高校(P531)

<国立>
仙台電波高校(P516~517) 
「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P482~531   
高等学校(新制) 仙台市立女子高等学校/仙台図南萩陵高等学校/仙台大志高等学校  1948年(S23)/1983年(S58)/2009年(H21)  <前史>
* 1936年(S11)6月、「仙台夜間女学校」、北五番丁に創立
* 1939年(S14)4月、「仙台市立昭和女学校」
* 1943年(S18)4月、「仙台市立昭和高等女学校」
* 1944年(S19)4月、「仙台女子商業学校」と合併し、「第二部」となる

<学制改革で定時制高校に>
* 1948年(S23)4月、仙台女子商業学校から独立し、「仙台市立女子高等学校」と改称(女子単独の定時制高校)
・ 昭和30年代前は「制服のない学校」「試験のない学校」「罰則のない学校」が特徴

<統合>
* 1983年(S58)3月1日 仙台図南高等学校と仙台市立女子高等学校を統合し、仙台図南萩陵高等学校創立、共学の定時制高校として開校 / 図南萩陵の校名は旧校名である「図南」、市立女子高の校章に使われてシンボルであった「萩」と、学校があることを表す「陵」を合わせて「図南萩陵」と命名

* 2006年(H18)4月1日、高校商業科の生徒募集が停止される。(2009年閉講)
* 2009年(H21)4月1日 仙台市立仙台大志高等学校創立(定時制高校) / それまでの仙台図南萩陵高等学校は仙台市立仙台図南萩陵高等学校に校名が変更され、生徒募集が停止される 
「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P497~500、P502   
高等学校(新制) 仙台商業高等学校第二部/仙台女子商業高等学校/仙台商業高等学校に再統合  1948年(S23)/1957年(S32)/2009年(H21)  <前史>
<1> 
* 1918年(T7)4月、「仙台市東二番丁実科高等女学校」
* 1922年(T11)4月、「仙台市五橋実科高等女学校」
* 1923年(T12)5月、「仙台市第一実科高等女学校」
* 1943年(S18)4月、「仙台市五橋高等女学校」
<2>
* 1921年(T10)4月、「仙台市北五番丁実科高等女学校」
* 1923年(T12)5月、「仙台市第二実科高等女学校」
* 1943年(S18)4月、「仙台北五番丁高等女学校」
    *******************************
* 1944年(S19)4月、「仙台市女子商業学校」発足 / <1>と<2>を合わせて「仙台市女子商業学校第一部」とし、同時に「仙台市立昭和女子高等学校」も合併し「仙台市女子商業学校第二部とする」

<学制改革で高校に>
* 1948年(S23)4月、「仙台商業高等学校」発足 / 「仙台商業学校」を「男子部」に、「仙台女子商業学校第一部」を「女子部」とする / 「仙台女子商業学校第二部」は独立して、「仙台市立女子高等学校」となる / 当時の校舎は五橋中学校と同一敷地内で、校庭は手狭だった
* 1957年(S32)9月、仙台商業高等学校の男子部、女子部を分け、男子部は「仙台商業高等学校」、女子部は独立して「仙台女子商業高等学校」となる(校地は新たに国見台)
* 2009年(H21)3月、 仙台商業高等学校と仙台女子商業高等学校が統合し、「仙台市立仙台商業高等学校」を新設 
「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P494~497、P502   
高等学校(新制) 仙台工業高等学校第二部/仙台第二工業高等学校/仙台工業高等学校定時制課程  1948年(S23)/1965年(S40)/2010年(H22)  <前史>
* 1915年(T4)5月、「市立仙台工業補習学校」
* 1919年(T8)10月、「仙台工業補習学校」
* 1929年(S4)7月、「仙台工業専修学校」
* 1935年(S10)8月、「仙台工業青年学校」
* 1941年(S16)3月、「仙台工業第三本科」
* 1943年(S18)1月、「仙台工業学校専修科」
* 1944年(S19)3月、「仙台工業学校専修科」(夜間過程)を「仙台工業学校第二部」と改称

<学制改革で定時制高校に>
* 1948年(S23)月、学制改革で「仙台工業高等学校第二部」と改称(修業年限4年の夜間定時制高校)
* 1965年(S40)4月、仙台工業高等学校から独立し、「仙台第二工業高等学校」となる
* 1969年(S44)4月、南の目北宮城野に移転
* 2010年(H22)、「仙台第二工業高等学校」は閉校、「仙台工業高等学校定時制課程」となる / これにより、1965年以来、全日制課程と定時制課程が同一学校に再度併設されることになった 
「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P492~494、P503/「仙台市立仙台工業高等学校」HP/仙台市立仙台工業高等学校定時制課程」HP   
高等学校(新制) 宮城県仙台第三高等学校  1963年(S38)  * 1963年(S38)4月16日、東仙台中学校で開校式
* 1963年(S38)5月、校地(原町小田原安養寺中地内)に南校舎完成 / 翌年6月、北校舎完成
* 1968年(S43)4月、理数科1学級を県内で初めて設置(普通科7学級、理数科1学級)
* 1971年(S46)3月、西校舎完成(理数科教室)
* 1992年(H4)3月、南校舎新築完成(鉄筋造2階建て)
* 1993年(H5)9月、第2運動場造成
* 2009年(H21)1月、新校舎(4階建)、新屋内運動場完成
* 2009年(H21)4月、男女共学開始
・ 文部科学省より、スーパーサイエンススクール(SSH)指定
  H22年~5年間、H24年~3年間(コアSSH)、H29~5年間〈第2期SSH)
・ 国立台湾師範大学付属高級中学と、H25年にSSHプロジェクトの協定締結、H25年に姉妹校締結 
「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P507~508/宮城県仙台第三高等学校HP   
高等学校(新制) 宮城県第三女子高等学校/宮城県仙台三桜高等学校  1948年(S23)/2010年(H22)  <前史>
* 1924年(T13)4月1日、「宮城県第三高等女学校」、宮城県女子師範学校内に開校
(T8年11月以降、県内の学校は、名称に県立の「立」をつけない)
* 1946年(S12)、4年制から5年制になる

<学制改革で高校に>
* 1948年(S23)4月1日、宮城県第三女子高等学校と改称

* 1950年(S25)4月20日~1952年(S27)3月20日、男女共学制を実施(仙台市内初の共学制)
* 1953年(S28)~1957年(S32)、校舎を宮城県第一女子高等学校と併用(一女高が、東北大から立退き要求で、北六番丁の新築校舎から、中島丁に移転し、三女高、一女高が同居)
* 1957年(S32)春、長町鹿野屋敷に新築移転、校旗・校歌を再制定
* 1961年(S36)、丸屋根の屋内体育館兼講堂完成
* 2010年(H22)、再共学化し、校名を「宮城県仙台三桜高等学校」に改称 / 新入生281名のうち33名が男子 
「仙台市史 年表」P102/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P522~523/Wikipedia「宮城県仙台三桜高等学校」   
高等学校(新制) 宮城県工業高等学校    <前史>
* 1916年(T5) 3月、 宮城県立工業学校、米ケ袋広丁に創立(機械電気科,漆工科)
* 1919年(T8)11月、宮城県工業学校と改称
* 1938年(S13)4月、採鉱科、第二本科電気科、第二部機械科設置
* 1945年(S20)7月10日、仙台空襲で校舎の約8割焼失

<学制改革で高校に>
* 1948年(S23)4月、宮城県工業高等学校と改称
・ 学科新設(S24年、機械科・電気科・木材工芸科・採鉱科 / S27年、化学工業科)/廃止(S29年、採鉱科)
* 1954年(S29)2月、火災で校舎7棟焼失/S31年迄に校舎再建
・ 学科新設(S34年、電気通信科設置)
・ 学科改称(38年、木材工芸科を工芸科,電気通信科を電子科に改称)(S48年、工芸科をインテリア科とし男女共学にした)
* 1974年(S49)4月、電気・電子・化学工業科を男女共学に
* 1977年(S52)8月、第二運動場取得
* 1978年(S53)10月、体育館竣工
* 1992年(H4)10月、総合実習棟竣工
* 1992年(H4)12月、機械3クラスのうち1クラスを電子機械科に学科転換, 電子科を情報技術科に学科転換
* 1994年(H6)10月、校舎棟竣工
* 1996年(H8)1月、屋外運動場竣工
* 1999年(H11)4月、機械科を男女共学とした
* 2013年(H25)11月15日、創立100週年記念式典挙行 
「宮城県工業高等学校」HP/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P509~510   
高等学校(新制) 宮城県工業第二高等学校    <前史>
* 1943年(S18)4月、「宮城県第二工業学校」、開校(米ケ袋広丁)、県工業学校の校舎と設備を共用、夜間機械科新設
* 1944年(S19)4月、電気科を設置

<学制改革で高校に>
* 1948年(S23)4月、「宮城県工業第二高等学校」と改称(夜間定時制)
* 1993年(H5)、機械科を電子機械科に学科改編
* 1994年(H6)、新校舎が完成し(専用教室・体育館・食堂・図書室など,最新の施設・設備を持つ)
* 1995年(H7)4月、完全給食、女子生徒募集を開始  
「宮城県工業第二高等学校」HP/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P510~511   
高等学校(新制) 宮城県立盲学校/宮城県立視覚支援学校  1948年(S23)/2009年(H21)  <学制改革後>
* 1948年(S23)4月、盲・聾学校教育が義務制となる /宮城県立盲唖学校」が学制改革で小・中学部、高等部専攻科を編制、同時に同校盲部が「宮城県立盲学校」、聾啞部が「宮城県立聾学校」となる
* 1948年(S23)9月11日、ヘレン・ケラー女史、2回目来校
* 1951年(S26)3月、あんま師、はり師、きゅう師養成学校として文部省認定
* 1951年(S26)7月、聾学校が分離し長町鹿又の新築校舎に移転
* 1959年(S34)5月、盲学校が北七番丁(旧宮城師範跡)に移転
* 1962年(S37)4月、文部省から新職業教育研究校に指定され、高等部に園芸科設置
* 1963年(S38)、宮城県点字図書館落成、弱視学級設置
さらに、「香る植物園」、「小鳥の家」「リハビリテーション・ルーム」など完成
* 1966年(S41)2月、スクールバス「のぞみ号」運行開始
* 1967年(S42)10月~1971年(S46)3月、4期にわけ校舎新築
* 1969年(S44)4月、小学部に重複障害学級設置(S51年に中学部、H1年に高等部に、重複障害学級設置)
* 1971年(S46)4月、高等部普通科設置
* 1973年(S48)4月、高等部に保健理療科、専攻科理療科設置
* 1977年(S52)11月、全日本吹奏楽コンクール招待演奏に出演(東京普門館)
* 1983年(S58)10月、創立70周年記念、吹奏楽部創立20周年記念演奏会(電力ホール)
* 1994年(H6)4月、高等部に専攻科保健理療科設置、高等部新教育課程実施開始
* 2001年(H13)10月、第1回全国障害者スポーツ大会(翔く・新世紀みやぎ大会)参加
* 2008年(H20)7月、東北盲学校野球大会(岩手)で、野球部が準優勝
* 2009年(H21)4月、校名を、宮城県立盲学校から「宮城県立視覚支援学校」に変更
* 2014年(H26)9月、創立100周年記念式典挙行 
「宮城県立視覚支援学校」HP/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P517~518   
高等学校(新制) 県立聾学校/宮城県立 聴覚支援学校  1948年(S23)  <前史>
* 1902年(M35)、宮城県師範学校附属小学校に唖生部開設
* 1906年(M39)、同唖生部廃止
* 1914年(T3)5月、「宮城県立盲唖学校」開校式(外記丁の旧宮城師範構内)
* 1925年(T14)9月、北七番丁に新校舎落成、
* 1935年(S10)8月、東九番丁校舎に移転
* 1937年(S12)3月、「盲部」および「聾唖部」を置き、各部を初等部・中等部に分ける

<学制改革後>
* 1948年(S23)4月、学校教育法制定で、盲・聾学校教育の義務制施行 / 「宮城県立盲唖学校」が学制改革で小・中学部、高等部専攻科を編制、同時に同校盲部が「宮城県立盲学校」、聾啞部が「宮城県立聾学校」となる
* 1951年(S26)6月、聾学校が分離し、長町鹿又の新築校舎に移転
・ 高等部には、普通教育のほか、被服、理容、工芸、塗装の各科 / 高等部専攻科では、職業科目、保健体育に重点、社会生活に必要な聴能訓練、言語能力の拡充を目指す

* 2009年(H21)4月1日、校名を、宮城県立ろう学校から宮城県立聴覚支援学校に校名変更
 
「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P518   
高等学校(新制) 仙台電波高等学校(国立)  1949年(S24)~1974年(S49)  <前史>
* 1943年(S18)4月、「財団法人東北無線電信講習所」、仙台市木ノ下に設置
* 1943年(S18)11月、運輸通信省に移管され、「官立無線電信講習所仙台支所」となる
* 1945年(S20) 4月、(官立)「仙台無線電信講習所」として独立

<学制改革で高校に>
* 1949年(S24)5月、国立学校設置法施行により、仙台無線電信講習所から「仙台電波高等学校」に改組
* 1951年(S26)、専攻科(修業年限1年間、入学資格は高校卒業者)
* 1952年(S27)3月、八木山緑町の東北大学第三教養部跡地(のちの向山高校校地)に移転
* 1971年(S46)4月、国立仙台電波工業高等専門学校(現・仙台高専)に改組のため、募集停止する。
* 1974年(S49)6月7日 、廃校 
「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P516~517/Wikipedia「仙台電波高等学校」2019年8月4日版   
高等学校(新制) 榴ケ岡に高校分校/東北学院榴ケ岡高等学校  1959年(S34)/1972(S47)年  * 1959年(S34)4月、東北学院高等学校榴ケ岡校舎を開設(高校生急増対策として県市の要望もあり、榴ヶ岡に男子部の高校分校を設置)

* 1972年(S47)4月、榴ケ岡校舎が独立して東北学院榴ケ岡高等学校となり、8月に泉市市名坂に移転 
「重訂 宮城県郷土史年表」P592/「東北学院」HP/「東北学院榴ケ岡高等学校」HP   
高等学校(新制) 東北電子工業高等学校/東北工業大学電子工業高等学校/東北工業大学高等学校/仙台城南高等学校  1960年(S35)/1965年(S40)/1994年(H6)/2013年(H25)  <東北電子工業高等学校>
* 1960年(S35)10月、学校法人東北電子学院、設立 
* 1961年(S36)4月、東北電子工業高等学校を開校
* 1961年(S36)4月、 東北大学片平キャンパス中央講堂で、開校式、第1回入学式 / 電子工学科、無線通信科、別科 / 東二番丁通りの仙台地方貯金局庁舎(現 仙台中央郵便局)とその元庁舎が仮校舎 / 二学期から太白区八木山松波町の校舎に移転
* 1964年(S39)4月、電子工学科を電子科に改称、無線通信の募集停止
* 1964年(S39)6月、普通科教室、体育館完成

<東北工業大学電子工業高等学校>
* 1965年(S40)4月、法人名を学校法人東北工業大学に改称(前年に東北工業大学を開学) / 学校名を東北工業大学電子工業高等学校に改称。
* 1966年(S41)4月、無線通信科を廃止、普通科を設置(普通科、電子科の2学科となる)

<東北工業大学高等学校>
* 1994年(H6)4月、 東北工業大学高等学校に改称 / 普通科を4コース(英数/文系/理系/教養)、電子科を4コース(制御技術/情報技術/電子技術/理数工学)とする
* 1999年(H11)4月、普通科を男女共学とする
* 2004年(H16)4月、電子科を男女共学とする

<仙台城南高等学校>
* 2013年(H25)4月、学校名を仙台城南高等学校に改称。特進科(文系/理系)、探究科(文系/理系)、科学技術科(メカトロニクス/情報通信/情報デザイン/電力技術)の3学科を設置 
「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P511/Wikipedia「仙台城南高等学校」2020年9月2日版   
高等学校(新制) 尚絅女学院高等学部(学制改革後)/尚絅女学院高等学校/尚絅学院女子高等学校/尚絅学院高等学校  1948年(S23)/1961年(S36)/2003年(H15)/2008年(H20)  <学制改革で新制高校に>
* 1947年(S22)、新制中学校を設置、保護者会が父母教師会となる
* 1948年(S23)、新制高等学校を設置、校名を「尚絅女学院」と改め、中学部・高等学部・専攻部となる
* 1950年(S25)、中学・高等学部の制服を制定
* 1956年(S31)、幼稚園を開設
* 1958年(S33)、礼拝堂と南校舎を落成
* 1961年(S36)、中学部・高等学部を中学校・高等学校と改称
* 1974年(S49)、体育館が落成
* 1984・85年(S59・60)、中校舎と北校舎が落成
* 1992年(H4)、創立100周年記念式典を行う
* 1993年(H5)、礼拝堂にパイプオルガン設置
* 1998年(H10)、大韓民国釜山市「イサベル中学・高等学校」との姉妹校調印式
* 2000年(H12)、中・高、フィリピン共和国で初の海外ワークキャンプ実施
* 2003年(H15)、法人名を「尚絅学院」、校名を「尚絅学院大学女子短期大学部」、「尚絅学院女子高等学校」、「尚絅学院女子中学校」、「尚絅学院大学女子短期大学部附属幼稚園」と改称 / タイ国「サハミット学園」との姉妹校調印
* 2008年(H20)、校名を「尚絅学院中学校」「尚絅学院高等学校」と改称 / 中学を男女共学化、高校は特別進学コースのみ共学に
* 2009年(H21)、高校、総合進学コースに文理(共学)・文系(女子のみ)を設置
* 2011年(H23)、高校、全コース男女共学化
* 2015年(H27)、新校舎完成
* 2016年(H28)、体育館・グラウンド完成 
「尚絅学院中学校・高等学校」HP/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P526~527   
高等学校(新制) 東北高等学校(前史)  1948年(S23)  <前史>
* 1894年(M27)、東三番丁に私立東京数学院宮城分院創設 / 校名を仙台数学院と改称
* 1898年(M31)、北一番丁に新築移転
* 1900年(M33)、私立東北中学校設立
* 1911年(M44)、社団法人宮城県私立東北中学校と改称
* 1920年(T5)、財団法人東北中学校と改称
* 1929年(S4)、市内原町小田原字南光沢に移転
* 1930年(S5)、財団法人南光学園と改称/東北商業学校設立
* 1939年(S14)、財団法人東北薬学専門学校設立
* 1943年(S18)、戦時の国策に従い東北商業学校を転換して東北農業学校を設置
* 1947年(S22)、東北農学校を廃止し、東北商業学校に転換 
「仙台市史 年表」P91/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P513~514/「東北高等学校」HP   
高等学校(新制) 東北高等学校(学制改革~昭和末)  1947年(S22)~1988年(S63)  <学制改革により高校に>
* 1947年(S22)、東北中学校、設立
* 1948年(S23)、東北高等学校および東北商業高等学校を設立
* 1951年(S26)、学校法人南光学園と法人名を改称
* 1960年(S35)、東北商業高等学校と東北高等学校を統合して東北高等学校とし、普通部および商業部を置く
* 1962年(S37)、創立記念日と開校記念日を統合し、9月3日を創立記念日とする / 帽章「南光」の文字を「東北」と改む
* 1963年(S38)、北校舎(鉄筋コンクリート4階建)落成 / S39年に、鉄筋コンクリート3階建管理棟完成、屋外スケートリンク完成
* 1964年(S39)、東京オリンピック出場選手(5名の卒業生)の壮行会を行う。 陸上競技 誉田 徹・油井 潔 自転車競技 赤松俊郎・河内 剛 柔道 神永昭夫
* 1970年(S45)、創立75周年記念体育館落成(フロア、柔道場、剣道場、レスリング場)
* 1974年(S49)、屋外プール竣工、卓球場、食堂落成、鉄筋コンクリート4階建西校舎落成
* 1977年(S52)、トレーニングセンター竣工
* 1978年(S53)、第2体育館落成
* 1980年(S55)、独自の夏季制服を制定 / S58年、独自の通年用制服(ブレザー)を制定
* 1986年(S61)、相撲場を新設、道場開き
* 1987年(S62)、第二校地(仙台市泉実沢)を取得 / S63年に“Athle Field 21”(アスレ・フイールド・トウエンティ・ワン)と命名、体育施設地鎮祭挙行
 
「仙台市史 年表」P91/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P513~514/「東北高等学校」HP   
高等学校(新制) 東北高等学校(平成時代)  1989年(H1)~2019年(H31)  * 1991年(H3)、通年用制服(8年振り)並びに夏季服装(11年振り)に芦田淳氏のデザインによりモデルチェンジ
* 1992年(H4)、学校週5日制を完全実施
* 1993年(H5)、コース制を導入した総合型高等学校スタート / 普通科に創進、文理、文教の3コース、商業科にビジネス、ザ・コースフェスティーナを置く、
* 1993年(H5)、泉校地に泉キャンパスを設置
* 1994年(H6)、創立100周年 / 泉校地に校舎落成 / H8年、泉校地に東校舎落成
* 1997年(H9)、東北インターナショナルスクール(T.I.S)開校
* 1998年(H10)、小松島校地に新校舎,全天候型グラウンド落成 / 長野冬季オリンピックにフィギュアスケート男子シングルの本田武史・田村岳斗・女子シングルの荒川静香・ペアの荒井万里絵の4名が在学時に出場
* 2001年(H13)、文理コースの男女共学スタート  / H16年、ビジネスコース、フェスティーナ・ジェネラルコースの共学がスタートし、全コース共学となる
* 2009年(H21)、商業科を廃止、普通科を創進コース、文理コース、文教コース、スポーツコースに再編 / 制服を「コムサデモード・スクールレーベル」に変更
* 2010年(H22)、東北インターナショナルスクールが、泉キャンパス東校舎に移転。
* 2017年(H29)、小松島校地に中央校舎(三楽館)完成
* 2019年(H31)、一番町サテライトキャンパス設置 
「仙台市史 年表」P91/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P513~514/「東北高等学校」HP   
高等学校(新制) 仙台育英学園高等学校  1948年(S23)~  <前史>
* 1905年(M38)、加藤利吉、仙台市東四番丁に私塾「育英塾」を創立。
* 1922年(T11)4月、私立「仙台育英中学校」、外記丁に開校
* 1939年(S14)、校舎新築
* 1945年(S20)7月10日、仙台空襲で全校舎焼失 / 以後、上杉山国民学校、次いで長町国民学校において授業継続
* 1946年(S21)、宮城野の旧陸軍用地の一部に、約7,000坪の校地を確保

<学制改革で高校に>
* 1947年(S22)4月、財団法人仙台育英学園設立認可、学制改革により私立「仙台育英学園高等学校」開校。私立「仙台育英中学校」を併設
* 1949年(S24)、宮城野原に新校舎完成し移転 / 翌年、第2期工事完成
* 1951年(S26)、学校法人仙台育英学園設立認可
* 1955年(S30)、商業高等学校設立(S37年に育英高校に合併 / 育英高校は普通部と商業部となる)
* 1956年(S31)、仙台育英中学校閉校
* 1961年(S36)、新校舎「南冥」落成 / 続いて本館「栄光」、図書館等完成
* 1965年(S40)3月10日、「第二北辰」「第二南冥」、図書館、体育館焼失(S41年3月までにすべて復興)
* 1984年(S59)、全日制普通科総合コース制を導入
* 1986年(S61)、新設の外国語コースで、男女共学制開始
* 1987年(S62)、カナダの高校他4校と姉妹校提携
* 1991年(H3)、多賀城校舎起工式
* 1998年(H10)、通信制課程開設
* 2001年(H13)、光星学院協力で広域通信制「ILC青森」開校
* 2003年(H15)、東北私学初の中等教育学校 仙台育英学園秀光中学校 
仙台育英学園高等学校HP/「仙台市史 年表」P101/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P514~515   
高等学校(新制) 聖和学園吉田高等学校/聖和学園高等学校  1948年(S23)/1986年(S61)  <前史>
* 1930年(S5)4月8日、宮城県仏教会が吉田高等女学校開設(東三番丁の東本願寺別院が仮校舎)
* 1930年(S5)9月、木ノ下旧国分寺薬師堂隣接地に新校舎建築し移転
* 1936年(S11)、財団法人吉田高等女学校認可

<学制改革で高校に>
* 1948年(S23)、新制高等学校を設置、聖和学園吉田高等学校と改称し、吉田中学校も併設
* 1951年(S26)、学校法人聖和学園設立認可
* 1978年(S53)、創立時建設の高等学校木造校舎解体
* 1979年(S54)、中学校廃校
* 1980年(S55)、創立50周年記念式典挙行並びに講堂兼体育館及び管理棟落慶式
* 1986年(S61)、聖和学園高等学校と改称
* 2003年(H15)、薬師堂キャンパス竣工、三神峯キャンパス竣工、男女共学制開始、5コース制導入
* 2006年(H18)、全コース男女共学
* 2010年(H22)、創立80周年記念式典 
聖和学園高等学校HP/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P528~529/聖和学園高等学校HP   
高等学校(新制) 聖ウルスラ学院高等学校/聖ウルスラ学院英智高等学校  1959年(S34)/2005年(H17)  <前史>
* 1936年(S11)、カナダから来仙した修道女が北四番丁で家庭学校の前身を創設
* 1940年(S15)、市内木ノ下に修道院を開設
* 太平洋戦争中、修道女たちは拘束され、修道院は軍の無線通信講習所として接収、戦後は戦災を受けた白百合学園に貸与
* 終戦後、修道女たちは一旦カナダに帰国、1947年(S22)に再来日
* S23年に木ノ下に家庭学校、S24年に幼稚園、S25年に小学校開設 / S30年に、一本杉の旧伊達伯爵邸跡に中学校創設

<高等学校>
* 1959年(S34)、学校法人聖ウルスラ学院が高等学校を開校(一本杉の旧伊達伯爵邸跡に)
* 2003年(H15)、一般と特別志学のコース制を導入
* 2005年(H17)、高校の新校舎完成
<校名変更>
* 2005年(H17)、校名を、聖ウルスラ学院英智高等学校に変更 / 特別志学コースを男女共学制とする
* 2007年(H19)、特別志学コースType2を新設し、特別志学コースType1、尚志コースの3コースとする
* 2012年(H24)、校舎一体型の小・中学校と併設型高等学校の一貫教育(4・3・2+3)の実現
* 2017年(H29)、南小泉総合グラウンド完成

 
「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P530~531   
高等学校(新制) 聖ドミニコ学院高等学校  1960年(S35)  <前史>
* 1931年(S6)、聖ドミニコ女子修道会本部より5人の修道女が来日、仙台に修道院を設立
* 1933年(S8)、 暁の星学院(外国語教育)を設立
* 1937年(S12)、暁の星幼稚園(のちの、聖ドミニコ学院幼稚園)を開園 / 戦争のため一時休園

<戦後>
* 1949年(S24)、私立北仙台幼稚園(のちの、聖ドミニコ学院北仙台幼稚園)を開園
* 1953年(S28)、学校法人聖ドミニコ学院創立、聖ドミニコ学院小学校設立、暁の星幼稚園を聖ドミニコ学院幼稚園と改名
* 1959年(S34)4月、聖ドミニコ学院中学校を開校(S56年、生徒数の減少により休校 / H21年、中学校再開)

<高等学校>
* 1960年(S35)4月、聖ドミニコ学院高等学校を設立(北五十人町、のちの角五郎丁6丁目)
* 1983年(S58)、学院創立30周年 / 新校舎落成
* 2003年(H15)、学院創立50周年
* 2008年(H20)、高等学校のコース制再編(2コースより、特別進学コース、総合進学コース、幼児保育進学コース、キャリアデザインコースの4コースとなる)
 
「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P531/Wikipedia「聖ドミニコ学院中学校・高等学校」   
高等学校(新制) 仙台白百合学園高等学校  1948年(S23)  <前史>
* 1893年(M26)4月、元寺小路に「私立仙台女学校」が、修道院長スール・イザークを中心に開校
* 1907年(M40)3月9日、「私立仙台高等女学校」と改称
* 1919年(T8)、「仙台高等女学校」と改称
* 1945年(S20)7月10日、仙台空襲で校舎(花京院通)全焼
* 1947年(S22)まで、東六番丁国民学校、ウルスラ修道院(木ノ下)を借用し授業継続

<学制改革で高校に>
* 1948年(S23)、「仙台白百合学園」と改称(新制高等学校へ移行切替)、新制中学校を併置、校章も梅の花から百合の花へ変更
* 1949年(S24)までに校舎復興
* 1955年(S30)、幼稚園開設
* 1957年(S32)、中央校舎(鉄筋3階建)完成
* 1961年(S36)、小学校併設開校
* 1962年(S37)、南校舎落成 / 隣接の県有地(旧一高女跡)購入し校地拡張
* 1966年(S41)、短期大学開校
* 1998年(H10)、創立の地、青葉区本町から、泉区紫山に移転 
「仙台市史 年表」P88、P94/「仙台白百合学園」HP/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P524~525/「仙台白百合学園中学校・高等学校」HP  44-49(S22)、16-56(S23) 
高等学校(新制) 宮城県仙台第一高等学校の前史  1892年(M25)  <前史1>
* 1874年(M7)3月29日、「官立宮城外国語学校」、東二番丁の漢学校跡に設置
* 同年12月27日、「官立宮城英学校」と改称 
* 1877年(M10)2月14日、官立宮城英学校廃止 
* 同年2月26日に教育内容を継承した「県立仙台中学校」が開校 
* 1879年(M12)6月26日、「宮城中学校」と改称
* 1886年(M19)9月、「宮城尋常中学校」
* 1888年(M21)3月24日、宮城(県?)尋常中学校廃止
 
<前史2>
* 1892年(M25)4月1日、「宮城県尋常中学校」、前月に廃校となった東華学校の校地(清水小路、初代校舎)や機能を引継いで開校
* 1899年(M32)4月1日、「宮城県中学校」と改称(同年7月20日に本校が南六軒丁(第2代校舎)に移転し、清水小路の本校地には分校が勾当台通から移転)
* 1900年(M33)4月1日、「宮城県第一中学校」と改称
* 1901年(M34)7月1日、「県立宮城県第一中学校」と改称
* 1904年(M37)3月31日、清水小路分校廃止
* 1904年(M37)6月1日、「宮城県立仙台第一中学校」と改称
* 1907年(M40)1月24日、校舎が全焼
* 1908年(M41)9月1日。校舎を元茶畑に新築移転 / ほぼ同様の規模外観の校舎(第3代校舎)となった(本館の屋根の形が少し違う=明治の洋風建築-宮城県- P65)
* 1919年(T8)11月1日、「宮城県仙台第一中学校」と改称
* 1941年(S16)5月24日、旗立修練道場竣工
 
「仙台市史 年表」P80、P82、P86、P91、P92、P94/「明治の洋風建築-宮城県-」P64「宮城県第一中学校」/「宮城県百科事典」P594「仙台第一高等学校」/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P504~505/「宮城県仙台第一高等学校」HP  99-072(M32年~M40年1月の校舎)/「目で見る仙台の歴史」P120に、清水小路の東華学校校舎(宮城尋常中学校使用時代)/同P133に、「宮城県第一中学校」(M33年4月~37年5月の学校名) 
高等学校(新制) 宮城県仙台第二高等学校  1948年(S23)  <前史>
* 1896年(M29)2月、宮城県尋常中学校(仙台第一中学校の前身)の分校として開校(清水小路に仮校舎)
* 1900年(M33)4月1日、「宮城県第二中学校」が開校(南町仮校舎及び清水小路一中分校校舎を使用)
* 1901年(M34)7月1日、「県立宮城県第二中学校」と改称
* 1902年(M35)10月、北六番丁木町通り西側に木造2階建校舎新築し移転
* 1904年(M37)6月1日、「宮城県立仙台第二中学校」と改称
・ 1918年(T7)10月23日、蔵王山頂で風雪飢寒のため、生徒7人、教師2人が遭難
* 1919年(T8)11月、「宮城県仙台第二中学校」と改称
・ 1931年(T12)、20学級・生徒数1000人
* 1928年(S3)11月、川内(騎兵隊兵営跡に新築移転(コンクリート校舎、スチーム暖房完備)、東北産業博覧会では校舎の一部を使用
・ 1935年(S10)4月、県下一斉に中学校の男子制服制帽が国防色に規定され、敬礼は軍隊式挙手の礼に改められた(「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P506)⇒この項、要検証
・ 1943年(S18)から、生徒の電車通学は禁止、勤労動員が始まり、校舎の一部が軍に使用された
・ 仙台空襲(昭和20年7月10日)では、木造倉庫2棟焼失にとどまる
・ 1946年(S21)5月、旧仙台一中対二中の野球復活第1回定期戦(市営澱球場)(「仙台市史 続編第1巻」P93)
・ 1947年(S22)、甲子園の野球大会で準決勝進出し岐阜商商業に惜敗(ベスト4) 

<学制改革で高校に>
* 1948年(S23)4月1日、「宮城県仙台第二高等学校」と改称
* 1984年(S59)4月、新校舎落成記念式
* 2007年(H19)4月、男女共学 
「仙台市史 年表」P91、P92/明治の洋風建築-宮城県-」P77「宮城県第二中学校」/「宮城県百科事典P595「仙台第二高等学校」/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P93/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P506~507/「宮城県仙台第二高等学校」HP  99-073(M35年~S3の校舎)/「新・目で見る仙台の歴史」P140に同じ写真/「目で見る仙台の歴史」P133に北六番丁の「宮城県仙台第二中学校」/同P157に「二中生、蔵王で遭難(大正7年)の記事接写」/同P165に、川内の校舎 
高等学校(新制) 宮城県農業高等学校  1948年(S23)  <前史>
* 1875年(M8)、県立植物試験所(前身)創設(片平丁)
* 1879年(M12)、県立勧業試験場、名取郡茂ヶ崎村(現太白区根岸町)に設置
* 1881年(M14)7月9日、県立勧業試験場が「宮城農事講習所」と改称
* 1885年(M18)7月1日、宮城県農事講習所を改組し、「宮城農学校」を創設(「重訂 宮城県郷土史年表」P271)
* 1901年(M34)7月5日、「県立宮城農学校」と改称
* 1904年(M37)6月1日、「宮城県立宮城農学校」と改称
* 1919年(T8)11月1日、「宮城県農学校」と改称
* 1928年(S3)、学校所在地の地名が仙台市長町と変更
* 1947年(S22)、専攻科設置(S28年廃止し宮城農業短大設置)

<学制改革で高校に>
* 1948年(S23)4月1日、「宮城県農業高等学校」と改称 / 同年5月に定時制課程設置、高砂、岩切、広瀬、秋保の4分校設置
* 1961年(S36)~1967年(S42)、5期にわたり鉄筋コンクリート3階建て校舎建設
・ 1969年(S44)現在、農業、園芸、畜産、食品化学、農業工学に在校生836名、
* 1970年(S45)、4分校のうち最後まで残った秋保、高砂両分校廃止
* 1977年(S52)3月1日、名取市に移転 
「目で見る仙台の歴史」(S34年刊)P120/「仙台市史 年表」P85、P91、P92/「重訂 宮城県郷土史年表」P271/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P508~509/「宮城県農業高等学校」HP  99-074/「目で見る仙台の歴史」(S34年刊)P120に、「宮城県農学校」(M18~37年の間) 
高等学校(新制) 宮城県第一女子高等学校/宮城県宮城第一高等学校  1948年(S23)/  <前史>
* 1895年(M28)1月14日、前年末をもって休業となった「東北女子実業科伝習所」の指導者たちが、「仙台女子実業学校」を東二番丁に開校
* 1897年(M30)4月1日、「私立仙台女子実業学校」を引継いで東三番丁に「仙台市高等女学校」として開校
* 1899年(M32)、元寺小路に校舎新築(写真99-075)  
* 1900年(M33)4月1日、宮城県に移管され、「宮城県高等女学校」と改称 / 補習科設置(T2年廃止) 
* 1901年(M34)7月1日、「県立宮城県高等女学校」と改称
* 1904年(M37)6月1日、「宮城県立高等女学校」と改称 /  技芸専修科設置(S45年廃止)
* 1911年(M44)、実科設置 (T7年廃止) 
* 1918年(T7)、「宮城県立第一高等女学校」と改称
* 1919年(T8)、「宮城県第一高等女学校」と改称
* 1921年(T10)、高等科設置(のちに宮城県立女子専門学校の母体)
* 1939年(S14)、黒川郡富谷村に学校林を設ける
* 1945年(S20)、仙台空襲で校舎焼失 / 連坊小路の第二高女と連坊小学校、県立盲学校で授業再開
* 1947年(S22)、北六番丁の旧制二高跡に校舎新築移転(東北大農学部が使用することになり、中島丁の旧女子師範跡に新設された東北大学付属中学と校舎を交換)

<学制改革で高校に>
* 1948年(S23)4月1日、「宮城県第一女子高等学校」と改称
* 1953年(S28)、校舎移転(八幡へ)
* 1955年(S30)、専攻科(修業年限1年)併設(S40年に廃止)
* 1969年(S44)、全校が新校舎に移転
* 1973年(S48)、服装自由化実施
* 1997年(H9)、創立100周年記念式典,理数科新設
* 2002年(H14)、文部科学省「スーパーサイエンスハイスクール」(全国で26校)に指定
* 2008年(H20)、宮城県宮城第一高等学校と改称(男女共学開始、単位制移行)
* 2016年(H28)、 英国シティ・オブ・ロンドン・フリーメンズスクールと姉妹校締結 
「宮城県宮城第一高等学校」HP/「仙台市史 年表」P89/「宮城県百科事典P1000「宮城県第一女子高等学校」/「仙台市史 年表」P90、P91、P98/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P518~520/「番丁詳伝」P67  99-075/「目で見る仙台の歴史」P134に「宮城県第一女子高等学校」の校門付近 
高等学校(新制) 宮城学院高等学校(戦後)  1946年(S21)  <戦後 宮城学院高等女学校>
* 1946年(S21)7月10日、宮城高等女学校を「宮城学院高等女学校」に改称
* 1946年(S21)7月、専攻科が昇格し、宮城学院女子専門学校開校

<学制改革以後>
* 1947年(S22)4月1日、宮城学院中学校設置許可(東三番丁166に)
<宮城学院高等学校>
* 1948年(S23)、新学制により「宮城学院高等学校」を設置
* 1948年(S23)、ヘレン・ケラー来日、宮城学院にて講演 
* 1949年(S24)、新校舎完成
* 1951年(S26)、「学校法人宮城学院」設立認可
* 1980年(S55)7月26日、東二番丁(現・中央4丁目)の宮城学院中・高校校舎お別れ式
* 1980年(S55)10月1日、宮城学院はキャンパスを東二番丁から桜ケ丘へ移転完了し、献堂式
* 1980年(S55)10月24日、講堂落成
* 1981年(S56)6月26日、赤レンガ大講堂解体始まる
* 2016年(H28)、創立130周年 
「宮城学院」HP/「重訂 宮城県郷土史年表」P511、P517、P541、P549、P590/「続・ 宮城県郷土史年表」P114、P117、P118、P130/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P523~524  「仙台クロニクル」(風の時編集部 2020年刊)P39(S33年 空撮) 
高等学校(新制) 宮城学院高等学校(前史)  1948年(S23)  <宮城女学校>
* 1886年(M19)9月18日、押川方義とアメリカ改革派教会のエリザベス・R・プールボーら、「宮城女学校」を東二番丁(田辺別邸)に創立
* 1887年(M20)4月、「宮城女学校校舎」建設のための校地2千4百余坪を仙台区東三番丁162番地~169番地に取得
* 1889年(M22)、東三番丁に校舎を新築(木造2階建、下見板張りペンキ塗りの米国風、明治35年焼失)(「目で見る仙台の歴史」P122)
* 1898年(M31)、本科を5年に延長
* 1902年(M35)3月8日、校舎全焼
* 1904年(M37)6月2日、宮城女学校、総煉瓦造3階建スレート葺・延面積315坪の「新校舎」(所謂「第1校舎」)献堂式
* 1908年(M41)1月、従来校地の西南側隣接地東二番丁139番地~140番地に600余坪取得 (以後、明治44~45年にも隣接地取得)
* 1911年(M44)、高等女学校令による高等女学校として認可 / その後に、家政・英文・音楽・聖書・国語の各専攻科設置
<宮城高等女学校>
* 1943年(S18)4月1日、宮城女学校を廃止し、「宮城高等女学校」設置
* 1945年(S20)7月10日、仙台空襲により、大講堂、第2校舎を残して校舎7棟を焼失 
「宮城学院」HPの「沿革」/「仙台市史 年表」P86/「重訂 宮城県郷土史年表」P511/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P523~524  「仙台市史 特別編4 市民生活」P255(明治後期の宮城女学校生記念撮影)/「いつか見た街・人・暮らし」P12~13(宮城女学校運動会、大正13年5月23日)/「仙台市史 特別編4 市民生活」P126(宮城女学校校舎)/「目で見る仙台の歴史」P122(宮城女学校旧校舎、東三番丁)と再建校舎 
高等学校(新制) 仙台商業高等学校  1948年(S23)  <前史>
* 1896年(M29)9月1日、「仙台簡易商業学校」創立 / 東北初の近代商業教育学校として、立町小学校の校舎内に間借り / 同年12月26日、市内片平丁に校舎を新築移転
)
* 1899年(M32)10月、「仙台市商業学校」と改称
* 1900年(M33)4月、「市立仙台商業学校」と改称
* 1906年(M39)9月、市内上杉山通(北四番丁・上杉山通の南西角)に校舎を新築移転
* 1919年(T8)6月、「仙台商業学校」と改称
* 1945年(S20)7月、仙台空襲で校舎全焼(校地には、戦災者引揚者用市営住宅建築) / 北三番丁を挟んで南側隣接の上杉山通小学校の一部で授業を継続

<学制改革で高校に>
* 1948年(S23)、仙台女子商業学絞を合併し、「仙台商業高等学校男子部」「同女子部」となる / 市内長町鹿野屋敷(現・太白区鹿野1丁目)に校舎を新築移転 / しかし女子部は従来の通り仙台市五橋中学校の一部に置かれる
* 1957年(S32)9月、女子部が独立し、男子部は「仙台商業高等学校」、女子部は「仙台女子商業高等学校」となる
* 1964年(S39)、 市内川内に校舎(4階建、2棟)を新築移転
* 2009年(H21)3月、 仙台女子商業高等学校と統合し、「仙台市立仙台商業高等学校」を新設 
「仙台市史 年表」P91、P93/「仙台市史10 年表」P319/「宮城県百科事典」P589/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P482~485、P502/Wikipedia「仙台市立仙台商業高等学校」2019年12月19日版  「仙台市史 特別編4 市民生活」P260(大正6年、授業風景)/「仙台市史 特別編4 市民生活」P260(T6年、仙台商業学校授業風景)/「目で見る仙台の歴史」P133に、「仙台商業学校(上杉山通)」/「市民の戦後史(仙台市)」P158(S39年3月、新装なった川内の校舎) 
高等学校(新制) 宮城県第二女子高等学校/宮城県仙台二華中学校・高等学校  1948年(S23)/2010年(H22)  <前史 1 東華学校、私立東華高等女学校>
* 1886年(M19)9月11日、「宮城英学校」が清水小路に開校
* 1887年(M20)6月17日、「東華学校」と改称
* 1904年(M37)5月13日、「私立東華女学校」が県立宮城第一中学校清水小路分校跡に開校
* 1905年(M38)4月1日、「私立東華高等女学校」と改称
* 1908年(M41)、東九番丁に移転したときに、旧東華学校(M30年設立)の本館を移築 / T10年に二高女と合併するため廃校

<前史 2 宮城県立第二高等女学校>
* 1918年(T7)4月1日、「宮城県立第二高等女学校」、中島丁の宮城県女子師範学校内に開校
* 1921年(T10)2月、<前史1>の私立東華北高等女学校と合併して同校地に移転 / 高等科を設置(T15年に廃止し宮城県女子専門学校を開設) / 同女専はS9年に越路へ移転、二女高はその跡へ移る

<学制改革で高校に>
* 1948年(S23)4月1日、宮城県第二女子高等学校と改称 / 定時制を併置、中田六郷・西多賀に分校を置いたが、のちに廃止
* 1973年(S48)5月12日、「宮城第二女子高校」で、東華学校時代の本館取壊し決まる
* 2010年(H22)、 男女共学校、中高一貫校となり、「宮城県仙台二華中学校・高等学校」に校名変更
* 2010年(H22)7月1日 - 宮城県第二総合運動場のラグビー場が当校の第2グラウンドになる
* 2019年(H31)、 学年制から単位制へ移行  
<前史1>関連>
「仙台市史 年表」P86、P92、P100/「明治の洋風建築-宮城県-」P60「東華学校」/「宮城県百科事典」P1001「宮城県第二女子高等学校」

<前史2関連>
「仙台市史 年表」P98、P100/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P520~521

<学制改革後>
「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P520~521/「続・ 宮城県郷土史年表」P19/Wikipedia「宮城県仙台二華中学校・高等学校」HP 
「新・目で見る仙台の歴史」P139(東華学校)/同P141(宮城県女子専門学校図書室)/「目で見る仙台の歴史」(S34年刊)P120に、東華学校校舎(東九番丁移転後) 
高等学校(新制) 朴沢女子高等学校  1948年(S23)  <前史>
* 1879年(M12)1月、朴沢三代治が松操裁縫塾創設(のちの、一番町2丁目の東急ホテルの場所)
・ 以来、戦前には私立松操学校(M17)、朴沢松操学校(T15)、朴沢松操女学校、朴沢女子実業学校と改称
* 1916年(T15)、本科と師範科を増設
* 1931年(S6)、高等師範科を新設
* 1944年(S19)、職業学校令改正に伴い、朴沢女子実業学校と改称、高等師範科を専攻科一部と改称
* 1945年(S20)7月、仙台空襲で校舎全焼
* 1947年(S22)3月、第1期復興建築落成

<学制改革で高校に>
* 1948年(S23)4月、「朴沢女子高等学校」と改称(新制高等学校へ移行切替)
* 1951年(S26)3月、学校法人松操裁縫学園を設立
* 1967年(S42)3月、学校法人朴沢学園と改称、校舎を川平に移転
* 1967年(S42)4月、「仙台大学」を開学、4年制体育学部(体育学科)を開設 
「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P529~530/「朴沢学園」HP  「目で見る仙台の歴史」P121に、朴沢松操学校(明治27年卒業生記念写真) 
高等学校(新制) 仙台工業高等学校/仙台市立仙台工業高等学校  1948年(S23)/2009年(H21)  <前史>
* 1896年(M29)9月、「仙台市徒弟実業学校」、上杉山通尋常小学校内に発足(北一番丁、のちの仙台簡易保険局の場所)
* 1997年(M30)、北一番丁同心町角に新築移転
* 1899年(M32)4月1日、「仙台市職工学校」に改称
* 同年4月24日、「仙台市立工業学校」に改称
* 1901年(M34)4月29日、「市立仙台工業学校」と改称
* 1919年(T8)10月、「仙台工業学校」と改称
* 1932年(S7)、二十人町通(仙台陸軍幼年学校跡地)に移転
* 1944年(S19)3月、「仙台工業学校第一部」(同時に、仙台工業学校専修科が「仙台工業学校第二部」となる)

<学制改革で高校に>
* 1948年(S23)5月、「仙台工業高等学校一部、第二部」となる
* 1965年(S40)4月、「第一部」が「仙台工業高等学校」、「第二部」が独立して「仙台第二工業高等学校」となる
* 1966年(S41)11月、宮城野(現・宮城野区東宮城野)に新校舎本館完成
* 2001年(H13)3月、新校舎完成
* 2009年(H21)、仙台市立仙台工業高等学校と改称
* 2010年(H22)、仙台第二工業高等学校を統合し、定時制課程を設置 / これにより、1965年以来、全日制課程と定時制課程が同一学校に再度併設されることになった   
「仙台市史 年表」P90、P91/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P489~492、P503/「仙台市立仙台工業高等学校」HP/「目で見る仙台の歴史」P133  「目で見る仙台の歴史」P133に、「仙台工業学校(北一番丁)」 
高等学校(新制) 尚絅女学院高等学校(前史)  1948年(S23)  <前史>
* 1890年(M23)、米合衆国バプテスト派宣教師ラヴィニア・ミードが来仙し、新坂通に家塾を開く
* 1892年(M25)、「尚綗女学会」開校式(生徒5人が在学)
* 1893年(M26)、中島丁(現・青葉区八幡)に校舎建設移転
* 1896年(M29)、校舎と寄宿舎(エラ・オー・パトリックホーム)落成
* 1899年(M32)11月24日、「私立尚綗女学校」創立(初代校長アンネ・S・ブゼル)(当時は、尚絅女学校でなく字は「尚綗」を用いた)
* 1900年(M33)、制服としてお納戸色のはかまを着用決まる
* 1902年(M35)、校章を制定
* 1903年(M36)、同窓会発足(卒業生総数20人)、
* 1917年(T6)、創立25周年講堂と新校舎が落成 / 校歌(土井晩翠作詞、佐々木英作曲)、と校旗を制定
* 1919年(T8)、附属幼稚園を開設、メリー・D・ジェッシーが第2代校長となる
* 1920年(T9)、高等科(英文科、家事科)新設
* 1921年(T10)、高等科に音楽科新設
* 1928年(S3)、高等科校舎新築
* 1932年(S7)、本科の制服をセーラー型にする
* 1935年(S10)、高等科を専攻部と改称(保母科、商科を増設)
* 1944・45年(S19・20)、学徒動員で軍需工場などに出勤

<戦災>
* 1945年(S20)7月10日、仙台空襲で寄宿舎が焼失
・ 戦災で校舎を失った常盤木女学校に校舎の一部を貸す
・ 終戦後は進駐軍に校舎を撤収され、八幡国民学校(小学校)や女子師範学校校舎を借りて授業 
「尚絅学院中学校・高等学校」HP/「仙台市史 年表」P89、P91/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P526~527  「目で見る仙台の歴史」P134に、「尚絅女学校と学校長ブセル」/「新・目で見る仙台の歴史」P139(尚絅女学校)/「仙台市史 特別編4 市民生活」P133(エラ・オー・パトリック・ホーム) 
高等学校(新制) 三島学園女子高等学校/東北生活文化大学高等学校  1948年(S23)/2003年(H15)  <前史>
* 1903年(M36)10月27日、三島駒治・よし夫妻により「東北女子職業学校」、東三番丁に創立(本科・別科・高等研究科)
* 1913年(T2)9月、清水小路に移転
* 1924年(T13)、高等研究科廃止、専攻科と師範科設置
* 1926年(T15)、高等師範科設置
* 1928年(S3)、高等師範科研究科設置
* 1940年(S15)3月25日、財団法人三島学園設立認可 
* 1944年(S19)、東北女子実業学校と改称
* 1947年(S22)、専門学校令による三島学園女子専門学校設立

<学制改革で高校に>
* 1948年(S23)3月、東北女子実業学校に「三島学園女子中学校」併設(S45年3月、廃止)
* 1948年(S23)4月、「三島学園女子高等学校」(普通科)設立し、女子実業学校を統合
* 1949年(S24)4月、高校別科として美容科設置(H7年廃止)
* 1952年(S27)、高校に二部(夜間4年制)新設
* 1967年(S42)、高校に附属研究科(1年)設置
* 1968年(S43)、商業科設置

* 2003年(H15)、「東北生活文化大学高等学校」と校名改称(普通科5コース、商業科2コース)、男女共学制となる
* 2008年(H20)、高校創立60周年
* 2013年(H25)、美術・デザイン科新設、普通科特別進学コース新設、商業科ライセンスコース改編 
「三島学園」HP/「目で見る仙台の歴史」P134/「仙台市史 年表」P92/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P527~528  「目で見る仙台の歴史」P134に、「東北女子職業学校と学校長三島よし」/「新・目で見る仙台の歴史」P139(東北女子職業学校) 
高等学校(新制) 栴檀学園高等学校/東北福祉大学付属高校  1948年(S23)~1975年(S50)  <前史>
* 1896年(M19)、曹洞宗仙台専門支校、東二番丁で発足
* 1902年(M35)、曹洞宗第二中学校と改称、南鍛冶町へ新築移転
* 1926年(T15)、栴檀中学と改称、伊勢堂山(国見1丁目)に移転(鉄筋コンクリート3階建て)
* 1945年(S20)7月10日、仙台空襲で校舎の約6割を焼失

<学制改革で高等学校に>
* 1948年(S23)、栴檀学園高等学校設置、中学校も併置
* 1958年(S33)、東北福祉短大設立に伴い、同附属高校に改称
* 1960年(S35)、商業科を併置、校舎も完備
* 1962年(S37)、短大廃止、東北福祉大学設立に伴い、その付属高校となる
* 1968年(S43)4月、名称を栴檀学園高等学校へ戻す / 男女共学制採用
* 1975年(S50)、廃校 
「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P516~517/「東北福祉大学」HP  「目で見る仙台の歴史」P149に「栴檀中学校舎(大正15年)」 
高等学校(新制) 仙台市立仙台高等学校  1948年(S23)  <前史>
* 1940年(S15)4月10日、市立仙台中学校開校(定員750名、荒町の斎藤記念館と荒町小学校を仮校舎に)
* 1941年(S16)6月、仲ノ町に本校舎落成し移転
* 1945年(S20)7月、仙台空襲で校舎全焼し、片平丁国民学校に一時間借り後、7月末に荒町、南材木町両国民学校、斎藤記念館に間借りし二部授業
* 1948年(S23)2月、北八番丁に新校舎落成

<学制改革で高校に>
* 1948年(S23)4月、学制改革で仙台高等学校となる
* 1965年(S40)9月、国見台に第二運動場完成
* 1974年(S49)、男子校から男女共学になる(「仙台市史 特別編4 市民生活」P274)
* 1975年(S50)4月、国見東山に新校舎落成し、移転開校式
* 2009年(H21)4月1日、仙台市立仙台高等学校に改称 
「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P485~489、P503/「仙台市立仙台高等学校」HP/「仙台市史 特別編4 市民生活」P274  「目で見る仙台の歴史」P165に中ノ丁の「市立仙台中学校」 
高等学校(新制) 宮城県仙台第一高等学校  1948年(S23)  <学制改革で高校に>
* 1948年(S23)4月1日、「宮城県立仙台第一中学校」が「宮城県仙台第一高等学校」と改称
* 1953年(S28)10月3日、校舎新築起工式(第4代校舎)
* 1958年(S33)3月31日、校舎新築落成(南北校舎)
* 1992年(H4)12月21日、校舎新築竣工(第5代校舎)
* 1994年(H6)4月12日、第二運動場(若林区荒井)竣工落成式
* 2010年(H22)4月1日、男女共学 
「重訂 宮城県郷土史年表」P526/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P504~505/「宮城県仙台第一高等学校」HP  「目で見る仙台の歴史」P180に、元茶畑の校舎 
高等学校(新制) 仙台図南高等学校/仙台図南萩陵高等学校/仙台大志高等学校  1948年(S23)/1983年(S58)/2009年(H21)  <前史>
* 1925年(T14)6月、夜間仙台明善中学校
* 1934年(S9)4月、仙台市立夜間中学
* 1939年(S14)3月、仙台図南中学
* 1943年(S18)4月、仙台市立図南中学校

<学生改革で定時制高校に>
* 1948年(S23)4月、仙台図南高等学校(新制高等学校へ移行切替)

<統合>
* 1983年(S58)3月1日 仙台図南高等学校と仙台市立女子高等学校を統合し、仙台図南萩陵高等学校創立、共学の定時制高校として開校 / 図南萩陵の校名は旧校名である「図南」、市立女子高の校章に使われてシンボルであった「萩」と、学校があることを表す「陵」を合わせて「図南萩陵」と命名
* 2006年(H18)4月1日、高校商業科の生徒募集が停止される。(2009年閉講)
* 2009年(H21)4月1日 仙台市立仙台大志高等学校創立(定時制高校) / それまでの仙台図南萩陵高等学校は仙台市立仙台図南萩陵高等学校に校名が変更され、生徒募集が停止される
* 1948年度(S23)で閉校 
「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P500~502、P503  「目で見る仙台の歴史」P180に図南高校校舎(五ツ橋) 
高等学校(新制) 県立盲学校    <前史>
* 1903年(M36)5月、東六番丁の日本キリスト教会に、「盲人日曜学校」開設
* 1907年(M40)4月、私立東北盲人学校開設(盲人日曜学校閉鎖)
* 1914年(T3)5月、「宮城県立盲唖学校」開校式(外記丁の旧宮城師範構内)
* 1925年(T14)9月、北七番丁に新校舎落成、
* 1935年(S10)8月、東九番丁校舎に移転
* 1937年(S12)3月、「盲部」および「聾唖部」を置き、各部を初等部・中等部に分ける
* 1937年(S12)7月1日、ヘレン・ケラー女史来校
* 1945年(S20)7月21日~10月24日、栗原郡宮野村能持寺に疎開学寮開設
* 1947年(S22)5月26日、フラナガン神父来校 
宮城県立視覚支援学校」HP/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P517~518  「目で見る仙台の歴史」P185に、「フラナガン神父来校」、「ヘレンケラー女史来校」) 
高等学校(新制) 常盤木学園高等学校  1948年(S23)  <前史>
* 1928年(S3)、仙台市元柳町(現・西公園内)に、常盤木学園高等女学校及び専攻科を設立
* 1934年(S9)、専攻科第二部(裁縫科)を増設
* 1936年(S11)、家庭寮花嫁学校を開設
* 1945年(S20)7月10日、仙台空襲で校舎焼失 / この後2年数ヶ月間、尚絅女学院、片平丁小学校、東六番丁小学校に転々とした間借り授業
* 1947年(S22)、青葉区小田原金剛院丁に校舎再建

<学制改革で高校に>
* 1948年(S23)4月、常盤木学園中学校・高等学校と改称
* 1957年(S32)12月、円型校舎竣工
* 1961年(S36)、音楽科を設立
* 1963年(S38)、プール竣工
* 1974年(S49)、新校舎本館竣工
* 1978年(S53)、宮城県沖地震(被害相当)
* 1986年(S61)、松良記念館竣工/新プール移設
同年、中学校を休止(H16年に廃止)
* 1991年(H3)、ニュージーランド、ホーンビィ高校と姉妹校
* 1997年(H9)、国際コースを開設
* 2003年(H15)、6月シュトラウスホール竣工
* 2004年(H16)、東校舎竣工 / 国際コース開設
* 2010年(H22)、スーパー両立コース(SBC)の開設
* 2016年(H28)、ビジネスコース開設 
「常盤木学園高等学校」HP/「仙台市史 年表」P104/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P525~526  /「仙台市史 特別編4 市民生活」P139(校舎外観)/同P54(S18年、モンペ姿で電報配達奉仕に出発する常盤木学園の女学生たち)/「目で見る仙台の歴史」P180と、「市民の戦後史(仙台市)」P101に、円形校舎 
高等学校(新制) 東北学院中学校・高等学校(戦前期)  1886年(M19)~1945年(S20)夏  普通科が、戦後の東北学院中学校、高等学校の前身

<南町時代>
* 1895年(M28)、東北学院が予科、本科を改組し、普通科5年、その上に専修科(文科、理科)2年、その上に神学部3年を置く
* 1899年(M32)、私立学校令公布に伴う中学校令改正に当たっても「普通科」の呼称は変えず

<東二番丁・初代校舎時代>
* 1905年(M38)、東二番丁に「普通科」校舎竣工し、南町から移転
  ・木骨レンガ造りルネッサンス式、2階建て、スレート葺き屋根
  ・屋根面にトーマー・ウィンドウ(屋根窓) 
* 1915年(T4)5月、普通科を中学部と改称(生徒数357名)
* 1919年(T8)3月2日、南町大火のため中学部校舎全焼
* 1919年(T8)9月、バラック建て仮校舎落成

<東二番丁・赤レンガ校舎時代>
* 1922年(T11)6月、旧校舎跡地に中学部校舎再建
  ・ 鉄筋コンクリートレンガ張り(通称「赤レンガ校舎」)
  ・ 2階建て、一部3階
  ・ 正面入り口に「LIFE LIGHT LOVE」が掲げられている         
* 1943年(S18)、中学部を中学校と改称、第二部(夜間)設置
このころ、校舎が軍や鉄道局に接収され、校舎正面の「LIFE LIGHT LOVE」が削り取られ、礼拝堂ステンドグラスのキリスト昇天図が幕で蔽い隠され、日の丸の国旗がはりつけられた  
* 1945年(S20)7月10日、仙台空襲で、校舎の大半(12棟)を焼失、焼失をまぬがれた本館、礼拝堂もコンクリートに亀裂 
「東北学院創立七十周年写真誌」P11~12、P22~23、P30、P32~35、P65~P69/東北学院HP/「明治の洋風建築-宮城県-」P66「東北学院中学部」

 
<南町時代> 神学部校舎(南町)は、「東北学院創立七十周年写真誌」P11、P50の写真/99-06843-30 <東二番丁初代校舎> 99-069/東北学院創立七十年写真誌」P22~23、P30の写真/「目で見る仙台の歴史」P142の写真   
高等学校(新制) 東北学院中学校・高等学校(戦後期)  1947年(S22)~2005年(H17)  <東二番丁・新制中学校・高等学校>
* 1947年(S22)4月、東北学院中学校発足
* 1948年(S23)4月、東北学院高等学校が発足
* 1949年(S24)、中学校木造校舎6教室落成
<鉄筋コンクリート校舎>
* 1951年(S26)、高・中学校理科教室3階建て落成
* 1955年(S30)までに、中学校校舎鉄筋コンクリート造3階建9教室、体育館など6棟完成
* 1958年(S33)4月、中学校赤レンガ校舎は都市計画により9教室を失う(戦後の東二番丁通り拡幅に伴い、赤レンガ校舎の一部(東側部分)が道路拡幅部分にかかるため、取壊された)
* 1958年(S33)4月、中学校・高等学校鉄筋コンクリート造4階建8教室完成

<新校舎と礼拝堂>
* 1970年(S45)11月、中学校・高等学校新校舎、礼拝堂完成

<赤レンガ校舎にお別れ>
* 1978年(S53)6月、中・高校の赤レンガ校舎、宮城県沖地震のため一部倒壊
* 1979年(S54)3月8日、中・高校の赤レンガ校舎見送り式(取壊し)(「続・ 宮城県郷土史年表」P93)
* 1979年(S54)4月、中学校校舎の礎石から、明治・大正のタイムカプセル発見

<シュネーダー記念館>
* 1980年(S55)3月5日、中学校・高等学校構内に、シュネーダー記念館完成(重訂 宮城県郷土史年表」P564)

<中学校・高等学校移転>
* 2005年(H17)1月、東二番丁→宮城野区小鶴へ移転 
「東北学院」HP/「東北学院創立七十年写真誌」末尾年表P69~70/「重訂 宮城県郷土史年表」P564/「続・ 宮城県郷土史年表」P93/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P349/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P512~513/Wikipedia「東北学院大学短期大学部」  <赤レンガ校舎> 62-1136-0336-06(S24完成木造校舎、S26年とS30年完成のコンクリート校舎も写る) <シュネーダー記念図書館>「東北学院創立七十周年写真誌」P63の写真 

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片倉製糸
ガダルカナル戦
学校教練
渇水
勝山公園
河北新報社
河北遊園地
釜房湖(ダム)
紙芝居
亀岡八幡神社
臥竜梅
カルトン食堂
簡易保険保養センター
環境基本条例
がん検診センター
勧工場・商館
幹線道路
紀元2600年
気象台
北山五山
切手代(ハガキ)
木町通小学校
義務教育期間
キリンビアホール
禁煙
銀行(地域の銀行)
銀行(都市銀行)
錦章堂ビル
金属回収
金の星(カフェ)
金富士(料理店)
勤労青少年ホーム
空襲
国見浄水場
軍事教練
軍需工場
軍都・仙台
軍刀(陸軍)
軍馬の銅像
軍服(陸軍)
軍用機献納
蛍光灯
警察
警察署
競馬
敬老乗車証
下水処理
血液センター
県営宮城野原公園総合運動場
県営宮城野球場(宮城球場)
県営宮城野原硬式庭球場
県営宮城野原蹴球場
県営宮城野原陸上競技場
県営宮城自転車競技場
元気フィールド仙台
健康都市宣言
県立学校、名称変更
県令 → 知事
興亜奉公日/大詔奉戴日
公会と隣組
公害・環境問題
公害市民憲章
公害防止条例
光化学スモッグ
公職追放/追放解除
公設浴場
交通監視用テレビ
高等学校(新制)
勾当台公園
工兵第二大隊 /工兵第二連隊
公民館
江陽会館
国際反戦デー
国定公園
国鉄
国道45号線
国道48号線
国民学校
国民義勇隊
国民金融公庫
国民勤労動員令
国民健康保険
国民精神総動員運動
国民登録/勤労報国隊
国民徴用令
国立仙台病院
国民服
国民帽
こけし塔
五色沼
国旗掲揚
子ども会など
午砲
米騒動
在外同胞救出仙台学生同盟
在郷軍人会
在住朝鮮人大会
斎藤報恩会
蔵王エコーライン
桜ケ岡公園(西公園)
桜ケ岡大神宮
サマータイム
産業組合中央会
三居沢交通公園
三陸自動車道
JR東日本
自衛隊
市街化区域
市街地住宅
自警団
時差出勤
思想弾圧/共産党員検挙
四大節
七十七銀行
市町村合併
輜重兵第二大隊 /輜重兵第二連隊
実業補習学校
自動車
自動車専用道
シネマスコープ
師範学校
紙幣・硬貨(戦後)
姉妹都市
市民の家
市民のつどい
市民福祉会館
市民土曜音楽会
市民利用施設
社会教育(戦後)
釈迦堂
車両ナンバー
週休二日制
住居番号表示制
住宅団地
柔道・剣道
祝賀行事
主食配給量
殉国勇士の家
障害者福祉
鐘景閣
松根油
定禅寺通り
昭忠碑
商店など
常磐線
消費者団体
消防組/防護団/警防団/消防団
昭和三陸大地震津波
食糧メーデー
女子挺身勤労令
女子挺身隊
シルバー人材センター
新憲法
新国丁
震災遺構
新産業都市
新住居表示制度
親切運動
新仙台港
身体障害者福祉モデル都市
仁丹マーク
進駐軍(米軍)
新寺小路地区都市改造事業(区画整理)
新伝馬町商店街
新常盤町(遊郭)
新聞社
人力車
水害
水道事業
瑞鳳殿
スパイクタイヤ
スポーツ少年団
スポーツセンター
スポーツ大会
隅櫓
青少年団
清掃事業(行政)
清掃工場
政党県支部など(戦後)
青年訓練所
青年学校
青年団
税務署
精養軒
政令指定都市
セコイヤの化石
戦後開拓
戦後教育・仙台
戦後の物資・価格統制撤廃
戦後復員/引揚げ
戦災記録
戦災者・引揚者用住宅
戦災復興
仙山線
戦時衣料
戦時下の学園
戦時中の勤労動員/就労規制
戦時中の疎開者受入れ
戦時中の物資統制、使用規制
仙集館
戦勝祝賀行事
仙石線
仙台朝市
仙台アメリカ文化センター
仙台育児院
仙台駅
仙台オープン病院
仙台卸商センター
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仙台軌道(仙台鉄道)
仙台郷土研究
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仙台空港アクセス鉄道
仙台空襲
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仙台市(名称変遷)
仙台CIE図書館
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仙台市ボランティアセンター
仙台市ミートプラント
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仙台市民教養センター
仙台市民図書館
仙台市民の消費生活を守る条例
仙台市民文化センター
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仙台商業会議所/仙台商工会議所
仙台城二の丸焼失
仙台庶民金庫
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仙台七夕
仙台鎮台
仙台鉄道管理局
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仙台東部道路
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仙台南部道路
仙台西道路
仙台の裁判所
仙台バイパス
SENDAI光のページェント
仙台美術館
仙台平
仙台フィルハーモニー管弦楽団
仙台復興祭グランドフェア
仙台物産陳列所
仙台北部道路
仙台ホテル
仙台陸奥館
仙台郵便貯金会館
仙台臨海鉄道
戦没者遺骨調査・収集
戦没者慰霊
創価学会会館
総進軍大会
体育館
体外受精
大学・短大
大学紛争
大政翼賛会/新体制/公会/報国会
第二高等学校(旧制)
第二師団
第二師団凱旋記念満蒙軍事博覧会
第十三師団
第三十三師団
第四十二師団
大日本国防婦人会
大日本婦人会
大日本連合婦人会
台原森林公園
台風被害(戦後)
多賀城跡
高橋是清
タクシー
宅地造成ブーム
竹槍訓練
立町小学校
谷風の墓所
多門師団凱旋
多門通り
男女共学
地価狂乱
乳銀杏
ちびっこ広場
駐留軍(米軍)
彫刻のあるまちづくり事業
鳥獣特別保護区
朝鮮館
朝鮮人移入労働者
朝鮮戦争
樗牛瞑想の松
チリ地震津波
榴ケ岡公園
堤人形
ツルヤ洋菓子店とカフェ・クレーン
デイケアー
貞山運河(貞山堀)
逓信関連
停電
出稼ぎ者相談所
テレトピア構想
テレビアンラジオ
テレフォンカード
電気開始(仙台)
電球
電信開始(仙台)
天神社
伝染病流行
伝統町名保存
天皇、仙台行幸
電力ホール
電話
電話開始(仙台)
土井晩翠
東一マーケットと中央マーケット
洞雲寺
灯火管制
東京オリンピック(昭和)
東照宮(仙台)
東部復興道路
同胞援護会
東邦生命ビル
東北学院
東北産業博覧会
東北自動車道
東北新幹線
東北振興/農村更生
東北大学
東北大学病院
東北鎮台 →仙台鎮台 →第二師団
東北帝国大学
東北電力
東北本線
東北楽天ゴールデンイーグルス
東北歴史資料館
東北六魂祭
東北絆まつり
遠見塚古墳
特別調達庁
都市型CATV
特急はつかり
特急ひばり
トラックターミナル
名掛丁商店街
仲の瀬橋(広瀬川)
長町駅
奈良原式鳳号
西内楽器店
西公園(桜ケ岡公園)
西本願寺別院(東一番丁)
二十人町
日米野球
ニッカウイスキー工場
日本銀行
日本生命館
日本鉄道
日本農民組合
ネオンサイン
年賀郵便
年中行事(まつり)
乗合馬車
敗戦後の諸相・仙台
廃藩置県(仙台県誕生)
バカンス(流行語)
爆弾三勇士の歌
博覧会・フェア
芭蕉の辻
芭蕉の辻商館
芭蕉の辻の城櫓風建物
芭蕉の辻の洋館
バス
バスプール
バス優先レーン
支倉常長(記念碑/銅像)
発電事業
パテー館
花火大会
針久旅館支店(仙台駅前)
ハリストス正教会堂
藩祖政宗公三百年祭
藩祖政宗公の記念祭
東一番丁(商店街)
東一番丁大火
東一番丁百年祭大仮装行列
東二番丁尋常小学校
東二番丁通り(拡幅)
東日本大震災
光ヶ丘天使園
飛行船「雄飛号」
飛行大会
ひとにやさしいまちづくり条例
ヒトラーユーゲント一行が来県
日乃出映画劇場
ひらつか(東一番丁)
ビル建設
広瀬川の清流を守る条例
広瀬通り
広瀬橋(広瀬川)
プール
フェリー
俯瞰撮影禁止など
福祉ボランティアのまちづくり事業
富国生命館(国分町)
藤崎
フジビール
婦人参政権獲得運動
婦人の社会活動(戦後・仙台)
婦人標準服
普通選挙要求運動
物価上昇
二日町大火
復興盆踊り
仏舎利塔
ブラザー軒
文化キネマ/文化劇場/仙台松竹映画劇場
文学碑など(仙台)
文化勲章
文化財指定
文化横丁
兵役制度
米軍進駐
兵事義会/銃後奉公会
ベガルタ仙台
ペデストリアンデッキ
ヘレンケラー女史
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防空演習
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歩行者天国(東一番丁)
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歩兵第104連隊
本土決戦体制
政宗卿騎馬像
政宗卿平服像
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松永正敏中将
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マナスル登頂成功
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満蒙開拓
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