項目 | 小項目 | 年 | 内容 | 出典/参考資料 | 関連映像 |
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軍事教練 | 高等女学校 | 1941年(S16) | * 1941年(S16)、高等女学校で軍事教練開始 | 「日録20世紀 1941年」P33 | |
軍事教練 | 学校教練(中等学校) | 1925年(T14)~1945年(S20) |
<学校教練> * 1925(T14)年の陸軍現役将校学校配属令に基づき、旧制中等学校以上の教育機関に配属将校を配置し実施された ・ 第1次世界大戦後の軍縮に伴う将校の失業を救済するとともに、思想教育を兼ねた ・ 射撃など武器の使い方や戦史などを教え、演習も行った ・ 軍国主義教育の中心となった * 1939年(S14)、中学校から大学までの授業に軍事教練が義務化された * 1940年(S15)10月24日、県下男子中学校生徒(33校の上級生)の紀元二千六百年奉祝記念演習会を仙台付近で行う * 1942年(S17)11月6日、宮城県下中等学校連合演習(仙台市付近で) <配属将校> ・ 中学校には尉官級(大尉、中尉、少尉)、旧制高校、大学には佐官級(大佐、中佐、少佐)が配属され、複数の将校がいる学校もあった。 ・ 教練は、射撃訓練や長距離行軍、部隊訓練、指揮法、手旗信号、武器保存、救助法、毒ガス防毒面の装脱、手りゅう弾投げ、防空監視など(「戦争のころ 仙台、宮城」P93) |
「重訂 宮城県郷土史年表」P478、P493/「戦争のころ 仙台、宮城」(石澤友隆著)P93 | 29-06、29-07、29-08、43-02、43-12、43-14/「新・目で見る仙台の歴史」P161(S11年頃、宮城県工業学校の軍事教練) |
軍事教練 | 大学も必須に | 1939年(S14)~1945年(S20) |
* 1939年(S14)3月30日、文部省、大学の軍事教練を必修とする * 1941年(S16)8月30日、大学学部にも軍事教練担当現役将校を配属 <東北帝国大学> 軍事教練を行わない学校だったが、昭和14年からの義務化に際し、全学部2000人に毎週2時間程度実施のための武器がなく、文部省の斡旋で481丁の小銃、軽機関銃を急いで入手。(「戦争のころ 仙台、宮城」P93) |
「週刊20世紀 1939年」P10/「仙台年表」P209/菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P27/「戦争のころ 仙台、宮城」(石澤友隆著)P93 | |
軍事教練 | 一般青年 | 1926年(T15)~1945年(S20) |
一般青年に対しては、 * 1926年(T15)、全国に青年訓練所を設立し実施 * 1935年(S10)以降は、青年学校に引き継がれ実施された (S10年、実業補習学校と青年訓練所が統合され、青年学校となる) <青年訓練所>(「日録20世紀 1926年」P42) 1926年(T15)7月1日、全国1万3842カ所に設置 約104万人が入学 前年、軍縮を実施した陸軍が文部省に整備を要請した / 尋常小学校卒業者で徴兵検査前の青年を対象とする教育機関(4年制) / 主に小学校や実業補修学校に併設、修身公民科と教練が必修、普通科と職業科があった(4月20日、法令公布) <青年学校>(「週刊20世紀 1935年」P26、「同1939年」P10~11) 1935年(S10)4月、青年学校令公布 / 実業補習学校と青年訓練所が統合され、同年10月に全国約1万7000校が開校、小学校卒の国民教育の向上・再教育、国民皆兵への道筋 / 昭和14年には、男子は義務制になり、年350時間の軍事教練実施(満12歳以上~19歳以下の不就学男子が入学) |
「日録20世紀 1926年」P42/「週刊20世紀 1935年」P26、「同1939年」P10~11 | 青年学校生は、06-06 |
軍事教練 |
・ 青少年を対象とした軍事予備教育のうち、特に歩兵操典に基づく訓練をさす * 1928年(S3)2月24日、陸軍省、教練及び青年訓練修了者検定規定公布、この結果、教練も成績に加え合否が判定される * 1944年(S19)2月4日、文部省、軍事教育強化方針発表 <第2次世界大戦の敗戦で廃止> * 1945年(S20)10月3日、文部省、柔道、剣道、教練の全面停止を通達 |
岩波ブックレット「年表 昭和史年表」P21/「重訂 宮城県郷土史年表」P506/菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P8、P35 |
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